ルマーナの店【4】
カード一枚で全てが無料になる。そんな信じられない効力をみせるカードがロクセの手元にあるという事実。
一体どういった理由でそれをロクセに渡したのか……なんて考えるまでもない。
「ルマーナって惚れっぽいのよ」
カナリエの言葉が、脳内でリピートされる。
惚れてるのかもしれない、なんて甘い答えではなく、現在進行形で惚れている。それが答え。
――そんなもの、ほいほい貰って来ちゃって! 何かあっても断れないじゃない! 付き合ってーとか、ましてや結婚してーとか言われたらどうするの? はい分かりましたで、簡単にしちゃうの? そりゃそうなったら祝福するけど! だって、私には関係無……くも無いから、こんなカード貰ったよ、とかって一言言って欲しかった!
メンノとザッカが「今日はツイてる」とか何とか言いながら盛り上がっている。
アズリはそんな二人に冷たい視線を向けてから、表情すら変えないロクセを睨んだ。
――それに何で、正直にルマーナさんと飲んでくるって言わなかったの? たった一言それだけなのに、別に聞いても怒らないのに。妙に隠そうとするから、ホント何なの?! って思うだけで、男の人なら飲み歩くの普通なのも分かるから、責めるつもりは無いのに言ってくれないし。今だって怒ってないけどね!
滅茶苦茶な文脈の選択しか出来ないアズリ。
自分でも何を考えているのか、正直理解出来ていない。ただ、とにかく、謎のイライラが増すだけ。
……なのだが、怒っている、という自覚は無い。
――だから、美味しい物いっぱい食べてあげる! ティニャちゃんと一緒に!
これはロクセへの罰。
遠慮なんて考えずに、好き放題やればどうなるか。
「ゴチになります!」
「ゴチになるっす!」
メンノとザッカの言葉に追随して、アズリも「よかったね! 美味しい物食べれるよ!」と言葉だけはロクセ向かって投げた。
――ルマーナさんのお金でね! 後から何言われても知らないんだから!
なんて思った所で、それがロクセに伝わっているとは思えない。借りを作りたいなら勝手に作ればいい。
先日の作戦で彼女の命を救ったのはロクセだったな、と一瞬頭をよぎったが、そんな事よりも、彼女に迫られて困り果てるロクセの姿が見たいと思ってしまう。
それもそれで良い気分にはならないが、きっとその時は自分に相談してくれるはず。そうすれば、世話役の存在が如何に大きいか分かってくれるはず。私の存在が、どれだけ大切か分かって貰えるはず。
何故か、今だけはそう思った。
「ようこそ、二番通りへ。あ、これはこれはメンノ様。今夜はこちらですか?」
無意識に思いが口から出て、ぶつぶつと何を言っているのか分からない戯言を続けていると、いつの間にか二番通りの受付に着いた。
一番乗りしたのはメンノ。最初の挨拶は顔馴染みであろうメンノに向けられる。
メンノは慣れた態度で「ああ。やっぱりこっちの方が俺には合ってるしな。今夜も楽しむぜ。よろしくな」と、受付の男に挨拶を返した。
「おや、珍しい。ザッカさんもいらっしゃいますね。それと……初めてのお客様もいらっしゃいる様で」
上級街で見かける執事風の服装。受付男の骨格は、その服を今まさに破かんとしていた。細身に映える服であるが故に、真逆に育ったその男には、全くと言っていい程に似合っていなかった。
男は「それから……ふむ……」と言いながら、ねぶるような視線をアズリとティニャに向けた。そして「この子は……磨けば相当に光る逸材ですね。素晴らしい!」とティニャを見ながら言った。
「ん? ちょっと待っ……」
「メンノ様! ご紹介、ありがとうございます。ここの所無かったので、個人的には少し寂しく思っておりました」
「いや、今回は……」
「前回ご紹介下さったルミネちゃんは今、あの三号店で働いているんですよ? しかも一番人気とか。やはりメンノ様の目利きは素晴らしい」
全く話を聞かない男は「いや、だから」と否定しようとするメンノを放っておいて、そのまま言いたい事を言い続けた。
「そちらの小さなお嬢さんはキエルド様へ直接紹介した方が良いと思います。数年は雑用という形になるかと思いますが、将来、この二番通りで一、二を争う女性になるかもしれません。お隣の子は申し訳ありませんが、別の店の方がよろしいかと。レベルに見合った丁度良いお店を紹介いたしますので、そちらへ行ってみて下さい」
何を言ってるのかアズリには理解出来なかった。しかし、メンノが心苦しそうな表情を向けた瞬間、全ての意味がスッと頭に流れ込んだ。
――レベル? 丁度いい? 値踏みされてたの?!
「では、そちらにいる初めての方は通行カードをお作り致します。女性の方お二人は、働く予定がお決まりになってから、もう一度こちらにお越しください」
失礼にも程がある男の発言に、出て来る言葉はなかった。
アズリは無言で、今日一番の睨みをメンノに送った。
メンノは頬を引きつらせて小さく「ごめん」と謝った。
「どうかされましたか? まずはIDの提示を……」
「いや、ホント待ってくれ。今回は違うんだ。むしろ、俺の方がこいつらの連れなんだよ。この子達は……客だ」
「は?」
「そっす。ここで働く為に来たんじゃなくて、俺達と一緒に飲みにきたんすよ」
「変な面子かもしれないが、マジなんだ。これ以上勘違いされたら……飯に毒でも盛られかねない」
男はザッカとメンノの言葉を聞いてから、アズリに視線を向けた。
アズリはメンノに送った表情のまま、その視線を受け取った。
「あ、ああ。それはそれは、失礼いたしました」
男は早合点してしまった自分を恥じるように苦笑した。
ロクセはずっと静かに様子を伺っている。ティニャはきょとんとするばかりで何の話をしているのか理解出来ていないようだった。
「分かってくれたようで助かるよ」
「いえ、こちらこそすみません。でも、勿体無いですね。磨けば光る原石ですよ?」
そう言われたメンノはティニャをチラリと見やり「そんなの、会った瞬間にわかったさ」と言った。
「どうかしたの?」
「いや、何でもない。気にしなくていい」
メンノはティニャの頭に手を乗せて微笑んだ。そしてアズリに向かってもう一度「ごめん」と謝った。
「では、通行カードを作りますので、IDを提示して下さい」
「ロクセ。さっきのカード出してくれ」
名前を聞いた受付男は「……ロクセ?」と、自分の記憶を反芻するような反応を示した。
「やっとですか」
ロクセは待ちくたびれたとでも言いたそうな態度で、ルマーナから貰った例のカードを渡した。
カードを受け取った瞬間、男の表情が変わった。
「ロ、ロクセ様でいらっしゃいますか?! ご、ご本人様ですか?!」
「ええ。そうです。IDも出しますか?」
「はっはい! 登録は必要ですので、お、お願いします」
男は丁寧にIDを受け取って、手元の機械にかざした。
カウンターが邪魔で、どんな操作をしているのかアズリには見えなかったが、焦りと緊張が混ざった表情だけは良く見えた。
「た、確かに。ご本人様でいらっしゃいます。……では、こちらはお返し致します」
IDと一緒に通行カードを返されて、ロクセはそれを無造作にポケットへ仕舞った。
「それでは、カードのご説明を……」
「いや、必要ないっす。それはさっき説明しておいたんで」
「は? さ、左様でございますか。では、ルマーナ様がお待ちしておりますので、本店の方までお越しください。これから案内も付けますので、少々お待ちください」
「いやいい。俺がいるしな」
「ロクセ様がいらっしゃったら案内を付ける様にと、ルマーナ様から仰せつかっておりますので、一応……」
「いや大丈夫だって。なっ?」
メンノから同意を求められたロクセは一瞬、呆れる雰囲気を見せて「ええ。彼が案内するとの事ですから、気を使わなくて結構です」と言った。
「左様でございますか。……では、メンノ様よろしくお願いします」
「はいよ」
「ほ、他の店には入らない様にお願い致します。私の今後の人生がかかっておりますので、絶対に! ルマーナ様の元へお連れして下さい。絶対に!」
「分かったって。ルマーナんとこへ直行すればいいんだろ? 浮気しねーから安心しな」
「本当、よろしくお願いしますね」
言って、男はピッと背筋を伸ばし、ゴホンと咳ばらいをした。
そして、お決まりの文句と思える台詞を口にした。
「……では、今夜も心行くまで、無限の愛と幻想と、そして現実をお楽しみ下さい。いってらっしゃいませ」




