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悪役令嬢は剣術がお好き


「本当にあれで良かったので?」


サリア様との件から数時間後。

私とお嬢様は校舎の廊下を歩いていた。

周囲に他のご令嬢の姿は無い。

それもそのはず、次が選択授業だからだ。


次の授業……剣術の授業は取るかとらないか、選ぶことが出来る。

通常はご令嬢の場合、怪我を防ぐためだとか、淑女には必要ないだとかで取らないことが多いのだが、幼いころから剣術を嗜んでいたお嬢様は取ることを選択されていた。

そういうわけで、現在はお嬢様は動きやすい服装で校舎裏にある稽古場へと向かっていた。


お嬢様は私の質問の意図を確認するように、首を傾げた。


「それは、私のサリア様に対する処置が酷かった、と言いたいのかしら?」

「いいえ。その逆です。幾らなんでも甘すぎやしませんか、と言いたいのです」

「あら、本当にリオは何でも知っているのね」

「それは、当然。お嬢様のことなら、なんでも」


あの後。

朝礼は異様な空気のまま終わり、その後の授業もどこか不気味な静けさを保ったまま進んだ。

時間が経つにつれ、その緊張感もほどけてきたものの、未だ侯爵令嬢方に向けられる視線は冷たい。

しかし、その裏側を知る私としては、その視線こそが理不尽だと思った。

何も知らぬまま、表面上だけを見て、判断する。

生徒たちは誰もお嬢様たちが何をしたかなど、分かってはいないのだ。

お嬢様達はサリア様のご実家である男爵家をただ、「救おう」としただけであるのに。

全く、非難されなくてはならない理由がわからなかった。


私はこれまで心の内に溜めこんでいたため息を、フッと吐き出した。

それから、答え合わせをするように、その実態について話し出す。


「あのままだと、サリア様のお姉さまはとんでもない奴と結婚させられていたのでしたね。男爵家の方々は伯爵家と言う相手の地位に目がくらんで、気づいておられないようですけど」

「ええ、なんたって相手はあの汚職で有名なバルゼット伯爵家のはしくれよ。いずれバレて、没落においこまれるのは目に見えているわ。そして、男爵家がそれに巻き込まれてしまうだろうことも、ね。それに、詳しく調べたところ恋愛なんて嘘だと言うし。相手が無理やり押し通しただけなんて、お姉さまはかなり苦労されていたようね。挙句の果てには借金まで負っているし……最悪を極めたようなお相手よ」

「それは、酷い」

「まったくだわ。サリア様のお姉さまには本当に同情する」


お嬢様はやれやれと呆れたように首を振った。

そこに他のご令嬢といる時のような、硬い表情は無く、目には心の底からの同情が浮かんでいた。

あの時は見せなかったが、お嬢様は私の前では遠慮なく人間味を発揮するのだ。

別に、他のご令嬢が嫌なわけでも、悪役令嬢と言う立場が辛いのでもない。

ただ、私は特別。

以前、お嬢様はいかにも適当ながら、そう打明けてくれた。

とはいえ、元々そんなに感情豊かなわけでもないので、本当に僅かな変化なのだが。

長い間仕えているだけに、お嬢様の些細な機微を察するのは私の得意分野になっていた。


お嬢様は憂鬱そうに窓の外を見つめながら、まだあるのよと言葉を続けた。


「リオの事だから知っているのでしょうけど、サリア様のご実家でされている織物の生産と、販売。最近は上手くいっていないらしいの。何でも、最近は新しい素材が出来たらしいじゃない? ユエルの森で見つかった虫が吐く糸が良質だとかで。それに、その虫の増殖も簡単だから、今まで主流だった植物からの糸採取はどんどん衰退しているらしいわね。だけど、男爵家の領地は小さく、虫も手に入れられないから、かなり追いつめられている。そうでしょう?」

「ええ、そうですね。だから、虫を手に入れられるバルゼット伯爵家との縁結びも急ごうとしたし、それ故に没落寸前にまで追い詰められていた。けど、お嬢様はそれを」

「クレア様のご実家、ノルヴィス家に織物の生産、販売を委託した。もちろん、一時的にね。クレア様のご実家は同じように織物で発展されてきたお家ですから、ブランドも伝手もある。きっと、上手く立て直してくれるでしょう。虫も手に入れられるはずよ。まぁ、しばらくはサリア様のご両親も苦労されることでしょうけど。忙しい、という意味ではね」

「それこそ、召使いのように、ですか」

「そうね」


つまりはそういうことだったのだ。

一見悪いように思えた宣告は、全ては男爵家を救済するための措置。

サリア様を害す気などさらさらなかったのだ。

いずれ、彼らにもそれが分かる日も来ようが、全てが上手くいくまではお嬢様達は悪役のまま。

将来的にはメリットもあるだろうけれど、今その分の反動は大きい。

しかし、こうでもしなければここまでの強硬策は取れなかった。

今だって、権力をゴリ押ししたギリギリのラインなのだから。


私はそれを全て知っていた。

実は彼女達の悪役令嬢ぶりは全て、計算づくであることを。

元々はそんな目的があって、お嬢様は悪役令嬢になったわけではないのだが、なったからには最大限の利益を引き出す。

それが侯爵家のやり方である。

根に意地悪な部分があることや、ゴシップ好きなところはあながち彼女達の本質ではあるのだが、皆に言われるほど悪い人たちではない。

ただ、「あるもの」にお熱で頑張りすぎてしまう、変わった人たちなのだ。


「お人好しよね、あの子たち」

「……いえ、打算があるのだと思いますが」

「ん? 何か言った?」

「何も」


私は思わずボソッと呟いてしまった言葉を打ち消すように、首を振った。

その打算の一つがお嬢様であるなんて言えるはずもない。

クレア様はこの上にもっと壮大な志を持っていらっしゃるようだが、それも私達には関係のないことだ。


お嬢様は訝しげな目をこちらに向けてきたが、私は知らぬ存ぜぬを突き通した。

お嬢様も私が話そうとしないことは察したのか、すぐに諦めて前に向き直ってしまわれる。

お嬢様は私に構うくせして、本当に深いところまでは大抵詮索してこない方なのだ。


そうこうしているうちに、やがて稽古場へと着いた。

男女の比率は八対二と言ったところで、圧倒的に男性の方が多い。

男性は幾ら上位の貴族でも、一つのステータスとして剣術が習うことが多いので、当然と言えば当然だ。

それでも女性がいるのは家が騎士階級だったり、身分がそこまで高くないが故のスキルの習得だったり、はたまた変わり者が居たりと言ったためだ。

お嬢様はこれらの内、一番最後が近いような気がするが、それだけでもない。

元々才能がある方だが、剣術に関しては私の影響と言うのが最も大きい理由だろう。

私がお嬢様の侍女となる前の職では剣を握ることがしょっちゅうであったため、私の日課に剣の鍛錬と言うものがあったのだ。

お嬢様はそんな私の傍に居たためか、元々それなりにやっていた剣術を更に極めることとなった。

今では大抵の相手には負けない程の実力を持っている。


お嬢様が稽古場に入ると、その視線が一気にお嬢様に集中した。

お嬢様はスッと表情を消して、それを受け止める。


「おい、来たぞ。人形の悪役令嬢」


小さな声でささやかれた声には、珍しく嫌悪が混ざっていなかった。

あるのは少しの興奮。

憧れのような、好奇心のような。

諸々の好意的ともいえる感情が、お嬢様には向けられていた。

この場でしかあり得ない、お嬢様が唯一真の意味で認められる場所。

それが、強さを求められるこの場だった。

鍛え抜かれた身体を持った騎士たちは、ぜひとも手合わせしたいと言う熱意を溢れさせているし、貴族のお坊ちゃんも憧れのまなざしをこちらに向けている。

少ない女性は、尊敬するようにお辞儀をするものやら、実力の違いによる嫉妬心を見せる者やら。

誰もがお嬢様を偏見ではなく、強さと言う物差しで測っていた。

誰もさっきのことを口にする者はいない。


「おっ、来たな」


どうやら、ここへ来たのはお嬢様が一番最後だったらしい。

そう言ったのは、このクラスの教師である、ローナ先生だった。

彼女は女騎士にして、この国の騎士のなかでも指折りの実力者である。

現在は後続の騎士の育成に携わっており、この学園で教師をしているのもその活動のうちの一つだった。


彼女は金色の髪のポニーテイルを風に靡かせながら腰に手を当てて、クラスを見まわした。

このクラスには一年から三年の生徒が混ざり合って受けているため、その中にはルクス第一王子殿下や、シュエル皇子、騎士シャイン殿の姿もある。


また、今朝ルクス様に色目を使っているとの噂されていたアナ・ユーグ子爵令嬢もいた。

彼女は噂通り王子の近くでちょこまかと動き回っている。

噂は本当のようだった。


「さて、今日の授業だが」


私が周囲をうかがっていると、ローナ先生が授業を開始させた。

今日は自由に相手を選んで模擬決闘をするとのことで、生徒達の目が一斉にお嬢様やシャイン殿に集まった。

そこにはやってやるという気概が溢れている。

これこそ、お嬢様がいかに強いかがわかる証だろう。


ローナ先生はそんな彼らを宥めながら、決闘の礼儀を説明を始めた。

それは、次の通り。

初めに、向かい合って一礼。

次に、名乗りを上げる。

そして、剣を抜き、互いの目を合わせたら、見届け人が号令して戦闘開始だ。

あまり難しいことではないが、これを忘れるとこの国では卑怯者として扱われてしまうことになる。

もちろん、戦争だったり、魔物や盗賊による強襲だったりと、非常時には省くこともあるが、儀式的なモノの場合は必ずこれを行う。

騎士ならば知っておかなくてはならない知識だ。


生徒達は先生に何度か叱られながらも、その知識をなんとか頭の中に叩きこんだ。

そうして、ようやく先生から決闘を始めても良いとの許可が下りる。

すると、お嬢様の周囲にはあっという間に人だかりが出来てしまった。


「エレナリア殿、どうか私とお手合わせ願いたい」

「エレナリア様、お相手しては下さいませんか」

「今日こそは負けませんよ、エレナリア様」

「エレナリア様」


私はお嬢様にたかる者たちを抑えながら、お嬢様に目配せした。

実は、お嬢様の今日の相手は朝からずっと心に決めてある。

お嬢様は、期待のまなざしを向けてくる生徒達に向けて、にこりと笑顔を向けた。

もちろん、外向き用の不自然な笑顔を、だ。


「ごめんなさい、皆さま。今日は戦いたい相手がいるのですわ。皆さまの申し出はとても嬉しいのですけれど、今日の所は引きさがっては頂けませんか?」


そう言えば、半数は引きさがっていった。

だが、もう半分は不満そうな顔でその理由を知りたがる。

その多くはお嬢様に負けたことのある相手、特に男性が多数を占めていた。

先に引きさがっていったのはほぼファン的な少女達で、お嬢様には迷惑をかけまいと判断したらしい。

私は少し強引に未だに渋る者を引き離した。


「お下がりください」

「エレナリア様、一体お相手は?」

「皆さま、どうかお願いします。お相手したいのは、アナ・ユーグ様ですの」

「アナ殿、ですか?」


彼らは一様に首を傾げた。

まぁ、無理もない。

いつもはツワモノばかり選んできたお嬢様が、大して強くもないアナ様を指名するのだ。

お嬢様は困ったように頬に手を当てる仕草をして、その事情を説明した。


「ええ。あの子の行動は最近目に余るものがあるでしょう? それが私の友人は気に入らないらしくて。ちょっと注意してほしいと頼まれたの」

「なるほど、クレア様にユリー様ですね。それは大変だ」

「ええ。わたくしも少しでも殿下にはこの学園生活を良く過ごして頂きたいの。せっかくのお友達のお願い事でもありますし、是非戦わせていただきたいのですわ」


これなら、あまり悪役令嬢らしくない言い方だ。

随分ともっともらしく聞こえる。

ここでは、お嬢様のご友人はいない。

だからこそなのだが、あまり敵を進んで作るわけにはいかなかった。

ここはお嬢様の学園のなかでも他と比べて気楽に居られる場所なのだから、尚更。


それでもその「戦い」の本質は虐めだ。

そのことに彼らは微妙な顔をしながらも、最終的には諦めてくれた。

何といっても、お嬢様の実力は令嬢としての範疇を超えている。

アナ様に勝つのはこの場の全員が知る確定事項だ。


お嬢様は彼らの間を縫って、サッと歩き出した。

生徒達は戦いの手を止めて、息をのんでその姿を見つめている。

お嬢様の前には自然と道が出来た。

ちなみにローナ先生はあくまで騎士階級なので、ため息を吐きながらもそれを止めない。

彼女は貴族のごたごたには触れない主義だ。

最悪、大けがでもしそうになれば止めることにはなっているが、しばらくは傍観を決め込むつもりのようだった。


朝の講堂の時のような奇妙な沈黙が再びこの場に舞い落ちる。

それに気が付いていないのは一部の白熱した戦いを繰り広げる者たちと、王子に構うことに夢中になっているアナ様のみ。

木剣のぶつかり合うガツンという音がお嬢様の足音をかき消し、彼女には気づかれぬまま背後に歩み寄ることに成功した。


「アナ様」

「はっ、はい! 何でしょう?」


お嬢様の声に、アナ様は元気な返事を返す。

黒い髪をふわりと揺らして振り返った彼女の腕は殿下の腕に絡みついていた。

無邪気に笑う瞳もまた黒。

非常に可愛らしいお顔立ちをされていたが、正直華奢で剣をふるうにはあまり相応しくない身体だった。

もう二年生だと言うのに、本当に剣術を学ぶ気はあるのかと言いたくなる。

お嬢様も細いには細いが、それでも引きしまった筋肉がしっかりとついているのだ。

アナ様とは体つきがまるで違う。

これだけを見れば、戦いの決着はもう着いているも同然だ。


と、私は戦闘向きの見方をしてしまったが、お嬢様の興味はそこには無いらしい。

視線は殿下の腕を握る手に向けられていた。

お嬢様は途端に顔をしかめる。

早速、問題行動が目についたのだ。

お嬢様いわく、王子自身に全く興味はないが、周りのご令嬢の心を握るには大事なキーパーソン、らしい。

その大事なキーパーソンがたかだか子爵令嬢如きに横取りされているのだから、気分が悪くなるのは当然だろう。

心なしか、本性が垣間見えた気がした。

いつもならお嬢様はここで舌打ちをするのだ。

全く、面倒くさい事になりそうだわ、と。


「その手を離して下さらないかしら」

「えっと、どうしてでしょう?」

「わからないかしら。殿下はたかだか子爵令嬢如きが触れては良い相手ではない、ということよ。わかったのなら、とっととその手を離しなさい」

「なっ……」


お嬢様の酷いもの言いに、アナ様は目を大きく見開いた。

言葉が出てこないのか、離せと言われた手を離せずにそのまま固まってしまう。

ここまで露骨に馬鹿にされたことはないのか、よほどショックを受けておられるようだ。


お嬢様は固まってしまわれたアナ様を作られた侮蔑の表情で睨みつけると、呆れたように首を振った。

そして、無言で剣を抜くと、その切っ先をアナ様に向ける。

そこでアナ様はようやく我に返って、ヒッと短い悲鳴を上げた。

反射的にその場を飛び退いた事で、手は自然と殿下の腕から離れる。

金髪の王子は嫌な顔こそはしなかったが、少々ホッとしたように、掴まれていた袖を払った。

付きまとわれて迷惑している、というのは意外なことに当たらずも遠からずの事実だったようだ。


しかし、お嬢様はそんな王子には目もくれず、アナ様を睨み続けていた。

つり上がった目で睨まれるのは中々に迫力があって、アナ様はたじろいでいる。

お嬢様はそんな態度とは裏腹に落ち着いた声で語りかけた。


「アナ様、お分かりになられたでしょう?」

「わっ、わかりませんよ。殿下に関わろうが関わらまいが、私の勝手です。あなたにどうこう言われる筋合いはないはずです!」

「ここまで言ってもわかりませんか。実に愚かです」

「酷い! そこまで言わなくても良いじゃないですか」


アナ様はウルウルと瞳を潤ませる。

その姿は彼女を良く思う人間の庇護欲をそそるものだったが、お嬢様の肩を持つ私としてはその発言に呆れるばかりだった。

お嬢様の言い分は貴族社会に置いて、実はかなりもっともだ。

侯爵家ともなれば王家に近づく事もあるし、あわよくば妃になることも可能ではある。

だが、子爵令嬢では位が低すぎて、王家とは釣り合いが取れない。

当然国内からは反発が大きいし、他国からも王家の品位を疑われ、なめられてしまう。

巷ではそんな恋物語も人気があるそうだが、それはあくまでもフィクション。

現実ではありえないこと、つまりは夢のまた夢だ。

この子爵令嬢もそんな話を読んで、王子と結ばれる幻想でも抱いたのだろうが、もしそうだとしたら愚か以外の何でもない。

冷静にこの場を見ることが出来たら、誰だってそれが理解出来る。


普段ならば「エレナリア様は悪役令嬢である」という固定観念から批判しか集まらないが、ここではお嬢様を見る目も純粋なものが多い。

それ故にアナ様には同情こそ集まりこそすれ、それが他の令嬢より冷めたものであるのは否定できない事実だった。


「酷い、ねぇ。あなたは本当に分かっていないのね」

「……何を」

「人に聞く前に自分で少しは考えてみなさいな。でも、今は到底それを考えるのは無理でしょうから……仕方ないわね。今回はわたくしが条件を示しましょう」

「それを飲めば、私が王子に近づくことを許してくださるのですね」

「ええ。構いませんとも。どうです、わたくしの条件を飲みますか」

「受けて立ちましょう」


アナ様は即答した。

恋は盲目、とは言うが条件を聞く前にそれを了承するとは、最早病と言っても過言では無かった。

これからどうなるか、分からぬものは彼女のみ。

私は彼女の身に起こることを想像して、頭が痛くなってきた。

同時に、心の底から願う。

どうか、お嬢様。お手柔らかに、と。


お嬢様はアナ様の答えを聞いて、不敵に笑った。

この時ばかりは珍しく、作りモノの感じは一切感じられない。

まるで、オオカミが牙をむいたような獰猛な笑み。

これが感情の起伏が乏しい彼女が唯一見せる、本質の一部だった。

全く、昔はこんな時でも大人しかったのが、私が教えるようになってからと言うものの、随分と凶暴になってしまわれた。

いや、元々その素質があったのを私が引き出してしまったのか。


「では、決闘を引き受けて下さらない?」

「エレナリア様と私が?」

「ええ。もちろん。あなたが勝てば、もうわたくしは何も言わないわ。お友達にもわたくしから何も言わないように説得しましょう。けれど、わたくしが勝てば、あなたはこれから一生殿下には関わらないでちょうだい。これで宜しくて?」


一応確認を取ろうとはしているが、事前に引きうけてしまった以上、アナ様に拒否権はない。

また、お嬢様の勝利は誰が見ても明らかで。

アナ様もそれをようやく察して、サッと青ざめた。

それから、ギュッと目をつむって迷うような素振りを見せる。


そこにお嬢さまが更に畳みかけた。


「あなたは先程、きちんとした意思を見せてくれたはずよ。なのに、今更嫌だと言うの? あなたの殿下に思いはそんなものだったわけね」

「そんな、こと」

「ない、というのならハッキリと受けて立つ意思を見せなさい。そしたら、案外殿下もあなたに振り向いてくれるかもしれないわよ? 殿下に言われれば、私もその条件を取り下げなくてはならないでしょうし」


まぁ、そんなことは無さそうだけれど。

と私が心の中でその後に付け加える。

それは先程袖を払った王子の態度を見れば一目瞭然だ。


しかし、アナ様にはそれが一筋の光明に見えたらしい。

途端にパッと顔色が良くなった。

黒い瞳に期待をみなぎらせ、背後の王子を縋るように視線を向ける。

王子は反射的にかツッと視線を逸らしたが、アナ様はそれに気が付いていない。

再びお嬢様に向き直ると、大きく首を縦に振った。


「分かりました。それでやりましょう」

「決まりね。では、始めましょうか」


二人は距離を取った。

そして、先程聞かされた決闘の儀式を行う。

まずは一礼。

観客達は二人から距離を取った。

いつの間にか戦っていた者たちも試合を終えて、観衆の中に加わっている。

私は到底ありえないものの、お嬢様に危険があった時の為に、いつでも飛び出せるように一番近いところで控えた。


「私は赤き花の紋章、ルルーシュ侯爵家の長女、エレナリア。秩序と王家への忠誠をこの剣に」

「私は黒き種の紋章、ユーグ家子爵家の長女、アナ。熱き思慕と誠実さをこの剣に」


まずは家の紋章、次に家柄と、名前。

最後にこの戦いの意味。

これが昔から続く正統な名乗りだった。

それから剣を抜き、視線を交錯させる。

見届け人はローナ先生だった。

彼女は両者の準備が整ったことを確認して、手を上げる。


賽は投げられた。


「始めっ!」

「行きます!」


最初にしかけたのは意外な事に、アナ様の方だった。

訓練用の木剣を大きく振りかぶり、お嬢様に向かって走り出す。

思っていたよりも型はきちんとしているし、スピードもある。

体つきの割にはちゃんと一年間授業を受けてきたことがわかる動きだった。


しかし、それは想像以上だというだけであって、お嬢様の勝利への確信は揺るがない。

お嬢様はその場から動かずに、アナ様の攻撃を軽々と受け止めた。


「軽いわね」

「キャッ!」


お嬢様は受け止めた剣を思いっきり横へ振り切った。

アナ様はそれに抗えずに、隙を見せてしまう。

バランスを崩した今なら、絶好の攻撃チャンスだ。

だが、お嬢様はその隙をつかずに一歩下がって次の攻撃を待った。

アナ様はそのことに驚きながらもまわってきた幸運を逃すまいと、次の攻撃を放った。

今度は突き。

お嬢様はそれを最小限の動きでかわす。

お返しとばかりに、アナ様のお腹に蹴りを入れて、アナ様を地面に倒した。

勝負はこの時点で決着していた。

しかし、それでもお嬢様は剣を突きつけない。

ただひたすらあざ笑うように、アナ様を見下ろすだけだった。


勝負は基本、剣を急所にあてるか、寸止め、相手を降参させるかの三つでしか勝利は認められない。

急所を狙うにも頭や首はご法度で、お腹や利き腕と言った部位に限られる。

それでも、今の状況ではお嬢様にはそれが可能だ。

何と言ったって、倒れた状態の今のアナ様には隙が多すぎる。

完全に弄んでいるのが見て取れた。


アナ様は屈辱的な状況に唇を噛みしめながらも、よろよろと体勢を立て直した。

お嬢様は挑発するように、ちょいちょいと手招きをする。

そこには獣のような嗜虐的な表情があった。


やっぱり、お嬢様は変わられたのかもしれない。

私はそれを見て確信する。

最近、お嬢様はあの屋敷での日々では決して見せることのなかった顔をされることが多くなった。

それがいいことなのか、悪いことなのか。私には正直、わからない。

でも、この学園に来てお嬢様は変わられた。

悪役令嬢なんて呼ばれながらも、日々を意味のあるものとして生きておられる。


私はぼうっとアナ様を地面に転がし続けるお嬢様を眺めていた。

アナ様は今にも泣き出しそうな表情をしている。

身体にはあまりダメージが入っていないようなので、この状況が精神的に辛いのだろう。

しばらくはくじけることなく対抗していたが、遂には降参してしまった。

勝ち目がないことは明らかだったし、仕方のないことだ。


周囲からはパチパチとやる気のない拍手が湧き上がる。

私もくだらない茶番が無事終わったことに安堵し、ため息を吐き出す。

そして、これから始まるであろうお嬢様の争奪戦を防ぐため、お嬢様の元へと駈け出した。

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