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動き出す 都のざわめき 胸かすめ まだ名もなき日 夏の気配す

風に揺れる、庭の草木をぼんやりと眺めた


晴明の怯えた顔

陰陽師たちのざわめき

暁の笑い声


あの霧の中で、私は確かに生きていると感じた…


けれど、その余韻が消えかけた頃

廊下の向こうで、衣擦れの音がした


「夕顔様

暁様がお見えです」


暁…


「わかったわ」


暫くすると、重い衣擦れの音と足音が響いた

几帳を上げる


「夕顔」


灯りに照らされた暁の顔は、いつもの柔らかさとは違う


「暁…

どうしたの?」


暁は一歩、部屋に入る

その動きがぎこちない


「知らせなきゃいけないことが…ある」


いつもより声が低い

私は暁の方へ向き直った


「聞くよ」


暁は深く息を吸い、言葉を絞り出すように告げた


「源氏の君が、夕顔の香は妖術だ、と口にしたと…

朧月夜が聞いたらしい」


源氏…


その発信源が源氏自身だと知って、少し驚いたけど…

直ぐに、静かに納得した


「そう、なんだね…」


暁は拳を握りしめた


「そして朧月夜は…

その弱みを利用するつもりだ

右大臣家が動く

源氏の君と姉上の密通を…あえて見つける」


私は息を呑んだ


なるほど…

そう言う感じなのか…


朧月夜の顔が脳裏に浮かぶ


暁は目を伏せた


「夕顔を巻き込みたくなかった

でも…

知らないままよりは、知っていてほしかったんだ」


私は暁の方へ歩み寄り、そっと微笑んだ


「ううん

知らせてくれて、ありがとう

暁が言ってくれたから…

私はちゃんと受け止められる」


暁は顔を上げた

その瞳が微かに揺れる


「俺は、夕顔の味方だ

何があっても」


その言葉は、夜の静けさの中でひときわ強く響いた


外で風が鳴る


都が動く

朧月夜が動く

右大臣家が動く


その気配だけが、胸の奥で静かに波紋を広げていた



季節がめぐり、あたりには夏の気配が満ち始めていた


右大臣家の別邸――本邸ほどの威容はないものの、古い檜の香りがほのかに漂い、手入れの行き届いた庭が静かに広がっている


建物は質素ながらも品があり、几帳や御簾の色合いは控えめで

人の気配が薄いぶん、どこか、息を潜めたような静けさがあった


敷石を踏むたび、夏を告げる風が簀子縁を抜け、薄暗い廊下の柱に淡い影を落とす


その空気に足を踏み入れた瞬間、胸の奥がわずかに張りつめた


右近に導かれ、香を焚くための小さな座敷へ通される


几帳の向こうでは、女房たちが控えている気配が静かに揺れ

薄絹がふわりと揺れるたび、香の道具の金具がかすかに触れ合う音がした


香炉に火を入れ、香をひとかけ落とすと、白い煙がゆるやかに立ちのぼり、部屋の空気がゆっくりと満ちていく


その香りが座敷に染み始めた頃――

襖がそっと開いた


「夕顔」


低く、柔らかな声


暁だった


夏の装いにふさわしい 浅縹の直衣をまとい、袖口には白梅の刺繍がひときわ涼やかに映えていた


薄い色の衣は光を受けて淡く揺れ、その下に重ねた 白の単衣 が清らかに覗く

白檀と梅を合わせた香が、歩みとともにほのかに流れた


私は自然と微笑み、静かに礼を取った


「暁様

お招きにあずかり、恐れ入ります」


暁は静かに座り、香の煙を見つめた


「良き香にございます

宮中にて、久しくこの香を恋しがる声がございましたゆえ」


私は香炉に手を添えながら答えた


「左様でございますか

あの噂も…いつしか風と共に消えたようで」


暁はわずかに頷いた


「ええ

今は誰も申しますまい

夕顔の香は、ただ美しき香と」


その言葉に、胸の奥が静かにほどけていく


暁は少し間を置き、声を落とした


「…源氏の君は、須磨へ下られるそうです」


香の煙が揺れた


私は目を伏せ、静かに息を吸った


「…そう、でございますか」


暁は続ける


「その前に…花散里様のもとへ参られるとか

心安らぐひとときを求めたのでしょう」


私は香炉の火を見つめた


原典と同じだ…


少しほっとして、胸をなでおろす


香の煙が天井へ昇り、静かに消えていく


暁は深く礼をし、雅な声で告げた


「夕顔

また、香をお願い申し上げます」


微笑む暁を見ながら、私も深く礼をする


その言葉の奥にある、また会おうという響きを、確かに感じ取りながら…


でも…

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