闇の中から【13】
また変な夢を見た。白い世界に佇む自分がいる。
どうせきっと、いつもの如く、起きたら忘れてしまうのだろうな……と、ぼんやりと思う。
心地いい空気の中、隣に誰かが居て何かを話している感覚があった。
そんな感覚でしか捉えられない状況はゆっくりとフェードアウトしていき、最終的に夢の中で更に眠りについた。
どれだけ眠っていたのだろうか。
目を開けると、小奇麗な部屋がアズリの視界に入って来た。
一瞬何処か分からなかったが、ラブリー☆ルマーナ号の船室だと直ぐに理解した。
ベッドの脇に誰かが居た。見ると、ティニャが顔を突っ伏して寝ていた。
「ティニャちゃん……」
そう呟いて、無事でよかった……と心で思った。
「アズリおねえちゃんっ」
寝ていた訳ではなかったのだろう。ティニャはアズリの呟きに即座に反応し、顔を上げた。
既に治療は済んでいた。腫れた目元を隠すように眼帯があって、肘や膝、そして両手に包帯が巻かれている。見るからに痛々しいが、ティニャ自身は元気いっぱいといった感じで「起きたっ。待ってて」と言って立ち上がり、子供らしい走り方で部屋を出ていった。
――皆に心配かけちゃった。……カナ姐に怒られそう。
自分の体は怪我一つない。だが、気を失っていたのだ。理由は分からないが、少なくとも周囲に大きな心配はかけただろう。
ふと、ロクセに抱きかかえられた時を思い出した。
無歩の森で黒い彼にされた事と同じ感覚。
大事にされている、と感じ取れる不思議な安心感。
思い出したら顔が熱くなった。
アズリは「はぁ~」と深く息をついてタオルケットを深くかぶった。
「これからは、自分の命も大切にして下さいねっ」
サラからもう何度目か分からない説教を受けて、ブリッジの船長椅子に座るルマーナは心底辟易していた。
「分かってる。もうしない」
サラは操縦席に座り、真っすぐ前を見て顔も合わせてくれない。かなり怒っている証拠だ。
作戦時の出来事を事細かに報告したキエルド。余計な事は話すなと、くぎを刺しておいたのだが、無駄な努力だった。
「ちょっと、皆の様子みてくるから」
そう言ってルマーナは逃げた。
ブリッジを出る際、サラは無言だった。
数日はこの状態が続くだろう。
まいったね……と思いながら食堂としても使うリフレッシュルームへ足を運ぶ。
扉を開けて室内へ入ると、殆どの面子が揃っていた。
ロクセを除いた男達はチビチビと酒を飲んでいて、女達は食後の茶を啜っている。
ルマーナは助けた女達の元へ向かって「どう? 落ち着いた?」と声をかけた。
「はい。助けて下さって、本当にありがとうございます。ルマーナさん」
ラモナという娘が深く頭を下げた。
「気にしないでちょうだい。当たり前の事をしただけだよ」
「ヌェミは? 大丈夫ですか?」
シャルロという娘が身を乗り出して聞いて来た。
ルマーナは一瞬口ごもった。
救った女達の中で、怪我をしたのは四名。
裸足で走った娘と、転んで擦り傷を作った娘ラモナ、そしてティニャ。皆暫くすれば治る怪我だったが、ヌェミという娘だけは違った。片足が折れて、顔面も強く引きずっていた。可哀想なのは一生残る深い傷が額から目元にかけて残る事と、片目の眼球を石で傷つけてしまい、失明する恐れがある事。抗生物質を打ってあるから今は化膿しないだろうが、帰還したら直ぐに医者に見せなければならない。
船医を一人連れて来れば良かったと少し後悔している。
「簡単な処置だけど治療はしたわ。でも帰ったら医者にみせるつもり。大丈夫。今はぐっすり寝てるから、心配しないで」
「そう……ですか」
シャルロは少しホッとしたような表情でホス茶のカップをぎゅっと握る。
どんな状況でどんな怪我なのかを話さない偽善に心が痛んだ。
「ともかく、無事で何より。それにこれからの事を考えなくちゃならないからね。でも、その辺は任せておいてちょうだい」
「帰れますか? 私達」
ラモナが言う。その一言に皆、一様の顔を向けた。
知っているのだ。餌として扱われた自分達は生きて帰ってはいけない存在なのだと。
だが大丈夫。
「堂々とは帰れないわね。でも、安心してちょうだい。落ち着くまで匿うから。勿論、家族の事も心配しなくて良い。あたい達が面倒みるからね」
一番通りで酷い目にあってきた娘を匿う場所、そしてその伝は持っている。今までそうして協力者と共に沢山の女を救ってきたのだ。同じ様に救うだけなのだから、これに関しては自信を持って言える。安心して欲しいと。
「ありがとうございます」
ラモナが小さく、でも心からの礼を言う。それに続いて礼を言う娘や頭を下げる娘。
皆、ここにきてやっと、本当の意味で安心できたのだろう。
堪えていた涙を流し始めて嗚咽を漏らした。
シャワーを浴びさせ、食事を取らせ、一息ついた。
もう大丈夫。女は強い。これからもきっと強く生きていく。
ルマーナは「泣くんじゃないよ。泣いていいのは好きな男の前だけにしな」といって苦笑した。
「そうそう。涙を見せるのは男の前だけだぜ。俺みたいなイイ男の前だけでな」
後ろの席で酒を飲んでいたメンノが陽気な声をかけてきた。
空気を読まない台詞は、ルマーナを呆れさせる。
「あんた程度の男はごまんと居るよ」
「ルマーナさんの言う通り。その程度、自慢するほどじゃないわ」
レティーアが侮蔑的な目を向けて口を挟んだ。
「その程度って。俺って結構イイ男だと思うぜ。自分で言うのもなんだけど」
「自分で言ってる時点で、その程度よ。そもそも、男なんて全部同じ」
「あら? 私達も同じって事?」
と今度はパームが口を挟む。
「ううん。パームさん達は別。私でも羨ましくなるくらい綺麗だもん。今度メイクの仕方教えて貰いたいくらい」
「あら、嬉しい事言うじゃない。私達のメイク技術でいいなら、いつでも教えてあげるわ」
「じゃあ、今度遊びに行ってもいい?」
「いつでもいらっしゃい。ね? ルマーナ様。いいでしょ?」
「ええ。構わないわ。今回は本当に助かったし、VIP待遇で招待するわよ」
「やった」
「じゃあ、俺もまた世話になるぜ。飯も酒も美味かったし」
レティーアの招待に乗じてメンノも卑しい軽口を叩く。だが「あら、嬉しい。その時はあたしが付くわ」と、キャロルが上手にその軽口をすくい取った。
「え? いやぁ~、キャロルは俺程度の男には勿体無いぜ。ははっ」
「あらやだ。さっき自分でイイ男って言ってたじゃない。それにあたし的にはあなたみたいな男、結構タイプなの。ね? ベティー」
キャロルがベティーにウインクした。ガチムチの二人は席を立ってメンノの元へと歩み寄る。
「あ、あたし……キャロルお姉様と、好きな男一緒。ぐふっ。だから……好き。あなた……好き」
「最近言葉覚えた? 怖い怖い! 何か怖い!」
滅多に喋らないベティーは、確かに言葉を覚えたばかりの珍獣といっても差し支えない。
メンノは座ったまま後ずさった。
「怖いとか酷いじゃない。ベティーに謝って」
「え? あ、ごめんな。言い過ぎたぜ」
「ぐふっ……優しい……好き」
ルマーナは素直にご愁傷様と思った。
ムキムキの男……否、女に抱きつかれるメンノは今後数週間、二人に追い回される羽目になるだろう。
「ちょ、痛い痛い。力強すぎるから! いや、ホント、苦しい。ギブギブ!」
そんなメンノを見つめる女達の顔が緩んだ。
涙を止めて苦笑している娘達。一瞬見せた重い空気が、あっという間に消え去った。
――イイ男じゃないの。あんた。
ルマーナは素直に感謝した。
「アズリおねえちゃん、起きたよっ」
丁度その時、ティニャが扉を開けて勢いよく入って来た。
これでヌェミ以外は皆無事だ。
ルマーナはホッと安堵した。
聞いた話だと、犠牲にあった男達は殆どが犯罪者だという。
そんな男達には申し訳ないが、女達だけでも助けられたなら十分だと思う。
後は、無事に帰還すればいいのだ。
ゆっくりお茶を飲んでゆっくり寝て、その先のリアルについては、これもまたゆっくり実感していけばいい。
ルマーナは「美味しいお酒があるの。ねぇ、あなた達、お茶もいいけど一緒に少し飲まない?」と言って、笑顔を取り戻した女達に向かってウインクした。
「何でそう……あなたは無茶するの?」等々。うんぬんかんぬん……。
予想通り、カナリエに怒られた。
「ごめん」と何度もアズリは謝り、最後に「心配したんだから……」と抱きしめられて事は済んだ。
そのまま空船で一晩を過ごし、帰還したのは夜明け前だった。
まだ暗い内に、救出した女性達を匿う計画だったが、昼間ゆっくりと堂々と行動しても良い状況になっていた。
ルマーナ船掘商会の事務所へ着いた途端、待機していた男性が走って来て、ルマーナ達へ何やら報告していた。
「嘘……」
とルマーナは驚いていた。
その報告は、エルジボ狩猟商会の殆どが死亡したという報告だった。
幼体の捕獲は達成したが、船員二名だけを残し、他は生きて帰ってこなかったという。
その船員も怪我を負って命からがら帰還したとの事で、今後、商会の存続は危ぶまれるだろう、と言っていた。
「エルジボがいる限り、問題ないでしょう。また人を集めますよ」
そうキエルドは言うが、
「狩猟業は素人集団で出来る程優しい仕事じゃないでさ」
とレッチョは否定する。
「それで、生きて帰った二人って誰?」
ルマーナが報告人へ質問すると
「イジドとブルーノンらしいです」
と答えた。
そこでキエルドとレッチョが顔を合わせて「あの二人だけ? まさか……」と驚いた。
「……あの男、本当にやるとはね……」
「どんな言い訳するんですかね」
「さぁね。何かに襲われたとかじゃないの? なんにせよ、責任追及免れないわよ。エルジボのお気に入りでも、今後の行動に制限がつくね」
「こっちも動き難くなるでさ」
「……しかし、このタイミングでですか。面倒な問題もあるのに、これからどう対処して行くんでしょうね」
そんな事を三人は話していた。
アズリには、エルジボ狩猟商会がほぼ全滅してしまったという事実しか理解できなかったが、三人には何か思う所があるようだった。
結局、日が登ってから数人の男性が女性達を引き取りに来て、メンノとザッカは探査艇を返却しにオルホエイ船掘商会へ向かった。カナリエ達も一旦事務所へと行き、メンノ達の片付けを手伝った後、自宅へ戻るという。サラ達は皆、レッチョ指揮の元、被害額の計算と修理、そして船のメンテナンスをする。ヌェミは当然、到着後直ぐに医者の元へと向かった。
そしてアズリはというと、ロクセ、ルマーナ、キエルドと共に下級街へ向かう事となった。
現在その道中で、その理由はティニャの引っ越しだ。
ティーヨが心配だと言って一人で帰ろうとするティニャは、そもそもルマーナの店に住む事になっている。
今日の内に必要な物を持って行き、出来るだけ早く、良い環境で弟を看病してあげる。
ルマーナの提案で、今日の予定がそう決まった。
アズリとロクセは手伝い……と言う事でついて来たが、ロクセに至ってはアズリが半ば強引に引っ張って来たようなものだ。
「食べ物は十分にあっただろうけど、数日間一人だったからね。寂しかっただろうね」
ルマーナが隣に座るティニャへと声をかけた。
因みに、全員中型のトラックに乗っている。酒や食材の搬送に使っているトラックらしい。
「きっと大丈夫。ティーヨは強い子だから」
「そう。あんたに似て強いんだね」
ティニャは褒められた事を素直に喜び、えへへと笑った。しかし、直ぐに不安顔になって「でも……」と続ける。
「でも? 何?」
「お薬飲んでるかなって……それが心配。ちゃんと毎日飲まないと駄目だって言われてるのに、最近ずっと寝てばかりだから……」
「薬って?」
「薄い紫色のやつ。少しづつ元気が出るっていう薬」
そこでルマーナが何かを考える様に一点を見つめた。そして「いつから? 症状は?」と質問した。
「二か月とか三か月とか、そのくらい前から。何食べても痩せていくから……もっと食べさせないとって思って……」
「それで一番通りで働いてたのね?」
「うん。ロンラインの入り口に居たら知らない男の人が声かけてきて……」
「それで?」
「ティーヨの事話して、働きたいって言ったら、元気になる薬持ってるって、ウチで働けばその薬あげるって……そう言われたから……だから直ぐに働いたの。でも実際は貰ったお給料でそのお薬買うって感じだった」
「その店がヘブンカム……」
「うん。そう」
「……キエルドっ。急いでちょうだい」
「はい。分かってます。少し飛ばしますよ」
まだ人通りの少ない朝方、トラックはスピードを上げた。
嫌な予感がした。
ルミネは言っていた。ロンラインでウロウロしていたらメンノに拾われたと。メンノに拾われなければ、悪い仲介業者に捉まっていたと。
ティニャはどうだったのだろうか。
答えは決まっている。
あれ程の痣を作らせる店に務めていたのだ。良心的な人間に声をかけられた……なんて事は絶対にない。
薬とはきっと自分も飲んだことがある虫下しだろう。
嫌な予感がした? 否、嫌な予感しかしない。
アズリはトラックのスピードが上がったと同時に、体を前のめりにした。前の座席をぐっと掴んで、フロントガラスから目を背けなかった。
気持ちは多分、トラックよりも前へ行っていた。




