24.手続きと作戦
「えっと……」
エースの勢いに気圧されたミラジェーンは、何を言えばよいか分からずうつむき、再びエースを見た。
目の前の第二王子は、ひどく怒っているように見えた。それも、自分のために。
「……わたくしに、殿下に怒っていただくような価値がございますか?」
「ある」
「殿下は、わたくしに何をお望みですの?」
「幸せになってほしい」
幸せとは何かと、ミラジェーンは考えた。
少なくともオリン公爵夫人になることは、幸せではなさそうだ。
ならば……。
「ですが、わたくしの婚約は公爵家と王家の承認がすでになされています。正当な理由もなく婚約破棄だなんて」
ブライズ侯爵夫妻がこの婚約をよく思っていないことは、さすがのミラジェーンでも分かっていた。しかし、立場上拒絶できなかったのだ。
国の金庫番として、国王の政治的右腕である公爵家を、借金を理由に没落させることはできない。
「本当に馬鹿だなきみは」
考え込むミラジェーンに、エースは呆れたように笑った。
「不貞は正当な理由じゃないか」
ミラジェーンはぽかんとした面持ちでエースを見た。
それから秘書官の青年と侍女たちに目をやると、皆が勢いよく頷いていた。
第二婦人を娶る際には互いの了承のもと、貴族会にて承認を得る必要がある。ただの浮気や不貞は法律上許されない。
「嫌ですわ。わたくしったらどうかしておりました。本当に……不貞は立派な婚約破棄の理由でしたわね」
ミラジェーンは思わず笑い出した。
涙が出るまで笑って、侍女に顔を拭かれた。
茶のお代わりを頼んでから、ミラジェーンはエースへと視線を向けた。
「殿下、婚約破棄の手続きの方法をご存じでいらっしゃいます?」
エースが振り向くと、秘書官がすっと前に出た。
「まずはブライズ侯爵家とオリン公爵家の家長の承認が必要でございます。次いで国王陛下のご承認を賜り、最後に貴族会への報告を済ませれば、婚約は正式に破棄となります」
「つまり、エリオット本人の了解はいらないんだな」
エースが問いかけた。
「要否で申し上げれば、不要でございます。そもそも婚約という制度は家同士で取り決めるものであり、当人の意思は関係ございません」
「だよなあ」
だからこそエースは婚約手続きではなくミラジェーン本人に求愛を続け、結果オリン公爵家に先を越された。それを思い出し、エースはわずかに苦い表情を浮かべた。
そんなエースの様子には気づかず、ミラジェーンは考え込んでいた。
婚約破棄の意志を伝えるのならまずは両親だ。
次いでオリン公爵家へ赴くのがよいと思われた。おそらく両親も同伴した方がよいのだろう。きっとオリン公爵夫妻は反対するだろうから。
「エリオット様にも婚約破棄の意志をお伝えしようと思います」
エースは苦い表情をミラジェーンに向けた。
「あまり勧めないけど」
「エリオット様はそもそも私のことを好いておられませんし、家のことにも頓着なさっていないご様子ですし、婚約を破棄すれば清々なさるのでは?」
「そう単純なものでもないと思うけどね」
渋い返事をするエースに、ミラジェーンは首を傾げ、秘書官が手元の書類をめくった。
「こちらにエリオット氏の発言として『あいつは金を産むニワトリだからさ、オリン公爵家で丁重にしつけてやらないとね』とありますが、主、睨まないでください。わたくしは読み上げただけでございます。ブライズ嬢個人の考えや気持ちを汲むとは考えられません」
「えっと、つまり?」
「あえてきつい言い方をいたしますが、この手の男は飼い犬に手を噛まれたようなものだと判断するのではないでしょうか」
エースが思い切り嫌な顔をして頷いた。
ミラジェーンも眉間にしわを寄せたが、エースと秘書官の表情から、それが真実なのだろうと判断するしかなかった。
「殿下、わたくし、不愉快ですわ」
「そりゃそうだ」
口をへの字にしたミラジェーンを見て、エースは苦笑した。
「失礼ではありませんこと?」
「うん、失礼極まりないことだと思うよ」
「どうしてくれましょうか」
「婚約破棄を満面の笑みで告げてやればいい」
「それでエリオット様は反省なさいますか?」
「しないだろうね」
「しないんですか」
ミラジェーンは不機嫌な顔でエースを見たが、彼は相変わらず苦笑するばかりだった。
「すぐには、ね。でもまあ大丈夫。少なくともオリン公爵家には大ダメージだ」
「別にオリン公爵に恨みはございませんけれど」
「恨んだ方がいい」
「そうなんですの?」
エースは肩を竦めて遠くを見た。
ミラジェーンが視線を追うと、その先には黄色い百合が咲いていた。
「自身の監督不行き届きの尻拭いをきみにさせようとしたのだからね。挙げ句、息子のこの有様を止められず、オリン公爵家の評判を失墜させた。公爵家当主としての資質が問われる。誰が問わずとも、この俺が問う」
「殿下」
「なんだい」
「お怒りでいらっしゃいますの?」
「怒っているよ、とてもね」
ミラジェーンは目を細めてエースを見つめた。
エースは今までと違うミラジェーンの反応に目を見開いた。
しかし彼女は何も言わずに立ち上がった。
「ところで、今は何時でしょうか」
「そろそろおやつ時でございます」
秘書官が告げると、ミラジェーンは顔を青くした。
「まあ、わたくし、午後の仕事を失念しておりましたわ」
「大丈夫です、お嬢様」
ミラジェーンの侍女が微笑んだ。
「先ほどお茶をお持ちした際に時間がかかると財務官様方にお伝えしてあります」
「ありがとう。さすがだわ」
「とんでもない。話もまとまったようですし、お茶とお菓子をお持ちしましょう」
「そうしよう」
エースも立ち上がった。
「軽く作戦会議でもしてから仕事に戻ってくれ。ある程度方針を固めないと、仕事にも手がつかないだろう?」
「ありがとうございます。そうさせてください」
ミラジェーンは来たときよりもずっと軽い足取りで、温室の入り口にあるテーブルへ向かった。
***
「お父様、帰ったらお話がありますの」
ミラジェーンはエースと作戦会議を終えた後、帰宅途中の馬車でブライズ侯爵に声をかけた。
「……聞こう。今じゃなくていいのかい?」
「はい。お母様にも聞いていただきたい話ですので」
「わかった」
それきりブライズ侯爵は追及せず、ミラジェーンも何も言わなかった。
帰宅後、ブライズ侯爵とミラジェーンはまっすぐ食堂へ向かった。
すぐにブライズ侯爵夫人とアドルフもやって来て、四人は席についた。
「ミラ、話とは?」
「エリオット様との婚約を破棄させていただきたく思います」
「そうか、手続きについては確認してあるのかい?」
あっさりと頷いた父に、ミラジェーンは目を丸くした。
「お、お父様、そんなにあっさりと受け入れてしまってよろしいのですか?」
「私たちからもそれとなく、あなたに婚約破棄をすすめようか相談していましたから」
「えっ」
夫人が侍女にサラダを取り分けさせながら淡々と続けると、ミラジェーンはますます困惑した。どうも、エリオットの醜態を知らなかったのは自分だけらしい。……もっとも、周囲が気を遣って隠していた可能性も高いが。
すでに食事を始めていた兄までもが大きく頷いた。
「あの男の女遊びは、今や貴族の間ではいい噂の種だからな。恋人も友人もそろばんだけだと自負している俺の耳に入るくらいにはな」
「お兄様はもう少し社交界に顔をお出しになって……そんなに?」
「そんなに、なんだ」
ブライズ侯爵が重々しく答えた。
「今日、オリン公爵が登城していたのは知っているね? あれは国王陛下からのお叱りだよ。エリオットくんの手綱を握れていなかったことに対するね」
「あ、だから殿下に挨拶を止められたのですね」
ミラジェーンがエースに、オリン公爵への挨拶をやんわりと止められたことを話すと、アドルフが笑った。
「そりゃ止めた方がいい。エリオットくんとミラの格の違いを見せつけるようなものだからな」
「お兄様はエリオット様がお好きではありませんのね」
「好きなわけないだろう。あんなひょうろく」
「ひょうろく……?」
今日は聞き慣れない罵倒ばかりだと思いながら、ミラジェーンは首を傾げた。
「間抜けで愚鈍だと言っているんだ。ブライズ侯爵家長女の婿にふさわしい人物だとは、とても思えない」
冷たく言い放つアドルフに夫人も同調した。
「ええ、その通りです。貴族の情勢にも他国との関係にも疎く、なにより我が家を無遠慮に見下している。いいですか、ミラジェーン。東の国にはこういう言い伝えがあるそうです。舐められたら首を取れと」
「本当ですの……?」
「お前たち、落ち着かないか。首はさておき」
怒りに駆られた妻と息子を宥めつつ、ブライズ侯爵はミラジェーンを見た。
彼の手元の皿は、きれいなままだった。
「国王陛下も状況をご存じで、どうにか火消しをなさろうとはしていたがね。ほら、陛下は愛妻家でいらっしゃるから」
「そうでしたの」
一般に国王は離宮に第二妃や第三妃を置き、愛妾を囲うこともあるが、現国王はそのようなことはしなかった。
正妻が王子を立て続けに二人産み、どちらも健やかに育っているから……というのが公式の理由だが、実際には国王が正妻を深く溺愛していたためである。
そのような国王夫妻を見て育ったアッシュとエースもまた、浮名を流すこともなく恋人を作ることもなく、それぞれデビュタントで見初めた相手のみに求愛していた。アッシュは早い段階で恋を実らせ、婚約まで済ませた。
しかし弟のエースは、相手がなかなか首を縦に振らず……という事情を、ミラジェーン本人だけが理解していなかった。
「では、オリン公爵に婚約破棄の意思をお伝えし、エリオット様にもご理解いただいた上で話を進める……ということでよろしいでしょうか」
「オリン公爵はともかく、エリオットくんはそう簡単には首を縦に振らないと思うがね」
「殿下にもそう言われました。ですので、作戦を考えたのですが」
ミラジェーンはエースや秘書と相談したことをブライズ侯爵夫妻と兄に話した。
三人は頷き、いくつか助言を与えながら詳細を詰めた。
「やるしかありませんのね」
「残念だけどね」
アドルフの気のない返事に、ミラジェーンは黙ってフォークを置いた。
「……お先に失礼します」
ブライズ侯爵夫妻が気遣うような視線を向けたが、ミラジェーンはそれに気づかぬまま食堂を後にした。
そして手早く湯浴みを済ませ、そのまま床についた。
できる限り心身を休め、決戦に臨まねばならない。
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