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28.ハンカチとエスコート

 夏のある日、ミラジェーンがブライズ侯爵と登城すべく支度をしていると、侍女が招待状を持ってきた。


「旦那様、お嬢様、こちら月末にお城で開催されるパーティの招待状でございます」


 ブライズ侯爵は自身と妻宛の招待状を受け取った。そこにはアドルフの名も添えられており、差出人は国王夫妻だ。

 ミラジェーン宛の招待状は差出人が異なり、エース・ニーズヘッグ個人の名が記されていた。


「わたしとミラに別々に? 殿下もいよいよ本気を出されたか」


 ミラジェーンは何とも言えない面持ちで招待状を受け取った。


「……当日のエスコートは、どのようにすればよろしいのでしょうか?」


「たぶん、第二王子が迎えにいらっしゃるんじゃないかな。中に、そういうことが書かれていないかい?」


「……書かれております」


 ミラジェーンは、殿方に誘われたとは思えぬほど渋い面持ちで招待状を見つめていた。

 あまりの表情に、ブライズ侯爵は笑いをこらえながら様子をうかがった。


「あまり、嬉しそうではないね?」


「そういうわけではありませんが、私、婚約破棄したばかりですし、あまり浮かれた様子を見せるのもいかがなものかと」


 ブライズ侯爵は、娘の渋い面持ちが照れ隠しであると気づいて表情を緩ませた。


「ああ、一応嬉しくはあるのだね? よかった。本当によかった」


「よかったですか?」


 ブライズ侯爵は微笑むだけだった。



 やがて馬車の支度が整い、ブライズ侯爵とミラジェーンは登城した。

 二人は入口で別れ、ミラジェーンはブライズ侯爵を見送ってから、財務官用の執務室で仕事を始めた。

 午前中いっぱい、ミラジェーンは引き継ぎの取り下げや疫病対策、年内の王家主催のパーティに割ける予算の編成など、いつも通りの仕事にいそしんでいた。


「……ミラジェーン様、こちらの予算もご確認いただけますか?」


「はい、これは第二王子の地域外遊……殿下、何をなさってますの?」


「あは、バレちゃった」


 書類を差し出したのは、若い財務官に扮したエースだった。

 アメジストの瞳が柔らかく細められ、銀の髪がさらりと流れて、日の光に透けていた。


「そろそろ昼時だから、誘いがてら説明に来た。今いいかな?」


「大丈夫です」


 ミラジェーンは立ち上がり、応接用の席でエースと向かい合った。

 エースは手にしていた書類をミラジェーンに向けた。


「来年、兄上が成人すれば、正式に父上の跡取り、つまり次期国王になるわけだ」


「そうなりましたら、殿下は叙爵なさるのですよね?」


「そのつもりだ。タイミングは父上や兄上と相談中だが、どんなに遅くとも、俺が成人するときには公爵の爵位を授かる予定だ」


 そうしないと一部の貴族が勝手に派閥争いを起こすからね、とエースは苦笑した。


「そうしたら俺は国の中央政治にはあまり関わらず、辺境伯たちの取りまとめ役になっていくわけだ。叔父上のようにね。それに向けて、来年の春から地方政治の見学をさせてもらうことになったんだ。これは、その初期の計画書」


「なるほど」


 ミラジェーンは頷いて手元の書類に目を通した。

 数年をかけて各地域を回る計画が記されており、国王の押印とオリン公爵、ブライズ侯爵の署名もなされている。


「そういうことでしたら、もちろん予算はご用意いたします」


「よろしく頼むよ。それで、ここなんだけど」


 エースは書類の一箇所を指した。

 そこには同行者の概要が記されており、財務担当も一名付き添うとされている。


「これには、君に来てほしい」


「わたくしですか?」


「うん」


 エースはにこりと微笑み、まっすぐにミラジェーンを見つめた。


「各地域の貴族領が健全に経営されているかの確認と、俺の個人的な資産の管理を頼みたい」


「……それって」


 ミラジェーンはエースを見つめ返した。


「ミラ、俺が君に思いを寄せていることは、知っていると思うのだけど」


 エースは穏やかに言った。

 ミラジェーンは口をへの字にして、眉間に皺を寄せていた。

 美貌の第二王子から求愛を受けている最中とは思えぬ不機嫌な表情に、周囲の財務官や侍女は気を揉んだが、口を挟むわけにもいかず、遠巻きに様子をうかがっていた。


「私は殿下より年かさです。殿下が年増に籠絡されたなどと噂が立ってはなりません」


「構わない。言いたい連中には言わせておけばいい」


「ですが」


「というより、王都在住の貴族で、俺がミラに恋慕していることを知らない者は、そうそういないと思う」


 エースの言葉に、ミラジェーンの顔はますます渋くなった。

 彼女も理解してはいるのだ。

 エースの好意も、自分が意地を張っているだけだということも、理解していた。それに、中央の政治と経済に詳しいミラジェーンが地方を回る第二王子を支えることが、国益になることだって。


「……殿下は」


 絞り出すようなミラジェーンの声に、エースは小さく頷いた。


「殿下は、私のことをエスコートしてくださいますか」


「俺が君をエスコートしなかったことはないし、生涯にわたって君だけの手を引く所存だ」


 ミラジェーンは顔をくしゃりとゆがめ、うつむいた。自分の視界に入った、インクで薄汚れた指先が滲んでよく見えなかった。


「私が仕事をしているのはおかしくないと思われますか」


「もちろんだ。君と君の父君には、父上共々長年にわたって世話になっている。君が王家の金庫番として采配を振るってくれるから、父上も兄上も、そして俺も安心して国政に集中できるんじゃないか」


「……わたしのことを、大事にしてくださいますか」


 小さな拳が、ミラジェーンの膝の上で白くなるほどに握られていた。そこにポタポタと雫が落ちる。

 エースは立ち上がり、彼女の前に跪いた。

 胸元のハンカチを取り出し、ミラジェーンの目元に当てた。


「生涯、ミラジェーン・ブライズを大切にする。病めるときも健やかなるときも、君が笑顔でいてくれるよう、俺は努力を惜しまないと誓う。愛している、ミラ」


 静まりかえった部屋に、ミラジェーンがかすかにしゃくり上げる声だけが響いていた。

 財務官たちは落ち着かず、仕事も手につかないまま遠巻きに様子をうかがっており、エースもミラジェーンの手を取り、静かに彼女が泣き止むのを待っていた。


 やがて落ち着いたミラジェーンは、ハンカチで目元を拭った。


「殿下」


「うん」


「このハンカチを、返してください」


「嫌だよ」


 エースはハンカチに素早く手を伸ばしたが、ミラジェーンはそれを握りしめ、背中に隠した。


「返してくれ。それは俺が最愛の人からもらった大事な品なんだ」


「返しません。月末のパーティまでに新しく作り直してお贈りします」


「……本当に?」


 跪いたまま、エースは笑みを浮かべてミラジェーンを見上げた。

 ミラジェーンも、まだ目元を赤くしたままエースに向かって微笑んだ。


「はい、必ず。お約束いたします」


「わかった。じゃあ、さっそくだけど」


 エースは立ち上がり、ミラジェーンに手を差し出した。


「昼食をご一緒してくださいませんか、レディ?」


「よろこんで」


 二人の手が重なった途端、財務官たちが拍手をし、ミラジェーンは真っ赤な顔で手を振り払おうとしたが、エースは断固として離さなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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