第三幕 第八章(後編)
【午後4時45分】
一つの、昔話を聞かされた。
今から千五百周ほど前――つまりそれは、客観的には今日と同じ五月十三日なのだけど、古参のリピーターにとっては四年ほど昔――連続爆破事件があったらしい。
最初に狙われたのは、ある中学校。
朝礼の最中、体育館に仕掛けられた小型爆弾が作動し、多くの死傷者を出した。警察の調べによると、使われた爆弾は小型のリモコン式で、中距離からの無線信号をキャッチし、半径十メートル程度の規模で爆発を起こしたらしい、とのこと。即座に、無差別テロを視野に入れた大規模な捜査陣が組まれたらしいが、結局、何も分からないままその日は終わり――全ては元通り。
次の周、今度は大宮駅の京浜東北線上りホームで爆破事件は起こる。死傷者は前回の数倍。使われた爆弾は同じタイプ。この時点で、爆破事件はリピーターによるものと確定する。当たり前だ。オリジナルの世界では、こんな派手な事件など起きていないのだ。それを続けざまに、それも違う場所で起こせるのは、リピーター以外に存在しない。
その当時すでに『グループ』を作り上げていた新城は、すぐさま行動を開始した。リピーターによる犯行はリピーターにしか解決できない。調査のプロである鷲津を柱に、全てのメンバーをこの事件の解決に尽力させたらしい。……しかし、それでも何も分からないまま、その日も幕を下ろす。
翌周に狙われたのは、大宮市内の病院だった。ロビーにいた医師、看護士、患者と見舞客が被害に遭い、また二桁単位の死傷者を叩き出す。翌周は県内の小学校が、その次は池袋のゲームセンターが狙われた。どの周においても、警察は犯人を特定することができなかった。当たり前だ。たった一日で解決できたら苦労はしない。
考えてみれば、この壊れた世界というのは、犯罪者にとっては何とも都合がよくできているのだ。五月十三日、その日一日をやり過ごせば、全ては元通りで――証言も証拠も遺留品も、全てきれいさっぱり流されてしまう。リピーターでない人間は、その周に起きたことしか認識できない。その周、その周で起きていることだけを追い続ける限り、解決は不可能だ。……少なくとも、たった一日だけでは。
もちろんそれは、リピーターでない人間、に限られる。リピーターは、特に事件解決に乗り出した『グループ』は、全ての事柄を覚えている。全ての情報を把握し、整理し、推測を推論を仮説を打ち立て――ついに、一人の人物が浮かび上がる。
それが、白石純だった。
大宮市内の中学に通うゲーム好きの少年――事件が起きる前は、それだけの存在として『グループ』に認識されていた、五千周ほどの今日を体験しているリピーター。それが、突如として連続爆破事件の首謀者として浮上したのだ。
それは、先頭切って調査していた鷲津が名探偵――なのではなく、きっと、誰もが辿り着いた結論だったのだと思う。狙われた場所を考えて絞っていけば、明白だ。
最初に狙われた中学校は純が通っていた学校だった。
次に狙われたのは、普段純が利用している大宮駅だ。
純の父親は、三番目に爆破された病院に勤めていた。
四番目に狙われた小学校は白石純の卒業した学校で、
池袋のゲーセンは、かつて純が補導された場所で――
これら全ての場所に因縁があるリピーターは、白石純以外にいなかったのだ。現場周辺にて、目撃証言も出ている。状況証拠としては、申し分がなかった。
残る謎としては、どこから爆弾を調達したのか、というのがあった。勿論、知識さえあれば、中学生でも小型爆弾を作ることくらいはできる。だが、たった一日で材料を揃え、爆弾を作成し、しかもそれを午前中に仕掛けるとなれば――途端に難易度は上がる。と言うか、不可能だ。
だが、それもすぐに解決する。『グループ』と接触した純は、その時初めて、自分以外にもリピーターがいるのだと知り、何人かのリピーターと、現実世界とネット世界、両方で接触をはかる。元々人付き合いの苦手だった奴は、ほとんどの人間とうまくいかなかったようだが、それでも、フィーリングの合う人間はいた。それが、高橋一朗――『グループ』の面々に『武器屋』と称される男だった。高橋は、特殊警棒やスタンガン、改造銃や青酸カリなどと共に、小型爆弾をも扱っていた。純と高橋の間に交流があったのなら、爆弾の入手経路についても、容易に説明がつく。
リピートが起こった直後、午前0時に家を出て、高橋の住むプレハブ小屋に向かい、爆弾を受け取り所定の場所に向かい、それを設置してタイミングを待つ――それなら、朝礼にも朝のラッシュアワーにも間に合う。全てに、説明がつく。
だけど、そこまでだった。
どれだけ状況証拠があっても、物的証拠がない。仮に物的証拠があげられたところで――与えられる、罰がない。身柄の拘束は意味を為さない。監禁しようが縛り付けようが、十二時になれば自室に逆戻り。身体罰も、あまり効果がない。確かにその時だけは辛いだろうが、これまたリピートが起これば、全ては消えてしまう。痛みも疵も、消えてしまう。経済的、社会的な制裁もまた、それ以上に意味がない。全てはその日、一日しか効果が持続しないのだ。
きっと、純もそれを分かっていたのだろう。
奴とて、馬鹿ではない。むしろかなり知能指数は高い方だ。自分に因縁のある場所ばかり狙って、怪しまれないと思うほどの楽天家でもない。自分以外のリピーターの存在を知らなかった――訳でもない。実際、純は『グループ』と接触していて、その縁で『武器屋』こと高橋とも知り合ったのだ。こんな派手な事件を起こしたら、『グループ』の連中に嗅ぎづかれることぐらい、分かりすぎる程に分かっていた筈なのだ。そうと分かっていて、何故こんな犯罪を起こしたのか。
挑発――なのかもしれない。
そう語ったのは、当時から『グループ』ナンバーツーだった筒井美智代だった。奴は、この壊れた世界の特性を利用して、己の優秀さを披露すると共に、他のリピーター、特に『グループ』の面々を、馬鹿にしているのかもしれない。そうすることで、この年代特有の、肥大した自意識、自尊心を満足させているのかもしれない。『武器屋』高橋と手を組み、毎周毎周、場所を変えて執拗に犯行を繰り返して……そこまでして、ようやく奴は自身の虚を埋められるのかも――しれない。
現役の中学教師である美智代の仮説は、確かに説得力はあったが、だからと言ってそれで何がどうにかなる訳でもない。その時彼らに必要だったのは、白石純の心の闇を探索することではなく、現実的に、具体的にどうするべきかという指針だった。これに対し、『グループ』幹部三人の意見は分かりやすく、割れた。
調査を継続しながら、純・高橋への監視を徹底し、犯行を未然に防ぐべき、というのが鷲津の意見。
そうではなく、純と再度接触し、コミュニケーションを重ねて信頼関係を築き、精神的なケアに務めるべき、というのが美智代の意見。
そんな面倒なことをせずに、呼び出して、シメて、二度とバカなことを考えないようにするべき、というのが織田の意見。
図らずしてそれぞれの役割、得意分野、ポリシーが衝突する形となってしまった訳だが……それを束ねる新城の意見は、ひどくシンプルだった。
もう少し、様子を見よう。
まだ、不明で不可解な部分が多い。それらが明らかになるまでは、下手な行動は慎むべき――『グループ』リーダー・新城保は、そう結論づけた。とりあえず、具体的な指針としては、鷲津の案が採用された。調査は続行しつつも、純・高橋両者には監視をつけ、これ以上の犯行を防ぐ。
美智代の案は、半分採用。説得も交渉も、タイミングを間違うと逆効果になりかねない。交渉役は、しばらく待機となった。
織田の案は却下。考え方が安直で乱暴すぎる。絶対待機。
そうして、『グループ』は解決に向けて一致団結動き始めた訳だが――そんな彼らを嘲笑うように、事件は新しい局面を迎える……。
――以上が、道中、司から聞かされた、白石純・高橋一朗の関わった事件の、一部詳細だ。
悠一は公衆トイレの壁にもたれ掛かって、今日一番の、深い溜息を吐く。
……あの、童顔で人懐っこい中学生が、過去にそんなことをしでかしてたなんて……。
ついさっきまで、笑いながら雑談を交わしていた相手は、最低で最悪の――大量殺人者だったのだ。
後ろの公衆トイレを振り返る。司はまだ出て来ない。入ってからずいぶんと経ったような気がするが、実際には数分しか経ってないのだ。着替えだけでなく、メイクや髪型まで直しているとなれば、それ相応の時間が必要なのだろう。女は大変だ。
白石家から二十分ほど徒歩移動した、住宅街のど真ん中に、その公園はあった。砂場とベンチしかない、藍土駅前のそれと比べても、本当に小さい公園だ。それでも、トイレだけは比較的新しく、清潔そうだった。
驚いたことに、司はそこに着替えを置いてあるのだと言う。服が汚れたままだと厄介だし、持ち歩くのも嵩張るから、という理由かららしい。今、彼女はそこで着替えを行っている。一応、純の部屋である程度の返り血は拭っておいて、だからこそ母親にも怪しまれずに家を出ることができたのだが、それでも、よく見れば全身のあちこちに赤い血痕が染みになって残ってしまっている。この格好で表通りを歩くのは危険だろうという判断で、わざわざ人通りの少ない道ばかりを選んで、この公園までやってきたのだ。
……と言うことはつまり、彼女は最初から今回のことを想定していた、ということなのだろうか。純を滅多打ちにして、返り血だらけになるという未来を、あの女は事前に想定していたのだろうか。……きっと、そうなのだろう。あの時の司の動きには、一切の迷いがなかった。彼女は、白石純の過去を知っていて、本性を知っていて、悠一に対してどう動くかを読んでいて、その上で――黙っていたのだ。
悠一自身が学ばなければ意味がない、と司は言った。
耳を傾けるべき人間を間違わないで――とも。
未だに、その意味は分からない。
分からないのは、悠一が馬鹿だからか。
それとも、やはり自分の頭で考えてないから、か。
分からない。
考えないから、分からない。
だけど、何を考えるべきかも、分からない。
こんな時、入江がいてくれれば、と何度も思う。あいつなら、正解を弾き出すのは無理でも、適切なアドバイスで悠一に指標を与えてくれるのに。悠一が自分で考えるための、アシストをしてくれるのに。
――家に帰ったら、電話してみようか……。
向こうは試験勉強の真っ最中だろうし、こちらの事情を一から説明するだけでも大変な時間がかかる。入江は決して口には出さないだろうが、迷惑になるのは間違いない。
だけど。
だけれど。
今の悠一には――アイツしかいないのだ。とりあえず、声だけでも聞きたい。それで、安心したい。
決めた。
今夜、入江に電話しよう。……問題は、どうやって司や織田の目を盗んで、電話をかけるか、だ。『グループ』の連中は絶対に隙など見せないだろうし、入江というブレインの存在を隠している以上、頼んで電話を入れる訳にもいかない。別にこの周でなくても構わないのだけど、できれば、早く安心したい。
さて、どうするか……。
「あれ? 悠一?」
聞き覚えのある声に、顔を上げた。
「こんなトコで何やってンの?」
逆光で顔が判別しにくいが――それでも、分かる。
織遠学園の制服、ポニーテール、派手目のメイク、大きな口。
「美那……」
隣の席の女友達・篠原美那が、そこに立っていた。
ひどく久しぶりにその顔を見た気がする。勿論、『気がする』だけで、主観的にも、客観的にも、前に美那の顔を見てから二十四時間と経っていないのだけど――だけど、その間に色々なことがありすぎた。様々な人物に会い、様々な話をして、様々なことを考えて。この一日が、あまりにも密度が濃すぎて、『篠原美那』という『日常』が、遠い過去のように思えてしまうのだ。
「――お前の方こそ、こんなトコで何してンだよ?」
「あたし? だって、あたしンち、この辺りだし。これから家に帰ろうって時に、見たことのある顔が目に入ったから、何してんのかな、と思って声かけたんじゃん」
「そっか……」
「てか、ホントにどしたん? テストの日にガッコ休んだりして。熱出したって聞いたけど……これでも、けっこう心配したんだよ?」
「あ……ああ、そうだっけ」
忘れていた。悠一は、仮病を使って学校を休んでいたのだ。心配をかけまいと思ってのことだったのだが、それはそれで、友人達に無用な心配をかけてしまったらしい。皮肉なものだ。
「何? こんなトコで何してンの? てか、大丈夫なの?」
「うん、まあ……」
美那の質問攻めに、しどろもどろになってしまう。
「え? まさか――サボリ!? 悠一、テストがヤだからって、仮病使ってガッコ休んだの!?」
「……当たらずとも、遠からずってトコかな……」
いや、実際にはかなり遠いのだけれど、本当のことを言う訳にはいかない。妙な男に叩き起こされて、半ば脅迫される形で、早朝からあっちこっち引きずり回されているだなんて――言える訳がない。第一、うまく説明する自信もない。
「はぁ……サイアク。ってか信じらンない。テスト、ヤなのは分かるけど、普通そこまですっかなー? ズル休みしたって、どうせ追試あるってのに……」
勝手に憤慨して勝手に軽蔑して勝手に呆れている。自身の名誉のために申し開きをしたいところではあったが、その方法が分からない。仕方なく、悠一は一番気になっていたことを口にする。
「お前の方こそ……大丈夫、か?」
「大丈夫じゃないですよー。数学だよ? 英語だよ? 古文に世界史だよ? 何一つとして大丈夫な要素なんてないっての。もう、マジサイアク。何がムカツクって、悠一がこの苦しみを共有してないってのが、一番ムカツク!」
「…………」
悠一が聞きたかったのは、そういうことではないのだけど……。まあ、美那が元気ならば構わない。
「……まァ、俺も明日はちゃんと学校に行くからさ。そう怒ンなって」
自分に明日が来ないことなど分かり切っているのに、ついそんなことを言ってしまう。
「いやいや、それが当たり前だから。ちゃんと学校に来て、ちゃんとテスト受けて、それでちゃんと赤点とって苦しみなさい」
「赤点とるの前提かよっ! お前、誰に向かってモノ言ってンだ!?」
「毎回全科目で赤点とってる小鳥遊悠一にだよっ!」
そう言われてしまうと、返す言葉がない。一応、今回のテストは何度も完璧にこなしているのだが……悲しいかな、美那にとってそんな現実は存在しないのだ。
「……でも、よかった」
「は、何が?」
「いや――悠一、何か、元気なさそうだったからさ。こんなトコでサボってるくせに、思い悩んでるみたいな表情しちゃってさ。あたしが何言ってもボンヤリしてるし……」
「…………」
図星を指摘されて、再び黙ってしまう。
「ま、あまり悩みなさんな。赤点とったって、死にゃしないんだから。せいぜい、留年するくらいでさ!」
「ンなことで悩んでねーよっ! てか、誰が留年なんかするかっ! 他の誰かならともかく、お前にだけは言われたくねェんだよっ!」
「ハハ、よかった。いつもの悠一だ。安心した」
「うっせー。早く帰れ」
「言われなくても帰るってば。じゃね」
明日、学校で。
そう言い残し、美那は去っていく。
「安心したのは、こっちだっつの……」
その後ろ姿を見送りながら、ポツリと呟く。
それにしても、美那はどうして――
「彼女?」
いきなり真後ろから声をかけられて、総毛立った。
いつの間に出てきたのか、制服姿の司が悠一の背後で所在なげに立っている。
「……頼むから、気配消して近付くなよ。心臓止まるかと思っただろ!?」
「気配消してなんていないから。単に貴方が鈍いだけ。『心臓止まればいい』と思ったのは、わたしも同じだけど」
「ンなこと言ってねーッ! 『心臓止まるかと思った』、だ! どこの世界に、自分の心肺停止を望む奴がいるンだよ!?」
「それで、今のは貴方の彼女なの?」
悠一の抗議など聞こえないかのように、最初の質問を繰り返す司。悠一も、彼女のようにマイペースに受け流せばいいのだが、性格的に無理だ。と言うか、司のような性格破綻者でもない限り、そんなことは不可能だ。
仕方なく、司の質問に答えてやることにする。
「……ちげーよ。同じクラスの友達。隣の席で、たまに遊んだりする程度の仲だ」
「好きなの?」
「はぁ?」
唐突な追及に、思わず頓狂な声を上げてしまう。……だが、この問いに関しても、悠一の返す答えは同じだ。
「それも、ねーな。まあ友達としては好きだけど、アイツを恋愛対象として見たことはない。ってか、アイツ彼氏いるし」
この答えに嘘偽りはない。美那は美那。一緒にいると楽しいし、彼女が傷つくとこっちも悲しくなるが――だけど、それでも彼女を恋愛対象として見たことはないし、これからもない。入江と同様、大切な友人としてしか思っていない。
「……愚問だった。貴方が好きなの、黒髪ロングヘアーだものね」
「当てずっぽうで人のタイプを断定するな!」
確かに、黒髪のロングヘアーは好きだけど。確かに、美那は茶髪のポニーテールだけど。だからと言って、髪型だけで好きになったりならなかったりする筈もないし。
「お前は俺の何を知ってンだよ……」
「自分のことを一番よく知ってるのは自分、なんて幻想、早く捨て去った方がいい」
「また、意味ありげに意味不明なことを……」
さすがに、もう慣れたが。
ただ、そのせいで直前まで何を考えていたのか、完璧に忘れてしまった。まあいい。重要なことならば、そのうち思い出すだろう。
「それより、さっきの話の続き、聞かせろよ」
ブレザーの制服に着替え、全身に飛び散った血痕をキレイに拭い、ついでに崩れていた髪とメイクを完璧に直した司に、改めて言葉をかける。
「続き?」
「途中だっただろ。ほら、白石純が過去に爆破事件を起こしてたって話。中途半端なトコでブツ切りにされたから、ずっと気になってたんだよ」
「新城さんの命によって、『グループ』は一時様子を見ることにした。白石純と高橋一朗の二人に監視をつけて、犯行防止を続けながらも調査を続ける――だけど、結果として、その慎重な態度が、白石純をさらに増長させてしまった」
「前振りナシでいきなり再開すンなや。聞いてる方が混乱すンだろが!」
「そもそも、わたしたちはまだ、その時点で白石の真の目的を知らなかった。筒井さんの仮説も間違いではなかったんだけど、それは、あくまで動機の一部でしかなかった」
悠一のツッコミなど完全無視して、淡々と話を進めている。仕方ない。話の腰を折るようなことは控えて、今回は聞き役に徹することにしよう。
公園を出て、二人並んで歩きながら、話を進めていく。
「ンだよ。じゃ、結局、その『真の目的』ってヤツは、分かったのか?」
「次の犯行で、分かった。しばらくは鷲津さんたちが、白石と高橋の両方に、人数割いてぴったりくっついて監視してた。だから犯行自体、行われなかった。だけど向こうも莫迦じゃない。監視されてるということには、とっくに気が付いてたみたい。うまい具合に隙をつかれて、二人は接触。高橋は白石に爆弾を渡し、白石はそれを病院に仕掛け――また、多数の犠牲者が出てしまった」
「また病院かよ」
「二回目の時とは違う所。しかも、今度はロビーではなく、病棟の廊下に仕掛けられた。ある病室の前の、ベンチの下」
「病室の前? 不特定多数じゃなくて、特定の誰かを狙ったってことか? また純と因縁のあるヤツ?」
「因縁は――あると言えばあるし、ないと言えばない。その病室には、大磯咲子という六十歳の女性が入院していた。末期の胃癌で、余命三ヶ月」
ざわざわと、鳥肌が立ってくる。よくない前兆だ。悪い予感しかしない。
「彼女の夫は大磯孝志といって――知的で温厚な人柄から『グループ』の皆に『教授』と呼ばれて親しまれている、リピーターだった。その人の奥さんを、白石純は、狙ったの」
頭の奥が、カッと熱くなるのを感じる。
「完璧な、挑発だった。白石純は、全部分かってやっていた。『教授』のことも、『グループ』の皆が『教授』と仲良くしていたことも、どこからか調べ上げて、本人は大磯咲子と何の面識もないに関わらず、ただ、『グループ』を怒らせる、そのためだけに――あの莫迦は、彼女の病室を破壊したのよ」
司の言葉はどこまでも淡々としていたが、それでも彼女の怒りは伝わってくる。きっと目の前に奴がいたなら、上着に隠した裁ちバサミと特殊警棒で血ダルマにされていたことだろう。
「信じられねェ……あんな子供が……」
「だけど、事実だから。記録媒体は役に立たないから証明することは難しいけど、これは、皆の記憶に銘記されていること」
「その時、『グループ』の人たちは?」
「まず最初に、織田さんがキレた。直接乗り込んで、あの子をボコボコにしてやるって息巻いていたのを、みんなして止めた」
「なんで止めンだよ。行かせればよかったじゃねェか」
その場に悠一がいたら、織田に加勢していたかもしれない。少なくとも、憤る織田を止めるようなことはしなかった筈だ。いくら相手があの白石純でも――悠一は、きっと、躊躇しない。
「それも、新城さんの指示。まだあの子の本意が分からない。それが分かるまでは、派手な行動は慎むべきだって」
どこまでも慎重かつ冷静な男だ。そうでなければリーダーなど務まらないのだろうけど。
「結局、何なんだよ。アイツは、そこまでして何がやりたかったんだ?」
「それは、その犯行の当日に分かった。しん――並木さんみたいな人が当時もいて、一日中ネット監視をしていた。それで、見つけたの。匿名掲示板の、書き込みを。色んな板の色んなスレッドに同じ書き込みがあったから、それで見つけられたんだけど」
「書き込み? 何て?」
「――三六〇ポイント」
「はぁ?」
彼女の言葉がすぐに入ってこない。この女は、一体何を言っているんだ?
「軽傷者は五ポイント。重傷者は一〇ポイント。死者が子供なら三〇、成人女性なら五〇で、成人男性は七〇、目的の人物が死亡した場合は一〇〇ポイント――そういう内訳で、あの馬鹿は犠牲者を得点に変換してたの。犯行を重ねて、如何に高得点を叩き出せるかっていう――そういう、ゲームだったの」
目眩が、した。
「既存のゲームをやり尽くして、退屈だった。自分以外にも同じ境遇の人間がいると知り、何人かと接触したけど、あまり面白くない。つまらない。ならば、この壊れた世界で遊べばいじゃないか。派手な事件を起こして遊べば、きっと面白い。幸い、唯一親しくしてるリピーターは色々と物騒なものを持っている。力に自信のない自分でも、爆弾を使えば簡単に派手な事件を演出できる。それで遊べばいい。成果はネットで公表すればいい。しばらくは無視されるだろうけど、そのうちその書き込みを見て、賛同するリピーターが登場するかもしれない。そうなれば、その人間と一緒に、もっと派手な事件を起こせる。心配しなくても、どうせ自分は捕まらない。捕まったとしても、リピートがおきれば解放される。多少痛めつけられても、リピートが起きれば回復する。無限コンティニューがある限り、バッドエンドは脅威ではない」
目眩に続いて、吐き気がしてきた。
「……アイツが、そう言ったのか?」
「違う。今のは、単にあの子の思考をトレースしただけ。莫迦で幼稚で自己中心的なゲームオタクが考えそうなことでしょ。最初にこれを考えたのは、わたしじゃなくて筒井さんだけど」
悠一の記憶の中に残る白石純の顔が、どんどん歪に歪められていく。
「許せねェ……」
思わず呟いた。司は無表情のまま、小首を傾げて悠一の顔を眺めている。
「――貴方、今『許せない』って言ったけど……何が、許せないの?」
「は?」
何をいまさら。
「……そりゃ、ゲーム感覚で無関係の大勢の人間を犠牲にしたことだろうーが。どう考えたって、許されるもんじゃない」
「でも、リピートが起きれば、全ては元通りでしょう? 死んだ人間も、傷ついた人間も、壊された建物も、経済的損失も社会的混乱も、全ては元通り。リピートが起きた直後では、全てがリセットされる。――そこに、『罪』はあるの?」
「……お前は、何を言ってンだ? たとえ一日が巻き戻ったとしても、俺たちリピーターは全てを覚えてンだろうが! 怒りや悲しみの感情は、そう簡単に忘れられるもんじゃない! 『教授』の件がいい例だ。そりゃ、奥さん自身はリピートの力で生き返るだろうけど、それによって『教授』が負った傷はなくならない! そのことを分かったうえで、あのバカはリピーターの一番大事な人を狙ったんだろ!? 『グループ』を挑発するためってのと、自分ルールで作ったバカゲームでハイスコアを狙うっていう、アホな理由のために! 『リピート』と『リセット』はイコールじゃない! 俺たちみたいな人間が大勢いる以上、どれだけ一日が繰り返されても、それは『リセット』にはならない! 罪は消えねーんだよ! お前、『グループ』の人間のくせに、ンなことも分かってねェのかよ!?」
住宅街を歩いているというのに、気が付けば司を怒鳴りつけていた。それだけ、司の発言がショックだったからだ。無愛想で凶暴な人格破綻者とは言え、この女にはこの女なりの正義感、倫理観、ルールを持っていて、それは何にも優先して遵守する人間だと思っていたのに――失望した。
だけど、怒鳴られた当の本人はケロリとした顔で、視線を正面に戻す。
「勘違いしないで。今のは、貴方を試しただけ。わたしだって、当然分かっている。犠牲者が蘇っても、建物が復元しても、リピーターがいる限り罪は消えない。わたしだって――白石純のことは、許せない。と言うより、実際、許さなかった」
「……何を、やったんだ?」
先程の白石家での惨状を見た身の上としては、それは愚問に他ならなかったのだけど、やはりそれは聞かずにはいられなかった。
だけど、彼女の返答は、またしても悠一の予想を裏切る。
「何も。わたしが何かするより先に、織田さんがブチ切れたから」
「またかよ」
「だけど、今度は誰も止めなかった」
「当然だ」
「むしろ、今度は新城さんの方からGOサインが出た。行って、存分に暴れてこいって――そういう指示が」
これまた、予想外だった。血の気が多い織田はともかく、今まで散々、慎重な態度を取り続けていた新城が、いきなりどうしたというのだろう。
「多分、もう情報は充分に集まったってことなんだと思う。新城さんがその時まで表だった行動を躊躇していたのは、白石純の本当の目的が知りたかったから。決して、あの莫迦を庇っていた訳ではない。ネットの書き込みという意外な方面からではあったものの、結果として、わたしたちは白石純の目的を知ることができた。だから、もう充分。あとは織田さんに暴れてもらって、溜飲を下げればいい」
「『武器屋』はどうなんだ? 爆弾を渡していただけとは言え、アイツも立派な共犯だろ? 当然、純のやっていたことも知っていた筈だ。何の目的があったんだよ。まさか、あの変態も一緒になってゲームを楽しんでた、なんて言わないよな?」
「言わない。あの男は『変態』であって『ゲームマニア』ではない。あの男は、また別の目的があった。と言うか、その見返りが目的で、白石純に協力していただけ」
「何だよ、それ」
「……分からない? 今朝、織田さんと一緒にあの男の所に行って来たんでしょう? あの男を『変態』呼ばわるするのなら、尚更、あの男の趣味のことは分かっている筈だけど」
およそ十三時間前に会った男の顔を思い出す。ビル街の谷間に建てられたプレハブ小屋に住むケチな武器商人。アル中で、マゾヒストで、それで――
「まさか……死体の写真、か?」
「そう。あの男は、四肢の欠けた死体や飛び散った肉片を見て、倒錯した己の欲望を満足させたかっただけ。それ以上の意味なんか、何もない。わたしたちもすぐに見当がついたから、目的に関する追及は一切行わなかった。実際、後で聞いたらその通りだったみたいだし。『武器屋』こと高橋一朗に関しては、以上で終わり」
「……分かった。ゴメンな、つまんねェ質問で話の腰を折って……」
何だか、ひどい脱力感に襲われる。純と言い『武器屋』と言い、世の中には如何に下らない人間の多いことか。自分ばかり真剣に悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる。
「話を戻すけど――問題は、白石や高橋に、どういった罰を与えるか、という点にあった。いくら織田さんが痛めつけても、リピートが起これば元通り。あの人に暴れてもらうのはいいけど、それじゃ充分な罰にならないんじゃないのか――その時のわたしは、そう思っていた」
「何度も何度も、リピートが起きる度に、繰り返し身体罰を与える、ってのはどうだ? そうすりゃ、さすがに懲りて下手な考えは起こさないだろ」
聞いてばかりでは癪なので、たまにはこちらから答えを先取りしてみる。
「悪くないアイデアだけど、それでも駄目。ある程度継続的に行うのは現実的ではない。リピートの直後はどうしたって隙が出来るし、その隙に乗じて逃走される危険性がある。もちろん、それすらリピートが起きれば元通りなんだけど……最悪なのは、白石純が逆恨みの報復に出た場合。あの莫迦の性格からするといかにもありそうな話だし、もし仮にそうなると、後は泥沼の報復合戦に突入してしまう。その選択はベストではない――と、新城さんは考えた」
悠一が思いつくようなことは、当然新城も考えていた訳だ。しかも、あえなく却下されている。
「だけど、それは本当に、悪いアイデアではなかった。新城さんはそこから更に考えを進めて、一つの方法を思いついた。それはとてもシンプルで莫迦みたいな方法だったけど、考えつく限りは、それが最も効果的に思えた。そして、それは『グループ』の中では、織田さんにしか出来ない芸当だった」
「なんだよ、ソレ?」
「さっき、リピートが起きても罪は消えない、って話をしたでしょう。ならば、対になる方も、そうする必要があった。つまり、『リピートが起きても消えない罰』を、与えればいい」
「リピートが起きても、消えない罰……?」
リピートが起きても消えないモノ。
リピーターの、記憶。
「さっき、貴方は事件で負った怒りや悲しみ、心の疵は、そう簡単に消えない、って言ったでしょう。それと同じ。白石と高橋には、心の疵を負ってもらうことになった。他ならない、織田さんの力で」
「質問が二つだ。心の疵って言うけど、あのバカと変態が、そう簡単に心を折るようなことがあるか? 自分以外はどうでもいいっていう連中だぞ? それに、織田さんの力って何だよ。俺が知らないだけかもしれねェけど、俺にはあの人、血の気が多くて調子のいいサディストって印象しかねェんだけどな」
「それで充分。そう、織田さんは、病的なサディストで、人体破壊のスペシャリストでもある。あの人の手で、完膚無きまでに痛めつけてもらう。普通じゃなく、中途半端ではなく、とにかく徹底的に――壊してもらう」
聞きながら、さっきとは別種の鳥肌が全身を覆うのを感じる。冷たく乾いた司の口調が、それに拍車をかける。
「二人の心に負ってもらう疵の名前は――『恐怖』。
半殺しじゃなくて、九割九分殺し。
生まれてきたことを後悔するほどの辛苦を、その躰に刻み込む。そして、それによって生じた恐怖と苦痛を、檻として、拘束具として、利用する。命令に背いたら、或いは、下手な考えを起こしたら、また同じ目に遭わせると――そう、約束させて」
恐怖とは人間が感じる最も根本的な感情だと、テレビか何かで見たことがある。人間と言えども、動物だ。動物には防衛本能がある。『個』を滅ぼすような事柄には警戒心を抱くし、できるだけ避けて通ろうとする。そして一度恐ろしい目に遭ったならば――それには、極力近寄らない。それが、学習能力というものだ。
「だけど……そこまで行動を制限する程の『恐怖』って、何なんだよ? さっきお前がやったみたいに、特殊警棒でメッタ打ちとかか?」
「織田さんは、わたしほど優しくない。やる時は徹底的にやる。そういう人」
「お前が優しいかどうかは流すとして……よく分かンねーな。具体的に、どうすンだよ?」
聞いた瞬間に後悔したが、もう遅い。
「聞かれたから答えるけど――まず、薬品で意識を失わせて、皆で協力して、新城さんがいつもいる雑居ビルの一室に運び込む。頑丈な椅子に、手足と腰、首を拘束具で固定して、動けないようにする。意識が戻ったところで追及を開始。本人が全ての罪を認めたところで、いよいよ本番。もちろん、抵抗しよう、逃げだそうとするんだけど、躰を固定してあるから問題ない。
まず、ライターで炙った縫い針を、両手の指に差し込む。
次にハンマーで膝の皿を割り、ハサミでアキレス腱を切断。
口をこじ開け、ペンチで全ての歯を砕く。
歯の神経が剥き出しになったところに、沸騰した熱湯を注ぎ込む。
両手の指のうち何本かをランダムに選んで、工具で捻り切る。
血が止まらない場合は、バーナーで炙って止血。
片方の瞼を切り落として、二〇本ほどの針を眼球に突き刺す。
逆さ吊りにして、腋から腰まで包丁で軽く切れ目を入れて、
そこに手を突っ込んで、少しずつ皮膚を剥いでいく。
剥き出しになった肉に――」
「もういいゴメンやめてくれッ!」
本気の、懇願だった。
「そう? まだ、半分もいってないのだけれど」
「え、今のって……え? 嘘、だよな?」
無駄と思いつつ、思わずそんなことを口走ってしまう。
「嘘は一つも言ってないけれど」
「いや……ンなの、拷問じゃん」
「拷問じゃなくて、身体罰。ちなみに、そのための道具は全て『武器屋』で、無償で調達した」
「ンなこたぁ聞いてねえ! ――ってか、いやいやいや、今みたいのされたら、普通、死んじまうだろ!?」
「死にはしない。織田さん、その辺りのバランス感覚、わたしなんかよりよっぽど優れているから」
もっと別のバランス感覚を養うべきだ。活殺自在のバランス感覚を役立てることができるのは、日本ではヤの字の方々だけだろう。
「……織田は、一体何者なんだよ」
「何者でもない。ただの日雇い派遣。ただ、ちょっと――壊れてるだけ。何も感じず、何も考えずに、遮二無二、人の躰を壊すことができるっていう、ただ、そういう人」
楽しんですら――いないのか。
まだ、楽しんで、自分の欲望の延長線上で人をいたぶる、という方が救いがあった。もちろん、それでも最悪だが、まだ、理解できる。要するに、あの『武器屋』と同じ、真性の変態だったというだけの話だ。
だけど、織田は何も感じないのだという。プラスにもマイナスにも、ポジティブにもネガティブにも針を揺らさずに、ただ無心に、命令だから、職務だからという理由で――人体を、破壊する。
もはやそれは、人間ではない。
「だからこれは、織田さんにしか出来ない仕事。……尤も、この時はあの人も完璧にキレちゃってたから、多少、感情的になっちゃったみたいだけれど」
「と言うか、こんなことを無感情に語るお前も、たいがい怖いけどな」
「……無感情? わたしが、この話を無感情で話しているとでも? わたしは、貴方が聞いたから話しただけ。第一、無感情と無表情は違う。数時間一緒にいたくらいで、わたしのことを知った気にならないで。気持ち悪い」
自分は、そこまで見当違いな発言をしたのだろうか。至極真っ当なコメントだと思ったのだが……何やら、司の逆鱗に触れてしまったらしい。全身地雷原か、この女。
「にしても、信じられねェな……あの人が……」
織田広樹。『グループ』幹部の荒事専門。非正規雇用のネカフェ難民で、みすぼらしい服を身に纏い、時に嗜虐的で、時に軽薄で、時に真面目で、時に優しい――美智代とは違うベクトルで自分の素を見せない、得体の知れない男――ではあったが、その中に、『無慈悲な拷問マシン』などというイメージは含まれていない。どうしても、司の語る織田と、数時間前まで行動を共にしていた男の印象が、一致しない。
「さっきも似たようなことを言ったけれど、貴方は織田さんの何をどこまで知っているの? 数時間、一緒にいただけでしょう? それで、一個人を全て把握したつもり? 貴方は人間をどこまで知っているの? 思い上がらないで」
何だか説教されている。全力で流すが。
「……一つ、今の話で気になることがあるンだけど……」
「何?」
「純たちに『身体罰』を与えた時、織田は珍しく感情的になってたって言ったけど――それって、純がゲーム感覚で楽しんでたからか? それとも、『教授』の奥さんを狙ったから?」
「勿論、両方。織田さんは、特に『教授』のことを慕ってたから。義憤、のつもりだったのかも。尤も、その話を聞いた『教授』は、『やりすぎです』って苦笑していたけれど」
――昔、あの人と色々あってさ、顔合わせずらいんだよな。
書店での織田の言葉が、今になってようやく意味を持ってくる。彼は、きっと『教授』のために、あの二人に制裁を加えたのだ。『教授』自身が、それを望んでないにも関わらず、だ。復讐も報復も意趣返しも、あの温厚な紳士にとっては『エゴ』でしかない。だから、そんなことは望まない。
だけど、その一方で、織田の気持ちはちゃんと汲み取っている筈だった。確かに、彼の行動は過激で極端で『やりすぎ』ではあるのだが、それは義憤に駆られてのことだ。決して、『エゴ』ではない。『教授』だって、そのことは分かっている筈だ。と言うか、分かっていてほしい。
それにしても。
人間らしい理由で、非人道的な行いをする、織田広樹という男。何だか、矛盾だらけだ。司に指摘されるまでもなく、悠一はあの男のことを何も知らない。そもそも、人間なんて誰しもが多面的で多角的にできている。接する人間や状況、機嫌、体調などで、見せる顔はコロコロと変化する。当たり前のことだ。だけど、織田の場合はあまりにもそれが極端で――やはり、恐ろしい。
「暴走すると手がつけられないけど、今は新城さんがしっかり手綱を握っているから大丈夫。何だかんだ言って、あの人も新城さんの指示には絶対背かないから。下手なことをしない限り、恐怖を感じることはない」
そう、なのだろうか。
あの男は、本当に安全なのだろうか。
そもそも、悠一は未だに『グループ』の真意を掴んでいない。あちこち引きずり回されて、要所要所で様々な人物から思わせぶりな言葉をかけられてはいるのだけど――どれ一つとして、ヒントにできていない。何一つとして、解法に役立てていない。
司の話を聞いて、『武器屋』と『教授』と白石純を繋げることはできたが――それだけだ。それが、自分にどう関係してるのか、あるいは関係していないのか――分からない。それとも、司は純粋に、昔話をしたいだけなのだろうか……。
「……話を、戻す。織田さんは白石と高橋、両方に『恐怖』を植え付け、行動を縛った。行動を縛った上で、さらなる罰を与えた」
「さらにかよ!? もう充分だろ!?」
「全然。全然、足りない。あれだけのことをやっておいて、半死の目に遭ったくらいで、無罪放免? 甘すぎる。どの国のどの時代でも、そんな甘い刑罰システムは存在しない」
「そう……なのか?」
「そう。だからわたしたちは、彼らに『禁固刑』を言い渡した。一定期間、家から出ないこと。ネットを通じて他人と接触しないこと。そして、一時間ごとに定時報告を入れること。それを破ったら、また同じ目に遭わせる――と脅して」
「一定期間って、どのくらいだよ?」
「白石は、三〇〇〇日。高橋は一〇〇〇日。監視がついてるから、ちょっとでも外出したらすぐにバレるって脅して、行動を制限した。それで、二度と下手な考えを起こさない、筈だった」
「三〇〇〇日って――十年もか!?」
「雑な計算しないで。三〇〇〇日は八年ちょっと、一〇〇〇日なら三年に満たない。それに、外出しなければいいんだから、ずいぶんと楽な筈。テレビもネットも本も雑誌も見放題。ゲームだってやり放題。食べ物もお菓子も酒も、家にある範囲内なら、好きなだけ口にできる。これほど自由な『刑務所』、アメリカにだってないと思うんだけど」
「それが、まともな世界だったら、な」
だが、現実はそうではない。
ここは、何度も同じ一日を繰り返す――壊れた世界なのだ。
半径五メートルにあるモノは、全て、完璧に静止している。テレビもラジオもインターネットも、同じ内容を延々と繰り返すだけ。ゲームも本も、全てやり飽きて見飽きたモノしかなく、新たに補充されることは、決してない。そして、唯一の変化であり、唯一の希望である他のリピーターとの接触は、完全に禁止されている。少しでも接触しようものなら、また、完膚無きなでに自身の躰が破壊されるだけ――孤独と退屈、絶望と恐怖の日々。それは、きっと地獄と変わらない。
「だから、定時報告の相手である筒井さんが時々訪問して、ガス抜きしてたんだけれど。と言うかあの人、この期に及んでもまだ、あの莫迦のことを救おうと思ってたみたいだけど」
「カウンセリングってやつか?」
「自分の生徒と同一視してたのかも。あの人、『自分は嘘吐くしか能がない』とか悪ぶってるけど――結局は、優しい人だから」
何だか、意外だった。美智代がそういう態度に出ることではなく、司が手放しで人を誉めることが、だ。この女、なんだかんだで『グループ』の人間には一定の信頼を置いているらしい。
「『武器屋』の方も、美智代さんが?」
「そっちは、相変わらず織田さん。最初は筒井さんが担当してたんだけど、しばらくして、彼女の方が音を上げた。で、結局織田さんにお鉢が回った、ってとこ」
なるほど。確かに、まともな人間なら、あの変態モグラの相手は務まらないだろう。
「変な男。白石純なんて、織田さんの話題出しただけでパニック起こすって言うのに、あの男、むしろ織田さんに懐いているみたいなんだもの。あの人が定期的に死体画像を送ってくれるから心を許した、ってのが真相だろうけど」
「……今思ったんだけど、案内役が織田さんからお前に変わったのって、それが原因か?」
「それが七割。で、織田さんに大事な仕事があるってのが、残り三割。じゃなきゃ、わたしを貴方の案内役に指名したりしない」
「心から同意だ。……ってか、あの変態モグラ、拷問まがいの真似受けながら、それでも織田と会うのは平気なんだな。いくら死体画像が欲しいからとは言え――まさかだけど、その拷問も、あの変態は喜んでた、なんてことはいなよな?」
「それはない。どんなマゾヒストでも、あの仕打ちには耐えられない。実際、高橋本人も二度とゴメンだ、ってコメントしてるらしいし。――ただ、あの男は、頭のネジが五十二本くらい外れてるから」
その具体的な数字はどうやって捻出したのか聞いてみたいところではあったが、やめておいた。まともな答えが返ってくるとは思えない。
「と、ここまでが昔話。ついでと言ってはなんだけど、これに付随する現在の物語もあるのだけど、聞きたい?」
「ここまで聞いておいて、それを聞かない理由はないよな」
「そう。でも、大した話ではないから簡略に話す。
織田さんによって『消えない罰』を与えられた白石純は、手慰みにやり飽きたゲームを引っ繰り返したりしながら、大人しく自宅待機を続けていた。唯一の救いは、ネットでのチェス対戦を許可されたこと。対戦相手の素性は分からないけど、それでもある程度の退屈はしのげたみたい。時々訪れる筒井さんとも交流を続け、最近では大分心を開いてくるようになった――と、思ってた。
勝手に、思い込んでた。
だけど、あの莫迦はまだ諦めてなかった。学習能力が低いのか見通しが甘いのか――もしかしたら、筒井さんが優しく接したのが、逆にあの莫迦を増長させる結果になってしまったのかもしれない。
勿論、目立つ行動はできない。織田は怖い。織田が所属する『グループ』も怖い。筒井美智代は、戦闘力は皆無だが、恐ろしく頭がいい。嘘はすぐ見破られる。出し抜くことは不可能。だけど、必ず穴はある。チャンスは訪れる。白石純はそう信じ、じっと実行の時を待った。
準備も怠らない。その頃はすでに、『グループ』の宣言した監視が、ほとんどブラフであることを見破っていた。奴は密かに高橋とのメール遣り取りを復活させ、有事の際には武器を渡してくれるよう、手配しておいた。
程なくして、チャンスは訪れた。『グループ』の一人が、新参リピーターを連れて家に来ると、連絡が入ったから。案内役は麦原司。あまり馴染みのないメンバー。だけど、千載一遇のチャンスであることには変わりがない。白石はリピート直後に家を抜け出し、高橋と接触。自分でも扱えそうな改造スタンガンを入手する。
当日、家に訪れたのは、自分とあまり歳の変わらない男女二人組だった。麦原は織田の部下という話だが、家に来た早々、読書に没頭しだしてしまう。隙だらけだった。新参リピーターの小鳥遊って奴も、お人好しで簡単に騙せそう。パソコン画面を使ったSOSで気を逸らし、隙を突いてスタンガンで攻撃、人質にすれば、計画はほぼ成功したも同然。あとはうまく立ち回って、『グループ』メンバーに報復していけばいい。
――と、これが、さっき起きた騒動の真相」
司の口調は相変わらず淡々としている。さらりと、本当に何でもないことのように、驚くべき内容を口にしてくれる。絶対に、さらりと流すような内容ではないと思うのだが。
「俺を――人質に?」
「そう。貴方は、もう少しでスタンガンの餌食になるところだった。白石の唯一の誤算は、わたしたちが、奴の目論見に勘付いていたこと」
「前もって知ってたってのか!?」
「知ってた訳じゃない。あくまで、勘付いてただけ。『既知』ではなく、『推理』。新城さんが、白石は絶対に何か行動を起こすだろうから、注意した方がいい――って」
「やっぱり新城か」
あの男は、何でもお見通しなのだろうか。
「お前の持ってる特殊警棒、織田さんから受け取ったモンだよな?」
「そう。今朝、貴方と一緒に高橋から譲り受けた物。まさかあの男も、自分が貸した得物で白石がメッタ打ちにされるとは思ってなかったんだろうけど」
「要するに、その前の時点から、新城は動きを読んでた、って訳か……」
「当然と言えば、当然の話。織田さんは戦闘・拷問のスペシャリストで、筒井さんは交渉・説得の、鷲津さんは調査・探索のスペシャリスト。で、その上に立つ新城さんは、記憶と戦略・謀略のスペシャリスト。莫迦な中学生の考えることくらい、全部見透かしてる」
あの男、生まれる時代が五百年くらい遅かったのではないだろうか。戦国時代に生まれていたら、さぞいい参謀役になれただろうに。
「貴方は、もっと危機感を持つべき。誰でも彼でも、すぐに信用しないで」
耳を傾けるべき人間を、間違わないで。
だめ押しとばかりに、もう一度、その台詞を繰り返す。この女は、悠一のことを心配してくれているのだろうか。それとも、中学生に簡単に騙される自分のことを、呆れ、失望しているのか。いずれにせよ、彼女の言葉は本物で……それ故、悠一は頷かざるを得ない。
「……肝に、銘じておく」
司はそれには無反応で、ただ、無表情で半歩先を歩くだけだった。
どれだけ歩いただろうか。
司との話に夢中になっていたので気付かなかったが、すでに五キロは移動している気がする。どう考えても、タクシーを使った方が早かっただろう。美智代の時と同じパターンで、司が話をするための時間稼ぎのために、ここまで歩かされたのだろうか。そんな気がして仕方ない。
「麦原、さ……今さらなんだけど」
「何」
「俺ら、今どこに向かってンだ?」
「行けば分かる」
「……だよな。悪い。愚問だった」
「そう、愚問。典型的な愚問。国語辞典の『愚問』の項に載せたいくらい」
そうか。そんなにも愚問か。ならば――黙って従おう。
「さっきの話だけれど」
いくつかの角を曲がったところで、今度は司の方が口を開く。
「貴方、この話を聞いて、どう思った?」
「どう――とは?」
「そのままの意味。いや、この話に限らず、この壊れた世界に迷い込んで、絶望して、暴走する輩のこと、貴方はどう捉える?」
どう、と言われても。
「ンなもん、弱くて愚かで悲しい奴ら――って以上に、感想はねェけど?」
「貴方は、彼らのこと――許せる?」
「許せねェよ。罪もない人間を殺めるような奴ら、どうやって許すってんだよ!?」
「ふうん……そう」
「ンだよ、何か言いたいことがあるなら、はっきり言えや」
「別に。ただ――こんな事件、最近じゃ珍しくもないでしょう? 無差別大量殺人も、子供が子供を殺す事件も、親殺しも子殺しも、巷には溢れかえっている。それも、壊れてなどいない、真っ当な世界で、頻繁に起きている。その全てに、貴方は義憤を感じるの?」
「そうだ」
即答、だった。
「俺は馬鹿だから難しいことはよく分かンねェけどよ、何をどういじくったって、肯定できる事じゃねェだろーがよ。ヒトゴロシはヒトゴロシ、罪は罪だ。社会格差だの世界恐慌だの学校崩壊だの孤独だの絶望だの、もっともらしい解釈を付け加えンのは自由だろーが、俺は、絶対に許さない。もちろん、それがこの、壊れた世界で起きた、リピーターによる事件でも、だ」
また、柄にもなく熱くなってしまった。だけど、今の言葉に嘘偽りはない。肯定できる殺人などこの世にある訳もないが――それにしても、最近の事件は目に余るものがある。他人事、と言ってしまえば確かにそうなのだけど、それでも――許されてしかるべき事柄ではないことだけは確かだ。
「ふうん……正義感、強いんだ」
大した関心もなさそうに、司は独りごちる。
「じゃ逆に聞くけどよ、麦原、お前は許せるのかよ。そういう、真っ当な筈の世界で起きている、理不尽な事件をさ」
「まさか。わたしだって、許せない。だけど、現実問題として、わたしには何も出来ない。知った時には、全てが終わった後。何かが、できる訳がない。少なくとも、真っ当な世界の事件に関しては」
「壊れた世界で、怪物たちによって引き起こされる事件に関しては、そうではないってことか?」
「怪物――筒井さんの表現か。あの人、頭脳の割に妙な言語センスを持ち合わせている」
「なら聞くけど、お前はどう表現すンだよ。壊れた世界に迷い込んで、同じ一日を何度も繰り返して、孤独と退屈に蝕まれて、派手に暴走する奴らのことを」
「わたしは――ただ、『莫迦』って呼んでる」
にべもない。
「呼称なんて、対象のレベルに合わせて名付けるべき。莫迦な連中に妙なネーミングを施すから、余計に増長する。名を生むのも、その名を広めるのも、もっと慎重にするべき」
「……話題を、元に戻してもらっても、いいか?」
その持論は充分に頷けるが、今の本題はそこではない。
「自分の見る世界を全てだと信じ込んで、自分の感じるものが全てだと信じ込んで、挙げ句、自分と世界を安易に結びつける。それだけで済むならいいけど、己の狭量な世界観だけで世界を断じて、己の力量も知らずに安易な形で世界を変容しようとする――それが、莫迦じゃなくて、なんだと言うの」
わたしは、莫迦が大嫌い。
例によって、何の前触れもなく無理矢理本題に戻り、すっかり耳馴染みになった台詞で締める。
数時間前、裁ちバサミと共に突き付けられた台詞。
わたしは空気を読めない人間が嫌い。
わたしは人の話を聞かない人間が嫌い。
わたしはすぐに調子に乗る人間が嫌い。
わたしは自分基準で物事を考える人間が嫌い。
――わたしは、貴方が大嫌い。
正義感が強い、か。
ついさっき、司が自分を評したその言葉が、今となっては何だか滑稽に思える。お前にだけは、言われたくないよ。
……いや、司のそれは、『正義感』とは違う。強いて言えば、『倫理観』か――或いは、それとも違う、彼女独自の『規律』か。さっき、彼女は『織田さんはわたしほど優しくない』と語った。それはもちろん、全身を破壊し尽くす織田の拷問と、特殊警棒でメッタ打ちにするだけの自分の方法とを比べた話、ではあるのだが――やはり、彼女は優しくなどないと思う。
きっと彼女は、誰よりも厳しい。
他人にも、自分にも、そして世界にも。麦原司という、悠一と同じ年の少女は、今までそうやって――恐らくは独りで――生きてきたのだ。無表情を殻として他人を寄せ付けず、激情を躰の内側に隠し、得物を服の内側に隠し持つ――とてつもなく強く――だけど、とてつもなく不器用な人間。悠一の半歩先を歩く少女は、そういう人間なのだ。
『グループ』の人間に気を許してはいけないことは分かっている。入江にアドバイスを受けてから今まで、事あるごとに自分を律してきた。実際、『グループ』の人間は揃いも揃って変人揃いだ。新城と美智代は胡散臭い。織田と司は危険人物。鷲津と並木は偏屈で近寄りがたい。第一印象は、今でも変わっていない。だけど。だけれど。
それだけ――の人々なのだろうか。
何か企んでるのは間違いない。気を許すべきでないことは分かっている。分かっているのだけど……どこかで、心を許しかけている自分がいる。
流されやすい。
騙されやすい。
自分の頭で考えろ。
忠告されるまでもない。
そんなことは、充分すぎる程に自覚している。
だけど……
だけれど…………
嗚呼、駄目だ駄目だ駄目だ。
まるで、何も分からない。いくもの考えが明滅しては消えていき、一つとして形を成さない。追いかければ逃げられて、掴み取ろうとすれば零れ落ちて。とっかかりはあるのだけど、それを積み重ねる術が分からない。自分は、どこに到達しようとしているのか――。
「着いた」
司の声で、現実に引き戻された。悠一が益体のない思考ループにはまっているうちに、ずいぶんと距離を稼いでいたらしい。
改めて辺りを見渡し……悠一は、そのまま呆けたように立ち尽くしてしまう。
「ここって……」
「そう。貴方の家」
住み慣れた我が家が、目の前にあった。
「いや、そりゃ見れば分かるけど……え? 俺ンちが次の目的地? 家の人間の中に、リピーターがいるってのかよ!?」
そんな馬鹿な。家族の中にリピーターが……?
「早合点しないで。人の話を最後まで聞かないで勝手な解釈をするのは、貴方の悪い癖」
「そりゃ悪かったな。気をつけるわ。……んで? リピーターがいる訳でもない俺の家に来て、何しようってンだよ?」
「何も。貴方は、帰宅するの」
「は?」
「筒井さんと織田さんから、話は聞いてる。貴方は、こんな状況になっても、家族や学校といった自分の『日常』を尊重しようとしている。家族やクラスメイトに心配をかけたくない。だから、黙って家を出て行くような真似はしたくないし、無断欠席もしたくない。それと同様に、家族に無断で外泊もしたくない――でしょ?」
「あ……ああ」
司の言うことは確かにその通りで、むしろその申し出はこれ以上なく有り難いモノなのだが……その台詞が、司の口から出たのが、意外だった。
「もちろん、しばらくしたら織田さんが迎えに来るから。あくまで、それまでの一時帰宅。監視がついてるから、勝手に外出したらすぐに分かるし」
「……分かってるよ」
やはり、そこまで甘くはないか。
「でも、お前がそれを許してくれるなんて、マジ意外だったわ」
「そういう、指示だから。わたし個人は、貴方の考えに反対。リピーターでない人達にいくら心配かけたって、どうせ、リピートが起きれば元通り。なのに、そんなところにまで気を配るなんて、莫迦みたい」
どこまでも歯に衣を着せない女だ。
「そうかい。ま、そうかもしんねーけど――でも、これは決めたことだから」
「そう。なら、好きにしたらいい」
突き放すような司の言葉を背に、悠一は、約十一時間ぶりに自宅のドアを開けたのだった。
【午後7時12分】
――どうして、こんなことになったんだろう。
悠一は自室の学習机に向かいながら、深く長い溜息を吐く。
昨日までは、至って普通の高校生だった。そこには悠一の日常があって、些細な不満は数あれど、それなりに満足した暮らしをおくっていたはずだった。
それが、五月十三日になった途端、コレだ。
同じ日を繰り返す、壊れた世界とやらに迷い込んで、訳の分からない状況に陥って、訳の分からない連中にちょっかいかけられて、よせばいいのに奴らの逆鱗に触れて、一日中あちこちに振り回されて――気が付けば、謎と違和感ばかりが山積していた。
――どうして、こんなことになったんだろう。
机の上には、一通の封筒が置かれている。
茶褐色、長方形の、ありふれたタイプのものだ。このちっぽけな存在が、新たに悠一の悩みとなっているのである。
話は、数十分前に遡る。
『グループ』によって一時帰宅を果たした悠一は、母親にテスト勉強で遅れた旨を告げ、さっさと部屋に引き籠もった。そこで、この周に起きた出来事をもう一度整理し始めた。
織田広樹、高橋一朗(『武器屋』)、鷲津吾郎、大磯孝志(『教授』)、並木慎次、麦原司、烏丸英雄と宮脇杏(『カツプル』)、そして白石純――様々な人物に会い、様々な事実を知り、様々な生き方を知り、それと同時に、様々なことを言われた。
――自分の頭で、考えろよ。
――それは、私のエゴですから。
――わたしは、貴方が大嫌い。
――オメェは、成長したな。
――小鳥遊さんって……きっと、友達が多いんだろうね。
――耳を傾けるべき人間を、間違えないで。
――正義感、強いんだ。
――わたしは、莫迦が大嫌い。
いくつもの言葉が反響しながら脳内を駆け回り、耳障りな残滓を残して、そのくせ何の真実も残さず、儚く消えていく。
自分は今、何を、どう受け止めるべきなのだろう。
確実に、違和感はある。だけど、それが何なのかが分からない。入江に電話しようかと、何度も考えた。だけど、結局やめにした。自分の頭で考えろ、という鷲津の言葉を思い出したからだ。それに、電話したところで何をどう相談していいか分からない。前周に相談してから今までの間に、あまりに多くのことが起こりすぎている。自分でも混乱しているというのに、それを整理して人に話すだけの自信が、今の自分にはない。それに――どうしても、引っ掛かることがある。まだ何の確証もないが、少なくとも今の段階では、入江に連絡をとるべきではない、と思う。
だからと言って、自分一人で何かが分かる筈もなく――ただ、ベッドで転がりながら、この周に起きた出来事、聞いた言葉を一つ一つ思い出していく。
いい加減、疲弊して程良い眠気に誘われたところで、階下から声をかけられた。夕食の準備ができたらしい。悠一は躰を起こし、自室を後にした。
夕食は、いつもと同じだった。
メニューも同じ、そこに居並ぶ面子も同じ――たったそれだけのことが、今は何だか無性に安心する。ここには、悠一の日常がある。普通で平凡だけど、それ故に侵されるべきではない、悠一の聖地とも言える場所が、ここにはある。平凡で平穏であることが、如何に素晴らしいか。謎だの真実だの、罪だの罰だの、もう懲り懲りだ。こういう何でもない日常こそを尊重すべきなのだと――十一周のループで、悠一はそんなことを学んだのだった。
だが、そんな悠一の日常も、長くは続かなかった。
「そう言えば、アンタ宛てに手紙来てたわよ?」
夕食の席上で、思い出したように母親が口を開く。
咄嗟には、意味が理解できなかった。
「俺に……手紙?」
「ほら、これ」
母親が差し出したのは、何の変哲もない茶褐色の封筒。受け取って調べると、表に『小鳥遊悠一様へ』とだけ書かれていて、宛名は書かれていない。切手も消印もないところを見ると、直接、家の郵便受けに投函されたのだろう。
「なになに、ラブレター?」
何も知らない姉が、好奇心をむき出しにして覗き込んでくる。
「ラブレターを家まで届けるかよ。入れるなら普通、学校の机か、下駄箱だろ」
「学校の娘じゃないのかもよぉ? 駅で見かけて、一目惚れしたのかもしんないじゃん。で、家のポストに――」
「それ、完璧に尾行されてンじゃん! 家突き止められてるとか、普通にねェから!」
馬鹿なことばかり言う姉の相手をしながら、内心、悠一は混乱していた。
これは――どういうことだろう?
今まで、こんな手紙が届いたことはなかった。つまり、これはリピーターの誰かに書かれたモノ、ということだ。
だけど、何の目的で?
このタイミングで、匿名の手紙を、それも自分の所に?
一瞬にして多くの疑問が湧き出てくる。悠一は内心のパニックを家族に気取られないようにして、何とか夕食を終えたのだった。
そして、今。
目の前には、未開封の封筒が置かれている。
読むしか……ないのだろう。
嫌な予感しかしないが、読まない訳にはいかない。結果が吉であれ凶であれ、ここには何らかのヒントが隠されている。少なくとも、既知である今日が書かれていることはない。ここに記されているのは、間違いなく、未知の今日、だ。 悠一は意を決して、手紙の封を開けた。折りたたまれた一枚の便箋を取り出し、頭から読み始める。
一読して、躰の震えが止まらなくなった。
何かの間違いだと思って、繰り返し繰り返し、文面を目で追う。しかし、結果は同じ。そこには、驚愕の真実が綴られていた。だけどそれで納得がいった訳ではなく、むしろ、パニックに拍車がかかった。いよいよ、自分を取り巻く状況が分からなくなる。
ただ一つ、はっきりしたこと。
それは、今までの思考が、全て無駄だっと言うことだ。
【午後8時46分】
「ンだよ、ずいぶんと暗いじゃねェか」
織田の声が、闇に包まれた自室に響く。その時の悠一は、部屋の電気も点けず、ただ俯いて学習机に向かっているだけで――当たり前のように窓から侵入してきた織田に対し、顔を向けることすらしない。
「……ずいぶん、遅かったんですね」
「ん? 待たせたか? いやぁ、前の仕事が思ったより手間取っちまってさァ。オメェも、できるだけ一人の時間を楽しみたいんじゃねーかなーって思って、オレもゆっくり来たんだけどよ」
「そうですか」
「……電気、点けっぞ?」
訝しげな声を出しながら、織田は入り口脇の照明スイッチを入れる。部屋の中央に吊された照明器具から発せられるワット数が、今は目に痛い。
「どうした? えらい暗いな。ムギに何か言われたか?」
「……着替えたんですね」
織田の質問には答えず、悠一は彼の服装について触れる。今の彼は、上下とも黒のジャージだ。数時間前、悠一と一緒にいた時は、ジーンズとTシャツ姿だった筈なのに。
「ああ、これ? いや、前の仕事で服が汚れちまってさ。そのままじゃ気持ち悪ィから、着替えたんだよ。俺さ、いつ服が汚れてもいいように、特定のポイントに着替えを置いてあるんだよな。例えば」
「公衆トイレ――とか、ですか」
「よく知ってンなあ」
「アンタの部下が、全く同じことをしてましたから」
「……ああ、ムギに聞いたのか。そっか。そういや、聞いたぞ? オメェ、あの白石純と会ったんだよな? どうだった? アイツ、オメェの前ではどんな風だった?」
「全部、麦原から報告を受けてるんでしょう? だったら、今さら俺から感想を聞くまでもないでしょうに」
「……オメェ、今回は、ずいぶん突っかかってくンじゃねェか。ムギに何か聞かされたんか?」
「聞かされましたよ。白石純に関する顛末の、一部始終を。アンタが、罪を犯した人間に対して、どれだけ非人道的なことをしたのかも」
「あのアマ――無口なくせに口軽いんだよなァ。言わなくていいことまでベラベラと……。あ、でもゆーゆー、勘違いすンなよ? あれは、あくまで仕事でやったことだからな? 職務で、俺の役割だから、あんなことやったんであって、別に好き好んで――」
「仕事や職務であんなことやる人間なのが問題なんだろがッ!」
刹那、時が静止した。
今の今まで織田の顔に張り付いていたヘラヘラ笑いが、ス――と消えていく。
「……オメェ、何熱くなってンだよ……? マジ、おかしいぞ?」
「おかしいのはどっちですか。俺と織田さん――おかしいのは、どっちですか!?」
自分でも、感情のコントロールがうまくいかない。こんな筈じゃなかったのに。もっと、冷静に話し合いをするつもりだったのに。
どうしても、織田広樹を追及する口ぶりになってしまう。
「オメェ……いや、ゆーゆー、一回、落ち着け」
「言い直したなら、せめてちゃんとした名前で呼んで下さい。俺を『ゆーゆー』なんて呼ぶの、世界中で織田さんしかいないんですから」
「小鳥遊、落ち着け」
皮肉なことに、織田に対するツッコミ行為で、逆に心が冷静を取り戻しつつある。怪我の功名と言うか、何と言うか。いずれにせよ、悠一にしてみれば、願ったり叶ったりだ。
「じゃあ――冷静に、聞いていきます。織田さん、いい加減、本当のことを教えてもらえませんか?」
「教えただろうが。この周、丸一日かけて。『グループ』のことも、他のリピーターのことも、色んなことが分かったべ?」
「肝心の、俺のことはどうなんですか。アンタら、皆して色々思わせぶりなことをいうばっかりで、一番肝心な俺に関することを教えてくれてないじゃないですか。それに」
この時初めて、悠一は織田の目を見た。織田広樹の、三白眼を正面から捉えて――悠一は、続く台詞を吐く。
「彼女の、ことも」
「彼女?」
「とぼけないで下さい。滝なゆたのことですよ。紫苑駅で、五日連続で電車の下敷きになった、女子大生のことについて、です。あれはリピーターの手による、人為的なモノであることがハッキリしている。……元はと言えば、俺は彼女の死の真相を突き止めるために、『グループ』と行動を共にすることになったんです。それが、どうですか。アンタは質問は受け付けないと言い、麦原は彼女のことが大嫌いだと言う。アンタら二人のプレッシャーに押されて、結局俺は何一つとして、滝なゆたに関する質問さえ許されていない。まるで――意図的に、彼女に関する情報を隠しているみたいじゃないですか」
「……何が、言いたいんだ」
織田の視線がわずかに熱を帯びる。悠一は怯まず、応戦の姿勢をとり続ける。
「そのままの意味ですよ。アンタらは何かを知っている。そしてそれは、俺の知りたがっていることでもある。なのに、アンタらはそれを黙っている。黙っているどころか――何度も俺の質問を誤魔化して、はぐらかそうとしている」
「そこまで言うからには、当然根拠があるンだろうな?」
「あります」
「じゃあそれ見せろや」
「その前に」
声を荒げる織田から視線を外さず、悠一は努めて冷静な口調で、言うべきことを告げる。
「一つ、約束して下さい」
「約束? 何をだよ」
「これからする俺の質問に、正直に答えてもらいたいんです。隠し事などなく、何も誤魔化してないのなら、簡単に答えられる質問ばかりです。イエスかノーで答えてくれればいいんで、考える必要すらない筈です。……それに答えてくれたら、俺も、その『根拠』をお見せします」
「フン、一人前に交換条件かよ。その質問の内容にもよるが……まあ、いいだろ。答えてやるよ」
意外にも、織田はあっさりと了承した。
「その代わり、約束は忘れンなよ。俺は、約束を守らない奴は許さないからな」
言いながら、ジャージのポケットから携帯を取り出し、何やら操作し始める。メールを打っているようだ。
「それは分かってますけど……織田さん、誰にメールを打ってるんですか?」
「新城だよ。質問には答えると言ったけど、さすがに知らないことは答えられない」
「大丈夫です。質問は織田さん自身に関するものばかりですから」
「それに」
パチン、と携帯のフリップを閉じながら、織田は再度悠一を睨めつける。
「上に、口止めされていることもある。俺も『グループ』の幹部である以上、『グループ』の秘密を俺の一存でベラベラと喋る訳にはいかねェからな。一応、新城の指示をあおがなきゃならない」
つまりそれは、悠一に何かしらの隠し事があると、白状したも同然なのだけれど――取り敢えず今は、追及しないでおこう。焦らずとも、チャンスはいくらでもある。
「もう少ししたら、新城がここにやって来る。その時は、ウチのリーダーに、好きなだけオメェの疑問をぶつければいい」
「分かりました。でも今はまず、織田さんに対する質問からです。いいですか」
「何でもいいから早くしろ。俺は気が短ェんだよ」
「じゃあ、早速一問目――」
唇を湿らせ、瞬時に頭の中で言うべき台詞を整理する。さあ、ここからが本番だ。
「織田さんは、人を殺したことがありますか?」
「あるよ」
驚いた。答えの内容ではなく、あまりにも呆気なくそれを肯定したことに、だ。
「なに驚いてンだよ。正直に答えろっつったのは、オメェだろーが」
「あ……はい。じゃあ、次の質問。それは、俺の知っている人間ですか?」
「知っている、って表現がアイマイだな。それは、知り合い、ってことか? それとも、文字通り存在を知っている、ってことか?」
「後ろの方で、お願いします」
「なら、イエスだな。お前の知っている人間だ。お前の知っている人間を、俺は殺した」
「それは――滝なゆたですか?」
「そうだ」
「紫苑駅のホームから彼女を突き落として殺したのも、アナタですか?」
「そうだ」
「その後、別の方法で、彼女を殺したことがありますか?」
「ある」
「それは、ほぼ毎周続けて、ですか?」
「ああ」
「今日も――俺が麦原と白石の家に行っている間にも――アナタは、彼女を殺したていたんですか? 返り血で汚れたから、それでジャージに着替えたんですか?」
「そうだ」
「…………」
「ん? もう終わりか?」
悠一は項垂れ、深く長く、静かに息を吐く。呼気が熱い。頭の奥の方で、疼痛を感じる。
――そうだ――そうだ――そうだ――
織田の肯定が、何度もリフレインする。
滝なゆた殺害の犯人は、織田広樹だった。
この男は、悠一にとっての一周目から三周目に渡って、繰り返し紫苑駅ホームから彼女を突き落とし、その命を奪ってきた。四周目を境に人身事故がなくなったのは、悠一が彼女の救出を目的に、紫苑駅ホームの張り込みを始めたからだ。しかし、滝なゆた殺害自体は、その後も継続していた。悠一も姉の沙樹も知らず、また報道もされなかったのは、きっと夜道で襲い、死体を隠すなどして、秘密裏にこっそりと行ったからだろう。四周目以降も、彼女はずっと殺され続けていたのだ。悠一が『グループ』と接触してからも――織田自身と初めて接触したこの周も――ずっと。
「なんで……」
息苦しさを感じながらも、悠一は呻くようにして、次の言葉を発する。
「何で、そんなにあっさりと答えられるんですか……」
織田には質問と言ったが、実際は、『質問』ではなく『確認』だった。悠一は一連の出来事を事実として捉え、それを織田が認めるかどうか――それを、確認したかったのだ。だけど、まさかここまであっさりと認めるだなんて……。
「だから、正直に答えろっつったのはオメェだべ? 事実は事実だし、誤魔化しようがねェし、聞かれたからにはイエスと答えるしか
ねェだろうがよ」
「アンタに罪の意識はないのかよっ!?」
「ねェな」
「え……」
「何を勘違いしてるが知らねェけど――俺は別に、殺したい程の恨みをあの女に抱いてた訳じゃねえ。金目的でもないし、スケベ目的でも、もちろん快楽殺人でもない。上に指示されたから――職務として、俺は殺しをやってたにすぎない。指示したのは新城だが、俺はその理由を聞いて、納得した。納得して、俺は滝なゆたを殺し続けている。むしろ、罪の意識を感じる方が問題なんじゃねえか?」
……何を。
この男は、何を。
目の前に座る、金髪メッシュ、三十路直前の日雇い派遣は――
一体、何を言っているんだ?
「指示って……職務って……アンタは、そんなことのために、罪のない人間を……」
「罪のない人間!? なゆたんがか!?」
ショックで呼吸が苦しくなる悠一が、何とか吐き出した言葉。織田はそれを――鼻で笑う。
「笑わすなよ!? オメェ、あの女はな――」
「そこまでだ、織田君」
冷静な――気に障る程に冷静な――声が部屋に響いたのは、その時だった。視線をやれば、そこには窓枠に腰掛ける男の姿。折り目のついたスーツを自然に着こなし、細長い脚を組んで、見えているいるのかどうか分からない糸目で、こちらを睨んでいる。
「全く、君はどこまでも口の軽い男だねぇ。あれほど忠告したというのに……。君は馬謖にでもなるつもりかい? さすがの私でも、君ほどの人材を斬ったら、泣いてしまうかもしれないよ?」
「……いつから、そこにいたんですか。新城さん」
「うん? 私は今来たばかりだけど?」
当たり前のように窓から侵入しているが、他に方法はないのだろうか? 今の状況ではどうでもいいことだが。
「とは言え、話は全て聞かせてもらったがね」
「全て? 今、来たばかりなのに?」
「織田君の携帯、ずっと通話中になってたのだよ。こんな重要な局面、織田君一人では心許ないからね。どういう理由からか、君は核心に触れつつあるようだし」
「俺は――核心に、触れつつあるんですか?」
聞き捨てならない台詞だった。
「オイオイ。アンタも人のこと言えねェじゃねーか」
さっきまでと同じ姿勢のままで、織田が新城を睨む。
「おっと、私としたことが失言だったかな。忘れてくれ」
「忘れる訳ないじゃないですか。教えて下さい。この人は、何のために滝なゆたを殺したんですか。一般人を継続して殺し続けなきゃならない任務って、一体何なんですか。そもそも、アンタらは俺に隠れて何を――」
「その前に」
人差し指を突き出し、矢継ぎ早に質問を繰り出そうとする悠一を黙らせる。
「君がその結論に至った、根拠を見せてもらうのが先だ」
糸目の奥からじぃっと悠一を見据え、新城はそう言い放つ。
「織田君との約束を、忘れた訳じゃないよね?」
「そうだな。そろそろ、教えてもらってもいい筈だ。さっきも言ったが、オレは約束を守らない人間は許さない」
「だ、そうだ。言うことを聞いた方が身のためだと思うけどね。織田君がキレたら、私でも制止できない」
新城と織田、二人がかりで悠一を圧迫してくる。逃れる術はなさそうだ。仕方ない。悠一は溜息を漏らし、机の引き出しからそれを取り出し、二人の前に置く。
例の、封筒だ。
「これが、俺ン家の郵便受けに入れられてたんです。内容は――読んで判断して下さい」
【午後9時13分】
『突然の手紙で失礼します。
きっと、あなたはこの手紙を受け取って、ひどく驚いていることでしょう。いたずらにあなたを混乱させるつもりはなかったのですが、急を要することなので、いささか不躾な真似をとらせて頂きました。
お察しの通り、わたしはあなたと同じ、今日という一日を延々と繰り返しているものです。訳あって氏素性は明かせず、手紙などという回りくどい方法をとらせてもらいました。
さて、前置きはこのくらいにして、本題に入りましょうか。
あなたは今、過去数周に渡って命を落とし続けている、滝なゆたという女性の死の真相を追っているのではないでしょうか。そのために、今は『グループ』と名乗る集団と行動を共にしているのだと思います。きっとあなたは、彼らと一緒にいることで何らかの情報を得られるのだと考えているのかもしれませんが、結論から言うと、それは間違いです。
何故なら、彼らこそが、滝なゆた殺害の首謀者だからです。
より具体的に言えば、『グループ』の中のオダヒロキという男が実行犯で、この男こそが、彼女を繰り返しホームから突き落としてきた張本人なのです。
あなたはご存じないかもしれませんが、滝なゆた殺害は、今でも続いています。さすがにホームから突き落とす、という方法はやめたようですが、その代わり、オダは学校帰りの彼女を夜道で待ち伏せ、通り魔よろしく刃物等で襲うという方法で、ほぼ毎周に渡って、非人道的な所行をしているのです。
その動機や目的は分かりませんが、ただ一つ言えるのは、『グループ』は信用するに値しない集団だということです。リーダーのシンジョウは詐欺師だし、その下の連中はヤクザ同然です。少しでも歯向かおうものなら、想像を絶する程の暴力で大人しくさせられるだけです。信用して近付いたが最後、時にペテンで、時に暴力で、あなたを服従させようとするでしょう。
これは警告です。
今すぐに、『グループ』から離れて下さい。
奴らはなかなかあなたを離そうとはしないでしょうが、どうにしかして、逃げ切って下さい。決して、奴らに隙を見せてはいけません。是が非でも、奴らを振り払って下さい。
この手紙を信用するかどうか、それはあなたの自由です。いずれにせよ、読み終わったら、封筒ごと燃やすなりして、必ず破棄してください。決して、奴らに見つからないようにしてください。
では、ご無事を祈っています。
あなたの成功を願う、とあるリピーターより』
「こりゃ、何つーか……」
新城の後ろから手紙を覗き込んでいた織田が複雑な表情を浮かべる。
「……オメェは、これを信じたのか?」
「少なくとも、アンタらよりは信じられます」
「いや、信じンなよ! こんなうさんくせェ手紙!」
確かに、胡散臭い。織田が怒るのも分かる。『グループ』の連中は、今まで必死になって、悠一との信頼関係を結ぼうとしてきた。それなのに、その横から突然、『グループ』を糾弾する謎の手紙を出されて、しかも悠一はそっちを信用すると言っているのだ。これは、織田じゃなくても怒るだろう。
だけど、そこで折れる訳にはいかない。この手紙、胡散臭いのは確かだが、だからといってそれで無視していい類のモノではない。
「じゃあ、この手紙は何なんですか? これ書いたの、リピーターの誰かですよ? それも、ただリピーターってだけじゃなく、俺のことも、『グループ』のことも、ここ最近起きたことも、ずいぶん詳しく知っている。もちろんその中には嘘も混じってンのかもしれないけど――それにしたって、嘘や推測でこんな文章、書けないでしょ? どう考えたって、イタズラなんかじゃないことだけは、確かだ」
「これは罠だ!」
激昂した織田が立ち上がる。さっき悠一が質問攻めにした時は平然としていたくせに、今回はずいぶんな慌てようだ。やはり、この手紙には何かがあると見て、間違いなさそうだ。
「誰か、『グループ』をよく思ってない連中が、オレらのことを陥れようと――」
「織田君」
興奮し、声を上ずらせて叫ぶ織田を、再び新城が宥める。
「一旦、落ち着こう」
「でもよ――」
「君は口が軽すぎる。問題なのは、そのことを君自身、自覚できていない点にある。今、君に必要なのは、議論を戦わせることでも、得物を手に暴れ回ることでもない――ただ一つ、落ち着くことだ」
静かな口調でそう語り、いつかのように自分の鞄から水筒と紙コップを取り出す。
「コーヒーでも飲んで落ち着くといい。コーヒーはいいよ。カフェインには鎮静作用があるから」
初めて会ったときと同じ台詞を吐きながら、新城は洗練された物腰で、コーヒーを注いでいく。
そして、テーブルには三つの紙コップが並べられる。
「……あ、俺はコーヒーはいりませんけど……」
「大丈夫。今回は砂糖とミルクも用意してある」
言いながら、目の前にスティックシュガーとミルクポーションを置く。どこまでも用意のいい男だ。
「君も、こんな狂犬に思い切った質問ばかりして、緊張しただろう? 緊張した時は喉が渇く。喉が渇いていては発言もままならないだろう。水分は大事だよ。それに、疲れた時には糖分もまた、不可欠だ。カフェインと水分、糖分を一緒にとって、小休止と行こうじゃないか。かく言う私も、急いで来たものだから、いささか疲れているしね」
ゆったりと微笑みながら、目の前にあるコーヒーに口をつける。隣の織田も腰を下ろし、無言で湯気の上がる紙コップを手に取る。悠一は二人がコーヒーを飲み込むのを確認してから、砂糖とミルクをたっぷり入れて、同様に口をつける。この前新城に出されたそれと違い、味は幾分マイルドになっている。飲みやすい。気のせいか、気分も落ち着いてきた気がする。これがカフェイン効果だろうか。それとも、直前にそう聞かされていたせいで、錯覚しているだけか。
騙されやすい。
小鳥遊悠一を構成する要素その一。騙されやすい自分とプラシーボは、きっと、とてつもなく仲がいい。
「――さて、ここからは、織田君に代わって私がこの場を仕切らせてもらおう」
安っぽい紙コップを傾けながら、新城がわずかに右の口角を上げる。横の織田は、黙って新城の言葉に耳を傾けている。ぞんざいな口を聞いてはいるが、上司に逆らう気はさらさらないらしい。新城は新城で、織田の方など見向きもしない。織田が反論などしないと、最初から分かっているのだろう。これも、一つの信頼関係と言えるのだろうか。紙コップを口に運びながら、悠一はぼんやりとそんなことを考えていた。
「まずは、状況の整理からだ。
麦原君に解放された小鳥遊君は一時帰宅を果たし、夕食の席でこの手紙が自宅の郵便受けに投函されていたことを、お母さんから知らされる。具体的に、投函された時刻は分かるかい?」
「さあ……。朝、オヤジが新聞を取りに行った時はなかった筈です。母親が見つけたのは、夕方の四時すぎ、買い物から帰った時で――」
「朝の六時半から夕方の四時までの間、か。ふん。そこから得られる情報は、何もなさそうだね。封筒も便箋も、大量に流通している市販品。おまけに、文面は活字で書かれている。
ならば、問題は内容の方だ。便箋二枚に渡って書かれた手紙――一言で言えば、私たち『グループ』を糾弾する内容が書かれている。滝なゆたをホームから突き落とし、今なお殺害を続けているのは『グループ』の『オダヒロキ』だと――『グループ』は詐欺師集団だと、この手紙の主は断定している。
その内容を受けた君は、色々と悩んだ挙げ句、結局誰にも相談せず、自身の疑問と不審を、迎えに来た織田君にそのままぶつけてしまう。そして、織田君はそれら全てを、あっさり認めてしまう。滝なゆたを殺したのは自分だと。その後も、彼女を殺し続けているのだと――全てを、認めてしまう。
当然の帰結として、君はその目的を尋ねる。だが、織田君は答えない。否、危うく答えそうになっていたのだけど――そこに、私が登場して、事なきを得る。私たちは小鳥遊君に根拠の提出を求め、君はこの手紙を差し出した。そして今に至る――と。
ここまでで、何か異論はあるかい?」
「異論つーか……あの、これ、何のための状況整理ですか?」
「と言うと?」
ニッコリとわざとらしい笑みを向けながら、新城は尋ねてくる。
「意味がない、って言ってるんですよ。俺が知りたいのは――どうしてアンタらは、滝なゆたを抹殺し続けているのか、その一点だけなんですけど」
「――私がそれに答えるとでも?」
温度を感じさせない声で、いとも簡単に、新城はそう答える。
「答えてもらわないと、困ります」
「君が困っても、私たちは困らないんだよ」
「何のために、素直に手紙のことを話したと思ってるんスか」
「ん? そう言えば、何のためだ?」
「惚けないで下さい! アンタらから、本当のことを聞き出すためじゃないですか! こっちは手札晒したんだから、次はアンタの番だろうが!」
「そんなルールを了承した覚えはないよ。君が何を晒そうが、それは君の勝手だ。取引は成立しない」
「……あくまで、隠し通すつもりですか」
「いつまでも隠すつもりはないさ。時期が来たら、君にはちゃんと知ってもらう。だけど、今はまだ、早い」
また、時期――か。
「そのことを知るには、君はまだ決定的なことを知らないでいる。この世界のルールを、君はまだ、理解していない」
「じゃあ、それも含めて教えてくださいよ!」
「私が教えたのでは、意味がないんだよ」
またそれか。
もう、うんざりだ。
「どうしても、教えるつもりはないんですね……」
「それよりも、私は別のことが気になるね。君も、気になっている筈だ」
「何ですか。他に気になることなんて、何も――」
「手紙の主だよ。気にならない訳がないだろう?」
「…………」
「それとも、君はすでに察しがついているのかな? 手紙の主は、小鳥遊君がリピーターであること、滝なゆたの死の謎を追っていること、『グループ』との接触を済ませていること、そして、織田君がそれの実行犯であること、織田君は『グループ』の指示で動いていること――それら全てを把握している。それを、手紙という形で君に警告しながら、決して身元は明かさないでいる――君には、そんな人間に心当たりがあるのかな?」
「……ねェよ」
「本当かな? まあ、私たちに本心を話す必要はないが……自分に嘘を吐くのは、感心しないな。君、本当は、気が付いてるんじゃないのかな? この手紙の主に。自分に警告を与えた人間に」
頭がガンガンしてきた。視界に靄がかかり、新城の言葉がフワフワと浮遊し、ゆっくりと脳に沈着していく感覚。
この手紙を書いたのは――
『グループ』に心を許すなと、警告するのは――。
「おい、そろそろ効いてきたんじゃねェか?」
遠くの方で、織田が新城に向かって何かを言っている。躰がグラグラと揺れる。急速に、意識が遠のいていく。
「そのようだね。……小鳥遊君、私からも一つ、忠告をしてあげよう」
靄の向こうで、新城が微笑む。だけどそれは、水に落とした水彩絵の具のように、瞬く間に輪郭を失っていって……。
「信用できない人間の用意したものを、安易に口にするべきではないよ。何が入れられているか、分からないからね」
さっきのコーヒーに、薬を……?
だけど、二人が飲むのを確認してから、口にしたのに……。
自身の疑問が形を結ぶより早く、悠一はその場に倒れ込んだ。
潮が引くように、意識が遠のいていく。
あまりにも長かった十一周目は、そうして幕を下ろした。




