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卒業ソングとあいつ

 なめらかなピアノのメロディ――が、俺の耳を突き刺した。


 背もたれを倒したことにより、顔の脇と後部スピーカの位置が重なったせいだ。左耳から、右耳へ……ダイレクトな音の衝撃に、たまらず俺はバネのように跳ね起きる。


「あ、この曲」


 妹もピアノのメロディに気づいたらしい。無邪気に声を弾ませた。


「お兄ちゃんが、卒業式で歌う曲だ」


 そのとおり。

 いやというほど、聞かされたピアノの前奏だ。まさか今日、こんな場所で耳にするはめになるとは。


(この曲を聞くと――)


 脳裏に、ある少年の姿がよぎった。

 堂々と優雅に、指揮棒を振るっているやつの姿が。


 家族に見られないよう頭をうつむかせてから、俺は苦々しく顔をしかめた。

 前奏が終わり、きれいな合唱の歌声が車のなかに響き渡った。


「あたし、この歌好き。いいなぁ、お兄ちゃんは……あたしの卒業式の時も、おんなじ曲を歌えるといいな」

「…………」


 妹は脳天気に笑っている。運転している母も正面を向いたままなので、二人とも前後の席の温度差にはちっとも気づいていないようだった。


「たしかピアノの伴奏は、吹奏楽の部長さんが()くのよね」


 母も話題に加わる。

 心臓がぎゅっと痛む。ピアノの伴奏者のことが話題に上がれば、おのずと話の流れは決まっている。合唱における、もう一つの特別な役割へと、話題が向けられるのはごく自然なことだ。


「――指揮者は、誰がやるんだっけ?」


 ほら、やっぱり。

 俺は眉間に指を添えた。


「頼人? ねぇ、どうしたの?」


 返事をしない俺のほうへ、バックミラー越しの母がちらりと視線を向ける。

 怪しく思われないよう、俺はすぐ姿勢を直した。固く腕組みをする。なにも答えたくないのが本音だけれど、しかたがなく唇をとがらせて、ぼそりとその名を口にした。


「……真島(まじま)


 母が「まじま……」とぼんやり復唱する。

 きょとんとした顔も一瞬の間だけだった。


 (くだん)の名前が示す意味を飲み込んだ母の、その表情が一変して明るくなった。渋滞のイラつきはどこへいったのやら、年甲斐(としがい)もなく目をキラキラと輝かせている。


「あらっ、真島くんなの! あの真島くんが卒業式の指揮者をやるのね!」


 予想を裏切らない、爆跳(ばくは)ねした母のテンションを前に、俺は舌を鳴らした。

 妹だけが話しについていけず「だあれ、その人?」と、真島なる人物が何者であるかを尋ねた。その質問に真っ先に答えたのはもちろん、母のほうである。

 

真島賢治(まじまけんじ)くん! お兄ちゃんの同級生でね、もうすごっく頭のいい男の子なのよ」


 母は嬉々として、真島のことを説明した。

 真島は学年内トップの成績優秀な生徒なので、保護者の間でもよく話題に出るそうだ。情報ネタの豊富さには、逆に俺がどん引きしてしまうくらい。


「いつもテストは百点満点。真島くんのせいで、テストの平均点が上がっちゃうくらい優秀な子なの。

 ご家族もみんな頭がよくって、真島くんのお兄さんが私立のY高校、年の離れたお姉さんがX大学の医学部に入っているらしいわ」


「ふぅん。いわゆるガリ勉くんってやつなんだ」

「ううん、真島くんは運動も得意なのよ。小学校の頃はね、お兄ちゃんと一緒のテニスクラブに通っていて――」


 話の途中で、母は「あっ」と声を上げる。

 妹が驚いて、小さな肩をびくりと跳ね上げた。


「そうだ受験! ね、ね、頼人!」

「……なに?」


「真島くん、あの有名なA大学の付属高校の受験に受かったって、聞いたんだけれど……本当?」


 いつになく、母は興奮気味に言った。


「この前、ママ友の会で耳にしたのよ。真島くんってさ、Zゼミナールの特進コースに入っているし、なんでも全国模試の順位も一桁台だって聞くから――絶対に、合格したって!」


 で、どうなの? 受かったの?

 と、一人ではしゃぐ母に水を差すようで悪いが、俺は至極(しごく)淡々とした口調で「さあね」とだけ答えた。


「俺、あいつとは三年になってからクラスちがうし、廊下でも特に話しかけたりしないから知らんわ」

「えーっ、三年生の間でウワサにならないの?」


「ならないよ。人の進路を気にしている余裕なんて、基本ないからね。みーんな自分のことで忙しいんだから」


 母は不満げに顔をしかめた。ちょっとなにか考えたのか()を空けたのちに、おずおず口を開く。


「でも、真島くん……あんたとおなじ、テニス部員じゃない」

「……ああ、去年の二月までだけど」


「ほかの部員の子たちと――田中くんたちの間でも、話題にならないの?」

「……うん、ならないね」


 食い下がって情報を深掘りしようとする母に、俺もいい加減うんざりして「あーっ、ねっむいわ」とわざとらしい大あくびをする。そして、どかっと再び座席に背中を倒した。


「母さん、俺ちょっと寝るから」

「…………」


 無関心を(つらぬ)く息子に、母もこれ以上詮索(せんさく)を入れることは叶わないとようやく悟ったらしい。それ以上なにも言わず、車の運転に戻っていった。


(――イヤなやつの話は、これでおしまい)


 車内のラジオからは、まだ合唱曲が流れている。

 俺はズボンのポケットから、ワイヤレスのイヤホンを取り出した。そっと両耳に装着して、卒業式の歌を遠ざける。


 さっそく新しいスマートフォンに接続させた。音楽アプリのプレイリストから、最近のお気に入りの楽曲を再生する。お行儀のよいピアノの音と対照的な、自分好みの力強いベースのロック──一瞬で脳が満たされる。頭のなかで、指揮棒を振るう誰かさんの顔が消えてなくなった。


『未来ヘ羽バタク希望満チタ明日』を祝福する歌詞とは真逆の、皮肉めいた言葉遊びが俺の心を慰める。


(音楽を、音楽で塗り替えてやれ!)


 音のボリュームを上げていく。真に価値のあるものはこっちだ。と言わんばかりに……半ば、そう当てつけに音楽(ロック)に浸った。


 ちょうどいいタイミングで、車は渋滞エリアを抜け出した。徐々に速度を増していく車の心地よいゆれに乗って、俺は気持ちを酔わせていった。

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