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第2話

1917年にロシアで発生した労働者によるストライキと、それの鎮圧を命じられた兵士による反乱により、後にペトログラード・ソヴィエトと呼ばれる臨時政府が結成されることとなる。

そして、臨時政府から退位を要求されたニコライ二世がこれを受諾したことにより、ロシアのロマノフ朝は崩壊した。


臨時政府はその後も大戦を継続することになるが、ケレンスキー攻勢の失敗による大損害を受け、国内で七月蜂起やコルニーロフの反乱が発生し、これを鎮圧するが、レーニンによる十月革命により、臨時政府は打倒され、「ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国」が建国されると、ブレスト=リトフスク 条約を中央同盟と結び、大戦から途中退場したのであった。

しかしこの革命や条約に巻き込まれる形になったのが、他でもない日本であった。

東部戦線に派遣されていた遠征軍が孤立したのであった。

連絡があまり取れていなかった遠征軍は、ロシア革命とロシアの単独講和を知ると、直ちに行動を開始した。

ブレスト=リトフスク条約で定められた所まで中央同盟軍が進出する前に、遠征軍は離脱。そのままシベリア鉄道を使って、満州国まで撤退しようとしたのであった。

そのシベリア鉄道では、大量の日本軍が乗り込んだことにより、鉄道網が麻痺した。

また当時ロシアでは、赤軍と白軍が内戦を行っており、撤退が露見した場合、遠征軍全滅の恐れがあった。(実際、早々に露見し、追撃が行われた)

そのため遠征軍は、シベリア鉄道をジャックし、そのまま満州国まで急いで撤退することになった。

その撤退戦の最中、思いがけないことが発生した。

チェコ軍団との遭遇であった。

当時ロシアにいたチェコ系の捕虜がロシアの手により部隊化されており、チェコ軍団としてロシア軍と共に戦っていたのだが、ロシア革命により、多くの兵士が帰国を望んでいた。

そんな時、出会ったのが日本遠征軍であった。

こうして、日本遠征軍八万人、チェコ軍団五万人による撤退戦が行われた。

追撃を受けながらも、満州国を目指す混成軍団は、道中のロシア難民や白軍をも取り込んで、満州国到着時には、推定一〇〇万人近くの民族大移動のような状態になっていた。

その後、ロシア難民や白軍は満州国に留まるか、日本経由でアメリカ等に渡って行った。

そしてチェコ軍団は、戦後独立したチェコスロバキアに無事に帰国することができた。

また、一番問題となったのが、オムスクで難民を収容した際に、逃亡中であったニコライ二世とその家族も一緒に収容してしまった事であった。

当時、優勢であったソヴィエトはこのことに激怒し、日本に皇帝一家の身柄を引き渡すよう求めたが、日本はこれを拒否した。

日本で滞在後、皇帝一家はイギリスに渡り、亡命したのであった。

こうして東部戦線遠征軍は、無事に日本へ帰還した。


1918年、ロシアの単独講和により東部戦線が消滅したことにより、ドイツは西部戦線に兵力を集中させた。

これはウィルソン大統領が、アメリカ議会において平和を脅かす独裁主義者を打倒すべきだと呼びかけた結果、1917年4月に、アメリカがドイツに宣戦布告したのであった。

1918年 3月、後に「カイザー攻勢」と呼ばれる帝政ドイツ軍による春季攻勢が始まった。

ドイツ軍は戦線の中央突破を行うべく、猛攻を仕掛けた。

そしてこの攻勢の矢面に立たされたのが、日本欧州派遣軍であった。

この時期、宣戦布告したばかりのアメリカ軍は未だにフランスのパリで戦力が揃うのを待っている状態であり、英仏軍もすぐに日本軍の支援に迎える状態ではなかった。

そのため欧州派遣軍は、文字通り死力を尽くした。

塹壕線に浸透戦術をもって、侵入してくるドイツ軍相手に、日本軍は軍刀や銃剣を携え応戦した。

この攻勢に、日本軍は編成されたばかりの航空隊を全力投入し、ドイツ空軍と激しい空戦が行われた。

そして、遂に同年5月には、欧州派遣軍は予備兵力が払底し、各師団では人員が大きく欠けた状態になっていた。

それでも派遣軍の将兵たちは、一歩も下がらなかった。

最早無傷な兵士など皆無であり、中には片足を吹き飛ばされた者も小銃を抱え、戦闘を行う始末であった。

派遣軍司令部は、米英仏軍が兵力を展開できる状態まで踏み留まる覚悟をしていた。

予備兵力が払底したことにより、司令部直轄中隊をも動員し、更には派遣軍司令官である神尾 光臣大将自ら軍刀を振るいドイツ軍と戦ったのであった。

そして同年6月になると、日本軍による防衛ラインを抜けずにいたドイツ軍は遂に息切れを始めた。

そこへ戦力の集結を終えたアメリカ軍による、物量に任せた反撃がドイツ軍を襲った。

大逆転を狙って計画された攻勢計画は、文字通り死兵となった日本軍が、ドイツ軍という激流の中で突き出た石となり、勢いを殺されたところを英仏軍の攻撃を受け、最後はアメリカ軍による物量がトドメの一撃となった。

これ以降、日本軍はパリまで後退するとその後の戦闘に参加することはなかった。

春季攻勢の結果、欧州派遣軍は司令官である神尾 光臣大将以下多数の戦死者を出し、派遣当時一〇万人いた兵力は、パリ後退時には、一万人弱にまで減っていた。

その後、連合軍による百日攻勢からサンミッシェルの戦い、アルゴンヌの戦いを経て、1918年 11月コンピエーニュの休戦協定が結ばれたことにより、第一次世界大戦は、終戦へと辿ることになる。

1919年 6月ヴェルサイユ条約が締結されたことにより、第一次世界大戦は終戦を迎えた。

この条約により、ドイツは多額の賠償金と軍備の制約、植民地の放棄を領土の一部割譲を課せられることになった。

そしてこの講和会議の席で、日本は新たな領土を得ることになる。

ドイツが保有していた南洋諸島と更に、日本軍の奮戦に対する分前とばかりにイギリスの植民地であったソロモン諸島までもが日本の版図に加えられた。

だがここで問題が発生した。

それは同じく軍を派遣していたオーストラリアが、自分たちにも分前を寄越せと言ったのであった。

オーストラリアは、日本に与えられたソロモン諸島全域を寄越せと言い放ったものだから、英国首相ロイド・ジョージが激怒したが、ここで日本側がソロモン諸島全域は無理だが、ニューギニア島はオーストラリア領にしても良いと言ったことにより、この問題は一応解決した。

そしてアメリカ大統領の提唱により、初の国際連合が発足したが、言い出しっぺのアメリカは、議会が国際連合への参加を承認しなかったため、アメリカを除いた、イギリス、フランス、イタリア、日本が常任理事国となり、その他加盟国多数の参加により1920年から正式に発足したのであった。


そして1921年世界初の軍縮会議、所謂ワシントン軍縮会議が開催された。

この軍縮会議で、戦艦、航空母艦の保有について制限を設けるものであった。

アメリカは会議の場で、世界大戦の防止という大義名分を語ったが、彼らの本来の目的は違った。

彼らの狙いは、同じ太平洋にいる極東の島国、日本の軍事力を削ぐことであった。

アメリカが日本の軍事力を削ぐことを画策したのには理由があった。

それは日本海軍が議会からの承認を得て、開始した艦隊整備計画である、八八艦隊計画であった。

これはユトランド沖海戦の戦訓を反映させた、新規の超弩級戦艦、巡洋戦艦各八隻ずつ整備するという一大軍備計画でもあった。

しかもこの計画で建造される艦艇は全て四〇糎砲を装備するものであった。

これに危機感を覚えたアメリカは、軍縮会議をもってこの計画を潰そうと画策したのであった。

この軍縮会議に、日本は加藤友三郎海軍大将を全権大使とし、堀悌吉や山梨勝之進といった親米英派軍人を伴って参加した。

この軍縮会議は、初手から紛糾した。

アメリカは、日本に対して現在建造中の超弩級戦艦四隻の廃艦を求め、更に日英同盟を廃し、九ヶ国条約に参加するよう求めたのであった。

これに日本側は、主力艦四隻を残し、九ヶ国条約への参加、若しくは主力艦四隻の廃艦を行い、日英同盟の継続を求めたが、アメリカはこれを頑としてこれを拒否し、自分たちが求めた主力艦の廃艦と九ヶ国条約への参加は絶対であることを下げなかった。

結局、日本代表の加藤友三郎海軍大将が、軍縮会議の開催で建造を止めている「ウェスト・バージニア」級戦艦四隻と、更に二隻の十六インチ砲戦艦の建造を認めたことで、アメリカはようやく納得した。

そしてイギリスも、日米と戦力を均衡させるために四隻の十六インチ砲戦艦建造が認められた。

二隻の新規建造枠を与えられたアメリカは、日本が保有する四隻の巡洋戦艦(金剛型)に対抗するため、それを上回る艨艟を生み出した。

後の「コンステレーション」級巡洋戦艦である。

設計の基本となっているのは、軍縮会議によって流産となった「レキシントン」級巡洋戦艦である。

アメリカは日独英巡洋戦艦の戦いを悉に観察して、その戦訓を取り入れた。

そして空母となるのが決定した彼女の原図面を元に、「戦艦並の防御力を持つ巡洋戦艦」として再設計したのだ



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