第4話 発見された者たち
森の奥深く、岩肌を無理矢理削り取ったような洞窟の中は、酒と汗と獣脂の臭いで満ちていた。
粗末な焚き火を囲み、盗賊たちは好き勝手に腰を下ろし、木杯を鳴らしながら騒いでいる。
笑い声は下品で、言葉は乱暴で、そこに緊張感というものは欠片もない。
「だからよ、あの商人がよぉ……」
「もういいって! 今日は儲かったんだ! 飲め飲め!」
酒が回り、頭が緩み、洞窟全体が浮ついた空気に包まれていた。
その光景を、洞窟の端から黙って眺めている男が一人いた。
ロイ。
この盗賊団に身を置いて七年になる古参だ。
若い頃は街道沿いで剣を振るい、仲間が増え、拠点を持ち、何度も修羅場を潜り抜けてきた。
だからこそ、彼は分かっていた。
こういう夜は、危ない。
(……静かすぎる)
焚き火の爆ぜる音と笑い声の裏で、森が異様なほど沈黙している。
夜の森は、本来うるさい。
虫が鳴き、獣が動き、風が葉を擦る。
だが今は、それらがひどく遠い。
まるで、洞窟の周囲だけが切り取られ、世界から孤立しているかのようだった。
(おかしい)
ここ数日、違和感は確かにあった。
見張りが「獣を見ない」と言い、狩りに出た者が「気配がない」と首を傾げていた。
森が、整理されている。
そんな表現が一番しっくりくる。
ロイは立ち上がり、酒樽の前で騒ぐ頭目に歩み寄った。
「頭目」
声を張らず、だがはっきりと呼ぶ。
「あ?」
赤ら顔の頭目が、不機嫌そうに振り返った。
「森の様子がおかしい。今夜は見張りを増やすべきだ」
「またその話かよ」
頭目は酒を煽り、鼻で笑う。
「神経質すぎだ。獣が減った? 魔物が静か? いいことじゃねぇか」
「そういう問題じゃない」
「十分だよ。ここは俺たちの庭だ」
周囲から笑い声が上がり、ロイの言葉はかき消された。
ロイはそれ以上言わなかった。
言っても無駄だと、長年の経験で知っている。
(嫌な予感がする)
胸の奥で、冷たい指が心臓をなぞるような感覚があった。
そのときだ。
洞窟の外――森の奥から、微かな音がした。
葉が擦れる音ではない。
獣の足音でもない。
何かが、空気を押し分けたような、低い振動。
見張りに出ていた若い盗賊が、洞窟の入口に駆け込んできた。
顔色は青白く、瞳は焦点が合っていない。
「……な、なぁ……」
声が震え、言葉が続かない。
「どうした」
ロイが近づいた瞬間、若い盗賊の視線が、ロイの肩越しへと固定された。
「……あ……」
その表情が、凍りつく。
ロイは、ゆっくりと振り返った。
見えた、はずだった。
だが、脳が理解を拒絶する。
視界に映っているのに、像として結ばれない。
焦点を合わせようとすると、視線が滑り、思考が空回りする。
(……見るな)
直感が叫ぶ。
これは、正面から認識してはいけない。
だが、もう遅い。
輪郭が壊れている。
形が重なり、揺らぎ、一定しない。
頭部らしきものは楕円形だが、その表面を這うピンク色の触手が、形状の定義そのものを否定してくる。
角のような突起は、硬質に見える瞬間と、柔らかく歪む瞬間を行き来する。
甲殻類を思わせる胴体。
だが、その節の配置は、生物学的合理性から微妙に外れている。
四肢の先にある鉤爪は、掴むためではない。
裂くことに最適化された形。
背中の翼は、羽ばたいていない。
それなのに、周囲の空気が振動している。
(……なんだ、これは)
理解しようとした瞬間、理解という行為そのものが崩れる。
これは生き物ではない。
怪物でもない。
人間が理解することを前提として存在していない。
視線が合った、気がした。
その瞬間、意味だけが直接脳に流れ込んでくる。
発見。
声でも言葉でもない。
ただ、事実の通知。
膝が笑い、ロイはよろめいた。
恐怖ではない。
逃げようという思考が、頭から抜け落ちている。
逃げるという選択肢が、最初から存在しないかのように。
洞窟の奥から悲鳴が上がった。
一人分。
二人分。
途中で音が途切れ、代わりに、肉と骨が裂ける嫌な音が響く。
見えない。
だが、分かる。
これは戦いではない。
狩りですらない。
淡々とした処理だ。
影が、洞窟全体を覆う。
鉤爪が閃き、血が宙を舞う。
誰かが出口へ走った。
だが、そこには、同じ存在が立っていた。
理解する暇もなく、首が落ちる。
ロイは膝をつき、床に手をついた。
(……あぁ)
これは、罰だ。
森を荒らし、命を奪い、踏みにじってきた報い。
だが、それ以上に――
理解してはいけないものを、見てしまった代償。
最後に見えたのは、その存在がこちらを一瞥する光景だった。
感情はない。
慈悲も憎しみもない。
ただ、必要な確認を終えた後の視線。
次の瞬間、ロイの意識は暗転した。
森は、再び静寂を取り戻した。
まるで、最初から何もなかったかのように。
____________
TIPS
ミ=ゴの行動原理
・目的は情報収集および人類戦力の確認。
・盗賊の拠点は利便性の高い観測地点として選定された。
・発見された以上、排除は必然であり、例外は存在しない。
・感情的殺戮ではなく、効率を最優先とした殲滅である。




