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幕間 麦原司の慟哭

【午後2時5分】

「あるとき、ねこは ひきこもりの ねこでした。

 ねこは、ひきこもりなんかきらいでした。

 ひきこもりは、毎日 パソコンに かじりついて、

 インターネットばかり していました。

 ある日、ひきこもりは ネットの最中、

 ヘッドフォンをしたまま 寝落ちしてしましました。

 その間に しのびこんだ 暴漢によって、

 ねこは ころされてしまいました。

 ひきこもりは うすぐらい部屋のなか、

 ねこをだいて 泣きました。

 ひきこもりは ひさしぶりに 外にでました。

 そして、小さなにわに ねこをうめました」


 薄暗い、やけに清潔な部屋の中で、(つかさ)の朗読する声だけがやけに響いて聞こえる。

「子供には聞かせられない話だね」

 本棚にもたれ掛かって座る司の正面、デスクトップのパソコンに向かった青年が、無表情でコメントを述べている。こちらを振り向きもしない。 

「だけど、オリジナルもだいたいこんな感じですよ」

「引きこもりがどうとか、インターネットがどうとか言う部分が、子供には聞かせられないって言ってるんだけど」

「そうでしょうか」

「そうだよ。第一、何か誤解があるみたいだけど、おれ、別に引きこもりじゃないからね」

「だって並木(なみき)さん、全然外に出ないじゃないですか」

「そりゃ君がいるからだよ。君が……ええと」

「司です。麦原(むぎはら)司。もう一週間以上一緒にいるんですから、いい加減、名前くらい覚えてください」

「人の名前覚えるの苦手なんだよ。まあ、頑張って覚えるけど」

 ――だったら。

 せめて、今くらいはこちらを見て話をしたらどうなのだろう。彼の視点は、ずっとパソコンモニターに固定されている。こちらを見る素振りすら、見せない。

 名前を覚えていないのは――本当はそれも許せないのだけど――まだ、いい。百歩譲って、我慢しよう。だけど、彼の、こちらに対する無関心さは、どうだ。

 何と言う、仕打ちだろう。

 気付かれないよう、強く、強く、自分の腿に爪を立てた。むず痒い感触と共に、四本の白い線が走る。それが何だかひび割れた心のように見えて、無性に哀しい気分になる。

「で、わたしが、何ですか?」

 沈む気持ちを気取られないように、話題を元に戻す。

「いや、だからさ、麦原さんが買い物行ったり、食事用意したりしてくれる訳じゃん? だからおれも外出する必要がないっつーか……」

「それがわたしの仕事なんで」

「正直、ありがたいとは思ってるんだけどね」


「……だったら、ちょっとはこっち見てくださいよ……」


 我慢できず、本音が漏れてしまう。言った瞬間、しまったと思ったが、もう遅い。一度口にしてしまった言葉を撤回することはできない。

「……ん? 何で? 関係ないじゃん」

「関係ない、って――」

「だって、ネット巡回するのが、おれの仕事だし。画面から目、離せないじゃん。麦原さんと話するたびにそっち見てたんじゃ、仕事にならないし」

「なるほど。合理的ですね」

 今度は、うまくいった。うまく本音を隠すことができた。また腿を引っ掻く。時間差を置いて、ヒリヒリとした痛みが襲ってくる。一つ嘘を吐くたびに一つ魂が死んでいく、と言った人は誰だっただろう? 今なら、その気持ちがよく分かる。

 本棚にもたれ掛かり、彼の背中を熱く見つめる。


 並木(なみき)慎次(しんじ)


 第一印象は、『薄い人』――だった。

 躰が薄い。胸板が薄い。腕も脚も、成人男性とは思えないほどに華奢で、力を込めただけで折れてしまいそう。とは言え、美智代(みちよ)のような病的な細さとも、また違う。どこか儚さを感じさせる『薄さ』なのだ。

 それに加え、色素も薄い。色白で、髪は栗色。無造作に伸ばした髪には、天然で緩くパーマがかかっている。その佇まいは、育ちのいい室内犬を連想させる。

 外見だけではない。中身も、薄い。人間的に薄っぺらいという意味ではない。淡泊で薄味、という意味だ。意思表示が薄い。興味が薄い。存在感が薄い。

 常に触れていないと、霞となって消えてしまいそう。

 強く捕まえていないと、いとも簡単に消失してしまいそう。

 どこか浮世離れしていて、現実離れしていて……司は不安になる。

 ずっと見ていないと。

 ちゃんと見ていないと。

 この人は――いなくなってしまう。

 

 並木慎次の存在は、司にとって全てだった。


 でも。

 だけど。

 だけれど。

 彼の視線が彼女を捉えることは、ほとんどない。彼の視界に自分は入らない。きっと彼の中では、自分は家具同然の存在なのだろう。当たり前だ。彼にとって、司は会って一週間ほどの、新城(しんじよう)に指示された組んだだけの、ただ、それだけの存在なのだから。


 カチカチとマウスをクリックする音だけが、部屋に響く。

 何も喋らない。

 すでに、こちらには関心を失ったらしかった。

「あの、私が何か話しかけるの、(うるさ)いですか?」

 思わず、聞いてしまう。

 普段の司は寡黙でクールで無表情で、積極的に人に話しかけるような個性の持ち主ではない。

 並木だからだ。

 並木だから、こんなに必死になって馬鹿みたいな話ばかりしているのだ。

「ちなみに、今のは、何?」

「私の創作です」

「二次創作でしょ?」

「否定はしません」

「別に、どうでもいいけど。――や、マジ、どうでもいいよ。おれには関係ない。話しかけたければ、そうすればいいし。おれはおれの仕事を進めるだけだから」

 ひどく投げやりな感じで、彼は言う。

『どうでもいい』とか。

『関係ない』とか。

『別に』とか。

 お願いだから、そんな風に人を突き放さないでほしい。時には、無関心が人の心を抉るということも、知ってほしい。貴方が無心でネットに興じているその後ろで、血を吐く思いで無表情を貫いている人間がいることに――気付いてほしい。


「――夕食の、買い物に行ってきます」

「おれ、別にヨーグルトとか、適当でいいけど?」

「わたしが食べたいんです」

「ふうん。まあ、何でもいいけど。行ってらっしゃい」

 半ば逃げるようにして、彼の部屋を後にする。

 取り敢えず、エレベーターまでは、大丈夫だった。

 だけど、エレベーターに乗り込んで、扉が閉まり、完全に一人になったところで――限界を迎えた。


「うううううううううううううう」


 壁に手を突き、ずるずるとその場に崩れ落ちる。食い縛った歯の間から、無様な呻き声が漏れる。必死で堪えていた涙が、堰を切ったように溢れてくる。こうなってしまうと、もう駄目だ。普段演じているクールで無表情な自分では、もういられない。


「ううううううううううううう」


 慎次さん――。

 慎次さん慎次さん慎次さん。

 将星(しようせい)大学大学院二年。埼玉県旧与野市出身の二十四歳。乙女座のA型。視力は悪くて、普段はコンタクト着用。自動車免許はオートマ限定。好きな食べ物は桃とヨーグルトで、嫌いな食べ物はキムチとワサビ。運動は得意だけど球技は苦手。ネット依存症。基本的には無関心だけど、興味を持ったことには勉強熱心で、博識。滅多に心を開かないけど、その分、心を開いた人間は大切に扱う。大事な人を傷つける人間は絶対に許さない。慎重で、臆病、合理主義者のくせに、一旦頭に血がのぼると手がつけられない。矛盾だらけで、人から誤解されやすいタイプ。

 脆くて、弱くて――とても、優しい人。

 こんなにも貴方のことを知っているのに。

 自分は、こんなにも貴方のことを想っているのに。


 こんなにも――好きなのに。


 彼の中に、自分はいない。


 彼の視界に、麦原司という人間は入らない。


「ううううううううううううううううううう」


 これは何の仕打ちだろう。

 なんで、こんな目に遭わなければならないのだろう。

 嘆き、厭い、呪いながら――司はいつまでもいつまでも、嗚咽を漏らし続けていた。


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