地獄の門を開けたら、そこは五つ星の聖域でした
「――全員、気を引き締めろ。ここから先は、伝説の黒竜グラオザームの縄張りだ。一歩でも油断すれば、灰すら残らんぞ」
王国最強と名高い冒険者パーティ『暁の剣』のリーダー、重戦士の「ガイ」は、錆一つない自慢の大剣を握り締め、背後の仲間に鋭い視線を送った。
彼は、王国でも指折りの「生真面目」で知られる男だ。冒険においても礼儀と秩序を重んじ、魔物を倒す際ですら、最後の一撃の前には一礼を欠かさないという、融通の利かない堅物である。
「……ガイ、なんか変じゃない? ここ、最深部のはずなのに……」
魔導師の少女が、困惑気味に周囲を見渡す。
洞窟特有の湿り気や獣臭さが、まったくない。それどころか、壁面の発光苔すら、まるで間接照明のように計算された配置で輝いている。
「……ふむ。確かに、魔気の乱れが感じられん。……だが、油断は禁物だ。伝説の竜ともなれば、自身の気配を完全に殺すことも――」
ガイが慎重に、かつて「絶望の門」と呼ばれた巨大な扉を開けた、その瞬間。
「――いらっしゃいませ。……と言いたいところですが、あいにく本日の予約表に、貴方方のような『泥団子』の名前は見当たりませんね」
鼓膜を震わせる、冷徹で、かつてなく美しい声。
「……は?」
ガイたちが目にしたのは、炎を吐く竜でも、おぞましい魔物でもなかった。
そこには、純白の絨毯が敷き詰められた広大なロビー。天井には魔力で輝くクリスタルのシャンデリア。
そして、その中央で燕尾服を完璧に着こなし、銀縁眼鏡を光らせた一人の執事が、トングを手に立っていた。
「な、なんだお前は!? 魔王はどうした! グラオザームは!?」
「あぁ、その『大型換気扇』なら、あちらで廊下のワックス掛けをさせています。……それより貴方方」
ルシアンの視線が、冒険者たちの足元――特に、リーダーであるガイのブーツに突き刺さる。
氷点下まで凍りつくような、本気の「殺意」を込めた視線。
「……その、泥と返り血と雑菌を塗りたくったブーツで、私が三時間かけて磨き上げたベルギー製(風)の絨毯を踏み抜くとは。……貴方方の脳内には、『土足厳禁』という概念を司る細胞が存在しないのですか?」
「……ッ!? し、失礼した! 拙者、あまりの衝撃に、つい……!」
ガイは、ルシアンの「威圧感(殺意)」よりも、自身の「無礼」を指摘されたことに衝撃を受けた。
彼は即座に大剣を背負い、その場でブーツを脱ぎ捨てると、絨毯の外側へと正座した。
「……ほう。多少は、話が通じる『粗大ゴミ』もいるようですね」
ルシアンは、眼鏡を指で直しながら、正座するガイを見下ろした。
「ですが、遅すぎます。……ニーナ! 消毒液を! 濃度を通常の三倍にして、この不潔な侵入者どもを丸洗いしなさい!」
「はいはーい! ルシアンさん、落ち着いて! 今、超強力除菌スプレー持ってきたから!」
奥からパタパタと駆け寄ってきた新人メイドのニーナが、呆然とする他の冒険者たちと、正座するガイの顔面に、容赦なく「聖水(中性洗剤入り)」を噴射する。
「目が、目がぁぁぁ! 聖なる力で浄化されるぅぅぅ!!」
「……ぐっ、見事な洗浄力だ……。拙者の顔面の脂が、一瞬で……!」
ガイは、洗剤が目に染みながらも、その圧倒的な「清浄の力」に感銘を受けていた。
「騒がないでください、飛沫が飛びます。……さて、貴方方」
ルシアンは、もがく冒険者たちの襟首をトングでつまみ上げた。
「本来なら『特定大型廃棄物』として即刻処分するところですが、幸いにも本日は『客室の寝心地テスト』の検体が必要でした。……死ぬ気で私の『おもてなし』を堪能しなさい。……一滴でも寝汗を流せば、その瞬間に床のシミ抜き剤として加工しますからね」
「……おもてなし、か。……願ってもない。拙者、この聖域の主に、改めて礼を述べねばならんと思っていたところだ」
ガイは、ルシアンの「おもてなし(洗浄)」という言葉を、本気の歓迎だと勘違いし、真剣な表情で頷いた。
こうして、地獄を覚悟して乗り込んできた王国最強のパーティは、ルシアンによる「恐怖のスパ&エステ」という名の地獄の洗浄へと引きずり込まれていった。
数時間後。
『暁の剣』の五人は、それぞれ別の客室で、前世の記憶を失ったかのように横たわっていた。
超高圧ジャグジーで皮膚の角質(と精神の角)を削ぎ落とされ、雲のようなベッドで重力から解放され、ルシアンが淹れた完璧な紅茶に涙し、彼らは今、人生で最も「清潔で、快適な」瞬間を迎えている。
「……なあ」
誰かが、掠れた声で呟いた。
その声には、外の世界で戦っていた頃の、あの緊張感や悲壮感は微塵もない。
「……帰りたくない」
それは、誰の本音だったのか。
もはや、誰にもわからなかった
静まり返った五つ星の聖域に、その一言だけが、空しく、しかし心地よく木霊した。




