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夜明け前 胸に灯せる ひとすじの 香に託したる 未来踏みゆく 1

香を焚きながら、私はずっと座っていた


『夕顔

父に、この事を…話そうと思う』


『君と生きたいと、父に、はっきり言う』


その言葉が胸の奥で何度も反響し、静かな夜の中で、心だけが落ち着かず揺れていた


香の煙が細く伸びて、灯りの揺れに合わせてゆらゆらと形を変える


その時、右近がそっと几帳の外から声をかけてきた


「夕顔様…暁様がお見えです」


胸が跳ねた

思わず息を呑む


「…お通しして」


几帳が静かに上がる

灯りの向こうに、暁の姿が現れた


その顔を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられる


何だか、疲れている…


「夕顔」


暁は私の前に膝をつき、深く息を吸った


「父に…話してきた」


その言葉だけで、心臓が痛いほど脈打つ


暁は続けた


「父は…夕顔を正妻に迎えることを、認めてはくれなかった」


胸が静かに沈む

でも、涙は出なかった


暁様は拳を握りしめ、苦しげに言葉を続けた


「だが…

夕顔が正妻の器であるか否か、明日の巳の刻、香を焚いて示せと…そう、言った」


香を焚く――


それは

その意味は、痛いほどわかる…


暁の瞳が揺れた


「夕顔…俺は…」


私は首を振った


「わかりました」


香の煙が揺れ、暁の影が揺らめく


「右大臣家へ参り

右大臣の前で、香を焚かせて頂きます」


自分でも驚くほど、声は静かで、澄んでいた


「これは私が望んだ、選んだ道で

未来だから」


微笑み、暁を見つめる


暁は、しばらく瞳を彷徨わせたけど、ふと目を伏せた後、私を真っ直ぐ見た


「夕顔

俺が必ず、夕顔を守る」


私は小さく頷き、暁の手を取る


「ありがとう」



暁が去ったあと、部屋には香の煙だけが静かに揺れていた


胸の奥はまだ熱く、落ち着こうとしても、心は静かに波立っている


そんな中、右近がそっと近づいてきた


「夕顔様…」


それだけを言って、戸惑った表情を浮かべている


私は右近の手を取った


「右近…

私、明日…暁の隣を一緒に歩く為に、香を焚く」


右近は目を一瞬見開いたが、目を伏せた


「夕顔様…」


その声は震えている


私は右近の手を包み込み、静かに言葉を紡ぐ


「怖くないと言ったら、嘘

でも、私は私の香を焚いて…自分の人生を、道を、突き進んで来た」


『香の君

そなたの香は、夢のように儚く、そして確かに、心に触れました

この御所に咲いた一輪の藤の花のように、誰のものでもなく、ただ美しく香るもの

そのような香を、わたくしは好ましく思います』


『この匂い…

以前、夕顔がくださった香袋とはまた違って

懐かしい気持ちになるものですね』


『夕顔…ありがとう

そなたはやはり、私の心を穏やかにする香を焚くだけでなく…

心そのものを癒してくれるのですね』


『あの香をもう一度、私の前で焚いてくれぬか?

心が落ち着くような、あの香を…』


『夕顔の香は誠に心落ち着く

この沈香の匂い、賀茂の祭の風情を思い出させるよう』


『しかし夕顔は不思議よの…

私が言えない事を、香で…和歌でも言ってくれる』


『芳しい香りがする香ですね

初めて感じる匂いで、心が華やかな気持ちになります』


『夕顔様のお香、私にも今度教えてください』


『夕顔様は…ご自身の香を焚いているのですね』


香は、誰かの慰めであり、救いであり、導きであり、誰かとの絆にもなった


そして

時に、恐怖や嫉妬にも変わった


『私は…そなたが、私の思い描く行く末を離れ

私の知らぬ道を歩もうとするのが…恐ろしくてならなかった』


『暁がそなたを想っていると知った時、私は愚かにも朧月夜に手を伸ばした

右大臣家を揺らせば、そなたは私の側に留まると…そんな浅ましい望みに縋ったのだ』


『私はそれに溺れ

そなたを…傷つけてしまった』


『夕顔…

これまでのこと、すべて…

私の浅はかさゆえだ』


『そなたが、どうか…

安らかであるように』


あの人の弱さも、強さも、愚かさも、優しさも――


全ては私と、その人の心一つ

私は、その全てを一つ一つ受け止めて来た


香の煙が揺れ、夜の静けさが深まる


「だから私は

暁との未来を歩む為に

これからの、自分の未来の為に

何があっても

何が起こっても

結果がどうでも…受け止める覚悟なんだ」


右近は涙をこぼしながら、深く頭を下げた


「夕顔様…

どうか…どうか、お強く…」


私はそっと微笑んだ


「ありがとう」


香の煙が、まるで夜明けを待つように静かに揺れていた

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