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御車の 星に惑いて 香を焚く 敵か味方か 夜ぞ語らふ 2

その日の夕刻

私は右近に伴われ、普段よりも緊張した面持ちで宮廷へと赴いた


「お待ちしておりました」


侍女の声に導かれ、右大臣邸の広大な庭へと足を踏み入れる

庭は秋の名残を湛え、紅葉が水面に散り、池の波紋に揺れていた

寝殿の母屋から張り出す広廂へと案内される

広廂は庭にせり出すように造られ、柱が等間隔に並び、簀子の上からは池と紅葉が一望できた

簀子の板は月光を受けて淡く輝き、すでに香炉と炭が整えられていた


「夕顔様、こちらで香を焚いていただきたいと仰せです」


私は静かに香を取り出し、火にくべる

ふわりと立ちのぼる煙が夜空へと溶け、月影と重なり合う


その瞬間、背後から衣擦れの音が近づいてきた

柱の影が揺れ、紅葉の影が簀子に落ちる

右近が几帳の陰で息を呑むのがわかった


やがて、広廂の柱の陰からひとりの貴人が姿を現す

絹の直衣に身を包み、紅葉の葉を一枚、手に持っている

その姿は、秋の夜に舞い降りた幻のようだった


「夕顔の君」


低く、しかし澄んだ声が広廂に響く


「先日の香、心に深く残りぬ

今宵、右大臣邸の広廂にて、そなたの香を焚き、月影と共に味わいたしと思うて、こうして参った」


香炉から立ちのぼる煙が二人の間を漂い、ゆらめく白い筋が視線を遮る

紅葉のお方はその向こうから静かに私を見つめていた

眼差しの奥深くは見えない

ただ、なにか意図を秘めているように感じる


「その前に、一つお聞きしてよろしいですか?」


彼は柔らかく微笑んだ


「申してみて下さい」


「…どうして私の名を、ご存じなのですか?」


紅葉のお方は微笑んだまま、穏やかに答える


「紅葉賀の折、右近が夕顔様と呼ぶ声を、火急の騒ぎにて耳にしました」


紅葉賀の火事…って

あの時感じた視線…あれは、この人だったって事…?


「その時、火の煙に混じりながらも、かすかに漂う香がありました

その名と香とが重なり、今も忘れられぬのです」


私は息を呑み、香炉に手を添えて目を伏せる


「この香は…私の心を映すもの

あなたには、どのように映りましたか?」


紅葉のお方は少し目を細め、紅葉の葉を指先で弄びながら答える


「紅葉の色のように映りました

鮮やかでありながら、散れば儚い…その香に、私は心を寄せたのです」


香で朧げな姿ながら、じっと紅葉のお方の目を見た


「儚さを映す香…それをどう受け取るかは、あなたの真意次第でしょう」


紅葉のお方はふっと笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ


「夕顔の君、香合わせをいたしましょう

冬といえば、どのような香を思い浮かべますか?」


冬…?

冬と言えば…


私は沈香に龍脳を少し混ぜ、香炉にくべた

澄んだ香りが広廂に広がり、冷たい月光と重なり合う


「これは…雪の朝を思わせる

清らかでありながら、触れればすぐに消える

その儚さにまた、心を寄せるのです」


紅葉のお方は目を細め、煙を見つめながら言った


私は静かに返す


「雪は消えゆくもの

けれど、冬の松は常盤に緑を保ちます

香もまた、消えゆくものと残るもの…

どちらを選ばれるのでしょう」


紅葉のお方は少し笑みを深め、答えた


「選ぶのではなく、両方を抱きたい

儚さも、常盤も…香の煙に映す心は、その両方」


両方…


目を伏せ、香炉を見つめて、次に紡ぐ言葉を思案するが…

小さくため息を吐いた


紅葉のお方の気持ちが…読めない

わからない…

まあ、どっちでもいいんだけどさ…


ふと夜空を仰いだ

瞳には、遠く瞬く星が見える

その光は、悠久の時を超えて…私の目に今、映るもの


「もし星に香りがあるなら、どんな香りでしょう?」


視線を戻して、紅葉のお方をじっと見る


時を超えた香りは

あなたの中で…どのように映る…?

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