悪役令嬢は茨の道を行く
お待たせしてすみません。五ヶ月ぶりの更新です。
この回、暴力描写を含みますので、苦手な方はご注意ください。
お嬢様と再会した翌日。
地下の薄暗さとは正反対である、暖かく光の灯った部屋にて。
私とお嬢様は二人きりで鏡の前に立っていた。
現在、アックス様は侍女長に連れられて、客間のうちの一つに匿ってもらっている。
もし、ご主人様にアックス様がいるところを見られようものなら、都合の悪い情報を盗みに入ったとでも思われ、当然襲われかねないからだ。
自分は元々侍女だったので、そう違和感を抱かれることはないだろうが、アックス様は曲がりなりにも伯爵家の方だ。
もちろんその程度、アックス様なら簡単に返り討ちにしそうなものだが、やはり争いごとは少ないに越したことはない。
それにはアックス様も同意見だったようで、ついてきてもらっていて申し訳ないが、しばらく隠れていてもらうことにした。
でもまぁ、アックス様に関しては、今はどうでもいい。
問題なのはお嬢様の方だ。
今日は遂に地下牢を出されたのだが、その理由というのが婚約者に会うため、らしい。
その場に居合わせた私にも、お嬢様を着飾るよう命令が下った。
私の心境としてはお嬢様に不正側の婚約者を当てるなど、当然猛反対なのだが、逃げるにしてもタイミングがあるし、今は命令に従うしかない。
だから、こうして鏡の前でお嬢様のドレスアップをお手伝いしているのだが。
お嬢様の口からこぼれた衝撃の言葉に、思わず私は手を止めてしまった。
「お嬢様、本気でいらっしゃいますか?」
「ええ、本気も本気。大真面目よ。何度も言わせないで」
私の悲鳴混じりの問いかけに、お嬢様は至って冷静な様子で答えられた。
鏡に映る顔にも学園に入る以前の揺らぐことのない無表情を浮かべている。
私はそれを見て、お嬢様が確固たる決意を持っていることを嫌でも察してしまう。
けれど、納得は出来ない。したくもなかった。
だって、そんなのじゃ、お嬢様は決して幸せになんかなれないから。
私は何度も言わせるなと言われながらも、繰り返したずねた。
「本気で、この婚約を受け入れると。そう仰られるのですね」
「しつこいわよ。そう言っているじゃない」
「何故?」
私は縋る思いで理由を聞いた。
もしそれがお嬢様の一瞬の気の迷いなのだとしたら、まだ説得次第で未来を変えられる気がしたから。
けれども、そんな私の期待を裏切り、返ってきたのは深いため息だった。
お嬢様は終ぞ聞いたことのないほどの低い声音で、私に対して言葉の刃を突き立てる。
「それはあなたに言わなきゃならないこと?」
「ですが、私はお嬢様のことを思い……」
「リオ。私にだって、言いたくないことの一つや二つあるのよ。わかってちょうだい」
私はお嬢様の冷たい視線を受けて、言葉が出なくなってしまった。
ここまで私を突き放す態度をとるお嬢様は初めてだ。
喧嘩していた時でさえ、こんな目は向けられなかった。
私は正直、臆していた。
だがここで、諦めて仕舞えば、私のこれまでも全て水の泡だ、と自らを奮い立たせる。
たとえお嬢様の幸福が、私の押し付けなのだとしても、このまま結婚してお嬢様が笑って生きていけるビジョンなど一つも浮かばなかった。
なら、私はそれに懸命に抗うだけだ。
この命は彼女のために使うと決めた。
だったら、私が嫌われようが、結果的にお嬢様が幸せになるのなら、それでも構わない。
私は声が震えそうになるのを必死に抑えて、尚も言葉を重ねた。
「どうしても、教えて頂けないのですか」
「そうよ」
「ではやはり、私が悪いのですか」
「いいえ、あなたは何もしていない。でも、あなたは何もしていなさすぎるのよ」
「お嬢様、それは一体どういう……」
ここに至って尚、私は自分の何がお嬢様にこんな態度を取らせているのか、全くわからなかった。
お嬢様もそんな私の様子に呆れたように首を振る。
その目には失望の色が浮かんでいて、嫌われて構わないと言いながらも、酷く落ち込む自分を心の中に見つけてしまった。
全く、自分は侍女というものに向いていないのだとつくづく思わされる。
お嬢様は私が答えを見つけられないと見たか、再度口を開いた。
「それがあなたの当たり前なのね。いえ、私がいけなかったのかしら。見て見ぬふりをしていたこと」
「申し訳ありません、お嬢様。私はやはり」
「ねぇ、リオ。私が今まであなたがどこへ行っていたのか、聞かないとでも思った?」
「……ッ!」
私は今度こそ、言葉に詰まった。
ずっと気にしていながらも、昨日は全く聞かれず、安心しきっていたこと。
きっと、何時ものように隠し事をしていても、尋ねようとはしないだろうこと。
そう思っていたことをお嬢様に見透かされていた。
でも、今冷静になってみれば、このことを聞くのは当然だ。
お嬢様は私のことを心配してあれだけ窶れていたのだから。
私にはお嬢様に何があったのか話さなくてはいけない義務がある。
そうわかっていても、唇は鉛のように重く動かなかった。
都合の悪いことを話せないというのは、ロエルにいた時に仕込まれた習性だ。
……いや、これは言い訳なのだろう。
この手を幾度と無く汚してきたことをお嬢様に知られたくはない、という利己的な考えを正当化するための。
本来は話した結果、お嬢様にどう思われようと、これは己の咎であり、甘んじて受け入れなくてはならないことだ。
なのに、なのに。
「私は、そんなに頼りない主かしら」
お嬢様の声は酷く、寂しそうだった。
学園で表情を取り戻したお嬢様が今、どんな顔をしているのかなど、考えたくなかった。
心の中で、口を開け、顔を上げろ、と己を叱咤するのに、身体はピクリとも動かない。
ただ、自分の情けなさに震えることしかできなかった。
これが、私の弱さだった。
「そうね。だから私は……」
その先は、言うな。
心の奥底で願った瞬間だった。
「エレナリア、準備は出来ただろうな」
突如、乱暴にドアが開いた。
誰、などと問う必要もない。
こんな風にお嬢様に話しかけられる人間など限られている。
お嬢様はドアの側に立つ人物に深く頭を下げた。
私もそれより少し早いタイミングで、その場で膝をつき、頭を垂れる。
最後の結びかけだったリボンをさり気なく結んでおくことも忘れない。
「もちろんです。お父様。いつでも出られます」
「ふんっ、そうで無くては困る。さっさとついて来い。ドルトニア卿がお見えだ」
ご主人様の口から出た、ドルトニア卿。
その名前はあまりにも有名だ。
もちろん不正側に与しているのだから、悪い方の噂で、だ。
彼は貴族の社交界では大体「悪魔」だとか、「堕ちたドルトニア」だとか呼ばれている。
ドルトニア伯爵家は先祖代々、王家に仕えるなかでも忠実な一派だった。
だが、今代のドルトニア家当主は彼の先祖が民のためにと懸命に集めた財産を己の贅沢の為に使っていると、専らの噂だった。
曰く、隣国から奴隷を次から次へと買い込み、悪趣味としか言えないようなおぞましい事に付き合わせているのだとか。
嫁いだ女性も一週間と持たず逃げ出すというのだから、その「おぞましい事」が何たるかは安易に想像がつく。
確かにドルトニア卿は財産こそ膨大だが、娘をやるにしては誰もが首を横に振りたくなるようなところだ。
そこにお嬢様をやろうというのだから、ご主人様がどれほどお嬢様のことを道具としてしか見ていないかがわかるというものだろう。
私は思わず、強く唇を噛んだ。
ああ、だからお嬢様をこの家で結婚はさせたくなかったのに。
自分の煮えきらない態度がどれほどお嬢様に影響を与えているのか、それはわからない。
けれど、どうにか止める為にこのディナーが終われば、きちんと話し合わなくては。
そして、結果的に私が軽蔑されようと、これがきっと最後になるから。
もう、逃げない。
「リオ、行きましょう」
「はい、お嬢様」
お嬢様が覚悟を決めたのなら、私もそれ相応のことを覚悟すべきだ。
だから、まずはドルトニア卿を見極める。
彼がお嬢様に相応しくないということを目の当たりにし、自らを戒める為にも。
「ドルトニア卿、我が家へようこそ」
「おお、これはこれはルルーシュ卿。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。やはり、侯爵家ともなると素晴らしいお屋敷ですなぁ」
「気に入ってくれたようで、嬉しいよ。これで何処ぞの小娘が騒ぎでも起こしていなければ、もっと落ち着く場所を提供出来たんだろうがな。何かと物騒で申し訳ない」
「それはこちらとて同じこと、どうか気にしないで下され。それに、今回で我々がより強固に繋がることが出来たなら、あの小娘なんぞ、すぐに処刑台送りに出来ましょう。もう少しの辛抱です」
「違いない」
二人はガハハと人の悪い、下品な笑い声をたてた。
全く、その腐った性根が見透くようである。
私は気配を消しながらも、顰め面をつくらずにはいられなかった。
お嬢様は無表情を取り作っているが、眉がほんの少し寄っている。
私はそれを見て、お嬢様も彼が良いというわけではないのだと、安堵した。
ドルトニア卿の第一印象は、不潔だ。
その一言に尽きた。
まず、少ない髪が自分より格上相手の家を訪問するというのに、ボサボサになっている時点でどうかと思う。
それに、太っていることを悪いというつもりはないが、テカテカと脂が光っているのを見るあたり、身体を清めているのか不安になる。
あとは服がゴテゴテとしていて、目に毒だとか、そんなことを言いだせばきりがないが、ともかく何から何まで最悪だった。
この上、噂では性格も最悪だというのだから、良いところを見つける方が難しいのではないか。
今までご主人様こそ最低だ最低だと思っていたが、それ以下がいるとは思いもしなかった。
これは見極める間でも無く、間違いなくお嬢様に相応しいとは言い難い。
人に優劣をつけられるほど自分が偉くないことはわかっているが、最低限の礼儀くらいはわかって欲しい。
私が内心、一人怒り狂っていると、社交辞令まみれの挨拶が終わったらしい。
そこでようやく、ドルトニア卿がお嬢様に視線を向けた。
「おお、これはまた。とても美しいお嬢さんで」
「とんでもない。愛想もない、態度は反抗的、平民と戯れては汚れて帰ってくる。本当にどうしようもない奴だ。そんな奴ですが、貰ってくれるのかね」
「はは、もちろん。申し出たのはこちらの方だ。多少問題はあれども、それもまた愛嬌というものです。是非、貰い受けさせて頂きたい」
そう言って、ドルトニア卿は下心のこもった目でお嬢様を舐るように見つめた。
お嬢様はそんな視線の中、それでも勇敢にも前へと進み出ると、優雅な一礼を披露した。
しかし、私はその肩が震えていたのを見逃さない。
お嬢様はそんな怯えを自分の中に押し込め、ハッキリとした声で自己紹介をした。
「ドルトニア卿、お初にお目にかかります。ルルーシュ家の長女、エレナリアです。この度はご婚約のお話を頂き、ありがとうございます」
「なるほど、愛想がないというのは確かなことのようだね。つれない態度も可愛いものだが」
「すまないなぁ、ドルトニア卿。これはこれでも喜んでいるのだ。今回の話、持ちかけたのはこちらだが、受けるのは本人たっての希望だからな。分かりづらいとは思うが」
「それは、嬉しい。私も四十になってようやくツキが回ってきたのでしょうな」
にひ、とドルトニア卿は気味の悪い笑みを浮かべた。
それにしても、彼は四十を超えているらしい。
若くはないとはわかっていたが、実にお嬢様の二倍以上の年齢である。
この国の平均寿命は六十ちょいなので、それなりの年だ。
年の差がある結婚は貴族においてそう珍しいものでもないが、さすがにここまでとなるとそうそうない。
このドルトニアといい、ウェンデブルの時といい、こんなのは常識外れもいいところだった。
お嬢様にとって結婚が不幸の象徴となってしまいそうで、未だこの婚約を受け入れていない私としては少し怖かった。
「では、私はそろそろ退室しよう。しばらく二人きりの時間を楽しむがいい」
「お気遣いありがとう御座います」
「いや、よい。私がいては話せないこともあろう。エレナリア、くれぐれもドルトニア卿に失礼がないように」
「心得ております、お父様」
お嬢様が従順な返事をすると、ご主人様は満足げに頷いて部屋を出て行った。
婚約はしたとはいえ、まだ夫婦となっていない男女が二人きり、というのは本来中々ないことだが、ご主人様はそんなことを気にしてもいないのだろう。
こうして、ドルトニア卿とお嬢様は二人きりになった。
いや、正確には気配を消している私を含めて三人。
しかし、事前にお嬢様から命に危険がない限りは絶対に出てくるなと厳命されているので、私はほとんど何も手出しが出来ないと思っていい。
流石にお嬢様をここで殺すような真似はいくら外道な人物であれ、得策ではないとわかっているはずだ。
少なくともそう、信じたい。
私はしばらく二人の成り行きを見守ることにした。
「エレナリア」
「はい、何でしょうドルトニア卿」
「もう少し側に来ないかね。君の美しい顔をもっと近くで見てみたいんだ」
「仰せのままに」
「仰せのままに……って、君ね。君は一応私の婚約者なのだよ。それも、侯爵家という格上の。それなのに、何をそんなに畏まっているんだい? そんな召使いのような真似はやめなさい」
「あなた様がそう望まれるのであれば、そうさせていただきます」
あくまでも事務的に。
それがお嬢様の最低限のプライドらしかった。
まさか本気で敬意を払っているわけではあるまい。
でもご主人様にも言われた通り、失礼のないように振舞わなければ、婚約は消されてしまう可能性もある。
それだけはお嬢様が避けたいことであるらしかった。
そう思い至って、私は刹那、物騒な考えに囚われた。
それは、もし今ここで私が暴れたら、お嬢様の婚約も台無しに出来るのだろうかということ。
もちろん、それをするのは早すぎる段階であるし、それをすれば今後の動きにも支障が出てくる。
何より、お嬢様がこんな奴と結婚までしてしたいことがわからない以上は、衝動的な行動は控えるべきだ。
ああ、わかっている。理性ではわかっているとも。
けれど、ウェンデブル卿がお嬢様の頬に手を伸ばした瞬間、僅かではあるが、殺気が漏れ出てしまった。
お嬢様の射抜くような視線がこちらを刺す。
私は白くなるほど、自分の手を強く握りこんで、何とかそれを押さえつけた。
「エレナリア、どうかしたのかね」
「いえ、何も」
「そうかい。でも、婚約者を前にして余所見とは感心しないねぇ」
「申し訳ありません」
「私の妻となる以上、ここで必要なのは謝罪ではないよ。欲しいのは、その作り物のようなその顔が歪む、その瞬間だ!」
「うっ……」
次の瞬間、お嬢様がその場に崩れ落ちた。
腹を殴られたのだ、と気がついた時にはもう遅い。
ドルトニア卿は更にその位置に蹴りを入れた。
お嬢様は「うぐっ」と苦しげな声を上げて、その場に蹲る。
その表情は苦悶に歪んでいた。
私は耐えられなかった。
気がつけば、タガーを抜きはなち、駆け出していた。
気配を消したまま、背後に立つと、その首筋を目掛けて大きく振りかぶる。
「ダメ、リオッ」
「……ッ」
「誰だね、それは」
ドルトニア卿はお嬢様に二度目の蹴りをいれた。
そう、いれることが出来たのだ。
私がドルトニア卿に振るった刃は紙一重の所でなんとか動きを止めていた。
どれだけ感情的になっていたとしても、私はお嬢様の言葉には逆らえなかった。
悔しさに顔を歪ませながらも、渋々タガーを鞘の中の納める。
幸いにして、私の気配にドルトニア卿は気づかなかったらしい。
全く、なんでこんな奴が生きていなくてはいけない。
私は胸中で吐き捨てるようにして呟いた。
同時に、お嬢様の身体の服で見えない位置にもう一度蹴りがいれられる。
私は見ていられずに……これ以上見ていたら殺意が抑えられそうになく、お嬢様の命令を破ってしまいそうだったので、その光景から背を向けた。
背後でお嬢様が痛みに呻く声が聞こえるたびに、私は一度芽生えてしまった殺意を抑えるのに苦労した。
自分は人を殺すことに慣れすぎている。
これは良くない兆候だった。
自分の震える手を抱え込んで、懸命に時が過ぎるのを待った。
今思えば。
私がロエルに命令されるでもなく、お嬢様を守る為でもなく、個人的な理由で人を殺そうとしたのはこれが初めてだ。
今まではそれ以外のことで、人を進んで殺そうなどとは考えもしなかった。
ましてや、人を殺すことで生きてきた自分のことを唾棄すらしていた。
それだけ、まだ人としての感情が己にも残っていたということなのだろう。
なのに、今回は違った。
お嬢様に対する執着のあまり、個人的な怒りで、殺人兵器としての自分を突き動かしてしまった。
これはあまりにも許されざることだ。
「ああ」
諦めていた、はずだった。
アックス様に不毛と言われるまで、耐え続けていられたはずだった。
何の悔いもなく、全てが終わるはずだと、そう自分に言い聞かせていた。
そこに絶対的な自信があったはずなのに、ここにきてそれが脆くも崩れ去ってしまった。
結局、私がお嬢様に依存しすぎているのだ。
彼女の枷にはなるまいと考えていたはずなのに、いつの間にか私は彼女の首に鎖を巻きつけていた。
「お嬢様、私は」
あなたを幸せには出来ない。
私はあなたを暗闇の中に縛り付けてしまう。
だから、せいぜい出来ることといえば、暗闇から抜け出す手伝いをすることくらいだ。
それを忘れかけてしまう所だった。
あなたがあまりにも優し過ぎるから。傲慢にも期待をしてしまった。
暗闇から逃れる為の出口は既に近い。
ならば、答えは分かりきっている。
あとはお嬢様の本当の想いを確かめるだけだ。
私は自らの罪を告白する決意をした。
自分とお嬢様を少しでも切り離すためにも。
「お嬢様、今でもあの方と婚約されるおつもりですか? そのお気持ちはお変わりありませんか?」
「ええ、リオ。もちろんよ。私はあの人と結婚する。そのつもり」
ドルトニア卿がこの場を去られた後。
私は広過ぎるダイニングルームで椅子に向かい合って座り、お嬢様の手当てをしていた。
幾度となく蹴られたお腹には直視するのも、辛くなるような紫色の痣が其処彼処に見られる。
中には血が滲んでいるものもあった。
これは相当酷い。普通の令嬢が一週間で逃げ出すのも無理はなかった。
むしろ、よく箱入り娘として育てられた彼女達が一週間耐えたと思う。
しかし、そんな有様で尚、お嬢様の答えは変わらなかった。
私は包帯を巻きながら、そうですか、とただ呟いた。
お嬢様はそんな私を意外そうに見る。
「もう、止めないのね」
「ええ、私が何を言おうと、お嬢様のお気持ちは変わりそうにありませんから。それよりも、先ほどの感情的な行動、申し訳ありませんでした」
「気にしていないわ。あれはあなたが私を思っての行動ですもの。それより、あなたこそ大丈夫? 蹲って苦しそうにしていたけれど」
そんなところまで見ていたのか。
私はもはや、驚きを通り越して呆れた。
自分が酷い目にあっている最中、普通、他人の心配など出来るだろうか。
いや、少なくとも、普通の人なら出来ない。
その点、お嬢様は優しすぎた。本当、馬鹿がつくほどお人好しだ。
だから、私は。
……いけない、また思考の泥沼にはまるところだった。
こういうところが、いつもお嬢様を心配させてしまうのだ。
だから、敢えて少しぶっきらぼうに振る舞った。
「私はどうということないです。ただ、自分の不甲斐なさに失望していただけに過ぎませんから。それよりも、自分の心配をなさったらどうです?」
「ふふっ、そうね」
正直、これからが少し不安だわ、とお嬢様は蹴られた跡をそっと撫でた。
つくづく侯爵令嬢には似合わない傷だ、と私は思う。
それは目に見えるものも、目に見えないものも。
なのに、この人の進む先はいつも茨の道なのだ。
それこそ、理不尽と思えてしまうほどに。
私がふと視線をあげると、ちょうどお嬢様もこちらを見ていた。
彼女は儚げに微笑みながら、やはりどこか寂しそうに言う。
「でも、それを見て確信したわ。ロエルの言っていたことは嘘じゃないんだって」
「ロエル……?」
私はハッとした。
そうだ、お嬢様を侯爵家に連れ戻したのはあいつらだ。
私としたことが、肝心なことを忘れていた。
きっと、もうお嬢様は知っているのだ。
私が今までに犯してきた悍ましい出来事の数々を。
あいつらロエルなら面白半分に私のことを教えていてもおかしくはない。
もちろん、命令を実行に移すのは下っ端の奴らだから、そう多くのことは知らないだろうが、それでも人を殺めていることくらいは伝わっているだろう。
その上で、お嬢様は私に問いかけたのだ。
何をしていたのか、話してはくれないのかと。
私は戦慄した。
「私、知っているわ。今まで裏の世界で、あなたが何をしてきたのかってこと。ロエルを離れた後も、私の為にたくさんの人を殺めてきたことも、彼らから聞いた」
「お嬢、様」
「そして、それをあなたは終ぞ、言ってくれなかった」
「それはっ!」
「私に迷惑をかけない為、よね。わかっているわ。確信まではなかったけれど、もともとそうなんだろうという予想はついていたし。でも、今言いたいのはそんなことじゃない」
そんなこと。
お嬢様は今まで私が隠し通してきたことを、そんな一言で済ましてしまった。
私はもっと軽蔑されると思っていた為に、思わず唖然としてしまう。
お嬢様はお優しいし、こんなことは許されるはずもないからだ。
しかし、そんな私にお嬢様は不思議そうな顔をした。
「どうして、って顔をしているわね」
「それはもちろんです。もっと私に失望されると思っていました」
「あら、私だって人間よ。清いことばかり言える聖女ではないの。私はあなたに生きていてほしい、そう思っただけ。自分勝手かしら」
私は首を左右に振った。
私の咎は消えずとも、そう思うお嬢様が悪いことは決してない。
むしろ、嬉かった。
こんな私でも、誰かのためになれた。
生きることを許された。
お嬢様は温かな手で私の冷え切った手を包み込んだ。
彼女は殺人人形の私に優しさという名の体温を流し込み、人間にしてくれた。
「でもね、私は守られているだけなのは嫌なの」
「えっ?」
「私はもういい加減、自分の身も大切な人たちもちゃんと守れるようになりたい。それはあなたが不必要になったからとかではなくて、私の勝手なわがまま。悪名高き侯爵令嬢の傲慢なプライドによるものよ。だから」
許して。
お嬢様はするりと私の手を離した。
そして、立ち上がると、こちらにくるりと背を向けて、歩み出す。
一人残された私は、その場から動くことができなかった。
私ではどうしてもお嬢様を説得することが出来ないとわかってしまったから。
私がお嬢様にとって、大切な存在であり続ける以上は、もうきっと不可能だろう。
時間もあまり残されてはいない。
果たして、このままあの男にお嬢様を渡さなくてはならないのだろうか。
私は何処かにあって欲しいと願う希望の光を探し求め、ふらふら歩き出した。




