悪役令嬢と王子の朝
東の空が赤く染まり始めるころ。
春になって少し経ち、お嬢様の学園編入からも約一か月が過ぎた今日この頃。
私はベッドから起き上がり、まだぼんやりとする頭を左右に振った。
昔から朝は苦手なのである。
私はまた塞がりそうになる目を擦りながら、質素な使用人用の部屋を見渡した。
隣では同室であるクレア様の侍女、アリアがまだベッドの中で目を閉じていた。
「今日も朝が来た」
そのことに私はほっと安堵する。
前職に就いていたころは、毎日目が覚めるかびくびくしていたものだが、最近は平和な日々が続いている。
特に学園に来てからは、平和そのものだ。
とはいえ、不穏なことが無くなったわけではないので、油断はできないのだが。
それでも、今日のように一晩中寝ることができる日も多くなった。
本当にここへ来てよかった、と私はベッドの上で思わず笑みを浮かべた。
さて、お嬢様をそろそろ起こしに行かなくては。
「髪は良し。服に皺も無いし、体の調子も良好。声も大丈夫。お嬢様の側にいても平気だね」
鏡の前でくるっと一回転。
今日もエプロンドレスに身を包み、準備は万端だ。
始めは慣れなかったこの格好も今では何よりも落ち着く。
銀色の伸びた髪も空色の瞳も目立つ為、苦手だったが、今では自慢の美しさだ。
そうして、準備を終えた後は、ちゃちゃっと朝食を済ませてしまう。
パンにベーコン、目玉焼き。
この学園では使用人に与えられる食事も上質で、私は好きだった。
部屋に備えられたキッチンでフライパンを握っていると、いい香りが部屋に漂い始めた。
その匂いで、いつも通りアリアが起きてくる。
「ふああっ、おはよう。リオ。今日も相変わらず、朝が早いねぇ」
「おはよう、アリア。アリアの分も出来てるよ。私は食べたから、アリアも食べてね」
「わぁ、おいしそう! いつも悪いね。これでも私だって朝は得意なはずなのに! いつもリオは先に起きてるんだもの。私、リオのそのエプロンドレス姿しか見たことないよ」
「まぁ、そうだね。でも私の朝は異常に早いだけだし、気にしないで。じゃあ、私はお嬢様を起こしに行ってくるから」
「うん、ありがとう。行ってらっしゃい」
私はいつも通り、アリアの見送りを受けながら、部屋を出た。
貴族の子弟が多いため、それに比例して多い使用人達のために与えられた棟を出て、隣り合う女子寮へと向かう。
まだ寝てるものがほとんどのこの時間帯は、とても静かだった。
私は彼女たちを起こさないよう、足音に気を付けながら最上階のお嬢様の部屋へと向かう。
どういう仕組みかは知らないが、最近魔導開発された、魔力で動く昇降盤に乗って、上がった先の廊下を突き当り。
控えめなノックをして、部屋に入ると、お嬢様はベッドの上で丸くなっていた。
スースーと穏やかな寝息を立てて、ぐっすりと眠っていらっしゃる。
いつもは無表情に近い顔も今は無防備に年相応の少女のものになっていた。
お嬢様も最近は随分と平和になったおかげで、こんな表情が出来るようになったらしい。
私は暫し、その寝顔を見つめたまま立ち尽くしてしまった。
「お嬢様」
でも、いつまでもそうしているわけにもいかず、私はお嬢様に声をかけた。
そして、肩を軽く揺する。
まだ、ううっと軽く呻くだけで目は開けない。
しかし、呻くということは眠りが浅くなっている証拠だ。
私はとりあえずお嬢様をそのままに、朝食づくりを始めた。
お嬢様は朝ごはんを作っているうちに起きてくるだろう。
まずはポットに水を入れて、火にかける。
それから、卵をオムレツにして、サラダを盛りつけ、パンとジャムをテーブルに並べた。
お嬢様の朝食は侍女である私たちとは違って、ちょっと上質だ。
パンに使われる小麦粉は最高品質のものだし、使用人にはつかないジャムは学園で育てられた苺から作られている。
茶葉も好きなものを取り寄せられるので、お嬢様のお気に入りを今日も淹れられる。
全ての準備が終わるのと、お嬢様が起きてこられるのはほぼ同時だった。
お嬢様はふらふらと覚束ない足取りで席に着いた。
目の焦点は合っておらず、どこか遠い場所をぼうっと見つめていた。
お嬢様も私と同じで朝には弱いのだ。
だから、ほかのご令嬢よりも少し早めに起きて、ご準備されるのだ。
お嬢様の前にティーカップを置き、紅茶を注ぐと、お嬢様の目がようやくこちらを見た。
「リオ、おはよう」
「おはようございます、お嬢様」
私はにこりとお嬢様に微笑みかけた。
お嬢様はけだるげな表情でゆっくり頷くと、紅茶を口にされる。
そのころにはいつもの「悪役令嬢」に近い顔に戻っていた。
お嬢様が優雅に食事を食べられている間、私はお嬢様の制服と剣術のための動きやすい服装を用意する。
それから、ベッドメイキングを始めとした軽い掃除と、食器洗い。
お嬢様が食事を終えられたら、髪を梳き、制服を着せる。
と、いつも通りの流れをこなそうとしたところで、お嬢様からストップがかかった。
「待って、リオ。今日は時間があるでしょう?」
「はい、今日はいつもよりだいぶ早いですね。どうされました?」
「相手、してくれないかしら?」
「稽古がしたい、ということでしょうか」
「ええ。だから、制服じゃなくて、そっちに着替えるわ。自分でも着替えられるから、リオはその準備をしていて」
「わかりました」
本当ならば、着替えを手伝わないなど、侍女としては失格だ。
けれども、お嬢様は普通のご令嬢ではない。
剣術をこよなく愛する、変わり者の悪役令嬢だ。
私も初めのころこそ渋ったが、今ではお嬢様が自分の意思をてこでも曲げない方だと知っている。
説得することは早々に諦め、私はおとなしく頷いた。
お嬢様の剣やタオル、動きやすい靴を用意してから、自分の武器を腰に携えて外に出る。
廊下は来た時ほどは静かではなかったか、それでも起きている人は少なかった。
外に出てみると、空はすっかり明るくなっていた。
春を少し過ぎた今の朝はだいぶ暖かい。
少し遅れて外に出てきたお嬢様も気持ちよさそうに目を細めた。
「いい天気ね」
「そうですね。さて、稽古場に行きますか?」
「鞄も持ってきているしね。そうしましょう」
私はお嬢様の学校の用意と、稽古に必要な諸々を抱えながら歩き出した。
数歩先を行くお嬢様の背中を追いながら、閑散とした道を行く。
そういえば、クレア様には何も言っていないけれど、お嬢様のことだから「魔法」で伝言もちゃんとされているのだろう。
魔法、それはこの世に古くから存在している謎の多い力のことだ。
その力は人間はもちろん、動物や魔物、空気中にもある。
想像力や本能、言葉などと発動する条件は実に様々で、出来ることも多岐にわたる。
火をおこしたり、風を吹かせたり、水を生み出したりと、魔法には未知なる可能性が秘められていた。
事実、世界中で魔道研究者たちが魔法という事象について、日々研究に時間を費やしている。
この学園でも、ほぼ全員が魔法について学んでいた。
因みに魔法にはそれぞれ適正というものがあり、使えるものは限られていたりする。
お嬢様はその容姿に相応しく炎と闇を適正としていた。
「お嬢様、今日の稽古では魔法はありにしますか? 私は使いませんが、ハンデとしてなら……」
「いらないわ。剣だけで戦う。リオにハンデ付きで勝っても、嬉しくないもの」
「そう言うと思いました」
そうこう話しているうちに、稽古場にたどり着いていた。
私は隅のほうに荷物を置いて、軽く飛んだり走ったりして、体を温める。
お嬢様もストレッチをして、体をほぐしていた。
お嬢様との手合せはこの学園に来て以来、久々だ。
領地のお屋敷では毎日のようにしていたが、ここではお嬢様もご令嬢として振る舞わなくてはならないため、その機会もめっきり減っていた。
学園に来て間もなく、慣れるまでが忙しかったというのもある。
だから、今日の手合せは私も楽しみだった。
果たして、この学園に来てからお嬢様は変わられたが、剣術のほうはどうだろうか。
「リオ、準備はいい?」
「いつでもどうぞ」
「行くわよ」
お嬢様はそう言うと、前触れもなくいきなり攻撃を仕掛けてきた。
アナ様と戦った時とは明らかに違う、本気の素早い攻撃。
瞬きをする間もなく間合いを一瞬で詰めてきた。
綺麗な姿勢で放たれた一撃を私は自分の武器である二本のタガーをクロスさせて受け止めた。
腕にかかる衝撃はずっしりと重い。
威力はこの華奢な体のどこから出せるんだというほどのもの。
それでも、私を押し切ることはできない。
私はそれをタイミングをずらして押し返すと、少し後退したお嬢様に肉薄した。
そして、腕を狙って右手のタガーを一閃。お嬢様の手から剣を奪うつもりだった。
万が一当たっても怪我をしない程度の手加減しつつ、放った一撃はそれでもいつもなら決まるはずだ、だが。
「お嬢様、腕をあげましたか」
「まぁね。他の人の動きを真似てみたのよ」
お嬢様は先ほど押し返されて、緩んでいたはずの手で剣をしっかりと握り、私の攻撃を受け止めていた。
それどころか手を返し、衝撃を逃がすことで攻撃を無力化までしている。
パワーと素早さが持ち味のお嬢様の剣術とは思えない、繊細な剣さばきに私は驚きを隠せずに攻撃の手を休めた。
お嬢様は獰猛に目を光らせながら、更なる攻撃を仕掛けてくる。
右、左、突き、払い、フェイント、下から。
私は多様になったその剣筋を見極めながら、全てをよけきる。
確かに腕は上がっているが、まだたった一か月だ。
そう簡単にお嬢様の癖は抜けないし、大体の部分に変化はない。
実力面に関しても、経験値が違うため、私にはまだその部分でアドバンテージがあった。
だが、あと数年。
もしこのまま鍛錬を重ねれば私と肩を並べるほどに、いや私を超えるほどになるかもしれない。
「だけど、今ではない」
私はお嬢様の攻撃にスキを見つけると、そこに飛び込み、回し蹴りを放った。
お嬢様はとっさに受け身をとるものの、モロにくらって立ち上がることは出来ない。
倒れこんだお嬢様の首元に、私はすぐさま刃先を突きつけた。
「勝負あり、ですね」
「また、負けた。それもあっという間に」
お嬢様は悔しそうに表情を僅かに歪めた。
しかし、直ぐにその表情は消えうせる。
戦闘の時はいつもと違って表情が豊かなだけに、その落差は激しいがいつものことだった。
私はお嬢様を蹴り倒してしまったことを詫びてから、再び立ち上がった。
お嬢様に手を貸して立たせると、お嬢様は今日の戦いの反省点を聞いてきた。
「今日はもう少し出来ると思ったのに。さすがはリオね。この学園では敵なしでも、リオには全く歯が立たなかったわ」
「まぁ、貴族のお坊ちゃま方に負けるような腕の磨き方はしていませんからね。当然のことです」
「……そうね、どこを直したらいい?」
「やはり、もう少し攻撃にメリハリをつける必要があるかもしれません。今のままでは、搦め手でいくにも、力押しで行くのにも中途半端です。もう少し相手の様子を見て、臨機応変に戦うべきです」
「なるほど。確かにそうね。今回は新たな試みに気取られすぎていたわ。もっとあの技術を自分のものにしないと」
「それは授業でも出来ることですからね。なんなら、私もお手伝い致しますから」
「ありがとう。また、付き合ってね」
「もちろんです。……それと」
私はそこで一旦会話を中断すると、戦闘中ずっと背後から感じていた気配のほうを振り返った。
お嬢様も気が付いていたらしく、スッとそちらを睨み付ける。
私にはこの気配に敵意がないこと、身に覚えがあることに気が付いていたので、特に警戒することもなく側の茂みに呼びかけた。
「殿下、いったいそこで何をしていらっしゃるのです?」
「殿下? リオ、まさか」
「すごいな。気配だけで僕だと見破るなんて」
木の陰から現れたのは、ついこの間の授業でお嬢様が助けたルクス殿下だった。
プラチナブロンドの柔らかい髪に王家特有のアメジスト色の瞳は間違いない。
この学園の三年生にして、この国の第一王子、ルクス・フォード・アメリストス様その人だった。
お嬢様は唐突に現れた思わぬ人物に軽く目を見張る。
王子はそんなお嬢様の様子を知って知らずか、歩み寄ってくるとお嬢様の前に立った。
そして、さわやかな笑みを浮かべる。
「君がエレナリア・ルルーシュだね」
「はい。こうしてお話させていただくのはお初になります、赤き花の紋章、ルルーシュ侯爵家の長女、エレナリアでございます」
「ああ、知っている。噂はよく耳にしているよ。人形の悪役令嬢、だったね」
とんでもない呼び名だな、と殿下は面白そうに目を細めた。
そこに他の者が向ける嫌気や軽蔑は微塵も見当たらない。
あるのはどこまでも純粋な好奇心。
殿下はまるで玩具を見つけた子供のような目でお嬢様を見つめていた。
殿下の深い紫色の瞳を前に、お嬢様はコテリと機械的に首を傾げた。
さっきまでの獰猛さや、僅かな表情の変化も今は見当たらない。
笑顔の殿下と無表情のお嬢様。
それは何とも異質な空気だった。
私は息をそっと潜めながら、その成り行きを見守った。
「はて、悪役とは心外ですね。わたくしとしては当然のことをしたまでなのですが」
お嬢様の悪役令嬢ぶりはこの国の王子が相手でも、揺らぐことがなかった。
むしろ、いつもよりも磨きがかかっているようにも見える。
お嬢様は殿下の瞳に自らのオレンジ色の瞳を堂々とぶつけると、ツンと顎を挙げた。
「まぁ、人形というのは自覚がありますがね。この世界はあまりに退屈で、つまらない。このわたくしの興味を揺り動かすものはそうありませんから」
「なるほど。この世界は君には取るに足らないもの、ってことか」
「そういうことですわ」
殿下は腕を組んで、深く頷いた。
そのまま何かを考え込むかのように、うつむき一時の沈黙が流れる。
私は内心、少しヒヤリとしていた。お嬢様の発言は実は危なかったりするからだ。
この国は王によって治められている。
だから、「この世」というのは意味の取り方によって、王の治めるこの国という意味にもなりえるのだ。
それを、お嬢様はつまらないと言ってしまったわけで。
相手にその気があったのなら、これは不敬罪にされてしまう危険がある発言だった。
少なくとも、悪役令嬢と呼ばれるお嬢様ならその揚げ足をとるだろう。
殿下はサッと再び顔をあげた。
かと思うと、挑戦的に口元を歪める。
私はその表情に見覚えがあるような気がして、戦慄した。
ああ、そうだ。
これは、お嬢様が剣を手に強敵を目の前にした時の顔だ。
「本当に面白い。君みたいな女性は見たことがないよ」
「あら、光栄ですわ。つまらない女は御免ですもの」
「本当だよ。君は何もかも普通とは違う。なんというか、とても新鮮だ。強気な発言をするかと思えば、何事にも揺らがない無表情。剣を握れば、獰猛な牙をむき、そのくせどこか儚い雰囲気を持っているなんて。それに、僕に媚びを売るそぶりは全くないし、むしろ喧嘩を吹っかけてくるとはね。不思議だ」
「それ、褒めていらっしゃるの?」
「もちろんさ。君のようなちぐはぐな人間は、この世に二人といないだろう。それだけ尊く、美しい存在だ」
殿下はいつのまにかうっとりと熱っぽい視線で、お嬢様を見つめていた。
普段は誰にでも平等に優しい笑顔を向けると評判の殿下。
今の様子をご令嬢方が見れば、思わず目を疑ってしまうだろう。
――殿下が、恋をしていらっしゃる。――
それは今、だれが見ても明らかなことだった。
誰が、といってもこの場には私とお嬢様しかその表情を見る者はいないが。
私は己の心の中がスッと冷え切っていくのを感じ取った。
ああ、お嬢様の魅力に取りつかれてしまった人がまた出たようだ。
「エレナリア」
「なんでしょう?」
「君、この学園に流れている自分の噂のこと、どこまで知っている?」
「さて。どうでしょう。殿下の指す噂がどれだかわかりませんことには、何とも」
「君と僕とのことだよ。なんでも、僕は君のもの、という暗黙の了解があるらしいじゃないか。この間の授業でもそれが引き金になって、アナ嬢に決闘を申し込んだとか」
「ああ、あれですか。わたくしは否定しているのですがね。殿下が不愉快に思われるなら、今すぐ取り消すようにお願いしますが?」
お嬢様は心底興味なさそうに、殿下の言葉を聞いていた。
それが何を意味するのか、ということくらいお嬢様もわかっているはずなのに、だ。
ここでも表情はピクリとも動かなかった。
ある意味でとても残酷だが、これがお嬢様なのだ。
殿下も短いやり取りの中でそれがわかっているのか、特に傷ついた様子も見せずに言葉をつづけた。
「いや、いい。むしろ、好都合なんだ。あれでずっと付きまとっていたアナ嬢も諦めてくれるようになった。それに……僕は、君にあの時心を奪われてしまったから。僕の心はすでに君のものだ。もう、あの噂は噂じゃない。真実だ」
告白、とも取れるその言葉。
殿下は恥ずかしげもなく、サラッと言い放った。
私も言葉の意味を咀嚼するのに、数秒を要してしまう。
まさか、こんなに早くアプローチしてくるとは。
観察眼に優れているとお嬢様によく言われる私もさすがに予想外だった。
彼はこの国の第一王子。
その言葉がどれほどの重みを持っているのかなど、次期国王として育てられてきた彼が理解していないはずもない。
殿下にアプローチされるとは、この国王妃に、そしていずれは国母になれと言われていることと同然だ。
あまりに重く、大きい責任。
しかし、それでもお嬢様はお嬢様だった。
一瞬鋭く息を吸い込んだものの、それ以上の反応はしない。
普通の令嬢なら呆然としてしまうか、歓喜に有頂天になるかのどちらかだろう。
もちろん、「普通ではない」お嬢様はそのどちらでもなかった。
冷静に、落ち着いた声音でそれまでと変わらぬ強気な言葉を吐いた。
「あら、この国の第一王子殿下に見初められてしまうとは、わたくしも罪な女ですわ」
「君にはそれだけの魅力があるということだよ」
「でも、あまりうれしくはないですわね。今以上に地位に縛り付けられて、自由の羽を捥がれてしまうなんて、あまりにも退屈すぎるんですもの」
わたくしの魅力が減ってしまうじゃない、とお嬢様は悠然と口元に弧を描かせた。
相も変わらず人形的な動きで、傲慢な振る舞いを披露する。
私はそのことに、安堵していた。
これでこそ、お嬢様。
唯一無二で誰のものにもならない、私の主。
ちょっとやそっとのことじゃ、作り上げられた仮面はびくともしなかった。
「だから、殿下の口説き文句には否、と返しておきましょう」
「……ああ。それでこそ、君だ」
「フフッ、わたくしのこれが全てだとは思わないでくださいな。わたくしはすべてを誰にでも見せるような、安い女じゃありませんの」
苦笑する殿下に、お嬢様は傷をえぐるようにして言った。
今まで笑みを保ち続けていた殿下もそれには表情を引きつらせていた。
でも、まぁ好意が見え隠れしているあたり、諦めるつもりは毛頭無いようだった。
立ち上がりも早く、今度はこちらに視線を向けてきた。
それどころか、ただの従者でしかない私に声をかけてきた。
「そういえば、君もこの学園の噂の一人だったね。悪役令嬢の側に常に控える、銀色の妖精」
「リオ、と申します」
そんな噂もあったか、と私は思い出しながら深々と平伏した。
殿下はそんな私に顔をあげる許可をすると、普通に話すようにとの指示をいただいた。
私も侍女でありながら、もともとは身分の低い出身だったために、そのほうがありがたい。
公の場でもないので、ありがたくそれを受けると、顔をあげた。
「そうか、リオ。君の実力には僕も驚かされたよ。まさか、気配だけで僕の正体を見破られてしまうとは。それも、エレナリアと戦っていたにもかかわらず、僕の気配にずっと気が付いていた」
「いえ、お嬢様を守る者として当然のことです」
「まさか。普通の侍女にはあんなことは出来ないよ。それに、あんな戦いも。もしかしたら、王国騎士団長でも勝てないんじゃないか? 相当な努力をしていると見受ける」
「殿下にお褒めいただけるとは至極光栄です。ですが、騎士様に勝てるなどとはとても」
口では謙遜しながらも、実際のところ、騎士団長にも勝てる自信はあった。
というか、一度手合せもしたことがある。
その時は急いでいたせいで、決着をつけるには至らなかったが、その寸前までは追い詰めた。
これは、お嬢様にも話していないことなので、言うつもりはさらさらないが。
「さて、どうかな。まぁ……でも、いい。それよりも、君はこの学園でも珍しく四六時中主に付き従っているそうだね」
「わたくしがそうさせているのですわ」
「ということは、君がリオを信頼している、と」
「まぁ、そうね。小さいころから一緒ですもの」
私の代わりに質問に答えたのは意外にもお嬢様だった。
お嬢様は殿下の返しにさも当然のように答えた。
私は信頼されているのだと、改めて今感じて胸が熱くなった。
ああ、これだからこの人の側は離れられないのだ。
お嬢様は軽くポンと私の肩をたたくと、私の前に出た。
その悠々と足取りに、未だお嬢様が悪役令嬢モードであることを察する。
お嬢様は扇子を口元に持っていくと、殿下に流し目を送った。
「それで、リオを誑し込んでどうするつもりでしたの?」
「はて? なんのことかな?」
「恍けないでくださる? あなた様が何かわたくしに言いたいことがあるのはお見通しですから」
「……参ったな。まぁ、そうだ。僕は君をお誘いしたくてね。リオはその口実、かな」
「お誘い、ですか」
これにはお嬢様も首をかしげる。
たかだか侍女でしかない私を口実にしてかけるお誘い。
確かに殿下の好意を受けなかった手前、誘いにくいし、何かしらの口実は必要かもしれない。
けれど、私を踏み台にして、というのは中々思いつかなかった。
殿下もそんな私たちの様子でわからないことを察したのか、すぐに答えを教えてくださった。
「おや、覚えていないかい? 剣術の授業で言われた合宿のこと」
「ああ、そういえば」
ローナ先生がそんなことを言っていた気がする。
あまり詳しいことは毎度お嬢様への挑戦が後を絶たず諫めるのに苦労していたので、覚えていなかったが。
お嬢様に至っては合宿のことすら知らないようだった。
「合宿では班を六人で組むそうなんだが、生憎まだ良い相手が見つからなくてね。まだ僕と友人。それから騎士階級の二人なんだ。僕には確かに浅く広い人脈はあるが、媚び売るやつらが圧倒的に多くてね。信用できるものも頭でっかちが主だ。信用出来る者で剣術の実力を持つ者、というと厳しくてな」
「それで、わたくしたちを」
「そういうことだ」
なるほど。
私を出しに使ったのは私に剣術の実力があり、かつ、お嬢様に信用されていたからか。
そう言われれば、納得できた。
お嬢様は少し考えるそぶりを見せた後、私に視線で意見を問うてきた。
別に私自身は何とも思わないし、殿下がお嬢様を傷つけるようなこともなさそうなので、いいとは思うのだが。
でもやはり、先ほどのアプローチをかわしたことを考えれば居にくいというのはあるだろう。
「迷っているようだね」
何度か目線でやり取りをかわしたあと、殿下が口を挟んできた。
お嬢様は珍しく僅かに眉を顰めてから、頷く。
いくら悪役令嬢と呼ばれていようが、相手は王族。
殿下は目上の方なのだ。
あまりにも足蹴にしていると、不敬にあたる。
お嬢様もそんな打算的な部分も考えているはずだ。
だから、尚更決めにくい。
「もし、僕の血筋や礼儀などを考えているのなら、それは無視してくれていい」
「そんなわけには参りませんわ。今の私はこの貴族社会に縛られている身。そんなことはわたくしの沽券にかかわります」
「いや、いいんだ。これはあくまでもプライベートな話。僕は君のありのままを見てみたい。君が縛られているのは似合わないから」
殿下はそれに、と続けてほほ笑んだ。
「僕は全力で君を落としに行かなきゃならない。そんなものは僕にとっても邪魔でしかないのさ」
そう言われれば、お嬢様が誘いを断る術は既に失われていた。




