悪役令嬢はもういない
楽しい月日は矢のように過ぎ去る。
ロエルで手を汚していた頃は地獄のような毎日がとても長く感じられたものだが、お嬢様と穏やかに過ごす冬はあっという間に過ぎ去ってしまった。
しかし、目を閉じれば、宝石のように輝く日々を鮮明に思い出すことが出来る。
ペンを握る手がかじかむ中、今年最後のテストで点を競い合ったこと。
二人きりで街へ繰り出して、少しお行儀悪く食べ歩きをしたこと。
王妃教育にストレスを感じていたお嬢様に、稽古と称して突然斬りかかられたこと。
そして、暖炉の前で語り合った、ほんの少しの時間さえ。
私にとっては夢のような時間で、かけがえのないものだった。
お嬢様はもうすぐ別れだとわかっているからこそ、私との時間に全てを注いでくれた。
それは時に、殿下との時間を少なくしてもだ。
殿下もそれをわかってくれていたし、私もそこで遠慮出来るほどの余裕はなかった。
私の命はじきに終わりを迎える。
それは紛れもない現実で、避けることのできない運命だった。
だから、出来る限りお嬢様との思い出を脳裏に焼き付ける。
それが私に出来る最後の生への執着だった。
「僕の世界は変わった。取り巻く環境も、自分自身の価値観も」
そして、今。
大広間には沢山の生徒が集っていた。
今日は三年生、つまりは卒業生の晴れ舞台だった。
最後の制服に身を包んだ卒業生達は皆一様に壇上の上に立つ人物へと視線を向けていた。
そこに立つのは、お嬢様の大切な人、ルクス王子殿下……いや、王太子殿下だった。
晴れて卒業を迎えた彼は、正式に継承が決まり、王太子となったのだ。
彼はアメジスト色の瞳に強い意志を宿しながら、厳かな空気の中、堂々と語っていた。
「この学園で僕たちは成長した。この先の未来を担っていくものとしての責任を知り、時に世界の残酷さに気付かされた。けれど、それを乗り越えることで得られるものもある。それを僕たちは学んだと思う」
信頼、友情、愛情。
殿下はそれらを口にしなかった。
きっと、それを口にするにはここは少し他人が多過ぎたのだ。
私たちの周囲こそ、それは確かにあったのだろうし、他の場所にもなかったわけではなかっただろう。
しかし、革命が起こるまで、ここは腐敗の温床と化していた。
大人達の陰謀が渦巻く、貴族社会の縮図に過ぎなかったのだ。
そこで学ぶのは果たして、学問や綺麗事と言われるようなことだけだろうか。
私にも、おそらく殿下にもそうは思えなかった。
初代王妃マリアンヌの願いは今や途絶えていたのだ。
「僕は、この学園を、国を、世界をこれからも変えていかなくてはならない。全ての者が幸せを得る権利があると思うからだ。大切な人が泣かなくても良い世界を、手を汚さなくてもいい未来を創造していかねばならない」
お嬢様やアックス様、そして私。
各々がそうならざるを得ないように生まれてきてしまった。
そのことは今となっては恨んではいないけれど、万人にあっていいものではない。
殿下の言うことは理想論かもしれないが、この人ならやってくれるかもしれないという、力強さがあった。
そして、私もそうなればいいと純粋に願った。
「雪解けの季節だ。冬は終わり、春が来た。今こそ、芽吹き、花を咲かせる季節だ。新たな一歩を今ここから始めよう」
拍手喝采。
殿下の卒業生代表挨拶は大勢の賛同によって、締めくくられた。
私は在校生の中に混じり、壇上から降りる殿下を見送ると、ふと窓の外へと視線を向けた。
厳しい冬は終わり、雪はちらほらと残るものの、だいぶ少なくなっていた。
木々には若い芽がのぞき、固い蕾は綻び始めている
新たな命が生まれ、暖かな祝福と始まりが到来するのだ。
その中で、私は終わっていく。
孤独に雪の中で死にかけた六歳の時とは違う、人の温もりの中で。
悪くないかもしれない。
私は人知れず微笑み、自分に言い聞かせ続けていた言葉が現実になっているのかもしれないと思った。
「ご卒業おめでとうございます。ルクス様」
卒業式が終わった後、私はお嬢様と共に殿下のもとを訪れていた。
お嬢様が柔らかな笑みを浮かべて近づくと、それまで殿下を囲っていた人々はさっと離れていく。
しかし、その理由は数ヶ月前とはまるで違っていた。
現に耳を澄ましてみれば、
「やっぱり、殿下とエレナリア様はお似合いね」
「ほんと。エレナリア様も随分穏やかになられたわ」
「いや、ずっと優しい方だったらしいぞ。なんでも、感情表現が苦手だっただけだとか」
「そうそう。春の頃に揉めていたサリア嬢のお家も救ったらしい」
といった声ばかりが聞こえる始末。
どうやら、悪い噂はクレア様の積極的な活動によって、この三ヶ月の間に見事に払拭されてしまったようだった。
無論、それだけでなく、その前に行っていた他家への陰ながらの援助やお嬢様の領民からの評価が明らかになったお陰でもある。
お嬢様の学園での立ち位置は冷酷非道な悪役令嬢から、優しく穏やかな未来の王太子妃へと完全に様変わりしていた。
何というか、嬉しいけれど、その手の平の返しように呆れたのは私だけではないはずだ。
事実、お嬢様も私と同じことを思ったのか、苦笑いを浮かべていた。
しかしながら、目的の人物はそんなことはどうでもいいらしく。
今まで王太子らしく屹然としていた殿下はお嬢様の姿を目にするなり、途端に相好を崩していた。
「やぁ、エレナリア。ありがとう」
「先程のお話、実に素晴らしかったです。思わず聴き入ってしまいましたわ」
「良かった。実はまだ国が不安定だから、何も具体的なことを言い切るわけにはいかなくて、中身のない話になってしまったと自信がなかったんだ」
「そうでしたか。確かにそう言う人はいるかもしれませんね。けれど、私たちのことを思って、話していらっしゃったのでしょう?」
お嬢様はお見通し、と言わんばかりに悪戯っぽく笑った。
すると、そんなお嬢様の魅力にやられたのか、殿下はぐっと何かに耐えるように胸元を抑える。
私も口元が緩みそうになるのをどうにかして引き締めようと、口元を抑えた。
本当に、すっかり無邪気な表情を取り戻したお嬢様は時折、直視出来ないほど妖艶でありながら、愛らしく見えた。
だから、殿下も私も公の場では抱きしめたくなるのを必死に耐えなくてはならないのだ。
というか、人目のないところなら抱きしめられる殿下はともかく、私は本当に生殺し状態だ。
お嬢様は突然黙り込んでしまった私たちを不思議に思ったのか、可愛らしく首を傾げた。
私はそれに再びやられそうになって、同時にお嬢様の無自覚さに戦慄を抱く。
これは傾国の美女になってしまうかもしれないな、と警告の意味を込めて殿下に視線を送った。
すると、殿下はそれに気づいて、慌てたように顔を引き締めた。
「ああ、そうそう。僕としてはもう少し君と一緒にいたいけれど、実は学園長と話をしなくてはならないんだ」
「学園長、ですか」
「これも公務の一環でね。今後の学園の運営方針について、話し合わなくてはならないんだ。今や革命の影響はここまで波及している。その機を逃すわけにはいかない」
仕事のことになると、殿下は今までの笑顔が嘘のように真面目な顔つきになった。
王太子に相応しい威厳と共にはっきりとすべき事を述べる。
どうやら、私の心配は杞憂に終わりそうだった。
お嬢様は一瞬物足りそうな顔をしたものの、すぐに王妃教育の成果か、淑女らしく頭を下げた。
「そうでしたか。では、いってらっしゃいませ」
「じきに戻ってくるさ。少なくとも、君とリオの大切な儀式の時までには」
殿下はそう言い残すと、足早にその場を去っていった。
しかし、取り残されたお嬢様は殿下の言葉に、忘れようと努めていた「儀式」のことを思い出してしまったらしい。
彼女は今にも泣きそうに唇を噛み締めていた。
余計なことを、と私は苦々しい思いで去りゆく殿下の背中を見ていたが、しかしすぐにこれが狙いなのではと気がつく。
きっと、お嬢様に自覚を伴わせるためだったのだろう。
これから先、このことを振り切れるように。
そして、今を大切に過ごすために。
でなくては、あの人はお嬢様にこんな顔はさせない。
私は俯くお嬢様の側に立つと、その背をそっと支えた。
今はまだ、ここにいると示すためだ。
お嬢様は私の手に安心したように、顔を上げた。
それから、小さくごめんなさいと呟いて、寂しげに笑った。
私はそんな顔をさせたくない一方で、こんなにも別れを惜しんでくれることが嬉しくて、ただ頷いた。
「さぁ、シャイン様に『儀式』のお願いをしに行かなくてはね」
「はい」
お嬢様の空元気に明るい声に、私は返事を返した。
そうだ。始めなくてはならないのだ。
私がお嬢様の侍女をやめる儀式を。
お嬢様が永遠の騎士を迎え、前に進むための決別を。
私は制服の下に隠したタガーの感触を確かめた。
そして、歩き出す。始まりと終わりの一歩を。
「本当におれでいいんスか?」
戸惑いの声を上げたのはシャイン様だった。
現在、私とお嬢様はシャイン様を人気のない稽古場に呼び出し、あるお願いをしている。
それはとても我儘で、自分勝手な頼みだ。
だというのに、シャイン様は嫌な顔一つしなかった。
むしろ、名誉なことだと、嬉しそうですらある。
この人の人の良さにはやはり、敵わなかった。
「ええ。貴方にしか『永遠の騎士』は頼めないわ。それよりも、貴方こそ平気なの? 私は今まで貴方に本当に酷いことをしたわ」
お嬢様の言う、酷いこと。
それは主に三つのことを指していた。
一つ、過去のことを知った時に八つ当たりをしてしまったこと。
二つ、殿下と共にサマーパーティを抜け出してしまったこと。
三つ、もう彼の想いにはどうしたって応えられないことだ。
そして、今尚四つ目の酷いことを敢行しようとしている。
三つ目はお嬢様が悪いとは思わないが、それでも振った相手を側に置くということは、とても残酷なことだろう。
しかも、他のことを考えれば、十分に彼を傷つけることをしていた。
だと言うのに、彼は笑みを絶やさなかった。
「気にしてません。むしろ、一つ目と二つ目はおれの方が申し訳なく思ってます。リアさんを傷付けてしまったのに、気がつけなかった自分が、今でも本当に情けないっス。そして、三つ目も元から覚悟していたこと。あと、四つ目ですけど」
四つ目。それは私がチェス大会でお嬢様と交わした約束にある。
言わずもがな、他の永遠の騎士がついたとしても、心は私にあるとするものだ。
こんなの、普通ならば、誰だって受け入れたくはないだろう。
いや、誇り高き騎士を侮辱しているも同然だ。激昂したとしても、何らおかしくない。
さすがに彼も真剣な表情で、一度言葉を止めた。
けれど、次に発せられた彼の声は驚くほど穏やかなものだった。
「四つ目は、おれもそうあるべきだと思います」
「でも……」
「リアさんは言いましたよね。魔道杯の時。『私は勝つ為には貴方の好意さえも利用する。それがこれからの私と貴方の関係よ』と」
お嬢様はかつての己の言葉に苦々しげな表情をした。
だってあれは、悪役令嬢でなければならないお嬢様が出来る限りで言った、ある意味での優しさなのだ。
表面通りの意味ではなく、過去のことは気にするなという言外の意味こそが重要だった。
それをシャイン様だって、了解していないわけではないだろう。
だというのに、それを持ち出した。
彼はきっと、言い訳を作る為に言ったのだ。
お嬢様がこれ以上、シャイン様に気を使わなくてもいいように。
あの時にケジメはついたと、そう言うために、彼は少しだけ卑怯な手を使ったのだった。
「だから、リアさんは気にしないでください。存分におれの力を使ってください。おれも、もう何も出来ないのは嫌っスから。リオさんの代わりにはきっとなれないっスけど、せめておれにも罪滅ぼしをさせる機会を、どうか」
彼は剣を抜き、それを両手で差し出すと、その場に跪いた。
つまり、彼は自ら、心で応えないとわかっている主人に己の忠誠を捧げたのだ。
それも、普通の人ならば葛藤してしまう場面において、躊躇うことなくその決断を下した。
彼を見るお嬢様の表情は、この頃久しく見せていなかった、無表情だった。
自分の騎士は私であるとしたことは後悔していない。
けれど、彼にこんな懇願をさせてしまった己が許せない。
そして、彼の優しさがこの上なく嬉しい。
そんな諸々が彼女の中で渦巻き、わからなくなった結果、今のお嬢様を無表情にさせているのだろう。
しかしながら、やることだけは既に分かっておられるようだった。
お嬢様は震える手で彼が差し出す剣を持ち上げた。
そして、その剣の腹を彼の肩へとのせる。
あたりはハレの日であるのに、嘘みたいにシンと静まり返っていた。
春の少し強い風だけが遠くの方で唸る。
これは、別れと始まりの儀式……否、『永遠の騎士の儀』の始まりだ。
それを私は厳かな気持ちで見守っていた。
「騎士シャイン・ガイアレス。誓いを」
お嬢様の声は凛と響き渡った。
対するシャイン様は顔を上げぬまま、しかし、堂々とした声で誓いを述べた。
かの古の騎士ルイを彷彿させるかのように、雄々しく、意志を込めて。
「おれの力は貴女のものです。エレナリア様」
たった一言。
それ以上言うべきことはない、と言うように彼は顔を上げた。
そして、立ち上がると、呆気にとられている私の方を向く。
彼は揺るぎない覚悟をその瞳に宿し、言った。
「リオさん。おれはそれだけしか誓えない」
「……ええ。私のせいです」
「違う。文句を言いたいわけじゃない。貴女が死んでしまうことも知っている。けれど、無茶を承知でお願いしたいことがあります」
儀式としては型破りだった。
こんなに短い誓いで終わらせてしまったことや、姫の許可を得ずに背を向けてしまったことなど。
しかし、そんなことは気にならなかった。
ここにいるのはちっとも令嬢らしい扱いをされたことのない姫と、心を得られない永遠の騎士、心の騎士たる侍女だ。
そもそも前提が違うのだから、普通の儀式でなくて、当たり前である。
それに、シャイン様の行動は生半可な気持ちから来ているものではなかった。
彼の思いを受け止めるために、私は彼の瞳を見返した。
すると、彼は衝撃的な言葉を放った。
「ここで、貴女が永遠の誓いを。リアさんを永遠に守ると約束してください」
「……ッ!」
私とお嬢様は驚きのあまり、同時に鋭く息を吸い込む。
彼の言葉は想像以上のもので、思わず狼狽えてしまった。
まず心を占めたのは、何てことを言うのだろう、ということ。
次いで考えたのは、果たして、良いのだろうか、ということだった。
こんな偽りだらけの侍女が誓ってしまっても、本当に良いのだろうか。
永遠になど守れないことをわかっていながらの誓いは、許されるのだろうか。
黙り込んでしまった私より早く驚きから立ち直ったのは、お嬢様だった。
お嬢様は手にしたままの剣から視線を上げると、
「やりましょう」
と、同意を示した。
私はそのことにも驚いたが、そう言われると最早やるしかないような気もしてくる。
でも、そうだ。私は最後の瞬間までお嬢様の侍女でいると決めたのだ。
そして、お嬢様の永遠の騎士は侍女たる私だ。
なら、偽りだらけといえど、お嬢様にとっては真実なのだから、それで良いだろう。
それに、私は意識を絶やすその瞬間まで、出来うる限りお嬢様を守るつもりでいた。
その意味では永遠だし、シャイン様の許しも出ている。
私は己の考えを正当化すると、二人の提案に頷いた。
「わかりました。今日は最後の日ですからね」
今日は表面上、お嬢様の侍女でいられる最後の日。
明日からはどれだけ心でお嬢様に忠誠を誓おうと、それを表に出すことは出来ない。
その事実に、お嬢様は途端に悲しげになるが、これが誓いの最大の理由にもなっていた。
私は意を決すると、お嬢様の前に膝をついた。
肩にはヒンヤリとした剣の重みがかかる。
しかしそれは、どこか心が落ち着く重みだった。
「リオ、誓いを」
何を言おうか決めていたわけではなかった。
原作に沿った劇を見たとはいえ、元の誓いの言葉全てを覚えているわけでもない。
でも、今までのお嬢様との日々を思えば、自然と言葉になった。
私は大きく息を吸い込む。
そして、一気に誓いの言葉を述べた。
「私はあなたに光を見ました。
様々な感情を抱え込んだあなたの無表情に。
強くぶれない素直な剣筋に。
そして、どんな手もとるあなたの手の暖かさに。
あなたは本当に優しすぎ、同時に少し意地悪でもあったから。
傷つけてしまうたびに、罪悪感を覚え、また時に楽しむこともあったのでしょう。
でも、自分を傷つけ、他人の傷すら負おうとすることが多すぎた。
あなたの心に降り積もる気持ちを私は理解出来てしまったから、本当に辛かった。
それを共に背負うことはむしろ、嬉しかったのですが。
到底、そのこと自体を喜ぶことは出来なかった。
私はあなたを幸せにしたかったから。
残念ながら、私はあなたを最期まで支えることは出来ません。
もう、侍女としても、騎士としても、あなたの身を守ることは出来なくなってしまいました。
でも、私は最期まであなたに忠誠を捧げたい。
これはもしかしたら、意外に我儘なお嬢様の気にくわないかもしれません。
あなたは私を大切にしてくださるから、私の選択を未だに恨んでいるのかもしれません。
しかし、これこそが私の願いなのです。
あなたの幸せを思うからこそ、側を離れたいと切に望みました。
ですから、どうか。
どうか、お嬢様は幸せになってください。
あなたのことは永遠に想い続けます」
正直、色気なんて微塵もない誓いの言葉だった。
いや、きっと侍女と主人の間に色気なんて求めるのもおかしいし、これできっと正解なのだろう。
私は頭を下げ続けたまま、お嬢様の合図を待った。
しかし、数瞬後に返ってきたのは、筋書き通りの「良いでしょう」という言葉ではなかった。
「ばか」
小さな涙と笑い混じりの罵倒と、熱い抱擁。
それがお嬢様の私の誓いの言葉に対する答えだった。
お嬢様は己の涙を隠そうと、私の肩に額を乗せる。
そして、謝った。
「ごめんなさい。もう泣かないって、貴女を笑顔で見送るって決めていたのに。私は案外泣き虫だったのかもしれないわね」
「謝ることではありませんよ。その涙はお嬢様が私を想ってくれているという証なのですから。それよりも、お気に召しましたか。あんな誓いでしたけど」
「貴女らしかった。これが本当の貴女の全てだとは思わないけれど、私は嬉しかったわ。貴女がたとえ、ほんのひと時でも永遠の騎士になってくれたような気がして」
私はお嬢様の感想に少し、どきりとした。
けれど、顔をあげたお嬢様は悪戯っぽく笑うだけで、何も言わない。
私はそのことに戦慄したものの、取り敢えずは喜んでもらえた事に安堵した。
シャイン様には本当に申し訳ないけれど、やっぱり私も嬉しかったのだ。
当の本人は私たちが落ち着いたとみると、遠慮がちながらも近づいてきた。
私は一度お嬢様から離れて、立ち上がると、彼に深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「いやいや、頭を上げてください。おれ自身がこの方が良いと思っただけっスから。むしろ、おれまで感動しました。リオさんは本当にリアさんのことを見ていたんだなと」
「十年という歳月を共にしましたからね。けれど、きっとシャイン様にもこれからそれ以上の時間を過ごすのですから、お嬢様のことは私と同じくらい……いえ、私以上に理解できるようになるはずです」
「そう、なれるといいっスね」
「なれますよ。絶対に。お嬢様のことをどうか、よろしくお願いします」
これもきっと最後の侍女としてのお辞儀だ。
私は細部まで意識しながら、丁寧にもう一度頭を下げた。
この人は優しく、そしてどこまでもまっすぐだ。
だから、いつか、本当のお嬢様の永遠の騎士になってくれるかもしれないと、そう思えた。
ならば、最大限の敬意を払うに値する人物だろう。
すると、シャイン様は笑って、力強い言葉を返してくれた。
「ええ。必ず。この剣に誓って」
彼はかつて、己のことを剣を振るうしか能のない奴だと言っていた。
決してそんなことはないとは思うが、彼の中でのアイデンティティである剣に誓うというのなら、それ以上の信頼できる言葉はなかった。
私が信じていない神などに誓われるよりはよっぽど安心できるというものだ。
こうして、一番の懸念材料も無くなった今、もう思い残すことは何もなかった。
そう。感情にさえ蓋をしてしまえば、もう何も。
「さて、貴女はもう今日中に出なくてはならないのでしょう? そろそろ、行かないと」
お嬢様は私に準備をするように促し、歩き出した。
そして、涙を拭うためなのか、私のことなど置いて、さっさと行ってしまう。
私も慌てて、その後についていこうと、シャイン様に背を向けた。
だが、その時。シャイン様は私を呼び止めた。
「あの。リオさん」
私は振り返らなかった。
振り返れば、また未練が湧いてしまうかもしれないと、そう思ったから。
だって、私はどれだけ彼のことを尊敬していても、やっぱり羨ましいと思わずにはいられなかったのだ。
これ以上話していたら、そんな気持ちが決壊してしまいそうで、怖い。
衝動的に行動して、醜態を晒してしまうなんてことはしたくなかった。
とはいえ、恩人である彼の言葉を無視することもできなかった。
「もし、リオさんが戻ってきたら。貴女は可能性がないと思っているようっスけど、何かの奇跡で死ななかったとしたら。おれは貴女にこの座を必ず、お返しします」
「……そんな可能性は万が一にもありません」
「わかってます。おれの言うことが未練がましいのは。けど、これだけは伝えておきたいっス。貴女のいるべき場所はまだあるってことを。だから、最後まで足掻いてください。己の死と、運命に」
綺麗事だ、と切り捨てることもできた。
私はどうしたって生きていける可能性はないと、わかっていたから。
たとえ、生き延びたとして、そこにいるのは王妃エレナリア・アメリストスであって、私の仕えた悪役令嬢はもういないから。
私の生きる可能性も意味も、もう何処にもなかった。
でも、本心を見透かされたような彼の言葉は、想像以上に私の胸の奥深くに突き刺さった。
私は何も言えなかった。
「リオさん。貴女に死んで欲しくないのは、リアさんだけじゃないってこと、覚えていてください」
そして、彼の言葉はいつまでも私の中に反響し続けた。




