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龍國戦記  作者: イカ大王
開戦篇
2/11

龍が顕現する時

 


 001



 戦端は開かれた。


 「敵艦発砲!」の悲鳴染みた報告が響き、遠雷のような光が敵艦上に走る。

 直後、小太鼓を連打する様な砲声が「千陣」に届いた。


 敵は、〈龍〉の顕現を〈皇国〉本国に知られることを防ぐべく、実力行使に踏み切ったのだ。


「艦長!」


 龍偵参謀が顔を歪めながら笠原を見た。

 笠原はそれを意図的に無視し、凛とした声で命じた。


「目標、左弦後方の敵襲撃艦一番艦。主砲、撃ち方始め」


「艦長指示の目標。主砲、撃ちぃ方はじめ!」


 笠原の命令を砲術長が復唱するや否や──すでに狙いを定めていたのだろう──鼓膜を震わせる激音が轟き、各砲門に閃光が走った。

 直径一四ミリの砲弾を、対艦用の強装薬で叩き出したのだ。


「千陣」は建造当時、合計六基の五〇口径一四ミリ単装砲を有していたが、龍偵格納庫を設置したことによって二基降ろされ、現状は四基となっている。

 その四基のうち、格納庫と第二煙突の間に搭載されている第三砲塔は射界外となるため、射撃可能な砲は三基だった。

 それらから発射された徹甲弾は、敵戦隊が放った砲弾群と高空ですれ違った。

 若干気流の影響を受けたのち、大気との摩擦で真っ赤になりながら、目標の敵襲撃艦への殺到する。


 着弾は敵の方がやや早かった。


 空気が切り裂かれる甲高い音が増大し、それが途切れた瞬間、「千陣」周辺に複数の水柱が奔騰した。

 神官が小さな悲鳴を上げるが、衝撃はさほどない。


 (襲撃艦の小口径砲だな)


巡洋戦艦の主砲に撃たれたらこうはいかない。


 敵弾着弾の余韻が抜ける頃、笠原は少しの期待を胸に秘めつつ敵戦隊に双眼鏡を向けた。


 その直後、襲撃艦の右側の海面に三本の水柱が発生した。


 発射した砲弾は三発だから、一発も命中しなかったことになる。

 笠原は小さく呻きを漏らした。


 やはり、射撃諸元の高精度化ができていない初弾で命中させるのは難しいらしい。これは技量の問題ではなく、構造上の問題だった。


 二度目の発砲は「千陣」の方が早かった。

 再びの激音と衝撃が艦を揺るがし、仰角修正を終えた砲身から砲弾が発射される。

 だが、それらすらも、敵戦隊の後方に落下して小さい水柱を上げるだけだった。


「クソ」


 頭ではわかっている。まだ、当てらるはずがない。

 だが、巡戦に追われている現状で、焦りが苛つきとなって笠原の心理を圧迫していた。


「敵襲撃艦増速。巡戦も増速」


 見張員が報告する。

 敵戦隊は加速することによって「千陣」砲術長が計算によって弾き出した未来位置から脱出していたのだ。

 これでは、たとえ高精度の諸元に基づいて発射された砲弾だったとしても当たらない。


「屋島。取舵一杯、最大戦速。敵の頭を押さえる」


「取舵一杯、最大戦速。針路七五度!」


「とぉーーりかぁーーじ、いっぱい!」


「千陣」の舵が効いたのは、今一度発砲し、敵の射撃を二度受けた後だった。

 細い艦体が右に傾き、上部見張台の水兵などは遠心力で投げ出されそうになる。正面に見えていたアスカロン大島が右に滑った。


「舵中央」


 笠原は航海長に命じた。


「舵戻せ。ヨーソロー」


「もどぉーせぇーーー!」


 操舵手の大音声が響き、「千陣」は回頭を緩やかに止め、直進に戻った。

 同時に「両舷前進全速!」の命令がせわしなく下され、足元から伝わる機関の唸りが高まった。


 大時化に翻弄され、砲弾を浴びながらも、軽装龍偵母艦は最大速力である二五ノルトを発揮した。巡航艦にしては遅いが、戦艦よりかは早い。

 艦のピッチングが増加し、艦首によって切り裂かれた波浪が艦橋すら濡らす。

 

 この変針により「千陣」は敵戦隊の頭を押さえる針路となった。

 こちらは全砲を向けられるのに対し、敵戦隊は前部砲しか使えない。


 この運動の間も敵弾は絶えず飛来している。


 敵弾の風切り音が響き、それが途切れた瞬間、周辺に水柱が形成され、軽い爆圧が「千陣」を突き上げる。

 海水が滝のように降り注ぐが、「千陣」はそれらを振り切り、全力航行を続ける。

 第三砲塔を加えた四基の砲は、八、九秒毎に発砲し、重量四〇キロの砲弾を高初速で発射する。


 二対一の砲戦が始まって数分、ついに命中弾が出た。

 命中弾を受けたのは「千陣」だった。


 金属的な打撃音が響く。


 衝撃が艦首から艦尾までを貫き、多くの将兵は耐えきれずによろめく。笠原も例外ではなく、羅針盤に手をついて辛うじて体を支えた。


 炸裂音と共に、何かが壊れる音が後ろから届いた。とっさに振り向いた笠原の目に、曇天下では眩しい爆炎が映った。

 重傷を負った水兵の絶叫がそれに続いた。


「後部甲板被弾!」


 黒煙を引きずる「千陣」は、左に指向できる一四ミリ砲四基をさらに咆哮させた。

 数秒の間を置き、敵襲撃艦の艦上に閃光が生じた。破片の様な黒い塵が爆炎と共に宙を舞い、マストが吹き飛ばされた。


 艦橋に歓声が上がった。

「千陣」は、すぐさま反撃で敵に大損害を与えたのだ。


 双方の距離はさらに詰まってゆく。

 こうなると、互いにノーガードで殴り合う接近戦の様相を呈してくる。特に、巡戦よりもその高速性ゆえに突出している敵襲撃艦の砲撃が激しい。


 敵弾は断続的に「千陣」を叩く。

 とある一発は龍偵格納庫を直撃して亜龍や龍士たちを物言わぬ肉塊に変えた。

 別の一発は艦橋側面の信号所に命中し、信号員を血飛沫とともに消し飛ばした。


 被弾のたびに「千陣」は熱病の発作のように震え、設備や人命が奪われてゆく。

 

 防護巡航艦時代の名残りである装甲に弾き返される敵弾もあるが、それは例外的な幸運によるものだ。

 大半は命中した箇所の鋼鉄を甲高い音とともにひしゃげさせ、あるいは人間や亜龍の肉体を無慈悲に砕く。


 だが「千陣」の弾も当たっている。


 水柱の合間から見える襲撃艦の一隻は「千陣」の弾を受けて大火災を起こしており、艦橋は粉砕されて原型を失っている。


 心なしか、速度も落ちているようだ。


 命中弾を出すたびに艦橋や射撃指揮所では歓声が上がり、砲術長は腕を振るって新たなを指示を出す。


 双方煙は引きずっているものの、「千陣」有利に見えた。


 その時、いままで沈黙を守っていた敵巡洋戦艦が射撃を開始した。

 味方襲撃艦の一隻が大きな被害を受けたため、様子見を放棄したようだ。


「────!」


 敵巡戦発砲を伝えた見張員の声は敵の砲声にかき消された。

 水平線上に一際巨大な閃光がほとばしり、続いて襲撃艦の一二.七ミリ砲とは比べ物にならない砲声が海上に響き渡った。


「来よるぞぉ!」


 誰かが叫び、笠原は衝撃に備えて下腹に力を込めた。

 増大する凶々しい飛翔音。

 直径四〇ミリレーテルの巨弾は数千レーテルをわずか十数秒で飛び越し「千陣」に迫った。


 命中はしなかった。


 それでも、天を串刺しにしかねない巨大な水柱が何本も奔騰し、艦底部からの凄まじい爆圧によって「千陣」を数レーテルも持ち上げた。


「……!」


 笠原はあまりの衝撃に、声にならない叫びを上げた。

 体が宙に浮かび、艦体が悲鳴のような軋みを立てた。


 着弾の際の被害はそれだけに止まらない。


 空中に浮かんでいた艦体が海面に叩きつけられると同時に、水柱を形成していた大量の海水が落下し、露天艦橋から水兵数名を消し去る。

 凄まじい量の海水が頭上から降り注ぎ、笠原は床に叩きつけられた。


「強烈ですな」


 態勢を立て直す笠原の前で龍偵参謀が苦しそうに漏らした。


「命中したらどうなるのやら」


 笠原は引き攣った笑みを浮かべて、龍偵参謀を見た。

 若い龍偵参謀は顔面蒼白であり、片手できつく抑えられた腹からは大量の鮮血が滴っていた。敵弾の破片を受けたらしい。


「龍偵参謀、大丈夫か?」


「はい、少し休ませていただければ」


 彼の顔には死相が浮かんでいる。


「第二機械室浸水!」


「機関部故障。発揮可能速力一〇(ヒトマル)!」


 轟々とした水柱の残響が残る中、悲報が飛び込んでくる。


 敵弾の爆圧で艦底部が圧迫され、機関に被害をもたらしたのだ。


 それを聞いた笠原は喉の奥から呻きを漏らした。

 速力が低下した状況で敵巡戦の砲撃から逃げ回ることなど不可能だからだ。

 近くに落下しただけでこの被害なら、食らった暁にはこんな軽量艦などばらばらになりかねない。


 敵巡戦は二度目の射撃を実施した。

 

 それが空中にある間に、距離を詰めている襲撃艦から放たれた砲弾が飛来し、艦橋眼下の第一砲塔を直撃した。

 砲の周りを鉄板で囲っただけの砲塔は耐えきれず、破片と肉塊と血飛沫を右弦海面に撒き散らした。砲身は有り得ない角度まで振り上げられて停止した。


 その直後、頭上から凄まじい圧迫感を撒き散らしながら巨弾が降り注いでくる。敵巡戦の第二射弾である。


 笠原は初めて恐怖した。


 圧迫感が耐え難い域までまで高鳴った刹那、「千陣」の正面に巨大な水柱が林立した。


「千陣」は大時化という状況の中にも関わらず、さらに一段階激しい動揺を経験した。艦首が水柱の衝撃で空を突き、逆に艦尾はその大半を水中に没することになった。


 幾人もの将兵が海に投げ出され、至るところが軋み、耐えきれずにへし折れた。

 波をまともに受けた艦橋は特にひどく、艦橋要員が海に投げ出されて半分以下に減る。

 笠原は羅針盤に頭をぶつけ、こめかみから流血した。右腕は鈍い痛みとともにぴくりとも動かない。


 今回も命中はしていない。


 敵巡戦は「千陣」の速力低下を計算に入れずに砲弾を放ったため、狙いを外された形となったのだ。

 だが、次は修正した射弾が飛んでくる。


 その時だった。


導探(どうたん)に反応あり。感六!」


 砲声の飛翔音や発砲酒にかき消されそうになりながらも、報告が艦橋に上げられた。


 「来たか……」


 導探、つまり導波探信儀(どうはたんしんぎ)とはこの世のあらゆるものが持つとされる『導波』を探知できる装置である。

 方角と感度の探知に加え、感度によって相手の規模を測ることができる。

 『感六』は最大値のさらに上を示す値であり、それが示す相手はこの世に一つしかいない。


 圧倒的存在感で古今東西にその影響力を与え続けてきた、神にも等しき存在。


 感六は、精神が貧弱な人間が気狂いを起こすほどのものだ。





 海域の様子が一変する。





「龍が顕現される……」


 神官が呟くように言った刹那、まるで神の使いかのように龍極大陸周辺を支配していた雨雲が、まさに一瞬で消失した。


 真円の青空が頭上に出現し、差し込んできた眩しい恒天の光が、荒れた灰色の海面を蒼く照らし出した。


 艦橋士官や見張員は一瞬手品を見せられたかのように呆然とする。

〈龍〉が持つ強烈な導波の影響で、精神が硬直し、今、自分たちが命のやりとりをしている事実すら忘れてしまうのだ。


 莫大な導波でおかしくなったのか、上空を舞っていた龍偵が狂ったように海面に突進した。


「来る」


 龍偵参謀のかすれた呟きが笠原の耳に入った。

 深傷を負って艦橋の床に腰を下ろしていた彼は、冥土の土産と言わんばかりに目を見開いている。


 風は収まらない。波も高いままだ。よって、綺麗に縁取られた青空と曇天の境はすぐにかき乱された。


 雲が四方からの風で入り混じり、複雑な紋様を形作ってゆく。


 雨粒は暴風に翻弄されながら海面や「千陣」甲板を叩き、それらは恒天の光に晒されて輝きを発していた。


 その光景は息を呑むほど美しい。


「ど、導探の針が振り切れてます!」


 下から名状し難い女性の叫び声が聞こえた。

 その身をもって探信儀の中核となる索敵神官が、その波の大きさに驚愕し、心身の焼かれるような痛みを味わっているのだ。


 やがて、雲を大陸周辺から追い散らした衝撃波が「千陣」に到達した。

 敵弾命中とは比べものにならない振動が襲いかかり、「千陣」を大海に放り出された枯れ葉のように激震させた。


「ウワッ」


 艦橋内を悲鳴が連鎖する。


 そんな中、笠原ははっきりと見た。


 龍極大陸の山地から天へと昇る一筋の〈龍〉を。


 全知全能の存在。


 ヒトの()()()()()()()()()()と言われる〈龍〉を。


「人類が〈龍〉を神と崇めてきた理由がわかるな」


 笠原は手すりを握りしめて体を支えながら呟くように言った。片手は──海に投げ出されるのを防ぐため──龍偵参謀の亡骸を掴んでいる。

 〈龍〉出現の数瞬の気の緩みが、艦長以下「千陣」乗組員二二八人の運命を決することになった。


 その時、すでに〈龍〉によって生じたものとは異なる轟音が「千陣」に迫っている。


 頭をかきむしりたくなるような不快な音。


 その音は徐々に増大し、やがてそれ以外の音は聞こえなくなる。


 笠原がそれを砲弾の飛翔音だと気づいた直後、「マーキュラス」から放たれてた巨弾は「千陣」艦橋を直撃した。


 視界内を真っ赤な光が包み込み、火焔が一切の容赦なしに笠原たちの肉体を焼き尽くした。





 002




 コウコクの巡航艦は数分とせずに沈んでいった。


 四〇ミリレーテル砲弾が敵艦の艦橋を消し飛ばした後、それまで勇敢に戦っていた巡航艦は速力を大幅に損じ、炎上しながら転覆したのだ。


 〈帝国〉海軍アスカロン方面艦隊第七遊撃戦隊──特に敵艦を一撃で撃沈させしめた「マーキュラス」では一種の静寂が艦全体を支配していた。

 誰もが自らの行いの劇的さに目を見張っているのだ。


 〈龍〉の導波も影響しているのだろうが、それもそのはずだと言えるだろう。

 「マーキュラス」は宣戦布告もしていない国の軍艦を撃沈したのだから。


「悪く思うなよ、コウコク人。我々としては〈龍〉の顕現を貴様らに知られるわけにはいかないのでな」


 パイプ煙草を咥え、純白の〈帝国〉海軍士官軍装に身を包む男が言う。

 年齢は若そうだが、制帽のつばから覗かせる目には歴戦軍人特有の鋭い光が灯っていた。


 彼は「マーキュラス」艦長フィリップ・モナーク・カートレット大佐である。


 海軍軍人を歴代派出している名門貴族カートレット伯家出身の『海の騎士』だった。

 彼はパイプ煙草を口から外すと、目を伏せて散っていった皇国将兵のために拝龍聖典の一節を呟いた。敵に武人として敬意を払う精神性を彼は持っていた。


「艦長。敵兵が多数浮かんでいます」


 かたわらの戦務参謀が顔を暗くしながら言った。

 カートレットは未だに黒煙が上がる沈没点に双眼鏡を向けた。荒れた海に多数の人が浮かんでいる。


「『ヴァンパレス』に救助させろ。毛布と食料が不足したら、我が艦が融通すると」


了解(アイ・サー)


 指揮下にある二隻の襲撃艦のうち「スピッドヘッド」は一五発の敵弾を喰らって大破している。

 生き残ったもう一隻を救助にあてるのだ。


 その命令を受けた戦務参謀は嬉しそうに逓信室へ駆けていった。


 フィリップは〈龍〉の導波による精神の振幅を落ち着かせるため、パイプ煙草を再び咥え、芳ばしい煙を口内に充満させた。

 ここで一つの思いが脳裏をよぎった。

 いつもならば、敵兵の救助など絶対に許さない人物がこの艦には乗っているはずだが……。


 フィリップはちらりと隣に立つ人物を見やった。


「〈龍〉が。神の子が降臨される!」


 艦橋内に響く無遠慮な大声。

 その男は金の十字が縫い込まれたシルク製の司教冠(ミトラ)を被り、着るのに何時間もかかりそうな厚手の祭服を着ていた。

 目を子供のように輝かせ、両手を組んで外の一点を見つめている。


 侮蔑に近い目線を向けながら、なるほど、とフィリップは思った。

 彼は自分たちの“神の子”に夢中で、普段ならば〈龍〉を汚す存在だと卑下している〈皇国〉人を救う命令を艦長が発しても、眼中にないのだ。


「狂信者どもが」


 今や〈帝国〉軍の奥深くまで食い込んだ、拝龍教の司教。

 〈帝国〉が龍の力で繁栄を謳歌してから早百年。歴代皇帝が〈龍〉の力を盲信し、〈龍〉との契約経験のある拝龍教を重視する判断をしてしまったが故だ。

 産業革命以降、科学技術が飛躍的に進歩した現代においても、宗教家が軍隊ででかい顔をしているのは良い傾向ではないことはフィリップもわかっていた。


 だが、拝龍教徒の傲慢さはともかく、〈龍〉の重要性についてはフィリップも同意見である。


 ()()()()()を争うライバルを減らすために〈皇国〉艦を撃沈したのは、宗教家に詰め寄られたからというのもあるが、最終的にはフィリップが決断したのだ。


龍偵(ワイバーン)!」


 見張員の叫びが艦橋内に響き、フィリップは司教への感情を断ち切った。

 〈龍〉の導波で墜落したと思っていた〈皇国〉海軍の亜龍がまだ生きていたのだ。

 操っている龍士は相当の熟練者のようだ。


「艦長!」


 〈龍〉に心を奪われていた司教が鬼気迫る様子でフィリップに詰め寄った。正気に戻り、自分が今何をすべきか思い出したようだ。


「今すぐ蛮族の亜龍を撃墜したまえ!〈龍〉の顕現を敵本国に知らせるつもりだ!」


「無駄ですな」


 フィリップは何かを抑えるような口調で言った。


「我が艦の対空火器の射程外に出ています。襲撃艦も同様です」


 司教は自分の思い通りにならなかったのが癪に触ったのか、人目を憚らず奇声をあげ、地団駄を踏んだ。


「大陸東方に我が軍の軽龍母艦が展開しています。彼らに要請を出しましょう。おい、魔導参謀」


 首席参謀が赤子をなだめるように言ったが、司教はそれでも怒ったままで、いよいよおさまりがつかない。


「艦長。これは責任問題になるぞ。教皇庁に報告してやる。今すぐ水兵に逆戻りだ。おい、あのフネは何をしている。蛮族を救助しているぞ。やめさせろ」


 フィリップはふつふつと沸き上がる感情を抑えながら、努めて冷静に部下に命じた。


「エリオット司教殿はご乱心だ。医務室でご休憩願え」


 艦橋付き水兵が数人司教を掴み、下層甲板へ繋がる階段(ラッタル)を降りてゆく。司教の叫びがさらなる音量になったのは言うまでもない。


 しかし、司教がいなくなってもフィリップの感情は波打ったままだった。艦長という立場になければ叫びがしたいほどに。


 その原因は司教ではない。


「畜生、奴らめ。やりやがったな」


 今戦った〈皇国〉海軍のことだった。


 彼らは思っていた以上に強い。

 劣勢な状況でありながら、高い射撃精度、巧みな操艦術を発揮し、我が戦隊をてこずらせた。こちらの襲撃艦を一隻大破させるほどだ。


 それになによりもフィリップを不快な思いにさせているのは、暴走状態の亜龍を立て直し、東へ逃走した龍士である。


 そいつのおかげで第七遊撃戦隊は「スピットヘッド」の犠牲も、祖国のためにあえて負った国際法違反という罪も、意味を失しつつある。

 圧倒的優勢にありながら〈龍〉の顕現を〈皇国〉に知らせないという勝利条件を失いつつあるのだ。


 フィリップは引きつった笑みを浮かべた。


 自分が完敗したという自嘲的な笑いではない。〈皇国〉──敵への憎々しさを含んだ称賛だった。


「コウコク。〈皇国〉海軍か。いいではないか。久しぶりに(たぎ)る敵だ」


 フィリップは今度は声に出して笑った。隣の水兵がいぶかしげな表情を向けてきたが、気にしない。やがてその声は艦橋に響くほどのものになっていた。


「マーキュラス」は〈龍〉の観測を他の戦隊に任せると、早々と本土へ向かう針路を取った。消耗した砲弾を補給し、〈皇国〉との開戦に備えるためだった。


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