悪役令嬢、トレイアの森にて
「ほぉー、これがかの有名な悪役令嬢様とはね」
「……どちら様?」
殿下から合宿の班に誘われて、約二週間後。
私とお嬢様は馬車に乗り、合宿地へと向かっていた。
今日の空は青く澄み渡り、優しい風が吹いている。
外の景色はのどかな緑の草原が広がっており、学園からかなり遠ざかったことを思い知らされる。
目的地は国の中心にある学園から西。
雄大な山々が連なるフォーレ山脈の麓、トレイアの森だった。
馬車に揺られること、かれこれ数時間。
朝早くに出たはずなのに、既に日は高く昇っている。
途中、休憩するために数回馬車を乗り換え、今はまさに最後の休憩を終えて、出発しようというところだった。
休憩の後の馬車は適当に乗っているため、同乗者の顔ぶれは毎回違う。
その相手は気まずそうだったり、怯えていたり、はたまた媚びを売ってきたり。
態度は違えど、同じ空間で過ごすにはあまりいい心地とは言えないものばかりだった。
「アックス、彼女をそんなにじろじろ見るんじゃない」
「わかってるよ、殿下。ただ、想像以上に美人だったからさ」
だが、最後の同乗者はなんと、殿下だった。
その横には見覚えのない少年もおり、彼の方はお嬢様を見るなり、不躾にもまじまじと眺めてくる。
殿下はその少年と仲が良いのか、それを軽い調子でたしなめていた。
少年は反省する様子もなく、お嬢様に絡み始めた。
「あなたがエレナリア嬢! ああ、なんて美しいんだ。赤い髪はさながら戦の女神のよう。気の強そうな目元もとても魅力的だ。ああ、エレナリア嬢。どうです? 俺と一緒にお茶でも」
少年は何を思ったか急に口説き始めた。
確かに、色素の薄い亜麻色の髪に緑の瞳をした彼の容姿は整っている。
しかしながら、ちゃらちゃらとした身なりや、情けなく緩んだ表情は明らかに女たらしとわかるもので、どうも残念な感じが否めなかった。
これにはお嬢さまも眉を顰めて、いきなりきつい調子で話し出す。
私もその後ろであきれ返るしかなかった。
こんなことをすれば、殿下の怒りを買うだろうに。
「あら、誘うなら、まずは名前を名乗りなさいよ。わたくしの言葉もろくに聞かないなんて、本気なのかしら?」
「いやいや、もちろん本気に決まってますよぉ。きちんと、名乗りますんで。ええっと、俺は茶の蕾の紋章、ラヴィア伯爵家の次男、アックスです。以後お見知りおきを、今噂のお嬢様?」
「ラヴィア伯爵家のアックス様、ね。わたくしも一応知られているとは思うけれど、名乗っておきましょう。赤き花の紋章、ルルーシュ家の長女、エレナリアよ。以後、良しなに。女たらしさん?」
「おおっ、やっぱり生はすごいな」
「おい、アックス。いい加減にしてくれ」
お嬢様の毒舌にアックス様は楽しそうに笑うだけで、それどころか喜んでいた。
全く、彼は美女なら誰でも良いらしい。
女たらし、とはいかにもである。
だが、それを許さないのが殿下だ。
好きな女性を他の男に口説かれていい思いをするはずもない。
始めのころとは違い、低い声でアックス様の肩をたたいた。
あれからというもの、殿下はなにかとお嬢様にかかわるようになり、他の男が少しでも近づこうものならすぐに不機嫌になった。
今まで誰にでも微笑んでいた殿下とは思えない行動だ。
よっぽどお嬢さまのことが好きになってしまったらしい。
学園では最近、もっぱらの噂になっている。
殿下はその思いを隠すことなく、自信たっぷりに宣言した。
「エレナリアは僕が落とす。お前にはやらないぞ」
「ゲッ、本当だったのかよ。悪役令嬢に誑かされてるって噂」
「誑かしているとは人聞きの悪い。わたくしはそんなことしていませんわ。むしろ、誑かしているのは」
「僕のほう、かな?」
「いや……まさか。今までどんな美女にも振り返らないが故に、男色と疑われていた殿下が?」
「ええ。最近必要以上に絡まれて迷惑なのよ。虐められるのが好きなお方なのかしら」
この方々、王子に対してまるで遠慮がない、と思ったのは私だけではないだろう。
殿下も散々な言われように顔を引きつらせていた。
だがまぁ、冗談を抜きにしても、アックス様は相当驚いたらしい。
殿下の顔とお嬢様の顔の上で視線を何度も行き来させて、信じられないといった様子だ。
いくらアックス様が殿下のご友人でも殿下は今まで浮いた話が一つもなかったし、当然といえば当然だ。
「エレナリア、そういうわけではない。君だから、なのさ」
「さぁ、どうなんでしょう。王子という立場故、虐められることもなかったでしょうから、わかりませんよ?」
「いいや。僕自身のことだ。君だけが特別なんだ。それくらいわかっているつもりだよ」
「うわ、甘い。言うことがベタすぎる」
「アックス。君は静かにしてくれないか? 僕はエレナリアと話をしているんだ。邪魔しないでくれ」
茶々を入れるアックス様に、殿下から厳しい言葉が飛ぶ。
本当にお二人の間には遠慮がない。
長い付き合いを伺わせるやり取りだ。
とはいえ、恋は盲目。
今の殿下の視界にはお嬢さましか映っていない。
この二週間、私にとっては見慣れつつある光景だが、殿下のアプローチは相も変わらず激しかった。
「今日の君も美しい。装備も合宿のために新調したようだね。よく似合っている」
「お褒めの言葉をどうも。でも、それで落ちるほど軽い女じゃないわよ?」
「つれないな。でも、わかっているよ。僕はただ思ったことを口に出しただけだ」
ひたすら甘い言葉を重ねる殿下に、素気無くあしらうお嬢様。
そして、二人の間に入っていけず取り残された私とアックス様。
アックス様はひたすらお嬢様に話しかける殿下を白い目で見ながら、今度は私の元へやってきた。
「君、銀色の妖精だよね。殿下はいつもああなの?」
「まぁ、そうですね。あんな感じです」
「うわぁ、あの殿下がねぇ。……そういや、君の名前は?」
「口説くなら教えませんよ」
「君も遠慮がないよね、全く」
「これでも立場は弁えているつもりです。アックス様はこれくらいで怒るようなお方ではないでしょう」
ただ、男に口説かれるのは好きじゃない。
それだけだ。
私にはお嬢様の身を守るという使命がある。
そんなことには全く興味がない。
とはいえ、自分でもこの容姿が優れていることくらいわかっている。
このいかにも女たらしなアックス様には防御線を張っておくべきだった。
しかし、アックス様はお嬢様の時のように口説いたりはせず、首をかしげるだけだった。
「まぁ、間違っちゃいないけど……でもね。君はなんとなく、口説こうと思えないんだよなぁ」
「なんです、私が不細工とでも?」
「そんわけないよ。君は正直、美人だ。銀の髪はまるで星屑のように輝いているし、青い瞳もまるで空を映したかのように美しい。容姿は完璧だ。でも、なぁ」
「でも?」
「なんか、口説いた瞬間、君には殺されそうだ。不気味な寒気がする、とでも言えばいいかな。そんな感じ。だから、君には手を出さないでおくよ」
「賢明な判断です。その感覚を大事にしてください。そしたら、長生きできますよ。きっと」
このアックス様、なかなか鋭い。
私は内心、ひそかに感心していた。
私の正体を無意識のうちに感じ取っているとは、結構センスがありそうだ。
殿下も彼がそばにいれば、賢く立ち回れるに違いない。
一見見た目は軽そうだが、殿下がそばに置いておく理由がわかったような気がした。
将来は大成しそうなタイプだ。
しかし、今はまだ発展途中なのか、私の忠告に不思議そうな顔をしながらも、それ以上は聞かなかった。
代わりに、違うことを尋ねてくる。
「まぁ、いいか。で、名前は?」
「リオ、です」
「リオ、ねぇ。わかった。覚えておくよ。君も中々に面白そうだ。また、話をしよう」
「いいのですか? 私はただの侍女ですよ?」
「そんなの気にしない。俺だって、どうせ次男でしかないし。面白いやつとは関係を持つって決めているんだ」
「なるほど。わかりました」
私も普段はお嬢様以外の他人に興味を抱くことはあまりないが、アックス様は少し面白いと思えた。
関係を持つことで、何かしらお嬢様の助けになるかもしれないし、損にならないはずだ。
敵に回したくない人物でもあるし、せいぜい仲良くできたらいい。
私達が手を握り合い、お嬢様が無表情で殿下をあしらっているうちに、馬車はどんどんと目的地であるトレイアの森に近づいてきていた。
草原だった風景にもやがて、木が混ざり始め、森へと移り変わっていく。
トレイアの森。
そこは魔物の出る奥深い森として有名だった。
森は三層に分かれており、奥に入るにつれ出現する魔物は凶暴かつ凶悪になっていく。
稀に空気中の魔力が過剰に一か所にたまってしまうことで、起こる邪悪な魔力。
この森はどうしてかその魔力が多く、そこにいる生物を凶暴化させてしまうのだ。
そして、生まれるのが「魔物」。
その多くが通常の生き物とは違う、鋭い牙や大きな魔力を持っている。
魔物の中にはずる賢い知能を持つものや、大きなドラゴンなんかもいて、非常に危険な生物だ。
森の第一層、入口に近い当たりの森ではそう経験がなくても倒せる弱いものが多いが、二層になると訓練が必要になってくる。
第三層は専門の知識がある者でないと、一歩も動けないほど危険だ。
この世界には少し辺境に入ると魔物が跋扈している。
今は国の騎士団が討伐してくれているため、被害は少ない。
しかし、何十年かに一度、危険な魔物が人里に降りてきて、街を一つ破壊するなんてこともあった。
これは滅多にあることではないが、それでもごく稀に起こることのある一種の災害である。
とはいえ、今はおおむね平和だ。
戦争も魔物の脅威も今のところはない。
今回の合宿も第一層と第二層の間で行われるため、危険度はさして高くないはずだ。
まぁ、お嬢様の剣の腕なら第三層に入ったとしても、生き延びることくらいは出来るだろう。
その前に、私がそんな事態にはさせない。
私たちが馬車を降りると、そこは森の入口だった。
ローナ先生が生徒たちを集めて、野営の準備をするように指示する。
野営の仕方は授業で何回かさせられたので、出来ないものはいなかった。
あるといえば、貴族のお坊ちゃまのうちの数人が野営を嫌がったことくらいか。
それでも、ローナ先生に社会勉強だと叱られると、渋々ながら従っていた。
ここで頷かないなら、まず剣術の授業を取っていないものが多いので、彼らもまだ比較的素直だ。
それから、班の顔合わせをした。
私たちの班は私、お嬢様、殿下、アックス様。それと、騎士家系の男女が一人ずつだった。
女騎士の女生徒はいかにも生真面目といった風貌で、きりりと意志の強いまなざしで、敬礼した。
「エレナリア様、お初にお目にかかります」
一方。
男子生徒のほうは気弱な感じを受けた。
それでも、剣の腕は良いようで、足取りにはそれがうかがえる。
彼はぺこりとお辞儀した。
「初めまして。よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますわね、お二方?」
お嬢様もそれに軽い挨拶を交わして、互いに自己紹介をした。
彼らはとても素直な人達で、悪役令嬢と呼ばれるお嬢様とも対立するようなことはなかった。
むしろ、彼らは正義感が強い人たちでもあるので、クレア様たちと一緒にいる時以上の和やかさだと言える。
やっぱり殿下もアックス様とは違う意味で人を見る目がおありのようだ。
殿下が信用される方は優しく素直な方ばかりだ。
そんなこんなで顔合わせが無事に終わると、周りも打ち解け始めたのかガヤガヤと騒がしくなった。
ローナ先生がそれを厳しい声で収めながら、今後の予定を話し出す。
彼女の背後には屈強な男が五人が立っており、彼らはこれから話すであろうことにどうやら関係しているようだった。
「静かに。君たちに紹介したい人達がいる。よく聴きたまえ」
「王国騎士、だな」
背後でポツリと呟いたのは殿下だった。
私もそれに頷く。
銀色に輝く甲冑を身に纏ったその姿を見れば、彼らの正体は明白だった。
そもそも、ローナ先生は王国騎士であるので、親しげなところを見るに、簡単にそれを察することができる。
殿下に至っては顔見知りもいるそうで、間違いなかった。
彼らはローナ先生に前へ出るように促されると、一歩足を前に踏み出した。
顔に傷がある者、眼帯をしている者、豪快な笑みを浮かべる者とその様子は様々だったが、彼らは一様に逞しい肉体を持っていた。
放たれる気迫もここにいるお坊ちゃん方にはどうしたって敵わないほど凄まじい。
まるで見る者を威圧するような、鍛え抜かれた鋭い風格が彼らには備わっていた。
恐らく、年齢を見る限りだと引退寸前のベテラン騎士と言ったところか。
なかなか侮れない相手だった。
「紹介しよう。私の先輩で、数々の戦いをくぐり抜けてきたベテランの王国騎士の方々だ。今回は君たちの護衛と訓練をして下さる。経験豊富な方々ばかりなので、多くのことを学べるだろう。私の先輩でもあるので、傲慢な振る舞いは控えるように」
ローナ先生はそう言って、先ほど文句を垂れていたお坊ちゃん方の方を振り返った。
彼らは少し罰が悪そうに肩を竦めながらも、目は憧れの騎士を前にしてキラキラと輝いている。
この辺りは、やはりこの授業生だ。
すると、騎士たちの内の一人が代表して更に前へと出た。
その如何にも好々爺といった感じの騎士は生徒たちの熱烈な視線を受けて苦笑いしている。
彼はそれでも威厳を保ったまま、張りのある大声を出した。
「はは。熱烈な視線をどうも。俺は第三騎士団所属のギルだ。今回は我らが騎士団の誇る優秀な後輩のローナに頼まれて、引き受けた。よろしく頼む。今年は優秀な生徒もいるようだし、期待している」
そこで、彼の視線が一瞬お嬢様に向いたような気がした。
敵意のあるものではなく、希望に満ちた目だ。
恐らく、ローナ先生に事前に優秀な生徒だと教えられていたのだろう。
その他、殿下や騎士シャインにも同様の視線が向けられていた。
「さて、これからだが。森に入る前に君たちにはテストを受けて貰いたいと思う」
ローナ先生は騎士の自己紹介が終わると、そう切り出した。
周囲は突然テストと言われて、動揺し出す。
その一方で、私たちの班はとても落ち着いていた。
このテストは予め、お嬢様が予想されていたからだ。
森は危険だ。
その中で、未来ある若者の命を高々学校の実習で落とさせるわけにはいかない。
特に、この学園には貴族が多いし、尚更だ。
詳しく生徒たちの実力を図り、安全なところまで行動を制限する必要がある。
しかし、意外だったのはテストの相手が生徒同士ではなく、ローナ先生、または騎士たちであったことだ。
正確に生徒の実力を測るには確かに良いが、なかなかあることではない。
生徒たちにとってはまたとない貴重な経験である。
お嬢様にも流石にやる気のスイッチが入ったのか、僅かに顔色が変わった。
本当に、僅かだが。
その証拠に彼らを一瞥したのち、私に問いかけてきた。
「リオ、彼らは強い?」
「そこそこの実力はあるでしょうね。お嬢様でも苦戦されるかもしれません」
「勝てる見込みは?」
「五分五分、でしょうか」
「リオは……」
「それはもちろん、勝ちますよ」
「ええ。そうよね」
そう思ってた。
と、お嬢様は何処か誇らしげに私を見た。
オレンジ色の瞳がミリ以下の単位で動き、細められる。
私はお嬢様の期待を受けて、深く頷いた。
もうそろそろ私たちの班の出番だ。
お嬢様は最後に力強く言った。
「絶対に、勝つから」
「信じています。お気をつけて」
コクリ、と返事を返すと、お嬢様は颯爽と私の元を歩き去った。
その背中には今までとは違う獰猛な気配が纏わり付いている。
完全に戦闘モードだ。
勝ってやるとの気概に満ち溢れていた。
これは、私も負けていられないな。
と、私は腰に差していたタガーを二本抜き出した。
そして、サッと振り向く。
そこには、キュッと引き締まったしなやかな体つきをした、レイピア持ちの女性。
すなわち、ローナ先生が立っていた。
ローナ先生はタガーを緩く構える私に、軽く目を見張ると一歩後ずさった。
「君はエレナリア様の侍女、だったかな」
「はい。その通りでございます」
「それにしては、随分と戦い慣れているようだ」
「もちろん。私はお嬢様を守るためにここにいますから」
「ははっ、全く隙が見えない。こんなものが紛れ込んでいるとは思いもしなかった」
ローナ先生の顔は引き攣っていた。
あまり強さは見せないでいるつもりだったが、お嬢様にすっかり感化されてしまったらしい。
久々に、やる気が漏れ出してしまった。
私は気持ちを押さえつけるようにして、漏れ出た覇気を押さえ込んだ。
途端、ローナ先生の表情が軽くなる。
うん、殺しあうわけではないのだから、これくらいで良いだろう。
私はローナ先生に目を合わせた。
彼女はさっきのことで臆することなく、真正面から見返してくる。
流石は経験のある騎士だ。
立ち直りが早い。
「では、先手はどうぞ」
「……どこまで通用するかはわからないが、いかせてもらうっ!」
ローナ先生は睨み合いの時点で、私の方が格上だと判断したらしい。
私が譲った先手を遠慮なく取ってきた。
レイピアの先をしならせ、鋭く食い込んでくる。
その素早さはお嬢様をも超えていた。でも。
「まだ、遅い」
私は最小限の動きだけでそれをかわし、レイピアを弾いた。
ローナ先生は体勢を崩しながらも、軽やかな身のこなして軽く放った私の反撃をかわす。
動きは洗練されていて、無駄がない。
お嬢様がパワーだとしたら、ローナ先生はスピードに特化している。
経験を生かした戦い方、と言うべきか。
ローナ先生は攻撃をかわした時に踏み込んだ足をそのまま転用し、さらなる攻撃を繰り出してきた。
一度防がれても気落ちする様子がなく、強気な攻めができている。
私はそれをまたも払い落としながらも、内心息巻いていた。
彼女は想像以上に強いかもしれない。
一度、そこで私はローナ先生から距離をとった。
ローナ先生はそれが罠だと感づいたようで安易に追撃に出るようなことはしない。
冷静な判断だった。
私は素直に賞賛を送った。
「ローナ先生、私はあなたを侮っていたようです」
「何を。簡単に私の攻撃をかわしておいて」
「いえ、本当ですよ。確かに、勝てないというわけではありませんが」
手の中でクルクルとタガーを回し、グリップを逆手に持ち変える。
いつも、お嬢様を相手にする時の持ち方だ。
つまり、ハンデなしの戦いをする、という合図でもあって。
「ですから、少しやる気を出します」
「なっ……」
ローナ先生が声を上げた時には、もう遅かった。
私は既に開けていたはずの距離を詰め、ローナ先生の懐へと潜り込んでいた。
鞘をつけたままのタガーを一気に振り抜き、ちょうど心臓あたりを狙う。
一歩も動くことのできなかったローナ先生は簡単に吹き飛ばされ、地面に倒れこんでしまった。
ケホケホと咳き込みながら、うめいている。
あっけなく見えるが、これで勝負あり、だ。
「私の勝ち、ですね」
「ゲホッ、その、ようだ、な」
「大丈夫ですか?」
苦しそうに咳き込むローナ先生に、少し強すぎたかと反省しながら、私は手を差し伸べた。
ローナ先生はその手を取って立ち上がる。
そこには清々しく、諦めの表情があった。
彼女にとって、良い経験になっただろうか。
「強いな。君は。まさか生徒に負けるとは思わなかった」
「正しくは私は生徒ではないのですが。でも、まぁそうですね。お嬢様なら危うかったかもしれません」
「なるほど。君のような侍女がいれば、エレナリア様も強くなるはずだ」
ローナ先生は納得したように、お嬢様の方を見た。
ちょうどそこには倒れこむ騎士に剣を突きつけるお嬢様の姿があった。
どうやら、騎士に勝ってしまったらしい。
地面にひれ伏す騎士はよほどショックだったのか、呆然としていた。
ただのお嬢様と思っていた生徒に負けてしまったのだから、その気持ちは分からなくもない。
お嬢様はこちらの視線に気がつくと、スッと爛々と光らせていた瞳から色を失わせた。
かと思えば、これでも喜んでいるようなのだから、全く分かりにくい人である。
お嬢様は私の元へと近寄ってくると、どうよと言わんばかりに軽く胸を張った。
「おめでとうございます」
「まぁ、当然ね」
「君たちは本当に凄いなぁ」
他の集まってきたメンバーも勝ったと聞けば呆れかえっていた。
騎士見習い二人も、目を白黒とさせていた。
とはいえ、全員いい戦いをしていたそうなので、このレベルの高さに驚いていたのは王国騎士達だったりする。
ローナ先生は通常のA判定以上のS判定をくれた。
「君たちは本当に強いよ。今回の合宿もある程度の自由を許そう。二層のどこでも自由に動いてくれて構わない。ただ、わかってはいると思うが、三層だけには立ち入らないように。あそこは専門の知識がなくては、強さだけじゃどうにもならない場合があるからな」
「わかりましたわ」
「それと、全員に言うことだが……」
絶対に無理はしないこと。
ルールは厳守すること。
また、怪我をした場合は魔物が血の匂いに敏感なので、すぐに引き返してくること。
ローナ先生はその三つを繰り返し伝えると、明日に備えて準備するように呼びかけた。
生徒達もそれに従い、夜ご飯を作り始める。
今日は長旅と憧れの騎士と戦えたことで、みんな疲れているようだった。
最早、文句を言うものすらいない。
全てが平和に夜が始まろうとしていた。
だが。
「リオ?」
私がふと不気味な視線を感じて立ち止まっていると、お嬢様が呼びかけてきた。
私は気配と位置、込められた感情を把握しながら、なんでもないようにお嬢様に返事をした。
別に、お嬢様の気にすることではない。
まだ、向こうがどう出るかはわからないし、いざとなれば私がどうにかすればいいのだ。
そう思って、私はお嬢様の元へと駆け出した。