花色幻想と悪役令嬢
「間も無く、マリアンヌ学園生徒有志によります、『花色の姫君と永久の騎士』の上演が始まります。皆様、席につかれますよう……」
「エレナリア! こっちだ」
王都の中心にある、王立記念劇場にて。
芸術祭ということもあり、賑やかなこの場所ではもうすぐ舞台が始まろうとしていた。
タイトルは『花色の姫君と永久の騎士』。
学園に来た頃、お嬢様が読んでいらっしゃったものが今日は劇として上演されるのだ。
内容は結構ドロドロとした部分があるものの、この国では一番と言っても過言ではないほどの人気を誇るこの作品。
現在ではかなり脚色されたものが多いが、今回はアナ様達有志の学生達によって原作通りの舞台が演じられるのだ。
マリアンヌ学園の有志達によって毎年行われる劇は、かなりクオリティが高いらしく、劇場は人で溢れかえっている。
開演を告げるアナウンスが流れる中、一番舞台が見えやすい位置を陣取る人物がこちらに向かって手を振っていた。
お嬢様のことを唯一、呼び捨てで呼べる人……つまりは、殿下である。
流石にこの日ともなれば、殿下がここにいることは別におかしくはないので、今日は学園にいるときと同じように堂々と振舞っていた。
服装も深い青の高貴さを漂わせるものに身を包んでいる。
殿下は穏やかな微笑みをたたえて、お嬢様を迎えた。
「殿下、御機嫌よう」
「ああ、エレナリア。今日も君に会えて嬉しいよ。その衣装も気高く、かつ可愛らしいところもある君にぴったりだ。まるでウンディーネを見ているようだな」
「褒めすぎではありませんか? でも、ありがとうございます」
「思ったことを言ったまでだよ。……それにしても、すごい賑わいだ」
「お祭りですものね。慣れないので、少し疲れてしまいましたわ」
「それは大丈夫かい?」
「ええ、それ以上に楽しいですから。それよりも、殿下こそここにいて良いのですか? 今日は王家が参加しなくてはいけない祭典もありましょう?」
「まぁな。けれど今は大丈夫だ。朝、軽い演説をして、残りは夕方に食事会がある程度。本番は明日からだからな。今くらい、休んでも誰も文句は言わんさ」
そう言って、心底嬉しそうな表情をする殿下。
相変わらず、お嬢様への熱は冷めやらぬようだった。
聞いているこっちが恥ずかしくなるような熱烈な言葉を、立て板に水の如く平然とかけている。
アックス様の教育はしっかりと身についているようだった。
また、多忙にも関わらず、時間の合間を縫ってお嬢様に会いに来るのも、そこに思いの強さが伺えるというものだ。
「でも、エレナリア。君は確か、花色の姫君と永久の騎士はあまり好きではなかったと思うのだが。嫌だったかい?」
「そういえば、そんな話もしましたね。でも、今は特別嫌いなわけではありませんし、望んでここにきました。アナ様にも誘われたから、というのも大きいのですわ。彼女、主役らしいですし、応援したいと思いましたから」
「へぇ。それは少し妬けるな」
「あら、別に殿下のお誘いだから、というのもありましてよ? 殿下は私にとても良くして下さいますから」
お嬢様は少しだけ、目元を緩めた。
殿下はそのことに目敏く気がついて、驚いた表情をする。
まさか、冗談で飛ばしたつもりの言葉に期待できそうな言葉が帰ってくるとは思わなかったのだろう。
「それ、本当かい?」
「私、殿下に今更嘘は言いませんよ。少なくとも、あのダンスパーティーの夜に言われたことはとても嬉しかったのですわ。もう、蔑ろな態度は取らないと、そう決めてしまうくらいには」
まぁ、まだ受け止め切る覚悟はないのですが、とお嬢様は消え入るような声で言った。
耳の先が少し赤く見えるのは、気のせいだろうか。
でも、そう言う事はきっとお嬢様にとって、勇気のいることだったろう。
また、誰かのそばに居たい。
そう私以外の人間に決意を示した、初めてのことだったのだから。
一方、殿下は初めて手応えを得たことに、酷く狼狽えている様子だった。
嬉しいのに、目の前の現実が信じられない、といった様子だ。
手の甲をつねったりして、現実を疑うほどである。
いつも蔑ろにされてきた故の行動が、私にはとてもおかしく見えて、ふと吹き出してしまった。
殿下は困り顔で、そんな私を見た。
「リオ。笑ってくれるな」
「いえ、これは失礼しました。なんだか、とても初々しくて」
「意外だな。君はいつも通り、面白くない顔をすると思っていたよ」
「もちろん面白くはないですとも。でも、それはお嬢様が決めたことですから。私に文句を言う権利など、ありません。とはいえ、ほんの少し素直に嬉しくもあるのですよ。お嬢様が変わられたことに、ね」
「君はどこまでも主思いなのだな」
「それが私ですから」
「二人とも、劇が始まりますわ」
私と殿下はお嬢様に窘められて、会話を終えた。
同時に、周囲が暗くなり、開演のアナウンスが再度流れ出す。
いよいよ始まるようで、数秒の静寂が降りた。
私はこれから始まる舞台への期待に胸を躍らせて、その空白の時間を待った。
さて、物語は幼き日の姫君と騎士が出会うところから始まる。
花を愛する心優しき姫君の名前はカノン。
彼女はお城の庭で花を眺めていたところ、偶然迷い込んでしまった騎士の息子である少年……ルイに出会うのだ。
初めこそ会ったことのない同い年の異性に戸惑うカノン姫。
しかし、人懐っこいルイの様子に、徐々に心を許すようになる。
ルイも父についてお城を訪れる度、カノン姫に会いに来るようになり、二人の仲は縮まっていった。
だが、そんなある日のことだった。
「僕、父上が国境の戦に行かなくてはならないから、もうここには来られないかもしれないんだ」
ルイはある日、そんなことを唐突に告げた。
もう会えないかもしれない、と聞いて悲しむカノン姫。
そんな彼女の様子に、ルイはある約束をするのだ。
「カノンさま、僕必ずいつか戻ってきます。そしたら、僕はカノンさまを守る騎士になります。だから、待っていてください」
カノン姫はその言葉を信じ、ルイを見送る。
しかし、その時は来ず、ルイはその戦で行方不明になったとの知らせを受ける。
それを聞き、泣き崩れるカノン姫。
彼女はそんな悲しみに耐えながらも、十年の時を過ごした。
十年が経ち、十七歳になったカノン姫。
王族ともなれば、流石に婚期を迎える時期であり、カノン姫にもその話が持ち上がった。
候補として上がったのは、今は滅びてしまった隣国の王子--何せ、物語からは既に数百年が経っている--である、シルヴァ王子。
彼はたまたまアメリストスを訪れた際、カノン姫を一目で気に入り、結婚を申し込んだのであった。
当時はまだ戦も続いていたので、同盟を結べるかもしれない良いきっかけだと思った国王は、娘であるカノン姫に結婚を願う。
カノン姫は国を出ることは嫌だったが、王の頼みや国のことを考えた末に、隣国を訪れることを決意する。
こうして、彼女は一人の侍女だけを連れて、隣国の後宮へ入ることになったのだ。
だが、カノン姫が辿り着いた隣国はなんと一夫多妻制であった。
カノン姫が婚約者候補として迎えられた時、シルヴァ王子には既に五人もの婚約者候補がいた。
彼女たちは常にシルヴァ王子の一の妃にならんと、陰で争いあっていた。
だから、そこに新たに加わったカノン姫のことは彼女達にとって、当然面白くなかった。
それも、シルヴァ王子がそこまで興味を示さなかったのならまだしも、カノン姫はシルヴァ王子から一番気に入られてしまったのだ。
それも、かつてシルヴァ王子が愛していた今は亡きアメリストスの公爵令嬢に似ているという理由で。
ちょうど、カノン姫は公爵令嬢とは親戚だったので、よく似ていたのだ。
当然、彼女たちのカノン姫に対する態度は酷くなった。
服を破られたり、物を盗まれたりといったことが日常的に起きたのだ。
それでも、カノン姫は自分とは違い、シルヴァ王子のことを本気で思っている彼女たちの態度は当然のものだと思い、誰かに言うことさえしなかった。
彼女は辛い日々を、花を愛でることで、なんとか耐え凌ごうとした。
しかし、彼女たちはそんなカノン姫の態度も気に入らなかったようで。
ある日、彼女の前で花を引きちぎろうとした。
必死に花に罪はないと、止めようとするカノン姫。
けれども、後宮で力を蓄えていた彼女に、抗う術はなく、ついに引きちぎられんとする。
と、ちょうどその時だった。
「何をしていらっしゃるのですか!」
突然止めに入った騎士がいた。
こんな陰湿なことをしていると王子にバレるのを危惧した他の婚約者はその瞬間、パッと逃げ出してしまう。
無事に花を守れたカノン姫はその騎士にお礼を言おうと、彼の顔を見た。
そして、気がつくのだ。
彼が十年前に行方不明になったとされるルイであることに。
ルイもそこで、カノン姫であることに気がつき、再会を喜びあう。
実は彼、とある事情で隣国で騎士をしていたのだった。
思わぬ再会を期に、再び距離を縮めあう二人。
しかし、身分故に堂々と会うことは出来ないので、あまり知る人のいない裏庭の花畑で会うことにしていた。
彼と再会できたカノン姫は、辛い日々にも希望がさしたと言わんばかりに、明るさを取り戻した。
相変わらず嫌がらせは続いたが、それも気にならないほどにルイとの日々は幸せだったのだ。
とはいえ、カノン姫はどれほど薄幸体質なのか、幸せな日々はそう長くは続かないようで。
ある日、カノン姫はたまたま婚約者の一人であった女性の死体を見つけてしまうのだ。
本当は他の婚約者同士の諍いで死んでしまったのだが、証拠は見つからず。
他の婚約者たちのせいで、第一発見者のカノン姫が疑われてしまう。
一応、カノン姫が犯人だという証拠も見つからなかったので、この件は保留とされたが、カノン姫に依存する王子以外は彼女を疑った。
周囲からは人殺しと罵られる日々。
もともと、殺された女性は婚約者の中では一番権力も人気も誇るだったので、カノン姫は色んな方面で恨みを買うことになった。
この頃には、カノン姫に降りかかる被害は嫌がらせと言えるレベルのものではなかった。
紅茶に毒を仕込まれたり、暴行を加えられたり。
それらは最早、表に出たのなら、間違いなく犯罪になることだ。
カノン姫はそれを必死に訴えるも、周囲は耳を貸さない。
もともと異国の姫で、後宮での権力を持たない彼女の言葉を信じられることはなかった。
そんな中、その辛さを打ち明けようとルイと会う為、裏庭を訪れたカノン姫。
その際、どうやら暗殺者が送り込まれていたらしく、人目の少ない裏庭でカノン姫は襲われてしまう。
間一髪、ルイがカノン姫を助けたものの、ルイはカノン姫を庇った所為で大怪我を負ってしまった。
そのことに、自分のせいだと罪悪感を覚える優しいカノン姫。
そこで、彼女は決意するのだ。
自分に会うことはルイを危険に晒すこと。
だから、もう会わないと。
その決意を形にする為に、カノン姫はシルヴァ王子の求婚を受けるのだった。
ついに婚約を結ぶ儀式の当日。
騎士はようやく目を覚まし、カノン姫が正式な婚約を結ぶと聞いて、驚く。
そして、そうはさせまいといつも会う裏庭へと走るのだ。
そこには、儀式前にせめてと裏庭を訪れていたカノン姫が。
ルイの姿を見た、カノン姫は決意が鈍ってしまうことを恐れて、その場から逃げようとしてしまう。
それをルイは彼女を抱きしめることで、その場に引き止めた。
そして、懇願するのだ。
「カノン様、僕はあなたが好きです。だから、王子のものになんて、ならないで下さい」
身分差があることはルイにもわかっていた。
けれども、どうしても気持ちが抑えられなかったのだ。
正直な思いを打ち明けられて、戸惑うカノン姫。
だが、彼女には確固たる意志があった。
「それは、出来ません。私はアメリストスの姫です。国の為にもいつかはこうせねばなりませんでした。それに、私の所為であなたは怪我をしてしまった。もう、あなたには迷惑をかけるわけにはいかないのです」
そして、ついに去ろうとするカノン姫。
しかし、ルイは最後の最後まで諦めなかった。
彼女に堂々と宣言したのだ。
「なら、僕は他の婚約者を殺した真の犯人を見つけてみせましょう。そしたら、あなたの疑いは晴れる。迷惑をかけることもない。王子のことも、きっとどうにかしてみせます。だから、もう少しだけ待ってください」
ルイの真剣な思いに、ここにきて気持ちを揺るがせるカノン姫。
そこで、騎士はそれを証明する為に誓いを立てるのだ。
現代にも伝わる、有名な言葉をカノン姫に捧げる。
「僕はあなたに光を見ました。
太陽のように眩しいあなたの笑顔に。
花のように可憐なその姿に。
そして、海よりも深い慈愛の心に。
あなたは優しすぎるほど、本当に優しかったから。
周りを守りたいがゆえにたくさん傷ついてきたのでしょう。
自分の悲しみを押し隠し、今日まで笑って生きてこられたのでしょう。
それまであなたの心にどれだけの思いが募ってきたのかなど、僕には想像出来ませぬ。
それを背負うことも、また然り。
到底、僕には無理なことなのでしょう。
その感情はあなただけのものなのだから。
でも、僕はあなたを支えることが出来ます。
本当の意味で支えることは出来なくとも、あなたの身を守ることくらいは出来ます。
あなたの剣となり、盾となり、わが身はあなたに捧げたい。
これはもしかしたら、僕の我儘なのかもしれません。
あなたは優しいから、僕を思ってそんなことをするなとおっしゃってくださるのかもしない。
でも、これこそが我が願いなのです。
あなたの傍に置いて頂きたいと、僕は切に望み続けているのです。
ですから、どうか。
どうかこの手をお取り下さい。
あなたのことは永久にお守り致します」
ジッと頭を下げ、手を差し伸べて、カノン姫の答えを待つルイ。
カノン姫は瞳を閉じて、胸に手を当てている。
僅かに開かれた唇から零れた吐息に、そっと音が乗せられた。
「本当に、良いのですね?」
「もちろんです。僕の気持ちに偽りはありません」
再度問いかけられても、ルイの答えは変わることはない。
カノン姫はそのことに呆れたように、深いため息をつき、答えるのだった。
「わかりました。待ちましょう。あなたを信じて。けれども」
「けれども?」
「十年前のように、いなくならないで下さいね。これだけは約束してください」
「はい」
こうして、カノン姫はルイの手を取った。
二人は共に困難に立ち向かう道を選んだのだ。
その後は早かった。
騎士は実は、アメリストスのスパイだったのだ。
その為、母国では行方不明とされていたが、隣国では騎士となり、密かに国の裏側を探っていた。
その為、証拠を掴むことが出来たのだ。裏の情報網を使い、依頼を出していた暗殺者を捕らえると、依頼主を聞き出すことに成功。
ここが何ともズルいと思わなくもないが、ルイも仕事について詳しく話すこともなかったので、そういうことなのだろう。
何はともあれ、カノン姫の疑いは晴れる。
残るはシルヴァ王子の方だが、こちらについては実はもう一波乱あったりする。
カノン姫に依存する王子は中々彼女を離そうとはせず、ルイとも揉める場面もあるのだ。
それでも、カノン姫に優しい言葉に諭されて、徐々に素直な性格に戻っていくのだ。
やがて、友人とも呼べるような関係になり、王子はカノン姫を手放し、新たな女性を見つけようと努力するようになる。
同盟も無事に結ばれて、晴れてルイとカノン姫は一緒にいることを認められるのだ。
そうして、めでたしめでたし。
カノン姫たちのその後については言及されていないが、恐らく結ばれたのではないだろうか。
少なくとも、劇では幸せな終わり方だった。
「ふぅ、終わったな」
「ええ。何だか、長い夢を見ていた気分です」
劇が無事に終わり、舞台の上ではカノン姫を演じたアナ様と、騎士ルイを演じた男子生徒が拍手を浴びていた。
私たちもそれに倣って、何度も手を打ち鳴らす。
本当に圧巻の演技だった。
まるで、実際にその場面に居合わせたかのような臨場感に、未だ興奮が収まらない。
お嬢様の言うように、まるで長い夢を見ていたかのようであった。
「でも、原作はこんなにも波乱があったんだな。もっとおとぎ話のような、単純なものだと思っていたよ」
殿下は意外そうに呟く。
お嬢様はどうやら原作を知っていたようだが、私もちょうど同じことを思っていた。
殺人事件だとか、依存だとか、そんな生々しい事があるとは、あまり思いもしなかった。
これは確かに子供には脚色なしで語れる話ではないだろう。
ハッピーエンドとはいえ、過酷すぎる。
それに、これが現実にあったことだというのなら、うちのお嬢様並にカノン姫はツイていないと思う。
こんな酷い目に遭わされるのなんて、神様は不平等だ。
その中で優しい心を持ち続けたのは、凄いとしか言いようがない。
私ならとっくにやさぐれてしまっているだろう。いや、現にそうだ。
「私ね、このお話、嫌いだったのよ」
そんなことを考えていると、お嬢様はポツリと呟いた。
そういえば、春の頃もそんなことを言っていた。
さっきは確かそうでもなくなったとも言っていたが、何故なのだろうか。
あの時も聞きそびれてしまったままだ。
私は気になって、お嬢様の話に耳を傾けた。
「だって、カノン姫は大切な人を傷つけると分かっていながら、騎士の手を取ったのよ。本当に大切なら、守りたいのなら突き放すはずなのに。あの頃の私はそれがまるで理解できなくて、苛立った。だから、カノン姫が嫌いだったのだわ」
でもね、とお嬢様は僅かに顰めていた顔を和らげた。
やはり、お嬢様は表情を徐々に取り戻し始めている。
その違いは小さくあれど、顕著に表れていた。
今は誰が見ても、優しい顔をしているとわかる。
私はそのことに、改めて驚かされた。
「今はカノン姫の気持ちもわかるの。私がリオを手放せないのと同じだと、リオと喧嘩した後で思った。一緒にいたい。それはダメだと分かっていても、思うことを止められないのだわ。私も、同じ立ち位置にいたら、同じことをしていたかもしれない。今では強くそう思うの」
「お嬢様……」
お嬢様の言葉はとても嬉しかった。
自分を欲してくれている、というのはなんと幸せなことだろう。
たかが侍女でしかない私をここまで気にかけてくれているのだ。
嬉しくないはずがない。
「ありがとうございます」
でも、と私は心の中で答える。
私はこの話の詳細を聞いて、とてもこの話が嫌いになってしまった。
かつて、お嬢様がカノン姫を嫌ったように、私は騎士ルイが嫌いになってしまったのだ。
その理由についてお嬢様に言うことは出来ないから、言葉にはしないけれど。
私はおそらく、彼に「嫉妬」しているのだと思う。
そんな醜い感情を心の奥底に押しとどめながら、私は笑った。
「私は本当に幸せな侍女です」
少なくとも、それだけは真実ではあるから。
きっと、うまく笑えているだろう。
事実、殿下は何も気にする様子がなかった。
「ほんと、君たちは劇の中の騎士と姫君のようだ。喧嘩の内容も随分とまぁ、似ている」
「あら、言われてみればそうかも知れません。でも、違う点もございましてよ?」
「と、言うと?」
「私はただ、守られるだけの存在ではない、ということです。自らの身に降りかかることは、己で解決する。それが私ですから」
「違いない」
呆れたように、微笑む殿下。
それに、お嬢様はちょっと得意げだ。
私はまだ、お嬢様にバレていないことを確信し、ホッと安堵した。
三者三様の気持ちを抱えながら、私達はカーテンコールの終わった劇場を出て行こうとする。
人波に押し流されながら、なんとか出口へ向かおうとするものの、中々前には進めない。
流石お祭り、というべきか。
視界に捉えられる範囲にはいるものの、あっと言う間に離れ離れになってしまった。
劇場を出ると、私はすぐさまお嬢様達のところへ向かおうとした。
殿下の護衛もすぐそばで息を潜めているだろうし、お嬢様の実力なら大した危険はないだろうが、最早私の染み付いた習性だ。だが。
「待って、リオ」
不意に、背後から聞き覚えのある声がした。
私は先ほどから捉えていたその気配に、ようやく来たかと振り返る。
そこには予想通り、金色の髪をなびかせる侯爵令嬢が立っていた。
彼女は緑色の瞳でジッとこちらを見据えていた。
本来、ここにいていいはずのない彼女の存在を意外に思いながらも、私は彼女に尋ねた。
「クレア様、ここにいてよろしいのですか?」
「あなた、知っているのね。これから、何が起こるか」
「ええ。いつかはこうなると、分かっていましたから」
ついに、「あの時」が来る。
つまりはそういうことなのだろう。
私は大きく息を吸い込んだ。
やっぱり、思っていたよりも緊張する。
握り込んだ指先が微かに震えていた。
「蛇を纏いし剣はすぐそこよ。これを警告しておきたかったから」
「奴らはやっぱり、今動き出しましたか」
「そのようね。あなたにはそれだけの価値がある。無理もないわ」
クレア様は、私の壊れ方をも知っているらしい。
流石、と言うべきか。
とはいえ、これはある程度予想できていたことだ。
今更驚くことでもない。
万華鏡で見た出来事が本当になるのなら、クレア様はそういうお方だ。
でも、だとしたら、疑問は残る。
「どうして、私の正体を知りながら、私に肩入れするのです」
私は穢れた裏世界の住人。
なのに、相反する立場にいる彼女が私を見逃してくれている理由が分からなかった。
よもや、私を奴らと同じように利用しようとは考えているわけではないだろう。
それは、彼女たちの正義には絶対に叶わないやり方なのだから。
「別に、私はあなた自身の能力に価値を見出したわけではないわ」
「なら」
「私はあなたのエレナリア様を思う気持ちに、価値を見出した。本来ならとっくに死んでいたであろう、彼女の運命を曲げ続けたあなたの強き思い。それは決して捨てていいものではない」
そうクレア様はキッパリと言った。
しかし、私はまさかここでお嬢様のことを出されるとは思いもよらず、目を見開く。
お嬢様への思い。
それは確かに誰にも負けない自信はある。
でも、運命とは、死んでいたはずとはどういうことなのだろうか。
それを問おうとするも、クレア様は有無を言わせぬ笑みを浮かべるだけだった。
「私はあなたたちを見て、ようやくこの世界がゲームではないと気がついた。そして、この理不尽な世界を変えなくてはいけないと本気で思えた。だから、今ここにいるの。本当に感謝しているわ」
「……全く意味がわかりません」
「わからなくて、良いのよ。ただ、言いたいのは死ぬなということだけ。エレナリア様の物語の最後をあなたならハッピーエンドに出来ると信じたから、あなたに忠告する。生きて、帰れと」
生きて、帰れ。
それはまだ私の役目を終えていない以上は絶対成し遂げなくてはならないことだ。
これから対峙するものがどれほど凶悪であろうと、今日はまだ帰らなくてはいけない。
お嬢様の明るい未来をこの目で確かめるまでは。
だから、私はこう答えるのだ。
「当然です。私はお嬢様の侍女ですから」
「やはり、そう言うと思った。応援しているわ、イレギュラー。じゃあ、私はやるべきことがあるから」
「私もあなたを応援しています。革命の聖女」
クレア様は私の言葉に、片手を上げると颯爽と去って行った。
私もそれ以上は引き止めることなく、一度お嬢様のいる方へと足を向ける。
戻ってみると、殿下とお嬢様は仲睦まじげに話していた。
それでも、私が近づいてきたことに気がつくと、迎えてくれる。
お嬢様は戻ってくる私を見るなり、意外そうに片眉を上げた。
「あら、遅かったじゃない。あなたにしては珍しく」
「すみません。これから、少し用事が出来てしまったものですから。ちょっとこの場を離れます。殿下、お嬢様のことをお願いします」
「えっ? ちょっと!」
私は要件を一気に伝えた。
そして、お嬢様の呼び止める声にも振り返ることなく、走り出す。
もし、これ以上話していたら、決意が鈍ってしまう可能性もあったからだ。
戸惑う殿下とお嬢様を置き去りにして、私はがむしゃらに走り続けた。
お嬢様達なら殿下やクレア様の庇護下にあるから、この先に危険があったとしてもきっと大丈夫だ。
最も懸念しなければならない奴らも私が始末すれば良いだけの話。
何も問題はない。
私は大きく息を吸い込んだ。
気持ちを落ち着かせようと、頭の中を一度空っぽにする。
今のままでは、間違いなく雑念が混じってしまいそうだった。
そんなことでは、奴らを始末することは出来ない。
今は成すべきことを実行するだけだ。
「僕はヤル」
そうだ。今の私は侍女ではない。
生を貪る穢れた獣だ。
私はただ、そのことを頭の中に刷り込んだ。
過去の自分に課していた枷を再び今の自分に結びつける。
徐々に感覚が研ぎ澄まされ、街の雑踏が遠のいていった。
捉えるのはその中では異様なものだけ。同類の臭いだけだ。
「見つけた」
僕は久々の高揚に身を任せながら、ニイッと人混みの中で嗤った。
そして、自らの腰に付けた武器に手をかけるのだった。




