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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

三題噺

作者: 柊 サラ

三題噺:「犬」「猫」「カンガルー」

 ―――パァン!!

 ざわついている教室の中で、急に乾いた音がした。休み明けに行われる文化祭の準備中、バルーンアート用の風船を、男子がふざけて割ったのだ。

 クラスメイトは少し驚いて、数人から割った本人へと野次が飛ぶ。またか、と言う呆れ顔の生徒たちの中で、私は一人、作りかけの飾りを手に持ったまま、立ち尽くしていた。


   ◇ ◇ ◇


 現実の世界かと思う程にリアルな光景が、目の前に広がっていた。けれど、これが現実でないことを、私は知っている。

「ねえ、パパ。きょうはどこにいくの?」

 幼い私が、隣に座る父親を見上げて訊く。今より、随分と目線が低い。チャイルドシートに座ってはいるものの、標準より小柄な私には、それでも高さが足りていない。

桃香(とうか)の大好きな所だよ」

 運転中の父は、私を見ずにそう言った。

「――どうぶつえん?」

 私は目を輝かせる。当時の私にとって、父と出かけることはそれだけで楽しいものであり、まして、行き先が動物園というのは、この上なく嬉しいことだった。

「やったー!」

 信号で車が止まると、父は、手足をばたつかせて喜んでいる私を見て、愛おしそうに微笑んでいた。


 ―――パンッ! パンッ!


 再び動き出した車の背後で、風船の割れるような音が続けてした。

「――え?」

 音のした方を振り向こうとしたけど、チャイルドシートが邪魔をして全く見えない。


 ―――パンッ!


「ねぇ、パパ、いまの音って―――」

 もう一度した音に、私は父を振り返った。そこで、言いかけていた言葉が途切れる。運転席側の窓ガラス一面に細かいヒビが入り、父が驚いた様に目を見開いて、硬直していた。

「――――パパ? どう――」


 ―――シャーッ!


「――ッ!?」

 どうしたの、と恐る恐る私が言い終わる前に、それは起こった。

 私のかけた声をきっかけに均衡が崩れたかの様に、父の首筋から大量の赤い液体が噴射しだしたのだ。圧力のかかったホースの切れ目から水が吹き出るように、噴水のごとき勢いで、凄まじい量の鮮血が噴射する。それは見る見るうちにフロントガラスを真っ赤に曇らせ、呆然とその光景を眺める私の視界も、赤く染め上げていった。

 そして、目の前の状況を私が理解するより先に、グシャリと、何かがひしゃげる音がする。

“――桃香……”

 最後に憶えているのは、体に感じた強い衝撃だった。


   ◇ ◇ ◇


「――っ! 桃香っ!」

 我に返った私は、教室の隅で座り込んでいた。

「え……す、涼美(すずみ)?」

 見上げると、幼馴染の涼美が、心配そうに私を覗き込んでいる。「大丈夫? さっきの音……やっぱり、またアレ?」

 小中高の付き合いの涼美は、私の“発作”のことを知っていた。うん、と頷くと、涼美は少し考えて、言う。

「あんた、今日は帰っちゃいなさいよ。どうせやることなんてほとんど無いんだし。……野崎先生にはあたしから言ってあげるから」

 でも、と私が言い返す前に、涼美はさっと担任の元へかけて行く。

 数分後、戻ってきた涼美と担任の二人によって、私は家へと帰されることとなった。


   ◇ ◇ ◇


 昼下がりの通学路を、朝とは逆に進む。この道を使うようになって二年になるけど、この時間帯に通るのは初めてかもしれない。街中の、通勤・通学ラッシュ時には有名な渋滞スポットであるこの道も、今は数えられる程度の車しか走っていなかった。危険が少ないとなると、ついつい別のことに思考がいく。


 あの後、目を開けると、病院だった。まず視界に入ってきたのは黒い服を着て目を赤く腫らした母で、少し離れて、父方・母方双方の祖父母もいる。

 まもなく医師が来て、私に、気分や体の具合のことを訊く。私はぼーっとした頭で、それに頷くだけだった。

 医師が私から点滴を外し、母に向かって頷く。母はお礼を言って、ベッドの上からそれを眺めていた私を抱き上げた。そして、そのまま祖父母と一緒に病室を出る。

「どこにいくの?」

 と私は訊いたけれど、母は私を抱く腕に力を込めただけで、何も言わなかった。


 車に乗せられて着いた所には、灰色の高い煙突があった。当時の私には分からなかったが、そこは火葬場だった。

 真っ白い棺が運ばれてくると、周囲からすすり泣く声が聞こえた。母の腕が小刻みに震えだす。蓋の小窓が開けられる。母が、ついに泣き崩れた。祖母がやってきて、母から私を受け取る。伯母さんが、母の肩を抱えて、どうにか立たせた。

(かすみ)さんも気の毒に……」

景一(けいいち)さんも、まだ若いのに……」

 そういった会話を聞きながら、私が見ていたその先には、棺の小窓から覗く、青白い父の顔があった。

――パパっ!

 言ったつもりが、声になっていなかった。息を呑んで体を強張らせたことに気付いて、祖母があやす様に私の背中を叩く。

「――故人との最後のお別れです」

 冷静に、しかし同情に似た悲しそうな声で、火葬場の若い女性職員が告げる。 何が起こっているのか、これから何が起きようとしているのか、幼い私には分からなかった。――ただ、大好きだった父とはもう、二度と逢うことは出来ないと、それだけを漠然と理解していた。

「――……」

 祖母の服を掴んで、それでも顔は父の方を向けていた私の目の前で、棺の小窓が閉じられる。一礼して、女性職員と、それから男性職員が、棺を動かした。

 運ぶ先には、いくつも並んだ銀色の扉。女性職員がそのうちの一つを開けると、真っ暗なトンネルの奥からは、ゴーッという低い音と共に熱気が飛び出してきた。男性職員が、ゆっくりと、棺――父を、その闇の中へと入れていく。

――嫌っ! 入れないでっ! パパを連れて行かないでっ! パパ………ッ!


 ―――ガシャン


 音にならない声で叫ぶ私の前で、冷たい音をたてて、扉は閉められた。


 その後、母から聞いた話では、血に溢れかえった事故車の中から発見された私は、あの日一週間ぶりに目を覚ましたらしい。私が眠っている間に事故の後処理もほとんど済み、父の死因はやはり失血死であることが確認された。そして父の葬儀の日、告別式を終えた後に、母達はもしかしたら私が意識を取り戻しているのではないかと、病室に来たのだそうだ。

――景一兄さんが桃香ちゃんを呼んだんだよ、きっと。

 とは、父の弟――私の叔父さんの言葉。それまで一向に起きる気配のなかった私は、あの日、母達が来るとすぐに目覚めたそうだ。そう言えば、夢の中で誰かに呼ばれた気がしないでもない。本当に、父が……?

 ……これも後で聞いたのだが、父はよく私を連れて出掛けてくれていて、それは子育てに忙しかった母に、休日くらいは自由な時間を、と言う父の配慮だったそうだ。事故の日も、そうやって母に気を遣って私を連れ出したらしい。あの日出掛けなければ、あるいは父が気の利かない人であったなら……あんなことにはならなかっただろうに……。

 事故――否、あれは事件と言うべきか……。

 父の頸動脈を突き破ったのは、一発の銃弾だった。街中で起きた、暴力団同士の発砲事件。父はその流れ弾の犠牲となった。

 暴力団が家の近くにいたなんて全く知らなかった、と、母をはじめ近所の人達は、口々に言ったという。それ自体は大して珍しくもないのだろうが、アメリカじゃあるまいし、この治安の良い日本で、流れ弾に当たって死ぬなど、一体どれだけ運が無いと言うのだろう。バカバカしくて笑えてくる。

 けれど、そんなバカバカしい出来事も、私の中で未だに強烈なトラウマとして存在し、あの時の発砲音に似た音――例えば風船の割れる音をきっかけにして、私の中に甦ってくる。普段はどんなに思い出そうとしても出来ないのに、音は、あの光景を生々しいまでに鮮明な映像として生き返らせるのだ。

 それから長い間に、どこがどう変えられたのか、


音=父の記憶


 とは別に、いつの頃からか、


音=死の恐怖、死の感覚


 と言う連想が加わっていた。

 私には強いショックによる精神への影響が心配されたが、幸い、と言っていいのか、心配された影響はなかった。しかし、代わりに失ったものがあった。

 それは、父との記憶。恐らく、物心ついたのは三歳くらいの頃。おぼろげでも、父の記憶が残っていてもおかしくないはずだ。しかし、私の父の記憶は、たった二つしかない。一つは、亡くなる直前の、赤い記憶。そしてもう一つが、最後に見た父の、葬儀の記憶。唯一父が生きていた時の記憶である前者は、音を聞いた時だけしか思い出せない。父の記憶と言われて思い出すのは必ず後者。以前程ではなくなったけど、今でも時々夢に見る。

 この二つ以外の父との記憶は皆、どこかに消えてしまった。残っているのは、母と私の記憶か、当時通っていた幼稚園での記憶だけ。それに父が出てくることはない。

 父の葬儀が終わって間もなく、私と母は、母の実家へと移り住むこととなった。こんな危険な所には居られないという事と、父の死を早く忘れてしまいたい、という理由だったと、いつか聞かされたことがある。父と、それから母と、家族で一緒に暮らしたあの土地へは、それ以来一度も行っていない。


 大通りから脇道に逸れた私は、すぐ横のブロック塀の上に、猫がいることに気付いた。都市部とは違い、田舎ではよく動物を見かける。この三毛猫も、以前に見た覚えがあった。また、すぐ近くの家は何匹も猫を飼っている。通り過ぎるときに伺うと、外で五匹ほどが思い思いの場所で日向ぼっこをしていた。

「可愛いなぁ……」

 周囲に人がいないので、ついつい思ったことがそのまま口に出る。早く直さないと、いつか人前でやってしまいそうだ。

 口を塞いで間もなく、今度は、犬を散歩させている仲の良い老夫婦と擦れ違う。こんにちは、と挨拶しつつ、先程塞いだ口をもう一度塞ぐ羽目になった。夫婦が連れていたのは少し前に流行ったチワワで、犬はどちらかと言うと苦手な私でも、そういった小型犬は可愛いと思う。

 道を右に曲がると、最近開発の進んでいるこの地域でもまだ残っている、水田地帯に出る。昼間は知らないけど、早朝や夕方は、散歩をする人が絶えない地域だ。植えられて一ヶ月程経ち、青さを増す一面の稲の中、見渡すと十人ばかりの人影があり、その大半が犬を連れているようだった。もう二年間この道を通っているけど、ここまで人――特に犬を連れた人を見るのも珍しい。

 何かあったのだろうか。しかし、今日は至って普通の日であり、休日ですらない。

 疑問を抱きつつ、少し先の畑の多い地区に入ると、今度は打って変わって誰も見あたらなくなった。

「もー、何なのよー……って、えぇーっ!」

 また思考の全てを声に出していた私は、前方の路上に見慣れない何かがいることに気が付いた。近付くと、それは鴨だった。よく、公園とかの汚れた湖にいて、鯉とエサを奪い合っているアレだ。

――って、何でここに? と言うか、そんなとこいたら轢かれるでしょうよ、車に。

 よほど人に慣れているのか、私がすぐ横を自転車で通過しても、全く動こうとしない。今度は心の中でツッコミを入れつつ通過した後、一度振り返ってみても、鴨はその場から動く気配はなかった。

「――全く、何で今日はこんなに動物に会うんだろう……。――ん?」

 今度も鳥だった。恐らくは(きじ)で、しかもつがいの。

 ごく普通の畑を、黄土色っぽい小さな雉――雌だろうか――が走り抜け、その後を、暗い緑色をした一回り大きな雉――多分雄だろう――が追いかけていた。

――って、おいおい。嫌がってるじゃんよ。

 そうツッコミを入れつつ、ここが田舎であることを再確認。それにしても、雉なんて初めて見た。

 ここまで来たなら、次は何が現れるんだろうと、ついつい身構える。しかし、その後大通りに出るまで、猫どころか、犬にさえも会わなかった。


   ◇ ◇ ◇


 少し大きな道に出て、歩道をのんびりと自転車で走る。つい最近整備された道で、反対側にコンビニやガソリンスタンドが立ち並ぶ一方、向かい側には、まだ畑が残っているという、何とも田舎が抜けきらない景色となっている。

――ここも静かだったのになぁ……

 と考えつつ、私は畑側を眺める。時々は農家の人が畑仕事をしていることもあり、こっちの方が落ち着くのだ。

 そうして進んでいた私の視界に、何か茶色っぽい大きなものが映った気がした。通り過ぎてすぐ後に、信号で止まる。次第に思考が追いついてきた。

「―――カンガルー?」

 事件以来、動物園には一度も行っていない私だけど、本やテレビで見て知っている。さっき、畑で丸まっていたアレは、確かに――紛れもなくカンガルーだったのだ。

 慌ててUターンして、その場所に戻る。やはりそこには、夢でも見間違いでもなく、ヤツ――カンガルーが居た。


――なぜカンガルー? と言うかどうしてここに? そんな疑問が渦巻いて、私は畑の方を凝視したまま固まっていた。あまりの非日常さに思考が一時停止、と言うよりは考えること自体を放棄して、もそもそと動く右耳の垂れたそれを呆然と眺める。

 そんな私を不審に思ってか、通行人が次々と視線の先を追っていき、そのまま硬直。噂は噂を呼び、知らせを受けた警察官と市の職員と思しき人達が駆け付けた頃には、四・五十人の野次馬が集まっていた。

「危ないので離れて下さい!」

 そんな呼び掛けなど完全に聞いておらず、人々は柵に集まって、一段低い所にある畑へと視線を集めていた。

 最も人が集中している所を避けて、私は端の方から成り行きを見守る。きょとんとして辺りを見回すカンガルーに、ネットを持った職員がにじり寄っていた。

「……今だっ!」

 やや小さめの掛け声と共に、職員が飛びかかる。しかしカンガルーは、人間の動きなど遅すぎるとでも言いたげに、パッとそれをかわした。 逆に、飛び掛った職員が崩れたバランスを整えているところに、さっとカンガルーが近付く。そして、いつかテレビで見たあのオヤジ臭いカンガルーのような見事なパンチを、連続して叩き込んだのだ。

「うわっ――! 痛っ!」

 倒れ込んだ職員が上げた悲鳴に驚いたのか、カンガルーは遠ざかる。あれだけ素早いパンチを受けたけど、職員に大した怪我はないようだ。

 丁度その時、別の車が一台到着した。車体に書かれているのは、あの日父と行くはずだった動物園の名前。あんな遠くの動物園の車が何故ここに、と疑問に思っていた私に、降りてきた人が手に持っている物が見えた。それは、ライフル銃のような物――

「――っ!」

 見えた瞬間、何かに心臓を掴まれたかのように、動けなくなった。さっき危害を加えていたから、それで射殺されてしまうのかもしれない。

――やめてっ!

 他の人が後退し、銃を持った人が屈む。構えられた銃は、ピタリとカンガルーを捉えていた。視力の良い私には、引き金に手が掛けられたのも判る。

――だめっ、引かないでっ!

 それに気付いた野次馬の群から、感嘆とどよめきが漏れる。カチリ、と、引き金に掛けられた手に力が入る音が、聞こえた気がした。

――撃たないでっ! だめ――……

 そして――


 ―――パァンッ!


 野次馬の中から悲鳴が上がる。直後に、カンガルーは引きつった様に飛び上がった。

 その瞬間、私とカンガルーを残して、全てが闇に沈む。足元から広がるのは、底なしの死の感覚。体の中心部から体温が奪われていく。赤く染まっていく私の視界の中で、始めは暴れていたカンガルーが、あの日の父のように、やがて、パタリと動かなくなった。

……。


   ◇ ◇ ◇


 それから数週間。文化祭も終わり、世間ではもう夏休みが始まっている。それは私も例外ではなくて、平日のこの日、私はある目的のために一人で電車に乗っていた。向かっている先は、あの日父と行くはずだった動物園。目的は、あのカンガルーに会うためだ。

 どういうことかと言うと、あの日、閉園した地方の動物園から都市の動物園に移送中のカンガルーは、途中で逃げ出し、あの畑に迷い込んだのだそうだ。そして、使われたのは射殺用の銃でなく、麻酔銃だった。カンガルーが倒れたのも、死んだのではなく、単に麻酔が効いただけらしい。

 それを、病院で目覚めてすぐに、母から聞かされた。その時は、ほっとしたと言うか意外と言うか、安堵の中に驚きが混ざった様な気持ちになった。私の中では死以外の何物でもなかったあの音が、必ずしも死に繋がるわけではないと、新しく発見した気分だったのだ。

 それ以来、音を聞いて記憶が呼び覚まされても、死の感覚が溢れ出すことはなく、それほど気分が悪くなることもなくなり、父の葬儀の夢を見て、夜中にうなされて目を覚ますこともなくなった。きっともう、思い出すこともないような気がする。


 動物園に着いて、生徒手帳を使って学割の利いたチケットを購入した。今朝方、家を出る時に、母にしつこく持ったかどうかを訊かれたものだ。恐らく、私がまた倒れることを心配したのだろう。あの後倒れた私のことが知らされたのは、この手帳で身元が判ったおかげらしいから。しかし、もしかしたら割引のことも頭にあったのかもしれない。そういう所で、母はしっかりと言うかちゃっかりしている。

 今まで、遠足や校外学習などで、行き先が動物園だったり私の住んでいた地域を通る場合は、必ず休んできた。そんな私が、事実上、十二年ぶりに訪れた動物園は、長期休暇中ともあって、とても賑わっていた。動物園に来た記憶はないのに、こんなにも懐かしい気がするのは、何度か家族で来たというその思い出が、私の中で眠っている証拠なのかもしれない。

 事前に確認したところによると、カンガルーの展示エリアは一番奥にあり、あのカンガルーは一週間程前から一般公開が始まっているとのことだ。

 丁度お昼時であり、中央の売店の並ぶエリアが一番混んでいて、奥の方は人もまばらだ。少し遠く、本当に最奥にある広い檻の中に、カンガルーが五頭いる。その中の一頭は紛れもなく、あの時の、右耳の少し垂れたカンガルーだった。

「あ、元気?」

 また悪い癖がでて、独り喋りだす私を、あのカンガルーは、“?”が似合いそうな感じで、首を傾げて見ていた。本当、人がいなくて幸いだ。

――ああ、生きてるんだなぁ……

 聞いただけで漠然としていた事も、実際に見てようやく真実だと認識する。それと同時に、私の中に最後まで残っていたわだかまりが、すっと解けていった気がした。


 ―――パンッ


 隣接する公園の方から、何かの割れる音がした。周囲の木々に反響して、音が間延びしている。恐らく、暇を持て余している元気な男の子達が、かんしゃく玉か何かを割って遊んでいるのだろう。それを聴いても、もう私の中にあの日の記憶が甦ることはなかった。

 代わりに思い出したのは、正真正銘の、この世で最初の記憶―――この動物園に遊びに来た、私と母と、それから父との、家族の思い出だった。


     ―fin―

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