表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍國戦記  作者: イカ大王
開戦篇
8/11

帝国での日々

 

 010



 〈帝国〉本土東海岸に点在する艦隊整備拠点の一つ──ハンプトン海軍工廠分遣所の大型艦ドックは特有の熱気に包まれていた。

 ドックはすでに海水が抜かれた状態であるため、底部にある台座に鎮座している巡洋戦艦「マーキュラス」は、喫水線下全てを晒している。

 そこに取り付くのは、工廠に所属している軍属工員たちである。彼らは持ち前の技術を活用し「マーキュラス」の戦線復帰を少しでも早めるべく、仕事に励んでいた。


「艦底部のフジツボが思ったより多いそうです」


 手元の記帳をめくりながら副長(ナンバーワン)が言った。

 あたりはバーナー溶接や鉄同士が打ち付けられる音に満ちているため、心なしが声量が大きい。

 それを傍で聞いているフィリップ・モナーク・カートレットは艦底部を()()()()


 そこは醜い貝類によって覆われていた。艦喫水線下に塗装された赤色が見え難くなるほどの量だから、相当だ。


「だから速力が遅かったのか」


「ですね。こいつらを全てこそぎ落とすのにあと一週間はかかるそうです。入渠予定期間をオーバーする可能性もあります」


「マーキュラス」はアスカロン大陸遠征以来、ドックに入っていない。その間、艦艇部は貝類にとって外敵の少ない棲みやすい場所と化していたのだ。

 高速を売りにしている巡洋戦艦にとって、艦底部の貝類増殖による水中抵抗の増加は喜ぶべきことではない。


 それに、直さなければならない箇所はこれだけではなかった。


「マーキュラス」がスピッドヘッド島沖海戦(第一次帝国本土襲撃の〈帝国〉側呼称)で負った損傷の判定は“中破”だった。

 燃料を燃やしてタービン回転の動力とする缶室や、その動力を元に動く機関室、そして四基八門の主砲は、分厚い装甲に守られていることもあって無傷だった。

 だが一方、外に露出している甲板や上部構造物が、敵護衛艦艇の中小口径砲弾や龍兵の爆撃を受け、その多くが何らかの被害を受けたのだ。


 事の顛末を語ると以下のようになる。 

 敵龍母艦隊の護衛に当たっていた巡洋戦艦、巡航艦各一隻と襲撃艦三隻を撃沈し、龍母一隻を大破させた段階で、フィリップは勝利を確信していた。


 だがその時、単騎の龍兵が艦に向かって急降下し、至近距離から爆弾を投下したのだ。

 それは吸い込まれるようにして前檣楼頂点の射撃指揮所を直撃した。


 そこは艦の火器全てを司る砲術長が詰め、かつ測距儀などの射撃管制装置が設置された射撃中枢である。

 そこを破壊されたということは「マーキュラス」は正確な射撃が不可能になってしまったことを意味する。


 主砲をろくに当てられない巡戦が追撃しても、これ以上の戦果拡大は難しい。さらに、襲雷装備の龍兵が大挙として龍母を飛び立ちはじめたとなれば、「マーキュラス」が単艦で追い続ける意味はなかった。

「マーキュラス」の後退が、スピッドヘッド沖海戦の終結の合図となった。

 敵龍兵は離脱する「マーキュラス」を執拗に攻撃したが、艦長フィリップはその的確な指示で全弾を回避している。


 ともかく「マーキュラス」が戦闘後に入港したこの工廠の被害査定官の出した診断結果が、“中破”、修理期間一ヶ月(少し延びそうだが)というものだった。


「射撃指揮所の修理状況は」


 フィリップは更に上を見上げた。

 艦の縁の先に、足場が組まれた前檣楼の頂点を見ることができた。龍兵の爆弾を喰らったとあって、破壊痕が目立つ。


「極めて順調です。この機会に射撃指揮装置を一新し、四〇センチ砲対応となりました。艦政本部から試作導探の搭載も打診されています。工期に影響はありません」


「射程は何キロ伸びる」


「約一〇ほどは伸びると思います」


 フィリップは内心で舌打ちをした。

 四〇センチ砲搭載艦が「マーキュラス」しかいない以上、それに対応する射撃指揮装置の開発が遅れることは仕方がないことかもしれない。

 だが、それが先の戦闘時にあれば、龍母艦隊を取り逃すことはなかったのに、という思いはぬぐえなかった。


 その時、ドックの左右に三基ずつ設置されている中型ガントリークレーンが、軋むような音を立てながら動き始めた。


「対空砲座の増設作業が始まったようですね。これで、亜龍どもの煩わしさが少しでも減ったら良いのですが」


 ガントリークレーンが吊るしている物体は、陸軍の砲兵が運用している野砲を改良して急造された連装対龍高射砲だった。


 フィリップスも参加した対空火器設置に関する工廠側との協議では、艦橋の左右に一基ずつ、二番煙突と後檣楼の左右にさらに一基ずつを搭載することが決められていた。


 加えて、近接防御火器として、二〇基ほどの対空機銃を増設することにもなっている。

 工廠側は、ただでさえ四〇センチ砲を八門も積んで悪い復元力が、さらに悪くなると渋ったが、フィリップは押し切っていた。


 彼の龍兵に対する評価は、戦いを経て高まっている。大艦隊(G F)総司令部に提出した戦闘詳報にも、帝国〉海軍主要艦艇の対龍兵能力の増強を提言するほどだ。


「対空火器の増加作業は私が立ち合いますので、少し休まれてはいかがですか。首席参謀もそうしてほしいと」


 共にクレーンを見上げていた副長は向き直り、ニヤニヤしながら言った。


「そうか、ナンバーワン。なら、お言葉に甘えることにしよう」


「はい。そうしてください。艦長」


 フィリップは前々から、この日にハンプトンの街に出ることにしていた。

 それを副長と首席参謀に話したところ、フィリップよりも年上である二人は嫌な顔一つせず、それどころか快くしながら了承してくれた。

 入渠中、艦首脳は凄まじく多忙になるにも関わらず、である。艦長が一日抜けただけで、それは更に極まるはずだった。


 フィリップは軽い足取りで海軍工廠の敷地を出た。


 目的の人物はすぐに視界に入ってきた。

 白いワンピースと帽子を身につけた若く美しい女性。裾の長いスカートは柔らかい海風に揺れ、身体のしなやかな曲線が分かる白色の服装は、七月の心地よい太陽に照らされて輝いている。

 目は伏せがちであり、一見話しかけにくいミステリアスな空気を纏わせていた。


「アナスタシア」


 フィリップは軍務中だとあり得ない優しげな声で女性の名を読んだ。

 アナスタシアは顔を上げ、フィリップを見た。

 彼女は少しはにかむと、右掌を右瞼につけ、慣れない敬礼の姿勢を作った。


「フィリップ水兵。帰還を待ってたぞ」


 フィリップの上司を真似ているのか、出せる限り低い声で言う。それでも可愛らしさは拭えない。


「お迎え、痛み入ります。アナスタシア艦長殿」


 フィリップは笑いを噛み殺し、帝国元帥にもしないほど仰々しく答礼した。


 数秒の沈黙。

 やがて、どちらともなく吹き出した。

 アナスタシアとフィリップは幼馴染だった。


「やっときた。王子様が」


 ひとしきり笑った後、花が咲くように微笑む彼女。それにつられるようにしてフィリップも相好を崩した。


 彼女は〈中央異民族国家〉に併呑されて滅亡した白人系小王国の出身だった。白い肌と端正な顔立ちが、かつて同国が位置していたユーランゲル大陸北西地方の出身者であることを示している。

 そして、フィリップの婚約者でもあった。


 フィリップは折った肘を彼女の前に出した。アナスタシアはふふっと笑うと、それに手をかける。


 フィリップスは街まで婚約者をエスコートした。

 彼女の住まいは帝都デトロメリオスの郊外にある。

 帝都とハンプトンは汽車でつながれてはいるが、その距離は長い。丸一日汽車に揺られてやって、アナスタシアはやってきたのだ。


「わたし、ハンプトンって初めて。都会と違って路面電車もブランド店もないけど、とても素敵な街ね。空気が違うもの。あと人間も。冷徹じゃない」


 フィリップと会う前に軽くハンプトンを散策していたらしい彼女は上機嫌に言った。

 二人が歩くハンプトンという街は、田舎の分類にはいる。

 それでも、今は失われつつある〈龍〉契約時代以前の良さを残す街並みや人柄は、都会人にとってのオアシスとして有名だった。

 それに、眼前の〈大龍洋〉から水揚げされた海産物の数々はその質という意味で〈帝国〉有数のものであり、それをふんだんに使った絶品料理を提供するレストランは事欠かない。


 フィリップたちはそんなレストランの中でも、最上級として名高い店に向かった。ドラゴン・ロブスターの香草焼きが絶品な店である。

 開放的な出入り口をくぐると、品よくまとめられた内装と、〈大龍洋〉に沈む夕陽を望むコテージを見ることができた。


「予約していた者だが」


「フィリップス様で御座いますね。こちらへ」


 黒い髪を七三に分けたウェイターに案内されたのは、崖の上から海を見渡せるコテージ──そこにあったテーブルだった。

 他の客とは距離が空き、厨房の喧騒も届かない。聞こえるのは、レストラン専属の音楽ユニットが奏でる弦が弾かれたお洒落な音と、ピアノの鍵盤から響く控えめな音だけだ。

 二人だけの時間を、というウェイターの心遣いらしい。

 フィリップはウェイターに軽く目礼すると、白いテーブルクロスが広げられた円卓の椅子に腰を下ろした。ウェイターはアナスタシアの椅子を引いて座るのを助けると、音もなく去っていった。


 円卓を挟み、二人はワイングラスで乾杯する。


「素敵な店。いっそのこと、ハンプトンに引っ越そうかしら」


 それもいいな、とフィリップは思った。

 戦争中、フィリップは帝都にいるよりも、自らが艦長を務める「マーキュラス」艦上や、東海岸の軍事基地にいる時間の方が遥かに長くなるだろう。

 アナスタシアがハンプトンに住居を構えてくれたなら頻繁に会えるようになる。それに、会うたびに妻を丸一日汽車に乗せるのは気が引けた。

 幸い、フィリップの収入は新たな家の購入など訳ない程度にはある。


 数分の間をおいて運ばれてくるのは、琥珀色のアサリスープ、新鮮な小海老がまぶされたフレッシュサラダ、龍洋カジキのソテー、岩塩とバジルソースに彩られた生牡蠣、チーズと黒光りするキャビアが乗ったビスケット。

 それらの海の幸に舌鼓を打ちながら、二人は半年間の空白を取り戻さんばかりに語り合った。


 そしてメインディッシュであるロブスターの香草焼きが並んだ時、アナスタシアがおもむろに切り出した。


「私、妊娠したの」


 フィリップは今にもロブスターを切り分けようとしていたナイフを危うく落としかけた。


「ふふっ。驚きすぎ」


 アナスタシアは口元を隠し、背中を震わせて笑った。


「ほ、本当か?」


「嘘なんてつかないわ」


 フィリップの心の中で感情が荒れ狂った。

 数秒間沈黙した後、破顔し、我知らず拳を握りしめた。変な顔をしてるかもしれないとの思いがよぎったが、直す気はなかった。

二人が子作りに励み始めてから二年が経つ。やっとのことで、二人の念願が叶ったのだ。


「女の子か。男の子か」


 フィリップは身を乗り出し、尋ねた。


「そんなのまだわかる訳ないじゃない」彼女は再び笑った。


「お医者様によると、妊娠二ヶ月。すこぶる健康な赤ちゃんらしいわ」


 フィリップは耐えられなかった。喝采をあげる。

ついに授かったのだ。愛する者との子を。


 この時、フィリップという名の海軍士官は、自身が世界でもっとも幸福な人間であるという自覚に、まったく疑いをもっていなかった。

 海軍軍人の名家に生まれ、若くして強砲巡戦を預かるという最高の軍人キャリアを積んだ。小さい頃から好意を寄せていた美しい女性と結ばれ、小さく元気な命を授かった。


 フィリップは歓喜のさなか、ちらりと〈大龍洋〉に目線を移した。そこには、まるで二人を歓迎しているかの様な、美しい夕日が、今まさに水平線に没しようとしている時だった。

 空は美しい朱色に染まり、海面は照り返しで赤く輝いている。


 夕陽を背後にして近づいてくる複数の影に彼が気づくことはなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ