咲きし藤 香にて語る 御心は 風より静に 花を揺らせり 1
牛車の帷が静かに揺れ、車輪が玉砂利を踏みしめる音が、宮廷の門前で止まった
帷を上げると、目の前に広がるのは、修学院離宮の庭園を何倍にも拡張し、絢爛に磨き上げたような世界
ここが…宮廷
藤壺が生きる世界…って事なんだよね?
それは数日前の事
二条院に招かれ、香を焚いていたところに
橘の君がそっと現れ、扇で口元を隠し、囁くように言ったのだ
「先日の香の遊び、誠に見事なものでございました
源氏様も、そなた様の香をたいそうお気に召されたご様子で」
「そんな事は…」
「それで、藤壺様もそなた様の香に興味をお持ちのようで、お目通しを望まれております」
え…
「藤壺様…」
って、源氏が母の面影を重ねて執着してる、あの特別な人だよね?
なんで…
「はい
そなた様の香を、御前で焚いて欲しいとの事でございます」
私の香を…
うわあ…藤壺と関わると、源氏との関係が余計ややこしくなるじゃない
けどここで断ったら、それはそれでまたややこしくなりそうだな…
「左様…ですか
承知いたしました」
「ご案内いたします」
侍女に言われ、歩みを進める
その佇まいは、源氏の邸宅の二条院とはまた違い
当然、五条の町にある夕顔の家とも違うし
私が夕顔になる前に住んでた、六畳のワンルームとは比べ物にならない
まあ、比べるまでもないか…
いいねえ、貴族様達は…
なんて事を思い出しながら、宮廷の門をくぐった
朱塗りの回廊が太陽の日差しを受けてきらめき、白砂の庭には秋の萩と薄が風に揺れている
池には蓮の葉が浮かび、鴨が羽を休めていた
檜皮葺の屋根が連なり、軒先には藤色の几帳が柔らかく風にはためく
「藤壺様がお待ちです」
侍女の言葉に藤壺の御前に進むと、女房たちが几帳の前に揃って座していた
膝を揃え、袖を整え、視線は伏せられている
一気に緊張感が増し、喉が小さく鳴った
整然と並ぶその姿は荘厳さもあり、花の咲き揃う宮廷の庭のようで、華やかさもある
几帳の奥に、ひと際輝きを放つ人物が藤色の衣を纏い、座していた
その姿は、まるで藤の花の化身のよう…
静かで、気高く、そして近づきがたいほどの格式を携えている
髪は艶やかに黒く、肩にかかるほどの長さで、風に揺れるたびに光を受けてきらめく
その面差しは、どこか儚げでありながら、目元には確かな意志が宿っているようで…見つめられれば、心の奥まで見透かされるような気がした
扇を口元に寄せる仕草は、まるで一幅の絵のように優雅で、その指先の動きひとつに品格が滲んでいるように感じる
あの人が…藤壺
源氏物語の骨子で、元凶でもある…源氏の心を捉えて離さない…人物
「そなたの香の事、橘の君から聞きましたよ」
橘の君…
と思って、藤壺の近くにいた橘の君を見ると、さっと扇で口元を隠して、目を逸らしたように見える
もしかして…
この間の二条院での出来事、気にしてるって事!?
「なんでも、雅な香を焚くとの事で…」
「い、いえ、そんな事は…」
なるほど…
宣戦布告って事ね
「謙遜なさらなくとも…
そのお手前、是非私や、ここの皆に披露して下さる?」
望むところ…だけど、相手は藤壺
源氏が執着する、特別な女
橘の君からの挑戦状だとしても、下手な動きはできない
「私などが藤壺様の御前にて、誠に畏れ多いことではございますが…畏まりました
香は、心を映すもの
想いを込めて、焚かせて頂きます」
ここは穏便に、波風立てず
藤壺に敵意はない、なんなら敬っているって事を香で伝えるのが得策
となれば、ここは…




