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第十節.──《 わたし達の詠唱 》




 飛行車の匂いが、寮庭を漂っている。

 もしかして、またオルン君が足を伸ばしてるのかなと思ったけど違う。

 街へ降りていくのだろう飛行車が、私の頭上を通る。寮庭に無機質な甘味ある匂いが残されているのは、きっとそのせいだ。

 

(私も行ってみたいな……街)

 車内で生徒達がはしゃいでいるのを思い浮かべては、去っていく車を見送る。

 そうしている内、寮庭の隅に人影を見つけた。


「……よかった、まだいたんだ」


 遠目でもわかる。

 ソファベンチに座っているレイジィ。

 そして、飛行車を眺めているミェルさん。


「……」


 不思議。息がしづらい。

 渡り廊下の柱の影からも出られない。


 前に、彼女がレイジィと同じクラスになったと言っていた。だから別に一緒に行動しててもおかしくない。

 だけど私、今近付いたらすごく邪魔になるんじゃないかって。


 あの妙に馴染んでいるシルエットが、長年連れ添った相方のように感じた。

 居た堪れない。出直そうかと思った。だけど、


(──あ)


 ミェルさんが、私を見つけた。

 まだ無視してて。なんて期待は、欠片も持たせてもらえなかった。

 彼女はレイジィに一言残す素振りをした後、真っ直ぐこちらへやってきたのだ。


「えーっと。リノンさん」

「ぁ、……。はい」


 観念して向き直る。

 何を言われるんだろう。

 以前に比べ、少し焦げたような匂いのする彼女。

 僅かに残る着崩れには、露骨さがなくなっている。

 それを見れば、流石の私にだってミェルさんの『今』を察せられる。

 けど、恐る恐る見上げた彼女は、図書館で私を迎えようとしてくれた時のような、柔らかい表情をしていた。


「……近くにいるから」


 え? って。

 なんのことかと、私が聞く前に。


「ウチは、ここで待ってるから。……今なら、話してきても大丈夫だよ」

「あ……」


 空気の扉を開くみたいに。

 ミェルさんは、一歩引いて私に道を譲ってくれた。


「まあ、なにかあれば飛んでくけど」


 彼女はそう言って、通るよう促してきた。


「ぁ、ありがとう、ございます」


 私が返す言葉は、それだけでいいのか。

 彼女の前を過ぎる時に、もう一声あったほうが……とは思ったのだけど。

 遠くのレイジィを見たら、言葉よりも足が出てしまう。

 そうして気付けば、私は、あの子を見下ろせるところに立っていた。



────



(……どうしよう)


 誰に言われたわけでもなく、私はレイジィの隣に座っている。

 そして、そんな私に文句を言うでもないレイジィの横顔を見ながら、頭の中で言葉を着せ替える。

 「なんだか話に聞いたよりも大人しいね。」

 「なんでもないってのは、言いっこなしにしよう。」

 この子のお姉ちゃんとして、やっぱり私がリードしよう。そう思って、これだと思ったことを言おうとしたら、


「──見ろよ。……随分、見ても分からないくらい薄くなったろ」


 レイジィが先に言う。

 見せられた片手の甲。そこは確か、禁書から溢れた光に貫かれた場所だったはず。


「……うん」


 それと同時に、あの光から私を遠ざけてくれた手でもある。

 だから率直に思う。

 うんってなんだよって。


「刻印だっけ。噂には聞いたよ」


 レイジィは、肌色に混ざる朱い痕に目を落としながら、


「そんなの聞いて回ってたのか?」

「嫌でも耳に入るんだよ。田舎みたいにさ」


 聞きたくて聞いたんじゃないし。

 私が突っぱねるように言うと、レイジィはちょっとだけ口の端を引いた。

 それを見て、私は、


「ねえ、その刻印ってなんだったの?」


 素朴な質問を投げかける。

 するとレイジィは、「単純な話」って言い、顔を上げた。


「思い込みだよ。魔法と同じ」

「魔法と?」


 そう言われても、それらは私の中では即座に繋がらない。

 この子に比べて、私はまだまだ勉強が足りていないからなんだ。

 こう思わせようとしているのではないのだろうけど、やっぱり、感じてしまうのはいつものヤツ。

 レイジィは、一度息を吐いてから言う。


「強く思い込んだことが、体に影響を及ぼす。……よくあるだろ、火事場の馬鹿力とか不安で髪が抜けるとか」


 ああいうものだよと言われても、ピンときたような、こないような。

 私は「そう、なんだ?」と、首を傾げつつ納得してみせた。

 でも、こうする自分に嫌気が刺さすような気がして、咄嗟に口走る。


「魔法は夢だって、パパが言ってたよ?」

「……」


 さあっと、風が吹く。

 誰かが呆れて溜息をつくみたいに。



「勉強は?」

 自分で知るためにアルヴィオスに来たんだろって続けられ、


「そ   」

 私は一瞬、返答を詰まらせた。

 誰かの考えを喋りたくて来たのか。そう、私がわたしに言われたような気がしたから。

 そして即答しなかったことで、レイジィの伏し目がちの視線が、私を刺した。


「本当に、夢なんて言葉で片付けられると思うか?」

「え……っと」


 魔法について。さらには、魔法と人の歴史について勉強すればするほど、もう一枚の壁があると感じ始める。

 だからあんなのは、魔法を否定してる奴らが啄ばんでる雑穀みたいなものだと、レイジィは『らしくない表情で』言う。


「魔法は誰かが見せようとした夢かもしれない。なら、リノンは俺を焼こうとした白い火を、夢や幻なんて言い方をされたら否定したくなるだろ」

「まあ、たしかに……」


 あの時は、本当に焼いてしまおうと考えてた。

 それを他人に、ああだこうだと測られて飲み込みましたと知らさせても、良い気はしない。

 時にはシィナさんのように、そのまま受け取ってくれる人もいるらしいけどもね。


「じゃあ、レイジィは──」


 私に、焼かれたかった?

 その一言は口に出さなかったけど、どうやら目から想いが洩れていたらしい。

 私に見つめ返されたレイジィは、露骨に嫌な顔をした。


「リノンが、あの時どう想っていたかなんて、一般論でしかわからないし」


 なにより、俺は拒否したからと。

 私が届けようとした想いを払い除けた身として、いまさら真意なんて聞かされたくないと。

 レイジィは目を逸らし、なんなら手で私の視線を遮った。


 これは、怒るべきなのか。

 それとも、不貞腐れるに留まるべきなのか。

 おもむろに傾いていく視界。どんな答えを待っていそうかなと考えても、距離を詰める理由みたいなものが見えてこない。


 私達は、仲直りをしたいのかな。

 したいけど、今じゃないと感じているのかな。

 

「……」


 少し、考えすぎか。

 嫌がってるみたいだし、私は視線を外す。

 座り直して、ソファベンチの背もたれに体を預ける。そのまま空を見上げ、薄い雲や校舎、飛行車の空路に流れる淡い光を目で追いかける。

 そうしていると、やっとレイジィが手を降ろしてくれた。

 こんなやりとりが、私の中で、ある思い出を引き上げる。


「ねえ……。そういえばさ、」

 ちょっととだけ頬が緩む。


「昔も、そんなことしなかった?」

「 」


 なんのことだよって思われた気がしたので、私は続ける。



「レイジィ、私があげようとした花冠……嫌がったよね」


 少しばかりの沈黙の後、レイジィの服がこすれた音がした。

 それを、「俺も思い出した」と捉えさせていただく。

 なら私は、さらに続けよう。


「なんだっけ、理由。……子供っぽいからだったっけ?」


 蒼くて小さい翼を見せてくれた、幼いレイジィ。強くなるからと誓ったあとにあった、抵抗の一幕。

 それで私は、弱さを嫌おうとしたレイジィに、代わりになる花をあげたのだった。


「かわいかったなぁ。あの時のキミは」

「……」


 反応なし。

 ちょっとくらいは、にやけたっていいのに。


「今は、かわいくないね」

「しみじみと言うなよ……っ」


 反応あり。

 けどそれは、私の弟って感じとは程遠い。

 視線はずっと校舎のどこかを彷徨わせてるし。

 レイジィの顔を覗き込んでみようかなとも考えたけど、やめた。

 別に、嫌がらせをしに来たのではないんだし。


 子供の頃の思い出話は、花咲かず。

 私は、あれやこれやと拙い言葉を付け足しながら、この空気を摘み取っていく。

 これを例えるなら、針の山に薄絹を被せるような、変ないたたまれなさがあった。


 そのせいだろうか。


(……ぁ)


 手に潜り込んだ風が冷たかった。

 私、手汗かいてるんだと気付いた。

 こんな会話は早く終えてしまおう。きっと、レイジィにはそうした方がいい気がする。

 だけど。



   この話を、終わらせていいの?


  まだ、 言っておきたいことがあるんじゃないの?



 自分の手を見下ろしたまま、もう、自分でも何を頭に巡らせているのか掴めなかった。

 ただ、わかっていたものがある。


 それは、



 ある時に芽吹き、その後どうしようもないくらいに育っていった、違和感  解釈不一致。



 口を打つ言葉は、もはや独り言。



「私ね、……レイジィと会えるかもってわかった時、昔みたいな感じでいられるかわかんなくて、怖かったんだよ」



 瞬間、実家でのお母さんとのやり取りから、レイジィに会えた瞬間までの記憶が光のように過ぎ去る。

 「リノンには向いてない魔法。」「魔法に込めた想いは、期待。」

 「的は俺だ。」「当ててみろよ、ノーコン魔法使い。」




  「わたしの方がお姉さんだから。」


    「あの子は永遠に弟なんですっ。」




 ここからは、口に出していい言葉なのかな。

 この子、もっと嫌がるんじゃないかな。


 こうは思いつつも、想いの吐き気は止まらない。

 レイジィを見れば見る程、声を聞けば聞く程、私の心の悪童が嗤うんだよ。



 お前、誰だよ って。


   そして、私は抑えていた気持ちを決壊させた。



「──ねえ。なんでお兄ちゃんになったつもりでいるの?」



 レイジィがわたしを見る。

 目が合い、そのまま数瞬。

 リノンの方が年下でしょうだとか、その方が自然だろとか。

 レイジィからは、何の反論もない。私は言う。


「努力して力をつけたから自信を持った? それは、よかったね」


 じゃあ、元に戻さないと。

 あの幼い頃。私は、あなたの手を離さないでいられる人に……それこそ、お姉ちゃんみたいな存在になろうって思ったんだ。

 それなのに、キミは禁書庫で私に言ったよね。


 お姉ちゃんぶるなって。

 心配する私に、吐き捨てるように。


「キミが、そういう子になるとは思わなかったよ」


 冷静になって思い返せば寂しさを覚える一言に、魔力が籠るくらいの想いで上書きする。

 それでも足りない。心の悪童は喚く。いっそ、この私の想いを浴びて気絶しろと。


 だけど、それを口に出してしまう直前で、



「ははっ、そうかー」


 レイジィが──、

 おかしそうに吹き出した。


「リノンは、元に戻りたいんだな」


「え」


 心の内が、気付かれた。いや、それとも届いたのか。

 気絶とは正反対。レイジィはむしろ、重い荷から解放されたかのように、穏やかな目をしていた。


「別に、リノンに対してだけお兄ちゃんぶってるわけじゃないから」


 その顔でする否定たるや。


「私に対してだけじゃ……?」

 それを考えるよりも、お兄ちゃんぶってはいたことは否定しないんだー、と思った。


「ああ」

 レイジィは、「俺はさ……。」と、呟いて。

 まるで、雲の中に旅立とうとするかのように言う。



「──ユウセ先生の助手になろうと思ってるんだよ」







「え、ごめん、助手……? 魔力研究の?」

「そ。先生は魔力次元の解明に、命すら削る姿勢でいるからさ」

「あー……だね」


 わかる。

 図書館で会った時のパパは、レイジィの言い分通りの風貌だった。

 手料理の一つでも持っていければよかったのだけど、いざそんなことをしたら、それよりもリノンは勉学を優先しなさいとか言われそうで。

 そういうパパには、お母さんのような小言を叩ける人が近くにいた方がいい。

 この子も、同じことを……パパのためにと思い至ったのかなって、私は聞いてみる。


「……どうかな。けど、数年間も俺に魔法論や世界を教えてくれた恩はあるから」


 相乗効果でそうなれば面白いかなって、レイジィは冗談めかして言った。

 気兼ねない感じ。恩という言い方。

 色濃く伝わってくる、強くなるために歩んだ道の成れ。

 その先にあったのが、助手。そして、そこから伸びる進路。


 かつて私がレジィと呼んでいたこの人が、今なにを見ているのか。

 おぼろげでありながらも掴めてくる姿からは、もう、解釈がどうのだなんて言えたものじゃない。



 ──ああ、


 この人が、レイジィ・サク君なんだ。



 私は、ここで初めて、彼に会ったのだと気付かされた。



「……恩、か」

「でさ、前に先生にそう言ってみたら、こう、あしらわれたよ」


 「だったら、娘の弟分なんてやってられないぞ。」

 なんて、レイジィはパパの声を真似て言い、笑いを堪えきれずにいた。

 物真似が似てるかはさておいて、パパなら言いそうな文句には、滾った毒気もさらりと落ちる。

 

「そうだね。パパって、人を割りにいくよね」

「そうそれ。素手で割る感じな。でもそれが、そうだよなって思えるきっかけになったよ」


 頬は引きつるけど、笑みは出ず。

 ただ、レイジィがお兄ちゃんのような態度になっていた理由が、そこにある。

 そういうことだったんだと……細かくは噛み切れなくても、飲み込んでいく。


「そっか……」


 なんて言い表そう。

 いまさら、「似合わないからやめたら?」って、叫びたい気持ちも芽吹かない。

 けど、それをあえて無視しようとする気持ちもあって、私はまた、現実に凍らされる。



「……なんだよ、その顔」



 諦めきれないんだ? って、レイジィは私の何とも言えない感情を叩く。

 そうだよ。そうだけど、パパを出してくるのはズルいでしょ。

 パパの方が、ずっとキミを分かってる。それと、私がこうして、気持ちを路頭に迷わすことすらも。


 再会した時点で、過去は終わり。

 続く日々は、将来への移ろい。

 私もレイジィも当然そこにいて、だんだんと違う形になっていく。


 ああ、わかってる。

 そうだね、そういうものだね。

 だったら思うことはひとつ。覚悟を決める。


 戻らない。


 元に戻せないのなら、しかたないじゃない。

 そうだよ、そういうものだもの。

 わかれよ、わたし。



「……」

 いつもの、よくわからない変な涙が出そうになった時、レイジィが「──けどさ」って、


「リノンが合わせる必要なんかないだろ」

 これは俺の進路なんだからって、真面目な顔で。


「アルヴィオスで、リノンがどうなりたいのかはリノンが決めていいし、俺は知らないままでもいい」



 それでも、あえて個人的な願望を言ってもいいのなら、



「昔に、リノンが見せてくれた魔法の花畑は、ずっと憶えてるし。子供ながらに、『神童』に憧れたから」



 言葉も想いも混ざり合って、それははっきりと、私に届く。




「いいよ、リノンは『レイジィ・サクの姉』をやってても」



「ぇ……?」



 それは、歩み寄る魔法の呪文。

 凍りつこうともしていた私に、それ効きすぎた。


「あ……」

 だからもう、理性もなにもない。

 私はこの子を包み込む勢いで、口走る。



「──レジィ、ほら……お姉ちゃんだよ?」



 見て。ハグ待ちの姉である。

 両手を広げて、どうしようもないくらい馬鹿になった私だ。

 いっそのこと、呆れて溜息の一つでもついてくれても良かったんだけど、レイジィは表情一つ崩さないで言う。


「だけど、お姉ちゃんぶるのはやめろよ。見てて痛いから」

「痛い!?」


 だったら、キミがお兄ちゃんぶってるのも痛いよー……とか、軽口でも出さないのが、私の答えである。


 子供の頃に誓った、強くなること。

 それから、進みたい道を見つけていたこと。

 私が軽率に、否定していいものじゃないものね。



「リノンも進路を考えとけよ」

「え、わたし?」


 レイジィは、お兄ちゃんというよりは……先を行く人としての顔つきで、私を覗き込んできた。


「お前の場合、アルヴィオスにいると誰からどんな声がかかるかわかったもんじゃないから」

「へ。……あ、ああぁ、……はい」


 クラスのことを言ってるのかな。

 それなら、もうすでにオルン君から、アルヴィオスの職員にならないかっていう勧誘の話が来ている。

 返答は保留にさせてもらった。けど、いつかは私も決めなくちゃならない。


「そうだよね」


 でも、決められるのだろうかって思うと、ついつい勉強に逃げてしまう。


 なら、どうだろう。


 今、隣にレイジィがいるんだし、相談に乗ってもらうのは。



(──うん。いいかも)

 私の言葉が続くのを待っているレイジィに、意を決して顔を向けた。

 ところが。



「ごめん、リノンさん」


 レイジィの隣に、ミェルさんが立っていた。


「あ、れ?」



「話はここまででお願い。……レイジィ君、カト家の坊ちゃんとの約束の時間になるよ」

「……ああ」


 カト家の坊ちゃん──オルン君のことか。

 レイジィはゆっくりと立ち上がる。それに私も追いかけるようにして立つ。


「あいつにも迷惑かけてんな」

「気にする事じゃないよ。あっちが必死なだけ」


 二人が離れて行く。

 どうしよう。また、話そうねって言うべきなのかな。いやでも。

 そう、私は頭の中をグルグルさせ、咄嗟に言ったのが、



「オルン君、何する気なの?」



 それにレイジィは振り返った。



 一度、彼はミェルさんとも視線を交わして、


 彼女が僅かに首を傾げたのを見、


 私に言う。



「 悪魔祓いだってさ 」



「あくま ばらい ?」



 言葉の意味。

 繋がる事柄。

 加速し出す私の思考。

 でもその前に、ミェルさんの声が水を差す。


「質問はあとで。また会った時にしてね」

「あ、はい……」


 ミェルさんの柔らかな笑顔。

 焦げたような匂いのする、ここの空気。


 彼女に連れられ、離れて行くレイジィ。その背中を、眺めていると、サテン先輩の言葉を思い出す。



 信じて あげられる人に。



 オルン君が思い描いているのがどんなものかは、私にはわからない。

 レイジィや、ミェルさんが戦っているのがなんなのかもわからない。


 それなのに知りえず、信じて、待つしかない私は、


 一体、

  なんなんだろう。



    今、思い返しても、それだけは切に思う。





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