悪役令嬢は騎士を裁く
今回、かなり長めです。
「エレナリア様、最近は随分とおもてになってにいらっしゃいますのね」
「ほんと! 今、学園中でエレナリア様のことが噂されていますわ。中には聞くには堪えないものもありましたが、それもやっかみですわね」
「ようやくエレナリア様の魅力に殿方は気付かれているようですね。さすがは殿下とシャイン様。見る目をお持ちになっているわ」
「でもでも、エレナリア様はどちらを選ぶおつもりなのです? やはり、殿下ですか? ああっ、でもシャイン様も捨てがたいですよね」
「皆様……少し落ち着いてくださいまし。気が早いですわ」
強烈なお誘いを殿下とシャイン様に受けてから、丸一日が経った。
今日は授業がない為、誰も彼もが思い思いにのんびりと過ごしている。
一応、まだ来週にサマーパーティーがある為に学園から離れられず、この一週間は身支度も兼ねて、まだ学校に残っていなければならないのだ。
とはいえ、身支度など貴族にしてみれば人を使えばいいだけなので、手間を省くこともない。
なので、お嬢様は他の侯爵令嬢の方々と優雅にお茶会を開いていた。
今回の主催者はクレア様。
場所は食堂の中でも学園の全体が見渡せるテラス席だった。
頭上には白いパラソルが開かれており、空調魔法がかけられている為、外でも快適なお茶会が出来た。
「そんなことないですよ。ぜひ、エレナリア様のお話をお聞かせ下さいまし」
そして、今日の話題は専ら殿下のことで噂されているお嬢様のことだった。
お嬢様は他の令嬢方の視線を向けられて、居心地が悪いのか、いつもの無表情に拍車がかかっている。
それでも、彼女達の好奇心を抑えることは出来ないようで、お嬢様は完全に逃げ場を失っていた。
流石はゴシップ好きなことはある。
既に昨日のシャイン様との件も耳に入っていらっしゃるようだった。
お嬢様はわざとらしいため息をついて、ついに諦めたのか口を開く。
令嬢方の目がそれを見逃さずにキラリと鋭く光った。
そこには、お嬢様の言葉は一言一句も聞き漏らさまいとしている気概が見られた。
「考えておりませんよ。第一、殿下のことはともかく、シャイン様のことはあまり知りませんから」
「それはじゃあ、殿下ということですか?」
「そういうわけでもありません。ただ、ああもプッシュされると、こちらとしては困るのですよ。そういう意味では、こちらもお受けしがたいといいますか……」
「つまり、まだ迷っていらっしゃると」
「そうなるのでしょうね」
お嬢様は軽く首を振った。
今の考えを予想する限りだと、どうしてこうなったのだろう、という感じだろうか。
それは私も知りたい。
私は正直、殿下にだってお嬢様のそばにはいて欲しくないのに、これ以上増えるのはあまり望ましい事態とは言えなかった。
あくまで個人的な意思だが、お嬢様を今の彼らに渡す気にはどうもなれない。
お嬢様がきちんと望むならまだしも、そんな感じがないから問題なのだ。
せめて、お嬢様が心から一緒にいたいと思う相手なら、お嬢様の幸せを第一に考えて、彼らが近づくことも許せるのだが。
「まぁ、でも。殿下はなんだかんだ言ってエレナリアと最近は仲良くなられたのではなくて?」
私がまた殿下に知られれば「百合百合しい」といわれるだろう感情をメラメラと燃やしていると、ふとクレア様がそんなことを言った。
クレア様は悠然と微笑むと、チラリと私を見た。
おそらく、私がお嬢様と殿下を近づけるようにしたのではないか、と考えているのだろう。
クレア様は私にそう言いつけたのだし、間違いない。
だが、見る目は鋭いながらも、事実はちょっと違うのだ。
実際に私は何にもしていない。
殿下は報われない思いをお嬢様にぶつけ、お嬢様は好意自体は拒否しながらもその事実を受け止める姿勢を作った。
二人はお互いに向き合うことで、遠慮のない付き合いができるようになったのだ。
あれ以来、殿下はどこかスッキリとした顔で、お嬢様に甘い言葉を投げかけている。
二人の距離は恋仲とはとても言えないが、友人という枠には収まるようになったと言えるだろう。
だから、私はやっぱり何もしていないのだ
私はクレア様に向けて首を振った。
代わりにそのあたりのことは、お嬢様自身に聞いて欲しいと、お嬢様の方に視線を向けた。
「確かに、殿下とは少し仲は良くなったでしょう。少なくとも、これまでのように邪険にする気はありませんわ」
「では、殿下にされたら? シャイン様には永久の騎士になっていただくという手もあってよ?」
「いえ。中途半端な気持ちで受けるわけには参りません。時間はあと三日ほどしかございませんが、もう少し様子を見させていただくことに致します」
「そう、ですか」
クレア様はそれを聞くと、少し落胆されたように、肩を落とした。
この方は何が何でも殿下とお嬢様にくっついていただきたいらしい。
どんな思惑があるのかは知らないが、これで周囲にもそれが伝わった。
周りのご令嬢方は「私もエレナリア様には殿下がお似合いだと思いますの」「いえいえ、シャイン様も優しいお方ですわよ。男らしいですし」「私はシャイン様派ですわ」などと、きゃあきゃあとはしゃぎ始める。
唯一、クレア様を少しライバル視されている、ユリー様は浮かない顔をしていらっしゃったけれど。
それでも、テラスの外で何かを目にすると、途端に明るい表情になられた。
「まぁ、噂をすればシャイン様よ!」
「本当ですか?」
私やお嬢様も気になって、テラスの向こう側……つまりは学園の庭を見下ろしてみる。
その片隅にある稽古場では鍛錬に励むシャイン様の姿が確かに見えた。
一心不乱に剣を振る姿は雄々しく、遠くからでも気迫が感じられる。
今までも何度か拝見したことはあったが、相変わらず美しい技だった。
それでいて、無駄がないし、有り余る才能が伺えた。
「やっぱり、シャイン様はすごいですわ」
シャイン様の姿を見て、うっとりと呟くご令嬢たち。
ユリー様はいってらっしゃいよと言わんばかりに、お嬢様の背中をグイグイと押し出した。
他の令嬢からもキラキラとした期待の眼差しを向けられて、お嬢様はいつの間にか外へと追い出されてしまう。
なるほど、好奇心は猫をも殺すとはよく言ったもので。
いつもは気ままでプライドの高い猫のようなお嬢様も、あれよあれよという内に令嬢方の思惑通りになっていた。
気がつけば、校庭の真ん中に立たされていて、シャイン様との距離はもう後数十メートルほどしかなかった。
鍛錬に集中しているのか、シャイン様にこちらを気づく様子はないが、今更戻る事も出来ない。
このまま何もせずに戻ろうものなら、ご令嬢方に憮然とした顔で文句を垂れるに違いないことをわかっているからだ。
彼女たちの文句がどれほど長く、面倒くさいものであるかはお嬢様も既に体験済み。
お嬢様はまた一つため息をついて、シャイン様の方へと足を踏み出した。
仕方ないという諦めの気持ちが勝ったのであろう。
私はさりげなくスッと気配を消してから、その後についていった。
もしもの事などないだろうが、念の為だ。
「シャイン様、御機嫌よう。休日まで鍛錬とは精が出ますね」
「ああっ、リアさん! チワッス」
お嬢様が声をかけると、シャイン様は真剣な表情を崩して、快活な笑みを浮かべた。
元気な挨拶を返しながら、腰へと剣をしまう。
シャイン様はお嬢様に会えたのが相当嬉しいようで、お嬢様とわかるとすぐに駆け寄ってきた。
まるで忠犬のようだ、と思ったのは秘密だ。
「リアさん、今日はなんでこんなところに?」
「……たまたま、通りがかって、姿が見えたのよ。邪魔だったかしら」
「いやいや、とんでもない。むしろ歓迎ッス。こっち、座ってください」
「失礼するわね」
シャイン様は側にあったベンチに座るよう、お嬢様に促した。
まさにそこは一ヶ月ほど前にお嬢様と仲直りしたその場所である。
私は別に誰の場所でもないのに、なんとなくシャイン様にその場所を奪われたような気がして、ほんの少し不服に思った。
お嬢様はそれに甘え、アックス様の隣に座った。
本当ならお二方にも身分の差はあるのでありえない事ではあるものの、お嬢様はもちろん気にしない。
非公式でもあるし、ベンチは丁度木の陰になっていてテラスからご令嬢方も見る事はできないので、お嬢様さえ気にしなければなんともないはずだ。
「いやぁ、リアさんに会えるなんて、今日はついてるなぁ。で、一晩考えてパートナー決めてくれました?」
「あれ、本気だったわけ?」
「あれって……おれがサマーパーティーに誘ったことッスか? それはもちろん。冗談じゃそんなことは言わないっスよ」
まさか、伝わってない? とシャイン様は苦笑いをする。
お嬢様は首を左右に振って、それを否定したものの、その無表情を見ればそう言いたくなる気持ちもわかる。
男としては、もうちょっと反応してほしいというのが本音なのだろう。
でも、お嬢様の無表情が仕様であることはシャイン様も知っているはずなので、ここは我慢してもらわなくてはならない。
というか、それを含めてお嬢様を好きになっていただかなくては困る。
「今のは確認よ。わたくし、人が好きになる気持ちはあまりよくわからないから」
「あれだけ、殿下に迫られていてもッスか? まぁ、それならまだリアさんの隣は空いてるってことでもいいんスね?」
「別に構わないわ。今の所誰にも傾く気はないけれど」
お嬢様は素っ気なく言って、視線を宙へと向ける。
それはすなわち、お前のことも眼中にないと言っているも同然で。
シャイン様はがっくりとうなだれていた。
あの強靭なメンタルを誇る殿下でさえ、弱音を吐いてしまうほどのお嬢様だから、慣れていないシャイン様では余計にくるはずだ。
だというのに、お嬢様の毒舌は留まることを知らない。
悪役令嬢そのものの物言いで、さらにシャイン様を突き放した。
「それと、その奇妙な呼び方はやめてちょうだい。気安すぎるのではなくて?」
「ええー? そんなぁ」
「あなた、お判り? わたくしは侯爵令嬢よ。この学園の外だったなら、声をかけることもいちいち許可を求めなくてはならないような相手なの。学園では細かい礼儀は授業の進め方上、省かれているけど、忘れてはいけないわ」
「でも、この呼び方」
「良いわけが無いでしょう」
お嬢様は辛辣にピシャリとシャイン様の言葉をぶった切った。
まさに、一刀両断。
お嬢様の言葉は、剣の切れ味以上に鋭かった。
シャイン様はそこで初めて、クシャリと表情を歪めた。
確かに、お嬢様の言っていることは冷たいようだが、紛れも無い事実だ。
シャイン様は尚も言い募るものの、それも本当なら無礼に当たる。
お嬢様はまだ、それをどうこうしようとしないあたり、優しいほうだ。
これがクレア様やユリー様あたりならば、何かしらの罰を与えていてもおかしくは無い。
いや、アックス様なら、ご令嬢方の気分次第で許される可能性が無いことも無いが。
少なくとも私は、「全く、次期王国騎士団長候補ともあろうお方がそれほどの礼儀も知らないのか」と軽く失望しかけた。
しかし、「しかけた」のに留まったのは、思いの外、言い募ろうとするシャイン様の表情に真剣さが伺えたからだろう。
「……ッス」
シャイン様は軽く俯いて、何事か呟いた。
お嬢様の耳はその声を拾って、再びシャイン様に顔を向ける。
それから、軽く機械じみた動きで首を傾げた。
「何を仰りたいの? 聞こえないわ」
「……違います。おれは何も、唐突にその呼び方をしたわけじゃないッス」
「どういうこと?」
「やっぱり、覚えていないんスね」
シャイン様は悲しげな表情をした。
だが、私には……恐らくお嬢様にも、その言葉の意味がわからない。
覚えていない、ということはシャイン様は過去にお嬢様に会ったことがある、ということか。
でも、お嬢様が八歳の頃からずっと張り付いている私ですら覚えていないのだから、その可能性はかなり低い。
シャイン様に会ったのはこの学園に来てからのはずだ。
「おれ、リアさんに会ったことがあるんスよ。そん時にリアさんて呼んでたんです。もう十年以上前……ああ、なら覚えていないのは無理もないッスね。なにせ、リアさんがウェンデブル伯爵家に行く直前のことッスから」
「嘘でしょう? わたくし、八歳以前の記憶はかなり曖昧で、あまり覚えていないのだけれど……それは」
まさかのことに、シャイン様が会ったのはウェンデブルでの事件以前のことだったらしい。
これは予想外だった。
だが、それならお嬢様が覚えていないのも頷ける。
六歳といえば、一応物心はついているが、一度会ったくらいでは思い出せそうにない。
ただでさえ、お嬢様はウェンデブルでのことがあって、その時期の記憶が曖昧になってしまっているのだ。
会ったとしたら、この状況ではその時期でしかないことは確かだった。
「そうだ。丁度、リアさんが伯爵家に行く日のことッス。その日おれは、当時まだ地位が低かった父さんがルルーシュ家令嬢の護衛に行くっていうのに着いていきました」
それから語り出した、シャイン様の話を纏めると、つまりこうだった。
その日、護衛のためにシャイン様達はルルーシュ家に行ったそうだが、お嬢様は中々屋敷から出て来なかった。
それで気になって屋敷の中に入ったものの、そこではお嬢様が部屋にいないことで大騒ぎになっていたという。
まぁ、これは大問題ということで、護衛騎士達も巻き込んで、大捜索が決行された。
幼かったシャイン様もお父様のお役に立ちたくて、参加したそうだ。
「で、おれは屋敷の裏庭で泣いているリアさんを見つけたんッス」
「泣いて、いた?」
「はい。声を押し殺して、ただただ泣きじゃくっていました。お嫁になんて、まだ行きたくないって」
「そんなことが」
私ってそんな風にちゃんと泣けていたのね。と
普通の人なら当然のことを、お嬢様は安心したように呟いていた。
今では絶望のない無邪気な泣き方が出来なくなってしまったからかもしれない。
時折目にすることのある、お嬢様の涙はとても年相応のものではなかった。
「それで、おれは声をかけたッス。大丈夫? って。今考えれば、そんな残酷なことをされて大丈夫なはずがないんッスけどね。まあ、当時のおれは無知でした。そしたら、リアさん……すっごい目つきで睨みつけてきたかと思うと、そばにあった訓練用の剣で襲いかかってきて。決闘になったッス」
「なんというか……申し訳ないわね」
お嬢様はなんと言っていいやら分からずに口ごもっていた。
自分の昔の八つ当たりとも言える行動に、内心では動揺しているようだった。
私としては、それもお嬢様らしいとしか思えないのだが。
今もお嬢様は割と力で解決しようとする傾向があるし、衝動的でないところ以外はそのままな気がする。
シャイン様は首を振って、気にしていないことを伝えてきた。
代わりに、その続きを話しだした。
「でまぁ、結果はおれの勝ちでした。それで、父上にリアさんを差し出して、行くことになったんッスけど……あの後はあんなことになってしまって。申し訳ない気持ちで一杯でした」
「……気にしないで。あの時はあなたでなくとも、わたくしはいずれあの場所に連れて行かれていたわ」
「そうかもしれないッス。でも、おれは自分が許せなかったんです。本当におれがしたことは正しかったのかって、何度も悩んだッス。おれがこんなことを言う資格はないのかもしれないけど……ずっとそれを抱えて生きてきました。だから、この学園に入ってきた昔とは別人のリアさんを見て、おれはショックを受けた。しばらくリアさんがあのリアさんなのか確信が持てなかったッスよ。でも、何度か剣を交えて確信しました。やっぱり、リアさんだって」
シャイン様は目を細めて、真正面からお嬢様を見つめた。
その緑の瞳の中には後悔や葛藤、自責の念といった様々な感情が入り混じっている。
彼の中に長い間積み上げられてきた負の感情は今、その本人の前で複雑な色を見せていた。
私はこれをどこかで見たことがあるような気がした。
「それで、リアさんのことを毎日考えるようになったんッス。リアさんの為に自分は何が出来るのかって……。でも、考えているうちにその気持ちが好意に変わっていることに気付きました。初めはダメだって、隠していたッス。こんなの、許される感情ではないって。けど、殿下がリアさんを口説いているって聞いたら、もう耐えられなくて」
「それで、わたくしをダンスパーティーに誘ったと」
「はい。本当、おれって最悪ッスよね。残酷な目に合わせておいて、今更好きだとか。自分勝手にもほどがあると思います。今こうして話していることも、ただの自己満足なんじゃないかって、理解もしているつもりッス。だから、嫌ならキッパリ断ってくれても、おれは仕方ないと思います。おれがリアさんをあんな目に合わせたのには、違いはないッスから」
本当に、ごめんなさい。
シャイン様は深く、深く頭を下げた。
その体は僅かに震え、顔を見なくてもどんな表情をしているのかは容易に想像が出来る。
きっと、泣きそうではあるものの、自分にはそんな資格はないと、必死で我慢しようとしているのだろう。
酷い顔になっているのは違いない。
お嬢様はただ、頭を下げるシャイン様をジッと見つめていた。
許しの言葉をかけるでもなく、許さないのだと罵倒するでもなく、ただいつもと変わらぬ表情でジッとしている。
この沈黙はシャイン様にとってはある意味残酷で、容赦ない緊張感を与えた。
「シャイン様」
そして、お嬢様が声をかけたのは数分後のことだった。
その間、シャイン様は一度も顔を上げることなく、お嬢様も微動だにしなかった。
そんな中、スルリと落ちた言葉は気づくのも困難になりそうなほど、無機質に響いた。
「あなたは、卑怯な方ね」
「わかって、います」
「いいえ、わかっちゃいない。残された選択肢は残酷に切り離すか、優しく受け止めるかしかないなんて、こんなのあなたにとって良い選択しか用意されていないじゃない。あなたが過去と決別したいが為の、茶番でしかないわ」
「……ッ!」
シャイン様は鋭く息を吸い込んだ。
彼は今の今まで気づいていなかったのだろうが、まさにお嬢様の言う通りである。
私もこの茶番に、心底呆れかえっていた。
何を都合のいいことを、と苛立ちが収まらなかった。
だから、お嬢様がそれを指摘した時、胸が少しスカッとしたのは別に悪いことではないと思う。
シャイン様の苦悩は、何年も積み重ねられたものにしては、あまりに幼稚で陳腐に思えたのだ。
真にそう思っていたのなら、何か行動を起こせたのに、彼はそうしなかった。
ただの自己満足とは全くもってその通りである。
お嬢様はシャイン様のもとに一歩近づいた。
それから、シャイン様の肩をグッと元の姿勢へと押し戻す。
シャイン様の再び見えた顔は、絶望したように打ちのめされていた。
お嬢様はまたそれが気に入らないのか、その顎をグッと掴むと、至近距離から睨みつけた。
「全くもって、いいご身分ね。それでわたくしが同情するとでも思った? 残念ながら、それは出来ないわよ。許すことも、その好意を諦めろとも言わない。ただ、残酷に苦しんで欲しいの。この意味、解るかしら?」
「……いえ」
「そう。なら、説明して差し上げましょう。まず、前提条件として、一つ言っておくと、私はあなたのしたことには別段興味はないの。憎んでもいないし、あなたは任された使命をただこなしていただけ。ウェンデブルであんなことが起こるとは、誰も想像しちゃいなかったでしょうし、それをとやかく言うつもりはないのよ。だから、あなたのその悲劇の主人公気取りは全くの虚像というわけね。ご愁傷様。ただ、ね」
お嬢様は、掴んでいた手をパッと離した。
シャイン様は突然手を離されたことで、ふらふらとよろめきながら後退する。
今のシャイン様は未来を期待された騎士には思えないほど、無防備で弱々しかった。
お嬢様は足元に転がっていた訓練用の剣を足で跳ねあげて、キャッチすると、シャイン様の首筋に突きつけた。
目には戦いの時の獣のような剣呑さが宿っており、怒り狂っているということが如実に現れていた。
「その、中途半端さは気に入らない。中途半端に罪を償おうとするくらいなら……わたくしを好きだと思うくらいなら……ちゃんと、証明してちょうだい。あなたはちゃんと本気なのだと、覚悟を決めなさい。でなきゃ、私もあなたには中途半端な答えしか出せないから」
お嬢様はそういうなり、大きく剣を振りかぶった。
重く威力のある攻撃はいくらそれが訓練用の剣だとしても、大怪我をすることは確かである。
シャイン様も咄嗟にそれを感じたのか、ほぼ反射的に剣を抜きはなった。
万全の状態ではないため、バランスを崩してしまうものも、それを受け切って後退する。
すると、自然と決闘の時のように向かい合う形となった。
シャイン様は状況が飲み込めないのか、混乱しているのが目に見えたが、それでも才能がそれすらカバーして、体は既に戦闘態勢に入っていた。
「リオ」
だが、さて、戦いが始まるのだろうか、という段になってお嬢様が私の名を呼んだ。
私はその瞬間にお嬢様の意図を察して、気配を消すことを止める。
深々と頭を垂れながら、その場に姿を現した。
「はい、お嬢様」
「この人を少し痛い目に合わせて差し上げて。死ななければ遠慮は要らないから」
「仰せのままに」
「一体……これはどういう」
シャイン様は明らかに狼狽していた。
それでも、私はお嬢様の命令を成し遂げなくてはならない。
鞘のついたままのタガーを手に持つと、それを体の前に構えた。
既にシャイン様を倒す準備は万端だ。
それに、元々、今までの話を聞いていて、どうもこの人は個人的に気にくわなかった。
お嬢様に負い目を感じているという点では私たちは同じはずなのに、とった行動も態度も違うせいなのかもしれない。
お嬢様はこのことは知らないに違いないが、それを考えると随分と皮肉なことだった。
もしかしたら、あちら側に立っていたのは私だったのかもしれないな、と刹那思いを巡らせたものの、すぐに首を振る。
いや、違う。七歳の私は既に異常過ぎた。
他の道なんて、死以外に残されてはいなかったのだ。
「リアさん、この侍女殿は?」
「私の大切な子よ。彼女は死ぬ気で私の側に居てくれている。私のことを真に理解し、受け止めてくれている。だから、あなたとの差は歴然だって、教えてあげるのよ。あなたの中途半端な根性を叩き直すために」
「でも」
「ああ、でも安心して。どうせあなたがリオに勝てるとは思っていないから。けど、それなりの戦いはしてくれなくちゃ困るわよ」
「……なるほど」
お嬢様の挑発的な言葉は徐々にシャイン様を冷静にしていった。
シャイン様の混乱は収まり、目に闘志が宿る。
揺れていた剣先もピタリと正眼に据えられた。
まさに、騎士然としたその堂々とした出で立ちに、先ほどまでの取り乱した様子は微塵も感じられなかった。
「つまり、侍女殿の相手をして、その意思が本物か証明してみろということッスね」
「そういうことよ。少しは見応えがあるような戦いを見せてちょうだいよね。……リオ、あとはよろしく」
「承知しました」
私はお嬢様の命令に応えると、まずは一歩踏み出した。
すると、シャイン様もそれに反応して、ゆらりと動き出す。
互いの初撃が中央で交わろうとした。
「甘い、です」
だが、私は正面から向かい合おうとはしなかった。
踏み込んだ足をその場から離れることに使うと、シャイン様の攻撃をヒラリとかわす。
大きく隙を見せたシャイン様に、武器を使う間も無く、容赦ない回し蹴りをお見舞いした。
これでも風魔法を使っていない為、手加減した方だが、シャイン様は簡単に後ろに飛ばされた。
「一回目」
「くそっ!」
でも、これで終わってやるつもりはない。
これだけお嬢様に不快な思いをさせた上、私も彼のことが気に入らないのだ。
立ち上がるのを待って、シャイン様には挑発かけた。
シャイン様は悔しそうな表情を浮かべ、立ち上がる。
そして次の瞬間、また襲いかかってきた。
今度は横振り。
ヒョイと飛び上がってかわすと、背後に回り込み、タガーを振り抜く。
またシャイン様が前へと倒れた。
「二回目」
「なに……」
呆気なく二回目も倒し、軽蔑した表情で見下ろす。
やはり、お前の気持ちはそんなものでしかないのかと、失礼を承知しながらも訴えかける。
これで諦めてしまうような柔な男であれば、お嬢様の側にいる資格などないのだ。
次も立ち上がったシャイン様は唇を強く噛む。
単調な攻撃では通用しないことを理解したのだろう。
戦場では二回も殺されていることになるが、まぁこれも経験だ。
さて、次はどんな手段で挑んでくるのか非常に興味深い。
「なら、これは」
「ほう」
シャイン様は、軽い攻撃を牽制に放った。
私はそれを弾き飛ばすと、ついで出てきた足からの攻撃を下がって避ける。
だが、下がった場所へと繰り出した足で踏み出して、もう一度攻撃を放ってきた。
今度は本気の一撃。私はタガーをクロスさせて、胸の前で受け止める。
やはり、お嬢様とは男である為か威力がだいぶ違う。
純粋な力で言えば、私でも少々警戒する程度。
出来れば受けたくはないと思えるような鋭い攻撃だった。
「でも、魔物ほどじゃない」
私はそれを押し返した。
再び体重をかけてこようと前かがみになったシャイン様の懐にサッと潜り込むと、タガーを叩きつける。
シャイン様は横へと転がった。
「三回目」
「シャイン様、あと二回よ。長々とやられても楽しくはないもの」
「二回、か」
お嬢様から提示された、多いとは言い難い残りの挑戦回数。
シャイン様はそれを耳にして、盛大に顔を歪めた。
なんとも厳しい状況に、打開策を見いだそうとしているのか、目が迷うように揺れている。
そんな中では、私に歯が立つわけなどなく、簡単に四回目も地面に転がされた。
貴重な一回を無駄にし、ラストチャンスが訪れる。
私はここまでのシャイン様に正直、手応えを全く感じなかった。
あんまりのあっけなさに、怒りすら覚える始末。
それを辛辣に評すれば、口でもどうしようもないことしか言えないし、強い意志も見せない意気地なしだ。
こんな奴にはパートナーは愚か、永久の騎士も任せたくない。
私は口から侮辱とも取れる言葉が出るのを抑えられなかった。
「シャイン様、この程度ですか」
「……違う」
「違うはずがありませんよ。だって、あなたは簡単にやられてばかりだ。本当にやる気があるのかと疑いたくなる。ほんと、馬鹿らしい」
「くっ……」
「言い訳は出来ないようですね。良いですか? 意志を見せたいのなら、あなたのやるべきことをきちんと決めてください。話はそれから、ということです」
「おれのやりたいこと」
「そう。でもまぁ、この場でとは言いませんよ。出直してください。最後の一回、さっさと終わらせますから」
私はそう言って、シャイン様を立たせた。
シャイン様は私の言葉に何か考える様子を見せながら、よろよろと立ち上がる。
私はもうすでにそこまでシャイン様に期待などしていなかった。
いや、認めたくはない、というのが本心だったのかもしれない。
私がこの十年間やってきたことと、彼のしてきたことは同じ思いを持っていたはずなのにあまりに違う。
だから、私は間違いなく、この差に嫉妬していたのだ。
なにもしていないこいつがお嬢様に簡単に許されるなんてこと、あってはならない。
あって欲しくなどない。
私は心のどこかでそんな黒い感情を抱いていたのだ。
なので、彼に期待をかけることは早々に諦めて、私は簡単に終わらせるつもりでいた。
タガーを構えると、顔を伏せたままのシャイン様向けて、投げやりな一撃を放つ。
自身の勝ちは、もう私の中では確定事項だった。
「終わりです」
「おれの、したいこと」
シャイン様はぽつりと呟いた。
私の攻撃はシャイン様の腕を狙う。
武器を弾き飛ばすつもりだ。
シャイン様は避ける気すら見せない。
私は彼を諦めたか、と嘲笑した。
攻撃が腕に直撃する。
しかし。
「このままは、嫌だっ!」
攻撃は当たった。
そのはずなのに、シャイン様は武器を手放さなかった。
それどころか、弾かれた腕を切り返して、私の横腹に向けて剣を入れてくる。
「くそっ」
私は驚きのあまり、あげた声に地の言葉遣いが混ざった。
咄嗟にタガーを逆手に持ち直し、それを全力で弾きかえす。
それでも、シャイン様の攻撃は終わらない。
シャイン様は剣を切り返した時に身体も同時に捻り、追撃に蹴りを放ってきた。
私は飛び上がって避ける。
すると、今度は読んでいたばかりに突きが目の前に繰り出された。
これは完全に予想外だったが、空中で身体を無理によじって、剣の腹を蹴り飛ばした。
今度こそ武器は奪えるかと思ったが、未だシャイン様は剣を握り続けている。
手首はもう限界のはずだ。
なのに、シャイン様は気合だけで持ち続けていた。
「しつこい」
私は毒づきながら、着地と同時に跳ね上がってきた剣を打ち下ろす。
今までとはまるで動きが違ったため、一瞬とはいえ全て軽く本気が混じっていた。
手を抜くために普通に握っていたタガーがいつの間にが逆手になっている。
とはいえ、ここまでくればシャイン様はもう剣を持ち上げられなかった。
苦し紛れに利き手ではない方で殴りかかってきた腕を掴むと、私はシャイン様を地面に引き倒した。
「勝負あり、ね」
「嘘、だろ。おれは……」
お嬢様は静かにシャイン様の敗北を告げた。
途端、シャイン様は呆然と、顔を手で覆う。
泣いてはいないようだが、よほどショックのようだ。
無理もない。あれは紛れもなく彼の全力だった。
最後は私でさえ一瞬本気を出してしまったくらいなのだ。
私は勝てたとはいえ、手こずってしまった事実に、自分が許し難かった。
完全に油断していたという事実が否めない。
「お嬢様」
「珍しく、ちょっとだけ本気を出したようね。私の時でさえ、滅多に出ないのに。私も驚いたわ。こちらが悔しくなるわね」
「申し訳ありません」
「いえ、いいのよ。こんなことに付き合ってくれて、ありがとう」
お嬢様はなんでもないように言って、手をひらひらとさせた。
私は自分自身に納得がいかなかったが、これ以上はお嬢様に言うことではあるまい。
口を閉じて、おとなしくしていることにした。
お嬢様は未だ倒れこんだままのシャイン様に近づいた。
それから、そっとしゃがみこんで顔を覗き込む。
シャイン様は額に腕を当てていた。
そうしていると手首が軽く腫れているのがよくわかった。
「シャイン様」
「リアさん、すいません。おれ、やっぱり」
「あなたはなにに謝っているのかしら? 私は中々感心したわよ、今の試合。結果はまぁ、残念だけど……まぁ、そうね。なんだか、腑に落ちない部分はあるけれど、あなたの必死は見せてもらったわ。リオの本気は中々見れるもんじゃないもの」
「そう、ですか」
「わたくしもかなりのわがままを言った自信はあるわ。根性がないだの、中途半端だの。酷いことをしているのはわたくしの方かもしれないわね。あなたの長年の傷に塩を塗るような真似をした」
「リアさんは、悪くありません。リアさんやリオさんの言うことは、おれも合っていると思うッス。全部、自分勝手だった。おれは、何にも出来なかった」
本当におれ、最低を極めてるッス。と自嘲地味に笑うシャイン様。
それは少し前までとは違う、自分に失望しきったかのような重みのあるものだった。
私は何かこの人にとんでもないことをしてしまったのではないか、という考えが過ぎり、余計に自己嫌悪に陥る。
私は個人的な感情で……具体的に言うなれば、嫉妬という醜い感情で八つ当たりしてしまった。
そして、彼の心に大きな変革をもたらしてしまった。
きっかけはお嬢様なのかもしれないが、私もその一端を担っていることに違いはない。
お嬢様も私と同じことを少なからず感じているのか、今のみ悪役令嬢ぶりは鳴りを潜めて、穏やかな声音で話していた。
「落ち込む必要はないわ。そうしたのはわたくしだけれど、八つ当たりだという自覚はあるの。それでも、あなたはこんなどうしようもないわたくしのことが好きだと言える?」
「それは、もちろん。どうしても変えられない。おれはやっぱり、あなたのことが好きだ」
「……そう。物好きね」
お嬢様は呆れたようにつぶやく。
でもそれは、どこか満足げに見えた。
相変わらずの無表情でも、今のお嬢様には暖かさが感じられる。
人形のような無機質さは、そこにはなかった。
お嬢様はその血の通った、柔らかく温かい手をシャイン様に差し出した。
「なら、一度だけ。この手を取ってみる?」
「それって……?」
「わかるでしょ? サマーパーティーよ。わたくしと踊ってくださる、と聞いているの」
「良いんッスか」
「二度も言わせないで」
「ありがとうございます」
シャイン様は寂しげに笑って、お嬢様の手を取った。
こうして、ダンスパーティーのパートナーはかくして、時期王国騎士団長候補、シャイン様に決定したのである。




