悪役令嬢の休暇予定
カーン、カーンと校内の隅々まで高く鳴り響く鐘の音。
それは一日の授業の終わりを告げる音だった。
いや、今日に限っては一日の終わりだけを意味するものではない。
今日は一学期の最終日、つまり夏季長期休暇前の最後の授業の終わりも意味していた。
この授業が終わったからには、明日からは一ヶ月間もの間、授業はお休みである。
生徒たちが大きく伸びをし、休暇について思いを馳せる中。
浮かれている生徒たちに教壇に立つ担任のパティ先生はのんびりとした声で釘を刺すように告げた。
「皆さん、楽しみにするのは構いませんが、くれぐれも休暇中も復習は怠らないようにしてくださいねぇ」
「はぁーい」
返ってきた気の抜けたような返事に、パティ先生はやれやれと首を振りながらも、それ以上は何も言わなかった。
子供たちにとっては夏というのは久々に家族に会えたり、バカンスに行ったりと楽しみな出来事が詰まっているものだ。
先生もかつては学生だったのだし、生徒たちの気持ちがわからなくもないのだろう。
何より、先生たちの休暇でもあるので、楽しみに思う様子を咎めることなど出来ようもはずがなかった。
先生が出て行くと、教室は更に騒がしくなった。
彼らは休暇の予定を自慢げに話し合っては、笑顔を浮かべている。
私もどこへ行く予定は特にないが、それを見ているだけでも微笑ましく、頬が緩んだ。
全く、平和なものだ。
「何をニヤニヤしているの?」
私が年寄り気分な感想を心の中に浮かべていると、そこに水を差すような辛辣な声が聞こえた。
振り返ってみれば、そこには腕を組んで立つお嬢様の姿が。
お嬢様は私を見て、呆れたと言わんばかりに首を振っていた。
「いや、今日から休暇と思うと、一つの節目を感じたものですから。この数ヶ月、色々あったなぁ、と」
「まぁ、確かにそうだけど。私たちに楽しみな予定はないわよ?」
そう、確かに私たちに予定はない。
何せ、あの最悪な空気の屋敷に帰るのはどうしても憚れたのだ。
お嬢様をあんな場所に連れて帰るのは、あまりに危険すぎる。
それ故、帰郷の予定は今のところなかった。
おそらく、向こうもそう望んでいるだろうし、帰らなくても何も言われまい。
だが、更に残念なことは「なら、バカンスは?」と問われても、それすら行けないことだろう。
というのも、ご主人様が絶対にお金を出してくれなさそうだからだ。
本来ならば、お嬢様がこの学園にいられるだけでも奇跡。
だから、これ以上のわがままは到底、聞いてもらえなさそうになかった。
よって、私たちに彼らのような楽しみにできることは何もないのだ。
私はそれでもお嬢様に微笑みかける。
旅行に行けないのは、お嬢様には少し可哀想な思いをしていただかなくてはならない。
しかし、私自身にとっては何も気にならなかった。
だって、私の幸せはいつだってそばにある。
今ならそう、手を伸ばせばまだ届くところにきちんとある。
「それでも、構いませんよ。私はお嬢様のお側に居られるだけで十分に幸せですから」
「そう。ごめんなさいね。巻き込んでしまって」
「謝らないでくださいよ。私がそれを望んでいるのですから」
お嬢様は若干後ろめたそうに、眉をミリ単位ほど僅かに顰めた。
私はその動きすら見逃さずに、首を振る。
主たるお嬢様に謝らせるのは侍女として、未だにどうしても恐縮してしまうのだ。
お嬢様のそばにいるのは本望なのだし、謝られても困ってしまうだけだった。
お嬢様もそれを汲み取ってくれたのか、またすぐに何時もの態度に戻った。
謝るのを止めて、気だるげに天井を仰ぐ。
それから、時計を睨みつけた。今は昼過ぎ。
今日は授業が午前中だけで終わってしまったので、あとはご飯を食べて、寮に戻るだけだった。
人によっては自炊しなくてはいけない朝と違って、昼には食堂が解放されている。
今日もいつも通り、そこで食事を摂る予定だったのだが、お嬢様は何かご予定がおありのようだった。
「お嬢様、どうされたのです?」
「いや、大したことじゃないわ。ただ、先生に休暇中の在学許可をもらわなくちゃ行けないから。今から行ってくるわ」
「それでしたら、私が……」
「いや、いいの。今回ここにいなくちゃいけなくなったのは、私のせいでもあるから。これくらいはやらせてちょうだい」
いや、でもそんな雑務は私がやるべきだ。
と私が食い下がろうとして、お嬢様に口の前にスッと指を立てられた。
これ以上は言うな、という意味だろう。
私はそこで、お嬢様に譲る気がないことを察した。
お嬢様は静かにもう一度「お願いよ」と言った。
こうなったお嬢様はテコでも動かない。
それは私が一番、よく知っていることだった。
私は反論することは諦めて、軽く頬を膨らませた。
代わりに、念を押すようにして言う。
「でも、これだけは言わせてくださいね。絶対に、それを気にするのはこれっきりにすると」
「もちろんよ。約束する。今回のはただ、私の気がすまないだけだから」
「本当ですね? 次聞いたら、私は怒りますよ。私がお嬢様のそばにいたいんだって気持ちはお嬢様にも否定されたくはありませんから」
しつこいほど言い募る私に、お嬢様は深く頷いた。
こっちもこっちで最低限のことは譲る気がない。
私はあくまでもお嬢様の侍女なのだし、当然のことだ。
まぁ、それでも私が過保護すぎると思うらしく、やはりお嬢様はどこか呆れていたが。
「わかっているわ。でも、それはリオもよ? 私も出来ることは限られているけれど、たまにはあなたの我儘も聞きたい。侍女と主人という立場は関係なく、ね。だから、絶対に嫌なことは我慢しないでちょうだい」
「我慢なんて、しませんよ。今まさに、侍女としては随分と大きな口を叩いている自信はありますから」
「……それもそうね。じゃあ、行ってくるわ」
「くれぐれもお気をつけて」
「この学園内で危険なことなんてそうそうないわよ。全く、過保護ね」
お嬢様は平気よ、と言わんばかりに手をヒラヒラと振る。
それから背を向けるとさっさと行ってしまわれた。
私はお嬢様から見ても随分と過保護ならしい。
アックス様や殿下にはいつも言われていることだが、お嬢様に言われたことは無かった。
そのお嬢様に遂に言われてしまうほど、多分私は重症なのだ。
でも、ともかくこれ以上休暇のことを考えていても仕方がない。
もうそれはどうにもなりそうにないのだ。
ならば、やることは限られている。
この休暇中、いかにお嬢様に寛いでいただくか、それを考えるだけだ。
まずは、その手始めに今日の昼食か。
食堂はいつも混むし、席を確保しに行くべきだろう……などと考えていると、ふと教室が俄かに騒がしくなった。
何事かと周囲を見渡してみれば、何やら女子が騒いでいるようだった。
彼女達の視線の先は窓の外の廊下へと向かっている。
誰か、容姿に優れた殿方でも来ているのかもしれない。
と、そこまで考えてから、すぐに思い当たった。
その予想はどうやら当たっていたようで、騒ぎの元凶は私たちの教室にと姿を現した。
「おはよう、エレナリアはいるかい?」
お嬢様をエレナリア、と呼べる人などそう限られている。
言わずもがな、殿下だ。
その隣にはアックス様も立っており、群がる女子ににこやかな笑みを向けている。
女子たちは間近で殿下やアックス様を見られるということで、黄色い歓声をあげていた。
最早、殿下が発した問いなど聞こえてすらいない。
殿下は少しわざとらしく、困った顔をしていた。
お嬢様には決して向けることのない、作られた王子様然とした表情である。
それでも、群がられて困っているのは確かなようで、邪険にすることも出来ずに足止めをくらっていた。
私は一つ、ため息をつくと席を立った。
殿下をフォローするのはデートの日、あれきりにしたかったのだが、そうも行かないらしい。
このまま放っておくわけにもいかないだろう。
私は失礼を承知で声をかけさせていただくことにした。
「殿下、失礼します」
「ああ、リオか。エレナリアは何処にいるかわかるかい?」
「はい。我が主は現在、長期夏季休暇の在学許可証を取りに。後々食堂の方へ窺われるかと思います」
私は深々とお辞儀をして、硬い言葉遣いでお嬢様の居場所を告げた。
殿下は流石に多くの人の前ということもあってか、鷹揚に頷くだけでそれ以上の言葉はない。
お嬢様がそういうことを気にしないため忘れがちだが、貴族は基本侍女にそう言葉をかけることはしないのだ。
名前を覚えて貰えているだけでも、本当は名誉なことである。
殿下もお嬢様の影響からか、いつもは普通に話してくれるが、人前では流石に王子として、そうもいかなかった。
殿下はチラリと視線でその意図を伝えてきたが、私もそれくらいは理解している。
小さく首を振って、それに答えていると、今度は横から声がかかった。
「殿下、ちょっと待って貰えないかな」
「ああ、構わないが」
早速食堂へ向かおうとした私たちを呼び止めたのは、先ほどまで女子生徒たちに愛想の良い笑顔を向けていたアックス様だった。
殿下は構わないと告げながらも、怪訝そうな顔をする。
私もアックス様の方を伺ってみると、彼は何事か迷うように口をパクパクとさせていた。
一体、このタイミングで話したいこととは何だろうか。
よもや、唯の侍女でしかない私にこの場で言うことなど無いはずだ。
アックス様もそれを承知しているはず。
だというのに、次の瞬間アックス様とバッチリ目が合ってしまった。
「あのさ、リオ」
「何でしょうか、アックス様」
とはいえ、実際に声をかけられてしまった以上は、無視をするわけにはいかない。
私はアックス様に咎めるような視線を送りながらも、ハッキリとした声で返事をした。
ちなみに、五つの適性をもつ魔導の天才アックス様にしかわからない程度の威圧も添えておく。
アックス様は一瞬、苦い顔をした後で、言葉の続きを口にした。
「リオ、一つお願いがあるんだ。一週間後のサマーパーティのことなんだが」
「サマーパーティ? ああ、ありましたね」
サマーパーティ。それは皆が学園祭を一度離れる前に行われるパーティのことだった。
男女でペアを組み、ダンスをしたり、話したりする恒例行事だ。
なんでも、このパーティで想い合うもの同士でペアを組むと、結ばれるとか結ばれないとか。
ともかく、一週間後に行われる予定のこの学園の一大イベントではあった。
だが、いくら全生徒が強制参加とはいえ、私はお嬢様の側にいなくてはならないし、侍女の身分でドレスなど着れるはずもない。
いや、それ以前に着たくない。
お嬢様も騒がしいのは苦手で、参加する気は毛頭ないようだし、壁の花となる予定だった。
でもなんだろう、今とても嫌な予感がする。
私は場も何も忘れて、険しい表情になるのを抑えられなかった。
威圧の出力も少し上がる。
それは、隣にいた殿下が、少したじろぐほどだ。
アックス様に至っては、冷や汗を浮かべていた。
「リオ?」
「アックス様、場所を移してはいただけませんか」
「いや、でも」
「アックス様はお嬢様に用がおありなのですよね。でしたら、お嬢様もすぐに参られると思いますので。ここでは人が集まってしまいますし。殿下もそうお思いになりますよね?」
私はアックス様にニッコリと微笑みかけた。
同時に有無を言わさぬように、殿下にも同意を求める。
殿下はそんな私にただならぬ何かを感じ取ったのか、気圧されたようにこくこくと頷いた。
逃げ道を失ったアックス様はサッと顔を青くする。
私が察した限りだと、アックス様が口にしようとしたことは怒られる前提のことだ。
それでも、押し切れると思っていたのだろうが、舐めてもらっちゃ困る。
こちらは、普段あれだけ表情の変化が少ないお嬢様を相手にしているのだ。
表情がわかるなら、相手の考えなどすぐにわかる。
まして、アックス様は何度も会話したことがあるので、大体の人となりは把握しているし、その難易度は高くはなかった。
「さぁ、参りましょうか」
半ば強引ながらも、私はそう宣告した。
一応、失礼のないようには振舞っているので、周囲もそれを引きとめようとはしない。
そもそも、威圧はある程度制限していたし、無言のうちに交わされたやりとりなど知る由もなかった。
女子たちは残念そうではあったが、殿下に声をかけるだけの勇気はないのだろう。
アックス様の助けを求める視線は結局、誰にも捉えられることはなかった。
「さて、ですが」
そうして連れ込んだのは、かつてクレア様に連れられた人気のない廊下。
ここはいつ来ても本当に人が少ない。
ここら辺は結構マニアックな選択科目に関する教室や、倉庫となっている教室が多いので、こんなにも人が少ないらしい。
なにはともあれ、内緒話をするにはうってつけの場所だった。
私は周囲に人がいないことをきちんと気配でも確認すると、単刀直入に話を切り出した。
「まず、アックス様に一つお尋ねします」
「はっ、はい」
「死にたいんですか?」
「……えっ?」
アックス様は私のあんまりの質問に、呆気に取られたのか間の抜けた声を上げた。
私は確認のためにもう一度、同じことを繰り返してみる。
今度は教室にいた時とは比にならないほどの……つまり、手加減なしの殺気のおまけ付きだ。
「もう一度だけ聞きます。死にたいんですか?」
「ひいっ! 」
すると、アックス様は膝をガクガクと震わせた。
目にはうっすらと涙が浮かび、恐怖で表情が歪む。
その気になれば、私の殺気にも勝る威圧魔力も出せるはずなのに、今はそれすら忘れているようだ。
「答えないんですか?」
私はジリジリと後退し始めたアックス様に、私は追い討ちをかけるようにして詰め寄る。
私は割と半分以上本気で怒っていた。
おそらく、少しでも気を抜けば口調が元に戻ってしまいそうなくらい。
アックス様も私の目に宿る怒りに気がついたのか、ますます顔を青くした。
いや、もう青を通り越して、白寸前である。
咄嗟に頭を下げると、必死に弁明を始めた。
「いえっ! 違います違います! そんなつもりじゃ。ほんとごめんなさい! 反省します。だから待って、待って。ちょっ、殺される!」
「ほぅ。そうですか。なら、認めるのですね。自分のなさろうとした、卑怯な所業を」
「認めますっ! 認めますとも。だから、少し落ちついてください。ねっ、ねぇ?」
アックス様はもう全力で謝る姿勢だった。
そうでもしなければ、私に殺されそうだと言わんばかりに、必死の形相を見せる。
口調は身分が下、かつ年下であるはずの私に対して、まるっきり敬語だ。
このまま続けば、地面に頭を擦り付けてもおかしくはない勢いだった。
しかしながら、この場には状況が理解できていない御仁もいたようで。
その御仁……殿下は私から出た物騒な発言に慌てたように、間に割って入った。
直接殺気を向けられていない殿下ですら本能的な危険を感じ取ったようで、アックス様を守るようにして立つ。
殿下は私とアックス様の顔を交互に見て、説明を求めた。
「ちょっと、リオ、アックス。何があったんだ? サマーパーティの話から急に険悪になったが、こちらとしては全く何が何だか。きちんと説明してくれ」
「殿下、違うんだ。俺はちょっとした頼みごとをしようとしただけで。いや、まぁ俺が悪いんだけども。でも……そのっ」
「言い訳は見苦しいですよ。時期王家筆頭魔導師候補。あなたの卑劣な振る舞い、殿下に知られたらどうなるんでしょうね。まぁ、女性関係の乱れはもともとのことですし? 遅かれ早かれ、こうなることはわかっていましたが」
「待て待て待て……。なんで君がアックスの正体に気がついているとか、言葉が辛辣だとか色々と言いたいことはあるが、結局アックスは何をしようとしたんだ? それを教えてくれないと、僕としてはどうしようもないんだが」
殿下は色々と出てきた問題点に、こめかみをトントンと叩いた。
それでも、今の話に話を持っていくつもりのようで、的確な質問を投げかけてくる。
アックス様は私に慈悲を求めるかのように視線を送っていたが、今更聞いてやる気はさらさらない。
私は殿下にぶっちゃけることにした。
「つまりですはね、殿下。アックス様は私を嵌めようとしたわけです」
「嵌める……? さっきの会話で、か?」
「ええ。私はあと少しで、アックス様のサマーパーティーのパートナーにされてしまうところでした」
「……そういえば、そんな気配はしていたな」
「でしょう? もし、伯爵家の方にそんなことを言われたら、たかだか侍女ごときがあの観衆の中で断れたと思いますか?」
「拒否権はないうえ、頷けばたかが侍女がと妬みを買う。といったところか」
「そうです。しかも何故私にしたのか、根拠がまた気に入りません。多分、たくさんの女性関係を持つアックス様は今回のパーティにおいて、誰かを贔屓するわけにはいかなかったのでしょう。誰かをとれば、選ばれなかった子に危険な目に合わせられる可能性があります。アックス様が刺されそうになったことがあるくらいですからね。ですが、その点私は返り討ちに出来てしまいますので」
「一番被害が出ない、と考えたわけか」
「まぁ、そういう意味で、私は最良物件だったわけですね」
「なるほど」
殿下は私の推測を聞いて、深く頷いた。
それから、アックス様へもう一度視線を向ける。
そこには先ほどまでの心配するような感じは全くない。
代わりにあるのはどこまでも冷たい軽蔑だった。
殿下はその場をスッと避けると、私の前へと差し出した。
好きにして良い、ということなのだろう。
アックス様は殿下がこっち側につかれたのを知って、逃げ出そうとした。
だが、殿下ががっちりアックス様の腕を掴んだまま離さない。
なんと、私は王家による許可という、とんでもないものを手にいれてしまったようだった。
これは見方によっては、国の総意とも言えるのだから怖いことこの上ない。
「アックス様、これで間違いはありませんね?」
「ごめん。本当に。でも、頼れる人が君くらいしかいなかったものだから。あれ、基本強制参加だし。だからっ!」
「言い訳は見苦しいぞ、アックス」
「殿下……」
「大人しく、覚悟は決めていただきましょう」
私はニヤリ、と笑ってアックス様に言い放った。
アックス様は流石にもう観念したのか、うなだれている。
私は一歩その距離を詰めると、ポンと手を肩に手を置いた。
アックス様の肩が怯えるようにビクッと大きく震える。
「殿下、少し良いですか?」
私はその距離から、殿下の方を振り向いた。
殿下はそれだけで言わんとしていることに気がついていたのか、コクリと頷いて背を向ける。
そうして、その場を立ち去ってくださった。
おそらく、お嬢様も戻ってこられる頃合いだし、この場に殿下にはいて欲しくない。
まだもう少しだけ、二人だけでアックス様に聞きたいことがあった。
「どうして、ですか?」
「何が?」
私の発した問いの意味くらい、アックス様は知っているはずだ。
なのに、アックス様は悪役を貫き通すようで、キョトンとした表情を浮かべる。
私はここで折れるわけにはいかず、更に質問を重ねた。
「あなたはそんなひどいことをするつもりだけで、私を誘うわけがありません。何を考えていたのですか? 私は口説かないつもりではなかったのですか?」
「ただ、俺が女にだらしない男なだけ、って可能性は?」
「そんな人が、そんなことを聞くわけがないではありませんか」
「まぁ、そうかも」
失敗したな、とアックス様は今までの怯えた表情を一転させて、苦笑いを浮かべた。
やはり、私の予想は的中していたらしく、この行動にはきちんと意図があったらしい。
でも、これで殿下の信用も少しは落ちただろうに、そこまで成し遂げたいことがあったのか、と私は疑問に思う。
本当にその辺りが食えない人だった。
「何が、目的なんですか」
「うーん、何が、ねぇ。自分でも良くはわからないけれど、言うなれば……俺はただ、ちょっと君を手助けしたかったのかもしれないなぁ」
「手助け、ですか」
「そう。お姫様の騎士である君をね。意味は君がよく知っているんじゃないかな」
アックス様は意味深にそんなことを言う。
私には正直、どちらかというと心当たりがありすぎて、どれなのか逆にわからなかった。
アックス様なら、私の壊れ方さえ知っているような気もするのだ。
けれど、どこか遠い目をする彼からは心を読むことは出来なくて、私は正確にその意味を推し量ることはできなかった。
アックス様はただ、寂しげに呟く。
「でも……ちょっと、不毛だ」
「不毛って……」
どういう意味ですか、と聞こうとするも、それは声にならなかった。
代わりに響くのは聞き覚えのある、凛とした声。
どうやらそれは、食堂へと続く廊下がある階下から聞こえてくるようだった。
「お止めください」
その声には僅かに焦燥感が混じり、何かの事態に巻き込まれていることは明白だった。
私はアックス様と再度顔をあわせると、頷く。
そして、一目散に階段を降り、その現場へと向かった。
「一体どうされたのです!?」
「リオ、こっちよ」
現場にたどり着いてみると、すぐにお嬢様の姿が見えた。
お嬢様は私に気がつくと、駆け寄ってきて、とある方向を指でさす。
私はお嬢様の無事をしっかり確認したのちに、そこへと目を向けた。
どうやら、お嬢様が直接関わっているわけではなく、揉めているのは違う二人のようだった。
その二人にはもちろん、見覚えはあり……片側はつい先ほどまで一緒にいた人だった。
「悪いが、君には去ってもらいたい。彼女には先約があるのでな」
「先約、ですか? それを決めるのはリアさんだと思うんスけど」
「だから、エレナリアとは僕が踊る。君の入る幕はないぞ」
「へぇ、リアさんが頷いたって話は一度も聞いたことがないんスけどね」
「これから頷かせる。それで文句はあるまい?」
「無理強いは良くないっスよ」
殿下と言い争っているのは、なんと驚いたことに今代の王国騎士団長の息子、シャイン様だった。
シャイン様は学園でも殿下との人気を二つに分かつほどの人気ぶりで、偉丈夫な体格を持つ将来を有望視されている騎士だった。
流れる噂によるところには、性格は誰とでも分け隔てなく話し、あっけらかんとしているという。
だが、今の彼はそうには見えなかった。
軽く会話を聞いてみたものの、どうやら私にお嬢様を殿下と取り合っているようで、今は真剣な目をしている。
お嬢様とシャイン様は一応、剣術でライバルという位置づけになっており、比較的仲は良かった。
常に切磋琢磨しあえるもの同士として、剣を交えた回数は数知れず。
でも、普段はあまり関わることはなく、まさか私はお嬢様に気があるとは思いもしていなかった。
でも、今の態度を見ては、その認識も改めなくてはならない。
何せ、国のトップとも言える殿下と言い争いを繰り広げられるほどに、その思いは強いのだ。
今も殿下の相手を時折しながらも、お嬢様に対してアプローチを行っていた。
「リアさん、どうかサマーパーティーでおれと踊ってくれないっスか? おれ、ずっとリアさんのことは気になっていて。剣でここまで戦えるのはリアさんだけだったし、それで更に成長も出来た。だから、リアさんとはもっといろんな話をしたいと思っているんス。どうか、受けてくれないスか?」
殿下とは違い、好意をそのまま伝えるのではなく、段階を踏んだ言い方だ。
これは殿下にはないところではある。
殿下もお嬢様のことは良く思いやっているが、いささか気持ちが突っ走っているところは否めないので、こちらは相当受け止めやすい。
彼の言い方は最大限、お嬢様の意向に任せるものだった。
女性に対しては百戦錬磨のアックス様もふむふむと感心したように頷いている。
これで気に食わないのはもちろん、殿下だ。
殿下もシャイン様に負けじとサマーパーティーへのお誘いをかける。
「いや、エレナリア。やっぱり僕と踊ってくれないか? 僕も君を想う気持ちは人一倍だと自負しているからね。それに、君をどうしても落とさなきゃいけないのはこの前も伝えただろう? だから、僕は君を絶対に大切にするさ。僕は君となら自然体でいられる。だから、君とはちゃんと向き合いたいんだ。どうか、僕の手を取ってくれないか?」
そして、殿下もお嬢様へとそっと手を差し伸べる。
殿下の言葉はやっぱりストレートだが、この前と違うのは「向き合う」という点だろう。
お嬢様がこれ以上の関係に進めないと知っているのは、私以外では殿下だけなのだ。
それでも諦めない強い気持ちは、痛いほどに伝わってくる。
お嬢様は目の前にある二つの手をジッと見据えていた。
お嬢様に二つの視線がジッと注がれる。
お嬢様は相変わらず無表情で、眉ひとつどころか、全く微動だにしない。
それがそのまま過ぎること数秒。
殿下とシャイン様の表情に陰りが見え始めた頃、お嬢様はようやくポツリと呟いた。
「考えさせてちょうだい」
お嬢様はそれだけを言い放つと、私の手を取ってくるりと背を向けた。
そのまま、そろそろ空いてきた食堂へと向かう。
私が最後に振り返って見れば、ジリジリと睨むあう二人とそれを宥めるアックス様の光景があった。




