代用ハナヨメは幸せになれない
祝福のベルが鳴る。今日の佳き日に結ばれた、若い二人を祝うために。
片や護国の英雄一族たるシェーゼル辺境伯家の嫡男、片やこの国の第三王女。
何もかもが申し分なく釣り合ったこの縁談は、とんとん拍子にまとまった──当事者たる花婿と花嫁、すなわちフレドリク・シェーゼルと、ロザリンド・ルーシェン=ラドネリスの意思を完全無視することにより。
「花嫁、ロザリンド・ルーシェン=ラドネリス。花婿、フレドリクを永遠に愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」
婚礼見届人の問いかけに、わたしは笑顔で答えた。
フレドリクは嫌そうな顔をしている。ロザリンドがいたら、きっと彼女も同じ顔をしているだろう。
この場にいる誰もそのことを知らないけれど、わたしの本当の名前はエルティシア・セリファーだ。
父はエレット・セリファー、母はメアリー・セリファー。この二人の一人娘として生を受けたわたしは、その愛を一身に受けてのびのびと育った。
わたしを愛してくれるのは、父と母しかいなかったと言い換えることもできる。
セリファーというのは、母の姓だ。
父の旧姓は、ルーシェン=ラドネリス──王族の出身者を意味するものだった。
ルーシェニア王国の宮廷において、父の名を知らない者はいなかったという。
美貌と才覚で多くの人を虜にし、辣腕を振るった若き政治家。王位への階段を一気に駆け上がる第一王子。
遠い目をした母が語る過去の父の栄光を、わたしは不思議に思いながら聞いていた。
わたしの知る父は、とても優しく穏やかで、けれど常に死の匂いを纏っているかのように弱々しい人だったから。
寝室のベッドの上で苦しげに咳き込んで、ベランダでまどろんで、安楽椅子に腰かけながらわたしを抱き上げて膝の上に座らせてくれる。そんな父のことは大好きだったけれど、宮廷で権勢を誇っていたなんて到底信じられなかった。
それが誰の仕業だったのか、わたしにはわからない。両親は知っていたのかもしれないけれど、黒幕の名前が公になったという事実もないのだろう。
ただ、そのこと自体は重要ではない。大事なのは、当時の宮廷には父の活躍を快く思わない人間もいた、ということだ。
若き日の父は、その悪意に焼かれたという。
放たれた刺客の襲撃により、父の容姿と健康は大きく損なわれた。
宮廷人達は、父の回復は絶望的だと考えた。そこで彼らは父をあっさり見捨て、別の王子に鞍替えした。
父が一命を取り留めたことを知り、再びすり寄ろうとした人もいたが、醜く変わり果てた父を見てすぐ逃げ帰ったそうだ。
ついこの前まで自分を取り巻いていた人々に手のひらを返され、父はすっかり気力を失った。襲撃の後遺症で、身体が不自由になってしまったことも大きかったに違いない。
鼻つまみ者として扱われ、自ら継承権を放棄するよう迫られた父は、それに応じた。領地を持たない一代公爵としての身分を得て、父は逃げるように宮廷を去った。
そんな父を唯一見捨てず、下賜された屋敷のある辺境までついていったのが、たった一人でずっと献身的に父を看病していたメイド……すなわちわたしの母メアリーだった。
政争に負けて宮廷を追放された第一王子の後釜には、双子の弟である第二王子が座ることになったそうだ。
のちに王位を継ぐことになるのもその第二王子、つまりわたしの叔父だという。
母の語る昔話が真実なら、もし何かが違えばわたしは一国の王女だったことになる。
けれど、お姫様になりたいと思ったことはなかった。わたしは今の生活に満足していたし、父を追い出した宮廷というものに、子供ながらに恐れと恨みを持っていたからだ。
両親と三人で、慎ましくも穏やかな暮らしを続けていけるなら、それでよかった。
でも、神様はそんなわたしのささやかな願いを叶えることはなかった。
それは、父への悪意がまだ続いていたというよりも、新しく誕生した王家の血を危惧してのものだったのだろう。
あの恐ろしい殺し屋達は、わたしを庇おうとした両親ごとわたしを刃で刺し貫いた。そして両親の遺体を足蹴にして消えていった。
両親は、殺し屋達の顔と名前を知っていた。
強盗に扮して押し入ってきた彼らは身分を示す物を一切身につけていなかったけど、両親は彼らの正体が王家の騎士だと見破った。
彼らの誤算は、わたしに癒しの秘跡が使えたことだ。もしくは、わたしに扱える秘跡の力が、彼らの想定より強力だったことだろうか。
癒しの秘跡はこの国の王家の証。
選ばれた王族にのみ発現する奇跡の力は、よりによってわたしに宿っていた。
消えてしまった両親の命の灯火をもう一度点けることは叶わなかったけど、瀕死に陥った自分自身の傷を癒すことはできた。
一人生き残ったわたしは、王家への復讐を誓った。
それが今から七年前、わたしが十歳の時の冬の日のことだ。
生き残ったわたしは、わずかな遺品や金目のものを持ち出して、身分を隠して乗合馬車に乗り、遠い街に行った。わたしが生きていると知られれば、きっとまた王家の騎士が来るからだ。
今のわたしはエルティシアではなく、ただのエル。
ちょうど使用人の募集をしていた裕福な商人の家があったので、すかさず住み込みのメイドとして応募した。
孤児を雇うのは慈善活動になるとかなんとかで、わたしはすぐに採用された。
読み書きもできて、礼儀作法も身についているわたしは、すぐに奥様に気に入られた。お給金は全部貯金に回して、いつかの復讐のための資金にした。
それから七年が過ぎた。娘のいない商人夫婦は、わたしのことをことさらに可愛がってくれた。美しくて教養がある、と褒めそやし、わたしを養女にして貴人に嫁がせたいと言うようになった。
ある日王都に行った旦那様は、帰ってくるなりわたしを見て不思議そうにこう言った。「お前は第三王女殿下によく似ているねぇ」と。
第三王女。きっとわたしの従姉妹だ。癇癪持ちで有名な、我儘放題の末姫らしい。「世の中には似ている者が三人はいますから」とごまかしたけれど、心臓はすごくバクバクした。
幸い、商人の家に殺し屋が来ることはなかった。宮廷の人間は、わたしなんてとっくに死んだと思っているのだ。安心した。
けれど代わりに、こんな噂が聞こえてきた。
第三王女が辺境伯のもとに輿入れする、と。
その旅程にはわたしのいる街が組み込まれているから、街で一番のお金持ちであるこの家に泊まるかもしれない、と。
噂は果たして真実だった。初めて見る従姉妹は、屋敷に来るなりわたしを呼びつけた。旦那様の言っていた通り、わたしと彼女は鏡のようにそっくりだった。
「本当にわたくしに似ている娘がいるなんて。メイドごときが生意気ね」
その一言で理解した。彼女はきっと、わたしに会うためにわざわざこの屋敷に立ち寄ったのだ。
「でも、都合がいいわ。おまえ、わたくしの替え玉になりなさい」
第三王女ロザリンドは言った。これから自分は愛してもいない男に嫁ぐが、それが嫌で逃げ出したい、と。自分は恋人と駆け落ちしてよその国に行くから、代わりに嫁いでくれる花嫁が必要らしい。
「かしこまりました」
──なんてわたしにとって都合のいい要求だろう!
「つまりあなたさまは、ただのエルとして姿をくらませるのですね。メイドのエルは昔からの恋人と駆け落ちして屋敷を去り、王女ロザリンドは何事もなく輿入れのための旅を再開する。それでよろしいですか?」
花嫁道具を入れた衣装箱の一つが二重底になっていて、そこに本物のロザリンドは忍び込むという。次の街で恋人と合流する手はずになっているらしい。
きっとこの駆け落ちは、最初から計画されていたのだろう。多分、わたしが断ったとしても、金か暴力で従わせていたに違いない。
決行の晩、ロザリンドは簡単に背中を見せた。わたしがナイフを持ってきていることにも気づかずに。
そして、わたし達は入れ替わった。
翌朝、謝罪の書き置きを残して消えたメイドを商人夫妻が探していたけれど、客人には関係のないことだ。花嫁の行列はそのまま街を発った。
愚かな従姉妹の遺体は、腐る前に谷底に放り投げた。
どうでもいいことで当たり散らして衣装箱を捨てるように命じても、側仕え達は眉一つ動かさずに従った。きっとこの程度の理不尽には慣れていたのだろう。
次の街で、美しい顔をした優男を見かけた。
同じ男が人目を忍んで何度も接近しようとしてくるから、わたしはすぐに騎士に命じて取り押さえさせた。
ロザリンドの恋人であろうその男は、不審者として投獄された。
ロザリンドが嫁ぐシェーゼル辺境伯家は、隣国との国境を守る武官の家系だ。隣国とはずっと緊張状態が続いていて、小競り合いが起きることがしばしばあった。きっと近いうちに大きな戦争が起きるのだと、市井でも噂になっていた。
そうなってしまう前に、王家とシェーゼル家の結びつきを強めるための政略結婚。そこに当事者の意思は必要ない。
「ロザリンド、お前の悪評は知っているぞ。お前のような悪女を愛するつもりは、私にはない」
だから、シェーゼル辺境伯領の城に着くなり言い放たれたフレドリク・シェーゼルのこの宣告も、当然のものなのかもしれなかった。
ロザリンドに恋人がいたように、フレドリクにも幼馴染みの恋人がいたらしい。ある意味お似合いの二人だ。きちんと結婚していれば、お互いの本当の恋人を隠す仮面夫婦として仲良くやれていたかもしれないのに。
「身の程は弁えておりますので、ご安心ください」
儚げに、控えめに。そう言って微笑むと、フレドリクはつまらなそうに鼻を鳴らした。
そしてわたし達は結婚した。フレドリクは幼馴染みの子爵令嬢しか眼中にないので、わたし達の間に夫婦の営みはない。フレドリクの愛情なんて計画には必要ないので、それで構わなかった。
「今日もお疲れ様。国のために、いつもありがとう」
わたしは毎日領内の砦を回る。司令官から従士の一人に至るまで、丁寧に声をかけながら。
もし傷ついた騎士がいれば、すぐに秘跡の力で癒やした。「戦争で大事な国民が傷つくことが恐ろしくて、神様に祈っていたら、ある日この力を与えられたの」と微笑んで。歴代の王族の中には、生まれつき力を使えたわけではなく、成長途中で秘跡に目覚めた人もいたそうだから、誰も疑うことはなかった。
辺境伯夫妻である義両親は、最初はわたしをいぶかしげに見ていたものの、だんだん手のひらを返してきた。夫に愛されない妻でありながらも、わたしの後ろ盾としてわたしを認めてくれた。
「本当の君が、そこまで心優しいとは思わなかったよ。君を娘として迎えられて、誇らしい気持ちでいっぱいだ」
「ごめんなさいね、ロザリンドさん。きっと貴方には、もっとふさわしい幸せの形があったでしょうに……」
「めっそうもございませんわ、お義父様、お義母様。こうして民に直接尽くせることこそが、わたくしの喜びであり幸せなのです」
第三王女ロザリンドの評価は、宮廷と辺境伯領でまったく異なるものになった。
それから一年と経たずに戦争が始まった。
癒しの秘跡を使えるわたしは、従軍看護師の一人として最前線に立ち、多くの命を救った。騎士も民間人も、敵味方問わず、だ。
敵をも癒すわたしに対して反発の声もあった。けれど、「命は平等です! 命に国境などありません!」と押し切って、わたしは手の届く怪我人すべてに癒しの秘跡をかけた。
「ロザリンド。君は、聖女のような人なんだな。私は君の本当の姿を見ようとしなかった」
その中には、フレドリクもいた。死にかけたフレドリクはわたしの力で生還し、わたしに思慕の眼差しを向けるようになった。
フレドリクは、打って変わってわたしに愛を囁いている。恋人の子爵令嬢のことなんて、もうすっかり頭にないようだった。
だけどわたしは知っている。
父が死の間際に呟いた、殺し屋達の首魁の名前を。
それは義父の名だ。義父は家を継いで辺境を守る前、王宮で近衛をしていた。きっと王家の信頼の厚い、優秀な近衛騎士だったのだろう。暗殺の密命を負う程度には。
フレドリクには宮廷への出仕を命じずに領地に留めておいたのは、同じような後ろ暗い仕事をさせたくなかったからかもしれない。
あなたの父親がわたしの両親を殺したのよ、と言ったら、フレドリクはどんな顔をするのだろうか。
戦争はルーシェニアの勝利という形で終わった。“慈愛の聖女”に感銘を受けた隣国の民や騎士の激しい反戦運動の結果、隣国の首脳陣が戦争の続行を諦めたからだ。
“慈愛の聖女”が癒した中には、騎士団長として兵を率いていた隣国の王太子もいた。反戦運動の扇動者は、なんとその王太子だった。
和平条約を調印する場に、“慈愛の聖女”を出席させること。隣国からの要求はその一点のみだったので、ルーシェニアの国王はそれをあっさり飲んだ。無駄に長引かせて他の国に付け入られる隙を作りたくなかったのだろう。
「立派になったな、ロザリンド」
“慈愛の聖女”──ロザリンドは、和平条約の調印のために王都に呼ばれた。
「これも王宮という鳥籠を出て、外の世界を見ることができたおかげです。以前のわたくしはあまりにも愚かで、自分がどれほど恵まれているか気づきもしませんでした。ですから、少しでもその罪の償いをしたかったのです」
初めて目にする叔父は、娘が偽物だと気づかなかった。
隣国との情勢が安定したので、辺境伯は少し軍備を緩めることにしたようだ。終戦の立て役者である“慈愛の聖女”とその夫である息子フレドリクの、王都滞在を許可してくれた。
たくさんの宮廷人がわたしに群がった。癒しの秘跡を発現させた王女をどう利用するか、あるいはどうやって始末するか、みんな必死に考えているのだろう。
わたしはどんなときも笑顔を浮かべていた。毒も刃も怖くない。エルティシアは十歳のときに死んだのだから。
メイドのエルももういない。ロザリンドとしてのわたしは二十歳になっていた。
王都で存在感を示してから、わたしはフレドリクを伴って国中を回ることにした。
どんな小さな村にも立ち寄って、市井の人々の傷病を癒やす。わたしに休みはない。つらかったけれど、自分で言い出したことだ。“慈愛の聖女”でいるためには、必要だった。
三年かけて国を回り終えたころには、ロザリンドの名声は揺るぎないものになっていた。
国王よりも王妃よりも、他の王子や王女よりも。ロザリンドは愛され、求められていた。
「ああ、美しくて心の清らかなロザリンド様! あのお方がこの国を統べてくださったらいいのに!」
「癒しの秘跡こそ、神に認められた証だ! ロザリンド様ばんざーい!」
ロザリンドを讃える声は、階級の上下を問わずによく響いた。隣国でも人気が高いらしい。
当然、それをよく思わない人もいた。だからわたしは次の手を打った。
「ねえ、お兄様。わたくしを無理に蹴落とすより、味方につけたほうがいいと思わない? だってもしここで“慈愛の聖女”が不審死でもしようものなら、それこそ暴動が起こるわ。民に人気のあるわたくしを表舞台に立たせておけば、王室の支持は盤石になるでしょう?」
従兄である第一王子に甘い囁きをかける。第一王子は誘いに乗った。
彼もまた、妹が偽物だということに気づかなかった。
それだけロザリンドは孤独で、誰からも本当の意味では愛されてはいなかったのだろう。本当の彼女を見ていたのは、彼女の恋人だけだったのかもしれない。
わたしは第一王子の影に立ち、宮廷での発言力を増やしていった。王位を狙うつもりはないけれど、第一王子とわたしはお互いがお互いの後ろ盾。“慈愛の聖女”に好意を向ける者は、第一王子にも傅いた。
勢いを増した第一王子は、第二王子に大きく差をつけてやがて立太子した。降嫁済みの第一王女と第二王女は、最初から水をあけられている。この国で最高の貴婦人は、王妃でも王太子妃でもなく“慈愛の聖女”と目された。
それでもわたしは自分の足で市井を巡り、望まれる限り癒しの秘跡を使い続けた。
「君はもう少し、自分の幸せというものを考えたほうがいいんじゃないか。君の献身ぶりは誇らしいが、夫としては心配だ」
「幸せなんてわたくしには必要ないわ」
だって神様は、わたしから幸せを奪ったから。
両親を失ったあの日、わたしの幸福は消え去った。
わたしはもう二度と幸せにはなれないし、なろうとも思わない。
誰もがわたしに跪く。
わたしの一挙一動に人々は注目し、わたしの言葉で宮廷が動く。この国の中枢にいるのは、間違いなくわたしだ。
わたしはフレドリクと共に辺境伯領に帰った。王都にいなくても、わたしの影響力は揺るぎないものになっていた。
ある日、わたしは国王夫妻を晩餐に招いた。叔父と叔母は疑いもせずにはるばるやってきた。
義両親と、国王夫妻と、フレドリク。六人の晩餐会はなごやかに始まった。家族水入らずがいいからと、給仕の使用人はすぐに下げた。
「わたくしのことは、殺さなくていいの?」
食後のデザートのタルトを平らげた義父と国王夫妻に微笑みかける。義母とフレドリクの飲み物に入れた睡眠薬はもう効果を発揮していて、何も知らない二人はすやすやと寝落ちしていた。
「急に何を言い出すんだ、ロザリンド」
「ごめんあそばせ。わたくし、本当はロザリンドという名前ではないの」
わたしは善意で市井の人々を助けたわけではないし、やみくもに宮廷人に取り入っていたわけでもない。
この国を操るために、癒しの秘跡という奇跡の力を最大限に利用していただけだ。両親の過去と死の真相も、ずっと調べていた。
「はじめまして、叔父様、叔母様、お義父様。やっとご挨拶ができて嬉しいわ」
若き日の父に嫉妬し、父をその悪意で焼いたのは叔父。
我が子達の障害になるかもしれないからと、両親の間に生まれたわたしを殺そうと考えたのは叔母。
そして両親を殺害した実行犯は、義父。
「わたしの名前はエルティシア・セリファー。あなた達が殺した、エレットとメアリーの娘なの。二人のことは、覚えてる?」
声はちゃんと聞こえただろうか。義父と国王夫妻の飲み物に混ぜた毒は、筋肉を弛緩させて意識を奪う神経毒だ。すぐに死ぬようなものではないけれど、もう意識がもうろうとしていてもおかしくない。
「どうしてあの二人の名を……!? ま、まさか、本当に、お前は……!」
「そ……そんな……! 君が、あの時の……女の子だったなんて……! 生きていたのか……!」
「ロ……ロザリンドは、どうしたの……!? おまえがロザリンドでないなら、あの子は今どこに……」
「ロザリンドの人生はわたしが奪ったの。いいえ、ロザリンドだけじゃない。あなた達に向けられていた尊敬も、あなた達が持っていた権力も、あなた達の子供達の運命も、全部全部わたしのものよ」
叔父様。あなたがお父さんから栄光を奪ったように。
叔母様。あなたがわたしから未来を奪ったように。
お義父様。あなたがわたしから家族を奪ったように。
わたしもあなた達から、何もかもを奪うと決めたんだから。
「大丈夫。あなた達のやったことは、公にはしないわ」
わたしは立ち上がり、晩餐室に飾られていた甲冑が持つ剣を抜く。本来その甲冑が手にしていた、刃の潰れた儀礼剣は空っぽの甲冑の中だ。
「その代わり、わたしのことも内緒にしてほしいの。だってわたし、あなた達のせいで犯罪者にはなりたくないから」
この日、辺境伯家に殺し屋が来た。
“慈愛の聖女”を快く思わない悪徳貴族が放った刺客だ。
辺境伯夫人とフレドリク、そして“慈愛の聖女”は重傷を負ったものの、癒しの秘跡により全快できた。
ただ、いかに“慈愛の聖女”といえどすでに潰えた灯火をもう一度灯すことはできず、辺境伯と国王夫妻の尊い命が失われ、殺し屋達は闇夜に消えていった。
国王夫妻が死んだので、第一王子が新たな王として即位した。
わたしの影響力は変わらないどころか、さらに強くなった。
暗殺者におびえる若き王は、わたしを側に置きたがったからだ。彼はもはやわたしの傀儡だった。
隣国の王太子がわたしに気のある素振りを見せるのも理由の一つだろう。わたしがいる限り、隣国は攻めてこない。あの国すらも、わたしの意のままなのだ。
宮廷の重鎮達はわたしを尊び、市井の人々は無邪気にわたしを慕ってくれる。
何も知らないフレドリクは、わたしに二度も命を救われたと信じ込んですっかりわたしの忠犬になっていた。
わたしは多分、ろくな死に方をしないだろう。
もし子爵令嬢がまだフレドリクに執着しているなら、嫉妬に狂った彼女に刺されるかもしれないし、捨てられたと思い込んで憎しみを募らせるロザリンドの恋人が現れるかもしれない。
フレドリクや王太子のような愛こそがわたしの死を招くきっかけになることも考えられるし、誰かの権力欲の果てに謀殺される可能性もある。それとも、単純に失脚するのだろうか。
でも、どんな末路を辿ることになっても構わない。
ロザリンドになったわたしは、かつて父がそうだったように宮廷に華々しく君臨し、エルティシアとエルの復讐を成し遂げたのだから。