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悪役令嬢の想い人


「まさか、ロエルの銀狼がそんな麗しい姿じゃったとは」


そう言って、騎士団長は私の姿を改めてまじまじと見つめた。

一応、「銀色の妖精」の名を頂戴している身としては、それなりのものだという自覚はあるものの、そこまで見られると流石に気恥ずかしい。

私が思わず目線を逸らすと、騎士団長はようやく我に返ったように、ハッとした表情を浮かべた。

その隣で筆頭魔導師はジトッとした目を彼に向けている。

殿下に会うことを許されたとはいえ、私は敵なのにそんなので大丈夫なのか、とでも言いたげだ。

私としてはこれ以上ことを荒げるつもりもないので、心配は無用なのだが、それが正しい態度だった。

騎士団長も態度を戒める立場が逆転してしまって、バツが悪そうに顔を歪めた。

慌てて言い訳するように口を開く。


「だって、十年も前じゃぞ。あの頃の銀狼はまだ小さかった。それがこんな風になっていたら、誰でも驚くじゃろう」

「そうですね、あれはもう十年も前になるのですか」

「しかも、ここまで言葉が丁寧なのも、信じられんよ。こんなに穏やかに笑うとは想像出来んかったわい」


演技にも見えなさそうだしのう、と騎士団長は腕を組んで唸った。

確かにあの頃を知る人が、今の自分を見たら、そうなるのも無理はない。

根底は変わっていないが、表面だけを見ればまるで別人なのだ。

彼は敵として相対した分、余計に信じ難いのだろう。

あの頃の私はそれこそ、獣のようだったから。


私たちの間には沈黙が降りた。

足音さえ、毛の長いカーペットに吸い込まれて消えてゆく。

王子の部屋へと向かう廊下は驚くほど静かだった。

そこかしこに誰かが潜む気配や、働くものはいるものの、私たちの前には姿を見せない。

どうやら、筆頭魔導師が圧力の魔力による人払いをしているのが原因のようだった。

しかし、沈黙はそう長く続かない。

一瞬、緊張状態に陥ってしまった空気を払拭するように、筆頭魔導師が陽気な声で話しかけてきた。


「ねーねー、銀狼ちゃん。そういや君、今はロエルじゃないって言ってたよね。それほんとー?」


ああ、それがきたか。

私は今更隠すことでもないと、彼女の問いかけに深く頷いた。

すると、王国軍のトップである二人は驚いた顔をする。

彼らにまで知られていなかったとは、ロエルは相当情報を隠すのが得意らしい。

それともまさか、私のような者が他にもいたりするのだろうか。

かつての私のように、ただただ狂い続ける殺人人形として生まれてしまった者が。

だとしたら、本当に許しがたいことだ。

彼らをいつまでも好きなようにさせておくわけにはいかない。

……とはいえ、今は目の前のことだ。

私は核心の部分をぼやかしながらも、質問に答えた。


「ええ。八年ほど前にロエルからは脱退しました。半ば、無理矢理な形にはなりましたが……」

「そんなに前なのかー! どおりで名前を聞く割には、最近大人しいと思ってたんだよね」

「一体、どうしてロエルを抜けた? あそこは裏切りには厳しい。抜けるのにもお前さんとはいえ、危険が伴うじゃろう。地位も保証されていたはずだが、一体何があった?」


その質問も予想していた。

私は頭の中で一つ一つ言葉を選びながら、答えを組み立てていく。

ここで、ルルーシュの名前をいきなり出してはならないことくらいはわかっていた。

そして、逆にここで黙ってしまえば、余計に信用が薄れることも。

だから、答えはどうしても慎重になってしまう。

私はゆっくりと口を開いた。


「新たな、主人を見つけたのです。自分の命にかえてでも、真に守りたい方を私は得ました」

「命にかえてでも、か」

「はい。自分のことなど省みず、私や他の人のことばかり考えていらっしゃる、とても優しく、美しいお方です。彼女は私を殺意の狂気から救ってくれました」


向こうが求めている情報など全く入っていないが、どれも事実だ。

私の主人が決して彼等の敵ではないことを示す為にも、私はお嬢様の良さを存分に語った。

素晴らしい人(エレナリア・ルルーシュ)に幸せになって欲しいから、出来うる限りのことを伝える。

最も、運命の女神は残酷にも、彼女に不幸な道しか用意してくれなかったけれども。

いや、だからこそ私が彼女の幸せを築く必要性があるのだ。

現在、彼女は家族に不当な扱いを受け、幾度となく命を狙われ、幸せなどない結婚をさせられそうになっている。

お嬢様は決して、このまま幸せとかけ離れた場所で生きていて良い方ではない。

私は自らの言葉にお嬢様の尊さを再認識しながら、騎士団長の問いに決然として答えた。


「して、その主の名は」

「今ここでは、申し上げられません。ただし、殿下は私がどなたにお仕えしているのか、知っておいでです」

「つまり、貴様は殿下に面識があり、今まででも殺そうとしていたのなら、とっくに殺せていたと」

「はい。でも私はそうは致しませんでした。これで、少しは信用していただけるでしょうか」

「さてな。状況が変わったという可能性もある。完全に信用するなど元より、無理な話よ」

「さすが、国を守る騎士団長。手厳しい」


私は騎士団長に苦笑を返しながらも、身覚えのある殿下の気配を掴みつつあった。

このまま違う場所へ連れて行かなかったということは、彼らは口や仕草で疑いながらも、誠意を見せてくれている証拠だろう。

次第に殿下との距離が縮まるに連れ、国を守る二人の顔は少しは厳しくなったが、歩みを止めることはなかった。

そうして、殿下の私室と思われる部屋の前に立つ。

王族というから豪華絢爛なのかと思えば、それはあくまでも表面だけのようであって、殿下の部屋の周囲は気品のある花などがおかれながらも、それほど華美な装飾品は見られなかった。

これは国税を無駄にしない良き王になれそうだと、私は密かに感心する。

あたりを観察し、殿下の堅実な気質を垣間見ていると、騎士団長は私に中へ入るという合図を出した。

私が頷くと、彼は殿下の部屋へ続くドアをノックする。


「殿下。夜分遅く、突然失礼いたします。お客人を連れてまいりました。なんでも、急用だそうで」

「……客人? こんな時間にか。まぁいい。入れ」

「はっ」


やや間があって、殿下から返事が返ってくると、私たちは部屋の中へと足を踏み入れた。

柔らかい照明に照らされた室内には、所狭しとたくさんの書類やら本やらが積まれていた。

部屋の壁を埋め尽くすのも数々の本であり、中央には古いとわかる木の執務机と冷めてしまった紅茶セットが乗ったカート。

その向こうに座る部屋の主人はいつもより服を着崩しながらも、真剣な目で書類に目を通していた。

夜は既に半分を過ぎている。

にも関わらず、こうして執務に追われているということは相当忙しいのだろう。

とはいえ、殿下は私たちがここに入ってきても一度もこちらへ目を向けなかった。

まるで何かに取り憑かれたかのように黙々と書類を読んでは、ハンコを押したり、本をめくったりしている。

そんな彼に、筆頭魔導師が心配そうに声をかけた。


「殿下ー、またこんな遅くまで執務に取り組んでいらっしゃるんですかぁ? さすがにお身体にさわりますよー」


また、ということは今日に限った話ではないということなのだろう。

私もさすがに殿下のことが心配になった。

だが、筆頭魔導師の言葉も虚しく、殿下は手を止めない。

それどころか、相変わらず視線をこっちに向けることはなく、素っ気ない言葉を返すのみだった。


「平気だ。これくらい、どうということはない」

「でも、心配ですー。最近、毎日こんな感じじゃないですかぁ。ねぇ、ヴェルフ」

「そうですぞ。それに、殿下。今はお客人が来ておられるのです。少し、手を止めてはいただけませんか」

「はぁ、一体なんだというのだ」


殿下は渋々といった様子で手を止めた。

私は見たことがないほど、態度がぞんざいな殿下に驚きながらも、その場で深く一礼する。

すると、殿下が深く息を吸い込む音がした。

どうやら、私の訪問に驚いているらしい。

私が顔を上げると、殿下は何故か冷たい目で私を睨みつけていた。

これまでの優しかった態度は微塵も見せず、彼は怜悧な雰囲気を纏い、静かにこちらを見ている。

私も彼の変貌ぶりには驚かずにはいられなかった。


「……リオ。それからアックスか」

「十日ぶりでしょうか、殿下。お忙しい中、申し訳ありません」


もしかして、疲れているのだろうか。

そう思って、仕事を邪魔してしまったことを詫びると、どうやら違うらしく、殿下は深いため息をついた。

手にしていた書類を机の上に乱暴に放り出すと、騎士団長と筆頭魔導師にむけて、出ていくように手で合図を出す。

すると、殿下を守る身である彼らはギョッとしたように目を見開いた。

そして、慌てて抗議の声を上げる。


「何を命じられますか、殿下! 其奴は元ロエルの暗殺者ですぞ! 殿下と二人きりにするなど、考えられませぬ」

「幾ら命令でもさすがにそれには従えませんよぉ。一応、おいら達にも使命ってやつがあるのでー。ちょっと、無理がある話ですー」


彼らの言うことは最もだった。

一見、ふざけているようにも見える態度の筆頭魔導師ですら、真剣な表情で殿下を説得しようとしていた。

それだけ、彼らにとって、殿下が大切なのだろう。

私がお嬢様を守りたいと思うように。

だから、彼らの気持ちはよくわかる。

けれど、殿下は頑なに頷こうとはしなかった。


「大丈夫だ。リオは僕を殺したりはしない。心配ならば、扉の前にでもいればいい」

「それでは何かあっても、遅いではありませんか!」

「くどい。何度も言わせるな。お前らとて、こいつが僕を殺すことはないと思ったから、ここまで連れてきたのだろう? なら、今更だ」

「そうは言いますが……」


彼らは納得がいかないながらも、もごもごと黙り込んでしまった。

普段は人当たりの良い殿下のことだから、ここまで強く言われて狼狽えているようにも見える。

とはいえ、引く気はやはりないようで、このままでは埒があかなそうだった。

そして、そう思ったのは私だけではないようで。

見兼ねたようにアックス様が遠慮がちながらも、口を開いた。


「あの、それなら俺がいます。いざという時は、俺が銀狼を殺しましょう」

「信用出来ぬな。お主は銀狼の協力者じゃろう」

「ええ。確かに。しかし、それは殿下にとって利があると判断したからに過ぎません。もし、殿下が命を落とすとなれば、間違いなくそちらを取るでしょう。これでも俺は殿下の親友ですから」

「ほんとに、君に銀狼が殺せるのー? まさか、返り討ちにあっちゃうとかないよね?」

「その辺も大丈夫かと。銀狼の手の内は知っています。これだけ衰弱していれば、問題ありません」


アックス様は私を殺せると、キッパリと言い切った。

実際、それは事実だろう。

幾らアックス様と私が仲間意識を持っているとしても、流石に殿下との関係と比べれば、共有した時間も少ないし、想いの大きさだって違う。

それに、この国にとっても、重要度が違い過ぎた。

絶対に私が殿下を殺そうとはしないとはいえ、もしそうなればアックス様は躊躇いなく私を殺すだろう。

かつて、魔道杯で私の正体を暴こうとした時のように。

きっとその時よりも簡単に私は負けることになるに違いない。


「ほら、アックスもこう言っている。もう良いだろう」

「殿下……」

「ヴェルフー、もう無理だよ。殿下はもう、テコでも動かないつもりだもん。諦めようよ」

「残念ながら、そのようじゃな。しかし、殿下。もしわしらが少しでも怪しいと思いましたら、すぐに突入させていただきますぞ。それはよろしいですな」

「好きにしろ」


騎士団長は念を押すように言うと、ようやく筆頭魔導師と共に部屋を出て行った。

そうして、部屋には私と殿下、アックス様の三人になった。

互いの間には数秒の気まずい沈黙が流れる。

というのも、主に殿下が原因だった。

彼はさっきから私の目を鋭く見据えて、敵意を向けてきている。

理由はわからないが、殿下が私に対してひどく怒っているのは明らかだった。

彼は乱暴な仕草で冷めた紅茶をぐいっと飲み干すと、机の上にカップを手荒に転がした。


「で?」

「で、と申されますと?」

「何故ここに来た。お前のいるべき場所はここではないだろう」


それは、お嬢様のところへ行け、ということだろうか。

望まぬ婚約を結ばされ、不安であろうお嬢様の側にいろと、おそらくそう言われている。

だとしたら、私はまだお嬢様の元に帰ることは出来ない。

私には殿下をお嬢様の元へお連れするという使命があるのだから。

私は殿下から漏れ出る僅かな威圧の魔力に負けずに、キッパリと首を横に振った。


「それは、出来ません」

「何故だ。エレナリアはお前と一緒にいることを望んでいる」

「私がそれを望まないからです。お嬢様は私なんかと一緒にいてはいけない」

「何?」


殿下はピクリと眉を釣り上げた。

どうやら私は殿下の逆鱗に触れてしまったらしく、机の上に置かれた手が僅かに震えている。

と次の瞬間、その手が机を強く叩いた。

机上を転がっていたティーカップはその反動で地面に落ち、パリンッという甲高い悲鳴を上げる。

その様子を目で追っていた私は、目の前で立ち上がった殿下のただならぬ気配に、ハッと現実に引き戻された。

気がつけば、災害級の魔物を前にしても一歩も引かなかった私が、たった一人の少年……すなわち、殿下に気圧されて、後ずさっていた。


「ふざけるな」


殿下の声は震えていた。

俯いている彼の顔を伺うことは出来ないが、涙がポタリとその場に落ちて、泣いているのだとようやく悟る。

私は何も言えなかった。

私にはきっとその資格がないことをどこかで知っていたから。

殿下はおもむろに手を伸ばすと、私の胸ぐらを掴んだ。

私はされるがまま、殿下の金色の髪をじっと見つめる。

彼はもう一度言った。


「ふざけるな!」


今度は私の目を見て、はっきりと。

彼のアメジストのような紫色の瞳は涙に濡れ、深い悲しみと狂いそうなまでの怒りに彩られていた。

私はそれを見て、ギュッと胸が締め付けられるような思いがした。

私も何度、その感情に抑え込むのに苦労してきたかわからない。

だからこそ、彼の想いは痛いほどに伝わってきた。

彼は心の内を吐き捨てるように、私に怒りをぶつけた。


「エレナリアと、一緒にいることを望まない、だと。……ふざけるのも大概にしろよ。お前はあれだけ彼女と共にいて、どんな思いで婚約を結んだのか、わからないのか? 彼女はお前を守ろうとしているのだぞ!」

「お嬢様の気持ちは知っています」

「なら、知った上で踏み躙ろうと?」

「……はい」

「っ!」


私の肯定に、殿下は愕然としたように目を見開いた。

そして、ドンと私を突き放す。

私はされるがままだった為、その場に尻もちをついた。

それを見たアックス様がおそらく私の身体のことを心配して駆け寄ろうとする。

しかし、他ならぬ私がそれを手で制した。

もし、ここで殿下の気持ちを聞きそびれてしまったら、絶対に彼はお嬢様に会おうとはしてくれないだろう。

私は彼がここまで怒る理由を見極めなくてはならない。

それはたとえ、どれほど彼を傷つけようと、私が傷つけられようともだ。


「殿下、一つお答え頂けますか?」


私はスカートについたホコリを払って、そっと立ち上がった。

再び殿下と相対すると、彼がこの上ない憎悪を向けているのにもかかわらず、平然と質問を投げかける。

殿下は未だ炎のちらつく瞳でこちらをじっと見つめたまま、何も答えなかった。しかし、それでも構わず、私は言葉を続けた。


「殿下は、おそらくお嬢様がルルーシュ家に戻られる前、こう言われたのではありませんか? 『ごめんなさい。私はあなたの想いに応えることは出来ないわ。大切な人達を守ると決めたから。どうか、私のことは忘れて幸せになって』と」

「……何故、それを」

「昨日、お嬢様にお会いしました。その様子から大体のことを推測したまでです。あなたが怒り狂う理由もなんとなくですが、わかります」


私は殿下の様子と、お嬢様の様子を見て、大体のことを推測していた。

彼らのことは半年の間ずっと見てきたのだから、彼らが何を考えているのかくらいはわかる。

ただ、互いが互いを想っていたからこそ、互いに傷つく結果になってしまっただけであって。

事実、殿下は私が予想していた通りの言葉をなぞった。


「そうだ。エレナリアは僕じゃなく、君たちを選んだ。君たち(ルルーシュ)のために、望まぬ婚約を結ぼうとしたんだ。彼女が戻れば、不正貴族共が繋がりを深め、取り潰しを延期することができる。彼女は己の幸せを犠牲にして、君たちの延命を望んだんだ。なのにっ」

「私はお嬢様の元を離れようとしている。だから、お怒りなのですね」


私は怒りのあまり言葉に詰まってしまった殿下の後を引き継いだ。

殿下はコクリと頷いて、わかっているのなら何故、と言わんばかりの視線を向けてくる。

一方で、私は少し殿下に対して、失望を覚えていた。

この人は何もわかっていないのだ。

確かに、殿下の言う通りならば、彼が怒っても仕方がないのだろう。

私は彼が手に入れらなかったものを手に入れた挙句、目の前で捨てようとしていることになるのだから。

そう、殿下の言う通り、お嬢様が『私たち(ルルーシュ)だけ』を選んだというのなら。


「勘違い、なさらないでください」


思わず、いつもより低い声が出た。

いつも通り魔力を乗せることは忘れなかったが、それでも刺々しい言葉になるのは避けられなかった。

殿下は根本的に勘違いをしているのだ。

お嬢様が彼自身が思っている以上に、殿下のことを大切に思っていることを、この人は知らない。

だから、今度は私が怒りを覚える番だった。

もちろん、お嬢様の表情が乏しい以上は殿下がお嬢様の隠そうとしたことに気付けないのも仕方ないのかもしれない。

それでも私は婚約者に殴られ、蹴られ、傷つくお嬢様がそれでも守ろうとしたものを誤解されてしまうのは耐えられなかった。

たとえ、お嬢様がそれを理解してもらうことを望んでいないのだとしても、私は殿下にお嬢様の想いを知っていて欲しかった。

これが嫉妬した上での八つ当たりだとわかっていても、私は彼に怒りをぶつけ返さずにはいられなかった。


「殿下はお嬢様のことを勘違いしていらっしゃる」

「……どういう意味だ?」

「お嬢様の言った『大切な人』。それに殿下が含まれていないとお思いですか?」

「まさか」


もし、お嬢様の言う『大切な人』がルルーシュにいる人々だけでなかったのだとしたら。

そこに、自分をひたすらに想ってくれる殿下の存在があるのだとしたら。

お嬢様は殿下よりルルーシュ家をとったわけではないことになる。

殿下は私が示唆したその可能性に思い至って、信じられないとばかりに呆然としていた。

私は彼を少し憐れみながらも、胸中を渦巻く気持ちを抑えきれずに、追い討ちをかけるように言葉を重ねた。


「お嬢様は殿下から頂いた鏡をとても大切にしていらっしゃいました。そして、お嬢様は貴方に自身の弱みを曝け出しさえした。それがどれほどのことかわかっておいですか? 普段、モノに執着しないお嬢様が、仮面を被り続けて生きてきたお嬢様が、それを遂に貴方の前ではしなくなったのです。それなのに、殿下に対して、何も想っていないなど、そんなことっ。あるわけがないじゃないですか」

「エレナリアが、僕を?」

「はい。その時、お嬢様は殿下と話された事を語ってくださるのです。お嬢様はいつもあなたの感情を理解しようと必死でした。あなたの好意が、きっとお嬢様にとっては初めてのことで、嬉しいことだったから。どうにかして受け取ろうと、毎日悩んでおりました。確かに、時折距離を置いて考え込んでしまうこともありましたけれども。でも、お嬢様は私の前では一度たりともあなたを拒絶する言葉を放ったりはしなかった。お嬢様はあなたを本当に大切に思っていた!」

「ならっ……なんであんなこと」

「まだわからないのですか!? お嬢様が結婚にトラウマを持っていらっしゃることは、あなただってご存知でしょう。彼女は結婚によって、また大切な人が失われることを極端に恐れているのです。特に今は革命が起き、世の中が不安定な時期。敵方の家であるお嬢様があなたのもとに行けば、当然あなたの身にも危険が及ぶでしょう。たとえ本当のことを話して、民衆が納得したとしても、革命に加担した家の中にはお嬢様を疑う者もいるに違いありません。そうなれば、あなたの地位も揺らいでしまうかもしれない。だからっ、お嬢様はあなたを」


私は一気にまくし立てた。

一度言葉を止めて仕舞えば、声が震えてこれ以上何も言えなくなってしまいそうだったから。

全てを言い終えてしまってから、私は強く唇を噛んだ。

どうしてか、自分で放った言葉に自分で傷ついていた。

最初からこうなることはわかっていたはずなのに、今この瞬間、どうしようもなく情けない気分だった。

自分には彼らが届かない存在だと、強く実感してしまったからかもしれない。

殿下は私のそんな表情を見てか、少し苦しそうに問いかけてきた。


「どうして、君は。そんなにも、エレナリアのことを」

「……それはあなただって、わかっておいででしょう。それよりも」


私は鋭く息を吸い込んだ。

そうだ、それよりもと気持ちを切り替える。

完全に切り替えることなど、出来ようもなかったが、今は己の気持ちよりもよっぽど重要なことがあるのだ。

私は軽く頰を叩くと、表面をなんとか取り繕った。


「殿下は、どうなさるのですか?」

「どう、とは?」

「もちろん、お嬢様を取り返す意思はあるのか、ということです。今ならまだ間に合います。とはいえ、もう気持ちに区切りをつけてしまったのなら話は……」

「そんなことっ、決まっている」


殿下はピシャリと私の話を遮った。

迷いの断ち切れた表情で、けれど、いつものような優しさを取り戻した声音でキッパリと宣言する。

数瞬前までの、悲しみと怒りに打ちのめされていた男はもう、何処にもいなかった。


「僕はエレナリアを迎えに行く。いや、行かなくちゃいけない。本来、僕は王としても、男としても彼女を守る立場にあったはずだ。なのに、僕は自分勝手に想って、振られて、傷ついて。彼女の本当の想いを見極めることが出来なかった。彼女は勇敢にもそんな僕を守ってくれようとした。だから、今度は僕が彼女を守りたい。情けない姿を見せてしまった君は僕を認めてはくれないだろうが……」

「そう言ってくださると思っていました。……まぁ及第点でしょう。殿下もお嬢様の気持ちを尊重した結果でしたから」

「こんな風に後悔しない決断ができたのは君のおかげだ。僕も、いつかはそんな君に認めてもらえるような男にならなくてはな」

「そうですよ。でなくては、私は安心して殿下にお嬢様をお預けすることなど出来ません。私だって、お嬢様を守れない場面はあるのですから」


今回のことで私も痛感させられた。

私はあくまで武力に頼る敵には勝てても、立場が絡んでくると、本当に何も出来ないのだと。

私はお嬢様達とは身分が違うことを十分に自覚していたつもりで、完全に理解などしていなかった。

最近は彼らがあまりに近い存在になってしまっていたからかもしれない。

でもそういう時こそ、殿下にはお嬢様に守っていただかなくてはならないのだ。

私が例えいなくなったとしても、お嬢様が笑って毎日を過ごせるように。

その為になら、私はなんだってするつもりだ。

私は心の中に未だ残っていた雑念を全て捨て去ると、決意を新たに口を開いた。


「殿下」

「なんだ?」

「お嬢様を幸せにしてください。お願いします」


私は深々と頭を下げた。

この想いだけは汚い僕にも侍女としての私にも共通する想いだったから。

その時の私は今にも泣きそうな顔をしていたかもしれない。

けれど、どんなに差し出がましくても、これだけは伝えておかなくてはならなかった。

殿下はそんな私に何かを感じ取ってくれたのだろうか。

怖いくらいに真剣な目で、厳かに頷いた。


「ああ、もちろんだ」


私はホッとした。

もうこれなら大丈夫、そう思えたから。

だから、次はアックス様の方を向いた。

彼にはほんと無茶をさせてしまった。

本来なら、そんな義理など一つもないのに、城に入ってから随分と助けられた。

その感謝と謝罪の意を込めて、もう一度彼にも頭を下げる。


「アックス様も大変ご迷惑をおかけしました」

「いや、今更だよ。それよりも、ルルーシュ家に行くにあたって、中々良いものを手に入れたんだ」


そう言って、アックス様はニヤリと笑った。

取り出したのは何が書いてあるのか、紙の束だった。

殿下は首を傾げていたが、私は即座に思い当たって、アックス様の抜け目のなさに呆れる。

まさか、本当にやるとは思わなかった。

アックス様は得意げに、殿下にそれを差し出した。


「これがあれば、エレナリア様奪還作戦もきっとうまくいく」


それから、紙面に目を走らせた殿下の顔に、いつかのような獰猛な笑顔が浮かぶのも、まもなくのことだった。

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