第十二節──第一部終章
暗紅の光は、涙さえ蒸発させる。
纏わりつく魔力の雲が、火を起こす。
はためく服も気に留めず、歩を進め。
靴音を糧に咲いた花は燃え上がり、あたかも陽の肌に触れた蟲のよう。
獣の唸り声。クッキーが焦げた時の臭い。
やがては、ここがどこだかも曖昧に。
火は熱いものと思い出せば暑くなる。
火は冷たいものと改めれば凍えゆく。
何もかもが夢みたい。
魔法も。日々も。想いも。
何もかもが──いっそ 夢であれ。
────
私が知っているレジィは朧げで可愛い。
あそこにいるレイジィはどうでもいい。
けど、焼けば皮が剥がれて、元に戻るかな。
解釈不一致の苦悩が極まり、原因を排除しようと病み果てて。
気付けば私は、試験官に肩を揺さぶられていた。
「──リノン・カホウ! おい!」
「……?」
視線はあげる。だけど、火はあげない。
慈しむ相手は一人だけ。捕らえて愛せば仲直り。
その為には──。
「 ── 届かせてください ── 」
花を焼いた炎が集まり、光り輝く。
人の声なんていらない。聞かない。邪魔なだけ。
そうして放つ第五射は──
白い 大火球
どうかこの想いが、あの子に伝わりますように。
────
──白い景色に、四角が浮かぶ。
それは一度、二度と、乾いた音に合わせて輪郭を震わせた。
「 カホウ──! 」
そして、目の前で鳴らされた三度目の音で、私はサテン先輩が近くにいると知った。
「……せんぱい?」
「来たっ。試験官!」
鼻先にあるサテン先輩の手。
あの乾いた音は指を鳴らしていた音だったんだ──と、ぼんやり思う私を、
「っ──んぁ?」
サテン先輩が抱きしめ、試験官が私達に覆い被さってきた。
その途端、宙に浮かんでいた白い火が、四方八方へと逃げ出した。けど、火は流星のようでありながらも道に迷い、うねり彷徨った。
挙句、周囲の建物だけでなく、観衆の頭上や、他の試験会場にまで尾を伸ばす。
──更に、その内の一つが、レイジィにも。
「あ──」
あの子は、動かない。
呆けているわけではなくて、まるで火がどう疾るかが、わかっているみたいだった。
それを裏付けるかのように、火は寸前の所でレイジィを避けていく。その様子に、私は一瞬安堵しかけるも、
──あちこちで上がる悲鳴。
やがて会場を襲った白い火は消えていく。しかし、それでも尚人々が混乱の渦に堕ちる様子には……理解を拒絶し切れない。
「さ……サテン、先輩……」
試験官と目配せしていた先輩が、私を見下ろす。……なんとも言えない表情。事務的に事態をまとめようと考えつつも、これから起こり得る展開を覚悟しているような面持ちで言う。
「ごめん。カホウの魔法、あたしが散らしちゃった」
私の試験の邪魔をしたと。
わざとらしく、苦味を染み込ませた口調。
白い火の四散は、私のせいではないよって事だと思う。……だけど。
「──アイツ、殺そうとしたぞ」
遠くから聞こえる声が、私を刺した。
小さかったその刃は、オルン君がレイジィに駆け寄ったのを機に大きくなった。
会場の安全性を問う声よりも、私がレイジィに火を放った事を咎める声が、波になって押し寄せてくる。
それは野太くて──甲高くて。
もう、何を言われているのかさえ分からなくなるほどで。
「殺そうとしたの?」
「違います。焼いたら元に戻るかなって……」
頭にきて、そう思っただけだった。
サテン先輩は一瞬笑いかけるけど、「こうなったら、黙らせようもないねぇ……」なんて呟きながら、素早く会場を見渡していた。
「試験官、あっちの通路なら──」
「……それがいい。リノン・カホウ、一度退場する。来なさい」
サテン先輩に手を引かれ、試験官に背を押される。脚がもつれそう。
観衆との距離が縮まるにつれて、罵声の内容がハッキリとしてくる。
イジメられてて可哀想だと思ったのに。
人として越えたらいけない事くらい分かるでしょう。
全て私に向けられている言葉だと改めて理解してしまうと──、
「皆さん怒ってますよ。謝った方が──!」
私はサテン先輩を引き止めるつもりで言う。
でも、
「ダメ、しなくていい。それは現場監督官の仕事」
先輩は振り向かずに口調を速めた。
試験官を見ると、彼も同意しているのか、私の背中を軽く叩いて押し進める。
(──レイジィは)
観衆の影に入りつつあった、あの子の姿。
オルン君がレイジィの片頬を見ていて……。もしかしたら、顔に火が当たっていたのかもしれないと頭を過り──私の視界は、血の気が引くと共に白く濁った。
────
試験会場を出た後、校内へと続く渡り廊下にて、私達は一旦息を落ち着かせた。
会場から届く喧騒は幾分小さく聞こえるけど、体の強張りは取れないまま。
少しでも気を抜いたら、倒れてしまいそうだった。
「──はぁ、はぁ……。あの、」
それでもせめて、サテン先輩と試験官には迷惑をかけた事……一言だけでもいいから謝りたかった。
だけど、それをいち早く察したサテン先輩が、
「毎年、似たような事が一回は起こるよ。的に当てられない腹いせに、どっかーんってね」
わざとらしく軽い調子で笑って見せた。
「ねー、試験官ー?」
「……そうだな。太古の昔なら、聖書写し書きの刑で禁書が増えてる事案だ」
「……」
乾いた笑い声。
きっと先輩自身も、試験官自身も……頭の中はそれどころじゃないのだろう。
それが伝わってくるだけに、私が作り出した白い火の重大性しかり……。それに加えて、レイジィのような優遇された生徒を危険に晒した事実が、重しとなってくる。
「──っ」
とうとう脚に力が入らなくなり、私は崩れた。
「カホウ──!」
大丈夫かと、二人は心配してくれる。
でも、その時。会場の入り口からサテン先輩を呼ぶ女子生徒の声がした。
「サテン! ……あのっ、保護者の方々を抑えるの手伝って。こっちにまで来ちゃうかも!」
「……そう。わかった……」
私を横目で見たサテン先輩と、目が合う。
あぁ 行ってしまう。
「サ──!」
私は咄嗟に、サテン先輩に手を掛けようとする。だけど──。
ごめん。
その一言を残して駆け出した彼女を、引き止める資格なんて……私にはない。
「なんでサテンが助けに行くのさ!」
「なんでとか言うなっ──」
在校生達の後ろ姿に、特別感は感じない。
私の手を引いていた人は、ただの夢の中の登場人物だったんじゃないかと……思ってしまうほどに。
「──さて、キミはここにいなさい。……勝手な事はしないようにな」
試験官もだ。
彼は責任者であるために、会場に戻らなければならないとグチるように言った後、
「──すまない。折ったペンの替えを持参しているべきだった」
何度か言葉を飲み込む仕草を見せた末に、そう……残してくれた。
その彼の去る姿からも、私の声を拒絶しているような。
……いや、もっと強くて明確だ。
私に喋らせてはいけない。
私に魔力を滾らせてはいけない。
課された罰が消えるよう。
課された罰が消えぬよう。
まるで腫れ物を扱うみたいに、私は放置されていくのか。
──と、遠ざかる足音に対して、複数の足音が近づいてきて、
「……大人しくしていなさいと、言ったはずだが?」
「ええ、言われた通り……大人しくしていましたよ?」
試験官とすれ違いざまに軽口を返した人。
「──」
レイジィ。
もはや、その名前も言えなかった。
彼は、オルン君を含め、一緒に校門の近くにいた数人の男子生徒を引き連れ、現れた。
──怪我は……している様子はない。
白い火が顔に当たったのかと心配だったけど、彼の頬は綺麗なままだった。
良かったと……肩の力が抜ける。
頭に血が昇って、どうでもいいと切り捨てていた自分が、どれほど馬鹿だったか。
なんともない表情でいるレイジィを見ていると、恥ずかしくて頬が熱くなる。
あんな事をして、ごめんなさい。
そう言えたら良かったんだけど、彼は──。
「……俺の体が、お前の魔法なんかに騙されるかよ」
私が考えている事を掻き消すように、そう吐き捨てた。
「だまされ……る?」
なにを
なにを知って、そう言っている?
「どういうこと?」
「……」
レイジィはため息を吐く。
更には、それを勉強しに来たんだろ──と、呆れたように溢された。
「そこは、まぁ……ゆっくり知っていけばいいさ」
魔法の事。魔力に纏われている世界の事。
私が知りたい事や、この魔法学校で知れる事。思うままに、調べていけと……レイジィは淡々と……お兄ちゃんのように言っていた。
そして、もう一つ。
不意を突くように私の前で跪いた彼は、「それが終わったら──」と、言いながら力の入らない私の手を取り、
「次に撃つ魔法は、ここを狙え」
レイジィの胸に押し当てた。
突然の事に、思わず手を振り払おうとした。でも、私が動くよりも早く、彼は乱雑に手を返して立ち上がる。
「──謝るつもりなら、その時にしてくれよ」
それだけ言うと、レイジィはオルン君達を連れて校内の奥へと歩いて行く──。
「サク君、今のなに? どういう事?」
「はしゃぐなよ。もうオルンにはなにも教えないからな……!」
ウザがるレイジィに合わせて、他の男の子達もオルン君に一言一言を刺していた。
「……」
仲の良さそうな彼らを眺め、私は、言葉を迷子にしてしまう。
最後のは、無学への罰?
答えは、どこからも浮かび上がってこない。
取り巻きで見えなくなるあの子の背中。
幼さを失った彼の姿を見つめ続ける内に……涙が、一粒だけ落ちる。
……変な涙?
違う。
──強くなるから。
幼い日々を捨てる為。
捨てて──、燃え尽きて──、
私達は、その時やっと── 真っ白になるんだね。
だから、この水は
私がそれを、一足先に……覚悟した涙なんだ。
──第一部 終──