魔王軍襲来、あるいは「一万人の集団洗浄(グルーミング)」
隣国の魔王、バルザードは、漆黒の魔獣に跨り、高らかに剣を掲げた。
その背後には、数日間の行軍で泥と返り血にまみれ、禍々しい殺気を放つ一万の精鋭魔族軍。
「クハハハ! 見ろ、あのダンジョンの入り口を! 『土足厳禁』だと? 笑わせるな! 我らが進む道はすべて泥と血に沈むのだ! 者共、突撃せよ! 略奪と破壊の宴だぁぁ!!」
「「「オオォォォ!!」」」
大地を揺らす軍靴の音。巻き上がる砂埃。不潔極まりない軍勢が、ルシアンの愛する「大理石の玄関ロビー」へと殺到した。
***
その頃、ダンジョン内・迎賓コントロールルーム。
「……ル、ルシアンさん! 来た! モニターが砂埃で見えないくらい、真っ黒な軍勢が押し寄せてるよ! 玄関のマット、一瞬で泥だらけになっちゃう!!」
ニーナが半狂乱で叫ぶ。しかし、ルシアンは懐中時計を確認し、眉間に深い皺を寄せた。
「……予定より三分遅い。その上、あの『視覚的公害』とも言える砂埃の量……。……ニーナ、グラちゃん。……本日、私は非常に機嫌が悪いです」
ルシアンの背後から、かつてないほど冷たく、鋭い殺気(清浄な殺意)が溢れ出した。
「――『一括洗浄』、起動。……お客様ではありません。……あれは、歩く『粗大ゴミの山』です」
***
「死ねぇぇ! 汚い人間ども……ん?」
先陣を切ってロビーに踏み込んだ魔族の戦士たちが、違和感に足を止めた。
そこには、純白のナプキンを腕にかけた、関節音一つ立てないスケルトンたちが一列に並んでいた。
『……イラッシャイ……マセ。……オ客様……。……少々……オ体ガ……汚過ギデス』
「あぁ!? 何だこの骨は! 退けい!」
魔族が斧を振り下ろそうとした瞬間、天井から巨大なシャッターが降り、退路を断った。
同時に、床のタイルが高速でスライドし、一万の軍勢はそれぞれ個別の「洗浄レーン」へと強制的に振り分けられた。
「な、なんだ!? 床が動く! 離せ!」
「――第一行程:『高圧予備洗浄』、開始」
ルシアンの声が館内に響き渡る。
壁の隙間から、消防用ホースを凌駕する水圧の『聖水入り温水』が噴射された。
「ぎゃあああ! 鎧が! 鎧が水圧で凹むぅぅ!」
「泥どころか、俺の自慢のタトゥーまで消えていくぅぅ!」
「――第二行程:『強酸性・角質中和泡』、散布」
続いて、天井から降ってきたのは、ルシアン特製の超微細泡。
それに触れた瞬間、魔族たちの頑強な皮膚にこびり付いた「戦いの歴史(不潔)」が、音を立てて分解されていく。
隣では、モフモフのコボルドたちが「失礼します」とバリトンボイスで囁きながら、巨大な業務用ブラシで魔族たちの股ぐらや脇の下を容赦なく擦り上げていた。
「やめろ! そこは弱いんだ! 擽ったい、いや、痛い、いや……ああぁぁ、気持ちいいぃぃ!!」
***
「お、おのれぇ! 私を誰だと思っている! 私は魔王バルザ――」
軍勢の最後尾にいた魔王バルザードもまた、巨大な「黒竜型・全自動洗車機」の中に吸い込まれていた。
グラちゃんは、ルシアンの教え通り、丁寧に、かつ容赦なく、魔王の漆黒の鎧を「研磨剤入りの舌」で舐め上げ、錆一つ残さず剥ぎ取っていく。
「……グルゥ(……魔王よ、諦めろ。……ルシアン殿の洗剤からは、神ですら逃げられぬ……)」
***
一時間後。
ロビーの先にある「乾燥ルーム」の扉が開いた。
そこから出てきたのは、もはや一万人もの「軍勢」ではなかった。
全員が、ルシアンから支給された「お揃いの清潔な寝巻き」を着用。
髪はサラサラ、肌は桃色、爪は形良く整えられ、耳掃除まで完璧に済まされた、『一万人のピカピカな善人』の群れである。
「……。ふむ。……ようやく、ゴミ袋に詰めても良いレベルの清潔さになりましたね」
ルシアンが、銀縁眼鏡を光らせながら彼らの前に立った。
魔王バルザードは、自慢の髭を綺麗さっぱり剃り落とされ、ベビーパウダーの香りを漂わせながら、その場に力なく座り込んだ。
「……私の……私の禍々しい魔王のオーラが……『体臭と一緒に消臭』された……」
「オーラではありません。……それは単なる『加齢臭と雑菌の混じった悪臭』です」
ルシアンはトングで魔王の顎をクイと持ち上げ、冷淡に告げた。
「魔王陛下。……我がレジデンスへの入館料は、貴方の軍勢が持ち込んだ『泥三トン分』の清掃代金で相殺させていただきます。……ニーナ。……この『磨きすぎた特大ゴミ』を、隣国の国境までポイ捨て……いえ、一括配送しなさい」
「……は、はい! ……でもルシアンさん、魔王様、なんか自分のお肌の質感に感動して、帰るの嫌がってるみたいだよ……?」
「不法占拠は、即刻『漂白剤のプール』へ投棄しますよ」
「「「すみませんでしたぁぁ!!」」」
一万の(元)魔王軍は、生まれて初めて味わう「清潔さという名の全能感」に打ち震えながら、一列に整列して、ピカピカの足取りで自分たちの国へと帰っていった。
こうして、隣国との戦争は、一滴の血も流れることなく、ただ「大量の石鹸」を消費するだけで終結したのであった。




