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涙見せ 従順にして 拒みつつ 香に影さす 夕顔ぞ憂し

書の間にて文を広げていた私は、ふと筆を止めた


紫が近頃、静かに距離を置いているように思われる


日ごとに二条院へ戻れば、紫は必ず几帳の外まで出迎えてくれる

涙を浮かべ、袖を濡らしながら「お戻りくださり、嬉しゅうございます」と告げる

その姿に胸は熱くなり、私もまた愛しさを覚える


文を交わせば、いつも同じ言葉が綴られている


「君がいなくて寂しくて、死にそうです」


その一行を読むたびに、心は揺さぶられる


されど、夜になれば必ず、理由を重ねて寝所を避ける


「頭が痛みます」

「月事にて穢れを恐れます」

「夢違えがあり、心乱れております」


私はその言葉を信じ、「可哀想に」と慰めるしかない

しかし胸の奥では苛立ちが募る


なぜ、これほどまでに従順に見せながら、決して私を受け入れぬのか

涙に濡れ、言葉では縋るように見せながら、最後の一線は越えさせぬ


「いかようにして、紫に忠言を尽くすべきか…」


独り言のように漏らしたその言葉に、惟光が控えめに口を開いた


「紫様は、夕顔様と香を交わされたことがございます

まだ幼き頃、夕顔様より“理想通りに生きてよい”と助言されたとか」


私は顔を上げた


「紫の心を動かすほどの香を、夕顔が調えたというのか」


惟光は黙って頭を下げる


私は立ち上がり、几帳の向こうを見つめた


夕顔は朧月夜や右大臣の暁とも香を交わしている

そして紫にも…


胸の奥に、静かな警戒が滲んでいくのを感じた


もしや、夕顔は右大臣家の差し金か

全ては右大臣家の目論見だとすれば…


「香は言葉より深く、心に触れる…」


その香を操る者が、わが紫に影を落とすなら…

その力が、我が政を揺るがすならば…


惟光が控えめに言う


「夕顔様は、かつて頭中将様の元におられた方とも聞きます

正式な妻ではなかったようですが、深い仲であったとか」


私は目を見開いた


中将…だと…


息を呑む


香の才を見込み、二条院に誘ったが、まさか、中将とも繋がっていようとは…

夕顔…素性知れぬ女…


いや…

総ては初めから…素性知れぬ女だった…


夕顔と廃院に行った、あの夜…夕顔は妙な香を焚いた

そして、古布に描かれた「悪霊退散」の文字

唱えていた言葉の意味はわからぬが、呪文のように響いた


やはりあれは、陰陽師の業か、それとも異なる術か…

得体の知れぬ才覚に違いはなき


「夕顔はただの女ではない

香を操り、人の心を動かす者

その力が、わが手の届かぬところで働いているなら… いずれ、わが政の根を揺るがすやもしれぬ」


香の煙が、静かに揺れた

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