第十一節
現れたのは、光糸の群れ。
私が放った魔力は、想いを抱え──会場の上空を覆った。
蒼緑色の空から降る、白い綿毛のような魔力の欠片。その光景に観衆は畏れ、どよめくも──
「きれい……!」
どこからか、そんな幼い声も聞こえていた。
その感動が懐かしい。そういった声の積み重ねが、私を神童だと祀り上げたのだ。
「……」
──私は、蜘蛛の巣のように纏わりつく『綺麗な光糸』を、指で絡め取る。
ダメ、足りてない。レイジィが望んでいる神童は、こんなモノじゃないんだ。それは、暴発した魔力を前にしても微動だにせず──静かに、こちらを見据える姿で伝わってくる。
「二射目、いくよ!」
私の宣言に、レイジィは頷いた。
思うように見せてみろ──そう言っているみたい。オルン君や在校生、臨時に監視役を任された人達も、様子を窺っているだけ。入ってこようとしない。
──なら遠慮はいらないね。
あと四射。あなたが満足する魔法が撃てるように、頑張ってやる。
濃度を増す魔力が、まるで生き物のように地面の上でのたうち回る。轟く音の不穏さは、「綺麗だね」なんて言おうとする口を噤ませるでしょう。
──そして私は、レイジィだけに届ける魔法を編む。それが飛矢でなくても構わずに、第二射を思うがままに放とうとした。
それを
「神童──リノン・カホウ!」
誰かの声で、止められる。
「……あ?」
会場のざわめきに蓋をするような一声だった。
神童と呼ばれてそうな人たちが集まる場所で、私の事を片田舎でしか聞くことのなかった言葉で名指ししたのは──。
「彼女を存じ上げない方も多いでしょう。かくいう僕、オルン・カトもそうでした」
私を、『噂の神童さん』と呼んだ短髪の笑顔くん。
「オルン君……?」
声の感じからして、彼に悪気はないのだろう。考えてみれば、一人の受験生にハンデを与えた舞台だ……。それを見せられている側からしてみれば、少しの状況説明くらいはしてほしい。
そういう不満を受け取め、少し強引ではあるけど、やむなしに声を割り込ませたのだろう。
それなら私も納得する。
第二射が不発になっても別に良いと。
でも……なんだろう。
嫌な予感がした。
オルン君が言う、神童。
レイジィが知るソレと、大人が知るアレ。
どっちの意味の『私』を口にするつもりか。
「──先例都市の郊外に、歩けば花の咲く魔法と呼ばれた神童、リノン・カホウこそ、今、あの舞台に立つ彼女であると。しかし──」
どちらにしても、同郷でもない部外者に言わせる話じゃない。
だから咄嗟に──。
「──!」
私はみんなの注目をオルンから引き剥がす為に、第二射を放つ。
けれど、揺らいだ想いに魔力が乗るはずもなくて。手から離れた数本の光糸は迷い、彷徨った果てに消えた。
当然、一射目と比べたら見るに耐えない光遊びが、人々の目を引けるわけもなかった。
「彼女は落ちぶれた──。そんな『噂』を耳にしました」
「レイジィ!」
私はレイジィに差した指を、オルン君の方へ勢いをつけて薙いだ。
彼を止めて。『私』の事を教えないで。
そう訴えた。でも、あの子は──
「……え。なにそれ」
己の口元に、指を添えてみせた。
『口を挟むな』。『オルンの邪魔をするな』。
──レイジィは、わざとオルン君に私の過去を話した……。それも、一夜漬けで詰め込んだ知識にも劣る、断片的で、漠然とした情報を。
「──とはいえ、落ちぶれたのは彼女のせいではないのです。……強い魔力に囚われただけの少女が、神童だと持て囃され、あげく潰されたという悲劇だった」
この手の話は、世界各地にある。
ありふれた出来事が、リノンにも降りかかった。
そう理解した観衆の目は、まさに『部外者が憐れむ典型』。
やめて。壁越しに泣き言を聞かされる身にもなれ。
「それでも、リノン・カホウは魔法学校にまでやって来た。──それを、誰よりも楽しみにしていた人がいるとも知らずに」
オルン君は、「そう教えてくれたよね?」って。
「だから、わざわざ校門で待ってたんだよね?」って──唐突に、レイジィを刺した。
「──サク君! 幼馴染みの彼女に、労いの言葉をかけても良いんじゃないかな?」
あの子はオルン君を一瞥してから……私を見た。
会った時、あんなに冷たくしてくれちゃった子が。本当は、私が来るのを待ってた……?
「……っ?」
レイジィがあの場所にいた意味。
そして、その後の言動の数々が、『そういう理由』なんだと分かってくると……なんか──。
どうして、そんな面倒な事をしていた?
想像じゃなく、あの子の口から言わせたい。けどなんでか、声が、喉でつっかえて。
「ッ──?」
私の戸惑う姿に何を思ったのか、レイジィが少しばかり姿勢を緩める。
「──。……俺はアルヴィオスに来て、リノンの親父さんに会って、色々聞いた」
パパから……?
「風の噂じゃ、リノンは落ちぶれたとか。……何年も家に引き篭もってたけど、独りで頑張ってはいると聞いて、少し安心してた」
引き篭もってたは、あまり人に聞かれたくない個人情報なんだけども。
よく通るレイジィの声に、会場は耳を傾けているかのように静かだった。もしくは、私達の会話を邪魔しないよう気を遣ってくれているのかもしれない。
その中で、陽の光を背にしたあの子は続ける。
「リノンを待ってたのは本当。リノンが魔法を知りに……学びに来たと聞いて、腐ってなくて良かったと思ったよ」
腐……。
「それでもさ、独学の壁に当たって悩んでいるみたいだったから、見本を見せた。リノンにチャンスを与えてみたんだ」
……。
レイジィは俯く。
……。
『昔の私を見ているかのようだった。』
やっと、そう言ってくれるのかと、胸が焦れる。……すると、彼の足下に、蒼色の光の粒が落ちて──あの子は、微かに首を横に振った。
「リノンは……まだ、大人に褒められたがってんのか?」
「 え?」
「さっきの、派手なだけの魔力の扱いはなんだ? なにを考えてた?」
「なにって……」
レイジィが、悔しがっていたから。
だから、あなたが知っている私の姿を、忘れたくないんだと思った。
こう言えればいいのだけど……。
もしそれが違っていたのなら。
レイジィの雰囲気から、僅かにその可能性が見えてしまい──問いかける勇気を出せない。
なかなか答えられずにいる私に業を煮やしたのか、あの子は──。
「……気持ち作りに水を差したかもしれない。リノン、試射三射目だ」
そんな事を言われても。
私は碌な返事も出来ないまま、彼に従い両手を前に出す。
でも、なにを想えと。固めた気持ちが揺らぎ、視界の裏から溶け出すような心の持ちようでは……魔力すら、味方しない。
当然、飛矢を撃てるはずもない。
こんなの……魔法使いの真似をする子供の姿でしかなかった。
「──レイジィ……っ!」
「……」
あの子は、なにも言わずに待っている。
そんなレイジィの代わりにか、オルン君が私に声を投げる。
「神童さん! サク君はね、カホウ先生にキミがここに来ると聞いて、会えるのを楽しみにしてたんだよ!」
「……オルン、それは言わなくていいって」
レイジィは彼を制しつつも、仕方なさそうに肩をすくめていた。
そして、本音を隠すのを諦めたのか、「そう、楽しみにしてたさ」って。
「──俺は小さい頃、リノンに心を救われた。あの時見せてくれた魔法の花畑を、今でも憶えてる」
「……ぁ」
「楽しみにしないわけない。リノンに、今の俺を見せられる事も、同じくらい楽しみにしてた」
冷たくなる空気に乗る、レイジィの声。
陽が……建物に隠れて、私達に影を落とす。
その時、突然あの子は笑い声を響かせた。
「──落ちぶれたなんて嘘だと思ってた。離れてようが、俺らは強くあろうと想い合ってると信じてた……ッ」
それなのに、私ときたら。
「でも、リノンは違ったんだ……! 結局は、大人に褒められた魔法しか出せない。ずっと、周りが言う『神童』に収まろうとして、けど演じきれずにそのザマだ!」
やっぱり、腐ってるように見えてたんだ。
「──レイジィ、違う! もう、みんなから後ろ指を差されるのが嫌だった! だから勉強を頑張って、ここまで来たんだよ!」
そして、魔法を知りたかった。
想いと繋がる魔力が、どういうものなのかを知りたかった。
そこに、周りからの再評価を受けたいなんて邪念はない。ただ私は、レイジィのように、答えられる立場に行きたかった。
「──私はね、レイジィ!」
「もういい同じだ!」
誰一人として反論させてたまるか。
まるで、そんな想いを込めたような叫びに、私の手が、あの子を嫌い──怯む。
「……さっきの一射で……届いてんだよ」
すごく……小さな声。
思わず、あの子の音に耳を傾けた。
──そしたら。
「リノンが、そういう想いでいるなら──俺はっ……。──楽しみにするんじゃなかった」
……なんで、そんな事をいうの。
違うって言ってるでしょうが。
話を聞くくらいしてよ……!
「──レジィッ!」
私は拗ねた弟を叱りつけるつもりで叫ぶ。
その瞬間、魔力が暴れた。
暗い色──。見たこともないくらい濁った緑色の魔力が、一瞬で手に集まって──!
意図しない一閃が疾る。
飛矢にも似たそれは、一直線にレイジィへ向かう。誰もが直撃を思い描き、息を飲んだことだろう。
それは私も同じ。レイジィ、避けて。
そう迷わず叫べていたら良かったのに。
「──レ」
レイジィを襲った魔力は……あの子の手に遮られた。その直後、光の飛沫をあげたソレは払い捨てられ、地面にぶつかって弾けた。
「ぁ……なん──」
なに、それ。
そんな、汚いものみたいな。
魔力の残光を見下ろしながら、レイジィは手を払う。
「……いい加減、『レジィ』って呼ぶの、やめてくれないかな」
もう幼い頃とは違う。
ちゃんと名前で呼べと言う。
あの子は──私を睨んでいた。
「三射目は不発。四射目はコレ。……やっぱり、込めてる想いは変わらないか」
観衆のざわめきが、大きくなって聞こえる。
レイジィの冷たさ。……怖さ。
彼がしている事は、もしかしたらイジメなんじゃないか。そんな声すら上がっていた。
それでも、レイジィは止まらない。
「次が本番の五射目。ちゃんとやれよ?」
「 」
「誰かに褒められたいと思うのはリノンの勝手だし、そうしたいなら自由にやればいいさ」
「 」
「──けど、これだけは言わせてもらう」
罰として
理不尽に
私を叩くか
「……いつまで過去の栄光に縋ってんだよ、お前」
「 ──」
涙が
ゴミみたいに落ちる。
「 あぁ わかったよ やるよ」
乾いた唇が打つ音に、魔力は──応えた。
レイジィの姿なんか見えない。
蒼緑の光が、赤黒く染まる。
──どうでもいい。
そんな想いに纏わりつく
この魔力が
今は……愛おしかった。