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オペレーションくしなだ  作者: 木葉
飛鳥の千夜一夜物語
24/31

第10章 <1>

 その凱旋の光景は、見る者全ての心を震わせた。

 大津宮に会した全将官は自軍の最後の農民兵を解放すると、再び瀬田橋を越え、安河と犬上川を渡り、息長氏の地元を通過し、不破の仮宮に近づいた。

「オオシアマ様、ご覧ください! 我が軍の何と気高きことでしょう」

 乗馬で将軍たちを出迎えに行ったオオシアマに、近侍のチトコが声を掛けた。

 飛鳥方面の大伴将軍、近江方面の村国将軍、大和方面の紀将軍、そして越・大津宮方面の羽田将軍、オオシアマ軍の四将軍が一人も欠けることなく揃って王の元へ帰還したのだ。その後ろには、多品治、置始菟、文祢麻呂や国宰らが続く。もちろん最先頭には、総司令官タケチ王子が背筋をしっかり伸ばし前を見据えて将官を率いている。

「勝ったんだな、本当に」

「はい。おめでとうございます」

 息子の姿を見た瞬間、オオシアマの目頭が熱くなった。しばらくは甘えさせてあげようと、この時ばかりは父親の気持ちに戻り、大切な長男を無事に帰還させてくれたオオヒルメ大神に心の底から感謝した。

 将官たちは馬を従者に引き渡し、陣内のオオシアマの御前へ参上した。タケチが第一声を上げる。

「ただいま戻りました。敵軍は壊滅し、総司令官オオトモは自害の後に従者により斬首。首は既に失われていて発見できません。両大臣、御史大夫は生け捕ってございます」

「ご苦労だったな。……オオトモは死んだか」

「はい」

 すると、タケチの横に脆いていたオヨリが何かを掲げて、オオシアマに差し出した。藍色の錦の切れ端に短刀がくるまれている。

「これは敵総司令官の遺品です」

 オオシアマは若くて溌剌とした弟のような甥の姿を思い起こした。もっと悲しく、涙が溢れてくるかと思ったが、オオシアマの心に沸き上がるものは何もなかった。オオトモに対する一切の感情を、戦を始めようと吉野を発った時から徐々に封印し、消滅させていたのだ。もしオオシアマが同情を表現してしまえば、かえって自分の行為の正当性を薄めてしまうことになる。

「逮補者の処罰が終わったら、オオトモの遺体を然るべき場所に葬ってやれ」

「承知しました」

「……しばらく多忙が続くぞ。明後日から職務再開だ。それまで、仮宮で休め」

 将官たちは重厚な武装を解除し、通常の武官服に着替えた。桑名の兵站基地からは質の良い酒や食事が届き、野上の仮宮は晩夏の宴会場と化した。

「いやー、黒部郎女にこうして酒を注いでもらえるなんて夢のようです。死ぬ気で戦った甲斐がありましたよ!」

 大和方面将軍は上機嫌で、今にも歌を歌いそうな勢いで置始菟の肩を抱きながら酒をあおっている。

「オヨリ殿……そんなに飲んだら明日、二日酔いで死にますよ」

 酒に弱い菟は、実に楽しそうなオヨリを呆れた目で見つつ、貴子にお茶を注いでもらっている。

 りらは古代人との会話ができなくなってしまったので、陽一の隣を離れず、オオシアマとタケチの御前で食事をしていた。久しぶりに側近のヒロとチトコも揃っている。

「何はともあれ、リラとヨウイチが無事で良かったよ。クシナダヒメ様に申し訳が立たないからね」

「父さん、リラの勾玉はどうしよう?」

「今、出雲の玉造部に最高級の勾玉を造らせてる。それで代わりになるかはわからないが……」

 オオシアマはりらと陽一に向き合って、言った。りらには陽一が通訳をしてやる。

「ありがとう。大事な玉造部まで巻き込んで申し訳ない。それに、勾玉問題が解決するまではこっちで世話にならなきゃいけないし……」

「いや、気にするな。好きなだけこの世界にいていいから。飛鳥に戻って俺が中つ国の王になる瞬間を、ちゃんと見届けてもらわないと」

 ここでオオシアマは陽一に酒を注ぎ、―呼吸置いてから告げた。

「そうそう、二人にはちょっと手伝ってほしいことがあるんだ」

「できることなら手伝うよ。何なの?」

「できなくても、やる。俺の新しい中つ国、つまり日の本の国の構想の一部だからね。ヒロとチトコに補佐をさせるから」

 その手伝ってほしい内容とは、簡潔に言えば、中つ国の正しい歴史を一つの書にまとめるというものだった。オオシアマは出雲王国を甦らせるには、大和の人々が語ってきた歴史を出雲の視点に修正しなければならないと考えていた。

 そのためには、まず神々の世界を描く必要があり、それから時代を追って出来事を書いていく。そして最後には今回の戦について細かく説明するのだ。

「それで、私たちが適任ってわけなんだね。一番重要なイズモ王国の歴史を実際に見てきたから…… ねえ、陽一さん、やってみようよ」

 一通り陽一から説明を受けると、りらはすぐに明るい顔になり、引き受けると言い出した。面白そうだという理由もあるが、本当は桜児のことで相当滅入っているらしい陽一の気を紛らわせるにはうってつけの作業だと思ったからだ。何か一心に集中することがあれば、桜児の悲劇を考えないで済むだろう。それに、この作業をする限り、二人はいつもー緒にいられる。一石二鳥ではないか。

「オオシアマ、俺たち引き受けるよ」

「感謝する」

「だけど、最近の出来事は別として、イズモ王国の滅亡より先の話は全くわからないんだ。それをどうやってまとめるの?」

 ヒロとチトコの出番だった。大津宮や自宅から前もって持ち出してきた、断片的なたくさんの過去の時代の記録や伝承が、吉野宮に置いてある。それらを読み上げて、陽一とりらに整合性がとれるようにまとめてもらうのだ。

オオシアマはりらの驚くほどの記憶力と物語りの巧みさを、十二分に知っていた。

「りらさんは、お話を考えたり、語ったりするのが好きだから適任だね。通訳介さないといけないから、時間かかっちゃうけど」

「急いで進める必要はないよ。君たちがここにいる間に、少なくとも出雲王国と最近の戦の部分だけ、完成させてくれればね」

 丸々二日間の休息の時を経て、不破の地は再び緊張した空気に包まれた。逮捕者と捕虜の尋問が始まったのだ。同時に、即位のため飛鳥宮を整える準備も指示がなされた。

 野上の仮宮から音が聞こえない場所に何棟もの竪穴式住居が設置され、逮捕者と捕虜が収容されている。捕虜の兵士たちは一人ずつ氏名と本貫地を調査し、故郷に帰りたいと望む者は解放し、この地に留まりたい者は雑人として衣食住をあてがうことになった。

 逮捕者はオオトモ側の重臣三名、将官十名、戦の間に狼籍をはたらいた戦犯者が三十七名だ。彼らに対しては厳しい取り調べが行われ、時に笞が振るわれる。たいていの者は観念して大人しくなり、自分の運命を静かに受け入れていたが、ただ一人、中臣金のみがオオシアマとタケチに呪詛の言葉を吐き続け、取り調べの兵士たちを手こずらせていた。

戦が終わり五日過ぎた日の夕刻、竈から炊飯の湯気が上り始めた頃に、謎の男女四人が仮宮の正門に到着した。うち二人の男は頭から布をかぶって顔がよく見えない。四人はさも当然とばかりに正門を通過しようとしたが、守衛兵によって行く手を阻まれてしまった。

「ちょっと! あたしたちは味方よ! 今までここに住んでたんだから通して」

「味方だと? では名乗れ」

「サララ様の女嬬のミキよ。こっちはオオシアマ様の舎人のタツナリ。ヒロとかオヨリ将軍がいたら一発でわかってくれるんだけどな」

 美輝が守衛兵とにらめっこしている間、竜成は門の内側を観察していた。通りすがりの顔見知りに声を掛けようと考えたのだ。

 守衛兵が美輝の背後に立っている顔の見えない男たちに目を付けて、誰だと検めようとした時、竜成が「おおい!」と叫んだ。

 あれ、聞いたことある声がする、と訝しく思った陽一は正門にいかにも怪しげな男女がいることに気づいた。そして、急ぎ足で門の付近の柵に駆け寄る。

「無事だったのか、竜成!」

こうして謎の男女は晴れて不破の陣内へ足を踏み入れることができたのだった。だが、陽一が顔を隠した男二人の正体を尋ねても、竜成は「いいから後で」と言って答えない。

舎人の控えの間に通された竜成は、りらと貴子も呼ぶよう、女嬬に頼んだ。

「さて、そろそろ顔を見せようか」

 竜成に促された男二人は、頭の被り物を取り除いた。

「やっぱりお前か、潤」

 そう言う陽一の表情は強張り、一切の愛想もない声だ。潤は初めて武器を持たない男から剣呑な雰囲気を感じ取り、ただ一言、「ただいま」という音を絞り出した。

「ただいま?! ふざけんじゃねえよ!」

 驚くべきことに、普段は冷静で戦でも逃げ回る方が得意な陽一が、腹の底から怒りを露にして潤の胸ぐらをつかみかかった。

「こっちはな、いつお前がオオシアマを裏切るのか気が気じゃなかったんだぞ。もしお前の下手な行動で歴史が変わってしまったら、どう責任取るつもりだったんだよ!」

 隣にいた麻呂がすっかり気圧されて、竜成に何とかしろと視線を送っている。しかし、陽一は無視してなおも言い募った。

「あのな、お前が薄情な男だとは思わなかったよ。黒部さんよりも負け犬になる王子の方が大事だったのか?! どんなに黒部さんが苦しんでたのかわかってんのか?! なんでお前が守ってやらなかったんだよ!」

 潤は黙って陽一の怒りを受け入れた。陽一が力一杯殴りかかり、床に尻餅をついてしまっても反論や反撃はしなかった。陽一の言うことはいちいち尤もなことだからだ。

 しかし、謝罪も弁解もしない潤の態度はさらに陽一を激怒させ、陽一は潤の腕を無理矢理掴んで立たせようとした。

「なあ、陽一、その辺で止めとけ」

さすがに、騒ぎが大事になるのはまずいと思った竜成が仲裁に入る。

「もう終わったことじゃないか。こうやって無事に帰ってきたんだし……」

「竜成までこいつの肩を持つのかよ。勝手な行動取って、俺たちの誰かか全員が未来に戻れなかったら、一体どうする――」

「ねぇ、もう潤くんを許してあげて!」

陽一の怒りを遮るようにして、貴子が叫んだ。後ろには不安そうに恋人の様子を伺うりらの姿があった。

「貴子……」

ぼろぼろと涙をこぼしながら貴子が潤に近づくと、潤はその場にひれ伏した。

「申し訳ない! 許してくれとは言わない。俺は……俺はあなたを二度も裏切ったんだ…… 会わせる顔がないのに、戻ってきてしまった……」

 貴子はじっと潤の背中を見つめていた。長いこと戦場を駆け巡り、衣は汗と泥と血で汚れている。しかし貴子にとってどんな背中でも、潤のものには変わりなかった。貴子は自分も膝を付くと、目の前でうずくまっている戦いに敗れた男の首筋にすがり付いた。

「また会えて、良かった……」

不安と恐怖の中に一人置き去りにされたにもかかわらず、貴子はどこまでも潤を信じ、そばにいることを願った。もはや他人の陽一が口を挟む余地はない。そして潤もまた誓った。

「貴子、もう君を一人にしない。絶対に!」

不安と恐怖の中に一人置き去りにされたにもかかわらず、貴子はどこまでも潤を信じ、そばにいることを願った。もはや他人の陽一が口を挟むことではない。そして潤

もまた誓った。

「貴子、もう君を一人にしない。絶対に!」

「うん」

再び心を通わせることができた仲間の姿を見て、りらは陽一の腕にそっと手を乗せた。

「……本当は陽一さんも、五十里くんのことすごく心配してたんだよね」

仲間に対してあれほど激しい怒りを露にした恋人の胸のうちを、りらはちゃんと知っていた。陽一はほっとしたような決まりが悪そうな顔をして、ふいとりらの微笑みから視線を外してしまった。いつも心を照らしてくれるその笑顔はいつになく眩しかった。

その後、潤と麻呂は湯に浸かり、新しい衣服を身につけ、たらふく食事を採り、ようやく元の舎人の姿に戻ることができた。

竜成がオオシアマに「会ってほしい男たちがいる」と告げると、オオシアマは仕事を中断して舎人の控え室に足を運んだ。

そこには恐縮して平伏している男たちがいた。一体何者であろうか。

「顔を見せてくれ」

かつての主人であり剣の弟子であるオオシアマの懐かしい声だ。麻呂は生きた心地がしなかったが、再びオオシアマの顔を拝する嬉しさを感じながら頭を上げた。

「……驚いた。まさか、お前たちだったとはな!」

「お久しゅうございます、オオシアマ様。私は一度、敵の側近としてオオシアマ様の軍に刃を向けました。こうしてまた御尊顔を拝することができようとはつゆ思いませんでした。もう思い残すことはございません。如何なる処罰も受ける覚悟でございます」

麻呂は穏やかな顔で滔々と思いを述べた。本当に甘んじて処罰を受けるつもりだった。しかし、オオシアマは眉間に皺を寄せて言う。

「麻呂…… それは本心か。処罰を望んでいるのか」

「…………」

「麻呂、ジュン、よく戻ってきてくれた。今まさに、大津宮側の罪人を選定し処罰を検討している最中だが、俺は戦に乗じて悪行を働いた者と重臣のうちの最も罪ある者しか処刑しないことに決めている。だから、お前たちのこれまでの行動については不問に付す。他の者たちと同じ条件だ。心苦しく思うことはないよ。むしろお前たちは最後までオオトモの忠臣としてよく仕えたのであろう」

 それは、オオトモの自害後に首を斬って隠したということを暗に言及していた。

「……首をお探しになるのですか?」

「いや、そんなことをしたらお前たちの忠義が水の泡になってしまう。それに、探したところできっともう見つかるまい」

「はい、重しを付けて、近江の湖に沈めましたから……」

 麻呂はその時のことを考えるといかにもつらい、という感じで返答した。もちろん、オオトモは健在で、今頃は尾張沖あたりを進んでいる頃だ。

「また俺に剣を指導してくれるか、麻呂? 戦だったくせに、俺はしばらく不破を動かず、体が鈍ってしまったよ」

「もったいないお言葉です。命ある限り、オオシアマ様とご子息に身を捧げる所存でございます」

 このところ泣いてばかりだ。オオトモの不遇を嘆き、しかしその若い男の臣下への気遣いに感動し、今また旧来の主人に迎え入れられている。麻呂は自分がどれほど幸運な道を歩いてきて、そしてこれからもその道を歩いて行けるか身をもって知った。命ある限り、この新しい王の手足となり働こう。

 麻呂のこの日の決意は、真実、左大臣にまで昇り詰め、七十八歳でこの世を去るまで揺らぐことはなく、その死に際しては悼まぬ者はいなかったという。

 オオシアマは麻呂に向けていた視線を潤に移した。

「ジュン、気分はどうだ? 一度、愛する女人から離れてしまった気持ちは?」

 てっきり裏切り行為に言及されるものだと思っていた潤は、思いがけない質問に面食らった。しかし、この問いかけがオオシアマ流の気遣いなのだと気づくと、潤はオオシアマを真っ直ぐに見据えて答えた。

「もう絶対に、貴子を一人にしないと誓った」

「ああ、それがいい。あんなに素晴らしい女人を放っておくと、すぐに他の男に取られてしまうぞ」

 オオシアマは明朗に笑った。


 暦の上ではとっくに秋なのに、不破の空は夏の残照が居座り続けていた。戦が終結してからそろそろひと月が経過しようとしており、逮捕者の処罰を最終決定しなければならない時期だ。

 この時、思いがけない出来事が発生した。尾張国から二万の兵を率いてオオシアマ軍に従った尾張国宰の少子部鋤鉤ちいさこべのさひちが姿をくらまし、捜索に当たった兵士によって山林の中で遺体となって発見されたのだ。

「なぜ罪もないのに死んだのか。鋤鉤の軍勢で我が軍の兵力は力を得たというのに」

 オオシアマは訃報を聞いてつぶやいたが、そもそも鋤鉤は大津宮から派遣された国宰としてオオトモ軍に帰属するつもりでいた。しかし、鋤鉤の軍勢が取り込まれたのは敵方であった。一度は、身の上を諦めてオオシアマ軍の幕僚の一人として任務をこなしてはいたものの、裏切り行為が許せずに自ら命を絶ったのだ。

「鋤鉤はそれほど大王に忠誠を誓っていたとは思いません」

 かつて大津宮で御史大夫として諸国の国宰を選定し派遣する責務を負っていた紀大人が、意外なことを言った。

「ただし、仕事には熱心、お役目第一の男という評判でした。だからこそ、私は国宰に任命したのです。大津宮からの指示を忠実にこなす人物だろうと」

「では、鋤鉤は与えられた国宰という立場を全うできなかったという自責の念に駆られて死んだのか」

「はい、おそらく……」

 それはオオシアマ勢の個人的な紐帯と忠誠心が、カヅラキが構築しようとしていた官僚的な統治に勝利したということを意味していた。だが、いつまで自分が築き上げてきた臣下と自分の個人的な絆が、新しい統治を支える根拠になり得るかという問題は、オオシアマにーつの課題を与えることとなった。

 八月二十五日はあいにくの曇天そして時々小雨であった。しかし、逮拙者の処分を発表するには相応しい空模様であったかもしれない。

 仮宮から離れた収容所の広場に、オオシアマとタケチ、その他の群臣が並んだ。その反対側には、全ての逮捕者が両手を後ろ手に縛られた状態で筵の上に座り、己に下される判決を待っている。

「タケチ、これに各人の処分内容が書いてある。お前が宣言しろ」

 タケチは父親から命じられた通り、広場の中央に進み出て木簡を読み上げた。この手の中に、目の前に並んでいる男たちの命運が握られていると思うと、震えを感じずにはいられなかった。

「以下の八名を極刑に処す――」

 ここに名が挙げられた者たちは戦の混乱を利用し、戦闘から離れて民家を焼き、略奪や女子供に暴行を働いた罪で死という結末を告げられた。ただし、最後に読み上げられた者は逮拙者の中で最も高位にある人物だった。

「そして、最後に右大臣中臣連金。大津宮において主導的立場にあり、さらに積極的にオオシアマ王を呪誼し、神々を機した罪で斬首とする」

「な、なぜ私だけ極刑なのだ!」

 右大臣は息巻いて反抗した。到底納得できる処分ではない、と。しかし、タケチは父が「何も言うな」と首を振って示すと、木簡の続きを読み上げた。

「……以上の者の刑の執行は浅井田根の地で行う。次に、左大臣蘇我臣赤兄及びその子は土佐へ、御史大夫巨勢巨人及びその子は稲葉へ、右大臣の中臣英勝は上総へ、そして故御史大夫蘇我臣果安の子は豊後へ配流とする。この他の者は全て罪に問わず釈放する。これにて犯状宣言を終える!」

 あっという間に広場はざわめき立った。重臣の一人を除いては流罪、その他は皆赦すというのはあまりにも軽い処分だったからだ。だが、命拾いした二人の重臣は敢えて危険を冒して、同僚であった右大臣の命乞いをしようとはせず、流罪の宣告を聞いた後は沈黙に徹していた。

 赤兄と人の息子はまだ幼かったが、もしかしたらいずれ中央に戻って仕官が叶うかもしれない。噂ではオオトモの最側近であった物部麻呂が赦されて、再びオオシアマに召し抱えられたというではないか。

「スケープゴートってわけね、中臣金は」

 歴史書の編纂作業に携わり、戦後処理には一切関わっていなかったりらが陽一に言った。

「そう、オオシアマの目的は敵の殲滅じゃないからね。ただ王の座と新しい最高神が手に入ればそれでいいんだよ」

 オオシアマの考えを代弁した陽一の後ろでは、潤が少し速くなった鼓動を感じながら先ほどの宣告を反芻していた。

 中臣金の息子が上総に配流――

 上総には逃がしたオオトモとミミモ姫が向かっている。この流刑地は偶然か、それともオオシアマが実は何らかの情報を得ていたのか。しかし、潤にはそれを知る術はなかった。

 極刑を言い渡された八名はすぐさま息長氏に引き渡され、不破から二十キロメートル離れた刑の執行地へ移動させられた。息長氏の管理下にある浅井田根の地が、右大臣の最期の場所となった。

 二日後、まるで邪気が清め払われたかのように清々しい風が不破を駆け抜けていった。

 この日は打って変わってお祭り騒ぎとなった。というのも、タケチが戦の功労者を発表し、その功績を称えたからだ。オオシアマに言わせれば、関係者全員が功労者ということになるのだが、取り急ぎ、各方面の将官と瀬田橋で斬込みを行った大分稚臣おおきだのわかおみを表彰し、大々的な宴の席を設けることにしたのだ。慣れ親しんだ不破を後にする日も間近に迫っている。

 オオシアマの宴らしく、将軍も舎人もさらに下の身分の雑人も関係なく美酒が振る舞われ、久しぶりに博打大会まで開かれた。オオシアマの直轄地である安八磨評からは芸能集団が招かれ、様々な滑稽な芸が宴を盛り上げた。美輝もその一行に加わって華麗なる舞踏を披露したことは言うまでもない。

 りらの目論見通り、この頃には陽一の桜児への後悔の念は薄らぎ、潤とも再び打ち解けて戦が始まる前と同じ朗らかさを取り戻していた。皆が大いに笑っていた。

 だが、功労者として名前が挙げられたにもかかわらず、大分稚臣だけがただ一人、浮かない顔をして宴席の端に座り込んでいた。漆黒の空に見え隠れする月を、じっと見つめて視線を漂わせているのだ。それは何かを探し求めているかのような苦痛に満ちた姿だった。


 九月八日、既に捕虜も逮捕者の姿もなく収容所は畳まれていた。それどころか、不破の陣全てがきれいに片づけられ、戦の指揮が執られていたことを思わせる物は一つも残されていなかった。

 不破での最後の朝餉が終わり、東に向かってオオヒルメを遥拝すると、オオシアマとタケチを乗せた車駕が安八磨の津に向けて動き出した。その後ろをぞろぞろと舎人と女孺と雑人たちが付き従う。今日はいよいよ桑名評で妻や娘たちと合流をするのだ。

「クサカベたち、元気かな」

 車駕に揺られながら、タケチは父に話しかけた。ちょっと揺れが大きいので、しゃべっていなければ酔ってしまいそうだ。

「ああ、元気だよ。戦火が及ばなくて本当によかった。でも、きっと皆心細かっただろうから、弟たちに優しい言葉をかけてやるといい」

「うん、そうする! ねぇ、父さん?」

「なんだ?」

「父さんは、これから本当の王さまになるの? 僕やクサカベやオオツは?」

「まず、飛鳥に住む場所を整えないとな。それから中つ国の王になることを皆に宣言しよう。お前たちは、そうだなぁ、また武芸と学問に励め。吉野に遊びに行くか? 角乗という修行者がいるから教えてもらえ」

 去年の秋に、父が大津宮と決別してからというもの、タケチの見える景色が嵐のように変化した。竜成と凡海郷に行き、たくさんの漢学を学び、出雲王国のことを知った。挙兵した父に合流してからは、総司令官という重大な責任を負わされ、自分で考え行動し軍を率いなければならなかった。

 クサカベとオオツ、それにオサカベとはたいして歳は違わないが、己一人だけ特別な経験をしてきた。弟たちはそれぞれ母親と共に、遠く戦場から離れた場所で過ごしていたのだ。それもこれも、タケチが長男で、しかも海人族の母の血を受け継いでいるからだ。

「僕は父さんの跡を継ぐことになるの?」

 特別な扱いを受けたからと言ってそれが王の資格になるわけではないだろうと思うが、自分の将来がどうなるのかはタケチの一番知りたいことだった。

 戦をしてわかったことがある。人の上に立つ人間は、たくさんの命を預かっているということだった。もし自分が正しいと思っていることを実行しようとすれば、それに反対する人たちとぶつかることになる。話し合いで解決できるくらいの問題ならとにかく、どの神を敬うかだとか、誰の血統を王にするかだとかは話し合いではどうにもならないのだ。

 それでも父は戦の道を選び、勝利した。しかも剣を交えた相手は、ずっと可愛がっていた甥だ。父は何でもない顔をしていたけれど、本当は胸の内ではどう思っていたのだろう。苦しくはなかったのか。

「タケチ、お前は俺の跡を継いで中つ国の王になりたいのか?」

「……わからないよ。僕は父さんみたいに強くなれない。王になったら、すっごくつらいことばかりだと思うんだ」

 もともと思慮深い男の子だったが、タケチが王たる者の本質を理解し始めていたということに、オオシアマは感動を覚えた。子供の許容範囲を超えるほど、タケチは様々なことを学んだようだ。

「お前は強いよ。賢いし、自慢の息子だ」

「本当?」

「ああ。だから、しばらくは王のことなんて考えるな。もっと楽しいことを考えたり、遊んだり……。そうだ、気になる妹はいないのか?」

「えっ。……いるよ」

「凡海郷で美人でも見つけたか?」

 父は楽しそうに笑っているが、タケチは顔を真っ赤にして父の質問を否定した。確かに、凡海郷にはきれいな女の子がたくさんいて、アラカマなどは「気に入った女人がいたら将来の妃にして差し上げなさい」と言っていたが、全然気乗りしなかった。それは海人族という血統のために妃を選ばなければならないという、大人の事情だったからだ。その頃、大好きだったトオチ姫が恋しく思われたが、一人で北海(日本海)を眺めていた時にふと、トオチ姫は既に他人の妻で、しかも今では敵側にいるのだということに改めて思い至ると、自分が大事に抱いていた恋い慕う心が傷つけられたような気がしてしまった。

「……僕が好きなのは、ミナベ姫だよ」

「あんなに興味なかったのに、どういう風の吹き回しだ」

 オオシアマは息子の正直な告白に驚き、そして笑った。

「父さんとカヅラキ大王が、ミナベを僕に、って勝手に決めてたからだよ。でも、僕が凡海郷にいる時に、ミナベが手紙を送ってくれたんだ。僕の好物を知ってたんだよ!」

「葛餅か?」

「そう。作る練習をして、戻ってきたら僕に食べさせてくれるって書いてあった。それに、手習いも裁縫も頑張ってるって。……僕、ミナベがそんなに一生懸命な子だって知らなかったよ。だから、僕、戦をがんばることにした」

 あのタケチの総司令官ぶりは、ミナベの気持ちに支えられていたらしい。オオシアマは自分が人質として飛鳥に連れてこられた後、何度も逃げようとして次第に諦めて、飛鳥の男として生きる覚悟をさせたのがサララの存在だったことを思い出した。既にオオタとサララ姉妹が将来の妃として約束されていたが、当時の姉のオオタはサララ以上に気が強く、色黒の得体の知れない異国の王子に近づこうとしなかった。その代りに何かと纏わりついてきたのがサララだった。

「じゃあ、なおさら、王のことなんか考えないでミナベ姫と楽しく話したりすることを考えるべきだな。優しくしてやらないと、すぐに機嫌が悪くなるぞ」

 息子との楽しい会話のおかげで、安八磨の津には早く到着した気がした。ここからは乗船し、安八磨の海を養老山脈沿いに南下して桑名へ向かう。

 桑名の津に接岸したのは、日暮れの手前頃のことだった。

 津にはサララ以下、全ての家族と桑名評督、そして豪族の尾張大隅がオオシアマたちを出迎えるために待っていた。

 先日、衣替えを終えたばかりのサララの裳は柿色と松色の生地でふんわりと秋の風に揺れている。

「オオシアマ!」

 夫の元気そうな姿が目に入った途端、サララの瞳から真珠のごとき大粒の涙が溢れ出てきた。一人でこの桑名で兵站業務の責任者としてやってきて、どれほど夫の役に立てたかはわからないが、こうして夫は無事に戻ってきた。臣下たちはよく働いてくれたが、それは夫の存在の代替にはなり得ない。子供たちの世話をしつつ、全軍の食糧の面倒を見るなどもうこれきりにしたいものだ。

 サララはオオシアマが車駕から降りると、一目散に駆け出し、夫に抱きついた。

「おかえりなさい」

「ただいま。変わりはないか?」

「……はい」

「泣くなよ。勝ったんだぞ」

「……はい」

 何を言っても、感極まって「はい」しか返答しない妻に苦笑し、オオシアマはサララの背中を優しく撫でた。そして、車駕に残っているタケチを抱き上げて、地面に降ろす。

「うわぁ、く、苦しいよ……」

 タケチは突然、力強く抱きしめられて驚いた。上品な香の匂いが鼻腔をくすぐる。

「あなたはオオシアマの立派な息子だわ。よくがんばったわね」

 サララは夫の代わりに前線で指揮を執っていたという幼いタケチをその腕に抱いた。オオシアマの別の妻の子ではあったが、今や我が子同然に掛け替えのない息子だ。時々、不破から届く戦況を聞いて、夫以上にタケチの身を案じた。

「サララ様、皆はお元気ですか? 不自由はありませんでしたか?」

 きっとオオシアマが皆を案じるようにと教えたのだろう。甘えたいだろうに、戦が終わってもそれが許されないなど、あまりに不憫だ。

「ええ、皆、元気よ。あなたの帰りを首を長くして待ってたわ。ねぇ、タケチ」

「はい、何ですか?」

「……私を母さんって呼んでいいのよ。もちろんあなたの本当の母はアマコ姫だけど、私はあなたを自分の子のように大切に思ってるの」

 タケチは目を丸くした。いつも気丈で明るいサララが、目を赤くし声を震わせている。それは、自分を案じていたあまりのことだと、タケチは理解した。本当の母でもない人が、こんなに心配してくれ、母と呼びなさいとまで言ってくれている。

 「母さん……」

 タケチはサララの背中に両腕を巻き付け、ぎゅっと抱きしめた。やっぱり記憶の中にいる本当の母とは違うけれど、とても幸せな気持ちになった。

 なかなかサララはタケチを離そうとしなかったが、弟たちの呼ぶ声がタケチの耳に入った。

「タケチ兄さぁん、おかえりー」

 飛び跳ねながら大きく手を振っているのはオオツだ。その横でにこにこ笑っているクサカベは、アエと手を繋いでいる。姉のオオクはまた少し大人びたように見える。タケチは一目散に大好きな姉弟たちの輪に入っていった。

 尾張大隅の私邸に入り、久しぶりに揃った家族は夕餉をいただきながら歓談を楽しんだ。大きな広間に卓子をずらりと並べて、近侍の舎人や女孺たちも勢揃いしている。まるで旅館の宴会場みたいね、とりらは思った。

 旅館と言えば、玉造温泉での出来事が遥か昔のように思われた。もしあちらの世界も同じように時間が過ぎて行っているのなら、祖母の豊子は突然姿を消した孫娘の安否と行方を死ぬほど心配しているだろう。今や、クシナダヒメの作戦は成功裏に終わった。オオシアマが中つ国の王になるのだから、もはやタカミムスヒは最高神の座を追われることになり、そこには新しい太陽の女神が君臨する。

 これでりらたちは元の未来に戻れるはずだ。とはいえ、クシナダヒメは帰還する方法は教えてくれなかった。ある日突然、明日にでも未来に戻ることになるかもしれないし、この先、数ヶ月、いや一年以上も音沙汰がないかもしれない。

「皆で食事をすると、旨さが増すな。大隅、この度は桑名評督と共に兵站基地を支えてくれて、感謝する」

「もったいないお言葉にございます。私めはこの私邸をお貸ししたまでで、サララ様のご尽力には遠く及びません」

 恐縮しつつも、褒められて悪い気はしない。大隅は満面の笑みを浮かべた。そして、大事なことを思い出したように、「ああ、そうだ」とつぶやいた。

「オオシアマ様、兵站基地でご活躍されたのは大人だけではございません。オオク姫のお話をせねば……」

 弟の隣でツブ貝の汁を掬っていたオオクに、大人たちの視線が集まった。大隅によれば、オオクは毎日、戦の勝利と弟の無事を祈ってオオヒルメ大神に祈りを捧げていたという。

 オオヒルメ大神に祈るということを決めたのは、オオク自身だった。クサカベとオオツは舎人と共に、軽い荷物を運んだりして兵站の一翼を担っていたが、女子であるオオクとアエには仕事が振り分けられなかった。そこで、オオクは力仕事ではない自分の役割を模索し、その結果、オオヒルメに祈ることなら自分にもできるという考えに至った。

 桑名評家は小高い丘の上に立っており、少し急な坂を下ると伊勢湾に面した浜辺に出る。付近には整備された津もあった。現在では揖斐川と木曽川に挟まれた中州の長島が存在するが、七世紀は桑名から熱田神宮までの約二十キロメートルの範囲は伊勢湾の一部であり、太陽の昇る東を見れば水面がどこまでも輝いていた。

 オオクは早朝、日の出前に起床して私邸の井戸で身を清めた後、まだ薄暗い中、丘を下って浜辺に座った。そして、じっとオオヒルメが目覚めるのを待ち、すっかり太陽が天高く移動するまで祈り続けた。朝のうちは潮風が心地よいが、一度オオヒルメが起きるとぐんぐんと気温は上昇し、砂浜も熱を帯びてくる。何と言っても真夏なのだ。

汗にまみれ、素足もひりひり痛んだが、それでもオオクは毎朝祈り続けた。

「オオク、足を見せてごらん」

 大隅から娘の健気な姿を告げられると、オオシアマは胸が痛んだ。戦場にいなくとも、この娘は一人で戦い続けていたのだ。

「父様、足はだいぶ治ったのよ」

 毎日、熱のこもった砂浜の上に座っていたせいで、低温やけどを負ってしまったオオクの足はまだ少しだけ赤みが残っていた。

「お前は強くなったんだなあ。でも、どうしてこんな無理をしたんだ?」

「……父様の役に立ちたかったの。ほら、男の子は…… タケチは戦ってるし、クサカベとオオツは荷物を運んだりしてるし…… 私はまだサララ叔母様みたいにはなれないけど、私も一緒に仕事がしたかった」

「では、勝つことができたのは、お前のお蔭だな。毎日お祈りして、オオヒルメに通じたんだよ。ありがとう、オオク」

「はい!」

 オオクの意志の強さは母親譲りなのか。オオシアマを真っ直ぐに見つめる瞳に、亡き妻オオタ姫を見た気がした。

普段は控えめな娘なのに、本質的な性格は母や叔母であるサララとそっくりだ。それに、自ら祭祀を選ぶのも王の娘としての素質が十分表れている。これは成長したら手に負えない娘になるかもしれないな、と嬉しい反面、オオシアマは苦笑した。

 九月九日、巳の刻になるとオオシアマ一行は桑名評家を発った。夕刻に鈴鹿評家にたどり着き、宿泊する。そして、一日ずつ、伊勢の阿閉、名張と進み、途中で宇陀の宍人氏に戦勝報告をするとそこでは泊まらずに飛鳥の嶋宮を目指した。

 飛鳥の地に足を踏み入れたのは、既に日が落ちてからだった。薄暗くて周囲の様子ははっきりとはわからないが、嶋宮はよく整えられ、煌々と明かりが灯されていた。

「帰ってきた、俺たちの飛鳥に……」

 言いながら、オオシアマはサララの肩を引き寄せた。

 大津宮に遷都してから五年の歳月が過ぎていたが、再びこの国の中心は飛鳥となるのだ。執政と生活の場は、母タカラ大王が住まいした飛島岡本宮と決めているが、始めに嶋宮へ立ち寄ったのには理由があった。最大と言っても過言ではない、残された戦後処理をするためだ。

 中庭に面した部屋の端からぼやけた月明かりを眺めていると、ここは極楽というところなのではないかと思ってしまう。思うだけではなく、真実であればいいのに、とヤマト姫は嘆かずにはいられなかった。

「私はもはや大王ではありません。そして、継がせるべき人も失ってしまいました」

呆けたように、ヤマト姫は側に控えているヌカタに言った。

 山科に滞在中、もたらされる情報のほとんどがヤマト姫たちを落胆させるようなものばかりだった。将軍たちの死、指揮系統の混乱、敗退、そしてオオトモの自害-。反乱軍の圧勝であった。

 オオシアマともオオトモとも血の繋がりのないヤマト姫は、夫のカヅラキ大王の死後、宙に浮いている気分だった。オオトモの後見として大王の座に就いたものの、すぐさまオオシアマが離反し挙兵に至った。オオシアマの狙いは中つ国の王の地位であったが、明らかに現大王のヤマト姫ではなく将来の大王となるオオトモのみを視野に入れていた。

「ヤマト姫様、オオシアマはヤマト姫様を蔑ろにするようなことはしないはずです。彼の目的はオオトモだったのですから」

 行く末を不安に思っているであろうヤマト姫を、ヌカタは慰めた。その時、懐かしい声が背後から聞こえた。

「その通りです、ヤマト姫」

 その声はヌカタの元夫オオシアマのものだった。

 夜も深くなり子供たちが就寝した後、オオシアマはサララを伴って嶋宮に呼び寄せたヤマト姫を訪れた。

「あなたは先の大王を、私の夫を否定するのですか?」

 敵の総大将とも言うべき男がひょっこり現れ、ヤマト姫は相手が何か話し始める前に口を開いた。真っ直ぐに見つめる瞳は鋭かったが、その口調は穏やかだった。

「誤解されませんように。俺は兄上を否定したくて戦を起こしたわけではないですよ。ただ、中つ国が祀るべき神を改めたかっただけです」

 オオシアマはヤマト姫の前にゆったりと腰を下ろした。ヌカタの前にはサララが座る。

「本当に大それたこと。けれど、夫もその後継者も亡くなった今、もはや私はあなたの政治に関心はありません。どうぞ、臣下と同様に遠方へ流すなりお好きになさい」

「いえ、ヤマト姫様に罪はありませんよ。しかし、お役に立っていただく時期まで、こちらの嶋宮にて静かにお過ごしください。不自由はさせません」

 オオシアマは笑顔で処置を告げたが、これは実質的に軟禁するということだった。役に立つ時期というのが何なのかはわからなかったが、ヤマト姫は承諾した。既に居場所のない老いた身にしては上等な扱いだった。

「それにしても……」

 ヤマト姫は悲しそうにため息をついた。

「オオトモの妻たちが不憫でならないわ」

 山科で大津宮の敗北とオオトモの死を知った、オオトモの幼い妻トオチは泣き崩れ、「私も黄泉の国へ旅立ちたい」と何度も喚いては母のヌカタの胸を抉った。ヌカタは元夫を裏方で支援していたが、彼らの娘はオオトモの妻であった。

 山科から飛鳥へ移動する途中も、トオチは父への怒りと恨み言を繰り返していたという。

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