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悪役令嬢は薔薇を愛でた

赤い花の紋章の刻まれた旗が燃えていた。


その周囲では黒い種の紋章や、剣に絡みつく二匹の蛇の紋章も共に炎に包まれている。


火種になったであろう松明は今。

たった一人の若き少女の手に握られていた。

金色の髪をなびかせ、堂々と燃え行く旗の前に立ち続ける少女。

彼女はまるでエメラルドのような緑の瞳に強い意志を宿していた。


彼女の手に握られているのは紫色の花弁に金色の星が輝く紋章が刻まれたアメリストスの国旗。

それを掲げながら、少女は彼女の元に群がる民衆たちに向けて凛とした声で呼びかけた。


「アメリストスの民よ」


彼女の声に呼応するように、民衆は一斉に自らの身分を示す旗を振り上げた。

茶の蕾の紋章に青い花の紋章、少女の象徴である緑の花の紋章も当然、その中に混じっていた。

実に様々な色の花が彼女の前には咲き誇り、少女の姿をより一層輝かせている。

少女は多くの花に守られながら、背後で燃える旗を指差し、彼らに問うた。


「この世界は腐敗している。そうは思わないか?」


その声に応えるものはいない。

皆はうら若き少女のもつ威厳に圧倒されながら、きちんと理解していた。

彼女は別に答えられることは望んではいないのだと。

答える代わりに、肯定の意を伝えるために彼らは少女に向かって旗を一振り。

ばさり、と大きな風が巻き起こり、背後の炎がますます強まった。


「腐っている。一部の特権を持つものだけが、必要以上の富を得ている。こんなのは許されることではない。もっとその富は守られるべき民に与えられるべきである」


少女が言葉を続けた。

するとまたしても、ばさりと大きな風が巻き起こる。

それは先ほどよりも強く、明確なものだった。

彼女を背を押す力は強くなり、花はますます咲き誇った。


「私は宣言する。この腐敗した世界を終わらせることを。そして、私は誓う。この力を使って、人々を守らんことを。私は、命を差し出す。君らのためになら、私はなんだってする。全てを守ろう。全てを語ろう。全てを変えよう。私は君たちを決して裏切らない」


少女は手のひらに大きな光を浮かばせた。

その光は太陽のように輝き、彼女の周囲は明るく照す。

暖かく、守られるようなその力に、人々は途端に魅了された。

燃えていた旗は灰になり、元の形もわからなくなる。


同時に人々は少女に希望を見出した。

この人なら、きっと世界を変えてしまうに違いないと、確信めいたものを密かに感じ取っていた。

諦めていた暗がりの民衆たちも光に気がついて、サッと顔を上げる。

すると、暗く澱んでいた彼らの瞳に色が戻った。

少女の宣言は世界の色をたちまち塗り替えていったのだ。

少女は花の海の中央で手を、光を大きく空に掲げた。


「私はアメリストスを救う。その為には皆の力が必要だ。どうか、今一度だけ君らの力を貸してはもらえないだろうか?」


少女は今度こそ答えを求めた。

それを敏感に感じ取った民衆は大きく旗を振る。

強い風とともに、嵐のような歓声が上がった。


そうして、少女は世界に受け入れられた。






「ううんっ……リオ?」


不意に、慣れ親しんだ声が呆然と立ち尽くしていた私の耳を叩いた。

私はそこでハッと我に帰り、手にしていたものを目元から離す。

すると、先ほどまで目の前で歓声を上げていた民衆も金髪の少女の姿も消え失せて、静寂に包まれた朝が戻ってきた。

慌てて、今いる部屋を見渡してみれば、そこはいつもの寮の一室。

お嬢様の部屋であるここは、いつも私が掃除しているお陰で清潔さを今日も保ち続けていた。


ああ、何一つ変わっていない。

そんな日常に私はホッと息をついた。

それから、手にしていた万華鏡をエプロンドレスの下に隠れたポーチに押し込む。

やはり、この万華鏡は便利な反面、とても危険だ。

知りたいことを知れたとはいえ、お嬢様の寝言を聞かなければ、危うく魂を吸い込まれていたかもしれない。

そんなことになれば、お嬢様はきっと悲しんでしまわれる。


もう、これは絶対に使わないと心に決めながら、私は朝の準備を始めた。

今日は大切な日であるから、お嬢様にも早く起きていただかなくてはならない。

私はもう少しお嬢様の素直な寝顔を見ていたいという衝動に駆られつつも、未だにうつらうつらとしているお嬢様の肩を揺すった。


「お嬢様、起きてください。今日は芸術祭ですよ」

「嫌よ。リオ、そんなこと……言わないで。私はあなたに、望んでなんか……」

「お嬢様?」


どうやらお嬢様はうなされていらっしゃるようだった。

何かを拒むように首を振り、悲痛な声を上げる。

その言葉から察するに、その夢が私に関連しているのは明らかだ。

お嬢様の頬に涙が伝い、ゆっくりと流れ落ちる。

お嬢様は縋るように手を伸ばした。


「リオ、止めて。行かないで!」

「お嬢様、大丈夫です。私はここにおりますゆえ」


私は堪らず、その手を取った。

ギュッと握り返すことで、自分が側にいることをしっかりと伝える。

すると、お嬢様はそっと目を開いた。

ぼんやりと焦点の合わない瞳に、徐々に私の姿が映るようになる。

私はその間もずっとお嬢様の手を握り続けた。


「お嬢様、お目覚めください。それは悪い夢でございます」

「夢? 私、リオがいなくなるって……」

「そんなことはございませんよ。私はまだここにきちんとおります。ご安心ください。そう、約束したではありませんか」


私はお嬢様に向けて、ニッコリと微笑みかけた。

不安げなお嬢様の姿は少し前よりも感情が露わになっているせいか、とても痛々しい。

私はそれをとても見ていられなかった。

とはいえ、こうなった原因は半分以上、自分にあるのだけれど。


私は過去の失敗を悔やむように、内心でため息をついた。

あれはしてはならないミスだったと、今更遅すぎる反省をする。

これももう何度目か分からなかった。


「お嬢様、あの時は本当にたまたまだったのです。本当になんでもありませんから。私は平気です。だから、そんなお顔をなさらないでください」

「ええ。別にあなたの言うことを疑っているわけじゃないのよ。私もいい加減、立ち直らなきゃと思っている。けど、『あの時』は本当にビックリしてしまったから」


ダメね、これだから私は。

とお嬢様は自嘲するようなため息をついた。

別にお嬢様は何一つ悪くないのに、そんな風に言うことが私の心を更に締め付ける。

私は本当に取り返しのつかないミスを犯してしまったのだと、再認識させられる他なかった。


お嬢様の言う「あの時」。

それはもちろん、魔導杯の決勝で私が倒れてしまった時のことだ。

あの時の私は影の魔法を無理に使った所為で、吐血した挙句に三日も意識が戻らなかったのだ。

実はその倒れた原因というのは影の魔法という理由だけではなかったりするのだが、それはまぁ今はどうでもいい。

大切なのは、お嬢様にその三日後、死ぬほど心配をかけさせてしまったということだ。

唐突の出来事に錯乱してしまったお嬢様。

当然、試合は試合どころじゃなくなり、魔導杯は曖昧なままで終わってしまった。

その後、私は貴族もたまに利用するという学園内にある治療所に運ばれ、治療を受けたのだが、その間もお嬢様は付きっきりになって下さったらしい。

目を覚ました時には窶れたお嬢様の表情に、回復したばかりというのも忘れて、いつもの世話を始めようとしてしまったくらいだった。


でも、お嬢様が心配するのも無理もないほど、私の状態はひどかったようだ。

なんでも、医者曰く、私が生きていたのは殆ど奇跡と言って過言ではないほど。

本来なら、普通に人としての生活は送れていないレベルで、一度魔法に変換させた体はボロボロだったようだ。

それがなぜか、人には考えられない治癒力で、しかも三日で治ってしまったのだから、医者には驚かれた。

これは昔のことが関係しているのだが、まぁそんなことはどうでもいい。

私はそんな体の持ち主であるから、今はなんともなく日常を過ごしている。


だが、全てが元どおりになったかといえばそうでもないのだ。

主にお嬢様に関しては酷かった。

お嬢様は私が倒れたことが余程ショックだったのか、こうしてたまに悪夢を見られるようになったのだ。

また、以前よりもしつこく私を側に置いておきたがるようにもなった。

私は別に迷惑でもなんでも無いのだが、お嬢様の弱った表情はとても見るに堪えない。

その点に関しては、私は本当に後悔することしか出来なかった。


「お嬢様。ご心配をおかけして本当に申し訳ございませんでした」

「ええ。今度からは無理はしないで頂戴ね。私、あの時は心臓が止まるかと思ったんだから」

「それはもちろん。誓って」


私はお嬢様に対して、深々と頭を下げた。

一見それは誓いを捧げているようにも見えるのだろうが、その実これは謝罪だった。

私はどうしたって、お嬢様を守るためなら無理は止められないのだ。

だが、それを口に出そうものなら、お嬢様はまた悪夢にうなされることとなる。

こんな嘘などその場しのぎでしか無いが、無いよりはマシだった。

今はまだお嬢様を追いつめるときではない。

もし告げるのなら、お嬢様に私以上に大切な人が出来たその時まで。

私はそう心に決めていた。


心と言葉では全く逆のことを呟きながら、私は朝食の準備を始めた。

お嬢様もベッドから起き上がると、テーブルについて紅茶を口にする。

今日は特別な日であるから、いつまでも暗い顔はしていられなかった。

朝食が出来上がる頃には、お嬢様もいつもの無表情に戻っていた。

いや、正確には少し楽しげだ。

私はそんなお嬢様を横目に、今日に備えて用意したお嬢様のお洋服を引っ張り出した。


「お嬢様、今日のお召し物ですが……」

「なっ……」


今日のために私が毎晩張り切って作らせていただいていた、お嬢様の衣装。

手先が器用な自信はあるので、自分でも中々の出来だと思っていた。

しかし、お嬢様はそれを見た瞬間、珍しく目を大きく見開いた。

それどころか、眉をピクピクと引きつらせているので、如何に衝撃を受けているかが伝わってきた。

明らかにこれは動揺している。


「ちょっと、リオ。私はこういうのは嫌だって、前から言っているじゃない!」

「ええー、そうは言ってもお嬢様、毎回拒否なさらないじゃないですか。てっきり、こういうものが好きなのだと……」

「確かに……確かに嫌いではないわ。でも、私にはこんなもの似合わないもの。やめて頂戴。もっと地味なのが私にはお似合いだわ」

「そんなことないですって。お嬢様はもともと赤い髪とオレンジの瞳っていう、派手な容姿をしていらっしゃいます。なので、これくらいでないとかえって釣り合いません。自信を持ってください」

「そんなことを言われても……」

「ささっ、早く着替えてしまいましょう。今日は忙しいですよ。なんと言ったって、お祭りなんですから!」

「ああっ、ちょっと!」


必死に抵抗しようとするお嬢様。

とはいえ、私には叶うはずもなく、半ば強制的に私の用意したそれを身に纏っていく。

髪を整え、薄っすらと化粧を施し、細々としたアクセサリーもつけだした頃には、お嬢様も諦めて顔を僅かに赤く染めるだけになった。

不機嫌そうなため息をつきながらも、結局はいつも通りされるがままになっている。

私はいつも以上に輝き出すお嬢様の姿に惚れ惚れとしながら、着実に手を動かしていった。


そして、十分後。


「出来ましたよ。お嬢様」

「もう、嫌よ。恥ずかしすぎるわ」

「そんなことないです。よくお似合いですよ」


私は満面の笑みを浮かべて、完成されたお嬢様の姿を眺めた。


今年の芸術祭のテーマカラーは青。

アメリストスでは平和の象徴とされている色なので、百年という節目の年を迎える今年の色に選ばれた。

そういうわけで、お嬢様の芸術祭の衣装もその色に合わせた。

選んだのは青は青でも優美さを感じさせるロイヤルブルーだ。

落ち着いた深い身のある青はお嬢様をエレガントに引き立てている。

所々には黒いレースとバラをあしらっていて、これもまたお嬢様の赤い髪がよく映えるようになっていた。

芸術祭は伝統的に貴族でも膝下までの衣装を着ると決まっているので、靴は瑠璃色のヒールの高い編上げブーツを合わせている。

更に、頭の上には小さなハットがちょこんと乗っかっていた。


「お化粧の具合も確かめておいてください」


私はお嬢様に殿下から貰った手鏡を差し出した。

お化粧は元のお嬢様の素材が良いので、最低限しか施してはいないが、念のためだ。

お嬢様は手鏡を大切そうに握りしめながらも、その確認をし終えて、深く頷いた。

どうやら一応、お気には召したらしい。

私はようやくホッと息をついた。


「よかった。本当にお似合いです、お嬢様」

「ありがとう。思いの外、着てみると悪くないものね」

「でしょう? きっと、殿下も気に入られると思います」


今のお嬢様を見れば、殿下は間違いなく見惚れるだろう。

そして、最近アックス様に学んだという語り口調で、お嬢様を褒め称えるのだ。

ああ、エレナリア。今日も美しいよ、と。

お嬢様も私の言葉に同じことを想像したのか、ほんの少し口角を上げた。

対して、私は顔を顰めてしまう。

未だに殿下にお嬢様を取られるのは納得行き難いのだ。

お嬢様はそんな私に仕返しのつもりなのか、からかうように言葉を投げかけてきた。


「あら、妬いてるの?」

「もちろんです。私はお嬢様とずっと一緒にいましたから。正直、面白くないです」

「ふふっ、流石は私の騎士様ね。私はあなたのそういうところが好きよ。大丈夫。安心して頂戴。私はどこへ行こうとも、あなたとは一緒だから」


もちろん、あなたが拒絶しない限りは、だけど。

お嬢様はそう言って、クルリとターンした。

その背は私についてきなさいと雄弁に語っている。

私はその無言の信頼に嬉しくなって、すぐさま後を追いかけた。

こうして、祭りに彩られる王都アメリアに繰り出したのだった。






今日の王都は本当に賑やかだった。

普段から大勢が闊歩している大通りは輪にかけて人が多く、今が売り時とばかりに商人たちの呼び込む声も凄まじい。

都はテーマカラーの青一色で飾り立てられ、風に舞うリボンや旗はもちろん、人々の服も青が圧倒的に多かった。

淡い青も濃い青も混じり合い、さながら晴れた日の空が降ってきたかのようだった。


さて、それはともかく。

今日は何のイベントかというと、芸術祭なのである。

つまり、芸術に関する祭典なのであって、今日は都の至る所でパフォーマンスが行われていた。

魔術を使った美しい演出を見せる者、道行く人の似顔絵を描いてみせる者、自作のストーリーを語って見せる者。

実に様々な芸術がルールなどないままに披露されていた。

個々の得意なことを、好きなだけなんでもやって見せる。

一見それは混沌としているように見えて、その全てが混ざり合うことでまたこの祭りを彩っていた。


そんな中を私とお嬢様は人にぶつからないように気をつけながら、のんびりと歩いていた。

特別何かに参加しなくても、視界に入ってくるものは目新しいものばかりであり、それだけでも飽きることはない。

お嬢様などは初めての芸術祭であるから、尚更興味深そうに周囲を見回していた。

その目はあの殿下と共に訪れた店にいた時と同じくらいに輝いており、落ち着かない様子だ。


私はそんなお嬢様を微笑ましく思いながらも、この祭りの感想を聞いてみることにした。


「お嬢様、如何ですか。このお祭りは。随分と賑やかでしょう」

「ええ、ええ。素晴らしいわ。どれも領地では見られなかったものばかり。あの魔法も本当に綺麗ね」


あの魔法、とお嬢様が指差した方向に視線を向けてみれば、そこには氷の魔法で噴水を凍らせて、新たな彫刻を生み出している人がいた。

私の位置からはそれを直視することは出来なかったが、その周りには人だかりが出来ており、その技術がいかに凄いかは一目瞭然だ。

ちなみに、チラリと見えた部分には水の精霊(ウンディーネ)が舞う姿があった。

一瞬目があったかのような感覚に陥らされるほど、精巧にできたその物憂げな表情は、たとえそれが刹那でも心惹かれるものがあった。

隣のお嬢様はその姿がよく見えているのか、ほうっと感嘆のため息をついている。

そして、つられるようにして、噴水の方へと足を向けた。


「もっと近くで見てみましょう」

「それは別に構いませんが……って、お嬢様!」


グイッとお嬢様は私の手を引っ張ったが、私はちょうど間に割り込んできた人のせいで、前へと進めなかった。

その瞬間、パッと手が離れてしまうものの、お嬢様はまるでこちらを気にする様子がない。

私は慌ててその背に追いつくと、周囲への警戒をより強めた。


今日は祭りの日。つまり何があってもおかしくはない日なのだ。

こんな日にはぐれてしまっては大きな危険が伴ってしまう。

特に気になるのは、時折人ごみの中に慌てた様子の貴族がいること。

彼らは誰かに見つかることを恐れているかのように、従者を急かしていたりした。

何やら、華やかな祭りの陰でキナ臭いことも起きているようだ。

それだけ「あの時」が近づいているということなのだろう。

そう考えると、ふと不安が大きくなった。


「お嬢様」


私は先ほどよりも強く、お嬢様の手を握りしめた。

そのせいで、お嬢様に私の不安が伝わってしまったのか、瞳に戸惑いの色を微かに浮かべる。

私は不安のままにお嬢様を抱きしめてしまいそうになるのを、必死で堪えた。


「リオ?」

「いえ、なんでもありません」


震える声でそれだけを何とか答える。

これまで「あの時」のことはずっと覚悟してきたつもりだったが、いざ目の前にそれを感じられるようになると、無性に切なくなった。

あと何度、お嬢様の手をこうして握ることが出来るのだろうか。

そんなことを考えてしまう自分がどうしようもなく嫌になった。


「リオ、どうしたの? とても顔色が悪いわ。まさか、また体調が?」

「ちっ、違います! これはただ、その」


咄嗟に上手い言葉が見つからない。

いつもならへらへらと笑って躱せる質問が、今日に限ってそれが出来なかった。

だから、お嬢様の目元が釣り上がるのは当然のこと。

お嬢様は私が何かを隠そうとしていることを見抜かんとするように、鋭い眼光でこちらを睨みつけた。


「リオ、あなた一体」


ああ、これ以上は聞かないで欲しい。

そう願って目を瞑った私の耳に、不意に聞き覚えのあるメロディが流れ込んできた。

柔らかな音で奏でられるその旋律は、こんな状況にもかかわらず、切なさと慈愛が入り混じったかのような感覚で胸を締め付ける。

儚く、それでいてどこか刺々しい。

そんな印象を与えてくれる曲を、私は確かに知っていた。


「この曲……」

「曲? それってさっきから流れているオカリナの……ああ」


お嬢様もそれにどうやら気がついたらしい。

質問を引っ込めて、その音に引き寄せられるように耳を澄ませていた。

やはり、懐かしいこの曲は間違いない。

この曲はお嬢様が大好きな……。


「いばら姫の待ち人、ね」


そう、それだった。

お嬢様と私は互いに目を合わせると、こくんと頷きあい、音の方へと足を向ける。

お嬢様はひとまず、この場では私のことを見逃してくれるようだ。

いっそ、そのまま忘れてくれたらと思わずにはいられないが、最近のお嬢様の様子を鑑みるに、それは叶わないことだろう。

でもまあ、取り敢えず言い訳を考える猶予くらいは出来た。


なので、私は一度、このことを忘れることにして、お嬢様と芸術祭を思い切り楽しむことにした。

きっとお嬢様も朝から暗い話題ばかりでうんざりしているだろうし、楽しい時間もあっていい。

聞こえてくるオカリナの音に耳を澄ませながら、私はお嬢様のあとに続いた。

そうして、見えたオカリナの奏者は。


「あら」


お嬢様が意外そうな声を上げた。

私も視界に入った彼の姿に、軽い驚きを覚える。

お嬢様の声に、奏者はオカリナを吹くのを止めて、顔を上げた。

彼はお嬢様を認識した途端、満面の笑みを浮かべ、挨拶をしてきた。


「ああ、リアさん!」


この独特の名前でお嬢様のことを呼ぶのは、私が知る限りたった一人しかいない。

無論、シャイン様のことだ。

彼はオカリナを手にしたまま、こちらに駆け寄ってきた。

如何にも嬉しそうな様子は、まるで尻尾を振る犬のようである。

お嬢様も同じことを思ったのか、彼に尻尾が付いていないかしきりに確かめていた。

シャイン様は戸惑っていたものの、好きな人に構われて嫌な気はしないらしい。

笑顔を崩すことはなかった。


「ねぇ、さっき『いばら姫の待ち人』を演奏していたのは、あなたよね?」


そんな短いやり取りの後、お嬢様はようやくそのことを尋ねた。

彼がオカリナを吹く姿は見たものの、普段は剣術一本で頑張っている彼にそのイメージはあまりなかったのだ。

だが、シャイン様はしっかりと頷いた。


「そうっスよ。こう見えて、音楽は好きなタチで。リアさんも『いばら姫の待ち人』知ってるんスね?」

「ええ、とても好きな曲だから」


お嬢様は基本、何が好きだとかそういうことをストレートに言う人ではない。

振りかざすのはいつも建前だけで、本当の気持ちは常に心の奥底に隠し持っている人なのだ。

例えば、洋服の趣味だってそう。

でも、それは別に特に意識しているわけではなくて、何もかも抑圧されて生きてきたお嬢様の習性の様なものだった。


しかし、いばら姫の待ち人に至ってはその限りではない。

むしろ、小さい頃からずっと公言していた唯一の好きなものだった。

その執着は凄く、あの屋敷にいた時もご主人さまに最初で最後のお願いをしてまで、楽譜を買ってもらっていた。

そして、もし家族の誰かが触れようものなら、普段の従順な態度からは考えられないくらいの反抗的な態度さえも取った。

その怒りはまさに鬼の如く。

故に、あの傲慢な侯爵一家でさえそれには触らなかった。

そこで私は度々、そこまで大切にする理由を聞いたが、お嬢様はそれだけは一度も答えてくれたことがなかった。

ただいつも、どこか悲しげな表情で首を振るだけ。

その時のお嬢様と言ったら、今にも消えてしまいそうなものだから、私はそこでいつも口を噤んでしまうのだった。


「へぇ、どうしてっスか?」


しかし、今。シャイン様も当然のように、その質問を投げかけた。

私は一瞬、ひやりとするものの、すぐにあの時のお嬢様とは違うと、思い直した。

今のお嬢様は間違いなく変わられた。だから、大丈夫。

半ば自分に言い聞かせるような感じではあったけれど、お嬢様は幸い特に気にした様子はなかった。


「そうね。多分……わたくしがいばら姫に似ているからかしら」


いや、それどころか答えてすらくれた。

私は意外な返答に、思わず耳を疑った。

あれだけ頑なに口を閉ざしていた返答が、こんなにもあっさり返ってきたのだ。

驚かない筈がない。

とはいえ、まだお嬢様の言葉には疑問が残る。

それを恐れを知らないシャイン様が単刀直入に聞いた。


「似ている? リアさんといばら姫が、ってことっスか?」

「ええ。いばら姫は本当に愚か者だもの。そういうところが、わたくしそっくり」

「いばら姫が愚か者? それって……」

「その前に。ここからは、自虐的な話になってしまうけれど、大丈夫かしら」


次の質問を投げかけようとしたシャイン様。

しかし、お嬢様はそれを一度止めて、確認を取った。

もちろん、それを止めるはずもなく、私とシャイン様は一も二もなく頷いた。

せっかくお嬢様が自分のことを話そうとしてくださっているのだ。

お嬢様のことを想う代表者としては聞きたい思いは尚更強かった。


「それは、当然。リアさんの話を聞かせてください」

「ありがとう。それじゃあ、遠慮なく話させて貰うわね。……それで、いばら姫が愚か者と言った理由だけれど。それは、いばら姫が自分で自分の首を締めようとしているからよ」


まだ、いまいちピンとこない。

お嬢様はまだ少し遠回しな表現をされているようだ。

私とシャイン様ははっきりとしたことがわからないままに首をひねる。

私はなんとなくぼんやりとしたイメージは持っていたが、それがなんなのかはまだ明確になっていなかった。


「やっぱりこれだけじゃわからないわよね。じゃあ、タイトルに目をつけてちょうだい。棘を持つ、いばら姫が人を待つ意味を」

「棘と待ち人……って、ああ、そういうことですか」

「ええっ? リオさん、わかったんスか?」

「流石はリオね。あなたはすぐわかると思っていたわ」

「ですが、納得はしませんね。お嬢様はそれを演じているにすぎない」

「違うわ。演じることしか出来ないのよ。だから、結局は同じこと。受け取る側にしてみれば、それも棘なのだわ」

「ちょっ、ちょっと! 二人で会話を進めないでください! おれ、全然ついていけないっスよ? ちゃんと、おれにも教えてください!」


シャイン様を差し置き、突如言い合いを始める私たち。

それに、シャイン様は明らかに困り果てている様子だった。

でもまぁ、私だって初めは少ししか分からなかったのだから、短期間しか過ごしていないシャイン様が理解できなくても仕方がない。

むしろ、それが当然というものだ。

私はお嬢様が自分では話したくなさげなことを察して、代わりに説明をした。


「お嬢様は自分の態度がいばら姫の持つ棘と同じ……つまりは、人を傷つけるものだとお考えのようです」

「なんだって?」

「それなのに、人をそうして拒んでおきながら、それを受け入れてくれる人を求めている。その受け入れてくれる人のことが、いばら姫にとっての待ち人のことです」

「つまり、矛盾した気持ちを抱えていることを愚かだと。リアさんは考えているわけっスね」

「そういうことです。全く、的はずれもいいところですが」

「リオ、でも永遠に現れない人を待つのはやっぱり愚かなのよ。自分の本質を変えられない以上、もうそれは諦めるほかないわ。なのに、そうはいられないというのは、ただの停滞よ。これほど愚かしいことはないわ」

「だから、それは前提が間違っているのだとっ……!」

「まぁまぁ、二人とも落ち着くっス!」


このままでは口論に発展してしまう。

そんな時に、シャイン様が仲裁に入った。

すると、初めから私の意見を受け入れるつもりのなかったお嬢様は途端に黙り込んだ。

対する私も流石にこれ以上いうのは躊躇われたので、大人しく矛を収める。

シャイン様は苦笑しながら、気まずくだまりこむ両者の間に立った。


「二人とも仲がいいのはわかったっス。リアさんの意見も、リオさんの意見もわかるし、間違ってはいないんスよ。まぁ、個人的なことを言えば、おれもリオさんよりも意見っスけどね」

「……どうして?」

「まぁ、完全に一緒ってわけではないんスけど、おれは別にいばら姫もリアさんも愚かとは思わないんで。だって、別にほかの人といたいと願うのは人間として、別に変わったこととは言えないじゃないっスか。本質なんて人それぞれだし、別にそれを変えられないことも普通だと、おれは思うんスよね。なんか、おれ、難しいこと考えるのは苦手なんで、あんま上手くは言えないっスけど」


あっ、確かに。私は何故か、至極単純な意見に凄く納得させられてしまった。

なんか、お嬢様の境遇も私の人生もあまりに普通じゃないことを経験しすぎて、やたら難しく考えるのが習慣になってしまっていた。

今聞けば、普通はそうだ。お嬢様の悩みは何も人としてはおかしくない。

お嬢様もそれに気が付いたのか、拍子抜けしたようなポカンとした表情をしていた。


「それに、リアさんには受け入れてくれる人、沢山いるじゃないっスか。リオさんやおれはもちろん、殿下だって。いくら傷つこうが、あなたを守りたいと思う人は沢山いるっス。だから、やっぱりリアさんはいばら姫とも違うと思うんじゃないっスか?」


まぁ、おれは剣しか取り柄ないから、今の言葉に責任は持てないっスけど。

そう言ってシャイン様は照れたように頭を掻いた。

シャイン様の無邪気な様子には、その言葉が純粋さ故に出てきたものなのだということが如実に表れている。

だからこそ、私たちの胸にはじんわりとした暖かさを与えてくれた。


「そう……そうね」


お嬢様はほんの少し考え込むように俯いた後、そう呟いた。

何かを飲み込むかのようにゆっくりと頷くと、シャイン様の方へと向き直る。

その表情はいつもとは僅かばかり、何処か変わっているように見えた。

シャイン様もそれがわかったのか、緊張したように肩を微かに震わせる。

お嬢様はそんなシャイン様に向けて、声をかけた。


「あなたに、お願いがあるの」

「おれの出来ることなら、なんでも」

「もう一度……もう一度だけ、『いばら姫の待ち人』を聞かせてくれないかしら」

「それくらいなら」


シャイン様は承諾の返事を返すと、ずっと手にしていたオカリナを口元へ持って行った。

そして、初めの音を鳴らすための穴をそっと塞ぐ。

と、その指が踊り出した瞬間、『いばら姫の待ち人』の切なげなメロディがその場に紡ぎ出された。


その『いばら姫の待ち人』は今まで聴いた中でも、一番魂が震えた演奏だった。

悲しげな表情をした少女が窓の外を物憂げに眺める姿が目の前に浮かぶようである。

それがあの屋敷でのお嬢様に重なり合い、余計に私の胸を強く締め付けた。


「でも、私はもう違う」


しかし、その幻はすぐに消え去った。

代わりに現実に舞い戻った私の前に立つのは、もう傷ついた儚げな少女ではない。

今まさに前に進み出そうとしている、強き意思を瞳に宿した一人の女性だった。

私はその明らかな変化にあっと息を飲む。


お嬢様はあの夜の一筋の涙を流し、そしてほんの一瞬。

けれど、確かにそっと笑って見せたのだった。

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