悪役令嬢はご立腹
合宿から帰還し、更に一ヶ月がたった。
今はお嬢様が春に編入してから、三ヶ月。
つまり、夏が始まろうとする季節になっていた。
優しく暖かかった日差しもいつからか、強いものに変わり、今は私たちの肌をジリジリと焼く。
空には大きな雲がもくもくと膨れ上がり、木々には濃い緑の葉が生い茂っていた。
ジメジメとした雨も終わったことだし、そろそろ衣替えの季節である。
私は今日も今日とてお嬢様のそばに付き従っていた。
とはいえ、合宿前までの距離感ではなく、お嬢様の見えないところにいるところにいるのが多くなったのだが。
今はちょうど昼休み。
お嬢様は殿下と稽古場へと来ていたが、私は木の陰に寄りかかり、その様子を気配だけで伺っていた。
「エレナリア。君、大丈夫かい?」
「殿下、一体何のことでしょう? わたくしは大丈夫ですが」
そうしていると、殿下とお嬢様の話す声が聞こえてきた。
先ほどまで、お嬢様は殿下に付き合って、剣術の稽古をしていたのだが、どうやら今は休憩中のようである。
私はその話が気になる内容だけに、風魔法を使って届く声量を大きくした。
立ち聞きなど趣味が悪いとしか言えないが、今の私にとってお嬢様のことは死活問題なので、この際は仕方がない。
殿下はお嬢様を気遣うように、言葉を続けた。
「本当か? 合宿で君とリオが喧嘩してから、君は元気がなさそうに見える。少なくとも、今の君はとても大丈夫そうには見えない。僕は君のことが心配でたまらないんだ。仲直りをする気はないのか」
「殿下には関係のないことです。ありがたいお言葉ですが、何も心配されるようなことはございません」
「……だといいのだが」
お嬢様の返事は相変わらず素っ気ないものだった。
必要最低限の相手しかされていない殿下の声には落胆が伺える。
これが数ヶ月前のことなら、私も殿下の対応を他人事だと哀れんでいただろう。
しかし、今となっては共感しか抱けないのが、悲しいところだった。
慕っている人に相手にしてもらえないのは、本当に辛いことなのである。
私は最近のお嬢様の言動を振り返って、深いため息を吐いた。
最近はろくな会話も交わしちゃいないのだ。
あるといえば、私が一方的に何かを伝えるのみ。
お嬢様は目線も合わせずに頷くだけだった。
これを会話とは呼ばない。ただの意思確認だ。
それとも、これが主従の本来あるべき姿なのか。
私がひたすら悶々としていると、やがて茂みの向こう側でお嬢様達が立つ気配がした。
そういえば、もうすぐ授業時間だ。
いつもは私が促していたのに、最近はそんなことすら出来ないせいか、てっきり忘れていた。
私はそっと立ち上がると、気配を消してお嬢様のあとをつける。
こうしていると、変質者にでもなった気分だが、それまでの関係に戻れない以上、こうするしかないのだ。
でないと、お嬢様のことが心配でならない。
あれから何かと話すようになった殿下のご友人、アックス様にはことあるごとに過保護だと言われるが、今までずっとそうだったのだから、今更止められるはずがない。
それでも、お嬢様にバレると、会ってすらもらえなくなる可能性があるので、先回りして教室へは戻る。
私も先生達からは特別生徒枠で厳密には生徒ではないものの、一応生徒扱いされているので、授業を受けることは出来るのだ。
私自ら志願したことで、成績も出せたので、今のところは何も問題はない。
例え、お嬢様との関係が変わっても、卒業までは居させてもらえる。
私がちょうど席に着いたところで、カーンカーンと高い鐘の音が鳴り響いた。
授業開始の合図である。その音と共にお嬢様も教室に入ってきた。
ちなみに、殿下は三年生で学年が違うので、当然ここには来ない。
学年を考えない授業は剣術や魔術などの一部の授業のみなのだ。
「はい。授業を始めますよぉ」
そうのんびりとした声で告げたのは丸い眼鏡をかけた、小柄の女性教師・パティ先生だった。
パティは緩いショートボブの髪をフワフワと揺らしながら、教壇の上に登る。
手には分厚い本が握られており、背表紙には『アメリストス王国の歴史』と刻まれている。
昼からの授業、一発目は歴史だ。
パティ先生は歴史が大の好物であり、その柔らかな雰囲気から学園内でも人気の先生だった。
ちなみに、私たちのクラスの担任でもある。
先生は教科書のページを指定してから、こちら側に背を向けた。
そして、何やら黒板に文字を書き始める。
どうやら、今回の授業では建国の歴史について習うようだ。
私もお嬢様もその範囲はきっちり予習済みである。
授業に取り組む姿勢はバッチリだ。
「では、今日は建国の歴史についてやっていきたいと思います。まぁ、この辺は有名なので、今回は当てながらやっていきましょうか。皆さん、知っている人もしっかり聞いておいてくださいねぇ」
じゃあ、初めは……とパティ先生は生徒たちを見回した。
その中で、何人かが気まずそうに目をそらすものの、私はしっかりと先生の方を見つめる。
先生はそんな一部の生徒達に目を細めながらも、彼らを当てるようなことはせず、一番前に座っていた生徒を当てた。
立ち上がったのは金色の髪を揺らす、五大侯爵家の令嬢、クレア様だった。
お嬢様のご友人でもある彼女は成績優秀で、予習もきちんとこなしているに違いなかった。
事実、それを証明するように、堂々と立っている。
パティ先生は早速質問を投げかけた。
「では、クレアさん。まず建国以前の大陸の状況を教えて下さい」
「はい。この大陸ではアメリストス王国建国以前、幾つもの国があり、互いに争いながら暮らしていました。魔物の脅威と人同士の戦争。その二つの戦いで人間は疲弊し、やがて互いに協力し合おうということになりました」
「正解です。古代には大きな国家があった時もありましたが、建国直前は飢饉などが続き、戦乱状態でしたね。良く出来ました。クレアさん、座ってください」
正確に答えて見せたクレア様に教室内ではパチパチと拍手が起こる。
クレア様は優雅に一礼して見せると、席に着いた。
流石はお嬢様率いるご令嬢の中心。
全く隙がない。
私も思わず感心していると、パティ先生が次の話へと入った。
「では、次ですね。次の人にはその代表者名とどうしたのかを聞きましょう。ユリーさん、お願いできますか?」
「わかりましたわ」
次に当てられたのは同じく、お嬢様の取り巻きの一人、ユリー様だ。
彼女もまた、プライドが高く、完璧主義のため、間違えることはないだろう。
ユリー様はよく響く声で、自信たっぷりに答えられた。
「まず、人類を率いることとなったのは、たくさんある国の中でも大きかった三つの国でした。それが今の帝国、王国、連合国の前身となった国だと言われています。代表者は後の皇帝となるガナン・ヴァストレイア。初代国王になる、ルオン・アメリストス。連合国長となるグレン族でした。彼らは互いに不干渉なまま、自分たちの国に人を呼び集め、成長させていきました。これでいいですわよね?」
「ええ。問題ないでしょう。ユリーさん、ありがとうございます」
こちらも、問題は無かった様子。
再び、教室内で拍手が沸き起こった。
ユリー様は当然よね、と言わんばかりに髪を後ろへ払って、着席した。
さて、もうそろそろ建国間近になってきた。
あと残るは、大きな戦争のみ。
そこで、最後にパティ先生の視線が向けられたのはお嬢様だった。
「では。最後に、エレナリアさん。成長していったあとには、何が起こりましたか?」
「戦争です。人がまとまったことで、魔物に対抗できるようになり、余裕が生まれた国々か戦争を起こしました。それが、大陸戦争です」
「いいでしょう。ですが、もう少し聞きますね。我が王国において、その戦争では誰が活躍したのでしょうか?」
「五大侯爵家……つまり、私やクレア様、ユリー様のご先祖様ですね。彼らはアメリストス家に忠誠を誓い、大きな活躍を見せました。もっとも、当時は六大侯爵家でしたが、戦後、そのうちの一つだったロエル家が国を裏切ったことで、現在は一つ減っています」
「文句無し。バッチリです。流石は侯爵家の方々ですね」
パティ先生はニッコリと微笑んだ。
どうやら、優秀な生徒達にご満悦らしい。
数人の居眠りを始めた生徒には目もくれず、目を楽しげに輝かせていた。
すっかりスイッチが入ったようだ。
本当に好きなことには目がない、無邪気な先生である。
こういうところは剣を握った時のお嬢様に似ているな、何てことを考えていると、また今の状況を思い出して、気持ちが沈んだ。
チラリとお嬢様に視線を向けてみれば、お嬢様は相変わらずの無表情を貫き通していた。
ただでさえ表情の変化は少ないが、私と会話しなくなってからはその傾向も著しい。
それだけ、私が嫌になってしまわれたのだろうか……なんて不安が胸中を過ぎり、鉛筆を握る手に自然と力がこもった。
いや、これでいいのだ。
しかし、すぐにそう思いなおす。
これは私が決めたことだ。
例え、お嬢様に嫌われようと、守り抜くという使命を貫き通すと私は決めていたではないか。
それなのに、何を今更。
こんなことくらい、お嬢様が幸せになることに比べたら安い対価だろうに。
「でも……自業自得、というやつでしょうか」
「……では、今にも関連することですが、次はロエル家について。これは、誰に聞きましょうか? 」
それでも、私は分かっていた。
私がお嬢様に依存しきっていることくらい。
こんなんじゃ駄目だってとっくの昔に気づいていたけれど、私は止められずにお嬢様のことを知りすぎてしまったのだ。
その根っこの美しい部分に触れてしまったから、私はお嬢様から離れられないでいる。
最早、手遅れなのだ。
「じゃあ、リオさん。ロエル家について説明してください」
なら、謝るべきなのだろうか。
意思を貫き通した上で、お嬢様と元の関係に戻れたのなら、それが最良だとは思う。
けれど、お嬢様がそんな中途半端な答えを受け入れてくれるとは到底思えなかった。
どちらが折れない限り、関係を修復することは不可能だ。
そして、どちらにも譲る意思がないのは明白。
完全に行き詰まり状態といえるだろう。
「リオさん?」
ううん、なんとかならないのだろうか。
いっそ、納得したふりをして、頷く?
いや、駄目だ。次にあんなことをしたら、本格的に会ってもらえなくなる。
そんな危険は犯せない。
じゃあ、泣き落とし?
……お嬢様があっさり見ないふりをする未来が見えたような気がした。
「ううん。斯くなる上は実力行使……」
「リオさん! きいてますか?」
お嬢様が頷くまで、稽古をつけようか。
などと、物騒なところまで考えが至り始めたところで、不意に耳元で大きな声がした。
次いでパコーン、という音とともに、脳天に軽い衝撃が走る。
「痛っ!?」
一体何事だ、と顔を上げてみると、そこには困った顔でこちらを見るパティ先生がいた。
手には丸められた教科書が握られており、それで私を叩いたのは明らかだ。
気がつけば、教室中の視線がこちらに集まっていた。
考え事をしていた為に、当てられていたことに気がつかなかったらしい。
普段は犯さない失態であるがゆえに、顔に熱が集まるのを感じた。
それでも、一番に脳裏を過ぎったのは、お嬢様に恥をかかせてしまうかもしれない、だったのだから私も救え無い。
私はパティ先生に頭を下げながら起立した。
周囲からはクスクスと笑い声が聞こえた。
本当に恥ずかしいやら、申し訳ないやらばかりだ。
そんな私に、先生は反省していると察したのか、それ以上叱ることはなかった。
それが逆に申し訳なくて、罪悪感が胸に溢れる。
パティ先生は本当に優しい先生だ。
「すみません」
「気にしないでください。日頃、リオさんは優秀ですからね。一度くらいボウッとすることくらいでは、そう怒りませんよぉ。人間、そういう時もあるでしょうし。とにかく、ロエル家の説明をお願いします」
ああ、質問はあの家のことだったのか。
それはなんとも、偶然だ。
私は今更、教科書を見るまでもなく、その答えを知っていた。
「ロエル家……かつて、平和になったアメリストス王国に戦争をもたらそうとした、反逆者たちのことです。侯爵家のうちのひとつでしたが、その隠謀が漏れたことにより、追放を受けました。そして、今でも殺人や後ろ暗いことに手を染めているといわれている組織でもあります」
「上出来です。答えとしては百点満点です」
パティ先生はすらすらと述べた私の答えに、満足げな表情でニッコリと笑った。
同時に授業終了のチャイムが鳴り響く。
その音と共に、先生は教科書を閉じた。
生徒たちも次の授業へ向けて、そわそわと動き出す。
そんな彼らに、先生が待ったをかけた。
「待って下さい。次の授業へ行く前に、テストについての連絡があります」
テスト。
もうそんな季節なのか。
私はそのワードを聞いて、お嬢様が学園に来てからそれなりに経ったことを思い返した。
かれこれもう三ヶ月。
早いとも、遅いとも言える時間である。
私は思わず、感慨深くなっていたが、周囲の生徒たちにとってはそうではない。
出来れば避けたいと思う、面倒臭いことである。
多くの生徒は憂鬱そうにテストまでの日にちを数えていた。
パティ先生も生徒たちの心境を理解し、苦笑しながらもその連絡を告げた。
「テストなんですが、今年は私の歴史のように、座学でのテストはもちろん、実技教科もテストされることになりました。剣術はこのあいだの合宿を評価の一部に加えるので、いらないそうですが、問題は魔術です。このクラスでもほとんどの生徒がとっていると思いますので、きちんと説明しておくべきでしょう。もちろん、魔術の先生からの連絡もあるでしょうが、確認も兼ねて、大まかなことが決まりましたので、伝えておきます」
曰く、魔術は課題提出で評価されるのだとか。
二年生の課題は魔術による演技、だそうだ。
なんでも、魔術を使って何かしらを表現したり、戦ったりして、魔法の美しさを競うらしい。
というのも、こうなったのは秋に学園のある王都で行われる平和を喜ぶお祭りの一環として、「芸術祭」が開かれることに起因する。
毎年開かれる芸術祭では、その年でテーマが決まっており、今年は平和百周年を記念してテーマは「未来を担う若者たちの可能性」なのだ。
百年平和が続いた今、見るべきは新しい境地、つまりは未来、ということ。
それで、この学園も芸術祭に参加するようにとの申し出を受けて、今年は魔術と芸術的な意識を高めるためにテストを行う、というのが先生の話を要約した結果だ。
「ですので、皆さんには努力していただかなくてはなりません。もちろん、学校としての誇りとか、名誉とかそういう部分もあるでしょうけど、やはり一番はあなた方のためです。あなた方の中にはこれから先、この国の未来の大きな責任を持つ者も現れるでしょう。ここには貴族が多いので、当然のことです。貴族として生まれてきた以上、逃げられない責任があなたたちには伴っています。酷なことを言うようですが」
先生の言うことは紛れも無い真実だ。
生徒たちもそれがわかっているのか、シンと静まり返って、一心に先生の話に耳を傾けている。
それだけ、これは現実味のある重い話だということだ。
それはもちろん、お嬢様も例外では無い。
お嬢様もこのままいけば、いつかは永久の騎士を見つけ、結婚相手を見つけ、侯爵家の一員として様々な役割を果たしていかなくてはならない。
それは幾ら領地を離れ、今は責任から一時的に逃れていようと、いずれは降りかかってくる義務だ。
本当ならば、私如きのことで色々と考えてくださるべき方ではない。
他にもっと考えていただかなければいけないことがある。
だから、先生の言うことは当てはまっているのだ。
そして、私も私である。
いつまでもお嬢様の優しさに甘えていてはいけないのだ。
嫌われるだの、会えないだのと、言っている場合ではない。
従者たらんとするのであれば、相応の覚悟を決め、徹底的に従順であるか、嫌われても守り通すか、二つに一つ選ばなくてはいけないのだ。
それが出来ない私は侍女失格なのである。
だから、先生の言葉は私にも強く響いた。
先生はいつものノンビリとした口調を崩し、淡々と言葉を続けた。
「ですから、大切なことは自分を磨くことです。それは自分や周囲の人を守ることになります。大人の貴族社会では汚れたことがそれこそたくさんありますから、賢く立ち回らねば、いつか潰されてしまう。残念なことですが、いくら平和な国でも……いや、平和だからこそ水面下の戦いは激化しているのです。その中で、あなたたちがどう動くか。歴史を作るのはいつも思い切った行動ですが、必ずしもそんな生き方をする必要はありません」
例え、臆病者と罵られようとも、あなたが選んだ道なら胸を張れば、いい。
先生はつまり、そういうことを言っているのだ。
瞳には強い力が宿り、どれだけ生徒のことを思っているかが伺える。
張り詰めた空気の中、先生は最後にまとめるように言った。
「けれど、もし確固たる信念があり、それが成し遂げられる自信があるのなら。もし、確信がなくとも、それを上回る意思があるのなら。あなたはそれを全力で成し遂げてください。それはあなたがあなたでいられるために必要なことですから」
先生は微笑んだ。
いつもは「可愛い」と形容される、その笑顔は今日に限って、少し大人びて見えた。
もしかしたら、先生も何かあったのかもしれない。
それでも、先生が笑うと、空気は一変して和やかになった。
まるで糸が切れたように、フワリと柔らかい空気がその場を包み込む。
先生は僅かに残った気まずさを、パンパンと手を叩くことで払拭した。
「えっと、私らしくもなく、シリアスな話をしてしまいましたねぇ。テストの話をしていたのに、なんだか、卒業式みたいです」
えへへ、と照れ笑いする先生はいつものパティ先生だった。
口調もノンビリと間延びしたものに戻っている。今までの真面目な表情は何処へやら。
でも、それが一番安心できた。
これこそ、パティ先生、とでも言いたくなるような、そんな感じだ。
気がつけば、休み時間も残り僅か。
先生は慌てたように、小さな身体でピョンピョンと飛び跳ねた。
生徒たちを次の授業に向かわせる為に、追い出すようにして急かす。
「というわけで、皆さん。テスト頑張ってくださいねぇ。次の授業へ急いで!」
私も教科書を揃えると、そそくさと廊下へと出た。
次は移動教室なのだ。
同じく廊下に出てきたお嬢様を少し離れたところから、見守る。
その周りをユリー様たち、他の侯爵令嬢の方々が取り巻いていた。
「さて、私も色々と決めなくてはならない、ということですか」
「そのようですね」
その様子を見ながら、先生の言葉に痛感したことを小さな声で口に出す。
主に自分に言い聞かせる為だったが、その背後に人が立ったことで、聞かれてしまった。
別に聞かれて困るようなことではないが、相手が相手なだけに、無意識のうちにピクリと肩が震える。
振りかえってみれば、そこには堂々たる威容でまっすぐと立つ、金色の侯爵令嬢がいた。
「……クレア様」
「御機嫌よう、リオ」
クレア様は上品に微笑むと、ただの侍女でしかない私に挨拶してくれた。
私はそのことに慌てながら、挨拶を返す。
先に挨拶できなかったのはまさか、私に用があるとは思いもしなかったからだ。
思わず首を傾げていると、クレア様はその用を告げた。
「少し、あなたと話がしたいの。時間、大丈夫かしら?」
「私は構いませんが、もう直ぐ次の授業が始まりますよ?」
そうだ。
まだ、この後は二つほど授業が残っている。
私が休むことはともかく、クレア様は優等生だ。
あまり、授業をサボるようには見えない。
しかし、クレア様は予想に反して、私の問いに首を縦に振った。
「平気よ。来てくれるかしら」
そう言われれば、私は元より断る術がない。
そもそも、クレア様が実はいい人であることを私は重々承知しているし、喜んで従うつもりでもあった。
だが、クレア様の後に着いて歩き出そうとして、ふとお嬢様のことが気になった。
学園の中だし、大した危険がないのは分かっている。
けれど、お嬢様に何も告げずに離れることは初めてで、なんとなく気になってしまった。
お嬢様はご友人に囲まれながら、次の授業の準備をしている。
あれならば、何も心配はないはず。
もし、何かあったとしても、この間の失態から何が起こっても平気なように、策だって色々講じている。
だから、絶対に大丈夫。
大丈夫なはずなのに。
「この不安は、なんなのでしょうね」
人知れず溢れたつぶやきは、今度こそ誰に聞かれることなく、消えた。
知らないうちにお嬢様が遠くに行ってしまうような気がして、その思いは私の心をキュッと締め付ける。
私はそれを振り払うようにして、足を踏み出した。
たとえ、そうだとしても、私には引き止める権利などあろうはずもないのだから。
「ここよ」
しばらくして、連れられたのは人気のない廊下の隅だった。
どうやら人には聞かれたくない話らしく、私はそのことに僅かばかり緊張した。
なにせ、こうしてクレア様と一対一で話すのは初めてクレア様と会った「あの日」以来なのである。
クレア様の表情が真剣なのも相まって、緊張するなという方が無理だった。
もちろん、お嬢様の侍女として、いつだって平常心は忘れないが。
私たちは数瞬見つめ合った後、クレア様がやがて口を開いた。
そして、こう聞いた。
「あの話を、どう思いましたか?」
「どう、とは」
「先生があの話をした理由はなんなのか、そしてあなたはどう思ったのかということです」
なんだ、そんなことか。
私は正直、拍子抜けしてしまった。
そんな簡単なこと、聞かれる間でもない。
それはあの時の先生の顔をみれば、一目瞭然だ。
だが、同時にわからないこともあった。
それは、何故クレア様はそんなことを私に聞くのか、ということ。
こんなことくらいなら、クレア様が聞ける相手などごまんといる。
わざわざ呼び出してまで、私に聞くようなことでもないのだ。
だから、私は直ぐに答えることはせず、真意を確かめることにした。
「クレア様、その前に教えてください」
「なんでしょう?」
「お嬢様に何をさせようとしているのですか?」
「わかりますか」
半分は確信、半分はハッタリで放った言葉はどうやら、当たったらしい。
クレア様は当てられることを予想していたのか、特に戸惑う様子はなかった。
むしろ、当ててくれたなら、話は早いと言わんばかりである。
クレア様が全く動じないことに、私は自然と表情が険しくなった。
「どういうつもりです?」
「別にエレナリア様を害そうというわけではありません。逆に助けようとしているくらいなのですから。その中で、あなたには知っていてもらいたいことがある。それだけなのです」
「つまり、私がお嬢様の傍にいるにふさわしい者かどうかを見極めたい、と」
「そういうことです」
とりあえず、お嬢様に直接被害がでるようなことはなさそうだ。
詳しいことは教えるつもりがなさそうだが、取り敢えずは従った方が良いのかもしれない。
下手に出て、お嬢様にまで迷惑をかければ、それこそ元も子もないのだ。
私は一つため息を吐くと、始めの質問に対する見解を述べた。
「今、この国の貴族は腐っている、とでも伝えたかったのでしょう」
「当たりです。今の時代、侯爵家すら腐っている」
「ええ。そして、この学園もまた然り。平和が長すぎる故に、この国は戦うことを止めた。そのせいで、協調性は失われ、己の利益ばかりを見るようになった。今や民は苦しい生活を強いられている」
「なら、あなたは戦が必要だと思いますか?」
私はクレア様の質問に、少しの間沈黙した。
暫し、黙考した後で、首を横に振る。
戦は簡単なことだ。
けれど、必ずしもその後を変えられるとは限らない。
暴力に任せた痛みは一時的なものだ。
いつかはまた同じことを繰り返すだろう。
「いえ、それはロエル家と同じ轍を踏むことになるだけです。必要なのは、新たな指導者。いわゆる、先生の言う強い意志を持つ者です」
「……やはり、あなたは賢い」
「認めていただけましたか?」
「十分すぎます」
クレア様は唸るように頷いた。
悩ましげに目をつむり、こめかみをトントンと指先で叩く。
反応を見るに、無事正解を引き当てられたようだ。
クレア様は観念したように、言った。
「仕方がない。合格です。これ以上、黙っていることも出来ないでしょうし、あなたにこのことを聞いた理由、教えましょう」
クレア様はゆっくり首を振ると、顔を上げた。
私と視線が合うと、その瞬間とんでもない爆弾を落としていった。
「お願いがあります。あなたにはエレナリア様と殿下を引っ付けて欲しいのです。ええ、それはもうラブラブに」
「えっ……と?」
「これが殿下とエレナリアが今日の放課後、会う場所のメモです」
「いや、そうじゃなくて、一体」
「では、よろしくお願いします。あなたの覚悟、見せてもらいますね?」
クレア様は一方的に言うだけ言って、不敵に笑うと背を向け、去っていった。
ただ一人、呆然と立ち尽くす私を残して、颯爽と。
その後、私の凄まじい絶叫が静かな廊下に響いたのは言うまでもない。