第十節
私の足音が、重い。
僅かに視線を戻して、あの子を見る。
(レイジィ……)
会場の端に下がろうとしていない。
的になるなんて冗談で、私を舞台に戻す為の口実だったとか。
後で振り返ったら観衆の中に混ざってるとか。
……そんな素振りは、全然見られない。
じゃあ……本当に、私と向き合うつもりでいて、撃たせようとしてる……。
そうしないと立つ瀬がなくなるというのなら、私は付き合うけども。
──けどもさ、それだけじゃないでしょう。
(悔し……かったんだ)
あの子が、当たり前だろと顔に書いて言った言葉。
あの発言からして、私念がこもっているのは間違いなさそう。だからと言って、私が「やっぱり撃ちません」と断ってしまうのも可哀想か。
「……はぁ」
では、優先したいのは姉としての決断。
聖母のように。女神のように。
──いいよ、やってあげる。そうして気持ちを切り替え、私は溢した吐息に余分な憂いを乗せたのであった。
「──ん」
そして位置についた事を、全身で振り返って示す。レイジィは……いなくなってない。
的であった壁よりも、十秒くらい歩いた所にいて──。
なにか始まったぞ。
これは試験の延長なのか。
そんな声が聞こえてきそうな観衆のざわつきに、オルン君が代表してレイジィに問いかけていた。
「──的になるつもり? 意味はっ?」
「場の帳尻合わせだ。……彼女には、『ハンデ』を与えるべきだろ」
「だからってさぁ、サク君が体張らなくてもさぁ!」
遠目だけど、なんとなくわかる。
……オルン君、顔がニヤついてるなって。
彼は内心賛成してるけど、そう思わない人達の想いを代弁してるのか。
文句を言われる前に、その気持ちを溶かしてやろう……みたいな。私の悪童以上に強かで、良い性格していらっしゃる。
そんな様子を見せられたら、私を含め……もう誰もこの茶番を否定出来ないな。
──息が詰まりそう。
「オルン、もう黙ってろ。……どうせ、アイツの魔法は当たらない」
「あン? 当たらない?」
待って。こっちにまで聞こえたぞ。
……すごい、馬鹿にするように言うじゃないか。
オルン君が出した変な声は、私も出すべきだった。けれど、レイジィは反論も反応もさせないという風に大声を上げた。
「受験番号9番! まずは試射四発──準備が出来たら、いつでもいいぞ!」
……体当たりでもしてあげようか。
あの子の声が会場に響いたのをきっかけに、私に注目が集まった気がした。
──ため息が出る。
(準備かぁ……)
私は、力の抜けた片手をレイジィに向ける。
もう片方は胸で止まる。
……さて、何を想おう。
レイジィを吹き飛ばしたい? ……ダメ。
お腹空いたなぁ、とか。……弱いな。
それじゃあ、何を想えばいいか。
あの子が見たいもの……望んでる光景は、なんだろう。この煮え切らない気持ちを糧にしてもいいけど、そんなのが飛矢になるだろうか。
「……」
想いを拾いに、暗闇へ。
目を瞑ると、遠くにいる人達の囁きが聞こえるよう。──レイジィを心配する声。私がやらかしてしまうんじゃないかと、狼狽える声。
たくさんの音が混じり合って分かりづらいけど、それらは勿論あるだろう。なにも起こらない方が、断然いいのだ。
撃たないが正解。
なにも届けないのが無難。
でも、あの子は撃てと言うから。
撃つ為の空気を、無理やり作ってしまったから。私は応える言い訳を考えた。
でも……彼に向けた指が、手の内に帰ってくる。
これが本心だよ。
あなたの言葉だけでは、撃つに値しない。
私の身体は、そう言っているんだ。
こんな私を見て、撃たないつもりかと思ったのだろう。レイジィの「リノン!」と呼ぶ声が響く。
「──誰が、誰に、何を、どんな想いで、どこに届けたいかを声に出せ!」
それだけでいい。
それだけで、リノンの魔法は飛ぶ。
ご丁寧に教えてくれて、ありがとう。
さて、どう舞台から降りよう。そう考え始めたら、胸に置いていた手が、無意識に結い癖のある髪を触ろうとしてしまう。
結った髪が崩れてるから、あんまり弄らないようにしていたのに。でもその前に、ヒスイカズラの髪飾りに、爪がコツンと当たって──手が止まる。
その刹那的な時間。
あの時、なんとなしに呟いた『呪文』が過ぎり、
小さな光が、目の中で閃いた。
「──」
瞬間、心の中で、あっ──ってなる。
「……わたしを」
なんとなく。なんとなぁくだけど、レイジィがどう想っているのか……予想できた。
多分、
多分ね、
「──忘れないでいたい」
魔法で花を咲かせた神童を。
今も目の前にいるんだと期待して。
「そういう……意味なんだ」
あの子は、私に期待を向けている。
なら……それだったら、私が想う事は一つ。
レイジィに届けたい魔法の素は、『リノンの姿を、忘れさせない』。
そうだ。
この想いだ──!
その時、蒼緑色の魔力が全身から溢れ出す。
さっきよりも、ずっと濃い光の雲。
起こらない方がいい事が起こる。
突然の魔力の発現に驚く声。微かに混じる悲鳴。高まる畏怖は、言葉にされなくても伝わる。
けれど、今の私が応えたいのはそれじゃない。
遠くのお喋りよ、止まれ。一緒に、魔力が集まる私の手を見よう!
レイジィが翼で見せたように、魔力が、あの子に突き出した手へと集まる!
さあ、届け──
放つ──忘れさせない想いの魔法。
あなたが望んだ神童の光。
それは、飛矢……なんてものではない。
幾重にも絡み合った光の筋が──暴発する光景だった……!