第7話 老剣士は酒瓶を片手に独りごちる
夜は、剣士にとって最も危険な時間だ。
剣を握っていない。
身体を張っていない。
集中も、緊張も解けている。
――だからこそ、考えてしまう。
アシュダールは縁側に腰を下ろし、
酒瓶を無造作に置いた。
栓を抜く音が、妙に大きく響く。
「……静かすぎるな」
誰に向けたでもない独り言。
昼間、あれほど空気を切り裂いていた剣戟の余韻は、
夜になると嘘のように消えている。
だが――
消えたのは音だけだ。
感触は、残っている。
木剣がぶつかった瞬間の衝撃。
指先に残る微かな痺れ。
そして何より――
あの少年の目。
アシュダールは酒を一口含み、
喉の奥で転がすように味わった。
安酒だ。
深みも、余韻もない。
それでも、
今夜はやけに喉に馴染む。
「……負けた、とは言わんがな」
自嘲気味に呟く。
模擬戦。
あくまで訓練の一環。
レベル差も、身体能力も、魔力操作も封じた。
技だけで、叩き込むつもりだった。
事実、
最後に立っていたのは自分だ。
それでも――
胸の奥に残る、この感覚。
(試合には勝ったが……)
続きを、考えないようにする。
剣士として生きてきた年月が、
無意識にブレーキをかけていた。
「……あのガキ」
酒をもう一口。
アルフレッド。
戦場育ちでもない。
修羅場を潜ってきたわけでもない。
なのに――
剣を“人に向ける”ことに、何の引っ掛かりも持たない。
それは、狂気と呼ぶほど激しいものではない。
むしろ、静かで、淡々としている。
だからこそ、
余計に不気味だった。
「殺し屋でもねぇ……兵士でもねぇ……」
剣を握る理由が、
どこにも見当たらない。
守るものがあるわけでもない。
恨みがあるわけでもない。
それなのに、
斬ることを当然の選択肢として扱う。
(……ワシとは、違う)
アシュダールは、若い頃を思い出す。
剣を振るった理由は、明確だった。
生きるため。
仲間を守るため。
名を上げるため。
理由は変われど、
そこには常に“感情”があった。
だが、アルフレッドの剣には――
感情が、ない。
いや、正確には。
感情が剣の“外”にある。
斬るという行為が、
意思決定の結果ではなく、
処理の一工程になっている。
「……それが出来りゃ、楽だろうよ」
酒を煽る。
出来なかったからこそ、
ここまで生き延びた。
迷い、躊躇い、恐怖し、
それでも剣を振るってきた。
だからこそ、
技が磨かれ、勘が研ぎ澄まされた。
だが――
迷わない剣士は?
恐怖を挟まない剣は?
(……どこへ行く)
答えは、出ない。
アシュダールは、ふと昼の光景を思い出す。
模擬戦の最後。
自分が反射的に“枷を外した瞬間”。
ほんの一瞬。
長年の勘が叫んだ。
――危険だ、と。
理屈ではない。
経験でもない。
もっと根源的な、
剣士としての生存本能。
「……ああ、クソ」
思わず、笑ってしまう。
老いたな、とも思う。
だが同時に――
(……面白ぇ)
そんな感情が、
確かに胸の奥で蠢いていた。
あの少年は、
自分が知っているどの剣士とも違う。
だからこそ、
教える価値がある。
正しいかどうかは、分からない。
導けるかどうかも、分からない。
だが――
見届ける価値は、ある。
酒瓶が、いつの間にか空になっていた。
「……増えたな、量」
昔なら、
この程度で顔色一つ変えなかった。
今も、
別に酔ってはいない。
ただ、
考える時間が増えただけだ。
それが、
歳を取った証拠なのだろう。
「……まぁ、それはそれでいい」
アシュダールは立ち上がり、
夜空を一瞥する。
剣士は、
剣を振れる限り、剣士だ。
そして、
面倒な弟子がいるというのも――
悪くない。
◇
一方、
別室。
アルフレッドは静かに座し、
呼吸を整えていた。
酒は飲まない。
必要がない。
身体は、既に休息を理解している。
意識だけが、
昼の剣戟をなぞっている。
(……やはり、強い)
アシュダール。
技術。
間合い。
そして――経験。
純粋な剣の完成度では、
まだ届かない。
だが。
(それでいい)
焦りはない。
不満もない。
強者がいる。
それだけで、前に進む理由になる。
斬ることに躊躇はない。
斬られる可能性も、当然織り込み済み。
それは、
剣を選んだ時点で理解している。
死を望んでいるわけではない。
生を軽んじているわけでもない。
ただ――
死が隣にある世界を、
最初から受け入れているだけだ。
アルフレッドは、目を閉じる。
次は、
もっと深く。
もっと速く。
もっと正確に。
それだけを考えていた。




