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黒い薔薇を悪役令嬢に捧ぐ

パチパチと暖炉の火が爆ぜる音が静かな部屋に響き渡る。

私はふと部屋の外に身に覚えのある気配を感じて、それまで止めることのなかった手を止めた。

窓の外に目を向ければ、そこには月光に浮かび上がる白銀の世界が広がっている。

ドタバタと忙しかった秋はあっという間に過ぎ、今はすでに雪が降る冬になっていた。

とはいえ、革命がひと段落して、まだ間もない。

ルルーシュ家の騒動は収束したとはいえ、この使用人やメイドに与えられる学園の部屋の一室にルームメイトのアリアの姿はまだなかった。

何と言っても、革命の中心人物であるクレア様に一番近いところにいる侍女なのだ。

アリアは一見ふわふわしているように見えて、意外にしっかりしているので、さぞ重用されていることだろう。

そんなわけで、一時的に実家に帰っていた殆んどの生徒が学園に戻って来ている今でも、この部屋は私が独り占めしていた。

だから、この部屋を訪れる人はいないはず。

そう思っていたのに、背後の扉の向こうに立つ人物は私を訪れた。

いつか彼が来るのは分かりきっていたことだった。

そして、彼から切り出される話というものが、とても愉快とは言い難いものであることも知っていた。

私は深いため息を一つつくと、お嬢様の為に用意している作りかけのドレスをベッドの上において、立ち上がった。

それと同時に、ドアがノックされる。

私は一瞬躊躇いながらも、ドアを開けた。


「やあ」

「やはり、貴方でしたか」

「やはりってことは、僕が来るのは予想済みだったんだね。でもまぁ、その通りだよ。君の思う通りの理由でここへ来た。中に入っても?」

「今更です。どうぞ、アックス様」


私はニコニコとどこかわざとらしく微笑む彼を部屋に通した。

きっと、怒っているのだろうな。

私は不気味なほど晴れやかな顔をしている彼を見て、確信を深めた。

その証拠に、周囲の魔力が少しピリピリと揺らいでいる。

衰えた私でもわかるほどなのだから、それは間違いない。

やっぱり、彼と話をするのは憂鬱だった。


「それで、何のご用ですか?」


私はいつもはアリアが座る椅子を勧めると、お茶の準備に取り掛かった。

分かり切った話なのに、背を向けたまま問うのは失礼だとは思うが、そうせずにはいられなかったのだ。

幾ら必要なことだとはいえ、私は彼に面倒な役目を押し付けてしまったのだから。

アックス様はすぐには返事をしなかった。

恐る恐る振り向いてみれば、彼は勧めた椅子には座らずに、作りかけのお嬢様のドレスをじっと見つめている。

魔力の乱れはいつの間にか静まっていた。

はたして、どうしたのだろうか。

アックス様はお茶の準備すらさせてくれずに、すぐに責め立ててくるのだろうとばかり思っていた私は思わず、拍子抜けした。

お茶の準備を手早く済ませると、その側に立つ。

そして、恐る恐る声をかけた。


「それ……お嬢様の為に作ったドレスです」

「もうすぐ行われるチェス大会の?」

「はい。本当は殿下という存在が出来た以上、もう必要ないと思っていたのですが。やっぱり、最後ですので。作らせて頂くことにしました」


そう。本当ならば、私はもうドレスを作る必要性はないのだ。

今までそれを許さなかったルルーシュ家はもう既にない。

それだけでなく、殿下の婚約者となったからには、一流の仕立て屋に頼んで、宝石がいくつも輝くドレスを着ることだって出来る。

殿下はお嬢様を本当に大切にしているので、彼女が頼めば、異国から一風変わったドレスをわざわざ取り寄せることだって出来るだろう。

それでも、こうしてドレスを作っているのは私がそうお願いしたからだった。

すると、お嬢様もドレス作りに関しては私に全幅の信頼を寄せて下さっていたようで。

むしろそれどころか、貴女に頼むこと以外考えていなかったわ、なんて言葉まで頂戴してしまった。

そうして、そんな言葉を糧に、鋭意製作中だったのだが。

アックス様はドレスを見て、意外そうな顔をした。


「毎年チェス大会の衣装のテーマは『花』なんだろう? もっと華やかな色を選ぶと思っていたよ」

「ええ、私も初めはそのつもりでした」


芸術祭の場合は毎年、違う色のテーマがあるが、この学園のチェス大会において、テーマは毎年同じだった。

テーマは毎年「花」である。

というのも、ちょうど永久の騎士の儀式が重なるからであった。

本来、永久の騎士が姫に誓いを立てるのは春と思われがちだし、世間では一般にそうしているが、原作の中では冬だ。

諸説はあるものの、苦難の冬を乗り越え、春に花を芽ぶかせるという意味らしい。

確かに言われてみれば、騎士が誓いを立てた段階では、二人の前に問題が山積していた。

誓いはあくまでも二人で苦難に立ち向かうと決意した場面であり、まだハッピーエンドには程遠い。

だから、全てを解決したラストシーンおいて、ようやく春なのだ。

誓いが春だと思われがちなのは、花色の姫君というタイトルと、誓いの儀式ばかりが有名になってしまったからだろう。

何はともあれ、そういうわけでチェス大会では女子は花色の姫君に習って、花をテーマにしたドレスを。

男子は剣術を取っていない生徒でも騎士服を着ることになっているのだ。

そして、姫のために剣術選択者は決闘を、それ以外の人々はチェスで勝負をするのだ。

チェス大会と一口に言っても、実際にそれは最近の傾向であって、本来は剣を交えて決闘を行うものだった。

話は大いに逸れてしまったが、そんな風に「花」をテーマにしているのに、お嬢様に黒色のドレスを作ったのにはわけがある。


「やはり黒いドレスはお嬢様の髪色によくあっていると思いまして。特に黒い花はとても濃い赤がそう見えるだけとあって、尚更」

「なんの花をモチーフに?」

「……薔薇を」

「それは、また」


私が躊躇いつつ答えると、アックス様は途端に険しい顔をした。

私はアックス様がそんな顔をする理由にすぐ思い至って、苦笑を返す。

自分でもよくそんなセレクトをしたと思うから。


「よくご存知なのですね」

「俺、一度送られて来たことがあるから。女性関係がこじれちゃってね」

「貴方らしいです」

「知っていてそれか」


アックス様は深くため息をついた。

そして、じっと考え込むように、再度ドレスを見つめる。

そこには私の矛盾した想いが詰まっていた。

本当ならそうしてしまいたいけれど、決して口にはできない想い。

もし、お嬢様が気がついたら、どんな顔をするのだろうか。

安心、してくれるだろうか。

それとも、恐れを抱くのだろうか。


「君は本当に意地が悪い」

「なんとでも言ってください。私もそう思っていますから」

「歪んでる。そして、限りなく不毛だ」


アックス様は吐き捨てるように言い放った。

そして、本来の目的であっただろうそれを、私に投げつけた。

紙でできた封筒は、大した痛みもなく、私の胸元にぶつかると、ひらひらと絨毯の上に落ちる。

拾い上げた封筒には、宛名も送り主の名も書かれていなかった。

すでに一度開けられた形跡のあるそれから中身を取り出してみれば、中にはカードが一枚。

そこには思った通りのことが書かれていた。


「これは私に見せても良かったので?」

「今更しらばっくれなくてもいい。どうせ知っていたんだろ? もっと言えば、君が提案したことも俺は何となく予想がついたよ。全く酷いことをしてくれるね」


アックス様の目には軽蔑の色が浮かんでいた。

私はそんな目から逃れるように、カードに視線を落とす。

カードは命令書だった。

それも、私を殺せという、王国からの命令。

作戦の実行日は数ヶ月先ではあったが、そこには私のかつての二つ名であった「銀狼」の文字があった。

そうして王家に忠誠を誓わねば、アックス様諸共始末するということも暗に示されている。

私はそれを見て、思わずそっと笑った。

どうやら、クレア様はしっかりと私の望みを叶えてくれたのだ。

しかし、アックス様は私の反応が気に入らなかったようで。

次の瞬間にカードは粉々になっていた。

乱れた風魔法がカードだけでなく、私の指先にも小さな切り傷を作る。

観念して顔を上げてみれば、アックス様の顔に普段のヘラヘラとした表情はどこにもなかった。

数々の女性を虜にしてきたであろう、整った顔立ちを不機嫌そうに歪めている。

彼は乱暴に私のベッドに腰掛けると、足を組んでこちらを睨みつけた。


「死にたがり。何がおかしい」

「いえ、クレア様が私の望みをきいてくださったようで、嬉しかったものですから」

「望み? それが君の?」

「はい」


正直言えば、仕方がなかった。

これが私にとっても、周囲にとっても最善だったのだ。

ある意味、こうするしかなかったとも言えるが、どのみち私はこの先そう長くはない。

だったら、もう文句はなかったし、私はこれで幸せだった。


「王国と、私は取り引きをしました」


でも、私やお嬢様が幸せだとしても、アックス様もそうとは限らない。

だから、私には彼に説明する義務があった。

それが、私のわがままで巻き込んでしまったことに対するせめてもの償いだ。

アックス様は私の言葉に大して驚きは見せなかった。

私はそれでも彼が話を聞いているとわかっていたので、そのまま話を続ける。


「私の命と、ロエルの情報。それと代わりにお嬢様の救出とアックス様の地位の保証。それから、暫くの時間を貰いました」

「こうなることはわかっていたはずだ。国は俺の忠誠を確認する為に、共犯者たる君を殺せというはずだって」

「ええ。そのことは悪いと思っています。でも、殺人鬼たる私が切れるカードはそれくらいしか持ち合わせていなかったのです」

「他の貴族へのメリットをこじつけたのか。エレナリア様や殿下への不信感を生まない為に」


きっと、殿下やクレア様を説得できても、それだけでは他の上層部の作戦への同意は得られなかっただろう。

むしろ、敵方の令嬢を私的な理由で助けるというのは、今後においての不信感も生む。

だから、私は彼らに取引を持ちかけた。

ロエルを潰したいとは思わないか、と。

もちろん、私の存在は伏せ、かつてのヴェンデブルや今回の件でロエルに接触したことのあるお嬢様が有益な情報を持っているかもしれないと匂わせて。

その際、その情報が本当に有益であると思わせる為に、私はクレア様に幾らか機密情報を渡していた。

結果的に案の定、彼らは食いついた。

しかも、お嬢様が被害者側であったこと、それとこれまでのクレア様に助けられての他の貴族を救済してきた功績を考慮して、お嬢様自身が疑われることは無かった。

むしろ、お嬢様の身の潔白や家族からの仕打ち、そして彼女が密かに行なっていた領民への救済措置が明らかになり、どうしてかお嬢様が殿下の婚約者へと推す声が強くなる結果となったのだ。

それはともかく、救出後、私の存在はロエルからお嬢様の監視役として、ずっと見張っていた者ということになった。

いや、クレア様がそうしたと言うべきか。

何はともあれ、そんな感じで私は情報提供者となった。

無論、ロエルにいた時に犯した罪が消えるわけではない。

私は生き残る為だったとはいえ、三桁にものぼる数の人々を殺したのだから。

国もできることなら、役目が終われば、私を処分してしまいたいと思っている。

だから、こうして取引を持ちかけた。


「……俺の地位の保証なんていらなかったじゃないか」

「馬鹿を仰らないでください。アックス様が王国からの信用を失ったら、王国は脅威とみなして、あなたを殺そうとするかもしれない」


全ての事情を説明し終えると、アックス様はポツリと呟いた。

そんな彼に私は自分が言えたことではないが、事実を交えて危険性を口にする。

アックス様はわかってるさ、と素っ気なく言い返してきた。


「でも、こんなのはあんまりだ」

「必要なことです。けれど、巻き込んでしまってすみませんでした」

「違う、俺が言いたいのはそんなことじゃない」


アックス様は立ち上がった。

私がアックス様の苛立ちの正体がわかっていない様子に業を煮やしたようだった。

今にも胸倉を掴みそうなほどの怒りを前に、私は微笑みを浮かべ続ける。

魔力は息が苦しくなりそうなほどの圧力をもたらしたが、それすらも耐えた。

自分の罪深さはきちんと知っていたし、彼と同等に苦しい顔をする資格はないと思っていたから。


「俺は巻き込まれたことに怒っているんじゃない。友人である俺に君を殺せと言われたことに怒っている」

「その覚悟は出来ていたはずでは?」

「ああ。もし殿下を傷つけようというならね。けれど、君はそんなこと、絶対にしない。初めから知っていたから、言えたことだ」


確かに、私が王子を害そうという気は皆無だ。

それはお嬢様から幸せを奪うことでもあるし、彼の人となりを知って、殺そうという気持ちが起きるはずもない。

王城に忍び込んだ時、あれだけきっぱり殺せると言えたのは、私のその点を知っていたし、信用していたからだろう。

私はあの時、違うことを思っていたが、そう言われれば納得も出来る。

だとしたら、私が抱いていた感情は一方的なものでは無かったということだ。

自分勝手な自己満足に巻き込んでしまったことを申し訳なく思う。

私が嬉しいやら、申し訳ないやらで、どういう顔をすればいいのかわからずにいると、アックス様はふと突拍子も無いことを言った。


「そうだ。君はロエルに戻れ」

「嫌です」


返事は一瞬だった。

あそこに戻るのは死んでもごめんだった。

私がお嬢様を想うように、誰かの大切な人かもしれない人を私はもう、奪いたくは無い。

そこまでして、目的を果たせた今となっては生きていたくもなかった。

しかし、アックス様はあながち冗談で言っているわけでもなさそうだった。


「君を殺人マシーンにしたのもあいつらだ。なら、君をなおす方法だって知ってるはず。何も、ずっといるってわけじゃない。嫌ならすぐ逃げ出して来ればいいさ。一度、そうしたようにね」

「不可能です。今の私は彼らに見逃されていたに過ぎませんから。そして、もし彼らになおされれば、記憶を改竄される恐れがあります。その時、私はまたただの殺人鬼に成り果てるだけ。それだけは避けなくてはなりません」


それに、もしそうなれば、それこそお嬢様やアックス様に危険が及ぶことになるかもしれない。

この気持ちを忘れていたとしても、自分の手で彼ら、彼女らを傷つけるかもしれないなんて、嫌だった。

しかも、この選択はロエルを今後に残すことにもなる。

せっかく革命で不正貴族が居なくなったというのに、奴らのテロにまた怯えなくてはいけない羽目になるだろう。

殿下の治世はせめて平和であってほしい。

色々なことを考えれば、ロエルに戻るなんて論外だった。

アックス様も一度口にはしたものの、すぐにそれに思い至ったのか、それ以上はその意見に執着はしなかった。

代わりに他の可能性を模索するように、黙り込む。

彼はどうしても私を殺したくはないようだった。


「君は、本当に酷い」

「そう、ですね。否定しようもありません」

「……君は、本当は生きたいんだろう?」

「っ! そんなこと」


否定しようとした。

けれど、続く言葉は出てこなかった。

本当はそれが図星であることは自分自身、わかっていた。

もし、もしもだ。

私が今までのようにお嬢様に仕えていられる日々を続けられたらどうだろうか。

王妃となった彼女を、殿下と幸せに笑い合う彼女を、そしていつかは子供を育てるだろう彼女を、ずっと見ていられるとしたら。

私はぎゅっと胸が締め付けられる思いがした。

もしかしたら、私は生きたいのかもしれない。

それでも。


「私はお嬢様と一緒にはいられません」


私がこんな姿である以上、それは無理だった。

私の生きる目的はずっとお嬢様を幸せにすることだった。

そして、それは既に叶ってしまっている。

私の居場所はもう、どこにも無かった。


「私はやっぱり、初めから侍女なんて向いていませんでした。ずっと彼女を幸せにしようと思っていたのに、そうなった今はそれが耐えられない。ルルーシュの屋敷で依存していられたあの日々を恋しくさえ思っている。私は従順な侍女にはなれませんでした」

「それで、あのドレスか」

「はい」


侍女失格と自分のことを言った時、否定してくれたのはアックス様だ。

そこまでお嬢様のことを想えるのは君しかいないと。

けれど、今は違う。

お嬢様を想っている人はきちんといるし、あまつさえ私は彼女の不幸すら願ってしまっている。

最早、否定なんてしてもらえない、されてはいけないのだ。


「君は俺が殺せば、満足してくれるの?」

「ええ。私は憎きロエルより、見知らぬ騎士よりも出来ることなら貴方に殺されたい。友として、介錯をお願いします」

「はぁ、全く以って嫌な役目だね。そういう役目をいつも回されてきたけれど、いつまで経っても慣れない」

「慣れられないのが、普通ですよ。まだそういう感情を持てるだけ、貴方にも人の心があるということです」


最終的に不服そうながらも、アックス様は折れてくれた。

私はそんな彼に感謝の意味も込めて慰めの言葉をかける。

しかし、アックス様はやはり完全には納得していないと見えて、厳しく私を見据えた。

そして、驚くべきことを言い放つ。


「もし君が見た目通りの女だったら、キスしてでも……いや、無理矢理抱いてでも俺のものにするのに」


意趣返しの嫌味のつもりか、はたまた本気なのか。

アックス様の表情は揺らがなかった。

私は正直戸惑ったが、出来るだけいつも通りを心がけて、嫌味だと取ることにした。


「それは残念でした。あなたも随分と私に誑かされたものです」

「本当にね。俺はこれでも嬉しかったんだ。同じ境遇を分かち合える仲間が出来て。殿下には死んでも言えないことだったから」


先ほどの言葉はともかくとしても、これは私も同じだった。

裏の世界で生きてきた私がまさか友人を作れるとは、今までずっと、思いもしなかったから。

そういう点ではお嬢様とは別の意味で、アックス様は大切な人なのだ。

彼は私の正体を知っても、軽蔑しないでくれていた。

それだけでなく、こんな私の幸せも考えてくれていた。

私はこんな人に出会えて、本当に嬉しかった。


「で、どうするんだい?」


私が静かに喜びを噛み締めていると、アックス様がふとそんなことを尋ねてきた。

突然の主語のない質問にキョトンとしていると、アックス様は顎でドレスの方をさす。

お嬢様のことについて言いたいようだった。


「エレナリア様のことだよ。どうやって、彼女と別れるつもり? 俺は君の今の説明でもいいけどさ、君のお嬢様に同じ話をするわけにはいかないだろう?」

「ああ、なるほど。そうですね。私も考えあぐねていたところです」


まさか、お嬢様に死ぬから侍女を辞めたいだとかを言うわけにはいかない。

それは私の頭を悩ます、一番の要素だった。

また嘘を重ねなくてはならないと思うと心苦しいが、これから輝かしい人生を送るであろうお嬢様に悲しい出来事は似合わない。

私のことを引きずって欲しくはないのだ。

私が思考の沼にはまってしまいそうになっていると、アックス様がため息をついた。

そして、呆れたように言う。


「はなから、エレナリア様に話す、という選択肢はないみたいだね」

「それは、もちろんです。ロエルにいた、ということはバレてしまいましたが、これ以上をお嬢様が知る必要はありませんから」

「知る必要はない、か」


アックス様は思案顔で私の言葉を繰り返す。

私が視線で言葉の先を促すと、彼は微笑んだ。

途端、ふわりと周囲の魔力が急に柔らかみを帯びる。

彼の声音は優しく、諭すようだった。


「真実を、話すべきだと思うよ」

「でも、それは……」

「躊躇うのはわかるよ。けど、別に俺は全てを話せと言ってるわけじゃない。断片的に話せ、と言ってるんだよ。君の身体のこと、君の心、君のいく先、あの夜のこと、なんでも構わない。どれか一つでも話すべきだ」


先ほどまであれだけ私に刺々しい態度をとっていたのに、急に雰囲気が柔らかくなったものだから、私の心はぐらついてしまう。

少しくらい、我慢しなくてもいいだろう、と思ってしまう。

それでも、私はなけなしの意思を振り絞って、弱々しい反論をした。


「迷惑、ではないでしょうか」

「あの人が迷惑だなんて思うもんか。むしろ、あの人は君に頼って貰えなくて、不安に思ってるくらいだ。きっと、話した方があの人も安心する」


私は、そんなに頼りない主かしら。

そう言って、悲しい顔をしたお嬢様の表情が脳裏に蘇る。

確かにアックス様の言う通りだ。

お嬢様は私が何も言わないことを悲しんでいた。

やはり、何かを言うべきか。いや、でも何を?

私が縋るようにアックス様を見ると、彼は私を突き放すように、首を横に振った。


「それくらいの考える時間はあるはずだ。よく考えればいい。けど、きちんと考えていてくれ。俺は未練たらたらの君なんか、殺したくないからね」


もうこれ以上の面倒はみきれないというように、彼は立ち上がった。

そして、そそくさとドアの方へ歩いて行ってしまう。

けれども、最後に私を振り返った。


「ただ、エレナリア様はきっと知らない方が後で後悔する。それだけは覚えていて」


パタン、とドアは閉じられた。

私は一人、部屋に残されて、呆然と立ち尽くす。

今まで、ずっと我慢しようとしていた想いが溢れて、苦しかった。

ぎゅっと胸元を掴んで、緩んでしまった感情のネジを必死に閉めようとする。

そんな時、視界には黒いドレスが映った。

私の重い想いが詰まったドレス。

醜い僕の心を反映したかのように黒いそれを、不意に引き裂きたい衝動に襲われた。

違う、そうじゃない。

僕が本当にお嬢様に伝えたかったのは。


「どうしろってんだよ」


部屋に残されたのは静寂と黒い薔薇。

そして、消えかけの暖炉の火と口汚い僕の呟きだけだった。


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