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侍女は悪役令嬢を想う


「で、どうしましょう」

「どうしましょう、と言われてもねぇ?」


夕暮れの教室。

外からはカラスの鳴き声と、補習授業をする教師の声が聞こえる。

教室の中に殆ど人影は無く、そこで私は手元にある紙切れに視線を落としながら、大きなため息を吐いていた。


向かいに座るのは、アックス様。

オレンジ色の西日に照らし出された、整った顔立ちはいつもよりどこか色っぽい。

普通の少女なら、一瞬で落ちてしまうだろうその顔に私は今正直、何も感じなかった。

別に彼が嫌いなわけではない。

というより、むしろ私はいつの間にかよき相談相手となっていた彼には好意的ですらある。


では、なぜ彼を魅力的だとは思えないのか。


もちろん、唯の友人だから、というのや、彼が女たらしだから、という理由はその一因ではあるだろう。

しかし、最も大きな理由は脳の大半を別の出来事が占めていたからだ。

つまり、昼にクレア様に言われたことが原因である。


「クレア様が、殿下とエレナリア様をくっつけろって……いや、分からなくはないけど、いくらなんでもこれは」

「納得しかねます」


私がキッパリと告げると、アックス様は苦笑しながら、だよなと頷いた。

どうやら、話の全容を話さないまでも、そのへんの事を察したアックス様も同じ気持ちのようだった。


だって、殿下はともかく、お嬢様は殿下に対して、何の気持ちも抱いていないのだ。

今の貴族社会に策略結婚がもちろん無いわけではない。

いや、策略結婚が殆どだと言っても過言ではないだろう。

だが、お嬢様は違う。

お嬢様にはやっぱり、幸せになってもらいたい。

政略結婚が幸せを得られないものだ、という考えを持っているわけではないが、王家は流石に別だ。

王家は国のトップであり、その分、責任も義務もたくさん背負うことになる。

王妃の座は決して居心地の良いものではないのだ。

お嬢様が殿下を思うのならともかく、あまりお勧め出来ない物件である。

それに、お嬢様には結婚したがらない大きな理由があった。


「確かに、自由を求めるエレナリア様には合わなさそうだよなぁ」

「アックス様もそう思われますか?」

「まぁね。クレア様の言う安全性、という面では今の時代なら確かに平気だろう。汚職に塗れた今の貴族社会でも、陛下は必死にどうにかしようとしている。今は不穏だが、近い内に変わるかもしれない。……そう。クレア様がもし、何かをお考えなら、だが」

「でしょうね。まぁ、そこは大丈夫だろうと私は思っています。ですが、問題なのは、断った場合ですよ。私たちが望もうが望まないであろうとも、最終的に選ぶのはお嬢様です。もし断ったその時、お嬢様の身はどうなるのか」

「だな。彼女のご実家は頑固そうだし」


私はもちろん、お嬢様が殿下を選ぶというのなら、非常に不本意ではあるが、殿下にお嬢様を預けるだろう。

だが、断るならば徹底的に抗戦する。

とはいえ、一人でお嬢様を守るにも限界があるのだ。

私のこの身はいくら戦いに特化していようと、たった一つしかない。

もし大きな権力や大勢を相手取れば、お嬢様を守り抜ける確証はあまりない。

そう、この間の魔物がいい例だ。

あの時はローナ先生達が居なければ、危なかった。


時代は無常なもので、幾ら今の平和が続けば良いと願えど、いつかは崩れゆく。

その中で、流れを掴めなかったものはどうなるのか。

簡単に察することは出来るが、あまり想像したくなかった。


なら、お嬢様の幸せに繋がることは何か。

それは既に示されていた。


「非常に、不本意ですが。非常に、納得がいきませんが。既に逃げ道が塞がれてしまった以上、言う通りにするしかないのかもしれませんね。一応、いろんな策を考えておきますが、今の所は従っておきましょう」

「それが最良だろうよ。いざとなれば、殿下の権力を使うって手もある。今はそれくらいの心構えで良いと思う」


アックス様は難しい顔をしながら頷いた。

彼は何かと頭が回る人だし、周りもよく見えているので、これからもお世話になることだろう。

私は彼を頼もしく思いながら、再びメモに視線を落とした。

それから、時計を確認する。

殿下とお嬢様が会われる時間はもうそろそろのようだ。


「アックス様、時間です。行きましょう」

「あれ、俺も?」

「当然です。私がこのことを話した時点で、共犯者も同然に決まっているじゃないですか」


今更ですよ、と私はアックス様に微笑みかけた。

アックス様も今更、かなりの重要機密を知ってしまったことに気がついたようで、さっと青ざめる。

だが、もう遅い。

この辺りはまだまだ初々しくて、なんとも学生らしい。

人の話は簡単に聞くべきではない、ということを学んだだろう。


「チェックメイト、ですよ」

「くそ、君ってやつは。綺麗な顔して、とんでもないな。君の主人がああやれる理由がわかった気がするよ」

「それは何より。さぁ、行きましょう」


私はアックス様の皮肉をサラリと流して、席を立つ。

すると、アックス様にも諦めがついたようで、呆れたようにため息を吐いて、ついてくる。

素直に従ってくれるあたり、彼はお人好しだ。

私なら、ここでそんなの知ったこっちゃない、そっちが勝手にペラペラ喋ってくれただけどと、一蹴していただろうに。

その分、後々が怖くなるはずたが、私には関係ない。

その時はその時だ。


アックス様は私の考えを読んだわけではないだろうが、教室を出る間際に、ボソリと呟いた。


「ほんっと、どっかの将軍にでもなれそうだなぁ」

「駆け引きと、武力という面でですか?」

「ああ。なんか、手慣れている気がするな。侍女に収まっておくには勿体無い。一体、君は何者なんだ?」

「唯の侍女ですよ。例え、前職がなんであろうと、今の私はお嬢様に過保護な侍女でしかありませんから」

「前職、ねぇ」


アックス様はそう言って目を細めた。

私はそれを鋭く見返して、これ以上の詮索は赦さないとばかりに牽制する。

アックス様はさすが、いち早く察すると、肩をすくめ、視線を逸らした。

触らぬ神に祟りなし。

相変わらず、勘の良い人だ。


そんな感じで、はたから見れば少しハラハラしそうな会話を交わしつつ、私たちは稽古場へと向かっていた。

そこが、クレア様に教えられた殿下とお嬢様の待ち合わせ場所である。

少々早く出たため、人影はない。

私はアックス様と気配を殺し、草陰へと隠れた。


「まだ、のようですね」

「喋っても大丈夫なのか?」

「風の動きを操作しているので、こちらの声は余程大きなものでなければ、届きません。平気です。気配ももう一つの適性魔法で隠しているので、私たちのことはお嬢様でも気がつきませんよ」

「なんだ、その魔法の使い方。聞いたこともないぞ」

「経験です。アックス様も五つも適性を持っていらっしゃるのでしたら、何か出来るはずですよ」

「げっ、なんで知って!」


アックス様はギョッと目を見開いた。

魔力を隠していたつもりなのだろうが、私にはバレバレである。

注意深く見てみれば、僅かに漏れ出る魔力に様々な適性を見ることが出来る。

もちろん、私の体質の賜物なので、常人には出来ないことだろうが。


それにしても、五つも適性を持つというのは珍しい。

私も初めてアックス様とお会いした時には思わず目を疑ったほどだ。

この世では、適性は一つ二つが普通なことである。

私だって魔法には自信があるが、それでも風ともう一つの二つしか適性がない。

それは炎と闇の適性を持つ、お嬢様も同じことだ。

アックス様は魔術に関しても、類稀なる才能を持っている。

魔力の隠し方も中々にうまいものだった。


「大丈夫です。誰も私以外にはそんなに多く適性を持つと知れる人はいませんよ。私に広める意思もありませんし」

「君、ほんとに恐ろしいな!」

「光栄です。でも、それで納得しましたよ」


アックス様は目に見えて動揺している。

何時もはつかみどころがなく、ヘラヘラとしている彼だが、今日に限っては驚きを隠せずに私を凝視していた。


私はちょっと面白くなって、さらに畳み掛けてみた。


「だから、伯爵家の次男でしかないあなたが、第一王子の友人でいられるのだと。将来は、王家筆頭魔導師の地位でも約束されているのではありませんか?」

「全部お見通しってわけですか。そうですか」


アックス様は参ったなぁ、というように頭を掻いていた。

明らかにどんよりと雰囲気を漂わせているあたり、自信をへし折られ、落ち込んでいるらしい。

自分のしたことだが、少し哀れにすら思えた。

うん、でも時にはこういうことも必要だ。違いない。


アックス様はこれで今日、何度目かもわからないため息をつくと、疲れたように俯いた。

まだお嬢様と殿下の様子も見ていないのに、既に目が虚ろだ。


「大丈夫ですか? 本番はまだまだこれからですよ?」

「誰のせいだと……? 国家の機密を簡単に見極められて、これが疲れずにいられるか」

「まぁ、確かに。すみません。お騒がせしました」

「君にはほんと、驚かされるなぁ。口説かなくて正解だ。何をされるかわかったもんじゃない」


アックス様はそう言って、ホッとしたように撫で下ろした。


こうしている間にも時間は刻々と約束の時間が近づく。

約束の時間、十分前、先に現れたのはお嬢様だった。

一応、あんな対応だが、相手は殿下。

最低限の礼儀くらいは守るつもりのようで、何時もは私が時間を管理していたが、やれば自分一人でも出来るのがお嬢様だ。


内心、誇らしく思っていると、やがて殿下も現れる。

今のキーパーソンである殿下に、私の視線は自然と鋭くなった。

それでも、感づかれないようにするのは長年で染み付いた技だ。

無意識のうちに、現役時代と同じように気配が研ぎ澄まされていく。

隣では、私の威圧を感じ取ったアックス様が身震いしていた。


「おいおい、それはシャレにならないって」

「すみません。無意識なもので」

「そんなに殿下が気に入らないか?」

「お嬢様に関わる者として、無論です。相手は関係ありません。個人的には誰にもお嬢様は渡したくないのです」

「危ない奴がここにいるよ……」


アックス様には緊張感が無さ過ぎる。

それを責めるようにギンッと睨みつけてやれば、アックス様は慌てて、お嬢様達に視線を向けた。

それを確認して、私もお二方の方を見る。

二人は何やら真剣な表情で話し込んでいた。

といっても、お嬢様はいつも通りだが。

時折こくこくと頷いているので、珍しく真面目に話を聞いていることがわかる。

声は残念ながらここからは聞こえなかった。

今回はアックス様がいるため、気配を殺しやすいよう、離れた場所にしたのだ。

私は最早同等の立ち位置になりつつある、アックス様に指示を出した。


「風の魔法で、声を届けてください。私がやっても構いませんが、これも一つ経験ということで」

「風の魔法が使えることは前提とか、立ち聞きは趣味が悪いとか、言いたいことはたくさんあるけど、とりあえずわかった」


最近はお互いの扱いが酷い気がする。

私はそんなことを思いながら苦笑した。

それはつまり、少しは近い関係になれたということなのかもしれない。

もちろん、恋愛方面ではなく、良き友人として、だ。

私は今まで、そういうこととは無縁に生きてきたためわからないが、おそらくこういうことなのだろうと思う。

現に、アックス様に嫌々といった様子はないし、自惚れでなければ、軽口を叩くのが楽しそうにすら見えるのだ。

殿下とアックス様、私とお嬢様ほどには、過ごした時間がまるで違うので、至ってはいないものの、こちらの方が身分に関しては気軽だ。

到底、私のような平民と伯爵家の方では釣り合うはずもないが、私は基本、忠誠を誓った相手にしか敬意を払うことはしない。

そういう点では、私達は平等だった。


「どれどれ、これでいいかな、と」


アックス様が魔法を発するのと、私が物思いから引き剥がされるのはほぼ同時だった。

流石というべきが、アックス様は魔力の扱いがうまい。

聞こえてきた声は己の時よりも明瞭だった。

雑音が少なく、指定された声だけが聞こえる。

これは、将来の筆頭魔導師に期待が持てそうだ。


「で、今リオとはどうなんだい?」


そうこうして、最初に聞こえたのはそんな声だった。

間違いなく、殿下の声である。

私は早速聞こえた自分の名に、ピクリと反応した。

お嬢様と殿下は私について話しているらしい。

唯の前振りかもしれない、と思いつつも私は耳をそばだてた。


「どうもありません、と言いたいところだけれど」


だけれど?

あれほど、話題に出すたびに拒んでいたお嬢様が言い直すとは一体、どういうことか。

私はトクトクと早まり出した鼓動を押さえつけて、ジッと数秒の間を耐える。


お嬢様は少し口籠った後、口を開いた。


「このままだと、いけないと思いますの」


ズキリ、と私の胸が痛んだ。

まさにその通り。

私達はいつまでもこのままでいるわけにはいかない。

どちらかが折れて、元の仲に戻るか。

それとも相容れないまま、義務として付き合っていくかだ。

今、私達はとても中途半端なところにいる。

義務としては割り切れないまま、受け止めることも出来ない。

それが、今の状況。

互いのことを思って始まった喧嘩だが、実を言えば私が百パーセント悪い。

私は唯の侍女。

唯の平民だ。

だから、逆らうことは許されない。

出された命令には従い、必ずや守り抜く。

そこに感情論や私情を挟んではいけないのだ。

それが、この世の決まり事だから。

むしろ、今迄の私達の関係が異常だった、というべきだ。


私はそのことを理解しながら、決断できなかった。

そのせいで私は心お優しいお嬢様を悩ませ、傷つけている。

そう思うと、ジワジワと罪悪感が這い上り、私の心を蝕んだ。

そうだ。私はお嬢様のトラウマを知っていたはずなのに。

あんな醜態を見せてしまった己が不甲斐なかった。


「やはり、君は悩んでいたのだね」

「ええ、もちろん。ずっと一緒にいてくれたんですもの。彼女には幸せになって頂きたいのですわ。少し、相談に乗ってください。あなた以外に、このようなことを話せる人がいないものですから」

「そうか。確かに侍女に価値を感じている令嬢は少ないだろう。わかった。何が出来るかはわからないが、僕でよければ……」

「アックス様、止めてください」

「えっ? ……了解」


アックス様は一瞬、迷った様子を見せながらも、私の言う通りにしてくれた。

殿下の協力するよ、との言葉を最後に、プツリと音が途絶える。

私はそのことに、ホッと息を吐いた。

これ以上聞くのは野暮だろう。

私が聞いていて、良いものではない。

アックス様もすぐにそれがわかったのか、聞いてこなかった。


しばらく沈黙が流れ、先に口を開いたのは私の方だった。


「アックス様」

「なんだ?」

「私、侍女失格ですね。お嬢様の側。私……離れるべきかもしれません」

「ッ!」


アックス様は私の言葉に、鋭く息を吸い込んだ。

途端、厳しい眼差しが私に注がれる。

緑色の瞳から、何時ものような軽い感じが完全に消え失せた。

私は今まで向かい合ったことのない種類の「怒り」を目にして、思わずたじろぐ。

彼にあるのは失望と軽蔑。

恐れ、憎しみこそ慣れていたが、親しみを感じていた者から向けられる感情としては、随分と来るものがある。

私は生まれて初めて、心のそこからの恐怖を覚えた。


「アックス、様?」

「君、それを本気で言ってるわけじゃないよな」

「いや、そんな」

「あれを聞いて、君はそんなことを言うのか? 冗談じゃない。もし、もう一度、君がエレナリア様を離れると言ってみろ。俺は君を本気で殴り倒す。本当にバカなんじゃないのか」

「なっ……違っ」

「違わない」


ブワリ、とアックス様の体から魔力が漏れ出した。

五つもの適性を持ったアックス様の魔力は正直、尋常じゃない。

私はその迫力に押されて、口を噤んでしまう。

魔力を含ませた威圧。私のと比べても、その威力は段違いだった。


動けなくなった私にアックス様は厳しい表情のまま、言葉を続けた。


「エレナリア様は君を思って悩んでいるんだぞ。君に側にいてほしいから、普段は誰にも頼ろうとしないあの人が殿下に力になってほしいと頼んでいる。なのに、君はそれを踏みにじるような真似をするのか」


違う。

私はそう言おうとした。

けれど、代わりに口からこぼれ出るのは掠れた息のみ。


本当はこう言いたかった。

私はお嬢様に幸せになって欲しかったから。

その為に私が邪魔だと思ったから、離れようとしただけだ。

守ろうという使命も、「相手側」を何とか潰して、果たすつもりでいた。

それで上手くはいかないかもしれないけど、出来ることはなんでもやるつもりだった。

お嬢様を傷つけるつもりなんて、更々ない。


「じゃあ、君はそれで良いんだ? 君が君の主を守ろうとする意思は途中で彼女を離れることができるだけのものだったのか。正直、ガッカリだよ。過保護だ、何だと思っていたが、所詮口先だけだったとは」


アックス様の威圧はそこで途切れた。

終わりに心底呆れた様子で、ため息をつくと、こちらに背を向けようとする。


だが、私もそこまで言われては久々にカチンと来てしまった。

残っていた威圧の魔力の残滓を振り払うと、彼に歩み寄る。

低い、声が出た。


「お前に、何がわかる」


仮にも目上の方なのだが、激情に駆られるあまり、粗雑な言葉が現れる。

アックス様は何かを感じ取ったように、片眉を上げた。


「ふぅん? 言い訳でもするつもり?」

「違う。真実だ。私はお嬢様に幸せになってもらいたい。それだけだ。お前につべこべ言われる筋合いは無い」

「じゃあ、聞くけど。君はエレナリア様の幸せを何だと思っている?」

「それは無論、平和に誰かに愛されて過ごすことだ」

「誰か、ねぇ」

「何が言いたい?」


意味ありげに目を細めるアックス様。

そのいかにも余裕な態度に、私の苛立ちは募る。

数年前なら、こんなに苛立ちやしなかっただろうし、即座に首を掻き切っていただろうが、今の私は違う。

僅かばかりの理性で湧き上がる衝動を抑えつつ、話の先を促した。


「誰か、に君は含まれていないのか?」

「それはっ」


今度は違う、とは言えない。

そもそも喧嘩の原因が、私を思うが故のことだ。

お嬢様は私を大切に思ってくれているのだし、今だって最低限私が側にいることを許してくれている。

わざわざ嫌いな人を側に置こうとは誰だって考えないだろう。

私の居場所はお嬢様が望めば誰だって替えがきく場所だ。

そうしなくても、義務だと命ずれば割り切れる。

けど、そうしないのは何故か。

答えは一目瞭然だ。

ああ、何ということだ。


「君は色々と勘違いしている」


黙り込んだ私に、アックス様は言った。

そこに先程までの険悪さは無い。

寧ろ諭すかのような優しい声音だった。

私は釣られるようにゆっくり顔を上げる。

アックス様は微笑んでいた。


「君は確かに侍女失格だ。主人の気持ちを汲めないし、ストーカー紛いのことまでしている。言葉は時々雑になるし、色々嘘もつく。本当に駄目な侍女だ」

「うくっ……」


悔しいが、全て事実なだけに何も言い返せない。

やはり、というべきか、よく私のことも見ている。

アックス様はそこで終わるのではなく、でもなと付け加えた。


「君ほど、エレナリア様を思える侍女もまた、いないのさ。そういう点では最高とも言える。侍従の常識? そんなもの、君たちにはいらないだろう。というか、あの変わり者のエレナリア様には似合わない。もちろん、捻くれた君にも」

「余計な御世話です」


私が頬を膨らませると、アックス様はハハッと快活に笑った。

私もそれを見て、自然と笑顔になる。


全く、この人は本当に掴めない人だ。

つかんだと思えば、スルリと手の中をすり抜けてしまう。

その鋭い目といい、隠している力の大きさといい、まるで蛇のようだ。

これには、私もお手上げ。

殿下もよっぽど苦労してきたに違いない。


私はそんなことを考えながら、頭を下げた。

随分とアックス様には失礼をしてしまった。

私としたことが、お嬢様のこととなるとすぐこうだ。


「すみません。軽率な言葉でした。叱ってくださって、ありがとうございます」

「いや、いいよ。俺も言い過ぎた。こんなに怒ったのは久々だ。なんか、スッキリした」


アックス様は照れたように頭を掻いた。

次期王家筆頭魔導師候補様は本当に良い人だ。

私がそう褒めると、アックス様は笑顔を引きつらせて、逃げるように殿下とお嬢様の方に視線を向ける。


お二方は、何やら紙とペンを持ち出して、あれこれ話し合っているようだ。

時折、魔力を、とかテストで、とかが聞こえるので話題は違う方向に行っているようだった。

それでも、二人の距離はいつもより少しだけ近い気がした。

本当に、毎日見ている者しかわからないくらいに少しだが。


私たちがそっと眺めていると、ふとアックス様が呟いた。


「やっぱり、殿下や君にも幸せになってもらいたいんだ。もちろん、エレナリア様もだけど」

「だから、私に離れるな、と」

「そう。君達はいつも他人ばかりを優先して、自分を蔑ろにしていると思うから。殿下に至っては、報われなさそうな恋をしているし。やっぱり、近くにいる人の不幸な顔はあまり見たく無い」

「わかります」

「その点、俺は今を楽しんでいると思うけどね。将来、お偉い地位に就いたら、したいことも出来なくなるだろうし」


その例として、今日はこの後、隣のクラスの美女と会う予定なんだ、と語るアックス様。

そういえば、この人は女たらしで通っていたっけと、私は今更ながら思い出す。

にへら、とほおを緩める姿は非常にだらしない。

さっきまでの感心は一気に吹き飛び、私は反射的に白い目を向けていた。

相手のお嬢さんも可哀想に。

早く目を覚ませば良いのだが。


「じゃあ、俺は行く。君もあまり考え過ぎないようにな。どう転がっても、いずれは時間が解決してくれるはずだ」

「それはあなたの乱れに乱れた女性関係でもですか?」

「いやぁ。俺の方はあまりに複雑だから無理かも。このままだと近いうち、刺されるかもな」


嫌味を飛ばしてみれば、割と恐ろしい答えが返ってきた。

私は心配されているのもそっちのけで、全力で引いてしまう。

この人、魔力が多いから良いけど、そうでなければ、今頃どうなっているのか。

考えたくもなかった。


「じゃあな」

「早く行ってください。私に刺される前に」

「割とありそうなのが怖い!」


ありそうでは無い。これは本気だ。

それを見せつけるため、シャキッとナイフを取り出してみると、アックス様は怯えたように逃げていった。

私なりの冗談である事を分かっているのか、その反応は大袈裟だったが。


そうして、アックス様が去ったあと。

私はふと、気配を感じた。

もちろん、お嬢様達の事では無い。

見覚えの無い、しかし気配を消す事に熟練した相手だ。

位置はちょうど、私の向かいの校舎の太陽の方向。

よもや、アックス様と話す私に嫉妬した令嬢ではあるまい。

相手がどういうものなのかは、領地にいる頃を思い出せば簡単に推測できた。


「居場所はバレていると思いましたが、随分と遅い登場ですね。久々です」


私はため息を一つ。

そして、その次の瞬間にはその場から姿を消した。

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