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第一話 後編 生と死の狭間

まだ、不快な音色は鳴り止みそうにない。ほんの僅かな隙間さえも閉ざすように両耳を押し潰そうとも、それは遮断される事なく、脳内から直接鮮烈に鼓膜に響く。……もうこれで、何もかも全て終わりにしよう。


黒瀬冬木、春奈の通う学校。青堂北学園高等学校附属

数年経験のデビルハンター数十名を常時、配備中。

生徒数二千人、教師数十人。養護教諭、治癒異能所持


犬飼駿檸。17歳。172cm?2kg。誕生日、4月7日。

小ネタ 名のはやねをしゅんねいとよく間違われる。


猫塚花梨。17歳。164cm?4kg。誕生日、6月27日。

小ネタ 常に読んでいる本の調達は基本的にぶらぶらと本屋に立ち寄り、その日の気分などで買っている。


煙崎祥子。24歳。171cm?5kg。誕生日、9月20日。

小ネタ 父親を失なって以来、父親の大好きだった銘柄のタバコを常に吸っていて、取られると発作を起こし、度々PTAなどで教育問題になっており、左遷がほぼ決議されており、来年度には異動が確定している。


猫塚翔哉。12歳。153cm43kg。誕生日、3月28日。

小ネタ 意外にも花好きでライラックを育てている。


天羽真白。14歳。149cm42kg。誕生日、3月12日。

異能。純白の両翼。再生、治癒。

一つ目、無。二つ目、優。三つ目、優。


八木羚子。22歳。168cm?4kg。誕生日、3月29日。小ネタ きんぴらごぼうや豚汁が大好き。草食なのに


羊草碧。22歳。166cm?3kg。誕生日、8月7日。ウ小ネタ 変わった趣味を持っており、家にはツボカズラなどの食虫植物に加え、無駄にインテリな改造宅。


 朦朧とした生と死の概念が触れられそうなのに、どれだけ手を伸ばそうとも、決して届きはしない。


 そんな曖昧で支離滅裂な夢から醒めてしまえば、自ら醒めることを望んでしまったら、もう二度と、偽りに塗れた平穏な日常から誘われることは無いだろう。


 瑣末な余興と無知蒙昧なる稚児の虚偽と駄々も終えて、漸く最終局面。いや――終曲が似つかわしいか。


 まぁいい。もう……どうでもいい事だ。どれだけ足掻こうとも、この地獄からは抜け出せないのだから。


 あれから、姉の握りしめた手を振り解く事なく、暗然たる静寂に包まれた空気に纏わりつかれたまま、哀調を帯びた背中を呆然と見つめ、引っ張られるままに、際限なく続くかと思える道のりを歩んでいた。


 手首の感覚が無くなってきた頃、ようやっと目的の学校の外壁が視界の片隅に映り込むようになり、姉の足取りとともに拘束が緩く解かれ始めていく。


 そんな最中、校門に首を傾いでいた俺の眼には、目に穴が空く程に焼き付いた二人が朧げに浮かび、呑気に言葉を交わしながら、足並みを揃えてやってくる。


「おーい!」


 一人はこちらの存在に気付くと、周りの視線もお構いなしに大きく手を振って爆音を轟かせ、もう一方は厚い本にかまけながらも、静かに距離を空けた。


 そして、二人の全貌が鮮明になった、最悪のタイミングで、肌を突き刺すような突風が吹き荒れる。


 本好きの斜め髪が靡き、騒音馬鹿の腕の服が戦ぐ。

覆い隠していた前髪が翻された瞼には深き爪痕が――揺らぐ袖丈は酷く捻じ曲がって、ひしゃげてしまう。


 取り巻きの隻眼花梨と隻腕駿檸の遅れたご登場だ。


 校門前に仁王立ちするデビルハンターを横目で、双方共に傍で緩やかに歩みを止めて、立ち止まる。


 姉は俺の手を解く事なく、髪を耳に掛ける仕草で俺の左右に分けられた前髪を、わざわざ中央に戻す。


 大人しげで人より感情の露出が著しく少なく艶やかな頬に覆い被さる濃紺の短髪を耳に掛けて、地味でくりっとした目に丸眼鏡が良く似合いそうな本愛好家。


 そんな親友とは相対的な天真爛漫で溌剌とした、さながら幼児退行した程度の低さを如実に顕にし、周囲ものの全てに喰らい付く、獣の体現であった。

 橙色の短髪は刺々しく無造作ながらも艶やかで、今にも日々、苦労する母親の顔が垣間見えそうだ。


「今日は随分と遅いんだね」


「いやぁ、寝坊しちゃってさー。花梨が居なかったら、危うく二限目まで寝過ごしちゃってたなぁー」


 やる気の感じない眠たげな眼差しも、太々しく浮かべた微笑みも、俺に見せるのは偽りの顔なのだろうか。


 そんな思いに耽っていると、花梨が本を閉じて、右目を眇めながら徐に屈み、俺の顔を覗き込んだ。


「ん? おでこ怪我してない?」


「え? あぁ、多分さっき怪我――」


 そっと右手を俺の額に運んでいくのだが、姉はそれを静止するかの如く、刹那に腕を鷲掴みにした。


「痛っ!」


「傷口に雑菌が入るでしょ?」


 珍しく無愛想な顔を酷く歪めて小さく呻く最中、そんな訴えを聞き入れる事なく額から遠ざけて、そのまま流れるように前髪で傷口を覆い隠した。


「どうしたんだ? 二人とも随分と気持ちが沈んでるけど、何かあったか?」


「ユキくんの傷……もしかして」


 本愛好家は手首を抑えながら俺たちを見上げると、姉は自らの背に俺を引っ張って、小さく頷く。


「そうか……」


 陽気なオーラを纏っていた駿檸は拳を固く握りしめ、傷にも等しい過去の記憶で苦痛に顔を歪めた。


「でも、二人が無事で良かった」


 そう言い、激しい怒りを鎮めて優しく微笑んだ。


「さ、遅刻する前に学校行こうぜ!」


「私たちは保健室に用があるから」


 用心に用心を重ねた校門前のハンターを横切って、まるで廃墟のように閑静な校舎に足を運んだ。


 。


 昇降口から廊下に掛けて、数人の黒スーツの大人とすれ違う中で、一人の女性デビルハンターがまた小さく会釈してきたが、再びスルーしてしまった。


 どうしてか不思議と体が避けてしまい、後ろめたさから徐に背を一瞥すると、そんな俺に悲しげに口角を下げ、傍らのハンターがそっと肩に手を添えた。


 また、思わずやってしまった。


 やけに人気の無い渡り廊下に頻りに目を泳がせ、窓越しの教室には生徒の微笑んだ面差しが浮かび、唐突に学校中に外出禁止のアナウンスが流れ始める。そんな状況に、俺たちの呼吸は静かに整った。


 何処までも付いていくと言わんばかりの姉は、保健室前に着いても尚、俺の手を強く握りしめていた。


「付いてこなくていいよ」


「でも……」


「大丈夫だからっ!」


「本当に?」


「いいってば!」


 いつまでも付き添う姉を限りなく軽く突き放し、こちらに視線を向けながら階段を上る影が消えていくのを確認したところで、保健室の扉を嫌々開く。


「あの……」


 養護教諭は、相変わらず長く濃い赤の長髪後ろで結び、憎らしくも白衣と眼鏡の似合う姿で椅子に足を組んで腰掛け、能天気に煙草を口に咥えていた。


 腰辺りまで伸びた真っ赤な長髪をポニーテールで纏め、緋色の角々しい眼鏡に、真っ白な白衣の中には朱色のタートルネックを纏う、赤尽くしのババア。


 憐れで自惚れた生徒や教師たちを頻りに誘惑する天性からの恵まれた体つきで、今までに数十回もの告白を幾度となく玉砕し、それを嬉々として語り、数年後には目も当てられないであろう、仄かに小麦色を連想させるきめ細かな肌をこれ見よがしにし、真っ黒な肘までをも覆い尽くした謎の手袋で、仕事関係かも定かではない用箋挟を茫然と眺めていた。


「ここ禁煙ですよ、何度言ったら解るんですか?」


「あぁ? んだユキか。まぁ……いいの、良いの」


 真っ白である筈のカーテンに徐に目を向ければ、それは遠くからでも伝わる程に酷く黄ばんでいた。


「この前、教頭に『此処では辞めて』と、散々言われていたでしょ、あんた本物の馬鹿なんですか?」


「やけにお怒りだなぁ、反抗期か?」


 相も変わらず、暴君さながらに紫煙を燻らす上に、挑発的な言葉を並べ立てる姿は平常運転のようで、いつもなら冷静にスルーできる一挙手一投足も、今日だけは怒りが絶えず湧き上がり、拳を握りしめていた。


 けれど、それも単なる八つ当たりに他ならない。

そう心の底では感じながらも、いつまでも過去に逃げるこの人に、感情を露わにせざるを得なかった。


「いやぁ、悪い悪い。もうやめるからさ」


「貴方に異能さえ無ければ、即クビですよ」


「無かったら、もっと慎ましく生きるんだけどなぁ〜」


「は?」


 才能は求める者には与えられないのだろうか。


「まーいいから座れよ、傷見るから」


「はぁ……」


 渋々、席に腰を下ろせば、椅子を回転させながら俺に体を向けて、凛とした眼で傷の具合を窺った。


「んー? よく見りゃあ、()()()()()()()()


 あの時……かな。


 恐らくダクトにぶつけた時にできたものだろう。勢いよくぶつかったのは確かだけど、擦り付ける形で怪我した筈――。


 どさくさに紛れて首元に触れんとする手を鋭く叩き落とし、嫌な傷痕を覆い隠しながら睨み付ける。


「まぁ、触んないとわかんない程度だから、とりあえず保冷剤で軽く冷やしておけば、大丈夫だろう。擦り傷の方は洗って消毒だな、汚い手で触るなよ」


「どうも」


 。


 もうほんの僅かな痛みさえも引いたというのに、額には邪魔で大袈裟なガーゼを貼られてしまった。


 保険に相反する養護教諭は、珍しく背中を丸めて机に齧り付き、俺はどうしてか椅子に座ったまま、そんな後ろ姿をぼーっと見つめていた。


「それにしても二人とも、無事で良かったな。()()()()()()()()()()()()、気を付けないと、一瞬であの世行きだ」


「なんでわかるんですか、気持ち悪い」


「顔見りゃ、大抵のことはわかるさ」


「それを他に活かせば、良いのに」


「人生そう上手くは行かないもんだよ」


「……そうですね」


「見たのか?」


「え?」


「心の傷もいずれは消えて無くなるさ」


「貴女が言うと、説得力無いですよ」


「そうだな、トラウマなんて簡単に忘れられるものじゃない」


「どっちだよ……」


「お前はどうだ?」


「俺? ですか。さぁ、わかりません」


「まぁ、お前みたいなのは次の日には記憶からすっぽり抜け落ちて、のほほんと生きてそうだけどな」


 この糞婆に少しでも気を許した俺が馬鹿だった。


「冗談だよ。よく考えりゃ、死体を見ていて、その落ち着きようだったら、まるでロボットだもんな」


「そうですね」


「…………。あぁー、肩凝るわー」


「もし、過去に戻れたらどうしますか」


「なんだよ、急に」


「ただ聞いただけです」


「そうか、まぁあれだ、ほら。運が悪かったんだ」


「あの時、俺が死ねば……」


 思わず、口走ってしまった。


「あっ、いや」


「どうした? お前、自殺願望でもあったのか?」


「違います」


「なら、命を賭して救ってくれた恩人に、泥を塗るようなこと言ってんじゃねえよ」


「はい」


「どうせ、自分じゃ何もできなかったんだろ? 『やろうとした、やりたかった、やろうと思った』ってのは、要するにただの自己欺瞞だろう」


「……俺は」


「お前は何故、此処にいる?」


 緩やかに振り返って、肌を突き刺すような視線とともに気圧される程の静寂なる怒号を飛ばした。


「その上、額の傷は名誉の勲章か? どうせ、姉の背中を頼りに逃げ仰た挙句、そんな恩人に対して、理不尽に八つ当たりにしたんだろう? 『何でだよ』ってな。――自分さえも救えないような奴が、誰かを救うなんざ烏滸がましいと思わないか?」


 足組みした上に腕を乗せ、前のめりに凝視する。


「この理不尽な世の中で正しい選択を迫られた時、自らの意志で選んだ事に悔いても仕方ないだろ?」


「え?」


「片方を捨てる覚悟なかった。ただ、それだけだ。傷の手当ては終わったから、さっさと教室行きな。そろそろ一限目が始まるぞ」


「……はい」


 俺は、そそくさと出口に駆け足で進みゆく。


「失礼します」

「酷くなったら、化膿する前にちゃんと病院行けよ」


 禁煙の張り紙がでかでかと全面に貼られた扉のドアを開き、死んだ瞳で哀愁漂わせる教員を一瞥し、まるで自分に言い聞かせるような言葉に胸を強く締め付けられて、その場から逃げるように立ち去ろうとする。


 しかし、言い負かされたことにムカついたのか、ルールも守れない分際で、楯突くのが不快だったのかは定かではないけれど、一言、たった一言だけ告げる。


「貴女の父親の好きな物が棒付きキャンディーだったら、あんな不幸にも見舞われなかったですよ」


「お前には嫌なものを見せてしまったな。でもな、誰一人として悪くないんだよ。私以外はな……」


 。


「あれ? 雀田の奴、今日は欠席か?」

「えーマジ?」

「優等生も遂にグレたか」

「兄が有名だからって調子に乗ってるからなぁ」

「まさか、もうデビルハンター気取りか? 立派だね」


 随分と賑やかな一年の教室前の廊下を渡った先、他と比べて一段と騒々しい俺の教室に踏み入れる。


「いいなぁーお前ン家、姉ちゃんいんだろ⁉︎」


「あのなぁー姉なんてそんな良いもんじゃねぇから。世間一般の弟妹なんて――」


「なぁ? そういや、あいつは?」


「天羽か? どうせまた勝手に屋上に上がってんだろ、一人になりたいんだろきっと。ほっといてやれよ」


 教室到着早々、気配り上手で周りからの好感を獲得した人気者が待ち侘びていた様子で俺を出迎えた。


「あぁ、居た居た冬木!」


「翔哉か、どうした?」


 姉の本好きとは、まるで相対的な見た目と性格に毎度のように僅かながらのギャップを感じつつも、いち早く危険な鞄を隠すべく、隅に仕舞い込んだ。


「今日さ、他の奴と遊びに行くんだけど、お前もどうだ? 行けるか?」


「……ごめん、俺は無理なんだ」


 期待を裏切られて、露骨にテンションを沈ませる姿に、幾度となく口から謝罪の言葉が零れ落ちた。


「ごめん、本当にごめん」


「良いよ、良いよ! 別にお前のせいじゃないんだからさ。むしろ、変に誘っちゃってごめんな。それに、お前の父さんもお前を思ってのことだしさ! じゃ、また誘うわ」


「あぁ、悪い」


「ん?」


 駆け足で去っていこうした矢先、廊下を走り回る一人の生徒の耳障りな足音と騒音にピタッと動きを止めた。


「朗報! 朗報ー!」


「どうしたんだろ彼奴、何かあったのか?」


「さぁな……」


 甘ったるい香りが充満し、色めきだっていたが、その場に別の皮膚を突き刺す空気を持ち込まんと、

俺は薄々勘付いていたのか、無意識に俺の教室へと入っていく野郎の元に、静かに歩み寄っていく。


「先生たちの話をこっそり聞いたんだけどさぁ! 商店街で悪魔の襲撃があったんだってさぁ‼︎」


「マジで?」


「それでどうだったんだ? まぁ、悪魔討伐なんて余裕だろ‼︎」


「えぇ、怖いなぁー」


 教卓の前で嬉々として語る様に、興味本位で群がる連中を突き放すように押しのけて、たかがこの程度でピーピーと喚いて眉間に皺を寄せる者には、拳を振り上げる間際を押さえて睨み付けて、向かう。


「それでさぁ、……あぁ冬木! お前も――――」


 俺は肩を鷲掴みにし、感情任せに言葉を告げた。


「どうしてそんなにヘラヘラしていられるんだ? 人が死んだ。子供も大人も大勢、死んだんだぞ?」


「えっ」


「お前、自分が何言ってるのかわかってるのか?」


 その一言にキョロキョロと挙動不審に周囲を見回し、態度を著しく急変させた一群に目を泳がせる。


「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」


「何だよ、『朗報』って、馬鹿じゃねぇの」

「不謹慎だって、わかんないのかな」

「ちょっと考えれば、わかるでしょ」


 好奇心で質問攻めをしていた者達も故意に本人に聞こえるように罵声を浴びせ、執拗なまでに糾弾する。


 それを間に受けたそいつは、いつになく気持ちをどん底に堕としていき、目立たぬように席に着き、俺も次第にその場からはけていく生徒らに紛れて、自らの席へと足を運んでいった。


「悪魔のやつ見たか?」


「あぁ、商店街のか」


「ったく、これじゃあ俺たちいつ死ぬかもわかんねぇよ」


「しょうがないだろ。この世の中、腐ってんだし」


「ハァ、お偉い自衛隊様は何やってんのかね。これじゃあ、災害時の御守りって言われても仕方ねぇよ」


「デビルハンター何かの折り合いとかで、色々あんだろ。まぁ、俺達が全員死んだら意味ないだろうけど」


「それにあの話!」


「あぁ、あの陰謀論か。どうせまた馬鹿の暇つぶしだろ」


 廊下を早歩きで駆けてきた担任が息を切らして、黒板前にようやっと辿り着く。


「はーい、はい! ごめんなさい! ちょっと呼び出しがありまして、遅れてしまいました。えーと、日直さん、お願いします」


「起ー立」


 また退屈で平穏な一日が始まりそうだ。


 諸々を終えて呼び出しを食らった教師が席を外すと、今度は一時間目が自習にならなかった生徒らの愚痴で教室中が溢れ、息苦しさのあまり他所に目を向ける。


 窓の外を眺めれば、今にも雪が降りそうな不気味な大雲が棚引き、正に暗雲立ち込める様であった。


 時は淡々と流れゆくのに、不思議と生きた心地がせず、まるで時間が止まってしまったようにさえ感じてしまう。


 。


 ようやく長きに渡る授業を終え、帰りの支度をしていると、生徒達がゲームの話題で盛り上がっていた。


「帰ったらどうするよ?」


「やっぱ、モンハンワールドでしょ!」


「いやスマブラだろ?」


「レッド・デッド・リデプション2だろ、其処は‼︎」


「みんなでできねぇじゃん」

「みんなでできねぇじゃん」


 そんな突っ込みを皮切りに饒舌にかつ周囲の者達を巻き込んでの大盛況な会話を繰り広げていたが、辟易として草臥れた教師の一喝で皆が散っていく。


 渡り廊下で頻りに脳裏をよぎっていく説教の嵐、それでも姉の授業の終わりを待たずに、進みゆく。


 部活が無くなったのをいい事に、校門前で屯する無数の輩を足音を忍ばせて横切っていき、取るに足らない言葉を交わす女子高生の話題を小耳に挟む。


「帰りにタピオカ飲み行かない?」


「えぇ? でも、近くの商店街で悪魔出たらしいよ?」


「大丈夫っしょ。だって、もう駆除したんでしょ? まぁ、他の店に行けばいいじゃん。ホント最近って物騒。マジでぴ――」


 瑣末な会話も佳境で途切れ、他の生徒が数人の群れを成しながらも、平和ボケしたご様子であった。


 ふと天を仰げば、淡い白息が立ち昇ってゆき、掌であっさりと溶けてしまう粉雪が降り注いでいた。


「雪か……」


 商店街から大きく迂回した遠回りで、たった一人で見知らぬ狭き住宅街の歩道を淡々と歩んでいく。


 ん?


 上品に大人びた白黒の織り混ざったメイドのような全身衣服を纏った女性は、真っ黒の三つ編みを靡かせながら、懐から不思議とハンカチを落とした。


 既に淡雪の餌食となって濡れてしまったが、颯と拾い上げ、その人の真後ろにまで駆け足で近づいた。


「あの! 落としましたよ!」


 ゆるりと振り返って、両側の後れ毛を靡かせる。


 端正な顔立ちに、やや白い肌が季節も相まって、より一層、その花のような華やかさに魅せられた。


「ありがとうございます」


 何故か息遣いが当たる程に身をすり寄せていき、その場の雪が溶けた水溜りに両膝を畳んで大地に突く。


「あの、濡れますよ?」


 しかし、小学児童程の低さに腰を下ろしていた。


 目線を合わせるためなのだろうか、それなら少しばかり低い気もするような……?


 そして、ハンカチごと俺の手を両手で挟み込むように握りしめる。


「……?」


 布越しでも伝わる温もりの感じる柔らかな手に、女性としての確信を得るとともに静かに振り解かんとするものの、柔な見た目とは裏腹にその手は頑なにしがみついて、決して離れようとはしなかった。


「ありがとう……ござい……ます……」


 小さく骨ばった肩を大きく震わせて、啜り泣く。

その余波は、川のせせらぎのような声にまで伝播していた。

 

「だ、大丈夫ですか⁉︎」


 闇雲にも、咄嗟にやや下に俯いたその女性の顔を覗き込むように窺った。


 震えて潤む瞳をそっと手のひらで覆い隠す。


「申し訳ありません。少し昔を思い出してしまいまして――」


 そう言うと、袖で顔を覆い隠しながら頬を拭い、強固で強引な握手をゆるりと解く。


 過去に見た面影と偶然にも重なったのだろうか、あるいは……。


「あの、何処かでお会いしました?」


 気付けば、無作法に口走っていた。


「痛っ!」


 途端に、細く柔らかな手からとは到底思えぬ怪力が俺を襲う。指が酷くひしゃげ、骨がゴリゴリと軋むような音を立てて、右手の横側に鈍い痛みが走る。


「召使いに子どもの子と書いて、召子と申します」


「は、はぁ」


 足元のゆらゆらと揺らぐ水面には真っ黒な何かが靡いて、メイドさんは一驚を喫したまま瞠目していた。


 ……?


 小刻みに震わせ、零れ落ちんと言わんばかりに潤んでいた瞳は瞬き一つで颯と乾き去り、スッと立ち上がって俺に背を向け、その場を去ろうとする。


「待っ!」


「どうか――されましたか」


 メイドさんはそっと歩みを止めて、徐に一瞥する。俺は何故か、無意識に彼女に手を伸ばしていた。


 けれど、歩みは進まない。


 無責任に伸ばした手をそっと下ろして、真逆の自宅へと淡々と歩みを進めていく後ろ姿を、ただ茫然と眺めることしかできなかった。


 ん?


 またもやコスプレした女性が、俺の前に訪れる。


 ただ只管に一途な一直線の白黄色の二本ヅノに、不均等な蒲公英寄りの淡い黄金色の妖艶な前髪と、一房に束ねた髪を後ろで結んだ、知らない髪型に、黒き眼帯に鼻筋の通った鷲鼻で胸部が豊満な女性。

 

 そして、やけに服と体が犇とした真っ黒なスーツ。


「坊や、此処らでメイドさんに出会わなかった?」


「え? ……いえ、全く」


 無意識のうちに不思議と虚言を並べ立てていた。


「ちょっと、失礼」


 疾くに膝を付けずに屈んで、忙しなく眼帯を翻す。

清澄なる蒼き水晶体、まるで宝石のように透き通った綺麗な瞳を前にした俺は、思わず他所に目を向けた。


 だが、再び、頼んでもいないのに膨らんだ柔らかな餅を強引に押し当てて、姉と同じ状況を強いてくる。


「少しだけ我慢して……」


 瞬きさえも許しはしないと言わんばかりに眼を頑なに注視し続け、俺の上と下の瞼を強く押さえていた。


 ……。


 約10秒、といったところで拘束は解かれて、ヤギは颯と立ち上がり、侮蔑を含んだ眼差しを向ける。


「ありがと、嘘つき少年」


 そう告げる貴女は一体、何様なのかと問いたい一心であったが、文句を言う間もなく駆け出してしまった。


 だが、ヤギさんはポケットから何かを落とす。徐に拾い上げれば、それは獣人認定証と記されていた。


 八木玲子。22歳。166センチ、53キロ。

 誕生日、3月29日。血液型AB型。

 有効期限、2025年4月17日。


 随分と事細かに個人情報が記載されているようで、ついつい目を滑らせ、大半の文を黙読してしまった。


「行くよ羊宮、このままじゃ丸眼鏡にドヤされる」


「拾ってくれて、どうもっ!」


「あっ」


 もう一人の黒スーツさんが横切ると同時に手帳? らしき物を俺から颯爽と取り上げると、そのまま雑に手を軽く振りながら、走り去っていってしまった。


「私の名前は、羊草碧です! 間違えないでください!」


 ほんの一瞬、視界に入った程度で朧げではあるものの、耳に掛からない程度の真っ黒な短髪を弾けさせ、螺旋を描くこれ又重そうな二本ツノを持ち合わせる、黒スーツの絶壁で若干ハスキー声なじょ……人だ。


「何なんだ?」


 今日はコスプレ大会でもやってるのか?


 俺が胸部を軽く叩き落としていると、あのコスプレ人間共とすれ違っても尚、完全に存在を消していた通行人が、野良猫の威嚇なんかに身を飛び上がらせた。


「うわっ!」


 ただの猫よりも、もっと驚くべきものがあるだろ。


 俺は緩やかに甘い猫撫で声で鳴きながら尻尾とともに身をすり寄せていく野良猫を優しく持ち上げて、初対面ながら好印象を示してくれる猫の顔を愛撫する。


「ニャァーー!」


 。


 紆余曲折目まぐるしい出来事がありながらも、俺は無事に牛歩の如く重き足取りで、帰路を辿っていく。


 次第に自宅へと続く見慣れた色褪せる風景に移り変わっていき、たった数分の差で着いてしまった。


 再び、我が家へと。


 ただいまの挨拶を告げる事なく、ひっそりと玄関の扉を開けて、静寂なる廊下を静かに進んでいき、少し開いた襖の隙間から、息を潜めて覗き込んだ。


「来月よね、燈果さんたちとの旅行」


「あぁ」


 父は早朝の記憶を彷彿とさせるように椅子に腰掛けて項垂れていて、母はそんな父を氷のように冷たく、それでいて羽毛のように暖かな声で語りかける。


「どうかした? やっぱり辞めておく?」


 何かに気が付いた父は、いきなり口を閉ざして、察しの良い母は首を傾げて、襖の方に目を向ける。


「はぁ……帰ってきたんなら、『ただいま』くらい言いなさい、冬木」


「た、ただいま」


 襖を全開にしながら、よそよそしくそう言った。


「おかえりなさい」


 父はゆっくりとこちらに振り向く。


「居るんなら、何故入って来ない?」


 覗き込んでいた俺を今までの眠たげな眼からはかけ離れたさながら剣のような鋭い睨みで凝視した。


 母は表情一つ変えることなくキッチンに向かい、父は俺に向けて手を甲を上に向け、手招きをする。


「口で言ってよ、口でさ」


「学校はどうだった?」


「特に変わりない、()()()普通だったよ」


「お姉ちゃんはどうした?」


「置いてきた」


「約束した筈だぞ、登下校は必ず二人で――」


「うん、でも俺はどうせ死なないから」


「今さっき連絡があった。あの場に居たそうだな」


「うん」


「二人とも無事だったんだな」


「うん」


「そうか、よく帰ってきてくれた。おかえり……」


「ただいま」


「此処でこの時間に入ってるニュースです。今日未明、さいたま市見沼区の住宅街で、親子二人の遺体が発見されました。警察の情報によりますと、男性は退役デビルハンターであったとされ、今月で6件相次いで発生するデビルハンター宅の殺害事――」


 悍ましい事件でありながら意外にも淡白であった報道を、耳にタコができるほどに聞いていたであろう父は、その一切に目を向ける事なく、テレビを消した。


「次からは、ちゃんと約束を守りなさい」


「わかってるよ」


「どうしたんだ? 何か見たか?」


「別に」


「そうか……」


「じゃあご飯できたら呼んで、それまで部屋にいるから」


「あぁ、わかった」


 。


 真っ暗な自室のベットに顔を埋めて引き篭もり、霞んだ瞳で携帯を弄って、憂鬱なニュースを覗く。


 商店街の悪魔の行方とあのデビルハンター達の行方を追うようにして、上から下にスクロールしていくが、全長200メートルを超える白鯨を海峡で発見やらと、実しやかなものや、意味のわからない殺人事件ばかりで、あれっきり依然として音沙汰は無いようだ。


 俺にとってはイレギュラーであっても、きっとこの腐った社会では、これが日常茶飯事なのだろう。


 デビルハンターか。


 デビルハンターアカデミー特殊教官、白鳥賢司。

22歳、175センチ68キロ。誕生日、1月28日。と、錚々たる個人情報が鎮座する先には、国内外に於いての全ての生徒のスカウト担当及び、例外を除いた高校生以上のデビルハンター試験審査員を務める、話題の大人気男性デビルハンターにインタビュー。


 デビルハンター試験か。俺もあと2年もすれば、高校生だ。そうなれば、いずれ……。


 あの少年も、そんな想いだったのだろうか。


 …………。


 徐に掌を口元に翳して、抵抗しながらも匂いを嗅げば、仄かに血生臭が鼻の奥を突き抜けていった。


 あれから何度も洗ったのに……落ちないんだな。


 枕に顔を沈めたまま、静かに目を瞑った。


 。


 気付かぬうちに睡魔に誘われてしまい、未だ薄暗い報道の流れるテレビを茫然と居間で眺めていた。


「この点、どう思いますか?」


「…………はい、異例の事態だと思います。我々は今までに数多くの悪魔を調査してきましたが、このような生物を基盤としない悪魔の存在は初めてです」


 気持ち悪い。


 吐き気を催していると、玄関の扉を慌ただしく開いて、ドタドタと床に雑音を響かせながら、次第に面倒な足音が俺の元へと近づいていく。


 そして、襖も遂に開かれた。


「冬木‼︎ どうして一人で勝手に帰るの⁉︎ 今日あったこと、もう忘れたの⁉︎」


「おかえり、姉ちゃん」


「ちゃんと人の話を聞きなさい!」


 今日はやけに不憫なテレビは真っ暗闇に呑まれ、姉はテレビのリモコンを力強く握りしめたまま、俺の前面に怒気を含んだ仏頂面を押し出して現れた。


「忘れてた」


「嘘でしょ」


「ホントだよ」


「あれだけのことがあって⁉︎」


「うん」


「……ハァ」


 呆れて声も出ないのか、此処まで全力疾走で走ったが故の代償なのかは定かではないが、怒号を飛ばす訳でもなく、静かに自分の椅子に腰を下ろした。


 その足元には、完全に頭から抜け落ち、運び忘れていた俺の鞄から薄らとナイフが垣間見えていた。


 ……。


「次からは気をつけるよ」


 そう言いながら、腰を下ろしながら椅子に手を突いて、持ち手を爪先で必死に引っ掛けんとするが、

「そう言って、また勝手に一人で行くんでしょ?」

 思うように行かぬだけでは済まず、パタン、と、小さくとも鼓膜が破れる程に囂々たる音が響き渡り、刃が食卓の影から飛び出して、鞄から零れ落ちた。


 倒れた鞄を拾おうと更にテーブルに沈んでいく一手が、姉の逆鱗を触れる愚行に繋がってしまった。


「冬木ッッ‼︎」


 割れるのではないかと思わせる音を立てて、テーブルを鋭く叩きつけると、勢いよく立ち上がった。


「……っ、ご、ごめんなさい」


「ちゃんと座れよ」


「はい」


 やむなく凶器が完全に剥き出しなった鞄を諦めて、行儀よく姿勢を正して、ご立腹な姉を見つめる。


「次、ふざけたことしたら、本気で怒るから……」


「はい」


「もう二度としないって、此処で誓える?」


「もう二度と……しません」


「も、もう時期晩御飯の時間だから、机拭きたいんだけど……」


 気まずそうな父が間に割り込むも、未だ姉の怒りは治まる所を知らず、一向に台拭きすらも許さなかった。


「春」


「お母さん」


「おかえりなさい」


「ただいま」


「さ、もうご飯の時間だから。一旦、どきなさい」


「うん」


「それと、ユキ」


「……?」


「軽々に命を投げ打つような真似はやめなさい」


 今まで散々、言葉を濁すのに苦労してきた二人を前にして、あまりにも悠然と直球に告げる母の姿に、俺は思わず、コクリと頷いてしまった。


「じゃあ皆んな、運んでくれる?」


 。


「いただきます!」

「いただきます……」

「――いただきます」


「い、いただきます」


 立て続けに嫌なことが起こったせいか、あまり食欲が湧かず箸が進まぬ一方で、俺を含めた理不尽に揉まれた姉はおかずにがっつきものの数秒で皿を空にして、白米をほっぺたにつける程に頬張っていた。

 

 ここ最近では母さんの顔色も良くなりつつあるし、父さんだってこんな俺に頼るようになってくれて、俺の傷も姉ちゃんの傷も、いずれ癒えていく。


 偶々、嫌なことが重なっただけに過ぎないんだ。


 そうだ、絶対に。これから先、もっと幸せに――。


「あぁ、これもあるの」


 ふと何かを思い出した母は席を外し、キッチン台に置かれていた何かを食卓の中心にそっと並べた。


 ……。


 インターホンが、喧騒賑わう食卓中に鳴り響く。


 突然の出来事であったが、直様、玄関に目を向けていた俺と父の視線はぶつかり合った。


 間。


 父さんは凛とした厳かな面持ちを浮かべたまま、寝室から例の真っ白な金属の鎧を腕に纏いながら、息を殺し、足音を忍ばせ、自らの殺気に満ち溢れた気配を消して、玄関へと慎重に歩みを進めていく。


 静寂。


 悠然と闊歩し、終わりの大きな一歩が敷居を跨ぐ。


 それは父さんの生首を持った、謎の人物だった。


 真っ黒な煤汚れたローブを身に纏い、金属では無い、異様な白槍の鋒を真っ赤な鮮血に染め上げて、絶えず緋色の血が滴り落ちる、もう何も映らない虚な眼をした父の髪を黒き手套で鷲掴みにしていた。


 …………。

 

 前頭部の部分のローブが謎の身に覚えのある突起物で盛り上がり、その何かが天井に引っ掛かると、額から瞼の上にズレ、静かに憤りを露わにしたのか、徐に額の真っ赤な骨と肉部分の残った()()を取り外し、まるでゴミでも捨てるかのように父の生首とともに床に落とす。


 揺らぐ煤汚れた真っ黒なローブから垣間見える、徽章とともに心臓部が穿たれた痕の周りに染まった紅血に、床に面したやや身の丈に合わぬ、白装束。


 血の涙の流れる事の無い紅き双眸が俺を凝視し、今にも皮膚を切り裂かれるような眼光に戦慄した。


 ………ぁ。


 流れるように一瞥する。庇護する母を、怯えた姉を、地に臥した父を。そして、脳裏によぎる記憶。


 まただ、また人が死ぬ。俺のせいで。


 そう思った瞬間、瞬く間に俺の床からナイフを手繰り寄せて握りしめ、逆手から順手に持ち替えながら限りなく最小限の動作で、小振りに刃を振るう。


 一歩踏み出した途端、異物感が胸を貫き、パッと唐突にテレビが消えるように視界を闇が覆い尽くした。


 。


 俺は再び、あの不可思議な世界に目を覚ます。


 真っ白な閉鎖空間に――鎖に繋がれた無口な少年。


 寒い。


 一番最初に感じたのは寒さだった。忽ち、身が凍えてしまいそうな凛とした冷気が身体中を覆い尽くし、続くようにして抗えぬ程の睡魔が頻りに襲う。


 寒さからなのか息さえもできず、以前にも増して強大な眠気が視界を、意識をも呑み込んで朦朧とする。


 そして、胸部からは異物感が絶えず襲っていた。


 空っぽな心の穴から何かが出てきてしまいそうだ。


 心がぐちゃぐちゃになってしまいそうだ。それに気持ちの悪い笑いが、心の底から込み上げてくる。


「フフッ、ククッ、アッハッハッハッハッ‼︎」


 我ながら不気味な笑みに少年は声を出さずに、嘆息を漏らす様子を見せると、一心不乱に駆け出した。


 またもや、真意を見抜けない実力行使に出たが、俺は抗うなどという無意味な事に意識を割かなかった。


 素早く俺を蹴り飛ばして背中から床に叩きつけ、その上に跨ったまま胸の内側から瞬時に鎖をせり出して、巻き付ける。


 幾多の其々の長さと厚さがまるで異なった鎖は、瞬く間もなく蛇の如く、体中を覆い尽くしていく。


 そんな最中、無様な俺に対する憤りからか沈むほどに鼻を殴打し、やや遅れて鈍い痛みが走ると、内側から生温かな液体が次第に流れていくとともに白髪の少年の鼻からも真っ赤な鮮血が零れ落ちる。


 そして――燃ゆる涙が頬を伝う。


 仄かに白皚皚たる前髪に燎原の赫赫な炎が燻り、その僅かな火の粉が俺の空っぽな胸に落ちていく。


 それはまるで、少年の涙のようにも見えた。


 紅き炎を纏った一滴の雫が床に迸り、俺の視界は暗闇に呑まれていき、ふっつりと意識が途切れた。


 。


 両手を重ね合わせるような乾いた音が響き渡る。


 耳の内側から産毛を逆撫でするような嫌悪感を感じさせる咀嚼音が掻き立てた。


「約束……守ってね……」


 姉は、今にも消え入りそうな掠れて震えた声で囁やいた。


 くちゃくちゃと皮を肉を骨を砕く粉砕音が鮮明に聞こえ、まるで傍らにいるかのようにさえ感じさせた。


 ー。


 ーーーー。


 まただ。

 三度、だだっ広い純白の空間で、俺は目を覚ます。


 そして、視界の端に忽然と姿を現す。


 ゆっくりと振り返り、視界の中心に重鎮する鎖に繋がれた少年を一瞥する。


 また、静かに俺を見つめていた。


 そして、少年の鎖は新たにもう一本の鎖が繋がれていた。


 両方ともに長さや厚みが絶妙に違い、新たな鎖には長さ足りぬ分、以前のに比べると太く厚みを感じさせた。


 増え……てる? というか立ってる?


 あっ、れ……? 声が出ない?


 更に俺を驚かせたのは、少年は先程の地面ではなく、壁の上を立っていた。


 違う。どうやら俺が地面に横たわって居るようだ。


 それを最初に気づかせたのは、氷のように冷たく硬い地面だった。


 感覚をも狂わせるその空白に俺は静かに狂気を覚え、小刻みに震わす手で床に突きながら立ち上がれば、硬くキンと冷えた何がが首を絞める。


 徐に見下ろせば、俺は一本の鎖に繋がれていた。


 鈍く鼠色を帯びた輝きを放つ、強固な首輪。


 は?


 俺にも新たに一本の鎖が繋がれていた。


 とても冷たくて体が締め付けられるような感覚なのに、心の奥底では不思議と落ち着くような存在。


 何なんだ? なんで、いやなんで声が出ないんだ? は、はぁ、遂に頭までおかしくなったのか。


 俺は目を背けるように、少年へと視線を向ける。


 まるで惰性で純白のカーテンを開くかのように白き前髪を覗かせて、鷲掴みにしながら掻き上げる。


 徐にフードをひらりと取ると、顔を苦痛に歪め、痛いげな仔猫を見るような哀憐と物憂げの混じった表情見せた。


 ぁ……は?


 そして、その露わになった面構えは……幼い俺に瓜二つだった。


 こ、此処はまさか……ひ――。


 再び、俺の考えを遮るように視界は暗闇に覆われる。


「いっ……」


 無意識に目を窄める。


「あぁ、つっー」


 俺はどういう訳か床に横たわり、体を小さく丸めて縮こまり、冷ややかな地べたで寝転がっていた。


 全く状況が飲み込めない中で、兎にも角にも床に手を突いて、慌てて起き上がる。つもりが、何かで手を滑らせてしまい、派手に頭を床に打ち付けた。


 俺の頭の前頭部に激しく鋭い衝撃が走る。


「いっっ!」


 ぶつけた患部にそっと、先程床に突いた手で触れた。


 は?


 手のひらは濡れていた。


 どうやらそのせいで手を滑らせてしまったらしい。


 けれど、それは水のそれとは違い、どこか手にくっつき、ベタベタと粘着性を含んだ気持ち悪さをしている。


 俺は顔を上げて、ゆっくりと手のひらに目を向ける。


「…………」


 血。


 橙色の手のひらにはその色を覆うほどに満遍なく隅にまで行き渡り、真っ赤に染まっていた。

 

 お、俺は……手を使わずに、無理やり体を起こす。


 其処には、夢に見た最悪の光景が広がっていた。


 起き上がり、その瞳に映る景色には一面に広がる血の池とその血溜まりの上には父……母……姉の……家族全員が横たわっていた。


「……は? はあ。ハァハァハァハァハァ」


 次第に呼吸が浅くなり、動悸がし出す。


「ぁぁぁ」


 小刻みに震える両手には血がべったりとこびり付いてた。


 違う、これは現実じゃない。


 眼前に翳した両手の満遍なく真っ赤に染まった掌が視界から消えず、鼓膜を破るような荒々しい息が、息さえも無く床に横たわった二人の肌の温かさが、気持ち悪く口の中一杯に広がった仄かな鉄の味が、食卓に並べれられたご飯に混ざった血肉の匂いが、どれだけ目を背けようとも、俺を襲い続けていた。


 視界の端に映り込む、ガラスのコップの破片。


 既視感よりも僅かに早く、俺は手に取っていた。


 きっとこれも悪夢の続きに過ぎないんだ。そう願い、俺は喉笛にガラスの刃を勢いよく突き立てた。


 筈だった。


 けれど、突き刺したのは、真っ黒な手袋とともに限りなく力の込められた掌だった。


 三度、俺を救ってくれたあの人に相対して。


 何一つ口にすることなく、一滴の雫が頬を伝う。


 胸が熱くなっていく。腑から中心に湯が煮え繰り返るような不快感が次第に身体中を覆い尽くしていく。


 身震いする人差し指に神経が剥き出しにされて、鋭い針で幾度となく突き刺しにするが如く痛みが、まるで、炎で炙るようなゆらゆらと揺蕩うものが、絶えず襲い続けて、走り行くことを止めなかった。


 それは、やがて全身に。


 肌を焼き尽くさんとする熱さが更に身を震わせる。


 無様に床に落ちたシミ一つ無い真っ白なナイフを徐に手繰り寄せて、両手で力強く握りしめながら、胸に押し当てた。未だ床に横たわったみんなの遺体から、真っ赤な血溜まりが視界に流れ込んでくる。


 何一つとして為せはしない、死に損ないの醜い面が鏡さながらに反射し、一滴の鮮血の雫が滴り落ちる。


 血の水面が漣の如く揺らぎ、波紋が収まるとともに俺は鬼気迫る形相を浮かべながら瞬き一つせずに、全員の血が混じり合った血溜まりに、固く誓った。


「してやる。ぐちゃぐちゃにしてやる……ッッ‼︎」


 涙で震える自分の声に胸が()()が熱くなった。

黒瀬家 2019年2月14日7時16分 自宅にて死亡を確認


黒瀬冬木、13歳。148cm38kg。誕、2月14日。

嫌いなもの。不味いもの、病、悪魔。

異能。???。????。?????。

種族・??


日常生活、寡黙で淡々と家事を一人で熟す日々。

。趣味、友人たちとの付き合いや料理の成長の実感。

服装、基本的に雑。母親と姉に選んでもらっているが可愛い系ばかりを着せられ、割と不満あり。


異能ランキング、例、獄、秀、優、良、可、不可、無

異能の基本的な強さや汎用性、その代償などを含む。

一つ目、獄。二つ目、獄。三つ目、獄。


2019年2月14日、全国デビルハンター、533249人。

一般公開の記録のみ。


公共4人。転職0、休職0、殉職4。

民間0人。転職0、休職0、殉職0


公共ハンター約226547人

民間ハンター約296702人


−4人。


残り533245人。

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