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香に託す 声なき祈り 月の夜 誰ぞ穏やかに 影をいなさむ

五条の邸に、夜の帳が静かに降りていた

燈火の揺らめきが几帳の縁を淡く染める


その日私は部屋で、少しはこの世界…と言うよりかはこの時代の勉強を…と思って、書物とにらめっこをしながら、全くもって字が読めない…なんてしていた


そんな静寂を破るように、急に戸口が騒がしくなって、目を向ける

そこに現れた男の姿を見て、息を呑んだ


ちゅっ…中将!


思いがけない人物に、一瞬頭が真っ白になる

思わず几帳の奥へと身を隠したけど…気になって戸口の様子を伺う


頭を下げていた侍女たち


「夕顔の君は…」


中将の低く響く声に、胸が跳ねる

几帳の奥で息を潜めながら耳を澄ませた

右近が戸口に進み出て、恭しく頭を下げる


「頭の中将様

夕顔様は只今、御勉学にございます

今宵は、いかがなされましたか」


「ふと思い出してな

かつての契りを、風に誘われて」


侍女たちは顔を見合わせる


「夕顔様も、お喜びになりましょう」


静かに中将を邸内へ通した


っちょ…っと…


几帳の陰で、扇を手に身体が強張る

侍女がこちらにやって来て告げた


「夕顔様、頭の中将様がお越しです」


その声で目を伏せる


なんで中将がこの家に…


と思って若干苛立ったけど、平静を装い微笑んだ


「そうですか」


几帳の外では、中将の声が近づいていた


「夕顔の君、今宵は殊のほか静かにて…

我が訪れ、迷惑にあらずや?」


「迷惑など、まことに」


私は微笑みを浮かべながら、几帳の奥で静かに息を整えた

中将は几帳の前に座し、柔らかな声で語りかける


「ふむ

風に揺れる桜の花を見て、ふと思い出してな

かつての契りを…」


そう言うと微笑む中将

けれど、几帳越しに見えるその目は、鋭く光っているような気がした


「契りなど…」


私は扇を傾け、低く呟いた


「ただの風に散る花のようなものにございます」


中将は一瞬、目を細めた


「されど、散る花も香を残すもの

夕顔の君の香は、今も我が心に漂う」


几帳の奥で息を呑む

その言葉は甘やかでありながら、どこか執着の影を帯びていた


「よくぞ五条の邸を…お見知りおきで」


「ふふ…今宵は月が明るい

夜道を照らしてくれただけのことよ」


「左様で…ございますか」


応える気はないって事ね…


私は小さくため息を吐いた


「それでは、今宵は香を焚きましょう

少しばかり、趣を添えて…」


「ほう、それは風雅な

まるで、あの月夜の契りを思わせるようだ…」


いや、知らないし

そう言う意味なんかじゃない


香炉の前に座り、香箱に手を伸ばす

蓋を開け、普段は使わない香を選んだ


鬱金(ウコン)――


カレーに入れるスパイス、飲み会前に飲んだドリンク

香味野菜と言うのか、薬草の独特な香り

鮮やかな黄色は、食器に色移りするし、服についたらなかなか落ちない

でもその落ちにくい黄色は、危険や異常を知らせる警告色

道路標識、踏切の遮断機、蜂の模様、虎の毛…どれも「危険」な合図

そしてこの香は”右近”の名を持つ香


だからウコンの香を使えば、右近が気づいてくれるはず…!


香炉でウコンを焚き、更に香箱の香粉に向けて、狼煙を上げるが如く袖を振った

黄色い粉がふわりと宙に舞い、月明かりに照らされて煙のように揺れ、香りが広がってゆく


「なんだ、この香は…

いつもの白檀ではないのか?」


訝しむような声音と表情の中将に、緊張と、冷や汗が額に滲む

けれど、出来る限り最大の微笑みを携える


「今宵は中将様との再会を祝して、特別な香です」


そう言った瞬間、中将の顔がわずかに緩んだよう


「ふむ…そうか」


私は目を伏せ、祈るように煙を見つめた


香りが崩れてもいい

と言うか、崩れていい

SOSが伝われば、それで…


普段と違う匂い、煙の色、そして名の響き

これは…私から右近への合図!

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