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悪役令嬢は王子と共に休日を 〜後編〜


「これはなんとも……凄いわね」

「こういう場所は嫌いかい? ちょっと洒落てるけど、それでも庶民の店だよ」

「いえ、そんなことはないわ。むしろ、とても好きよ。こういうの。ただ、あまりにも可愛らしい雰囲気だから……」

「いらっしゃいませー!」


バターと砂糖の焦げた甘い香りと、紅茶の香ばしい香りが溶け合う空気の中。

お嬢様と殿下は一つの店の前にて立ち尽くしていた。


ここは商人通りから戻って、大通り。

その一角にあるお菓子屋さんが異国の雑貨を見た後の目的地だった。

なんでも、殿下が前にお忍びで街へ出かけた時に見つけたようで、その時にお嬢様が喜ぶのではないかと思ったそうだ。


いざたどり着いてみれば、確かにお嬢様が密かに憧れているような、とても可愛らしいお店だった。

ピンク色に屋根に、真っ白な壁。

中は至る所に花が飾られており、カーペットや絨毯の柄も花やパステルカラーの水玉で統一されている。

まるでドールハウスのようだった。

置かれている小物やイスやテーブルの一つ一つにもその意匠は凝らされており、気分的には絵本の中にでも迷い込んだよう。

とても良い匂いがするし、全体的に落ち着いた感じなのも相まって、とてもくつろげそうだった。


私もお嬢様にならって、思わず呆然としていると、中から一人の少女が駆け出してきた。

彼女は私のメイド服にさらにフリルを足したようなものを着ており、これまた人形を彷彿させた。

ただし、同じく「人形」と呼ばれているお嬢様とは違い、満面の笑みがそこにはあったのだが。


少女は銀色のお盆を胸に抱えて、お嬢様と殿下に向かってぺこりとお辞儀した。

それから、元気よく挨拶すると共に確認を取る。


「ご予約伺っております。ルース様でいらっしゃいますね?」

「ああ。合っている」

「では、ちょうど窓際のお席が空いていますのでご案内いたしますね!」


少女はこちらへどうぞ、と手を広げると、お嬢様たちを中へと招き入れた。

運の良いことに、庭が見渡せる席が空いていたようだ。

王都では土地代が高いため、庭など中々作れないのだが、この店の盛況ぶりを見れば、それを維持していられるのも頷けた。

何せ、店の外にはかなりの行列が出来ているのだ。

並ぶ人は年齢も身分も様々で、その人気ぶりは一目瞭然だ。

今回は殿下が予約を取ってくれていたお陰ですぐに店に入ることが出来たが、それでも予約は何ヶ月先も埋まっているらしい。

現在、王都一の人気と言っても過言ではない。


そんな店だから、庭もまた見事だ。

客の期待を裏切ることなく、下手な貴族の庭よりもよっぽど美しかった。

吹き上がる噴水に、その周りを取り囲む夏の鮮やかな花々。

風にそよぐ草の上には木漏れ日が降り注ぎ、キラキラと輝いていた。

決して派手とは言えないが、素朴でその場にいる人に安心感を与えるような、穏やかさがそこにはあった。

こんなことを思うと、色気がないのかもしれないが、昼寝でもしたら気持ちが良さそうだ。


お嬢様はそんな自然の活かされた庭を、暫し心奪われたように眺めていた。

その間に、殿下が静かに給仕役にオススメを注文する。

それが終わると、控えめにお嬢様へ声をかけた。


「気に入ったかい?」

「ええ。とても。こんな素敵な場所、まるで夢見ているみたいだわ」

「それは良かった。喜んでもらえたようで、何より」

「お菓子と紅茶も楽しみね。これだけ良いお店なのだから、きっと美味しいのでしょう」

「そう聞いている。期待していていいと思うよ」


殿下と会話するお嬢様は、ほうっと感嘆のため息を吐いた。

いつも以上に声音は穏やかで、私と会話している時のような素直な言葉がすらすらと零れる。

今日一日の新鮮な体験は、お嬢様の心に深い安寧をもたらしているようだった。


殿下もお嬢様が曝け出した、違う一面をニコニコと嬉しそうに見守っていた。

今の落ち着いた空気の中で、無理に口説こうという気はないようで、当たり障りない会話を振る。

これだけ見ていると、普段お嬢様に蔑ろにされている残念な感じはなく、まさに王子様然としていた。

いや、当然と言えば、当然ではあるのだが。


私が二人の様子を見守りながら佇んでいると、やがて紅茶が運ばれてきた。

今は夏ということもあり、ホットではなく、爽やかな香り漂うアイスハーブティーだった。

なんの茶葉が使われているのか、見ただけではわからなかったが、鼻をかすめる香りが良いものだと教えてくれている。

現に、口をつけたお二方は驚いたように、その感想を口にした。


「美味しい。香りもよくて、渋みも少ない」

「そうだな。すっきりしていて飲みやすい。外は暑かったから、冷えているのはありがたいな」

「そうね。リオに負けず劣らず、と言ったところかしら」

「リオは紅茶を淹れるのが上手いのかい?」

「ええ、美味しいわ。始めの頃はあんな完璧に侍女らしくは出来ていなかったけど、紅茶を淹れることだけはずっと上手かった。リオの紅茶がなくちゃ、今じゃ生きていけないほどよ」

「へぇ、それは興味深い。僕も是非飲んでみたいな」


お嬢様は紅茶と共に私のことを絶賛する。

多分、私がいることを忘れているからこそのストレートな言葉なのだろうが、聞いている側としては、嬉しいやら、気恥ずかしいやらだ。

私もそれだけは自信があったので、誇らしくはあるが、それでもちょっとくすぐったい。

殿下も乗り気で相槌を打つものだから、照れ臭くて笑ってしまう。

にやけ顏を見せるわけにはいかないので、本当に気配を消していて良かったと思った。


「今日はこちらがお礼するつもりだったのだけれど、すっかり楽しい思いをさせてもらっているから、いつか必ずお礼はしなくちゃね。その時にでも、飲んでもらいたいわ」

「別に気を遣う必要はない。これは、僕が好きでやっていることだ。君が楽しんでくれるなら、それでいいんだよ」

「それでも、悪いわ。そこはきちんとさせて。借りだけは作りたくない主義なの」

「まぁ、そこまで言うなら、そうさせてもらうけど……そんなに気にしないでくれよ」

「分かっているわ。殿下……ルースの言っていることの意味も、それなりに知っているつもりだから」

「本当にそうだと、良いんだけどな。いつになったら口説けることやら」

「さぁね。人の心は……自分自身の心さえ、分かりにくいものだもの」


お嬢様はハーブティーの水面に視線を下ろして、ストローでカラコロと氷をかき回した。

殿下は小さくため息をつきながら、断固として好意を受け取ろうとはしないお嬢様に少し寂しげな目を向ける。

一応、鋼鉄の精神力(メンタル)を誇る殿下も、苦しんではいるようだ。

確かに、いくらアプローチしても手応えを感じられないのはキツイものがある。

私とて、お嬢様に伝えたいことが伝えられないのだから、その気持ちは分かる気がする。


季節のお菓子……レモンタルトが届いても、二人の空気は少し気まずい。

甘酸っぱくて美味しい。タルトがサクッとしていて、香ばしい。

なんて会話を交わしながらも、空気が何処か浮ついていた。

お嬢様は鉄壁の無表情を貫き通しているものの、それが顕著に現れるのは殿下だ。

タルトを口に運びながらも、迷うように視線を彷徨わせ、心あらずと言った様子。

何かを考え込んでいるのか、時折手が止まる。


お嬢様はも流石に見かねたのか、タルトを完食すると、軽く咳払いをした。

優雅にナプキンで口元をぬぐいながら、助け舟を出すように話を切り出す。


「悪い、とは思っているわ。あなたの気持ちを中々受け止められないこと」

「別に、君は悪くない。好きでもない人にあからさまな好意を向けられて困るのは、誰だって同じだ。それに、君はそれを曖昧に誤魔化すでもなく、きちんと断ってくれている。だから、諦めきれない僕に責任はあると思うよ」

「優しいのね。貴方は第一王子……つまりは皇太子の身。本当に望めば、わたくしを手に入れるのは簡単なことのはずよ。でも、貴方はそれをしない。何故?」

「こんなことを言えば、また君を困らせてしまうかもしれないけど……君が本当に好きだからだ。本当に好きだから、そんなことをさせたくはない。君を不幸にしてまでは、手に入れたくないんだよ」

「中途半端よ。中途半端に責任を果たそうとするくせ、中途半端に情をかけようとする。王としては失格ね」

「わかってる。わかっているさ」


お嬢様の言葉はかなり辛辣だ。

決して振り向くことはないと断言した上で、一理あるとも言える言葉を並べる。

現実味があり、正論なだけ、かなり残酷だった。

殿下も辛そうに眉をしかめ、黙り込んでしまう。


本当に|殿下(この人)は優しい。

本来なら、その気になればお嬢様は家臣の身であるからして、手に入れることは容易だ。

でも、この人は今の貴族社会にしては珍しいほど純粋で、人としてお嬢様と向き合おうとしている。

一人の男として、誠実にあろうとしている。

それほどお嬢様が好きなのだ、というのは私にもひしひしと伝わってきた。


この人は本気で恋をしている。


だから、諦められないが故に、振り向かないと断言するお嬢様を困らせている一方で、強行手段を使い、お嬢様を手に入れるという我儘も通そうともしない。

捨てることのできない立場と、諦めきれない恋。

どちらを取るべきか、殿下はそんなジレンマに悩み、苦しんでいるのだ。

二つの大きな壁が、殿下の心を挟みうちにしていた。


お嬢様もそんなことが察せないほど、バカでもないし、人でなしでもない。

ましてや、他人の機微に人一倍敏感なお嬢様が、気づかないはずがない。

お嬢様はバツが悪そうに、ややトーンを落として言った。


「でも、わたくしも臣下として間違っているのでしょうね。貴方に求められれば、本当ならば答えなくてはいけない立場。少なくとも、お父様がこの話を耳にすれば、すぐにでも飛びつくような話だわ。でも、わたくしが我儘なせいで優しい貴方を傷つけ、今こうして苦しめている。だから、責任はきっとわたくしにあるのだわ。貴方は否定するでしょうけど、客観的な事実としてはそれで、間違っていない」

「じゃあ、何故……何て聞いたら、卑怯なのだろうね。貴族としての矜持よりも、君には大切なものがある。そういうことなんだろう?」

「そんな立派なものじゃないわ。そうね……言うなれば、トラウマとでもいいましょうか。ただ、わたくしはいけないと思うの。貴方にも、誰にも付いて行ってはいけないと。もう決めていることなの。わたくしは孤独に、ゆっくり……かつ幸せに、自由に死ぬ。それが相応しい末路だと、わたくしは知っているから」

「よく、わからないけど」

「わからなくていいわ。わたくしの勝手な我儘だもの。リオは巻き込んでしまったけれど、あの子はちゃんとわかってる。だから、彼女みたいな子はもう生み出したくないのよ」


殿下はどこか、納得いかない顔をしていたが、私にはお嬢様の心情が手に取るようにわかった。

つい最近気がついたことではあるけれど、お嬢様にはまだウェンデブル伯爵家でのことが影を残しているのだ。

あの時、彼女は「結婚」と言う名の生贄に捧げられたことで、たくさんのことを奪われた。

大切な命、感情、希望……。

それから、残ったのは失うことに対する怯えと、大切な人との誓い。

そして、私という歪な形をした侍女。

お嬢様はあの夜に、それをある意味で受け止め、自らの運命を悟ってしまったのだ。

だからこの先、生きていく中で、その道に反するとも言える殿下(イレギュラー)が受け止められない。


「でも、これだけは聞かせてちょうだい。いえ、聞かせてください。ずっと昔の、まだ何も知らない少女、エレナリア・ルルーシュとして」

「なんだい?」

「どうして……どうして、私なんかを好きになってくださったのですか? 殿下も今はなきウェンデブルと、正式な結婚はしていないとはいえ、婚約まではした傷モノということはご存知でしょう。まだ、侯爵家としての力を頼りにしているならともかくとして、王家ならばその力はいらないはず。なのに、私になにを求めたのです」


それはお嬢様の純粋な疑問だった。

そのままの自分を求められたことなんて、お嬢様にはあまりない経験だ。

もちろん、私にはお嬢様がいなければいけないし、お嬢様もそれをわかってくれている。

けれど、それが今や当たり前になっているのだ。

私がお嬢様のそばにいるのは何年も続いた一種の当たり前。


「君自身を、だよ」


けれど、殿下は違う。

ある日お嬢様に会って、彼は恋をした。

いわば、お嬢様にとっての異常な存在なのだ。

お嬢様が悪役令嬢であろうと、なかろうと。

侯爵令嬢であろうと、なかろうとお嬢様をまっすぐに見つめている。

私にはお嬢様を思う者として、殿下がお嬢様自身に魅力を見出したことはわかる。

けど、お嬢様自身は受け止めきれないのだ。

自分という存在の価値を、想われる経験と言うものを。

お嬢様はまだそれらを知らないのだ。


「そんなの。わからない」

「自分ではわからなくても良い。ただ一つ、君に魅せられた人がここにいる。その事実だけがここにあるんだ。それだけ、覚えておいて欲しい。僕が思うのはそれだけだよ」

「貴方はそれで良いのですか? 私は変われる気がしません。昔、強く心に決めてしまったから。もう今更です。それでも、応えられなくても、貴方は耐えられるのですか?」

「それを聞かれると些か辛いものがあるな。けど、それが君の気持ちなんだから仕方がない。僕は、受け入れていくしかないんだ」


殿下は儚く笑った。

今にも泣き出しそうな表情は、見ているこちらでさえ、胸が締め付けられる。

私は、まだいい。

私がお嬢様のそばにいると決めている限りは、ずっとお嬢様のそばにはいられる。

けど、殿下はそれが出来ない。王になるという立場上、いつかはこの思いを振りきって、他の誰かを幸せにしなくてはいけない。

それが、彼に付きまとう義務だから、いくら残酷でも受け入れなくてはならない。


私はこんな場面を覗き込んでしまったことに、ふと罪悪感を感じた。

こんな場面、ただの侍女でしかない私が見ていて良いものではない。

私は殿下の手に入れられないものを手にしたうえで、お嬢様と殿下の時間を、私は傲慢にも踏み荒らして、穢しているのだ。

二人が例え、気がついていないとしても、私が二人を認識している限り、それは全く同じこと。

私はたまらなく、自己嫌悪に陥った。


「ちょっと、気持ちを整理してくる。君も落ち着いたら、店を出てきて。待っているから」

「ええ。わかりました。もう少し、ここにいさせていただきます」


お嬢様は静かに答えて、視線を窓の外に向けた。

オレンジ色の瞳は何も映しておらず、感情が完全に抜けきっているように見えた。

多分、いろいろ考えた末に、何もわからなくなったに違いない。

今は私にさえ、お嬢様の気持ちを読み取ることが出来なかった。


殿下はお嬢様が思考の海に沈んだのを見送ると、店を一足先に出ていった。

私は背を向けあった二人を交互に見やった後、殿下の後をついていく。

店内には人も多いし、他の貴族の姿も見えるため、おそらく安全だ。

今ならお嬢様に対する過度な心配も少しはましになっているし、ほんの少しならいいだろう。

それよりも今気になるのは、私と同じ思いを持ちながらも、おそらく傷ついたであろう殿下の方だった。


殿下は大通りに出ると、ふうっと大きなため息をついた。

デートの始まりが昼過ぎだったので、今は日が暮れはじめている。

とはいえ、大通りは相変わらずの賑わいだった。

様々な人が現れては、足早に去っていく。

殿下は適当な道を一本入ると、足を止めた。

そこも人はいないとは言い切れなかったが、それでも大通りよりは遥かに人が少なかった。

殿下はその道の端で、壁に寄りかかると、ポツリと呟いた。


「ついてきているんだろう、リオ」

「はい、殿下」


私は殿下の前に姿を現した。

そして、いつかと同じように深々と頭を下げる。

殿下もそれにならってか、再び頭を上げる許可をくださった。

私はそこで殿下の表情を真正面から捉える。

殿下は諦念が漂う表情で笑っていた。

夕暮れのせいか、影が色濃く現れ、笑顔のはずなのに何処までも切ない。


「聞きたい、ことがある」

「なんでしょう?」

「君は……エレナリアを大切にしているな。僕といても、彼女が話すのは君のことばかりだ。それだけ君もエレナリアも互いを想いあっているのだろう」

「そう、ですね」

「エレナリアは、君とどういう理由で共にいる? どうして君は、彼女の壁を乗り越えることが出来たんだ? 僕には、どうやったって出来そうにないのに、君はっ!」


殿下の語気が珍しく荒くなった。

やり場のない思いを私にぶつける様にして、それを爆発させる。

殿下は紫色の瞳で、キッと私を睨みつけた。


「どうして……」


しかし、それはほんの刹那のことだった。

怒りはすぐに霧散し、代わりに弱々しい声に変わる。

彼はいつもとは違って、この時ばかりは笑みなど浮かべていなかった。

自分の怒りに戸惑う様に、額に手を当て、首を振る。

それから、一言謝った。


「すまない。今のは八つ当たりだ、忘れてくれ」

「いえ。気にしてはおりません。あんな後では、当然だと思いますから」


そうだ。もし私が逆の立場だったら、絶対にこの程度じゃ済ませなかったと思う。

失意のどん底に落ちて、何をしでかしてしまうのかなど、想像も及ばない。

自分でもそんな自分になってしまうのが怖いほどだった。

その辺り、殿下はちゃんとしている。

私は感心こそすれ、気に触るなんてことは微塵もなかった。


「お答えしますよ。殿下のご質問。答えは簡単ですから」


そう、大したことでもないし、今更なこと。

別にお嬢様と私は殿下の言う様な綺麗な関係ではない。

約束と偶然と、傷が混ざり合って生まれただけの繋がりなのだ。


「私と、お嬢様はただ、依存しあっているのです」

「依存? 過保護、という意味か?」

「それもありますが、私はお嬢様と出会って、いろんな面で救われたのです。汚い世界だけを見て来た私に、お嬢様は光を見せてくれた。お嬢様もその逆で、初めて失わなくていい人に会った。互いに互いを動かしたから、何かしらのシンパシーを感じることができた。言うなれば、雛鳥が初めて見たものを親と認識する様に、私たちは互いを盲目的に信じるだけの存在、ということなのです」


決して、殿下の様に互いを尊重しあった好きではないのだ。

互いに互いのエゴを押し付けあった、共存なのだ。

互いがいるから、私たちは安心して生きていける。

きっとそのせいだ。

だからと言って、お嬢様が好きではないということではないが、これが歪なものであるのは間違いない。

否定しようのない事実だ。


「ですから、きっと私にはお嬢様を幸せにすることは出来ないのでしょう。私はお嬢様の一種の麻薬の様なものですよ」

「そう、なのか」

「おそらく。ですから、殿下にはきちんとチャンスがあります。今でこそ、お嬢様は殿下の気持ちがわからないのでしょうが、いつかわかる日はきましょう。それが殿下とは限らないというのが皮肉ではありますが、それでも可能性はなきにしもあらず、ということです」

「なるほど。少なくとも、女の君よりかは、可能性がありそうだ」


私の慰めに少しでも、元気を取り戻してくれたのか、殿下はそこでようやく苦笑を浮かべた。

最近随分と百合百合しいぞ、と突っ込む元気があれば、今は多分十分。

心を折ることはなんとか防げた様だ。

殿下には同じお嬢様を見守る者として、早々にくたばってもらっては困る。

これがお嬢様の幸せに近づくのはわかりきっていることだから、尚更だ。

万華鏡で見た男性が殿下かは未だ、確信は掴めないけれど。

例え、そうでなくても殿下は思いを振りきれたら、お嬢様の友人としてもやっていけそうだし、失いたくはない人だ。


「あら、こちらにいらっしゃったのですね」

「……エレナ」

「エレナと呼ぶのはこれきりにしてくださいまし。私はエレナリアです」


私が殿下を終えると、ちょうどのタイミングでお嬢様が戻ってきた。

私はあらかじめ、お嬢様に声を聞かれないようにしていたので、今の会話は聞かれていないはずだ。

お嬢様は殿下を見るなり、いきなり悪役令嬢モード全開だった。

気を取り直したのは何よりだが、今の殿下には随分とグサリとくる言葉だ。

殿下の顔も引きつりに引きつりまくっていた。


「そんなに僕のことが嫌いかい?」

「いえ。逆ですわ。リオの次くらいには気を許している方です。ですから、例え思いに応えられなくても、失いたくはありません。だから、過去の大切な人が使ったエレナの名では呼ばれたくないのです」


過去の大切な人……間違いなく、茶髪のメイドのことだ。

お嬢様はあの屋敷で「奥様」と呼ばれ、名前も少し変えて、エレナ・ウェンデブルと呼ばれていた。

だから、あの時のことが繰り返すことがないよう、きちんとエレナリアと呼んで欲しいのだろう。

殿下も詳しいことは知らないにせよ、私の次くらいには気を許していると言われて、その思いはきちんと伝わったようだ。

引きつった表情がすぐに綻んだ。


「そういうことなら。エレナリア、と呼ばせてもらうよ」

「ええ。今更ではありますが、その方がしっくりきます。私もルースよりは殿下の方が呼び慣れていますしね」

「そこはルクスと呼んでほしいんだがな。まだ先のことか」

「当分は先ですわね。私の気が変われば、考えてさしあげてもよろしくてよ」


お嬢様はツンと気取ったように、胸を張った。

顔が無表情なのは、もはや当たり前。

これでこそ、悪役令嬢と呼ばれるお嬢様だった。

殿下との空気が柔らかな、いつもの平和的なものに戻る。


お嬢様は二、三歩踏み出し、こちらを振り返った。


「殿下、そろそろ帰りましょう。あまり暗くなると、リオに帰ってから叱られますわ」

「そんな時間だな。今日のデートももう終わりか。早いなぁ」


殿下はその横にすぐ並ぶと、口惜しそうにつぶやく。

赤い夕日に目を細めて、恨めしそうに睨む姿はまだこの日を楽しみたいという思いが滲み出ていた。

そして、それは行動に移り、殿下はお嬢様の手を取った。


「少し、遠回りしよう。まだ帰りたくないから」

「それくらいは構いませんが……殿下は随分と女性の手を取るのがお上手なのですね。さりげなくずっと繋がれていた気がします」

「別に経験豊富とか、そういうわけじゃないさ。君にだけ特別だ。君になら、積極的に触れ合いたいと思えるから、自然とこうしているのさ」

「最近、アックス様にそういう言葉、似てきてはいませんか? 少し怪しいのですけど」

「あんな女たらし、とんでもない。この間刺されかけたようだし、そんなのはごめんだ」

「まぁ、確かにそうですわね」


お嬢様と殿下は冗談を飛ばしあいながら、歩いていた。

殿下の表情も次第に明るくなり、お嬢様の悪役令嬢度も増すばかりである。

これでこそ、この二人という感じがした。

あんなしんみりした感じはやっぱり似合わない。

この距離感がなんだかんだ、見ていて安心するのだ。

殿下が私と同じ立ち位置に近づきつつあるのは癪ではあるけど、仕方がない。

お嬢様がそう望むのなら、私は従うまでだ。


「ねぇ、エレナリア?」

「なんです、殿下?」

「あと一年。僕が卒業するまでは、諦めないでいてもいいかな。このまま、あと少しだけ口説き続けても構わないか?」


校門の前。空が紺色に染まりつつある頃、最後に殿下はそう聞いた。

私の言葉に、まだ諦めない決意をしてくれたようである。

私までもが息を飲んで、お嬢様の返答に耳をそばだてた。


「殿下」

「……」

「あと、少しですからね」

「それって」

「卒業までは一年もありません。もう夏なのですから、あっという間です。ですから」


お嬢様はそこで、まっすぐと殿下の顔を見据えた。

それから、剣を握った時のような、獰猛な気配を漂わせる。

お嬢様は歪に、口元を釣り上げた。


「あと少し。全力で来てください。やるなら、中途半端は嫌ですから。受けて立ちますよ」


まさに宣戦布告。

お嬢様はそれだけ言うと踵を返し、颯爽と歩き出した。

まるで、一世一代の戦いに向かう戦士のように、凛々しくピンと背筋を伸ばして、その場を去る。


殿下はその背に向かって大きく叫んだ。


「ああ、やってやるさ。君を絶対に手に入れてみせる」


そう言って、殿下も獰猛な笑みを浮かべた。


こうして、デートという名の休日は幕を閉じたのであった。

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