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龍國戦記  作者: イカ大王
開戦篇
3/11

提督と龍の巫女

 


 003



 映写機によって再生されたその映像はお世辞にも鮮明とは言い難かった。

 肉眼で見るよりも色彩に欠き、時折被写体を遮る黒点は始末に負えない。

 正確性を重視する〈皇国〉海軍情報部が入手した情報とは思えないほどのお粗末さだが、映像技術が登場して間もないことに加え、交戦中の撮影であることが主な原因であると、同部から派遣された少佐は説明していた。


「つまり、あれかね。この映像は〈龍〉の顕現を確認したものと捉えていいのかね?」


 映写機の淡い光に照らされる薄暗い室内で、男の声が言う。

 それは正解であった。

 映像は不明瞭であるものの、凪いだ広い海と水平線近くに横たわる巨大な大陸、そしてその上空を悠々と泳ぐ〈龍〉らしきものを写している。


 いかにも歴戦年長の男らしい事の重大さに似合わない軽い口調に、会議に列席している清浦利胤(きようらとしたね)准将は思わず口角を上げそうになった。


「左様です。この映像を撮影した『千陣』の生き残りもそれを裏付ける証言をしております」


 少佐の回答に室内でささやかな動揺が広がる。


 この部屋で肩を並べて映像に向き合う人間のほとんどは〈龍〉の国家的重要性を理解している〈皇国〉海軍聯合艦隊の海軍将官らであった。

 少佐に質問を投げかけた艦隊司令長官の大賀僡隆(おおがしげたか)大将、大賀の右腕とも評される艦隊参謀長の荒枝勝将(あらえだかつまさ)中将、その背後に控える艦隊参謀団、清浦をはじめとする艦隊麾下戦隊司令がこの部屋に顔を並べている。


 この場にいる部外者としては、情報部から来た少佐と映写機を操作している特技兵、白い着物に赤袴という巫女のような姿をした若い女性のみであった。

 女性。

 紺色に金の階級章という〈皇国〉海軍将校軍装に見慣れた清浦からしたら、その皇城で儀式でもしてそうな袴姿は違和感以外の何者でもない。加えて、この部屋にいるただ一人の端麗な女性というのも、一際異彩を放つ一因になっていた。

 名前は確か───朝比奈(あさひな)歌織(かおり)


 しかし、まったく正体不明な存在というわけではない。〈皇国〉執政内閣直属の対龍機関──通称“龍神機関”の神官であることは清浦も知っている。

 ただ、噂で聞いている程度であり、こうして艦隊司令部の会議に発言権を持って参加できるほどの勢力だとは思ってもいなかった。


 それは政治や権力争いから距離を置く清浦の性格故でもあったようで、それに当てはまらない荒枝を筆頭とする数人の参謀は隠せない不信感を朝比奈に向けていた。


 その彼女がおもむろに口を開いた。


「執政内閣が国策要項“甲一号”を採用したことは皆様もご存知のことでしょう。我々龍神機関としては、()()()()()()に備え、貴殿らが派遣する艦隊に私を含めた機関要員を同乗させることを希望します」


 参謀らから無言の圧力に晒されている朝比奈はそれを歯牙にも掛けない様子だった。

「そらきた」と言わんばかりに不快な表情を浮かべた荒枝を見て、清浦は苦笑した。この会議、だんまりを決め込む方が吉のようだ。

 大賀はどこか楽しそうにそれを見ていた。


「希望と仰いますが、正直認可したくありませんな」


 荒枝は敵意を隠さないつもりのようだ。「海軍の作戦は海軍にしかわかりませんし、〈諸王国連合〉海軍との兼ね合いもあります。尊重できる考え方には限度がある」


「我々からの意見具申がそのように捉えられているのは心外ですな、荒枝中将殿。龍との契約には資格と専門的知識が必要であることはご存知のはずです。当然、それを保有しているのは龍神機関であり、あなた方(海軍)ではない」


「そんなことはわかっている!」


 荒枝は図太い声を発して机に拳をたたき込んだ。木片が舞い、映写機を片付けていた情報少佐が飛び上がりそうになった。

 〈皇国〉海軍最強の聯合艦隊、その参謀長を務めている男の剣幕は相当なものであったが、朝比奈は表情一つ変えなかった。


「我が〈皇国〉の究極目的が『龍との契約』なのは理解しているつもりだ。だが、目下最大の脅威は、同じく龍との契約を狙っている〈帝国〉の武力──引いても世界第一位を誇る海軍力だ。それを打ち破る術を知らない神官の意見具申は、戦場を無用の混乱に陥れることになる。そのことがなぜ理解できん」


「お言葉ですが、龍は全てを見通す存在です。人間一人ひとりを観察し、契約に足りうる存在か推し量っているのです。大龍洋の戦場で〈皇国〉を代表する存在となるであろう艦隊の行動に神官が口を出すのは、(ちぎり)を円滑かつ確実に行うために必要なことだとご理解下さい」


「海軍が勝利しなければ契約も無に帰すことになるのだ。だいたい、あなた方は──」


 その時、大賀が手を上げて荒枝の発言を制した。「まぁまぁ、参謀長、そこらへんで退いてくれやせんか。朝比奈神官も同様に」


 荒枝は憮然とした態度は崩さなかったが、発言は取りやめ、椅子にどかっと腰を下ろした。朝比奈は先程から変わらない凛とした表情のまま大賀に軽く黙礼した。

 血の気の多い参謀団や戦隊司令を常時まとめているだけあって、こういう時の大賀の対応は一種の定評となっている。

 武人らしからぬ慎重堅実な性格、そして平民出の経歴を持つ清浦が聯合艦隊でやっていけているのは、このような大賀の調停力によるところが大きかった。


「神官団派遣の件は了承しました。我々としても索敵神官の増員は助かります。司令部付神官として貴女を艦橋に招くのも許可しましょう。しかし──」


 大賀は刈り上げの頭を小さく掻いた。これが「言いにくいことを言う」時の大賀の癖であることを清浦は知っていた。


「戦闘が始まった際は安全面を考慮して司令塔の中に入り、貴重なご意見はそこから伝声管を通じて行っていただく形で願いしたい」


 朝比奈がまぶたを震わせるのを清浦は見逃さなかった。

 戦闘の喧騒の中、伝声管で意見を述べるなどできるはずがない。それでいて、安全面を引き合いに出されては反駁も難しい。

 艦種によっては剥き出しになっている艦橋で戦闘を経験する恐ろしさを、朝比奈は理解してるようだった。


「わかりました。それで手を打ちましょう」


 少し逡巡した朝比奈はその条件で了承した。口論を収拾した大賀は満足気に頷き、


「さて、“甲一号”となると、我が艦隊から友邦〈諸王国連合〉の支援のために戦力を派遣する計画になっている。もちろん、我が国と同じように〈龍〉との契約を目指している〈帝国〉との衝突は避けられない」


 と皆に諭した。参謀や戦隊司令らは背筋を伸ばし、威儀を正した。『〈帝国〉との開戦』「千陣」が撃沈されている以上、それはここにいる全員にとって容易に想像できたことであり、今更驚くべきことではなかった。


「一二年前の南盟紛争以来、我が海軍にとって久々の戦争だ。当時の勢いは失っておらんだろうな」


 それを聞き、荒枝がニヤリと笑った。「不敵」という形容がぴったりの頬の歪み具合であった。


「我が艦隊を含め、〈皇国〉軍の戦意は旺盛です。〈帝国〉に引けをとることはないでしょう」


 やれやれ、と清浦は思った。

 戦争が始まる。否応なく自分も死線を潜ることになる。これで鋼鉄に閉じ込められたまま海底に沈んだり、砲弾を喰らって手足を吹っ飛ばされる可能性がぐんと高まった。


 なぜなら自身の率いる〈皇国〉海軍第三戦隊こそが、派遣艦隊──〈西方海域先遣支隊〉の主力なのだから。

 開戦の熱に当てられた参謀たちを尻目に、清浦はこれから自分の戦隊が歩むであろう修羅の道の過酷さに想いを馳せていた。




 004




「清浦准将」


 会議──というより開戦の決起会が終わり、興奮冷めぬ参謀や戦隊司令が会議室を後にする中、背後から聞こえてきた女性の声に清浦は思わず足を止めた。


 同時に、畜生とも思う。自分を呼び止めた相手は火を見るより明らかだ。ゆっくりと後ろを向くと、会議で荒枝と口論を繰り広げた朝比奈神官が立っている。

 典型的な〈皇国〉美人で、凛とした雰囲気と曇り気のない(まなこ)、主張しない桃色の唇が袴姿によく似合っている。


「な、何か御用ですか?」


 しまったと思った。用なんて、俺が西遣支隊司令だからに決まってるからじゃないか。これから自分が乗る船の指揮官に挨拶しない奴がどこにいる。


 だとしても、話しかけてくるのはもう少し後にして欲しかった。今はまだ反機関派の参謀の目がある。将家出じゃないとか、積極的指揮を執らないだとかで艦隊参謀から白い目で見られてきた清浦にとって、ここで新たな敵を作りたくなかった。


「いえ、大したことではないのですが、これから共に仕事をする間柄になりますので、少しお話しをと」


「……なるほど。そういうことなら歓迎です。しかし、えー」


 言葉に詰まり、少し参謀たちの方に視線を送った。朝比奈は察したようで、ふふっと笑うと、


「清浦さんも肩身の狭い思いをしていらっしゃるのですね」


 と可愛らしく言った。先の会議での固い雰囲気は、龍神機関の主張を呑ますための「交渉」用だったのかもしれない。それに若干の驚きを感じつつ、


「潮風にでもあたりながら話しましょう」


 と言って指を上に向けた。



 ───艦隊の母港である淡浜(あわはま)泊地は、聯合艦隊旗艦「大津」の前部甲板からよく見ることができた。

 空は天を突き上げる青空であり、甲板に敷かれた南州檜の木板が初夏の日光を浴びてきらきらと輝いている。それでいて心地よい潮風が頬を撫で、暑苦しさはなかった。


 清浦はあたりを見渡した。


 淡浜泊地は〈皇国〉最大の泊地であり、皇国本州と南州の間の弓ヶ水(ゆみがみず)内海に位置している。

 点在する緑の小島の合間に軍艦が停泊し、最寄りの南州沿岸には海軍工廠や船渠(ドック)の長い屋根を見ることができた。


 一緒にいる朝比奈は上甲板に上がるや、背負式に鎮座する二基の砲塔を興味あり気に見つめている。


「おっきいですね。砲口に私の頭がすっぽり入りそうです」


「五〇口径三〇センチレーテル連装主砲塔。我が〈皇国〉戦艦の主力艦砲です。『一センチレーテル』は指の太さほどの単位ですから、貴女の頭なら入りそうですね。試します?」


「ふふ。結構です。あ、あの平べったい船は何ですか?」


 朝比奈の意外な好奇心に蹴落とされつつも、「あれは龍母です」だとか「あれは潜海艦です」だとか、淡浜泊地の案内役を買って出ていた。

 もしかすると、朝比奈は会議で拒絶された艦橋での意見具申権を得るために自分に近づいたのかもしれない。

 それでも、海軍に興味をもつ女の子に解説するのは嫌な気分ではなかったが。


「……あ、すみません」


 朝比奈はふと我に返り、頬を赤らめた。そんな顔もできるのかとますます意外に思った。


「『龍の巫女』になるために龍峰の神社で長らく修行していたので……。日常生活の術や一般常識は心得ているのですが、こういう場は初めてなんです」


「そういうことでしたら任せてください。私にとってここは家みたいなものなので、いつでも案内しますよ。それと、いい機会です、私からもいくつか質問があるのですが……」


「私の知識の範疇でよろしければ、なんなりと」


 いい機会だ。長年の疑問をぶつけてみようと思っていた。


「そもそも〈龍〉とは一体なんなのです?」


 それを聞き、朝比奈はやや驚いた表情を浮かべた。龍神機関の神官である朝比奈からしたら、そんなことは常識であり、まさしく龍峰で幼少期から学んできたことだ。

 それを見て、清浦は自分がひどく無知であることを自覚した。


「は、はぁ……。いえ、失礼しました。この広い浮世は知らないことばかりだと、たった今私が実感したことです。私にとってそれは軍艦群であり、貴方にとっては龍だった、それだけですので」


 朝比奈は身体を翻して揚錨機に飛び乗った。指を後ろで絡ませ、前屈みになって清浦に向き合う。その一連の華麗な動きに思わず見惚れてしまった。


「清浦准将は〈龍〉についてどの程度ご存知ですか?」


「お恥ずかしながら、ほとんど……。『龍との契約』とやらを目指して各国が戦争になるほどですから、それなりの力は持っている、というのは想像に難しくないのですが……」


「それは間違っていません」


 朝比奈は肯定した。


「〈龍〉というものは龍棲大陸の奥地に棲むとされる伝説の生き物です。太古より人類の観察者として生き、時に人類と契りを交わしてきました。


 契りを交わすと、契約者の願望を一つだけ、なんでも叶えてくれます。永遠の命が欲しい、祖国が繁栄してほしい、あの民族が滅んでほしい、……なんでもありです」


「……龍ってやつは大層な存在ですな」


 清浦は呆れた。

 半分は龍に対してだが、もう半分はそれを今まで知らなかった自分に対してもだった。


「西方世界の拝龍教では〈龍〉は神の子であり、神力の地上代行者とか言われてますからね。〈皇国〉国教でも事情は似ていて、龍神は八百万(やおよろず)の神の中で最も神聖な存在とされています」


 〈龍〉は約百年周期で世界に顕現するので、その度に人類は『契約』を目指して争ってきました。歴史に名を連ねる歴代の覇権国は、いずれも〈龍〉との契約を勝ち取った国家です。そして──


「──我が〈皇国〉もその戦いに参加する」


 呟くように言った。


「そういうことです」


 龍との契約を勝ち取った国が〈皇国〉だろうと〈帝国〉だろうと、はたまた〈諸王国連合〉だろうと、この戦争が終わった時、世界は百年に一度の変革を迎えることになる


「願いを一つ叶える」そんなことがあり得るのか、じかに見なければ清浦には半信半疑の域を出ない。

 しかし、自分がその渦中の一艦隊の指揮を執る以上、否応なく『契約』に関わっていくことになる。清浦は覚悟した。


「龍についてはよく分かりました。最後に一つ」


 海軍提督は龍の巫女に問う。「我が〈皇国〉が契約の権利を獲得した時、君たちは龍に何を願うのですか」


「……」


 龍の巫女は何も言わなかった。一瞬哀しげな表情を浮かべたのを清浦は見逃さなかった。次の言葉が出かけた時、清浦を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、ピカッと糊の効いたセーラー服を着た水兵が立っている。


「清浦准将、大賀長官がお呼びです。支隊の具体的編成について協議したいと」


「ご苦労。すぐ行く」


 朝比奈を振り返ると彼女は小さく会釈した。


「申し訳ありません。それはお答えできません。……爾後、よろしくお願いします」


 そう言うと、すぐに踵を返す。水兵がその態度を准将に対する非礼と受け取ったのか、彼女を睨みつけていた。


(何かあるな、こりゃ)


 清浦は心中で呟いた。

 頭上を龍偵の訓練編隊が通過した。



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