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第四幕 第九章(後編)

【午後1時51分】

 昔から、運動は得意だった。

 幼い頃から躰を動かすのが好きだったのに加え、元々運動神経もよかったのだろう。勉強が苦手なのも手伝って、悠一は小学生の頃から筋金入りのスポーツ少年だった。運動会でも球技大会でも、出場すれば活躍間違いなし。中学時代は、所属していたバスケ部で県大会まで進んだこともある。

 ただ、走るのは嫌いだった。

 もちろん、足は速いし、そこそこ持久力もある。ただ、嫌いなのだ。理由は簡単――面白くないから。短距離にせよ長距離にせよ、走ったからだといって何だと言うのだ。気持ちいい、という輩もいるが、悠一には全く理解できない。ランニングもジョギングもマラソンも、退屈で苦痛なだけだ。

 それなのに。

 何故、自分は走っているのだろう。

 この周に入ってから、走ってばかりだ。さっきは竹崎の暴走を阻止するため、美智代に腕を引っ張られて疾走し、そして今は――

「ゆーゆーッ! 死ぬ気で走れッ! 捕まンぞッ!?」

 ……なんのために走っているのだろう?

 いや、勿論分かっている。状況は、理解している。

 麦原司が車両に――文字通り――血の雨を降らせた二分後に、列車は藍土駅に到着した。と言っても、普通の乗客は一人もいない。皆、前の青鹿音で降りてしまった。残されたのは、悠一、並木、美智代、鷲津、そして織田と司――今は死体となった竹崎を合わせても――リピーターのみ、だ。

 列車が停止しても、『グループ』の面々は動こうとしない。何か考えがあるのか、あるいはその逆か。

 扉が開くと同時に、何人かの制服警官が車内に駆け込んでくる。そして、すぐに動きを止める。そりゃそうだろう。車内は血の海で、その中央にいるのは、返り血で真っ赤に染め上がった女子高生と、ヒトの原型をなくした何か――地獄絵図、というやつだ。そんな光景を目の当たりにしたら、誰だって困惑する。硬直する。

 その隙を突いて動く二つの影。

 織田広樹と麦原司だ。

「オイ、逃げっぞ!」

 ケータイを掴んだ織田が何やら叫んでいる。

「え!?」

「いいから早くしろッ!」

 腕を掴まれ、悠一は再び走らされる。 

 警官の脇を抜け、列車から飛び降り、ホームを疾走。

 途中から腕を掴むのはやめてくれたが、立ち止まるのは許されない。後ろには血まみれの司がぴったりくっついている。怖い。

 途中、すれ違った駅員や警官に、何度も呼び止められそうになる。制止されそうになる。その全てを振り払って、三人は走り続ける。……いや、『振り払う』なんて生易しいものじゃない。先頭の織田は、何人もの警官を派手に蹴散らしている。後続の司は司で、追いすがる警官を容赦なく特殊警棒で撃退している。……何だか、運動会でやった騎馬戦を思い出す。そんな呑気な状況でないことは百も承知だが。

 ――逃げ出してしまった。 

 これでは、どう見ても自分たちが悪者ではないか。

 百歩譲って、織田と司は分かる。実際に暴れたのはこの二人だ。いくら相手が武装していたとは言え、あれは明らかな過剰防衛。お咎めナシという訳にはいかないだろう。

 だけど――だったら、悠一はどうなのだ。

 自分は何もしていない。

 ただ、見ていただけだ。

 並木が注意に行った時も、

 鷲津が必死に抗った時も、

 織田が戦闘している時も、

 司が――ブチ切れた時も。

 悠一は、何もできなかった。

 ただ、見ているだけだった。

 なのに、罪を負わされて。

 勢いで逃走して。

「――織田さんッ、何で俺まで逃げなきゃいけないんですかッ!?」

 無駄だと思いながらも、抗議の声を上げずにはいられない。

「俺、何もしてませんよね!?」

「ああ? 何でって、じゃあ、オメェは何でついてきたんだよ!?」

「それは、織田さんが引っ張るから――」

「振り払えばよかったじゃねェかっ! 何もムリしてオレについてくる必要なかったんだ。お前は、お前の意思で逃げ出した、そうだろ? それを今になってグチグチ文句言ってンじゃねェよッ!」

 自分の行動には責任を持て――。

 警官たちを蹴散らしながら、織田はそんな、もっともらしいことを言う。筋が通っている気もするし、途轍もなく理不尽なことを言われている気もする。

 意志が弱いから、流される。

 頭が悪いから、騙される。

 リピーターになってから今まで、繰り返し自問し自戒し自嘲してきた事柄が、またしても降り掛かってくる。

 どうすればいいのか。

 どうするのが、正解なのか――。

 ……なんて、今は難しいことを考えている場合ではない。全力疾走しながら小難しいことを考えられるように人間の躰はできていない。今はとにかく、織田についていくことだけに集中するべきだ。

「ってか、織田さん、俺らどこに向かってるんですか!?」

 いくら織田や司が無敵でも、限界がある。警官の数は明らかに増えているし、それより何より、体力がもたない。いい加減、肺と心臓が悲鳴をあげ始めている。

「もうちょっと頑張れ。したら休めっからッ!」

 最初から大した答えを期待していた訳ではなかったが、さすがにこれは意味不明。

「休める? 俺は、どこに向かうかって聞いたんですけど!?」

 そもそも、この状況で休憩をとれる訳がない。一歩でも足を止めようものなら、警官による完全包囲は必至。だからこそ、一刻も早く、どこかに身を隠さなければならないのだが……。

「スイカ用意しとけっ!」

 織田は悠一の質問に答えるより早く、そう怒鳴り返す。前方に改札が迫っている。言われるままにスイカを取り出し、改札の機械に押しつけ、身を滑らせる。改札を抜けた所で、すかさず何人かの警官が向かってくるが――血まみれの司は目立ちすぎる――先頭を走る戦闘狂の動きに迷いはない。身を踊らせ、警官と警官の間を軽快なフットワークで抜け出し、僅かな隙を突き、攻撃に転ずる。鼻っ柱に肘を打ち付け、人中――鼻と口の間、人間の急所の一つ――に頭突きをお見舞いし、股間を蹴り上げる。

 取りこぼした人間は、司が対処。向こうも特殊警棒を持っているのだが、警棒さばきは司の方が数段上だ。一つ瞬きをする間に、首、肩、腕、脚に多段ヒットを喰らわせている。走り抜けた後に残るのは、蹲る警官の山。一人として致命傷には達してないが――殺さなければいいと言うものでもない。もっとも、何もせず、息を切らせて走るしか能のない自分になど、何を言う資格もないのだけれども。

「……もう少し走った所に、車があンだよ。そっからは、車で逃げる。これ以上、走って逃げるのもムリあるべ?」

 拳銃を抜こうとする警官の顔面に飛び膝蹴りを喰らわせながら、律儀に悠一の質問に答える織田。しかも、ここまで戦いながら走ってきているくせに、息一つ乱れていない。化け物か。

「駅出て、駅前を二ブロック抜けた所がゴールだ。それまで頑張れ!」

 すでに限界の悠一を気遣っているのだろうか。折を見て『頑張れ』と連呼する織田。その優しさを別の方向に向けることはできないのだろうか。

 織田の後ろにぴったりとつきながら――定期的に現れては織田に撃沈されていく警官を横目に見ながら、もう少し、もう少しと自分を騙しながら、どうにかペースを落とさず、悠一は駅前を疾走していく。

「うしっ! ムギ、ラストスパートだっ! 気合い入れてけっ!」

「はしゃぎすぎです。調子に乗るのはいいですけど、頭に血が上るのだけはやめてください。織田さん、簡単に人を殺してしまうんですから」

 問題。今の発言に対し、もっとも的確なツッコミを、七文字以内で述べよ。

 模範解答、『お前が言うな』。

 下らない文言を脳内で垂れ流しながら、悠一は遮二無二足を進める。もう少し――もう少しで、ゴールだ。

「ところでゆーゆー、オメェ、死ぬ覚悟はあるか?」

「……は?」

 走りに気を取られてて、織田の言葉を聞き逃してしまう。何だか、ひどく不穏当な言葉を聞いた気がしたが――恐らく空耳だろう。

「オメェは、死ぬ、覚悟が、あるか?」

 空耳ではなかった。

 ご丁寧に、一語ずつ区切って聞きやすく言い直されてしまう。

 答えは、もちろんノーだ。

「……何、言ってン、ですか……。そんなの、絶対、ヤですよ……」

 息も絶え絶えに、そう答える。

「だろうな。でも、タイムアップだ」

 と、突然左腕を掴まれる。背後についていた司にも右腕を掴まれ、何故か、三人並んで走る格好になってしまう。

「え……何ですか、コレ……」

「ムギ、現在時刻は!?」

「午後一時五十七分、十三秒、十四、十五――」

「時間がないな。ペース上げっぞ!」

 言葉と共に、織田と司の二人がさらにペースを上げる。とてもではないが、ついていけるスピードではない。だけど二人の腕を掴む力が強くて、悠一は半分以上宙に浮く形となってしまう。

「何なんですかッ! 何なんですかッ! ちょ、せめて説明してください」

「残念ながらそんな時間はねェッ! オメェは、オレらのカウントダウンに合わせて、跳べ!」

 ――『跳べ』?

 何だろう。事ここに至って、一番嫌な予感を感じさせる言葉だ。

 目の前には、歩道橋。

 二人は何の迷いもなくそれを駆け上がっていく。

「ちょ、ちょっと! 『跳べ』って、まさか――」

「五十八分、八秒、九、十、十一――」

「くそ、間に合うか――」

 引き摺られるようにして歩道橋を――いつだったか、悠一が足を滑らせて転げ落ちた、あの歩道橋だ――駆け上っていく。

「二十二、二十三、二十四――」

「よし! カウントダウンだ!」

 心の準備をする時間すら与えてくれない。それ以前に、心の準備などしようがない。できる訳がない。何が起きるのか、何が起きているのかすら分かっていないのだ。ただ流されるままに、悠一と両脇の二人は歩道橋の最頂部へと吸い込まれていく。

「いくぞっ! 三、二、一――」

 覚悟を決めた。

 固く目を瞑り――


「跳べッ!」


 地を、蹴った。


 刹那、世界から重力が消えた。

 ――と思ったのは一瞬のこと。やはり重力は依然として働いていたようで、悠一たちは放物線を描きながら落下していく。

「――――っ!」

 死ぬ。

 死んだと、思った。

 アスファルトに叩きつけられ、高速で行き交う無数の車に轢断される――そう思って、悠一は身を固くした。

 ……だけど、どういう訳か、いつまで経っても衝撃はやって来ない。ただ、柔らかな膜のようなモノに勢いよく突っ込んでいく感触があっただけで、それ以外は、一秒経ち、二秒経っても、何も――

 ――いや。


 風を――感じる。


 恐る恐る、目を開けた。

 最初に目に映ったのは、空に架かる虹だった。

 身を起こすと、周囲の風景が高速で後ろに流れていくのに気が付く。そして自分の周りには無数のゴミ袋。大量の書類や紙屑が半透明の袋に入れられているのだが、幸い生ゴミが少ないおかげで殆ど臭わない。

 ……朧気ながら、自分を取り巻く状況が理解出来てきた。

 今自分は、ゴミを詰んだトラックの荷台に乗っているのだ。

「お、気付いたか。いつまで経っても動かねェから、ショック死したかと思ったっつの」

 ヘラヘラ顔の織田が、一段高いゴミ山の上から声をかけてくる。

「……トラックの荷台に、飛び移ったんですか」

「そそ。どっかの業者のトラックなんだけどよ、見ての通りゴミ袋がクッションになって落ちても痛くねェし、手っ取り早くこの場から移動できるし、都合いいことばっかなんだよ」

「でも、ちょっとでも飛び移るタイミングがズレてたら……」

「死んでたな」

 サラリと恐ろしいことを言う。

「午後一時五十八分二十八秒。この時刻に、あの歩道橋のあの場所から、全速力で、跳ぶ。それが安全に飛び移る絶対条件。少しでも

躊躇したら、終わりだ」

「……そんな危険な賭けに、巻き込まないでくださいよ……」

「オメェならやってくれると思ってた。じゃなきゃ、オレだってこんな危ねェ橋渡んねェよ」

 シシシ、とすでにお馴染みの笑顔を見せられると、何だか毒気を抜かれてしまう。

「俺はてっきり、どこかに車が駐められてて、それに乗り込んで逃げるもんだと……」

「運転手がいねェべ。オレもムギも車の運転できねェし、そもそもそんな車もねェし」

 そう言えば、美智代が強引に駐車したポンコツ車は全く別の場所に駐めてある。そもそも、車のキーは美智代が持っている。仮に車に行き着いたとしても、どうにもならなかっただろう。

「美智代さんたち、大丈夫ですかね」

「大丈夫大丈夫。きっと今頃大騒ぎになってんだろうけど、みっちょんと鷲津さんなら、うまくやってくれるから。オレたちは余計な心配しなくていい」

 確かに、あの二人がいれば問題ないだろう。並木の怪我も、少なくとも、今日一日くらいは平気そうだ。

 どうせ、十二時になれば全ては元通り、なのだから。

「これから、どうするんですか?」

 さっきから質問ばかりだな、と自分でも思うが、質問をぶつけずにはいられない。最近はずっと予想外の展開ばかりで、落ち着いて話をする暇すらなかったのだ。この機会を逃したら、次はいつになるか分からない。

「取り敢えず、あと十分くらいで公園近くの交差点に止まるから、そこで降りる。公園のトイレにはムギの着替えがある。いつまでもその格好じゃ目立つからな」

 織田の視線を辿ると、そこには血まみれの司の姿。こちらを見向きもしないで、どこか遠くを見つめている。ゴミ袋の中に佇む血まみれの女子高生という図柄は、シュールを通り越してホラーだ。

「着替えた後はタクシー捕まえてオフィス街の雑居ビルに向かう。オメェも行ったことあるよな?」

「ええ」

 初めて新城に会ったのが、その場所だ。奴は友人が所持していた廃事務所を不法に占拠して『グループ』のアジトとしている。

「新城とは、そこで落ち合う。みっちょん達もそこに集まる手筈になっている」 

 段取りのいいことだ。

「オメェの質問も、そこで受け付ける」

 真っ直ぐな視線を向けながら、織田が言葉を続ける。

「疑問とか、言いたいこと、オレたちにぶつけたいことは山ほど溜まってると思う。オメェが、オレたちを許さない気持ちも分かる。

 オレは人殺しだ。

 ついでに言えば、そこにいるムギだって、人殺しだ。

 だけど、それには理由がある。オレたちだけじゃない。『グループ』の人間は、基本、理由なしには動かない。その理由を――今度こそ、ちゃんと話そうと思う」

 信じる、べきなのだろうか。

 冷静に考えれば、信じるべきでは、心を開くべきでは、ないのだろう。入江にしつこく釘を刺されたことを思い出す。

『グループ』の連中は、信じるな。

 だけど。だけれど。

 そこに――某かの『理由』があるのなら。

 自分は、それを知りたい。

 どうして滝なゆたを殺し続けなければならなかったのか。

 何故、そのことをずっと黙っていたのか。

 そもそも、何故ここまでして悠一に執着するのか。

 全てを説明しうる『理由』があるのなら、聞きたい。

 もちろん、そんな『理由』があれば、の話であるが。

「それまで、少し休め――な?」

 柄にもなく、織田が優しい声を出している。未だに一言も発さない司が不気味ではあったのだが……だからと言って、こちらから話しかける気にもならない。織田の言う通り、今は取り敢えず休もう。この先も、どうせ予想外の展開ばかり起こるのだ。今くらい休息をとったって、罰は当たらない。

 悠一はゴミ袋の一つに大きくもたれ掛かり、頬に受ける風を心地よく感じながら――ゆっくりと、溜息を吐いたのだった。

 

【午後4時5分】

 約二時間後、新城の待つ廃オフィスにて。

 悠一は、『グループ』から『理由』を聞くためにここまでやって来た。

『理由』とは――『真実』であり、『真相』だ。

 それは、悠一が渇望していたもの。

 求めれば求めるほどに、自分から遠ざかっていたもの。

 それが、この場所にある。

 随分と、遠回りしていた気がする。

 様々なモノを疑って、様々な人間――主に美智代、織田、司の三人――に振り回されて、ここまでやって来た。

 だけど、それもこれで終わり。

 終わるのだ。

 そう考えるだけで、全てが報われる気がする。勿論、それでこのループ地獄から抜け出せる訳ではないが――少なくとも、生きていく指標にはなる。何が何だか分からないまま彷徨い歩くのなんて、もう真っ平だ――。


「ご苦労様。色々と大変だったようだね」

 埃っぽい部屋で、新城は待ち受けていた。

 以前に比べれば遙かに早い時間の筈だが、やはり部屋は薄暗い。南側にある唯一の窓から差し込む陽光が、舞い上がる埃を徒に照らしている。

 ざっと見たところ、この部屋には『グループ』のメンバーが全員揃っているようだった。

 奥のソファに、脚を組んで座っている新城。

 その傍に秘書然としてすまして立つ美智代。

 隅の方に座り込んでケータイをいじる並木。

 窓際で灰皿を手に紫煙を燻らせている鷲津。

 そして、悠一の背後に控える織田と司――

 悠一自身を含め、全部で七人。何だか暗示的な数字だ。

 列車内で竹崎に斬りつけられた並木は、右腕に包帯を巻き付けている。微かに滲んだ血が痛々しい。どうやら、応急処置だけで、病院には行ってないようだ。本来なら縫わなければならない程の傷だった筈だが……まあ、壊れた世界に住むリピーターにしてみれば、専門機関の治療など不要なのだろう。十二時になれば、全ては元通りになるのだ。わざわざ病院まで赴くのも時間のロスになるのだと判断したのだろう。


「……アンタ、俺らが大変な時に何してたんだよ」

 考えてみれば、さっきの騒動の中で、新城は唯一現場に駆けつけていなかった。並木が負傷し、鷲津が奮闘し、織田や司が大暴れし――美智代は何もしなかったが――『グループ』のリーダーは何をしていたと言うのか。

「私かい? 私は、ここで皆に指示を出していたんだよ。大将ってのは、そうそう前線に立つものじゃない」

「いいご身分だな……」

「役割分担の問題さ。私がプランを練り、指示を出して幹部三人がそれを実行に移す。交渉や探索はまだしも、戦闘に関しては私は全くの無力だからね」

 確かに、それはそうかもしれないけれど。

「それに、連絡を受けた時点で、私のいた場所からは到底間に合わなかった。物理的に間に合わない距離を急ぐより、落ち着いて皆にメールで指示を出していた方が、遙かに建設的だろう?」

 そう言えば、美智代も織田も、列車内ではケータイを握りしめていた。あれは、新城と連絡をとっていたのか……。

「多少予想外の展開はあったものの、概ね計算通りの結果だ。一人の犠牲者も出すことなく、竹崎宗也の暴走を阻止することができた。まずはそのことを祝うべきでは――」

 不意に、背後で空気の動く気配がした。

 後ろを振り向くが、すでにそこには誰もいない。

 さっきまでいた筈の、二人がいなくなっている。

 慌てて視線を向け――悠一は、驚愕する。

 いつの間にか、新城の前に影が二つ増えている。

「今の、どういう意味ですか」

「ムギ、やめろッ!」

 特殊警棒を手に新城の襟を掴む司と、それを必至で止める織田。

 何だ。

 何が起きている。

 あまりに突然の事態に、悠一の頭はフリーズしてしまう。……いや、この二人が絡むと大抵が『突然の事態』になってしまうのだが。

「何が『概ね計算通り』なんですか。どこが『一人の犠牲者を出すこともなく』なんですか」

「――麦原君、一旦、落ち着こうか」

 表情をなくした織田が、冷たい声質で言う。得物を手にした司にギリギリと締め上げられていると言うのに、大した落ち着きぶりだ。

「並木さん、あの莫迦に腕を斬られてるんですよ。一歩間違えば、死ぬところだったかもしれないんですよ」

 また――並木か。

 この女が正体をなくすのは、大抵、並木絡みだ。普段は無表情で無感情なくせに、並木を馬鹿にされたり、並木に被害が及びそうになると、それだけで激しく激昂して、もう手がつけられなくなる。今回も、そう。司は、並木が危険な目に遭ったことに怒っている。それを新城が平然と語ることに、これ以上なく、怒っている。

 当の並木はと言えば、部屋の隅で新城たちの遣り取りを不安げに見つめている。新城を――否、司の有り様を、オロオロとしながら見守っている。……ここでもまた、列車内と同じ感想が頭をもたげてしまう。

 ――貴方は、そんなキャラじゃないでしょう?

 

「貴方はどういう計算をしていたんですか。こんなの――」

 並木が見ているというのに、司はなおも食い下がる。

「おいッ!」

 織田が怒鳴るが、司の言葉は止められない。


「こんなの、聞いてません」


 ――え?

「ムギ、黙れッ! 小鳥遊が聞いてるんだぞッ!?」

 織田が必至で制止を続けているが、どうでもいい。

 それよりも――今のは、どういう意味だ?

 今、司は『こんなの聞いてない』と発言した。と言うことは、つまり――それ以外のことは、あらかじめ聞いていた、ということではないのか?

 無言で新城を睨むが、奴は尚も涼しい顔のままで、悠一の視線を軽く受け止める。

「……小鳥遊君、すまない。見ての通り、取り込んでいてね。君の相手をしている時間はなさそうだ。悪いが――今回は、引き取ってもらっていいかな?」

「……俺は、本当のことを聞かせてもらえるって聞いて、ここまでやって来たんですけどね」

 無駄だとは思ったが、言わずにはいられなかった。

「だから、今は取り込み中だと言っているだろう? 私は今から、麦原君の怒りをおさめないといけないんだ」

 司に締め上げられたままだと言うのに、新城の言葉は何だか他人事のようだ。

「それとも、君が麦原君を説得してくれるのかい?」

「ふざけんな。俺自身、何一つ納得できてないってのに、人の説得なんてできる訳ねェだろ」

「あと一日、待ってくれ。二十四時間後には、必ず、この私が、君に納得のいく説明をする。この約束は、絶対に守る」

「……期待しないで、待ってますよ」

 脱力した声でそう答え、悠一は踵を返す。司以外のメンバーが全員こちらを見ているが、どうでもよかった。埃っぽい部屋を出て、エレベーターホールへと向かう。

 全く――何回目だろう? 

 真相を告げると言われ、真実を伝えると約束され、その度に何らかのアクシデントで反故にされて、もったいぶらされて、散々振り回されて――流されて、騙されて、ただ疲弊するばかりで、得るものなんて何一つなくて。

 いい加減、全てが馬鹿らしくなってくる。

 こんな世界に、何の意味があると言うのだろう。

 こんな自分に、何の意義があると言うのだろう。

 今なら、あの竹崎の気持ちも少し分かる気がする。ホイッスルを鳴り響かせ、包丁やバットで武装したあの男も――きっと、全てを壊したかったのだ。勿論、二十四時間で全てが再生するこの世界を完全破壊することなど不可能なのだけど……それでも、抗わずにはいられなかったに違いない。

 壊れた世界は、人を狂わせるのだ。


「小鳥遊ッ!」

 ビルから出たところで、声をかけられる。織田だ。

「……何ですか?」

「いや、悪ィ。お前の言いたいこと全部引き受けるなんて言っておきながら、結局またダメになっちまったからさ、一応謝っておこうと思って」

「殊勝な心がけですね。珍しいこともあるもんだ。明日あたり、オタマジャクシでも降ってくるんじゃないですか」

 明日など、永遠に訪れないのだが。

「まぁ、そう言うなって。新城も悪気がある訳じゃねェんだ。ただ、今回は……少し、タイミングが悪かったっつーか……」

「別にいいですよ。もう、どうでもいい。――アンタらに何か期待するのは、やめにしましたから」

「だから、悪かったって。だけど、もう一度だけ――もう一度だけ、チャンスをくれ! 次の周では、絶対に全てを話す。約束する」

「……はぁ」

 これも、何度目だろう。ここで織田の言葉を鵜呑みにするなら、それはもう、馬鹿というより記憶障害だ。

「な? だから――お前も、もう一度自分なりに考えを整理してみてくれよ。俺や美智代や新城の口から真実を伝えるのは簡単だけど――結局、お前が気付かなければ意味ないことなんだしよ」

「自分で、気が付く……?」

 何だろう。いつだったか、司も似たようなことを言っていた気がする。自分で気が付いたからと言って、何だというのだろう。教えてもらうのと、何が違う? そもそも、今までだって散々考えてきた。考えて考えて考えて、それでもちっとも分からないから、こうして苛ついていると言うのに……。

「オレらは、待ってンだよ。お前が自分で本当のことに気が付くのを」

「無茶言わないでくださいよ」

「無茶? 何が無茶だ。お前ならできンだろ。みんな、小鳥遊のこと馬鹿馬鹿言うけど、オレはそんな風に思ったことねェし」

 人懐っこい笑みを見せながら、そんなことを言う。

 何故、そんなことを言うのだろう。

『グループ』の連中は、どいつのこいつも平気な顔をして――人の心に入り込もうとする。だから、苦手だ。

「ま、時間はあっからさ、色んなこと思い出して、よく考えてみてくれよ、な? リピートが明けたら、またこっちから連絡すっから」

「あ、ちょっと待ってください!」

 言いたいことだけ言ってさっさとビルに引き返そうとする織田を、悠一は慌てて引き留める。

「ん?」

「約束ついでに、もう一つだけ約束してください」

「何だよ」


「もう――人を、殺さないでください」


「…………」

「滝なゆたも、他の人も――もう、誰も殺さないでください」

「…………」

 目を眇め、織田は不意に、じっとこちらを睨みつけてくる。その表情からは、どんな感情も読み取れない。

「……分かった。約束する」

 すげなく却下されると思ってただけに、その返答は意外だった。

「だけど、オメェも……いや、今はまだいい」

 思わせぶりな台詞を口にしかけて、彼はその三白眼を、静かに伏せる。

「ただ……繰り返しになるが、オメェも、ちゃんと考えておいてくれ。オレが動くのにも、『グループ』が動くのにも、必ず理由がある。オレたちはその『理由』に則って、行動している。オレたちが何のために動いているのか――何を守ろうとしているのか――もう一度、お前自身の頭で、ちゃんと考えておいてくれ」

 これは、宿題だ。

 静かに言い残し、織田は踵を返す。

 ビルに消えていく織田の背中を、悠一はいつまでも見送っていた。


【午後5時32分】


「小鳥遊は――馬鹿なの?」


 電話口から飛び出た台詞に、悠一は面喰らった。

「僕の忠告、忘れた訳じゃないよね? 何度も何度も、しつこく念を押したよね? 僕、何て言った?」

「『グループ』は信用するな――」

「そう。やっぱり覚えてるじゃん。じゃ、何でだろう。小鳥遊、ちょっと流されすぎなんじゃないの?」

「いや、それは自分でも分かってンだけど――」

「分かってない!」

 いきなり大きな声を出されて、悠一は再度驚く。

 まさか、入江がこんな強い口調で話すだなんて……。


 オフィス街から帰ってきた悠一は、家族への対応もそこそこに、早々に自室に引き上げた。ある人物に、電話したかったからだ。電話する相手は――決まっている。今この状況で、相談に乗ってくれる人間は一人しかいない。入江明弘だ。

 気まずさがないと言えば、嘘になる。五時間前、悠一は入江を厳しく追及している。

『お前はリピーターではないのか』

『あの手紙を書いたのも、お前じゃないのか』

 結局、正解は半分だけで、後半に関しては『グループ』の仕掛けた罠だと分かったのだが……いずれにせよ、入江がリピーターであるという事実には変わりがない。

 とは言え、入江は『グループ』の連中のように、何かを知っている訳ではないらしい。少なくとも、本人はそう言い張っている。悠一はその辺りに関して、かなり懐疑的なのだが――根拠がない以上、追及することなどできない。しかし、相談することはできる。

 そう思って、悠一はケータイを手に取り、入江の番号を呼び出した。電話口の彼は思いの外にニュートラルな態度で、少し安心する。

 悠一は、今日起きたことを全て話した。

 入江と別れた直後、美智代につきまとわれたこと、無視を決め込んだものの、彼女の心のない一言にカッとなってしまったこと、『グループ』が目をつけていた竹崎宗也が行動開始をネット掲示板で宣言し、『グループ』総動員でそれに対処したこと、司の暴走で窮地に追いやられ、必死の思いで全力疾走したこと、ギリギリのタイミングでトラックに飛び移り、逃走に成功したこと、荷台でかけられた織田からの言葉、『グループ』のアジトである雑居ビルでの悶着と、ビルを出たところで再びかけられた織田の言葉――その全てを、話した。

 だけど、話し終わって返ってきたのは、痛烈な批判の言葉だった。

 温厚な入江が、こんなことを言うなんて……。冗談めかして駄目を出すことは前からもあったけれど、ここまではっきりと、呆れや苛立ちを表に出したのは、今回が初めてだった。

 それだけ――入江の逆鱗に触れたということなのだろうか。

 勿論、悠一とて好き好んで入江を怒らせた訳ではない。ただ純粋に指示を仰ぐつもりで電話したのであって、決して怒らせたかった訳ではないのだ。それなのに……。

「何で僕が怒ってるか、分かんないって感じだね」

 幾分怒気を抑えた声質で入江が尋ねる。

「いや、だって、俺は別に、ちゃんとお前の言う通りにしてたし……」

「だから、してないんだってば! その自覚がないのが問題なんでしょう!? 小鳥遊、何やってんだよ!? テレビ見た? 今、大騒ぎになってんだよ!?」

 そりゃ大騒ぎにもなるだろう。あれだけの騒動を起こしたのだ。忙しくてテレビを確認する時間はなかったが、だいたいの想像はつく。

「絶対『グループ』の仕業だと思ってたら、小鳥遊からの電話で案の定だよ。それも、何だって? 一緒に狂人討伐に行って? 奴らの活躍を目の当たりにして? 一緒に共闘した気になって? 挙げ句の果てに、優しい言葉かけられて、奴らに心開いて? ――ホント、何してんだよ……っ!」

 入江の苛立ちが、ケータイを通してここまで伝わってくる。

「別に心を開いた訳じゃ――」

「じゃあ言い直すよ。お前は、奴らに心を開き始めている。僕の再三の警告を無視して、お前は、ヒトゴロシの集団に傾き始めているんだよっ!」

「いや、でもそれには『理由』があるって――」

「人を殺すのにどんな『理由』があるってんだっ! しっかりしろよ!? お前、心理操作されてんだぞ!?」

「そんなことないって」

「そんなことあるんだよっ! 何で分からないんだよっ!? 騙されてんだぞ!?」

 入江の声が、だんだん悲痛な色合いを帯びてくる。ケータイの向こうにいる入江が、頭をガシガシ掻いているのが目に浮かぶ。苛ついた時の、コイツの癖。

「じゃなきゃ、奴らの行動に『理由』があるなんて言い出さないよね!? お前は知らないんだよ。奴らがいかに非道で、いかに鬼畜で――いかに最低な連中かを!」

「……じゃあ、教えてくれよ」

 声を抑えて、呻くように、悠一は言葉を漏らす。

「入江――お前は、何を知っている? 何を隠してる。お前がそこまで言うからには、それ相応の『理由』があンだろ? いい加減、それを教えてもらえねェかな」

「――随分前に、一つの大きな事件があったんだ」

 とうとう腹をくくったらしい。一拍置いた後で、入江は静かに語り始める。

「事件?」

「そう、僕が知る中でも何本かの指に入る、派手で、大きくて――そして悲惨な事件」

「なんだよ、それ」

「平たく言えば、爆弾を使った、一種の愉快犯だった。最初に狙われたのは市内の小学校。朝礼の最中、体育館に仕掛けられた爆弾によって、児童と職員、合わせて数十名の死傷者が出た。起きた途端にリピーターの仕業だと分かったよ。それを裏付けるかのように、次の周では別の場所――大宮駅が狙われた。朝のラッシュに重なったこともあって、今度は小学校の倍以上の犠牲者が――」

「ちょっと待て。俺、その話知ってるぞ」

「――え?」

「白石純の起こした事件だろ? 退屈を紛らわすために、ゲーム感覚で爆弾をばらまいたって言う……」

「……知ってた、の?」

 熱っぽかった入江の口調が、急速にクールダウンする。僅かに声が震えているような気もする。

「いや、うん。ゴタゴタしてて入江には話してなかったんだけど――前の周で、俺、色んなリピーターに会う羽目になってさ。その中にアイツもいたんだよ。で、流れで過去の話も聞かされて」

「……知ってたんだ……」

 呆然と、譫言のように、独白するかのように、同じ台詞を繰り返している。いけない兆候だ。嫌な予感がする。

「じゃあ、犯人が、その後『グループ』にどんな目に遭わされたのかも――」

「ああ、聞いた」

 織田の、そして『グループ』の逆鱗に触れた白石は、拉致監禁された後に、『身体罰』という名の拷問を受けた。爪に針を入れられ、歯を砕かれ、指を切断され、目を潰されて皮膚を剥がされ――生きながらにして、完膚無きまでに、躰を破壊されたのだ。

「小鳥遊は、それを知ってて――奴らがどれだけ残虐なことをやったか、それを知ってて――その上で、お前はあの連中と行動を共にしていたの……?」

「や、お前の言いたいことは分かるよ。お前は、犯人である白石に対して行われた『罰』がやりすぎだって、そう言ってンだろ? ……だけど、アレは仕方ねェんじゃねェかな……。確かに、やりすぎはやりすぎだけど、悪いのは白石純の方だ。あの状況じゃ、ああするより他に解決法もなかっただろうし……」

「…………」

 沈黙が重い。すかさず言葉を継ぐ悠一。

「それに、俺だって望んでアイツらと一緒にいた訳じゃねェよ。流れって言うか、勢いって言うか……気が付いたらアイツらと一緒、っていう状況が多くて……。それに、さっきも言ったけど、『グループ』の奴らは、『理由』なしには動かない。それが何なのか、俺は知りたいんだ。だから――」


「……もういい」


 絞り出すように出された、その声。

 ケータイを通じて放たれる短い言葉が、二人の間に深い溝を抉る。

焦ったのは、悠一の方だ。まさか、入江の考えに共感できなかったからと言って、一方的に話を打ち切る態度に出るだなんて。入江明弘とは、ここまで気の短い男だっただろうか?

「いや、待てって。お前の言いたいことは分かるよ。だけど、俺だって、本当のことを知りたいし――」

「もういいって言ってるだろッ!」

 縋る悠一を、入江はヒステリックに切り捨てる。温厚で冷静な入江が、こんな声を出すなんて。さっきから面食らってばかりだ。今回の入江は、最初から最後まで、徹頭徹尾――入江らしくない。


「――小鳥遊に期待した、僕が馬鹿だった――」


 捨て台詞を残して、電話は一方的に切られてしまう。

 突き放され――切り捨てられてしまう。

 慌ててかけ直したが、電源が切られているのか、繋がらない。

 ケータイを手に、いつまでもいつまでも、悠一は呆けたように動けないでいた……。


【午後7時30分】

 考えるのは苦手だ。

 子供の頃から、そうだった。

 頭を働かせても何も得るモノはない――そう、無意識に認識して、今まで過ごしてきた。思考よりも行動、論理よりも直感、自分にとってはそれが最上位に正しいことだと――そう信じて、今まで生きてきた。

 それが、どうだろう。

 事ここに至って、自分は今、『思考』の限界に挑もうとしている。

 ――どうして、こんなことになったんだろう……。

 何度も、同じことを考える。

 自分は平凡な高校生の筈だったのに。

 平々凡々と、日常を送る筈だったのに。

 それが、今はどうだ。

 気が付けば同じ一日を何度も何度も繰り返し、その毎日の中で同じ女性が殺されていると知り、その『死』を阻止しようと努めるも、共闘していた人間たちがその犯人たちだと知り――それからはとにかく真実が知りたいと知り――今に至る。

 ずっと、おあずけ状態が続いている。

 悠一が求めてやまない『真実』は、すぐそこにあるのに――手を伸ばせば届きそうなのに――どうしても、それを手に入れることができない。新城も、織田も美智代も、そして司も鷲津も……それを知る人間たちは、一様に勿体ぶるばかりで肝心なことは何も教えてくれない。

 自分で気が付くことが、必要なのだと言う。

 その言葉の意味をずっと考えているのだが……やはり、よく分からない。悠一が、自分のその頭で何かに気が付いたとして、それが何になるのだろう? 人に教えてもらうのと、どんな差があると言うのか……。

 ――自分の頭で、考えろ。

 これは、初対面の鷲津に言われた言葉。『グループ』の連中は、皆要所要所で似た意味の言葉を言っていた気がする。人に教えてもらうのではなく、人に考えてもらうのではなく――自分の頭で――。

 悠一には、入江というブレインがいた。ずっと、奴の言葉に従って行動してきた。

 だけど――もし、それが、間違いなのだとしたら? 

 ――耳を傾ける相手を間違わないで。

 これは、司の言葉だ。簡単に騙され、流される悠一を揶揄する、その台詞。

 本当は……入江のことを差していたのではないか?

 どういう訳か、入江は『グループ』を目の敵にしている。『グループ』を信用するな、距離を取れと――終始一貫して主張していた。その真意がどこにあるのかは、いまだに分からない。

 アイツは、何を考えていたのだろう。

 何を、隠していたのだろう。

 今となっては確かめる術もない。

 喧嘩、してしまった。

 怒らせてしまった。

 見限られて、しまった。

 謝れば許してもらえるだろうか、とか――恐らくは、そんなレベルですら、ない。もう、駄目なのだ。この状況であり続ける限り、入江が激怒した理由をしっかりと認識しない限りは――関係修復は、不可能。

 一体、何だって言うんだ……。

 ベッドに横たわり、無機質な天井を見上げる。

 ――もう一度、自分で考えておいてくれ。

 別れ際、織田に宿題を出された。次周になれば、ついに『真実』が告げられる。悠一が渇望していた答えが、ついに得られるのだ。だが、その前に――悠一は、もう一度自分の頭で考えなければならない。この世界のこと、滝なゆたのこと、『グループ』のこと、そして入江のこと――もう一度、再整理だ。


 まずは、『ルール』のおさらい。


 リピーターとなると、何度も五月十三日を繰り返してしまう。

 これが大前提。

 その一日で何があろうと、十二時になれば全てが元通り。世界が再構築を始めるというより、単純に時間が巻き戻る、と解釈した方がいいだろう。リピーターの記憶以外は、とにかく全てが元通りになるのだ。躰の傷は治る。壊れたモノは修復する。失われた命ですら、蘇る。リピーター以外の記憶も、全て失われる。

 リピートが起きた瞬間、リピーターは五月十三日の〇時〇分に飛ばされる。居場所もまた、然りだ。リピートの瞬間、テレポーテーションのように、〇時〇分にいた場所へと飛ばされてしまう。その瞬間に寝ていた人間は強制的に睡眠状態にされてしまう。外部からの刺激を受けない限り、自力で目覚めるのはほぼ不可能と言っていい。悠一が毎回六時半から一日を開始するのは、そういう理由からだ。

 一度リピーターになってしまうと、そこからの脱却は絶対に不可能。何をどうしようが、五月十三日からは抜け出せない。リピーターになる理由やきっかけなどは、一切不明。ある日突然リピーターになって――後はもう、各々でこの世界に順応していくしかない。

 リピーターは皆、一律に時を刻んでいく。スタートこそバラバラだが、後は皆一緒だ。リピート回数は、皆一様にカウントされていく。途中で止まったり、誰かの回数を追い抜く、などということは絶対にない。

 この世界にはオリジナルの形とでもいうものがあって、基本的にはそれに添うようにして時は流れていく。リピーターが意図的、人為的に介入しない限り、世界は極力元の形に戻ろうとする。勿論、リピーターの動きが大きければ、世界の修復作業はそれに間に合わない。白石や竹崎のように派手に動いてしまえば、元の五月十三日とはまるで様変わりした一日になってしまう。とは言え、それもこれも、リピートが起きれば元通り、なのだが……。

 時間は巻き戻る。

 世界は元通りになる。

 だが、リピーターが多くいることが、事態をややこしくしている。つまり、リピーターが記憶を持ち続けている限り、全てが元通り、などという状況にはなりえないのだ。

 リピーターのリピーターによるリピーターのための、壊れた世界。

 リピーターの記憶がある限り、起きたことはなくならない。躰の傷は消えても、心の傷は残る。警察や司法の記録に残らずとも、罪は残る。だからこそ、『グループ』のようなコミュニティが誕生することになる。その暗躍を、許すことになる。

 壊れた世界は、人を壊す。

 それは新城の持論だったか。

『孤独』という名の傷。

『退屈』という名の病。

 リピート世界に折り合いをつけられなくなった人間は、いつか暴走を始める。白石のように。竹崎のように。遊戯場へと、狩り場へと、この世界そのものを変容させてしまう。そういう連中に対処するために『グループ』は存在している。現実世界では鷲津が、ネット世界では並木が調査を担当し、ターゲットの身元を固める。折りを見て美智代が説得、交渉を開始。それでもどうにもならない時には――織田・司の戦闘班の出番となる。織田は卓越した身体能力と格闘センスで、司は上着内に隠した暗器と人間離れした俊敏性で――獲物を、狩る。そして、それら全ての計画を練り、指示を与えているのがリーダーの新城――あの少数精鋭の『グループ』は、そうやって成り立っている。うまく役割分担をして、途方もない量の『仕事』をこなしている。

 だとしたら――滝なゆたは、何なのだろう。

 そもそもは、彼女の死が全ての発端だった。

 一周目、人身事故によって遅れてきた列車――二周目も三周目も――滝なゆたは繰り返し電車に轢かれ続けた。

 だが、その事故はオリジナルの世界には存在しないモノだった。

 誰かが、人為的に事故を起こしたのだ。

 では、それは誰なのか?

 何のために、この壊れた世界で彼女を殺し続けなければならなかったのか。

 この二つの問いに関して、悠一はすでに半分の解答を得ている。簡単なことだった。犯人は――否、実行犯は、織田広樹、その人だった。奴が、殺したのだ。奴は、毎周に渡って、滝なゆたを殺し続けていた。ホームでの人身事故が起きなくなってからも、闇にまぎれ、通り魔のようにして彼女の殺害を続けていた。 

 問題は、その動機だ。

 織田は快楽殺人者ではない。性格的に嗜虐的なところが目立つのは確かだが、人殺しのための人殺しをするような人間ではない。奴が動くのは、あくまで『グループ』の職務としてのみ、だ。奴は、そして『グループ』は、滝なゆたを危険因子と認めたからこそ、リピートが起きる度に抹殺を続けているのである。

 しかし――一体彼女のどこに、危険な要素があると言うのか。

 これに対し、美智代は彼女を引き(トリガー)なのだと例えた。彼女自体が何かをする訳ではない。彼女が特定の事柄に、あるいは特定の人物に接触することで、この世界が都合の悪い方向に傾いてしまうのだ、と――分かるような分からないような説明である。つまり、彼女は間接的にこの世界に対して何らかの働きかけを起こしてしまうから――その危険性を前もって摘んでおくために、毎周毎周、その存在を抹殺している――ということなのだろうか。

 何だか、釈然としない。

 仮に彼女が危険な存在なのだとしても……何故、毎周殺す必要があるのだろう。ひどく不自然だ。白石や竹崎のケースと比べても、その差は歴然である。

 派手な爆破事件を起こした白石に対し、『グループ』は限界まで、その態度を保留していた。『教授』こと大磯孝志の奥さんが狙われて始めて行動を開始したぐらいだ。

 竹崎の時など、奴が危険人物だと分かっていて、現実世界・ネット世界双方での居場所まで明確に分かっていたにも関わらず、実際に行動を始めるまで、『グループ』は奴のことをずっと泳がせていた。あんな危険な橋を渡らずとも、前もって美智代が接触するなり何なり、もっと平和で穏便なやり方はいくらでもあった気がするのだが……。

 それに比べ、滝なゆたに対する対処法は、あまりに直接的で、徹底している気がする。何故、毎周殺さなければならないのか。そもそも、殺す必要があるのだろうか。この世界に対し間接的に危険をもたらすだけなら、わざわざ殺さなくてもいいと思うのだが……いくら殺したところで、次の周には蘇ってしまうのだし……。

 考えれば考える程にこんがらがっていく。

『グループ』の真意が分からない。奴らは、何に怯えて、何を守ろうとしているのだろう? 

 そして、それは自分にどんな関係があると言うのか。

 分からない。

 きっと、足りないのだ。

 ピースが足りない。

 考察を続けるには、自分は何か、肝心なことを知らないでいる。『グループ』のことか、滝なゆたのことか、それとも、この世界のルールに関することか――何か、決定的な情報が欠落している。それを知らない限りは、絶対に真相に辿り着けない。

 ならば……だったら……どうすればいい?

 こんな風に、ベッドに横たわって脳味噌を回転させるだけで、その決定的な何かに、気が付くことなど可能なのだろうか? きっと、ヒントはあるのだろう。じゃなければ、織田もあんなことは言わない。考えれば、分かるのだ。

 思い出せ。

 全てを、思い出せ。

 一周目の朝から今まで――その、全て。


 それは『リセット』とは呼ばないんだけど。

 記憶力が凄くいいし、ここぞって時の集中力はピカイチだもん。

 一応、初めまして、と言っておこうか。

 記憶というのは、存在そのものなんだよ。

『リセット』だけは――違う。

 ……ま、死にはしないから安心して。

 この世界では、『命』ですら『取り返しのつくもの』なの。

 奴らは、ルールについての、何かを隠している。

 殺しゃしねーっつの。

 じゃなきゃ、華見とか藍土とかなんか行かねーよ。

 一応、初めましてと言っておこう。

 自分の頭で、考えろよ。

 それは、私のエゴですから。

 おれは騙されませんよ。

 わたしは莫迦が嫌い。

 わたしは、貴方が大嫌い。

 オメェ、童貞だもンな。

 オメェは――成長したな。

 貴方自身が学習しないと――意味がない。

 時期になったら――厭でも、真実を知ることになる。

 ハサミで刺されたくらいじゃ、死にはしないから。

 貴方が好きなの、黒髪ロングヘアーだものね。

 ――耳を傾けるべき人間を、間違わないで。

 正義感、強いんだ。

 わたしは――ただ、『莫迦』って呼んでる

 大丈夫。睡眠薬飲んで死んだ人はいないから。

 あの娘は、引き金なの。


 新城、美智代、織田、司、並木、鷲津、『武器屋』と『教授』、烏丸英雄と宮脇杏のカップル、白石純、竹崎宗也、そして滝なゆたと入江明弘――様々な人物の顔と台詞が浮上し交錯して――何かに気付きそうな予感がした次の瞬間――悠一は、眠りに落ちていた。

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