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第7話

ニューヨークから端を発した世界恐慌は、戦争からの復興の兆しを見せ始めていた各国に大打撃を与えた。

各国の経済活動は軒並み鈍化し、企業の倒産も相次いだ。

倒産を免れた企業も、大規模なリストラを敢行せざるを得ない状況になっていた。

そんな中、この世界恐慌を逆手に取り、未曾有の経済成長を遂げた国がいた。

それが大日本帝国であった。

岡田啓介内閣で蔵相になっていた高橋是清主導による経済活動の賜物であった。

この経済活動により、日本は一般歳入10年分の資金を手に入れると、各国でリストラされた技術者達を、北九州、阪神、京浜、中京工業地帯に招聘すると、国内の重工業化を一気に推し進めた。

また生産設備の縮小を余儀なくされた欧米各国の企業に目をつけると、国内企業との提携を斡旋した。

特に航空機分野において、三菱重工発動機部門はアメリカのプラット・アンド・ホイットニーと提携し、川崎造船所 飛行機工場から独立したばかりの川崎航空機は、イギリスのロールス・ロイスとの提携を結んだのであった。

この各企業との提携を背景に、日本は1932年に開催予定のシュナイダー・トロフィー・レースへの参加を表明した。エントリーしたのは川西航空機と三菱重工発動機部門の連合チームと、川崎航空機単独の二チーム。

二年おきに前回優勝国で開催される三〇年代シュナイダーレースで、三菱と川崎のエンジンはめざましい発展を遂げた。

後にトリノで開催されたシュナイダーレースにおいて、三菱と川崎は空前のモンスター発動機を投入した。

三菱は離床三八〇〇馬力を発揮する空冷四重星型二八気筒エンジンを、一方の川崎は、離床三八五〇馬力を発揮する液冷倒立V型二四気筒エンジンを投入し、1938年のトリノで世界初の1・2・3フィニッシュを決める偉業を成し遂げた。

そしてこのレース用発動機の開発によって、数多くのノウハウを得た日本は、後の軍用機開発においても影響を与えたのであった。


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