秋風に 紅葉が舞いて 星見えず 香の香りも 匂い立ちぬ 3
冬の気配が庭に満ち始めた頃
空気は澄み、香の調べがより遠くまで届くようになった
その日、右近がいつになく慎重な手つきで、ひとつの包みを差し出した
「夕顔様、特別な贈り物が届いております
文はなく、紅葉のお方よりとのことですが…
この家紋…」
と言った後、右近は言いよどみ、私に絹に包まれた箱を見せる
「右大臣家の家紋に御座います…」
右大臣家!?
思わず息を呑んで右近の顔を見た後、私は包みを受け取り、そっと開いた
中には沈香と龍脳を基調としたような、深く静かな香り
そして、香の中に小さな木片が添えられていた
「これは…」
右近に見せると、右近は驚いたような顔をさせて、息を呑んだようだった
「こ、これは…
もしや”夢浮橋”では…」
その言葉に動揺する
「夢浮橋って…」
源氏物語の最終帖のタイトルじゃん…
何…なんで…
どう言う事…?
夢浮橋って名前の…香木って事…?
「はい
右大臣家に代々伝わる香木と聞き及びます
それを夕顔様に託すとは…ただの贈り物ではございません」
私は言葉を失った
それはわかる
わかるよ、右近
でも何故、そんな名香を…
しかも右大臣家の貴人が私に…?
怖いし、どうしたらいいのかわからない
でも一つわかるのは、彼がどんな人物かが少しわかった
「紅葉のお方」は言わば通り名、呼び名
物語改編の人物ではなく、彼の正体は右大臣家の貴人…つまり、源氏物語に存在する人物
源氏物語で右大臣家は何人も出て来るけど、男性って事は、ある程度絞れる
絞れるけど、誰なのかまではわからない
右大臣家の貴人…「紅葉のお方」
あなたは一体、誰…?
なんの目的で…
「紅葉のお方の、想いの証と思います」
「想いの証ぃ!?」
思わず声が裏返り、咽た
「大丈夫でございますか!?夕顔様!」
「だ、大丈夫…白湯を…」
「畏まりました、直ぐに!」
右近が几帳の奥に消えてゆく
『紅葉のお方の、想いの証と思います』
そんな事は…あり得ないと思いたいけど…
私が送った贈り物に対しての、返事だと思うけど…
右近が言う事は…一理ある
自惚れてるわけではない
雅の世界は、そう言うものだから…
はあ、とため息を吐いた
変に探りなんて入れて、返答しなければよかったかも…
「夕顔様、白湯で御座います」
右近から白湯を貰って飲んで、一息ついて
名香と呼ばれるそれを丁重に箱に戻して、棚の奥へと仕舞う
この香木は使ってはならない
そんな気がする
棚の奥に仕舞った香木を見つめた
それから数日後の事
右近が几帳の陰から現れ、慎重に差し出したもの
「夕顔様、紅葉のお方より文にございます」
え…
思わず、右近の顔を見た
今まで手紙なんて寄こしてこなかったのに、急に…
もしかして、香木の返答がまだだから、それで…?
でもあんなもの渡されて…なにを、どう返せばいいのかなんてわからないし…
と思いつつ、手紙を開くと、流麗な筆
「なんて…書いてあるのかしら…?」
手紙を、それとなく右近に見せながら聞く
右近は手紙を覗き込むようにちらっと見ると、直ぐに食い入るように見つめて、文章を読んでいるようだ
「これは…」
「どうしたの?右近…」
「こう記されています
『先日の香、心に深く残りぬ
もし叶うなら、宮廷にてその香を焚き
月影の下にて共に味わいたし』」
「っな…」
私は息を呑み、しばし言葉を失った
宮廷に来いって…
色恋絡む面倒事は避けたいから行きたくないなあ
けど、右大臣家の貴人からの招きに応じないのは、礼を欠くことになるだろう
「夕顔様…」
右近が心配そうに私を見つめている
その視線に押されるように、私は小さく息を吐いた
「…行かねばならないのね」
そう呟きながら、胸の奥に重い不安を抱えたまま、宮廷へ向かう支度を始めた




