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巡る春と永遠の約束 〜流転〜

エピローグの前編です。

春が、またこの世界にやってきた。

まだ冷たさの残る風を受けて、暖かい太陽の光を浴びて、僕はふと思った。

今まで無心で振り続けていた剣の先が僅かにぶれる。

ここ数ヶ月、一度もそうなった事などなかったのに、その気づきは僕に大きな動揺を齎していた。

僕はそのことに自分自身、驚いて、思わず手を止めた。

すると、その瞬間、男の厳しい叱責の声が飛んだ。


「おい、ナイト! お前は何をぼさっとしている!」


眉を顰めて僕を叱ったのは王国騎士団長である、フェルナンド・ガイアレス様だった。

前騎士団長が引退し、彼が騎士団長に就任して、ちょうど五年。

彼が騎士団長に選ばれた理由は、ご子息が王太子妃様付きの騎士になるということで、父親にもそれなりの地位を、というものだった。

それ故、初めは親の七光りと陰口を叩かれることも多かった彼だが、今現在はそんなことも一切ない。

何故なら、彼も本物の実力を持っていたからだ。

血は争えないとはよく言ったもので、彼も父君やご子息にも負けない、一流の腕を持っていた。

ならなぜ、今まで出世できなかったのか。

それは父親が団長である以上、その地位を脅かしたくはないという彼の頑なまでの律儀な態度のせいだった。

そのせいか、どれほど厳しかろうと、彼は部下に慕われた。

今だって、普段の僕らしくない様子にどこか心配そうな目を向けている。

僕はそのことに申し訳なくなって、頭を下げた。


「ガイアレス団長、申し訳ありません」


この国の騎士団では、本来互いをファーストネームで呼び合う事を許されていない。

それは、いつ死んでもおかしくはない仲間と必要以上に馴れ合わないようにするためだった。

しかし、その風習は平民でも騎士になれ、平和である今、薄れつつある。

せいぜい守っているのは、僕を除いて、律儀な団長くらい。

それでも僕は、そのルールを守り続けていた。

それは長く、違う世界で生きすぎたかもしれないからか。

自分でもわからないが、王国騎士の一員になった今でも、僕はこの世界に順応出来ずにいた。

五年前の、あの夜から、ずっと。







「よし、今日の素振りはこれくらいにするとしよう」


そんな団長の声が飛んだ瞬間、訓練所のそこかしこから、安堵のため息が上がった。

土のグラウンドと、騎士達が寝泊まりする寄宿舎以外には何もない、だだっ広い場所。

そして、男が九割を占めるという非常に暑苦しい空気に包まれたこの場所は、王国騎士団の訓練所だった。

一応、有事の際、いつでも駆けつけられるよう、王都の一等地にあるのだが、ここは貴族の集まる場所とはまるで別世界だ。

何しろ、団長に扱かれる男達の悲鳴と、男同士だからこそ交わせる下世話な会話で溢れている。

もし、令嬢が迷いこんでしまおうものなら、悲鳴をあげて逃げ惑うこと間違いなしだ。

ある程度男社会に慣れている女騎士でさえ、ここにきた当初は、あまりの酷さに体調を崩すことが多いというのだから、ここは本当に酷い。

僕はこういうところに慣れているとはいえ、今日も広がる地獄絵図にため息をつく。

すると、訓練の疲労から、隣でぐったりしていた友人が声をかけてきた。


「ほんと、きっつー。マジで死ぬかと思ったよなぁ」

「だらしないな。ロラン、お前は三年間、見習い騎士として、何をやってきたんだ」

「はぁ? 俺だって真面目に訓練してきたっつーの。てかなんで、お前こそそんな余裕そうな顔してんだよ」


ロランは僕の軽口に、呆れたように返してきた。

平民上がりという彼は、多少口が悪いが、見習い騎士の時からの友人だった。

色素の薄い茶色の髪に、澄んだ青い瞳を持つ青年、ロラン。

僕は正直言って、取っつきやすいタイプではないのに、彼は僕の強さが気に入ったらしく、しつこいくらいにつきまとってきたのだ。

初めは適当にあしらっていたが、気づけば友人になっているあたり、彼は人の懐に入るのが上手い。

現に、今も軽口を叩きながらも、どれほどきつい訓練にも息一つ乱さない僕を見る彼の眼差しに、尊敬が混じっている。

それに気がついてしまうと、いつまでもあしらうのは、流石に僕も罪悪感を覚えざるを得ないのだった。


「まぁ、お前は俺の三年間の見習い期間をたった三ヶ月で終わらせちまう男だからな。これくらい余裕か 」

「ほぉ、剣を握り初めて三ヶ月でそれか。話を聞いてはいたが、信じられんな」

「うんうん。そうだよなー……って、団長ッ!?」


ロランは自身の意見に頷いていた人物がかのガイアレス団長だと気がつくと、ギョッとしたように仰け反っていた。

まさか、いきなり自分たちの会話に団長が割って入ってくるとは思わなかったのだろう。

僕が大袈裟なくらいのロランの反応に思わず笑っていると、ロランは決まりそうに僕を睨んだ。

しかし、僕はそれを団長の方に向き直ることでスルーする。

彼は興味深そうにそんな僕の事を見つめていた。


「強すぎる見習い騎士がいるという話は聞いていたが、思っていたより細いな」

「こうしてお話しさせていただくのは初めてと存じます。ガイアレス団長」

「よい。堅苦しい挨拶は嫌いだ」


団長はそう言って、僕の挨拶を遮った。

律儀な人物と聞いていたから、こういう形式的なものを重んじると思っていたが、意外だ。

でも、これから上司となる人の一面を知れて良かったと思う。

何しろ、僕とロランはまだ見習いを卒業して、一週間しか経っていないのだ。

これから、馴れ合うとはいかなくても、面倒な問題を起こさない為に、それなりに順応していかねばならない。

幸い、ガイアレス団長は慕われるとあって、寛大な人物のようだった。


「どうだ、騎士団の雰囲気には慣れたか」

「お陰様で。実に有意義な日々を送っています」

「有意義、とな」


少し白々しい言葉だっただろうか。

団長は目を細めて、ジッと僕の顔を伺うように見つめた。

僕はおそらく試されているのだろうと思って、それを強く見返す。

団長の瞳には代々ガイアレス家に受け継がれている、優しく真っ直ぐな光が宿っていた。


「さて」


しかし、団長が咳払いをした、次の瞬間だった。


キイン、と高い音が鳴り響いた。


それは、騎士である者にはあまりにも聴きなれた音だ。

剣と剣がぶつかり合う、金属音。

その発生源は僕の手の中と団長の手の中にあるモノにあった。

団長が突如として抜きはなった剣の切っ先はロランに。

それを阻むのが、僕の剣。

しかし、咄嗟のことで握り方を間違えた僕の手は、その衝撃に耐えられずに、剣を取り落としていた。

たった一撃しか防げないなど、本当に訓練不足も甚だしい。

僕はそのことに歯噛みしながらも、呆気にとられた様子のロランの無事を確認すると、団長を睨みつけた。


「一体、なんの真似です?」

「すまない。確かめたいことがあっただけだ」

「こんな乱暴な方法で確かめたいことですか?」

「ああ。君が騎士に相応しい男なのか、どうかを」


それは一体どういう意味なのだろうか。

まさか、僕が騎士として、やっていけない何かを見つけられてしまったのか。

だとしたら、それはある意味では正しい。

けれど、これは僕個人としての問題であって、騎士としての業務にはなんら関係のないことだ。

これでやめろと言うのなら、あまりにも理不尽というものだろう。

しかし、怪訝な表情を向ける僕に、団長が告げたのは解雇ではなかった。


「王家筆頭魔導師がお前の事を呼んでいる。すぐに王城にある奴の研究室に来いとのことだ」


告げられたのは、まさかの伝言だ。

ということは、今のこれはまたあいつが余計な事を言ったのだろう。

とことん、あいつは面倒な事をしやがる。

僕は思わず舌打ちをしたくなるのを、団長の手前、ぐっと抑えた。

そして、簡単にわかりましたと返事をする。

すると、今まで間抜けな顔を晒していたロランが我にかえったように、慌てだした。


「って、王家筆頭魔導師から呼び出し!? お前、何したんだよ!」

「自分が斬りかかられたことより、僕の心配か。中々、お前も肝座っているな」

「そりゃ、親友のことなんだから、心配するに決まってるだろ!」


僕はロランから出た言葉に、目を瞬かせた。

いつの間にか、僕は彼の友人から親友に格上げされていたらしい。

出会ってまだ三ヶ月しか経っていないというのにだ。

けれど、彼の表情は真剣そのもので、僕を心配してくれているのがわかる。

だから、僕は笑って、安心させるように言った。


「まっ、問題ない。クソ魔導師の気まぐれって奴だ」

「くっ、クソ? 仮にも国で最高峰の地位に就いてる人をクソ呼ばわり!?」

「それくらいの仲だってことだ。どうせ、つまんないことだろうし、行ってくる」


僕はワーワーと騒ぎ立てるロランにひらひらと手を振ると、背を向けて歩き出した。

今、訓練を抜け出して王城に行ったとして、団長も事情を知っているので、問題はないだろう。

もちろんその分、今夜はもっと剣の扱いに慣れるために、特訓しないといけないが。

取り敢えずは、目の前の面倒な問題を片付けなくてはならない。

それでも僕は、「親友」というロランの言葉に心を揺らがせていた。

今、五年もの間、錆付いていた心が、ようやく動き出したような気がしていた。







「おい、入るぞ」


僕は奴の研究室の前にたどり着くと、おざなりなノックをして、部屋へと入った。

部屋に入ると、まず鼻をつくのは薬品的な香り。

そして、視界に現るはたくさんの魔道器具の部品だ。

足元には知らない言語で書かれた紙が散らばり、本が無造作に積み上げられているせいで、全体的にごちゃごちゃとしている。

そんな中、注意深く進めば、部屋の主は紅茶を片手に、優雅にくつろいでいた。

彼は難解な図形の書かれた書類から目をあげると、僕に気づいてにっこり笑った。


「やぁ、久しぶりだね」

「なにが、やぁ、だ。こちらとら、忙しいんだよ。お前がふざけた家名を付けやがったせいでな」

「そんなに嫌かい? ナイト、なんて君にぴったりだと思うんだけど」

「騎士団にいたら、確実に絡まれるに決まってんだろ。ほんと、最悪だ」


本当、この家名のせいで、何度突っかかられたかわからない。

その度に軽く流したり、反撃したりしてきたわけだが、面倒なことこの上なかった。

全くなんで、この名前でオッケーが出たのか、今でも理解に苦しむ。

とはいえ、その名前を目の前の男がつけてくれたことで、身分は保障され、底辺から騎士階級になることも出来たのだが。

しかしながら、彼に五年前に燃える屋敷で拾ってもらった恩もあるけれど、名前に関してはやはり許せなかった。

だって、僕は誰かを守るよりも、傷つけることの方が得意なのだから。

その恨みを込めて、奴を睨みつけていると、彼は遂に降参したように手を挙げた。


「いや、悪い。でも、『彼女』を忘れたくなかったんだよ、俺は」

「……また『彼女』かよ」


彼の僕を見る目は遠く、何かを懐かしんでいるようだった。

やはり、僕のこの銀色の髪は彼にとって、「彼女」の象徴であるらしい。

僕が彼に救い出されたあの日。

今ではロエル壊滅作戦と呼ばれるようになった五年前の夜。

「彼女」は死んだ。彼に殺されて。

彼は「彼女」に思い入れが強かったようだから、仕方のないことであるのだろう。

五年がたった今でも、こうして僕を「彼女」と重ねる。

でも、僕はそれがひどく不愉快だった。

まるで、僕が僕でなくなってしまうような気がするから。

だから、彼を傷つけてしまうとしても、いつも酷いことを言ってしまうのだ。


「もうあの人は死んだんだ。いい加減にしろよ、クソ魔導師」

「ハハッ、君は酷い男だ。全く、ここにきたばかりの頃のアックス様と呼んでくれた子は、どこへ行ったのやら」


アックス様はそう言って、愉快そうに笑った。

そうなると、それ以上の悪態がつけなくなってしまう。

だって、彼はこうして素で接する僕のことを面白がっているに違いないからだ。

全くの悪趣味だと思うが、それが彼の憎めないところであるから、尚更タチが悪い。

僕はその悔しさを隠すように、ぶっきらぼうに次へと話を振った。


「で、何の用だよ。第四回魔導人形開発実験でもするつもりか」

「いやいや、まさか! あんなことはもうやらない。もうやる意味もないしね。君に渡すものがあって、呼んだのさ」


今更、彼が渡すもの。それは一体、なんであろうか。

僕が不思議に思っていると、彼は書類の中から一枚の封筒を取り出した。

薄紫色の封筒には華麗な文字で僕の名前が書かれ、裏には有名な赤い紋章が刻まれたロウで封がなされている。

僕は少し震える手でそれを受け取った。

何やら、随分と物々しく、騎士階級である僕には相応しくないものだ。

封を切る前に、恐る恐るアックス様の顔を伺えば、彼はニヤニヤと笑っていた。


「それは、ある貴婦人からのお手紙さ。どうやら、彼女は君に永遠の騎士になって欲しいみたいだ。強すぎる見習い騎士、通称『夜闇の騎士』である君にね」

「これは、お前の差し金か?」

「いいや。俺じゃない。と言っても、彼女自身でもないけどな。でも、君のよく知っている人物であることは確かだ」

「彼女はこのことは?」

「まだ詳しくは知らないと思う」


なるほど。大体の事情は掴めてきた。

だから、ガイアレス団長は試したのだろう。

僕が、永遠の騎士になれるか否かを。

彼も、団長である以前に、一人の父親だったというわけだ。

だが、残念ながら、僕は彼の期待を裏切ってしまうことになるだろう。


「なら、この話は」

「なかったことに、だな。君ならそう言うと思った」


アックス様は僕の言葉の先を読んだ。

なら、この突き返した封筒を受け取って欲しいのだが、彼はそうしようとしない。

代わりに今までの笑顔を消して、じっと僕を見つめ返していた。


「残念だけど、俺は受け取らないよ。返事は夫人に直接伝えてくれ」

「ふざけんなよ。僕はまだ正式な王国騎士になって、一週間だ。明らかに経験不足。相応しくない」

「それでもだ。もう少し、考えたほうがいい。最悪、一週間後には俺の方にも連絡が来るから、せめてそれまでは考えろ」


わかったな、と念押しする彼の態度は頑なだった。

アックス様はどうしたって、これを受け取らないつもりであるようだった。

そうなれば、一週後にもう一度断るしかない。

僕の考えがそう簡単に変わるとは思えないが、ここは一度折れなくてはならなかった。

なんにせよ、この人には恩があるので、これ以上は逆らえないのだ。

僕は深いため息をつきながらも、封筒をそっと懐にしまった。


「これで満足かよ」

「ああ。十分だ」

「なら、帰っていいな。訓練の続きがしたい」

「君、まだ強くなるつもりかい。まぁ、構わないけど」


相変わらずの訓練バカだと、アックス様は呆れ顔だった。

彼だって、研究バカなのに、随分な言い草だ。

しかし、これ以上の嫌味の応酬は正直面倒なので、早々に退散することにした。

退出の前に、ドアの前で、一応騎士としての礼をする。


「では、失礼します。アックス様」

「ああ。また遊びに来てくれ」


彼は最後ににっこり笑って、手を振った。

僕はそれに見送られながら、部屋を後にする。

研究室から出ると、そこには物静かな王城の廊下が続いていた。

特に豪奢な装飾はないが、清潔な白い壁や飾られた小さな花、ピカピカに磨かれた床は厳粛な雰囲気を生み出している。

王宮の廊下を歩く者の動きも実に洗練されており、僕を見かけると、彼らは軽い会釈をしてくれた。

やはり、ここはいつ来ても素晴らしいところである。

ずっといては落ち着かないが、ここへ来る度、身が締まる思いがするのだ。

だからだろうか。その後の訓練には身が入りやすくなる。

僕はそんな空気を大きく吸い込みながら、王城の廊下を足音を立てずに歩いた。

まもなく、王宮の外れにある小さな庭に差し掛かるはずだ。

そこは四季折々の花が咲いている、小さな楽園。

立地のせいで最も人気の少ないながらも、よく日がさす、落ち着く場所だった。

本来、あまり王宮の中を自分勝手に歩くのは褒められたことではないが、ここへ来て五年。

アックス様と親しい間柄であることは周知の事実なので、城で働く者達からもある程度の信頼を得ていた。

ましてや、そこは王族も滅多にこない場所。

プライベートスペースに侵入すればさすがに怒られてしまうだろうが、そこならどうにか見逃してもらえた。

だから、安心していたのだが。


「ねぇ」


庭へと続く小さな扉を開けようとした時、その向こうにいる気配に気がついた。

同時に、凛と響く美しい声が耳に届く。

僕は思わず息を呑み、ドアノブにかけていた手を下ろした。

代わりに、庭を覗ける隣の窓の側に近寄る。

そして、恐る恐る庭の様子を伺った。


「ねぇ、リオ」


その声は一枚のガラスを通してでも、不思議とよく聞こえた。

緑に囲まれた小さな庭で鮮烈に輝くのは、赤く、癖のある長い髪。

また、陽光に輝くのは、雪のように真っ白で滑らかな肌。

そして、強い意志を秘めたオレンジ色の宝石のような瞳。

決して、見間違うことなどない。

彼女はここにいてはいけないはずの人だった。

僕の手には届きそうもない、彼女こそは天上の女神。

ああ、初代王妃マリアンヌの再来とも呼ばれた、その人は。


「リオ」


「彼女」の名前を呼んでいた。

一人の少女を幸せにしたいと願い、最後は死を選んだ愚かな侍女の名を。

御方(レディ)は愛おしげに、目の前にある小さな石塔に祈りを捧げるように、呟いた。

僕の心臓はそれだけのことに、ドクリと跳ね上がる。

また、「彼女」だ。

僕を五年前のあの日に縛り付ける「彼女」は、ここにもいたのだ。


「もう、今日で五年も経つのね。あなたと別れて、あなたが死んで」


その声は切実なまでの哀しみを伴っていた。

懐かしげに語りかける小さな石塔は「彼女」の墓。

それは何よりも、「彼女」の死の証左となるものだ。

だから、レディはもうここには来ないと思っていた。


「あなたは、約束を果たしてはくれなかったようね」


けれど、違った。

レディは「彼女」を哀しみから遠ざける事などしなかった。

責めるような口調はまるで目の前に生きた「彼女」がいるようで。

レディはきっと、「彼女」のことを思い出しているのだ。

僕の目には楽しかった日々を大切に、慈しんでいるように見えた。


「ねぇ、あなたが死んだという報せを聞いて、私がどれほど悲しんだか。あなたはきっと知らないのでしょうね」


「私は泣いたわ。それはもう、涙が枯れることなんてきっとない、と思えるほどに」


「泣いて、泣いて、泣き続けた。どこにいてもいないはずのあなたがいて、いっそ死んでしまえたらと思うほどに苦しかったわ」


「彼女」が聞いていたら、果たしてどう思っていただろう。

申し訳ありませんでしたと、「彼女」も泣くのだろうか。

それとも、何も言えずにただ責め苦に耐え続けるのだろうか。

はたまた、あなたに幸せになってもらいたかったのに、泣き暮らすなど、お嬢様は馬鹿ですね、とでも言うのだろうか。

どれが、正解なのかわからない。

僕はぐるぐるとした感情を抱えながらも、レディの言葉に耳を傾け続けた。


「でも、私は泣き止んだわ。あなたがくれた全てを台無しにするつもりなど、なかったから。私を大切にしてくれる人がいたから。毎日を懸命に生きたわ」


「とはいえ、今思い返せば、あなたが帰ってくるつもりなど、決してなかったのでしょうね」


しかし、急にレディの声のトーンは変わった。

一度、強気になったかと思えば、冷たい態度になる。

まるでレディの五年の心境の変化を目の当たりにさせられている気分だった。

くるくると走馬灯のように駆け巡るレディの複雑な表情は、人形からはほど遠い。

それでも、ある地点でピタリと変化を止めた表情は、感情を殺したかのように無であった。


「私、あなたのいなくなった部屋で黒薔薇のドレスを見つけたわ」


僕は黒薔薇と聞き、すぐにその花言葉を思い出した。

それは、レディを幸せにしたかった「彼女」の願いとは相反するもの。

きっと、恨んでいたり、レディの死は望んでいなかったはずだから、その意味は限られてくる。


つまり、「あなたはあくまでも私のもの」、あるいは「滅びることのない永遠の愛」だ。


「彼女」はレディの幸せを願う一方で、「彼女」の宝物(レディ)を奪われることを恐れた。

レディを愛していた故に、レディが他人を愛し、愛される姿を見ていられなかった。

だから、あえて自ら死を選び、秘密のままで、想いを封じたのだ。

はたして、レディは黒薔薇のドレスを見つけた時、どれほどの衝撃を受けたのだろう。

自分が大切にしていた侍女がそんな想いを秘めていたなんて、愕然としたに違いない。

僕はその時のレディの心情を想像するのが怖かった。


「私はショックだったわ」


震えているレディの声。

僕はこれ以上を聞いていられそうになかった。

ただ、例のご夫人の永遠の騎士はお断りしようと強く心に決める。

それが、「彼女」の為でも、レディの為でもあるように思えたから。

僕はその場を立ち去ろうと、一歩足を踏み出そうとする。

その時だった。


「何っ!?」


レディの悲鳴のような声が聞こえた。

僕は反射的に振り返り、驚きの光景を目の当たりにする。

そこには盗賊のような薄汚い身なりをした複数の男たちと、彼らに囲まれたレディの姿があった。

男たちの肩には剣に絡まる二匹の蛇の紋章。

どうやら、五年前に滅びたはずのロエルの残党のようだと、一瞬で僕は判断した。

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