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侍女と悪役令嬢の邂逅 〜脈動〜

今回も少し残酷な描写を含みます。

苦手な方はお気をつけください。


「リオちゃん。このお仕事、止められないかなぁ」

「止めなよ。誰かに聞かれたら、大変だよ? ……気持ちはわからなくないけど」

「だよねー。でも、無理かぁ。なんだかんだ給料は良いし、我慢するっきゃないよね。これ以上辞めちゃったら、このお屋敷のこと回んなくなっちゃうし。他のみんなにも迷惑かけちゃうことになるよね」

「そうそう。だから、ちゃんと手を動かそう?」

「はぁーい」


広いお屋敷の片隅にて。

私は手に雑巾を握り締めながら、掃除に励んでいた。

今日の掃除場所はもうすぐお客様が来られるということで、客室。

流石は侯爵家、と言うべきか置かれているものはどれも一級品ばかりだ。

たった今、磨いていた壺もそれだけで数百万は下らないらしい。

もし、落とそうものなら弁償など到底出来そうもないので、作業は慎重になる。

私は同じ作業をする侍女見習いと喋べっていた口を、キュッと引き結び、手元に集中した。


あれからーーお嬢様と初めてお会いした日から、今日でちょうど三年。

私はルルーシュ侯爵領地内にあるお屋敷にて侍女見習いとして働いていた。

前職はあれから少しの間続けていたものの、あまり身に入らず、脳裏にお嬢様のことばかり過っていたために辞めてしまった。

裏切りには厳しい組織なので、その際には一悶着あったものの、どうにか今は赤髪の少女のそばで働くことが出来ていた。

まぁ、前職があんなだったため、最初の頃は当たり前のこともできずに相当苦労したが。

とにかく、今は普通の十歳の少女を演じきれている。

口調も随分と改め、侍女に求められる振る舞いも板につきつつあった。

こうして、仕事を任せられることも増え、最近は万事順調だ。


たった一つ。お嬢様のことを除いて。


私たちが掃除に励んでいると、遠くの部屋でガシャーンという何かが壊れる大きな音がした。

私ともう一人の侍女見習いは顔を見合わせて、一時自分の仕事を中断させる。

何事か、というのは粗方予想がついていたので、迷わず部屋を飛び出た。

向かうはルルーシュ侯爵一家の集まる、談話室だった。


「エレナリア! これは一体どういうことだ!」

「申し訳ありません」


談話室に近づくと、聞こえてきたのは激しい怒号。

声から察するに、侯爵の……つまり、ご主人さまの声であることは容易に分かる。

この屋敷に仕えてからというものの、毎日のように聞く声だ。


それに答えるのはお嬢様の淡々とした声。

部屋の前にたどり着くと、大きく開け放たれた談話室の入り口から、お嬢様が頭を下げている姿を見ることができた。

お嬢様は相変わらずの無表情で、腰を六十度に曲げていた。

そんな中、その目がちらりとこちらを向き、私たちの存在に気がつく。

お嬢様は私たちが来ていることを知ると、ご主人様に見えないように口を動かした。

おそらく、「そこで待っていて」と。

そう言われれば、私たちはその場で息を潜めることしかできなかった。


「どうしてお前はそんな簡単なことが出来ない! お前にこのルルーシュ侯爵家の誇りはないのか?」

「申し訳ありません」


大人しく頭を下げ続けるお嬢様に、ご主人様は何が気に入らないのか更に声を荒げた。

側では奥様が扇子を仰ぎ、お嬢様を威圧するように睨みつけている。

更にその隣にはお嬢様のお兄様であられるゲイン様も、お嬢様がお叱りを受けている様子を愉しむかのように眺めていた。


顔を真っ赤にして、肩で息をするご主人様。

そんなお父上に、ゲイン様はクスクスと笑って言った。


「まぁ、まぁ。父上。落ち着いてください」

「ゲイン、これが落ち着いていられるか! こいつは我々の家の名に傷をつけたのだぞ? 許しておけるものか」

「それについては同意見です。けれど、怒るだけ無駄ではないでしょうか。こいつにルルーシュ侯爵家の誇りなど、あるわけがないのですから」


ゲイン様はお嬢様に軽蔑の眼差しを向けた。

そこに浮かぶのは嘲笑。この人はいつもご主人様に折檻されるお嬢様を嘲笑うのだ。

これで優越感を得ているつもりなのだろうが、本当に趣味が悪いとしか思えない。


そして、ご主人様はいつも通り、愛息子の発言にそうだな、と納得した様子を見せて、ソファに腰を下ろした。

目は相変わらず、お嬢様を睨みつけていたが、幾分か落ち着いたようだ。

この人は愚かなことに、バカがつくほどゲイン様に甘い。

こうして、従順なゲイン様と私たちのお嬢様を比べては、差別しているのだ。


そんなご主人様に今度は奥様がしな垂れかかった。

その豊満な身体をご主人様に押し付けては、お嬢様に向けられる負の感情を煽るようなことを言う。


「でも、あなた。この子には自覚がなさすぎるのではなくて? やっぱりきちんと罰を与えるべきよ。この子はいくら言っても、貴族としてのプライドを持たず、下々の者をベタベタと触ってはその手をいつも汚して帰ってくる。これじゃ、本当にルルーシュ侯爵家の者として、恥ずかしいわ」

「母上。流石は、穢れた子と言うべきことですか」

「ゲイン、流石あなたはわかっているのね。そうよ。この子は本当に穢らわしい。どうして、侯爵家に生まれてきたのか不思議なくらい」


それに、他の貴族の殿方に笑顔も向けられないなんて、なんて気味の悪い子。と、奥様は扇子で口元を隠しながら、自分の娘を貶した。

この方はこの方で貴族のなんたるかに、厳しい人だ。

身分の低い者とは決して口をきかず、家柄を振りかざし、無理さえも押し通す侯爵家至上主義者。

私たちも、彼女に何度無理難題を吹っかけられては、不当な扱いを受けたか数え切れない。

耳の痛くなるほど高くヒステリックな声で、何時間もキーキーわめき散らされるのだから、こちらとしてはたまったもんじゃないのだ。


「お母様も申し訳ありません」

「あら。お母様だなんて呼ばないで頂戴。私に貴女のような出来損ないの娘はいないもの。それに、謝るのなら、笑顔一つでも見せてみなさいな。貴女、伯爵家とのことで価値が落ちてるんだから、そうでもしないと一生結婚出来ないわよ。そんなの、侯爵家の名折れだわぁ。いっそ、ウェンデブルの時に死んじゃってたら楽だったでしょうに」


そんな第三者からすれば冗談でも笑えない物言いに、お嬢様を除くルルーシュ一家は大きくうなずきながら笑う。

お嬢様は何も言わなかったが、お嬢様を慕う我々侍女にしてみれば、腸が煮えくり返る思いだった。

隣にいた侍女も思わずと言った様子で、ボソッとそのことを呟く。


「うわぁ、私たちのお嬢様に最低」

「奥様こそ、我儘で周りを困らせてばかりの名折れですよ」


これこそ、同意見だ。

いつの間にか集まっていた、同い年くらいの他五、六人の侍女見習いたちも口々に毒付く。

この屋敷の大半は、物言いこそ素っ気ないものの何かと優しくしてくださるお嬢様の味方だった。

いつも、お嬢様が不当な扱いを受けた時には私たちが陰ながらこうして見守っている。

それで、何かが変わると言うことはないが、少しでもお嬢様の心の支えになればとの思い故の行動だった。


私たちが侯爵家の面々を睨みつけていると、ふとこちらに近づいてくる気配を感じ取った。

その身に覚えのある気配に、私はマズイと肩を竦める。

気配はこの館のことを取り仕切る侍女長のものだったからだ。

私たちを普段教育してくれている方で、とても厳しく、怒った時は本当に怖い。

私もここにきたばかりの頃は幾度と無く頭上にチョップをお見舞いされたものだ。

一応、避けれなくはなかったが、それが私たちのことを思ってのものだと知っていたので、甘んじて受けている。


まぁ、つまりは厳しい方なので、この盗み聞きしている状況を見られたら、どうなるか。

私はそれを想像して、頭を抑えた。

かといって、逃げ出すこともしたくない。

お嬢様に何かあろうものなら、私は彼女を守らなくてはいけないのだ。

そう、約束したから。


「あら。貴女たち」


私が密かに怒られる覚悟を決めていると、背後から厳しい声が飛んだ。

あまり大きな声ではなかったが、そこに含まれた刺々しさに私たちは一斉にビクッと肩を震わせる。

恐る恐る振り向いてみれば、齢五十ほどの女性が眉を釣り上げ、仁王立ちしていた。

放たれるオーラは只者でないことを感じさせる。

そう、彼女は私でさえ畏怖するほど、強烈な威圧を放てる人なのだ。

前職のこともあり経験豊富な私でさえ怖いのに、耐性のない周りの少女たちにしてみれば、悪夢ですらあるに違いない。


ちらりと横目で様子を伺ってみれば、予想通り、ほとんどの少女がまだ何も言われていないのにもかかわらず、目尻に涙を浮かべて震えていた。これでは、何も言えまい。


私は小さくため息をつくと、一歩前に出た。

侍女長は僅かに目を細める。

侍女長の威圧の中でも私が動けることは彼女も知っている。

しかし、私も今までは何も口答えはして来なかった。

果たして、そんな私が何を言うのか。

侍女長はそんな風に興味を持ってくれたようだ。

私はまっすぐ侍女長を見据えながら、口を開いた。


「侍女長、出来ればもう少し声を落としていただけませんか」

「……なるほど。いいでしょう。でも、何をしているのかきちんと話してください」


侍女長は私の言葉に一瞬迷うような様子を見せたものの、最終的には頷いてくれた。

おそらく、侍女長の立つ位置からでもお嬢様がどういう状況にあるのか、察してくれたのだと思う。

侍女長は厳しい言葉を続けながらも、声を潜めた。


「さて、聞かせてもらいましょうか」

「侍女長。ありがとうございます。それで、私たちがしていたことですが……」

「だから、いい加減、その表情の一つでも変えてみろと言っている!」


私が説明しようとした時、背後の部屋から怒声が再び飛んだ。

ついで、バシィという乾いた音。

私は何事かと、勢いよく振り返った。

侍女長も弾かれたように顔を上げ、ここで待つように私たちに言いつけると、談話室へと駆け込んで行った。

彼女も表には出さないが、お嬢様の味方である。

侍女長は果敢にも、部屋に入ると、僅かに威圧の魔力を放ちながら、声を張り上げた。


「旦那様、何事ですか!」

「うるさい。年寄りの平民ごときが、口を出すな!」

「それは失礼します。ですが、お客様が参られているものですから、それをお伝えしようと。お客様も旦那様のお声に不安がられておりますし」

「なにっ?」


お客様が来られた、との侍女長の言葉に、ご主人様は血相を変えた。

余程大切な方なのか、奥様やゲイン様もあたふたと慌てふためかれる。

それからは、お嬢様のことなど忘れられたように、部屋を飛び出していった。

凄まじきお客様効果である。

私たちもあまりの態度の変化にキョトンとしてしまい、盗み聞きしていたことも忘れて突っ立っていたが、そんなことさえ、慌てた侯爵一家は気づかないままだった。


「お嬢様、大丈夫ですか」


しかし、そんな驚きもすぐさま吹っ飛ぶ。

私たちも侍女長に続くように、私たちは談話室へと駆け込んだ。

そこには頬を打たれて、うずくまるお嬢様の姿が。

侍女長がそばで心配そうに声をかけていた。


私は思わず、唇を噛む。

ああ、こういう環境からまたお嬢様を守れなかった、と。


「お嬢様、大丈夫ですか!」


私はお嬢様を取り囲む見習い侍女たちの背中を眺めながら、ぎゅっと己の拳を握りしめた。

それを太ももに打ち付けて、至らない自分を戒める。


お嬢様はそんな私の心境とは裏腹に、侍女たちの顔をゆっくり見回して、必死に笑おうとしていた。

表情が乏しいため、あまり表には出てこないが、それがこちらには痛いほど伝わってくる。

お嬢様は私たちを安心させるように言った。


「平気よ。慣れているから、痛くないわ。大丈夫」

「でも、赤く腫れています。冷やした方がよろしかと」

「平気。気にしないで。心配してくれてありがとう」


私たちは口々に心配する声をかけたが、お嬢様は頑なに平気だと言い張った。

赤く腫れた頬は痛々しかったが、お嬢様に気にする様子はない。

それどころか、逆に私たちにお礼を言うものだから、流石の侍女長も含め、私たちは黙り込んでしまった。


「あら、本当に平気よ。そんなに暗くならないで」

「お嬢様……」

「それより、私はあなたたちを叱らなくちゃいけないのよ。どうして、ここへ来たのかって」

「そういえば、それを聞くのがまだでしたね」

「そっ、それは」


気をとりなおし、責めるような目を向けてくる侍女長。

お嬢様に声をかけていた時は忘れていた恐怖が再び襲い、周囲の少女たちは口ごもる。


やはり、私が話すべきか。と、口を開こうとして、しかしそれは意外な人物に遮られた。


「まぁ、いいでしょう。今回は何もなかったことですし、お咎めは無しにします。貴女たちはお嬢様のことが心配だったのでしょう?」

「侍女長!」

「ただし! 私からは、ですよ。お嬢様にはきちんとお叱りを受けていただきますからね。それと、次はありませんから」

「はい!」


萎縮した様子から一転。少女たちは目を輝かせた。

私も思わず、ほっと息を吐く。

幾らあの威圧の中でも話せるとはいえ、やっぱり怒られるのは気が進まないし、何より怖いものだ。

それをしなくてもいいのなら、嬉しいのは私も同じ。

ありがとうございます、と続けると、侍女長は照れ臭そうにそっぽを向いた。

人は見かけによらないとはこのことだと思う。


隣ではお嬢様が首を振って、呆れのニュアンスを伝えていた。

それから、侍女長の肩を叩いてこちらに目を向けた。


「では、わたくしも今回は侍女長に免じて、お叱りは無しにするわね。ただし、あまり危険な真似はしないと約束してちょうだい。わたくしを守ろうとして、貴女たちが傷つけば、わたくしはそれが一番悲しく、痛いことなのだから」

「はい、お約束します」


満面の笑みで頷く少女達。


だがその一方、私は頷けなかった。

お嬢様の言葉にはちょっとばかし、納得がいかない。

自分を見捨てて、己の身を守れなどと言われて、逆に何故頷けよう?

純粋な彼女達は気がついていないようだが、侍女長もやはり微妙な顔をしていた。


「それから……リオ、だったかしら」

「はい。リオと申します」


まさか、私が頷いていないことがばれたか、と思いながらも、頭を垂れる。

しかし、お嬢様の用はそちらではないらしい。

少し躊躇うように沈黙してから、お嬢様は私に顔をあげるように言った。

そして、真正面から私を見つめる。


「貴女にお願いがあるの。ちょっと、わたくしの部屋まで来てくれないかしら」

「私に、ですか?」

「そう。貴女にしか頼めないことよ。いいかしら?」

「私などでよければ、もちろんお伺いします」


ここで、お願いも受ける、というようなことは言わないで、部屋に行くことのみを了承するあたり、私は本当に汚いと思う。

この駆け引きは、前の組織で学んでいたことだが、意外と役に立つものだ。

もし、さっきの約束とやらをのんでくれと言われたら、私は断固拒否しなくてはならなかったから。

逃げ道は常に確保しておくもの。これが鉄則だ。


私はお嬢様に頼まれた通り、彼女の後について部屋へと向かう。

他の侍女見習い達は侍女長に指示を受けていた。

私を含め、侍女見習いにはまだまだ学ぶべきことがたくさんある。

いつかお嬢様のお側で支えられるよう、今たくさん訓練しているのだ。


だから、私は不思議だった。

それは、お嬢様がたかが侍女見習いでしかない私を部屋に呼びつける理由がわからなかったから。

私はまだ見習いの身故、お嬢様の身の回りの世話はまだ任されてはいない。

もし、身の回りのことで用があるのなら、きちんと見習いの過程を終えた立派な侍女達に命令すれば良いのだ。

わざわざ私を呼ぶ必要もなければ、接点もほとんど無い。

幾らこの少女の近くで働けるようになったはいえ、直接話したことがあるのは片手で数えられるほど。

そんな中で、私個人を指名する理由は限られていた。


やはり、お嬢様は人が傷つくのを恐れられているようだし、先ほど頷かなかったことか。

あるいは、それより前。この屋敷に連れ戻した人物が私だと気がついているのか。


脳裏をちらつく二つの可能性。

どちらも、私にとっては好ましく無いことだ。

ここへ来た目的はあの茶髪のメイドとの約束を守る為、また己の罪を償うためなのだ。

もし、二つの内一つでも言われようものなら、私は今後非常に動きづらくなる。


私が眉を潜めて考え込んでいると、やがてお嬢様の部屋へとたどり着いた。

お嬢様の私室へ入るのは初めてのことで、こんな状況でもあるせいか、余計に緊張してしまう。

私は身体が硬くなるのを感じながら、お嬢様の許可を得て、中へと入った。


「失礼します」

「どうぞ。余り居心地は良く無いけれど」

「いえ、そんなことは……」

「遠慮しなくていいわ。事実だもの」


事実、お嬢様の部屋は先ほど掃除していた客室よりも何十倍も質素だった。

ものは必要最小限しか置かれていないし、置かれている家具も良いものとはいえ、随分古めかしく無骨なものが多かった。

正直、貴族の……侯爵令嬢の私室とは思えない有様だった。

お嬢様のオレンジ色の瞳が少し寂しげに細められたのを見れば、この部屋が彼女の望み通りで無いことはなんとなく、察することができる。


「……お茶、淹れますね」

「ありがとう」


これ以上、この話題には触れるべきでは無い。

私はそう判断して、無理やり話を変えた。

この辺りはまだ不器用でぎこちなさが否めなかったが、お嬢様はちゃんとわかってくれていて、話を合わせてくれた。


私はそれにひそかに感謝しながら、ティーポットに茶葉を入れる。

紅茶を淹れることだけは私もここにきた当初から得意で、自信があった。

お嬢様に紅茶を差し出してみれば、お嬢様も一口飲んでから、ジッと紅茶の水面を見つめていた。


「おいしいわね」

「ありがとうございます」

「とりあえず、あなたも座って。あなたの返答次第では話が長くなりそうだから。腰を据えて話したいわ」

「いいのですか?」

「許可するわ。今回はこちら側がお願いする方だから」


本来ならば、主人と同じ席に着くというのはありえ無いことだ。

だが、お嬢様の揺るが無いオレンジ色の瞳で見つめられると、そうも言っていられなくなる。

私も話次第では、長い交渉をしなくてはならない覚悟は決めていたので、少し躊躇いながらも、最終的には従った。


「で、私に話とは?」

「ええ。実はね、随分と突拍子も無い話なのだけど、はじめに聞きたいことがあるの。今日、あなたは朝、裏庭にいたわよね」

「えっと、はい。いましたが?」


あれ、どうしてだろう。話が全く見えてこない。

正直、考えていた話とは別の切り口から話されたので、私は戸惑った。

確かに私は今朝、裏庭にいた。それも、日課となっているトレーニングをするためにだ。

でも、大したことはしていない。

敵と間違えられて、捕まるのも困るので、タガーはしまっていたし、本当にしていたのはストレッチやランニング程度だ。

ちょっと我流の格闘術っぽいこともしていたが、これも何か言われるようなことでも無い。


果たして、何が言いたいのか。


首を傾げていると、お嬢様はまた少し間を置いた。

それから、言葉を選ぶようにして、ゆっくりと話し出す。


「あなた、実は相当強いわよね?」

「どうしてそう思ったのか聞いても?」

「身のこなしが上手かったから。私も剣術をそれなりに齧ってはいるのだけれど、あなたの動きはすごい綺麗だった。本当に洗練されていて、隙が全く見え無い。ただ鍛えているとか、体力をつけようとしているだけには見えなかったの。それで、ね」

「なるほど。よく見ていらっしゃる」


これで、私の攻撃を三年前に受け止められたのも、納得できた。

多少の剣術の心得があったから、あの時の攻撃を本能的に防げてしまったのかもしれない。

だとしたら、この観察眼といい、修練速度といい、かなりの才能の持ち主だ。

私は自分の正体を見破られるかも、という焦りを感じながらも、素直に感心する。

もし、私と同じ環境で育っていたなら、彼女は私よりも強かったかもしれない、とありもしないことを考えてしまうほどに。


お嬢様はそこから、ついにお願いを口にした。


「それでね、その実力を見込んで、お願いしたいのだけれど」

「はい?」


また、話が違う方向に動いていく。

やっぱり、お嬢様は私の正体に気づいてはいないようなのだ。

その証拠に、次に出た言葉は本当に突拍子も無いことだった。


「私に、戦い方を教えてくれない?」

「はぁ?」


あっ、地が出てしまった。と思うと同時に、私はポカンとしてしまった。


いやいやいや。

この国の令嬢で、いきなり侍女に戦い方を教えてくれだなんて頼み出す令嬢が何人いるだろうか。いいや、いないに違いない。

この国のどこを探しても、きっといないはずだ。

あるとしたら、その令嬢はよっぽどの変わり者だと言えるくらいには、ありえない話である。


「あっ、いやちょっと」

「駄目、かしら?」

「もちろん、ダメではないですけど……何を一体……」

「よかった。決まりね。明日からよろしくね、リオ」

「はぁ……って、いつの間にか話が決まっています?」

「だって、駄目じゃないって言ったじゃない。何か問題でも?」


たじろぐ私に、お嬢様は逃さないとばかりに言葉で畳み掛けてくる。

我に帰った時には、次々と色んなことが決められていた。

毎朝六時に起きて、戦い方を指導すること。

私を特別に早く一般の侍女になれるようにすること。

それから、十分に訓練したら、側付きの侍女になることなどなど……。

あれよあれよという間に、私の将来はがっちり約束されてしまった。

初めは交渉するつもりでいたのに、お嬢様の手腕はゴリ押しの一手で、いつの間にか勢いに押されてしまっている。


こんな相手は初めてで、私はただ途方にくれるしかなかった。

こんな強引な交渉手段があるとは、思いもしなかった。

ほんと、世界は広いものである。


「それじゃあ、明日からよろしく」

「……わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします」


最終的には諦めて、お嬢様に従うことにした。

無表情なお嬢様が今はどこか満足げであるのは、気のせいではあるまい。

お嬢様は優雅な所作で紅茶を口元に持って行きながら、こちらの反応を楽しむように私を見ていた。

極々僅かな変化だが、口角が数ミリ上がっているのが隠しきれていない。


「それで、明日ですが……」


はてさて、どうしてこうなった。などと、思わず遠い目になってしまったが、とりあえずは予定を確認することにした。

決まってしまったものは仕方がないし、やるからには全力で取り組むべき、というのが私のモットーだ。

私がやる気だと知れば、お嬢様も身を乗り出してくる。


だが、次の瞬間。


「……ッ!」


ふと窓の外に不穏な気配を感じた。

私はハッと我に帰り、気を引き締める。

そして、私は確信した。


来た。「奴ら」が来たのだ。


私はお嬢様の前だというのに、許可も得ずにさっと立ち上がった。

それから、口早にお嬢様に退室を告げる。

雑な挨拶にはなってしまったが、お嬢様も私の異変に気がついたのか、何も言わずにそれを許してくれた。


私は部屋を飛び出すと、屋敷の外へと駆け出す。

遂に、私の役目を果たす瞬間が来たのだ。

この三年間、何度かここへ「奴ら」は来ていたが、今のところは返り討ちに成功している。

だから、今日という今日も逃さない。

それが、私がここにいる一番の意味だから。


「待ってろ。僕が殺してやる」


あの子を、お嬢様を害すことは許さない。

その思いが殺気に変わり、私の感覚は徐々に研ぎ澄まされていく。

外に隠れる複数を気配をすぐさま感知して、私はタガーを抜き取った。


相手は「暗殺者」だ。


気配は隠しているつもりなのだろうが、私にしてみれば全てお見通しだ。

一直線に奴らの方向へ向かう私に、相手は慌てた様子を見せたが、もう遅い。

そいつが背を向けた時には、私がすぐそこまで肉薄していた。

毒を塗り込んだ矢をこちらに向けて放つものの、風の魔法で軌道は逸れる。

彼の首が飛ぶのはあっという間のことだった。


「残り、二人」


木の陰に潜んでいた奴を始末すると、次の目標は屋根の上でナイフを握る者だ。

こちらのナイフにも即効性の毒が塗られており、かするだけでも致命的な攻撃となりうる。

だが、それでも私の前には、ただのナイフとなんら変わりない。

この身体は少々、特殊に変化させられている。

だから、毒も傷は暫く残るものの、いずれは簡単に治るようになっているのだ。

もちろん、居場所がわかっている相手に攻撃が掠ることはなかったが。

簡単に二人目を撃破する。


そして、残りは一人。


「へぇ。なかなかの隠密性だな」


刹那、最後の一人を見失ってしまった。

相手もプロなので、その隙を逃すことなく、死角から矢を放ってくる。

大方撃ってくる方向は予想できていたので突き刺さることはなかったが、左手の手の甲を矢が掠めた。

毒がピリリとした痛みを与えてくるが、無論ぽっくり逝くことはない。

場所の特定もすぐにできたため、それに従い、敵に急接近する。

勢いに乗ったまま、腕を一振り。敵の首は簡単に飛んだ。


最後にもう一度周囲を探って、目標達成(ミッションコンプリート)

今日も、無事自らの務めを果たすことが出来た。


「にしても、不穏です」


研ぎ澄まされていた感覚が徐々に収まり、私は最近の口調に戻って呟いた。

自らの手の甲には思ったより深い切り傷が刻まれている。

周囲が紫色に変色しているが、毒の影響は今のところはなさそうだ。

グロテスクな見た目ほど、怪我は酷くない。


まぁ、自業自得だろう。鍛錬が足りない。

というか、そもそも、こうなってしまったことも私の罪であるのだから、仕方がない。


あの時には思いもつかなかったこととはいえ、結果としてお嬢様の元に「暗殺者」が送られてくるようになったのは私のせいなのだから。


「一人だけ残ってしまったが故に、でしたか」


そう。これは全て三年前の伯爵家の事件、つまりは私がしたことに関係している。

あの場で、私の指示を受け、伯爵家は滅びた。

その中、お嬢様だけが生き残る。

しかも、怪しい人物に連れられてというのだから、そこで考えられるのは一つの可能性だ。

お嬢様が襲撃者を手引きしたという、七歳の少女が出来るとは思えないことがが真剣に疑われたのだ。それも、侯爵家に指示されたのだとして。


当然、ルルーシュ侯爵家もあらぬ疑いをかけられてはたまったものではない。必死に弁明した。

公にはルルーシュ家が有力な貴族ということもあって、その弁明が認められたが、裏ではまだ納得いかないものも多々いるようで。

これこそ、好機! とばかりに復讐を騙って彼らは「暗殺者」を送り込んでくるようになったのだ。

本当の目的はルルーシュ家の権力を削ることにあるのだろうが、お嬢様はいいように言い訳に使われたのである。


それからだ。侯爵家一家がお嬢様への態度をますます悪くしたのは。

元々、滅びた伯爵家に生け贄とばかりに送り込んでいたが、それよりも酷くなった。

平気で打つし、罵るし、傷つける。

本来なら守るべき娘を娘とも思わないような扱いをするようになったのだ。

一番苦しんでいるのはお嬢様自身なのにこんなの、親として失格だ。

それでも、手元に残すのはまだ一応未婚扱いということで、利用価値があるだけというものなのだから、本当に酷い。


でも、この中で一番酷いのは、と聞かれたら私なのだろう。

私が伯爵家を滅ぼし、その上変な噂が広がるような迂闊な行動をしてしまったせいで、最悪の結果になった。

私があんなことをしてさえいなければ、もっと隠れて行動していれば、お嬢様は悲劇の令嬢で生きていけただろうに、私は本当にとんでもないことをしてしまった。

私がお嬢様の人生をめちゃくちゃにしてしまったのだ。

お嬢様は伯爵家の出来事がショックで元々乏しかった表情が出なくなってしまった。

これは直接私のせいではなく、ウェンデブル伯爵のせいだが、それが咎められる侯爵家という環境に戻してしまったのも私。

今のお嬢様の身に降りかかる出来事の大半は私のせいなのだ。


だから。私はその罪を償わなくてはならない。


「お嬢様。本当に、ごめんなさい。あなたの身は必ず」


必ず、お守りします。

そう呟いて、屋根の上から空を見渡す。

夕暮れ時の空の向こうには、あの茶髪のメイドの安心しきった死に際の表情が今でも鮮明に思い出された。


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