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燃ゆる火に 怯えし夜の 夢のあと 残るはひとつ 愛を乞ふ声 2

その声は低く、慎重


私は思わず手を止めた

源氏の眉がわずかに動いた


六条の御息所…

あの夜、嫉妬の情念が形を持って現れた人

その申し出は願ったりかなったりであり

香を調合する日々の中で、私が一番目的にしていた事

でも…

その人が私に会いたいって…


「どうして…?」


思わず漏れた声に、女房は答えた


「御息所様が、二条院(こちら)で焚かれた香に

誰が調合したのかと…」


私は静かに立ち上がった

袖を整え、香の道具を抱える

何も言わず、もう一度、源氏に深く一礼した

香の余韻を残してその場を離れる

背に感じる源氏の視線は、追うでもなく、見送るでもなく

ただ、そこに留まっているような気配


『御息所様が、二条院(こちら)で焚かれた香に

誰が調合したのかと…』


それはつまり

私が焚いた香の話が、六条の御息所の耳にも入ったのだ


几帳の向こうにはまた別の世界が待っている

香が導いた縁


私は歩き出した

情念の主へと



牛車の帷が揺れ、止まった場所


六条の御息所の住まいは、京の南に位置する静かな邸

源氏達が源氏物語で活躍する豪華絢爛な宮廷とは違う

けど、高貴な身分にふさわしく、門構えは厳かで、庭には秋の風に揺れる薄が群れ咲いていた


「控えの間にて、お待ちで御座います」


六条の御息所がいる場所へと続く石畳は、朝露に濡れ、歩を進めるたびに足元がひんやりとする

侍女に導かれ、几帳の向こうへと通されると、そこには六条の御息所が静かに座していた


この人があの、六条の御息所…

生霊を飛ばし

嫉妬に狂い

夕顔を呪い殺した…


月の光を纏ったように凛とした姿

白檀の香がわずかに漂う中、細く整った眉の下にある瞳は、深い湖のように静かで、しかしその奥に揺れるものがあった

衣の色は深紫、袖口に金糸がわずかに光る

その雰囲気は、誰もが一歩引いてしまうほどの威厳と、触れれば壊れてしまいそうな繊細さを併せ持っているように思えた


「待っていましたよ、香の君

そなたの香、宮廷で評判と聞き及ぶ」


透き通るような、六条の御息所の声

扇を口元に寄せ、目を細めて私を見ている


「畏れ多い事に御座います」


何となく目線は合わせられず、お辞儀をした


「遠慮はいりません

香を焚いて下さい」


その言葉に、さらに緊張が高まる

強張った身体をゆっくり動かしながら、几帳の陰に控え、香を焚く

沈香に丁子を添えて調合し、香炉から立ち上る煙は、静かに空へと昇っていった


六条の御息所は目を細め、香の流れを見つめているよう

私は視線を逸らし、小さく俯いて香炉を見つめる

香が満ちる静かな空間に、耳が研ぎ澄まされ、些細な音も聞き逃すまいと意識が集中するけど…

やけに長い沈黙に耐え兼ね、ふと、少し顔を上げて、六条の御息所を盗み見る


その顔は、先ほど視線を逸らした時と大差ないように見えたが

やがて瞳が冷たく、更に細くなり、その表情の変化に、私の緊張も別の感情へと変わっていく

そして、言葉が落ちた


「やはり…

源氏様の寵愛を受ける者の香に、私の心は慰められません」


その声は、氷のように澄んでいて、私の胸に刺さる


源氏様の寵愛…


私は無言で一礼し、香の余韻を残してその場を後にした



帰宅後、自室で香炉を見つめながら、静かに考える


六条の御息所は、源氏と私の関係を誤解している

その誤解が、彼女の心を傷つけている


閉じた扇で後頭部を一定のリズムで叩く


あんな、生霊まで飛ばして女を恨み、嫉妬して…恋に惑い、狂って

おかしくなるほど心が乱れるという事は、そう言う事

病んでいるんだ

恋に悩んで、心が疲れている


扇をもう片方の手の平に軽く打ち付けた


ならば…

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