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悪役令嬢は決別す

「かっ、カレンおば様!?」

「あら、あなたがシャインね。初めまして」


殿下やアックス様、挙げ句の果てに騎士団長や筆頭魔導師、クレア様まで巻き込んで練った「エレナリア様奪還作戦」決行当日。

ルルーシュ家の人気のない、客間の一室にて。

そこには王城から帰ってきた私とルルーシュ家を守ってくれていた侍女長、そして私の見張り役としてつけられた騎士団長の孫……つまり、シャイン様とが集っていた。

その目的は奪還作戦についての最終打ち合わせをする為。

作戦が失敗する可能性はほぼほぼないとは言え、互いに情報を共有しておいて損はないだろう、との考えからのことだった。

そんなわけで、私たちはここに集ったのだが。

シャイン様は侍女長が待つ部屋に入るなり、彼女を見て、素っ頓狂な声をあげた。

侍女長はそれに対し、にっこりとした笑顔を崩さなかったが、シャイン様は驚きを隠せずに侍女長の顔をマジマジと見つめている。


「カレンおば様……ッスよね。爺様の妹にして、王国最強騎士だったという」

「ええ、そうよ。よくわかったわね。あれから随分と歳をとったというのに」

「いや、王城で見かけた肖像画と全然変わってないッスから! えっ、父様より年上なんて、信じられないッス」


確かに、それは私も思っていた。

彼女の言っていた年齢が本当ならば、侍女長は現在六十代。

この国の平均寿命はとっくに超えているはずなのに、腰も曲がっていなければ、シワだってまだ少ない。

彼女は四十代前半、と言われても普通に通じそうなレベルで若々しかった。

それどころか、剣を腰に携える今の姿はあまりに凛々しすぎて、その風格は現役騎士たちにも勝る。

騎士団長が七十代にして現役というのも驚かされたが、侍女長は見た目に関してもその上をいっていた。

しかし、シャイン様を襲う驚愕の原因はそれだけではないらしい。

シャイン様は興奮気味に侍女長へとその疑問をぶつけた。


「それにしても、伝説の騎士が引退後、二十年間行方不明、って今でも残る話題ッスよ。まさか、こんなところにいたなんて」

「実は陛下からの勅命で、このルルーシュ家に潜入していたのよ。初めはもっと早く戻るつもりだったのだけど、お嬢様のことがどうも心配で。バカ兄に孫が出来たとは風の噂で聞いていたけれど、戻るに戻れず、あなたに会うのは初めてになってしまったわね。ごめんなさい」


そう言って、侍女長は申し訳なさそうに微笑んだ。

私も侍女長には何かしらの目的はあると踏んでいだのだが、潜入の為だというのは初めて聞いた。

もちろん、予想はしていたので、大して驚きはしなかったが、本人の口から聞くのはまた違う。

それにしても、あの騎士団長をバカ兄呼ばわりとは、よっぽど力関係では侍女長が優っていたらしかった。

確かに思い返してみれば、騎士団長はあの自由すぎる筆頭魔導師にすら呆れられていた場面もあったので、言われてみると納得できてしまうのだが。

シャイン様は侍女長の謝罪を受けて、恐縮しきった様子で首を振った。


「いえ、そんな。むしろお会い出来て光栄ッス。カレンおば様はおれの憧れッスから」

「まぁ、あのバカ兄の孫とは思えないくらい良く出来た子ね。よっぽど良い(ひと)に巡り会えたのかしら」

「確かに爺様は婆様の尻に敷かれてはいるんスけど」


殿下への忠誠は本物だったので、頼もしいと思っていた私の中の騎士団長像が孫と妹の会話によってガラガラと音を立てて崩れていく。

これには私も苦笑いせざるをえなかった。

でも、これでまだ実力としてはまだ不足気味であるシャイン様が私の見張り役になったワケがようやくわかった。

きっと、騎士団長は侍女長のことを信頼しているのだろう。

なんと言ったって、侍女長は元王国最強騎士なのだ。

彼女がいざという時、何が正しいのかを判断できると信じているから、騎士団長は未熟なシャイン様でも見張り役が務まると考えたのだろう。

もっと言えば、シャイン様を選んだのはあえて孫の経験を積ませることも兼ねているのかもしれない。

とはいえ、現役を退いた者と騎士見習いではやはり警戒が足りないと言うべきか。

今は弱体化しているとはいえ、私だって元ロエルのプロの暗殺者だ。

まぁ、そのあたりはアックス様と侍女長を味方につけたことで、私に対する見方も変わったのかもしれないとプラスに考えることにする。

元より、私に彼らを裏切るつもりは毛頭ないのだから。

逆に私が捕らえられてしまう心配をしておく方が余程建設的というものだろう。

私はすっかり無力と化してしまった己の身のことを思って自嘲しながらも、今は作戦のことの方が重要だと言い聞かせて、思考を切り替えた。


「で、作戦の経過はどうですか」

「屋敷の包囲に関しては、概ね順調らしいッスよ。ルルーシュ卿が雇っていたのは所詮傭兵でしたんで、王国騎士団が来るって聞いた途端、尻尾巻いて逃げ出したッス。あとはおれらの合図待ちってところッスね」

「侍女長は?」

「屋敷内にいるメイドや使用人達の退避も済みました。ですが、まだ侯爵家の方々はまだ気づいていない様子です。このままいけば、問題はないでしょう」

「お二人とも、ありがとうございます。……となると、残る問題は」

「エレナリア様のことッスね」

「ええ」


そう。お嬢様を除く、ルルーシュ家を壊滅させるための準備は整った。

残る問題はお嬢様の気持ちだけだ。

きっと、お嬢様が今の状況を知れば、私に対してどうしてこんなことをしたのだと怒るだろう。

これはお嬢様の選択を踏みにじることと同じことなのだから。

もちろん、お嬢様が納得しなかったとしても、今更この作戦はなかったことにはならない。

なんと言っても、国の上層部や革命軍まで巻き込んでしまったのだ。

最早、お嬢様の意思だけでどうとなる問題ではない。

不正というものに手を染めてしまったルルーシュ家の命運は既に尽きている。

そんな中でこの時間が与えられたのはクレア様や殿下からのせめてもの慈悲だろう。

だから、お嬢様には今ここで、「家族と上手くやっていけるかもしれない未来」という天文学的な数字でしかありえない可能性を放棄して頂かなくてはならなかった。

それから、己を不幸に貶めようとする弱さも。


「行きましょうか。お嬢様の元に」

「お供するッス」

「私は屋敷に騎士達がいつでも入れるよう、手配してきます。お嬢様を頼みました、リオ」

「はい。もちろん」


部屋を出て、私達は侍女長と別れた。

侍女長が行ってしまった後で、私は深くため息をつく。

遂にこの時が来てしまったのだな、と少し寂しくなってしまった。

まだ別れの時ではないにせよ、今回のことはそれに一歩近づくことであり、またもう戻れないところまで来てしまうということでもある。

それを思うと、お嬢様の部屋へと向かう足取りがやけに重く感じた。

そんな私の様子に気がついたのか、隣を歩くシャイン様は気遣うような表情を見せた。


「リオさん、寂しそうッスね」

「ええ。お嬢様とは十年も一緒ですから。これがお嬢様の幸せなのだとしても、やっぱりそう思わずにはいれません」

「十年。それは長いッスね。無理もないッス」

「シャイン様は、どうなのですか?」

「おれ、ッスか」

「ええ。好きだと言っていたではありませんか。今回、その相手が二度と手の届かないところへ行ってしまうのですよ? 嫌だ、とは思いませんか」


私が邪魔してしまったが、シャイン様だってサマーパーティではお嬢様をパートナーにせんと、殿下と競い合った身。

そして、どんな形であるにせよ、一時はその手を取ったのだ。

過去の行為に対する罪悪感と抱いてしまった感情の狭間で悩み、苦しんだはずの彼。

きっと、簡単になんて割り切れるはずがない。

しかし、シャイン様の表情を伺ってみれば、それは思いの外嬉しそうで、私は驚いた。


「正直、ショックッスよ。これでも。でも、それ以上におれは嬉しいと思うんス」

「何故?」

「おれが不幸にしてしまったかもしれないこれまでを変えることが出来たから」


私はその言葉にハッとした。

私が思っている以上にシャイン様の後悔は深いものだと今更ながら気付かされたからだ。

サマーパーティの前、八つ当たり気味に戦った後、取り返しのないことをしてしまった気がしていたが、正体はやはりこれだったのだ。

もしかしたら、お嬢様はあの時にはもう既に彼の奥底に潜むものに気が付いていたのかもしれない。

私のしたことはそんな彼の傷を今以上に抉ることだったのだ。


「リアさんは、おれのせいで結婚というものに対して、絶望してしまった。家族に愛されなかったが為に、せめて他の誰かに愛されたかったはずなのに、それすらおれは奪ってしまった。それが、ずっとおれは申し訳なかったッス。でも、彼女がまだ誰かを愛せる。それがわかった時、これほど嬉しいことはなかったッスよ。だからって、したことは許されることでもないんスけど。それでも」

「それが、自分でなくても、ですか」

「はい。元から、おれに勝算はなかったッスから。いつかこうなることは覚悟出来ていたんスよ。それに、おれといたらリアさんは一生過去を忘れられない。なら、これで良かったッス」


そう言って、シャイン様は笑った。

私はその笑顔の輝きに勝てる気がしなかった。

それは本当にお嬢様のことを思っての、心の底からの笑顔だったから。

いつもお嬢様のためと言いながら、自分のことを捨てきれない私とは違う。

彼はその名の通り、眩しいくらいに純粋だった。

私は今まで正直、彼を見誤っていた。

けれど、今この瞬間、私は間違いなく彼を尊敬した。


「あなたは、凄い人です」

「そんなことないッス。おれがこう思えるのもリアさんが優しかったからこそ。でも、今のおれには何も出来ない。だから、これからリオさんには頑張ってもらわなきゃいけないッスね。リアさんの幸せの為にも」

「そうですね。やれることはやってみます」


私が決意を新たにしたところで、ようやく広い屋敷の端に位置するお嬢様の部屋の前にたどり着いた。

ここからが正念場だ。

私は最後にシャイン様と顔を見合わせて頷くと、そっと控えめなノックをした。

すると、聞きなれた声の返事がすぐに帰ってきた。


「どうぞ、入って」

「失礼します」


私は一人で部屋の中へと足を踏み入れた。

部屋の景色はお嬢様に仕えて七年経つというのに、相も変わらず殺風景だった。

古びた木のテーブルとイス。

少しくすんだベッドカバーに歪んでしまって開けづらいクローゼット。

侯爵令嬢の部屋とはおおよそ言い難いそれらは初めてこの部屋に招かれた時と、何ら変わらない。

けれど、そこに立つ私達は致命的に変わっていた。

一方、表情を取り戻し、少し怒った顔のお嬢様。

一方、弱り果てた壊れかけの殺人人形。

オレンジ色と空色の瞳がいつかのようにぶつかり合った。

その先にはかつて魅せられた、絶望に染まった美しさはない。

ただひたすらに胸を打つような哀しみもどこにもない。

私がそれを望まなかったから。

それらを彼女から奪うことが私の役目だったから。

そうして、いつまでそのままでいたのだろうか。

いや、きっと数秒だって過ぎてないのだろう。

お嬢様が不機嫌そうに口を開いた。


「リオ。また、黙ってどこかへ行っていたのね。心配していたのよ」

「すみません、お嬢様。やるべきことがありましたから」

「無理をしていたんじゃないでしょうね。私は決してあなたを軽蔑したりなんてしないんだから、言ってくれたら良かったのだわ。その方が心配せずに済むじゃない」

「ふふっ、無理ですよ。言えば、きっとお嬢様は許して下さらなかったでしょうから」


私の意味深な発言にお嬢様はすぐに聞き返したりはせず、顔をしかめた。

お嬢様だって、馬鹿なわけじゃないのだ。

寧ろ、その聡明さは私の予想を超えることだってある。

お嬢様は私が何をしたのか、この部屋で薄々予想はしていたのだろう。

お嬢様は窓辺に近寄ると、私に問いかけた。


「外が騒がしいわね」

「流石はお嬢様。侯爵家の方々はまだ気づいておられないようですが、お嬢様はもう既に気づいておられたのですね」

「茶化さないで。これは貴女の仕業でしょう。今は多分、外に沢山の人がいる。そして、囲まれている。動きを見るに、戦い慣れた人たちね」

「そこまで、分かるものですか」

「ええ、もちろん。貴女のおかげよ。……それよりも、王国騎士達がここに来た理由を貴女の口から教えてちょうだい。おおよそ、予想はついているのだけど、弁明の余地をあげるわ」


そう言って、お嬢様は壁に背を預けた。

私はそのお嬢様の何もかも見透かした態度に深いため息をついた。

全く、この人には敵いそうにない。

私はこうなった以上、全てを正直に話すつもりだった。

もう誤魔化しなどきかないことは先程の言葉から明白だ。

お嬢様には完全に先手を打たれていた。


「私は今まで王城におりました」

「それはまた無茶をしたものね。貴女のことだから、無許可で忍び込んだのでしょう。見つかった時の危険を知りながら」

「ええ。実際、王城内に忍び込んですぐに王国騎士団長と王家筆頭魔導師に見つかってしまいました。情けないことに、空気中に僅かに含まれていた魔力を見逃していました」

「貴女が見つかった?」

「はい。それでも、アックス様が説得してくださったおかげで、無事に殿下にお会いすることができました。そして、殿下にお願い致しました。お嬢様をお助け下さいと」


細かいことは大体端折ったが、まとめると私がして来たのはそういうことだ。

危険を冒しての王城侵入とお嬢様が望まぬ殿下の説得。これに尽きる。

お嬢様は私から粗方の話を聴き終えると、暫くの間何も言わなかった。

ただ目を伏せて、腕を組んだまま何やら考え込んでいる。

私はお嬢様からの言葉をジッと身を固くして待った。

何を言われようと受け止める所存だった。

それだけのことを……お嬢様の想いを裏切るようなことをしてしまったのだから。

お嬢様は数十秒が経った後で、ようやく目を開いた。

オレンジ色の瞳に宿るのは哀しみか、怒りか。はたまた失望か。

そう覚悟していた私の予想とは違えるものだった。


「貴女は」

「はい」

「貴女はいつも私の為に自分を蔑ろにするわ。それは私が何を何度言ったって。貴女はそれをやめない」


お嬢様は怒るのでもなく、悲しむのでもなく、ただ淡々と話した。

その穏やかな声音にのせられていたのはは「慈愛」。

それは、互いに依存して、ただ縋るだけの関係の終わりを意味していた。

お嬢様はおそらく、一度私から離れることによって、冷静に私という存在の真髄を見極めようとしているのだろう。

微笑みを浮かべるお嬢様の様子には何故かゾッとするものすら感じさせられた。


「どうして、とは今更な質問かもしれないわ。だって、今までは盲目的に一緒にいてくれる、私の為に尽くしてくれると、疑うことはなかったのだから。今だって、貴女の忠誠は微塵も疑ってはいない。けれど、思うのよ。貴女は夏の頃、私が今にも消えてしまいそうで、この世界に繋ぎ止めておきたかったから側にいるのだと言ったわ。それから、私の考えに感銘を受けたとも。……でも、今は違う。私は今、ここにきちんと存在し、生きている。それは貴女だって、分かっているはずだわ。それから、貴女は私の側にいたいと言いながら、常にどこかへ行ってしまいそうに感じる。最近は特によ」


お嬢様は気がついていた。

私がいつかはお嬢様の元を離れなくてはならないこと。

そして、その為に「幸せ」を準備をしていることも。

私は私が居なくなっても、お嬢様が毎日笑っていられるように、それ以上の幸せを彼女に用意しようとしていた。

それが、お嬢様の目には私が旅立つ準備をしているように見えているのかもしれない。

現に、私の居場所は様々な人に侵食されつつある。

実際、そこまでお嬢様が気がついているかはわからないが、少なくとも危機感を覚えているのは確かなのだろう。

お嬢様はもう一度、強く問いかけた。


「だから、今一度聞かせてちょうだい。貴女はどうして、私の為にそこまでするのか。そして、どこに行こうとしているのか」

「お嬢様……」


私はここにきてまで、どう答えたものか迷っていた。

こうして私のことを知りたいと言ってくれているお嬢様の思いに応えたい一方、やはりお嬢様は歪で残酷な私なんて知るべきではないと思っている自分もいる。

これは嫌われるとかそういう段階の話ではないのだ。

私たちの今までの在り方を根本からひっくり返すような、そんな理由。

もし伝えて仕舞えば、私だけでなく、きっとお嬢様まで困らせてしまう。

私は深く息を吸い込んだ。

ここで決断せねばならない。

このまま侍女としてあり続けるか、汚く穢れた僕を晒すか。


「お嬢様、私は」


これが一番良いと思った。

例え、それが己を偽り続けるのだとしても。

例え、それがお嬢様を裏切ってしまうのだとしても。

私は罪悪感を押し隠し、そっと笑みを浮かべながら口を開いた。


「私は病なのです」

「病?」

「はい。貴女の為なら何かをせずにはいられない、そんな病なのです。お嬢様。貴女の幸せが私の生きる理由。そんな風に考えて下さい」

「つまり、理由を求めるなと」

「言い方を変えれば。でも、理由などないのです。私の心は十年前から貴女のもの。貴女の為に動くのは当然のことであり、何らおかしいことではありません」


私はお嬢様の前で忠実な侍女としてあり続けることを選んだ。

それが一時の儚い夢のようなものであるのだとしても。

お嬢様は私の笑顔の正体を見極めんと、ジッと私の瞳を見据えていた。

しかし、私だって生半可な覚悟で嘘をついた訳ではない。

暗殺者時代の技術を駆使して見透かされないよう、その目を堂々と見返した。

数秒の見つめ合いが続いて、やがてお嬢様が諦めたようにため息をついた。

私はそれにもとぼけたように首を傾げる。

どうやら、この場は凌げたらしい。

すると、お嬢様は質問の矛先を変えた。


「でも、もう一つの質問の答えはまだ貰っていないわよ」

「何処へ行くのか、と」

「ええ」

「それは」


実は、ともう一つ嘘を重ねようとして、それは突如開かれたドアの音によって遮られた。

私は乱暴なその音に驚きつつも、一方で嘘をつかなくて済んだことに微かな安堵も覚える。

扉を開けて入ってきた人物は歓迎されるべき人ではないものの、嘘をつく事は私の本意ではない。

それに、彼の運命は決まっていた。

今更、恐れるにも足らない。

それでも、お嬢様は幼き頃からの習性なのか、ビクリと大きく肩を震わせた。


「エレナリア! どういう事だ!」

「何のことでしょう、お父様」


ドカドカと荒々しく足を踏み鳴らし、部屋に飛び込んできたのはご主人様だった。

いや、もうご主人様とも呼べないのかもしれないが。

彼はお嬢様を怒鳴りつけるように、問いを投げかけた。

それに対し、ある程度は予測してるとはいえ、計画の全貌を理解している訳ではないお嬢様は曖昧に首を傾げる。

でも、その態度が侯爵の気に障ったらしい。

彼はお嬢様に怒りの形相で、至近距離に踏み込むと強く睨みつけた。


「惚けるな! お前があいつらを呼んだのだろう? 忌々しい、あの小娘率いる革命軍と王国騎士連中を!」

「わたくしは呼んでおりません。王国騎士達に気がついたのはつい先程のことです」

「っ! この後に及んでまだぬけぬけと。もう誤魔化しは効かん。奴らはお前を引き渡せと言っている。これで、関係がないわけあるまい。それから、奴らは証拠などありやしない不正を認め、降伏しろとも言っている! ああ、くそ。お前を渡すわけにはまだいかないというのに」


渡すわけにはいかない。

その言葉に含まれた意味は愛ゆえのものではないことを私は知っていた。

正しくは不正貴族で繋がりを深めるために有用であるというだけのこと。

ちょうどドルトニア卿との縁談が決まりかけていただけに侯爵にとってお嬢様の存在は尚更なくてはならないものだった。

私は苛立っている侯爵を冷めた目で見ていた。

こんな奴にお嬢様の一生を捧げるなど、考えるだけでも虫唾が走る。

それに、もうそろそろ時間切れだ。

私は怒鳴り散らす侯爵の前で俯くお嬢様の手を引こうと己の手を伸ばした。

お嬢様を完全に納得させることは出来なかったが、仕方がない。

作戦はすでに動き始めている。

例え、私が恨まれようと、この毒しか与えられない親から、強引にでもお嬢様を引き離さなくてはならなかった。


「お嬢様、そろそろ行きま……」


しょう、という言葉と共に伸ばした手は、しかしするりと空を切った。

私は驚いて、伸ばした手から逃れるように一歩前に出たお嬢様の背を見つめる。

今、お嬢様はピンと背を伸ばし、侯爵の前に決然として立っていた。

そこにかつての無表情で人形のようにされるがままだった彼女の姿はない。

あるのは強い決意を纏った一人の少女としての姿だった。

お嬢様は唐突な娘の変貌に虚をつかれたように黙り込む侯爵にそっと呼びかけた。


「お父様」

「ぐっ……なんだ?」

「私はお父様にとって何なのですか?」

「何を、今更」

「お答えください。私はお父様にとって、どのような存在だったのですか?」

「そんなこと、決まっている」


侯爵は僅かに顔を引きつらせながらも、さも当然のように答えた。

お嬢様が娘として夢見ていた世界を壊す真実を。

親として考えられぬような残酷な言葉を。

そして、決定的にお嬢様と未来を分かつことになる決断を。

侯爵は躊躇うことなく吐き出した。


「お前なんぞは駒だ。精々が男に充てがうくらいしか価値のない道具。ハハッ、今更何を問う? 分かり切ったことを!」

「……そう、ですか」


私がお嬢様の耳を塞いでしまえていたら、どれだけ良かっただろうか。

けれど、その時私は何故か動けなかった。

一瞬、お嬢様がどこか遠い存在に思えてしまって、私は呆然と立ち尽くすことしか出来なかったのだ。

お嬢様は小さく呟いてから、それっきり黙り込んだ。

唇を噛み締め、耐えるような苦しそうな表情を見せる。

お嬢様が学園で取り戻したモノは今こうして、負の感情でさえも如実に表していた。

お嬢様はそんな己の弱さを見せまいと、懐から扇子を取り出すと、その影に隠れる。

その仕草はまるで、悪役令嬢としての盾を翳しているようにも見えた。


「全く。つまらない話を。おい、取り敢えずお前はあいつらをどうにかしろ。そしたら、お前の望む通りにドルトニア卿と結婚させてやってもいい」


だというのに、侯爵はそんなお嬢様を気にすることはなかった。

むしろ、いやらしい笑みを浮かべて、追い討ちをかけるように非情な言葉を重ねる。

ついに、お嬢様の頬から一筋の涙が流れ落ちた。

扇子の奥から僅かに見える口元がギュッと引き締められ、わななく唇を抑え込もうとする。

しかし、震えが止まると同時に微かな言葉が零れた。


「……です」

「聞こえん。もっと、はっきり喋れ」

「とても、残念です」

「は?」


次の瞬間だった。

扇子はパチリ、と小気味のいい音ともに閉じられた。

そして、その奥からいつの日か魅せられた絶望に染まったオレンジ色の瞳が刹那、閃いた。

しかし、更に次の瞬間には学園では見慣れた無機質から獰猛な色に移り変わる。

それは、人形の悪役令嬢と呼ばれ、一部では恐怖された色。

またあるいは、強き剣士として尊敬を集めた色。

つまりは彼女が手に入れた強さだった。

お嬢様は高慢な態度で顎をツンと上げた。

そして、侯爵を侮蔑するように笑う。


「ああ、本当。残念よ。もし、少しでも貴方に親の心があったのなら、私だけは見逃して差し上げたかもしれないのに。残念ね」

「お前っ……! 駒の分際で偉そうに!」

「お前、なんて呼ばないでちょうだい。それから、私は貴方たちの駒でもなければ、道具でもないわ」

「なっ!」


侯爵は顔を真っ赤に染め、口を魚のようにパクパクとさせた。

何か言いたいが、驚きと怒りのあまり、言葉が出てこないといったところか。

お嬢様はそれを見て、さも可笑しそうに笑う。

その様子はまさに完成された悪役令嬢そのものだった。

そんな中、侯爵がなんとか絞り出した言葉はお嬢様の変化の理由を問うものだった。


「なぜ、だ」

「何故と申しますと?」

「何故今になって、私に楯突く! ずっと無表情だったお前が何故今、笑っている!?」

「そんなことですか」


お嬢様は大げさな態度で呆れたように肩をすくめた。

そんなつまらない質問か、とでも言いたげだ。

これもまた、今までのお嬢様ならしなかったこと。

お嬢様は積年の鬱憤を晴らすかのように、侯爵の怒りに油を注いだ。

対する侯爵は最早彼が理解する領域を超えてしまっているのか、顔色を変化させるのみで動きが鈍い。

そんな彼の喉元にお嬢様は剣を突きつけるように、扇子を突きつけた。


「わたくしは己の幸せを選んだのよ。たった、それだけ。ねえ、リオ」

「はい、お嬢様」

「もう、後戻りは出来ないのよね?」


それは、家族と仲良く暮らせる未来はないのか、ということの最終確認だった。

私の方を振り返ったお嬢様は瞳だけは強気のままに、口元には少しだけ寂しさを滲ませている。

そんな彼女に私は少し残酷だと思いながらも、首肯した。

今なら、お嬢様は絶望したりはしない。

前に進もうと努力するだろう。

自分の幸せを探そうとしてくれるだろう。

その為に今は真実を受け止めておかねばならない、私にはそう思えたから。


「そう、ね。なら私は今ここで言うわ。貴方たちだけでなく、今までの私にも別れを告げるために。ここからまた歩き始めるために。貴方たちを踏み台にさせてもらう」

「そんなこと、あっていいわけがな……!」

「さようなら。私をこの世界に産み落としてくれた人達。そのことには感謝するけど、それだけ。私はもう貴方たちには従わない。自分の足で歩いて行くわ」


お元気で。

お嬢様はそこで淑女の礼をとった。

彼らの明日が牢獄の中にあるのだと知りながら、そんなことを宣う。

そうして、お嬢様は完全に彼らに背を向けた。

私の方を向くと、そこで初めて弱々しい笑みを見せた。

と、その時だった。


「全く、何を言っている」

「えっ?」

「お前だけが幸せになるなど、あっていいはずがなかろうッ!」

「お嬢様!」


私は思わず悲鳴を上げた。

お嬢様の背後で侯爵が大きく拳を振り上げる。

それは間違いなく頭を狙っていた。

もし当たればこれ見よがしにつけられた無数の豪奢な指輪がお嬢様の頭を傷つけるだろう。

私は地面を蹴り出し、お嬢様と侯爵の間に割り込もうとした。

以前ならその腕を止められだのだろうが、衰弱しているために反応が遅れ、それくらいのことしか出来ない。

それでも私はおよそ三歩ほどの距離を懸命に駆け抜けた。

そして、反射的に目を瞑り痛みに備える。


「そこまでだ」


しかし、痛みはいつまで経ってもやってこなかった。

聞き覚えのある声に、私は恐る恐る目を開ける。

するとそこには、侯爵の振り上げた手を後ろから捻りあげる人影があった。

ようやく現れた重要人物に私はホッと息をつく。

一方で、お嬢様は驚いたようにその人物の名を零した。


「殿下!」

「エレナリア、遅くなってすまない」

「くそっ、王族か!」

「侯爵、動かないでくれ。これでも僕はとでも怒っている。何と言っても、貴方はやってはならないことをしたからな」


殿下はそう言うと、更に強い力で侯爵の手を縛り上げた。

そのアメジスト色の目には静かな怒りが宿っている。

彼にとって今の出来事はまさに地雷だったのだろう。

王に準ずるだけの風格を余すことなく身に纏い、侯爵を威嚇する。

彼は臆すことなく言い切った。


「僕の愛しい人に手を挙げるのはやめていただこうか」


殿下はお嬢様が傷つけられそうになったことを我が身のことのように怒り狂っていた。

それこそ、私がお嬢様を託そうと思えた人の決意だった。

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